そんな原作改変について、今回は変えてほしくないという要望があらかじめ作者側から出されていましたが、過去には映像化にあたって原作から離れたストーリー展開をすることに寛容だった漫画家もいました。とりあえず思いつくあたりで何人かここでピックアップしようかと思います。
・横山光輝
日本における「三国志」普及の第一人者である横山光輝ですが、「伊賀の影丸」をはじめ実写映像化された作品も非常に数多くあります。中には「六神合体マーズ」の原作の「マーズ」など、原作から大きく離れた作品もあるのですが、横山光輝は原作を改変することにあまり口を出さなかったと言われ、それがためプロデューサーらもこぞって横山作品の映像化に取り組んだと言われます。
もっとも横山本人も一部作品の改変ぶりには閉口していたと以前に親類が語っていたのを聞いたことがあります。とはいえ大きく口を出さずに現場に任せ、その結果多くの作品が映像化されたことは事実であり、その点で言ってもやはりこの人は大御所であると感じます。
・永井豪
そもそも原作なんてあったのかと思うくらい、アニメ版と漫画版で全く展開の違うストーリーが展開されることは永井豪氏の作品において最早お馴染みです。彼の場合、マジンガーZをはじめマンガの連載開始前からアニメ化も同時並行で動き出すというメディアミックスをよく仕掛けており、そのため大まかなキャラクターや舞台背景などは共通するも、それぞれのメディアで各担当者が自由に作品を作り、売れる要素があったらあとから別のメディアも追随するというかなり激しいパラレルぶりを見せています。
その結果、漫画版では衝撃的な結末で半ば伝説化した「デビルマン」も、アニメ版では勧善懲悪な無難なストーリーでまとまっています。っていうか、漫画版の内容をアニメでやっていたらとんでもないことになっていたでしょう……。
以前に永井氏の半自伝的漫画の「激マン」を読んだことがありますが、この中でアニメ版の脚本を担当したスタッフらに対する強い信頼感が描かれており、こうした関係があったからこそああしたパラレルな展開ができたのだと思います。中でも辻真先氏は、デビルマンの打ち合わせをしながら別作品の脚本を同時に書いていたというエピソードはかなり強烈だったというか、こんな凄いスタッフがいたのならそりゃ任せられるなと納得させられました。
・諫山創
ご存じ「進撃の巨人」の作者ですが、原作改変に寛容だったというより原作を改変するよう脚本家に要求していたというぶっ飛んだエピソードがよく語られています。「進撃の巨人」の実写映画化にあたってはかねてからファンであった映画評論家の町山智浩氏を自ら指名し、できた映画の評価は非常に低かったものの作者自身は大満足だったという、まさに作者自身が喜ぶために映画が作られたような展開でした。
中でも本当かどうかわからないけど脚本を書くことを町山氏が当初断ったところ、
「うれしいです。これでまた町山さんを説得するために会いに来れるのだから……」
という、若干質の悪いストーカーじみた発言を諌山氏はしていたという話を聞きます。まぁそれだけ慕っていた人間に自分が原作の映画作ってもらったんだったらうれしいに決まってるだろうなぁ。
最後に、今回の原作改変についていろいろ議論が続いていますが、やはり業界内でガイドラインかなんかは作るべきだと思います。その際に自分から提言したいこととして、原作者が死去した後の原作改変についてどのように扱うべきなのかも決めておいた方がいいでしょう。
生前に原作者が大きな改変を望まないとはっきり言明していた作品に関しては映像化を控えるなど、こうした制限がないと最近ホラー映画とか作られている熊のプーさんのように、作品の尊厳を踏みにじろうとする輩が後年に出てくると思います。そうした改変の幅などに関して、著作権法と絡めつつ議論するなら今であるような気がします。
なおこの手の議論で一番最初に思い当たったのが、水木しげるの不朽の名作こと「ゲゲゲの鬼太郎」です。この鬼太郎の、作者の死後に制作された第六期アニメでは猫娘がこれまでのデザインから大きく一新され、頭身の高い美少女キャラクターとして描かれたのですが、このデザインについて放映前にいくらか議論となっていました。
「いくら何でも改変し過ぎ」、「こんなの猫娘じゃない」、「かわいいからこれでいい」といったいろんな意見が飛び交う中、
「いや、水木先生なら『売れりゃそれでいいんです』と言うはずだ」
というコメントがあり、このコメントを見て私も「我が意を得たり!」という気持ちがしました。どこの誰かは知らないけど、水木しげるの気持ちをかなり理解している人のコメントだと心底思ったし、こうした作者の気持ちというか方針にぶれない改変だったらやっぱアリだなと当時思いました。
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