またぞろ堅い内容の記事が続いているので、軟らかいネタでも書こうかと思います。
先日、大学時代に住んでいた関西に行ってお世話になった方々へ挨拶回りに行きましたが、控えめに言っても私の大学時代は実り多いものだった気がします。今も交流があるほどいい恩師に恵まれた事はもとより、関東育ちの私が敢えて箱根の関を越えて関西の大学に行ったことで関西、関東両方の文化や地理を得られたことは今でも非常に大きな武器となっております。近年は東京一極集中のために関西の学生も地元に未練があるものの関東で働く事になることが多く、関東の学生はもとから住んでいるのもあってずっと関東に居続けると言うことが増えており、事実私の高校時代の友人らもほとんどが関東から出ずにいます。
ただ大学時代で何が一番大きかったかというと、意外なことに下宿生活が一番だった気がします。ただ下宿するだけならそうでもないのですが、やや都市部から離れたキャンパスに通っていたために私が入った下宿はその大学の男子学生しか入居していない下宿で、周囲からも「○○男子寮」と揶揄されるアパートでした。大家の人も昔から学生を世話しているだけあって入学式の夜には一回生を集めて顔合わせ会などを催してくれるなど、壁が薄くて隣室のテレビの音が3Dサウンドで聞けましたが楽しい下宿でした。
そんな下宿でしたが何の因果か私と大家夫妻は仲が良くなり、テスト中とかに遊びに行っては蜜柑とかお菓子を一緒に食べたり、下宿を出た後も遊びに行っては話をしたりしてえらく贔屓にしてもらいました。そんなもんだから二回生以降は前述の一回生らの顔合わせ会のまとめ役を毎年して、学年の違う後輩らとも知り合う機会も得られて今時ではない下宿生活をしてたように思えます。
そうして知り合った後輩の中で、やっぱり特徴が強かったのは四国勢です。私の気のせいかもしれませんが四国出身の人間はみんな県民性を見事に反映していて、なおかつずうずうしいというか妙な遠慮がないために付き合ってて面白い人が多かったです。その中でも特にインパクトが強かったのは香川県から来た後輩で、何故かは知らないですが私がいつも夕食を作っている最中に、
「先輩、ゴミってどう出すんですか?」
「先輩、洗濯機って夜に使ってもだいじょうなんすか?」
「先輩、夏休みに部屋空ける時ってなにかしないといけないんすか?」
こんな具合に、いっつもメシ作っている最中に来るので私も仕方なく、
「まぁ立ち話もなんだから、上がってメシでも食べてって」
「えっ、マジッすか!? じゃオジャマします!!ヽ(・∀・ )ノ 」
他の学生ならまだ、「いやいや、そんなの悪いですよ」って遠慮してくるのに、彼だけは二つ返事でいつも食べてきました。まぁその方がこっちも気持ちいいけど。
その後一旦私は中国に留学しましたが、日本に帰って元の大学に復学した際はキャンパスも変わっていたので別の下宿を借り、その後久々に元の下宿を訪れた際にその香川の後輩を訪ねるとうれしいことに私のことを覚えていて、たまたま一緒にいた自分は半分岡山県人だと言って譲らない神戸市西区出身の後輩ととともに私のことを、
「ちょうど今、俺達花園さんのことを話してたんですよ。井上和香が好きなスケベな先輩がいたよなぁって」
「('A`)」
この時に新しい下宿の住所を教え、もしよければまた晩御飯を食べにおいでと誘ったら神戸の後輩と共にすぐに来て、その日は確かカレーを作りましたけどあらかじめご飯を四合炊いといたら「足りないっすねぇ( ゚Д゚)」と言ってきたので、追加で三合を炊いたら三人で全部平らげてしまいました。
私は学生時代にいろんな人間を招いては食事を用意してきましたが、あれほど遠慮がない学生は他にいなく、今でも強烈な印象に残っております。日本の世の中だと遠慮深い事が美徳として扱われますが、私はこの後輩と会ってからは遠慮が強すぎるとかえって相手の気分を害させ、むしろ二つ返事で素直に喜んだ方が人間関係的にもいいと思うようになりました。
ちなみに下宿にはもう一人、高知出身の後輩がいましたが、香川の後輩ほどではありませんでしたが彼もあまり遠慮はせずにいい意味で感情をストレートに出してました。ただ一回だけ彼の部屋に遊びにいったところ、結構散らかっていたのでそれからは私の部屋に呼ぶようにしました。
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