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2010年11月14日日曜日

社会人という言葉に思うこと

 いきなり結論ですが、私は「社会人」という言葉をあまり好んではいません。理由は単純で一般的に社会人と呼ばれるカテゴリーの人間らがその社会人という言葉が意図する内容から程遠い人間が多く、人を貶めるために使われている事が多いように感じるからです。

 一般的な社会人という言葉の定義を簡単にまとめると、まず誰かの保護を受けずに自らの給料でもって独立して生活しながら一般社会で勤労する人間というのが無難かと思います。そのため日本で一番適用されるカテゴリーとしてはサラリーマンで、「社会人とはかくあるべし」としてサラリーマンとして心得なり訓示なりでよく使われています。
 ただこうした一方で、「社会人なんだから」などや「学生じゃないんだから」などと、よく上司が若手社員を叱る際によく聞こえ、聞いててよく「社会人って随分万能人間なんだな」と皮肉っぽく感じてました。

 恐らく叱る側の意図としては「もっと責任感を持て」という具合で叱っているんでしょうが、私は聞いててつくづく、そもそも日本のサラリーマンは皆が皆で責任から忌避していて如何にも「後は俺が責任を取る」っていう人が全くいないのに誰の事を指してんだ、って思ってました。また責任以外の面でも社会人以前に人間としてどうかと思う行動や発言をする人もサラリーマンには多く(そういうのに限って社会人という言葉を使って人をよく批判する)、なんとなくこの言葉に空々しさを感じます。
 さらにはこの「社会人」と言う言葉と対比して使われる「学生」と言う言葉についても、昔はどうだか知りませんが少なくとも私の周りではサラリーマン以上に責任感というか人間的にもしっかりした人間が多く、如何にもサラリーマンこと社会人に劣るような使われ方をするというのはどんなものかと思います。

 繰り返し結論を述べると、社会人であろうと学生であろうと、無責任な奴は無責任だし立派な奴は立派だと思うので、何も働いているからって何でもかんでも偉そうにするなとこの社会人という言葉を多用する人間には言いたいです。私はサラリーマン以上に無責任で卑屈な人間が多い集団は知らず(主婦の方がしっかりしてると思う)、むしろこれからは「社会人風情が」、「社会人の分際で」などと、下に見る言葉として使う方が適切なんじゃないかな。

  おまけ
 何でも先週、ロンドンにおいて学費値上げに反対する学生が与党本部にデモで押しかけたというニュースがありました。日本もこの数十年はスライド式に学費が値上げされてて私立大だと1990年時の平均が611,500円に対し、2009年時の平均は848,200円(「旺文社 教育情報センター)より:http://passnavi.evidus.com/teachers/viewpoint/pdf/20100303.pdf)と、約1.4倍にまで跳ね上がってます。暴動を起こせとまでは言いませんが、私大の経営が苦しいのは知っていますし、日本は先進国中でも国の教育予算が少ないことで有名ですからもう少し行動を起こしてもいいかとおもいます。

  おまけ2
 東京の大学で金持学生の学校とくれば慶応、貧乏学生の学校と来れば早稲田。これが京都だと同志社と立命館だと言われてましたが、最近は必ずしもそうではないと言うのでちょこっと学費を調べてみました。その結果は以下の通りです。

  各大学学費(初年度納入金から入学金のみを差し引いた金額)
慶応 :1,049,350円(経済学部)、1,513,350円(理工学部)
早稲田:1,054,500円(政経学部)、1,496,000円(基幹理工学部)

同志社:838,500円(経済学部)、1,301,000円(理工学部)
立命館:904,000円(経済学部)、1,358,000円(理工学部)

 ちょっと関西は安くしすぎじゃないか? でも関西の学生の方が学費に関する文句が多いような……。
 結果は慶応と早稲田はほとんど差がなく学部によって上だったり下だったり、同志社と立命館について言えばもう同志社の方が安かったりします。未だに昔の価値観で大学を見る人がいますが、もっと現実を見たほうがいいでしょう。実際金持ちの学生は同志社にも立命館にも多いんだし。

 あと入学金について言えば慶応と早稲田はどちらも200,000円で、同志社は280,000円に対して立命館は300,000円でした。私が受験生だった頃はどこも一律300,000円だったと思うのですが、最近はそれぞれでちょっと色をつけてるようです。

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