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2022年7月4日月曜日

無念……

京都の名刹に容赦のない取り立て、「信長以来の仏敵」と呼ばれた三井の改革者(JBpress)

 はいという訳で三井財閥史の2回目の記事ですがマジ全然読まれてません。前回も全く読まれなかったので覚悟してましたが、こうも当たらないものかとがっくり来ています。個人的にはこの2回目の記事が一番面白いと考えてただけに、これで当たらないなら3回目も絶望的でしょう。

 少し記事の裏話をすると、今回の連載記事を書くに当たって気を付けた点として、財閥として三井を追うのではなく、三井財閥を要所要所で大きくした人物をピックアップして、それらの人物を軸に語ろうとして書いています。今回の2回目では幕末から活躍してた三野村利左エ門が引き続き登場しますが、何気に彼が小栗家を保護してたのとか結構ビビりました。
 でもって、小栗家の現当主が「花さか天使テンテンくん」の作者の小栗かずまただったことに二度びっくりしました。

 その三野村ともう一人、今回取り上げているのが中上川彦次郎ですが、個人的に三井の歴史で一番興味を持ったのがこの人物でした。
 三井家の創業者は間違いなく三井高利ですが、三井財閥の生みの親となると、この中上川に当たるのではないかと思います。記事にも書いている通り、中上川が来るまでの三井はアパレル、銀行、商社(+鉱山)だけで、それ以外の具体的な製造業にはほぼノータッチでした。現在も三井グループは製造業が三菱や住友に比べて影が薄いですが、もし中上川が明治に事業を拡大していなければ完全に製造業と縁のないグループになっていたかと思います。

 またこれも記事に書いていますが、中上川が慶応から引っ張ってきた人材に、日本の鉄道会社の経営モデルを作った阪急の小林一三がいたこともびっくりでした。新卒だと三井からスタートしていたとは。

 ちなみに中上川の写真を見た際の第一印象を述べると、「なんか安田大サーカスのクロちゃんっぽい(´・ω・`)」でした。割と似ている気がする。

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