2026年8月8日土曜日

小学館のマンガワン問題の調査報告書を読んだ見解


 平日はマジで仕事でずっと忙しく、夜もそのストレス抜くために必死でゲームし続けているため、例の小学館が出したマンガワン問題の報告書を読むのも今日まで遅れてしまいました。この報告書ですがてっきり、作者が性犯罪者だった「常人仮面」問題だけ取り扱っているのかと思っていましたが、同時期に連鎖的に暴露されたマツキタツヤの別ペンネームによる連載問題、週刊ポスト編集者のセクハラ問題も一緒に調査報告されていました。

 はっきり言えばあまりいい報告書だとは思えません。編集上では既述内容を引用する際にしょっちゅう「上記(1)イ(イ)c」などとどこやねんと言いたくなるような章付けをしていて単純に読みづらいです。自分ならこれ「2-4(A)」などとハイフンつなぎの数字+アルファベット、または「2-2-3-1」などすべてハイフンつなぎの数字で章の構成を表示します。また小学館組織や関係者の在任期間などをまとめた第2章も、自分なら別添または付録形式で末尾にもっていきます。日本語文章自体はまだ読みやすさはあるものの、まとめ方がやたら下手だと強く感じました。
 あと評価結論に関してもやたら「人権」という言葉を使って人権教育や意識が足りないなどと指摘していますが、私は今回の問題の根本的原因は人権意識ではなく統制ことガバナンスにあると考えています。そもそも人権意識なんてものはいくら教育機会を設けようが全社員に徹底させるのは不可能だと思うし、社内よりも社会の意識程度に左右される幅が大きく、人権講座を社内で設けても何の対策にもならないと思っています。

 それで話を本題に戻すと、問題の詳細は割愛しますがまず「常人仮面」問題に関しては当初の見込み通り、性犯罪を犯した漫画家の直接の担当編集者(報告書中の「G」)が一番問題と責任があると感じます。問題発覚時の編集長に関して敬意を見る限りこの漫画家がどんな問題を抱えていたかを知っていたとは思えず、起用に関しては前編集長、前々編集長にこそ責任があるように見えました。
 問題発覚時の小学館及びその編集部門の対応は比較的迅速だったし常識的だったと思え、逆を言えば末端の人間であるGに問題があり過ぎて、こいつさえこの世にいなければ小学館は何も失うことはなかったと断言できます。

 以前から主張していますが、問題の根本的原因をなくして再発を防ぐにはやはりこのGを切ることが最善手で間違いありません。一応「人権侵害等に関する再発防止策」にて「従業員の責任に関しては、就業規則に基づき厳格な対応をとります。」と書いてはいますが、このGに関しては問題発覚直後にも果断に解雇するのが普通の企業の対応である気がします。確実を期すとしても、一旦は謹慎処分とし報告書の完成後に解雇するのが常道だと思うのですが、Gの処分内容を未だ発表していない点で小学館はやはりちょっとおかしい組織だと思わざるを得ません。

 その上で先ほどこの問題の根幹は人権とかではなくガバナンスだと言いましたが、その根拠は連載起用の判断を下した責任者がはっきりしないし、性犯罪という問題を抱えていることがきちんと法務や役員まで報告されていなかったからです。報告書によると問題の漫画家がペンネームを変えて別の連載を立ち上げる際、当時のマンガワン編集部では編集長の交代引継ぎ中で、現在からみて前編集長、前々編集長がどちらも、

「起用の最終判断を下したのは自分ではない」
「向こうが起用を決めたと思っていた」

 などと、如何にも現場猫的な無責任な証言を調査に対して行っています。もしかしたらどっちかが保身のため嘘をついている可能性がありますが、少なくとも起用の最終判断を裏付ける証跡なり文書が残されておらず、また上位部門である編集部門も作家の起用や連載開始の決定は担当編集部に一任しているとのことで、承認システムや報告ライン、そして記録管理の面でこの組織は本当に杜撰だという印象を受けました。
 また担当編集であったGは問題の漫画家が性犯罪事件を起こし、訴訟も抱え、その行為の内容について被害者からの訴えも直接受けていたにもかかわらず法務部などへ積極的に報告しておらず、むしろその行動経緯を見ている限りだと、なるべく連載開始にもっていこうと敢えて詳細を隠していた節すら感じました。調査での証言も保身に走った内容が多く、こうした人間が混ざりこんでも承認システムでカバーするシステムがなかったということが本件の最大の問題点であると私には思います。

 以上が「常人仮面」問題の感想で、もう一つのマツキタツヤの別ペンネームでの連載問題についても以下に書きます。

 報告書によるとマツキタツヤに関しては本人も編集部も過去の性犯罪については被害者と示談が済み、執行猶予も終えたことから禊は済んだと思い、ずっと追放し続けるのもよくないとの判断から新連載を開始したとのことです。また「常人仮面」の件とは異なり、作画担当には原作を担当するマツキタツヤがどういう人物であるかをあらかじめ説明していたとのことで、ここまでの対応や判断に関しては私も理解できなくもなく、特段問題もない気がします。

 ただマツキタツヤが連載開始に当たり、ペンネームを変更した判断に関しては正直理解に苦しみます。連載開始前に小学館側が「マツキタツヤ」名義で連載してはと提案したのに対しマツキタツヤ本人が、「自分が元のペンネームで再び連載をしているのを見たら被害者を精神的に苦しめることになるのでは」ということを理由に、ペンネーム変更を決めたとしています。問題はこの後で、「仮に改名後のペンネームでもその正体がマツキタツヤだと指摘する声が出たとしても、自らは認めず、しらばっくれてれば特に問題はない」と考えていたそうです。
 個人的意見ですが、仮に自分が被害者だったとした場合、自分を傷つけた人間が何の連絡もなく(実際、マツキタツヤも編集部も被害者に連載開始を伝えていない)別名でまた連載していることを知ったら、ちゃんと謝罪文を出しながら元のペンネームで連載をするよりも余計気分が悪い気がします。また本人がいくら反省したと言っていても別人の振りして同じ仕事していたら疑うのが当然で、被害者を傷つけないためのペンネーム変更という主張も本気かどうかわからないし、むしろ保身に走っているようにしか見えません。
 少なくとも言えることとしては、マツキタツヤのこのペンネーム変更は、被害者と読者を明確に欺く行為であったことは揺るがぬ事実でしょう。

 その上でマツキタツヤの被害者を慮っての判断という主張を信じるとしても、前述の通り「この原作者はマツキタツヤではないか?」という指摘が出ても認めなければ問題はないとした彼の判断は私には理解できません。
 というのも身バレした場合に小学館、作画担当が受ける評判への影響(レピュテーションリスク)は計り知れないと簡単に予想できるからです。実際に、「常人仮面」の問題と重なった点もありますが、このペンネームを変更して連載していたという事実がバレて大事となってなり、連載も打ち切られる結果となっています。
 そのためマツキタツヤのこの「しらばっくれてればいい」という判断は、そのリスクや影響度合いを考えるとあまりにも浅いし幼過ぎるように思え、またそれを認めて連載開始を決めた小学館側もリスク予測がザル過ぎて「仕事舐めてない?」と問いたくなるレベルです。言い方悪いが、関係者全員があまりにも幼稚過ぎる。

 以上から、なんか調査報告書は初めから「人権ガー」っていう結論にもっていこうとしているようにみえ、実際にその通りに報告してきていますが、私に言わせれば意思決定、承認システムの不備こそが小学館の最大の問題点で、人権どうこうを議論してもなんも意味ない気がします。この報告書を受けて再発防止策とか人権委員会を立ち上げると小学館言っていますが、なんか対策が的外れに見え、そう遠くない内にまた何か統制問題を引き起こす気がしてなりません。

 人権に対する意識を否定するつもりはないですが、私は人権という概念は組織に何の改善ももたらさないと考えています。前述の通り、人権に対する考え方は組織風土や制度以上に社会の認識に左右されることが多く、時代によってセクハラが問題となるかも簡単に変わるからです。
 今回のマンガワンの問題に関しては爆弾抱えた人物の連載開始に対する事前リスク予測が的外れだったのと、また実際に開始するまでの意思決定、審査、承認システムがきちんと働かなかったことが原因であるようにしか見えず、この点に報告書はあまりフォーカスしているように見えないため、冒頭にも書いたようにあまり質のいい報告書に見えないと思えました。

2026年8月7日金曜日

スパイダーマン・ブランニューデイを見てきた

 一昨日の話ですがスパイダーマンの最新作となる「ブランニューデイ」を見てきました。狙ったわけじゃなかったけど水曜なので映画料金が少し安くて得したのと、夕方5時からの回だったので割と席は空いてました。と言っても、自分が普段上海で朝一で見る映画の観客は自分を含めていつも二、三人なので、それと比べるとかなり混んでる印象ではありましたが。
 それで映画の感想ですが、結論から言うと前作の「ノーウェイホーム」を超えることはないものの面白いが、ぶっちゃけスパイダーマンというよりピーター・パーカーの映画に見えました。

【レビュー】『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』歴代最高傑作か?あえて「描かない」ことで広げた世界観(Joshua Connolly)

 映画を見終わった後に見たのが上の批評でしたが、自分が思ったことを全部描いてくれていたのでこれで満足し、ほかの批評は一切見ず終わりました。それだけよく書けているので正直、上の記事見てくれた方が早いような気がするのですが、少しだけ補足することとします。

 まずアクションに関しては日本のしょっぱい映画と比べるとやはり段違いによく、特に終盤の忍者軍団との戦闘は見事なものでした。狭い空間でいかにもスパイダーマンらしい戦い方を見せてくれています。
 一方、ストーリーに関しては上にも書いた通り、正直スパイダーマンの映画というよりかはその中の人ことピーター・パーカーの物語であるように思え、スパイダーマンの映画を見た気があまりしませんでした。実際この作品はスパイダーマンとして悩むピーター・パーカーではなく、ピーター・パーカー自身が人として思い悩み行動する映画であるように見え、上の記事の人同様にあまりヒーロー物の映画であるように感じませんでした。むしろ、一緒に出てきたパニッシャーの方がヒーロー要素が強かった気すらします。

 もちろんそのような構成でも悪くはないのですが、前作の「ノーウェイホーム」が歴代スパイダーマン勢ぞろいという反則級の手段に出てきたせいもあり、日本で仮面ライダー大集合的なヒーロー物として異様な大作であったことからどうしても今作と比べることとなってしまい、さすがに前作を超えることは無理だろうと初めからわかってはいたものの、かといって次作に対する期待感を大きく持たせてもらえるような終わり方でもなかったため、見終わったときは「まぁこんなもんかな」的な満足感で終わりました。
 もっとも、本作の最大のカタルシスは多分自分以外の人にとっても最後の最後のラストシーンであると思います。あの最後のシーンは多分これまでトムホ版スパイダーマンを追いかけてきた人にとって一番待ち望んでいたシーンであり、あれを見るためだけにこの映画を見る価値があるでしょう。逆を言えば、あのシーンもあってヒロインが若干空気となっている気もします。

 あと、先ほどは次作に対する期待感は大きく持てないとは書きましたが、それはスパイダーマンに限る話で、マーブル映画全体で言えば「え、次は誰出してくんの?」という疑心暗鬼のような期待感は持たせられました。それというのもネタバレを回避して書くと、今回の悪役が名前を読み上げられるところで「え、マジ?(;´・ω・)」と思わざるを得ないビッグネームで、この人の参戦で今後どうなるか一気に読めなくなったからです。それだけインパクトあるキャラが本作ではいきなり登場してきます。
 ちなみに「V-Max」という単語を聞いてレイズナーを思い浮かべたのは自分以外にもきっといると信じています。

 なお中国人の友人も何故か日本より公開が早かったため先々週に既に見ていて、自分が見終わった後に感想を言い合ったのですが、「スパイダーマンはいいけどマーブル映画は最近ダメだよね。次の期待作は『オデュッセイ』かな(´・ω・)」と言っていたので、「話の元のオデッセイは中国で言えば『封神演義』だよね」と言ったら、「めっちゃ的確( ゚Д゚)」とやたら褒めてくれました。
 実際、オデッセイも封神演義も実際の史実をベースに神々や仙人が介入するというファンタジーとなっているので、とっさに出たとはいえいい例え方でした。っていうか映画の「オデュッセイ」にスパイダーマンの主人公とヒロインの夫婦が二人とも出演してくるの笑える。

2026年8月5日水曜日

奈良のコイン式日本酒試飲機

 今日あたりから少し暑くなりましたが、昨日一昨日と関東は冷房効かせているのかと思うくらい涼しく、よく眠れたことからなんか今元気です。土曜の朝は物凄い湿気で暑かったと記憶しているのですが、日曜の夕方に戻ってきたら新幹線の中より涼しいんじゃないかと思うくらいの気温でびっくりしました。
 そんなわけで土曜の朝から日曜の夕方まで、例によってまた関西地方に行っていました。日曜は例の奈良おじさんと合流して奈良公園を歩いたりしたのですが、当日の奈良の気温と湿気は半端じゃなく、普通に露天で歩いたらまずいと考え奈良公園の木陰道を歩いていました。

 なお木陰道を越えた先に志賀直哉が住んでいた屋敷があってみてきたのですが、途中で道教えてくれたおばあさんが聞いてもないのに「モンベルの社長の家はあそこですよ」と教えてくれました。そのおばあさんが教えてくれる前からも奈良おじさんが「モンベルの社長の家はこの近くや」と度々発言しており、なんか奈良の住民の自慢の種になっているような気がします。
 そんな具合で楽しく散策していたもののやはり暑く、お昼前に休憩がてらで「なら和み館」という施設に入ったのですが、そこでちょっと面白いものを見つけました。
 

 それがこの上の写真。なんとこれ、コインを入れることでボックスの中に入っている日本酒を一口試飲できる機械です。敢えてなづけるなら見出しに入れたコイン式日本酒試飲機といったところでしょう。

 仕組みを説明すると店員にお金払うとコインがもらえ、そのコイン1枚につきお猪口一杯分の日本酒がボタンを押すと出てくるという仕組みです。コインさえもらえばいちいち店員に言って酒を注いでもらう必要はなく、またいろんな銘柄を楽しめるということで唯一酒が飲める奈良おじさんが喜んで使っていました。
 なおその奈良おじさん曰く、お酒の販売所でも試飲はできるが何度ももらっていると段々お店に対して罪悪感を持つが、ここならお金払ってるので気兼ねなく試飲できると上機嫌でした。値段は確か200円で1コイン、550円で3コイン、1000円で6コインという風に設定されています。

 自分としてもこの機械の仕組みは面白く、それこそ値段を少し引き上げて試飲と言わずコップ一杯分で提供するのもありなのではないかと思います。いろんな銘柄のお酒をセルフで好きに飲める形なら面白がる人いっぱいいると思うし、また写真のように入れることでお酒も普通に次ぐより劣化し辛いようにも見えます。

 あと今回初めて気が付きましたが、奈良の日本酒はそれほど有名ではありませんが酒蔵は結構多く、銘柄も意外に多かったりします。奈良おじさん曰く、「日本酒は奈良が発祥なんや」と真偽の怪しい主張もしてましたが、供給力的には全国に流通させられる酒蔵はなく、奈良ではないと飲めない銘柄が多いそうです。酒が飲めないのでほかの地方の酒とどう違うかはわからないけど、この試飲機と銘柄の多さは将来武器になるのではないかと密かに見ています。

2026年8月3日月曜日

小学館のマンガワン問題報告書


 大分時間が経って風化しかけてた小学館の漫画ワン問題ですが、どうも今日第三者委員会の報告が出たそうです。ちょっと時間なくて報告書内容は読めてないのですが結論は小学館が悪いとのことで、こんな小学生でもわかる結論出すために安くない金額と長い時間かけてる時点で呆れます。
 まぁ小学館の狙いは、第三者委員会調査を入れることで時間を稼いで一時的に風化させることにあったので、目的はほぼ達成されていますが。

 この第三者委員会ですが成否がはっきりしない、例えばリュウとケンのどちらが強いかなど判定の難しい問題を担当させたりするのには大賛成ですが、今回の小学館のように結論がはっきりしている問題を調査、判定させるというのは茶番もいい所でしょう。はっきり言えば小学館の役員連中はこの程度の正邪すら判断できないというのであれば今後もトチ狂った決断を下すリスクが高いと言わざるを得ず、第三者に調査を依頼した事実をもって即刻退任すべきじゃないかと思います。こうはっきり言えるくらい、もはや一般的判断すら久我瀬ないほど人として劣ると私は思います。

 あとこの問題で一番肝心なのは、問題の漫画家を連載させた担当、そして編集長の処分はどうしたかという点です。編集長に関しては連載を決断をしたのは確か前任者だったというような報道があったと記憶していますが、組織としてみるなら直接的責任は負わずとも管理責任を問うのが当然で、最低でも降格、もし事実を知っていたというのなら更迭または解雇もやむを得ないのではないかと思います。共同通信なら間違いなく更迭してるでしょうし。
 この辺、明日辺り報告書読んで編集長は事実を知っていたかを読み込んでみようかと思いますが、これも逆を言えばこの点について第三者報告書がノータッチだったらこの調査そのものがいい加減だったということになるでしょう。

2026年8月2日日曜日

日米の円買い介入について

 すでに報じられている通り、先週金曜の日本での取引終了後辺りから日米が市場への共同介入を行い、円高方向へ誘導する円買い介入を行ったとみられています。それまでの1米ドル160円超は確かに異常な水準で、また以前に日本政府が単独で介入しても157円くらいまでしか上がらず、その後また戻ったことを考えると今回の共同介入は自分としても歓迎したいものです。
 内心、米国も共同で介入してくれるとは思っていたなかったのでうれしい誤算のようなものを感じています。やはり米国側も米ドル高が続くことを望んでいなかったようで、仮にそうだとしたらこの共同介入は日米双方にメリットのあるもので波風も立たず、またこれにより日銀の利上げにも追い風となり、このまま利上げを実施して不動産をはじめとする物価高騰に歯止めがかかることを期待しています。

 という風に優等生めいたコメントはいれましたが、個人的に一番気になるのは明日の列車です。なんか電車に飛び込むFXトレーダーが続出しそうで、フルリモートなので自分は影響ないですがもし通勤する立場ならいつもより早く出勤していた気がします。
 このほか個人的に思うこととして、かなり市場に影響を与える市場介入にもかかわらずネットの報道を見ているとあんまり解説なり分析する記事が出ておらず、なんじゃこりゃとかなり疑問を持ちました。もしかしたら自分が見ていない日経新聞なんかではいろいろ解説していたのかもしれませんが、これだけのインパクトあるニュースをどこも積極的に解説しないというのは日本の知性にかなり疑問を持つレベルであり、今後こうした議論を深めるような人がもっと出てほしいと願っています。

2026年7月31日金曜日

中国の対倭寇戦闘マニュアル

 最近ずっとブログに仕事の愚痴ばかり書いていますが、逆を言えばそれまでの仕事はかなり恵まれていたんだろうなとこのところ思います。まぁ日本の仕事もようやく要領分かって自分のペースで進められるようになってマシにはなってきてますが。

 それで話は本題ですが、数年前より個人的にまとめようと倭寇について密かに研究を続けています。その倭寇ですが知ってる人には早いですが室町時代前半の前期倭寇と、後半の後期倭寇でその系統や成り立ち、活動内容は大きく変わってきます。日本人が歴史の教科書で習うのは基本的に前期倭寇ですが、中国側の歴史で語られる倭寇としては後期倭寇の方が存在感が大きく、今でも後期倭寇との戦いをテーマにしたドラマとかも作られるくらいです。

 基本的に後期倭寇は中国人が主体だったと言われますが、頭目に関しては間違いなくそうです。ただ構成員に関しては中国沿岸部や日本の長崎県出身者などかなり混在していたのではないかと思え、具体的にどの国の人だったかと断定すること自体が間違っていると思っています。よく言われる境界人という言葉が一番合っているように思え、中国と九州の海の民の一部というくらいがいいと思います。
 ただ国籍は断定できないものの、その戦闘方法はほぼ日本式だったそうです。具体的には槍よりも刀をメインウェポンに使用し、特に日本刀は中国でも倭刀と呼ばれ、その切れ味の鋭さから戦闘の際には非常に警戒されたと言われています。
 なおちょっとここで突っ込んでおくと、明代でも中国は日本のことを倭と呼ぶ習慣が残っていたと倭刀という表現から伺えます。

 話を戻すとこの倭寇対策の責任者として中国で一番有名なのは威継光という将軍で、彼は中国沿岸部を荒らしまわっていた倭寇の討伐で大きく功績をあげ、今でも倭寇退治の英雄として中国でも知られています。といっても、多分歴史好きの間だけでしょうが。
 その威継光なのですが、彼が倭寇討伐で名を挙げたのは自らが訓練した部隊が活躍したため、その訓練では倭寇相手の戦闘対策がなされていたと言われています。具体的には狼筅という、枝葉が付いたままの竹を柄にした槍を集団で用い、倭刀で切りかかられないよう接近戦を避ける戦術を採用しています。この狼筅を使った陣形を「鴛鴦陣」と称して、大きな戦果を叩き出したと言われています。

 このエピソードからみても、当時の中国にとって日本刀はかなり脅威となる武器だったようです。もっとも日本国内での戦闘で日本刀はほとんど使われず、合戦のメインウェポンはやはり弓矢だったという声もあるので日本刀の凄さに関しては若干尾ひれがついているのではと思う節があるのですが、外国の目から見てこのような話があることもある程度考慮が必要でしょう。

2026年7月29日水曜日

今回あまり広がらなかった自粛ムード

 昨日夕方の熊本の地震、またその後のイオンの爆発事故で今日のニュースはほぼそれ一色でした。実際に視聴者も気になり注目するだけにメディアが関連ニュースの報道に集中することは問題なく、炎天下で避難を余儀なくされる被災者への支援を広げる意味でも集中的な災害報道は今後しばらくは続ける必要があるでしょう。

 ただ今回の報道や世論を見ていて思ったこととして、過去の大地震と比べると自粛を口にする人を全く見なかったし、自粛ムードも広がっていないような気がしました。以前は誰が言うまでもなくイベント事は中止や縮小され、またそうした自粛を暗に求めるような世論も大きかった気がします。
 ただ以前からも被災地はともかくその他の地域でも必要以上に自粛を行うべきかという逆批判も起こり、経済的にも心理的にもかえってほかの地域は日常を維持することこそが被災地のためにもなるという意見も出ていました。私自身もこの意見に賛成で、被災者に寄り添う気持ちは大事であるものの、予定されていたイベント事を中止にするなど必要以上な自粛は誰のためにもならない不要な自己満足に過ぎないと考えていました。

 それだけにプロ野球のオールスターをはじめ、大規模イベントに対して「自粛しろ」みたいな声がほとんど聞かれず、また勤務など勤めて日常を維持しようとする人が多いことは非常にプラスで、過去と比べると大きく前進しているような気すらします。むしろスポーツイベントなどで被災地への応援メッセージなどを発信する方が重要であるし、特に今回は熊本出身であるホワイトソックスの村上選手にはさらなる活躍を見せてぜひ勇気づけてもらいたいものです。
 何気に現地ホワイトソックスの実況が今回の熊本の地震に言及してくれたのは私としてもうれしく感じました。

 そんなわけで必要以上な自粛は避けるべきといった過去の主張というか反省が、しっかりと現在において実現していると感じた次第です。なお311の時に私は上海にいましたが、やはりあの時の上海の日本社会でも自粛ムードが広がって居酒屋とか人が少なくなっていたのを思い出します。ちょうど自分は311に杭州のくそみたいなハーネス工場やめて次の週から上海の新聞社に移ったからよく覚えていますが、無理に明るく振る舞う必要はなくても必要以上に暗くなるのはやはりよくないなと思います。