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2011年10月16日日曜日

見た目と中身のギャップについて

 昨日の記事でも軽く触れていますが、私の見かけは周りから聞く限り、かなり大人しそうに見えるそうです。そのように見られることについて私は特段抱く感情はないのですがこの手の奴でちょっと面倒だと思うこととして、外見に抱くイメージと中身が一致していなければ怒り出す人間が一部にいることです。

 まず大きな前提として、私は外見と中身(=性格)が一致しないというのはままあると考えています。あまりにも老け顔過ぎて並んで歩いてたら「何、君の先輩?」と別の知り合いに言われた私の後輩なんか下手したら私より大人しそうな外見していますが、権力に対する反発心とかそういうものは自分以上にやけに強いですし、また別のある友人なんか病弱そうに見えて長友選手もびっくりなタフネスを持ってたりします。
 こういう風に外見と中身は一致する人もいれば一致しないと私は考えているのですが、私が見る限り世の中そういう風に考えている人間に占められるわけじゃなく、むしろ外見と中身が一致していなければおかしいと思う人間も少なからずいると思います。

 具体的にそのような人間はどんな感じかというと、たとえば私の場合は普段が大人しそうに見えるためにそういった「大人しそうな」身振りや行動をするものだと考えている節があり、たとえばこのブログでやっているように何がしらかで意見を言ったり反発することもあれば、「なんでお前がそんなことを言うんだ」などと、意見の内容以前に意見を発言したことをとがめられるという経験がこれまでに何度もあります。
 私としては見た目でなんでもかんでも人間を判断しようとする時点であまりそういった相手とは関わりたくないと考えるため、無駄に接触を続けるくらいならとそのままイメージに抱かれるステレオタイプな行動を演じることもあります。いわば期待されている役割を演じるような具合で、過激な行動や発言は可能な限り控えるようにします。

 こうした私の体験談などはどうでもいいのですが、ここで私が言いたいことは多かれ少なかれこういうことは世の中にあるのではということです。外見で抱かれるイメージに対し周囲が期待する行動を本人も実行する、中にはそれが定着して外見と中身が一致していくという。社会学はこういう相互作用的な話を好む傾向があって私もそういう背景があってこういう考え方をするのですが、別に「本当の自分はこんなんじゃないっ」なんてマンガみたいなセリフを言うつもりはなく、中にはそうしたイメージを逆手にとってくる食わせ物もいるわけで、よくよく外見にこだわらず相手を見極めることは大事だというのが今日の私の意見です。

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