昨日の記事で私は、カルトか宗教の違いはその国の政府がその教団の布教や信仰行動を犯罪とみなし、規制するかによって大きく左右されるという見解を示しました。その点で社会問題を生む宗教を特に規制もせずに放置していた場合、政府の責任は当然重いとし、宗教統制というのは国家にとって非常に重要な仕事の一つであるはずという風にも言いました。
では国が教団をカルト認定するに至るきっかけや分岐点というのはあるかってことですが、はっきり言えばあります。それは何かというと、その教団が殺人事件を起こしたか否かです。
日本でこれまで実質的にカルト認定を受けて教祖の逮捕を含む宗教活動の制限が課された団体として、オウム真理教やライフスペースなどがあります。両者ともにその活動において信徒または親類関係者の殺害事件を起こしており、「治療行為の一環であった」と主張したもののそんな言い訳通らずにカルト認定を受けました。
思うに、現代日本政府が宗教を明確に規制するに至る大きな一手は、殺人若しくは死亡事件が起きたか否かです。逆を言えば、誰か死なない限りはカルト認定されてその活動が制限されることはほぼないのではと思う節もあります。
具体例を挙げると例の統一教会は、過去にっていうか今でもそうでしょうが、霊感商法と言って先祖の罪を払うとか悪霊を風時kめるなどと言って、壺などをあり得ない金額で信者に買わせたりして社会問題化しました。仮にこうした行為が宗教団体ではなく、一般企業が行った場合、消費者庁などに訴えられたらほぼ間違いなく景品表示法違反などで詐欺罪に検挙されることでしょう。
ちなみにマジで立件とされたら、被告はその壺に悪霊を払う効果が実際にあるのかなどで、科学的な立証とか求められるのだろうか。どういう風に検証するのか気になるので、誰かやってみてくれないかなぁ。
話を戻しますが、一般企業が悪霊払うとか、ご利益があるからと言って法外な料金で商品を買わせた場合、金額によっては「悪霊退散効果には個人差があります」などと注意書きしていても、捕まる時は捕まります。しかしこれが宗教だったら、やはり信仰行為の一環としてみなされるのか、どれだけ法外な金額であっても立件されるケースは私が見る限り少ない気がします。そのため言い方は悪いですが、宗教を盾に取れば詐欺行為を働いても、取り締まられるリスクは目に見えて減らせられるような気がします。
その上で最初の話と組み合わせると、宗教は殺人を犯したら一発アウトでカルト認定されますが、詐欺事件だったら、少なくとも統一教会の例で言えば、それだけ起こしてもカルト認定されないし、立件リスクもかなり減らせられるっていう結論に至ります。商売的にかなりぼろいです。
実際オウムもヨガ教室から金稼ぎ目的で宗教化していった、っていうか浅原自身が「宗教だと儲かる」と口にしています。こうした不逞な輩を取り締まるためにも、宗教団体による詐欺行為の摘発や捜査をもっと強化するべきではないかと思います。
具体的には、悪霊払いの効果測定とかご利益検証を、薬事法みたく審査会設けて実験すべきでしょう。自分で書いてて、オカルト研究家が喜びそうな企画である気がします。
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