いきなりですが、2:8の法則を皆さんご存知でしょうか。通称パレートの法則といってあちこちで語られているようですが、どうやらそのほとんどは通説の域を出ない、元の法則から乖離したデマのようです。
たとえば、働きアリは全体の二割が巣穴の中で働き、残りの八割はほとんど働いていないが、その働いていないアリだけを集めると、またそのうちの二割が今度は働き出すとか。この説を使って、企業組織内でも社員の二割が実際には働いていて、残りは働いていないとか。まぁこう書いていて、うそ臭い話だと思います。
しかし、この考え方がうまく適合できる例もあります。
かつてのアメリカの調査によると、太平洋戦争中に実際に銃の引き金を引いたアメリカ兵は全体のほんの一割程度だったようです。それ以外は全くといっていいほど銃を撃たないか、そのまま敵に撃ち殺されるだけだったらしいです。この統計は日本軍でもほぼ同様に起こっており、言ってしまえば兵隊の中の勇ましい一割の兵士同士がドンパチやっていたというのが、過去の戦争の実情だったようです。
しかしこれではほとんどの兵士がつれてくだけ無駄だ。そういうことでアメリカ軍はこの反省を生かし、心理学的見地による軍隊教育を施し、ベトナム戦争ではこの割合を四割以上にまで引き上げたという話を聞いたことがあります。ちなみに、この軍隊教育というのは単純に映画「フルメタルジャケット」の中で行われているようなもので、要するに自分も他人の命も守るに値しない、殺して奪い取ってもかまわないという概念を無理やり植えつけるというやり方です。
ここで私が何が言いたいのかというと、それこそ特別な意識や逆境に追い込まれ、普段は全体の一割程度の兵士しか戦わない軍隊が本気になって十割全員で戦った場合はどうなるか。もしそうなった場合、理論上は十倍もの兵力差のある敵軍に対して勝利することもありうるということになります。歴史上に数多くある寡兵にて大軍を破る史実も、それこそ背水の陣ではないですが状況次第ではありうると私は考えています。
なお、さらにさらに話を深めると、基本的に同種の生物同士はリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子論」の言うとおりに、種の保存目的の観点から互いに殺しあうと深いストレスを感じるらしいのですが、人間はどうも全体の一割程度、殺人を犯してもそのようなストレスを感じないタイプが生まれてくるらしいのです。そのほとんどは殺人なんて滅多な体験をせずに、己のそのような特性を自覚せずに死んでいくのですが、ひょうなこと、それこそ戦争などを経験することによってその特性を自覚してしまい、そのまま殺し屋とか戦争屋となったり、精神に異常を持つようになるそうです。
この話も、先ほどの太平洋戦争の一割の話ときれいに一致します。また、そうした特性のない人間に無理やり殺人を冒させる、先ほどのベトナム戦争の例などを行うと、大抵はその後に精神面で問題を起こし、生活が破綻していくようです。
自分は心理学という学問が大嫌いなのですが、この話は数字的にも他の説と一致することも多く、また説得力の高い精緻な意見なので非常に気にいっている上、含蓄の深い話だとして解説することが多い話です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年4月2日水曜日
2008年3月31日月曜日
人間の能力について
自分はよく人に対してこのブログでの内容のように政治やら社会問題について解説するとよく、
「君は本当に頭がいい。それに比べて自分は……」
という風に言われることがたびたびあります。まぁ自他共に認める自信過剰な性格を私もしているので自分が頭がいいと言われても、「当然でしょ」と普通に思ってしまうのですがその代わり、そうして自分の能力のなさに嘆く相手に対していつも話して聞かせる内容もあります。
「昔、マラソンランナーの有森裕子氏の講演会に行ったのですが、彼女は今でこそ有名ですが大学時代はほとんど入賞もせず、本人も途中で浮気してトライアスロンとかやっていたのに、いざ体育大学を出る際にやっぱりマラソンをやりたいと思って必死でチームを探したらしいです。
そこで小出監督のいた出来立ての社会人チームに行って必死で採用してくれるように頼んだそうです。そのときに小出監督は、自分は走る技術を教えることは出来るが、走りたい気持ちを作ることは出来ない。君は何の記録も持っていないがそのやる気だけはある、といって採用してもらったそうです」
ここまで話した上で、
「自分も社会の見方や問題点ということはいくらでもわかりやすく相手に教えることは出来るけど、その教わる本人に聞く気がなければ何一つ覚えてもらえません。そして小出監督同様、そういった問題意識を作ることは出来ないので能力がないことは嘆かないで下さい。その問題意識さえ持っていてさえくれれば、私はいかようにも対応できます。逆に、能力があっても問題意識の低い人間というのは本当に最低です」
というようにいっつも言っています。
実際、相手に対して動機を芽生えさせるという作業は非常に難しい作業です。しかし動機や問題意識さえ持っていてさえくれれば、やはり吸収がいいというか、知識を覚えてもらうのに手間がかかりません。隙こそ物の上手なれといいますが、やる気と人間の能力というのは私も比例すると思います。
「君は本当に頭がいい。それに比べて自分は……」
という風に言われることがたびたびあります。まぁ自他共に認める自信過剰な性格を私もしているので自分が頭がいいと言われても、「当然でしょ」と普通に思ってしまうのですがその代わり、そうして自分の能力のなさに嘆く相手に対していつも話して聞かせる内容もあります。
「昔、マラソンランナーの有森裕子氏の講演会に行ったのですが、彼女は今でこそ有名ですが大学時代はほとんど入賞もせず、本人も途中で浮気してトライアスロンとかやっていたのに、いざ体育大学を出る際にやっぱりマラソンをやりたいと思って必死でチームを探したらしいです。
そこで小出監督のいた出来立ての社会人チームに行って必死で採用してくれるように頼んだそうです。そのときに小出監督は、自分は走る技術を教えることは出来るが、走りたい気持ちを作ることは出来ない。君は何の記録も持っていないがそのやる気だけはある、といって採用してもらったそうです」
ここまで話した上で、
「自分も社会の見方や問題点ということはいくらでもわかりやすく相手に教えることは出来るけど、その教わる本人に聞く気がなければ何一つ覚えてもらえません。そして小出監督同様、そういった問題意識を作ることは出来ないので能力がないことは嘆かないで下さい。その問題意識さえ持っていてさえくれれば、私はいかようにも対応できます。逆に、能力があっても問題意識の低い人間というのは本当に最低です」
というようにいっつも言っています。
実際、相手に対して動機を芽生えさせるという作業は非常に難しい作業です。しかし動機や問題意識さえ持っていてさえくれれば、やはり吸収がいいというか、知識を覚えてもらうのに手間がかかりません。隙こそ物の上手なれといいますが、やる気と人間の能力というのは私も比例すると思います。
2008年3月30日日曜日
留学について思うこと
今日靴下買いにイトーヨーカドーに行った際、帰りに寄った本屋の新書コーナーにて、なんだっけ、確か「間違った留学」というようなタイトルの新書が出ていました。簡単に前文を立ち読みした程度でしたが、具体的な内容はただ留学に行っただけで語学力が身につくと思ったら大間違いだ。きちんと留学先の学校などを調べ、プランを立てないといけないという具合で話が進んでいます。
この本の対象としている言語は英語だけでしたが、私自身は中国への一年間の留学経験もあり、現在も中国人留学生の友人とそのお母さんとで、中国株について熱い議論を中国語で交わす程度の語学力を保持しています。
ただそんな私も、留学に行く前に一通り中国語の文法などを学んではいましたが、聞き取りも発音も今から思うとシャレにならないほど未熟でした。本当に留学に行けば中国語が身につくのか、そりゃ結構不安でした。まぁ別の中国人留学生からは、一年も行けば誰でも出来るようになると言ってくれたのですが、中国語は知っている人もいるかもしれませんが、発音だけなら世界屈指の難易度を誇る言語で、日本語みたいにうまくいくかどうかという心配もありました。
そうして出ていたった中国留学でしたが、個人的に「いける」とはっきり感じたのは半年を過ぎた辺りでした。それこそ最初の一ヶ月なんて目の回る日々でしたが、それを過ぎて三ヶ月もすると一通り生活面での苦労はなくなり、そして半年も過ぎると、さすがに電話での航空券予約などは出来ませんでしたが、まぁ面と向かい合って話す分なら苦労は全くなくなりました。一部知らない単語が出ても、中国語で「それって何だっけ?」と聞いて教えてもらえばすぐわかる程度ですし、辞書さえ持ち歩けばもはや怖いものなしでした。
とはいえ、一緒に学んでいた中には、「あと一年で君みたいなレベルにいけるかな」と、まだ不安を抱えている友人もいました。まぁその人は何も中国語を学ばないで来た人でしたが。
結論から言うと、まぁ一年も行けば何とかなるというのが私の実感です。それに英語だったら中学校から習っているんだし、中国語ほど苦労しないと勝手に思ってます。もっとも、私自身はイギリスにてブリティッシュイングリッシュに苦戦しましたが。
最後に、これから留学を考えている人に言っておきます。不安はあるでしょうが真面目に現地でまとまった期間を勉強すれば、必ず語学は身につきます。ただ現地でふざけていると、そうはいかないのでちゃんと授業には出ましょう。
この本の対象としている言語は英語だけでしたが、私自身は中国への一年間の留学経験もあり、現在も中国人留学生の友人とそのお母さんとで、中国株について熱い議論を中国語で交わす程度の語学力を保持しています。
ただそんな私も、留学に行く前に一通り中国語の文法などを学んではいましたが、聞き取りも発音も今から思うとシャレにならないほど未熟でした。本当に留学に行けば中国語が身につくのか、そりゃ結構不安でした。まぁ別の中国人留学生からは、一年も行けば誰でも出来るようになると言ってくれたのですが、中国語は知っている人もいるかもしれませんが、発音だけなら世界屈指の難易度を誇る言語で、日本語みたいにうまくいくかどうかという心配もありました。
そうして出ていたった中国留学でしたが、個人的に「いける」とはっきり感じたのは半年を過ぎた辺りでした。それこそ最初の一ヶ月なんて目の回る日々でしたが、それを過ぎて三ヶ月もすると一通り生活面での苦労はなくなり、そして半年も過ぎると、さすがに電話での航空券予約などは出来ませんでしたが、まぁ面と向かい合って話す分なら苦労は全くなくなりました。一部知らない単語が出ても、中国語で「それって何だっけ?」と聞いて教えてもらえばすぐわかる程度ですし、辞書さえ持ち歩けばもはや怖いものなしでした。
とはいえ、一緒に学んでいた中には、「あと一年で君みたいなレベルにいけるかな」と、まだ不安を抱えている友人もいました。まぁその人は何も中国語を学ばないで来た人でしたが。
結論から言うと、まぁ一年も行けば何とかなるというのが私の実感です。それに英語だったら中学校から習っているんだし、中国語ほど苦労しないと勝手に思ってます。もっとも、私自身はイギリスにてブリティッシュイングリッシュに苦戦しましたが。
最後に、これから留学を考えている人に言っておきます。不安はあるでしょうが真面目に現地でまとまった期間を勉強すれば、必ず語学は身につきます。ただ現地でふざけていると、そうはいかないのでちゃんと授業には出ましょう。
世界の目から見た場合
自分の専門は何かと聞かれた場合、真っ先に答えるのはプロフィールでも書いてあるように国際政治学です。といっても全部我流で考えているのであれこれ基礎的な理論はといわれても何もわかりませんが、それでも敢えて重要な概念はというなら、「相手からの視点」を挙げています。
昔から孫子でも、彼を知り、己を知れば何とやらとありますが、この考え方を援用して、私はよく周りに相手は自分のことをどう思っているかを考えろと教えています。まぁ教えている本人自体が周りの目を気にしない性格なのですが、国際政治学では特に重要な概念だと思います。
その相手から見た場合、果たして日本はどう見られているのでしょうか。昔に受けた中学校時代の社会化の教科書には、世界の教科書の中の日本の紹介がありました。その紹介内容というのは大体どこも似たり寄ったりで、たいした資源もないのにすごい経済力がある国、というような紹介です。
と、このように教科書に書いてはいるものの、実際に外国人は日本をどう思っているのだろうか。これは以前から私が疑問に思っていたことでした。そこで、中国の留学中にあれこれ外国人に対して、日本人への評価はどうだとしつこく聞きまわりました。
まずルーマニア人の場合、先ほどの教科書の説明と同じく資源が少ないながらもたいした国だという評価らしいです。その上で日本の武士道も伝わっており、律儀でまじめな国民と考えているようです。ただこのルーマニア人が言った中で重要だったのが、日本はアジアの強国ではあるが最強国ではない、という内容でした。彼の言によると、アジアの最強国家はやはり中国であると、ヨーロッパの目ではそういう評価になっているそうです。
まぁ実際に、軍事力や人口を考えるとそう考えるのが自然ですが、やはり日本は中国に順ずる、経済力に特化した国というような見方をされているようです。
昔から孫子でも、彼を知り、己を知れば何とやらとありますが、この考え方を援用して、私はよく周りに相手は自分のことをどう思っているかを考えろと教えています。まぁ教えている本人自体が周りの目を気にしない性格なのですが、国際政治学では特に重要な概念だと思います。
その相手から見た場合、果たして日本はどう見られているのでしょうか。昔に受けた中学校時代の社会化の教科書には、世界の教科書の中の日本の紹介がありました。その紹介内容というのは大体どこも似たり寄ったりで、たいした資源もないのにすごい経済力がある国、というような紹介です。
と、このように教科書に書いてはいるものの、実際に外国人は日本をどう思っているのだろうか。これは以前から私が疑問に思っていたことでした。そこで、中国の留学中にあれこれ外国人に対して、日本人への評価はどうだとしつこく聞きまわりました。
まずルーマニア人の場合、先ほどの教科書の説明と同じく資源が少ないながらもたいした国だという評価らしいです。その上で日本の武士道も伝わっており、律儀でまじめな国民と考えているようです。ただこのルーマニア人が言った中で重要だったのが、日本はアジアの強国ではあるが最強国ではない、という内容でした。彼の言によると、アジアの最強国家はやはり中国であると、ヨーロッパの目ではそういう評価になっているそうです。
まぁ実際に、軍事力や人口を考えるとそう考えるのが自然ですが、やはり日本は中国に順ずる、経済力に特化した国というような見方をされているようです。
2008年3月29日土曜日
書評「環境問題はなぜ嘘がまかり通るのか」
前々から少しずつ匂わせてきましたが、ようやく著作の本を読んだのでここでも取り上げようと思います。その著者の名前は武田邦彦氏、関西在住の方なら「たかじんのそこまで言って委員会」という番組ですでに見かけているかもしれませんが、中部大学の大学教授です。
この人がどういう人なのかというと一言で言って、「世の中の環境対策なんて全部嘘っぱちだからやるな、信じるな」という人です。その考え方や主張は先ほどの番組の中や、彼の著作「環境問題はなぜ嘘がまかり通るのか」の一巻、二巻で思う存分展開されています。
実はここで謝罪を兼ねて書きますが、前回京都市のごみ行政について書いた時に友人が、分別回収の方が実は環境負荷が大きいのではと指摘してくれたのですが、どうもそうらしいです。というのも、この武田邦彦氏の著作の中で、分別回収されたペットボトルはどこに行くのかというと、一旦廃棄物請負業者に金を払って受け取ってもらった後、大半は他のごみ同様焼却場に持っていかれるそうです。それならば単純に行政がぺっどボトルを回収した後そのまま焼却場に持っていけば、無駄なお金は必要なくなるだけです。なぜこんなことが起こっているかというと、それはいわゆる利権団体などのせいだと武田氏は指摘しています。今まで分別回収をサボってきたと前回私は非難しましたが、私のが間違っていました。
もっとも調べてみると武田氏への逆批判も少なくないようです。特に先ほどのペットボトルの回収率、リサイクル率の数字結果は偏向があると強く言われています。しかし著作全体で見ると割と根拠よく欠いてある上に、言われてみるとなるほどと思うこともあるので、ひとまずは私は武田氏を支持していこうかなと現状で考えています。
その武田氏の著作の内容を部分紹介していこうと思うのですが、それよりやはりこのブログを読んでいる方にはぜひ本を手にとってみて、自分の目で読んでもらいたいです。良くも悪くも一読の価値はあると思います。
この人がどういう人なのかというと一言で言って、「世の中の環境対策なんて全部嘘っぱちだからやるな、信じるな」という人です。その考え方や主張は先ほどの番組の中や、彼の著作「環境問題はなぜ嘘がまかり通るのか」の一巻、二巻で思う存分展開されています。
実はここで謝罪を兼ねて書きますが、前回京都市のごみ行政について書いた時に友人が、分別回収の方が実は環境負荷が大きいのではと指摘してくれたのですが、どうもそうらしいです。というのも、この武田邦彦氏の著作の中で、分別回収されたペットボトルはどこに行くのかというと、一旦廃棄物請負業者に金を払って受け取ってもらった後、大半は他のごみ同様焼却場に持っていかれるそうです。それならば単純に行政がぺっどボトルを回収した後そのまま焼却場に持っていけば、無駄なお金は必要なくなるだけです。なぜこんなことが起こっているかというと、それはいわゆる利権団体などのせいだと武田氏は指摘しています。今まで分別回収をサボってきたと前回私は非難しましたが、私のが間違っていました。
もっとも調べてみると武田氏への逆批判も少なくないようです。特に先ほどのペットボトルの回収率、リサイクル率の数字結果は偏向があると強く言われています。しかし著作全体で見ると割と根拠よく欠いてある上に、言われてみるとなるほどと思うこともあるので、ひとまずは私は武田氏を支持していこうかなと現状で考えています。
その武田氏の著作の内容を部分紹介していこうと思うのですが、それよりやはりこのブログを読んでいる方にはぜひ本を手にとってみて、自分の目で読んでもらいたいです。良くも悪くも一読の価値はあると思います。
学問をするとは何を指す?
先日、本屋で「昭和陸海軍の失敗」という新書を買いました。中身は文芸春秋で特集が組まれたときにすでに読んでいるけど、面白かったのでまた買いました。
今日、本屋で佐藤優と田中森一の対談本を買いました。自分も好きだなぁと思います。
さて今日のお題の学問をするとはということですが、結構ダイレクトにこれを聞いてもわからないという人が非常に多いです。たとえば、「君は何で社会学をやっているの? 何を持って社会学を学んだといえるの?」と聞いても、大抵はきょとんとして何も言い返してきません。その中で最も多い答えは、「社会学の知識を覚えることが、社会学を学ぶということかな」というのです。
今日は短くまとめるつもりなのでいきなり結論ですが、学問を学ぶということはその学問領域ごとの考え方を見につけるということだと、私の中国語の恩師が教えてくれました。たとえば経済学だと、いわゆる貨幣の流通過程を中心に社会を見ていき、社会学だと人間集団の行動動機から社会を見ていくようになります。さらに付け加えるなら法学は法の影響力、拘束力から、政治学は権力からで、このように思考の着眼点や組み立て方、そういったものをどこにおくかという考え方の習慣を身に着けることすなわち学問をすることと話を聞きました。その上で言ってしまえば、各学問領域の専門知識というものは後付のようなものです。もちろん、こちらも疎かにしてはいけませんけど。
そうして考え方によって分かれる学問領域なのですが、これについて別の恩師は、ある程度その学問の大家となると、別の学問の大家にもなってしまっていることが多いとも言っていました。それこそマックス・ヴェーバーなどは社会学、政治学両方の大家ですし、マルクスも経済学、社会学、哲学の大家です。ゆえに、究極的には学問領域というのはあってないようなものらしいですが、ひとまずはそれぞれの専門を身に着けることからはじめないと、どうもピンときませんね。
……短くまとめすぎたかな。
今日、本屋で佐藤優と田中森一の対談本を買いました。自分も好きだなぁと思います。
さて今日のお題の学問をするとはということですが、結構ダイレクトにこれを聞いてもわからないという人が非常に多いです。たとえば、「君は何で社会学をやっているの? 何を持って社会学を学んだといえるの?」と聞いても、大抵はきょとんとして何も言い返してきません。その中で最も多い答えは、「社会学の知識を覚えることが、社会学を学ぶということかな」というのです。
今日は短くまとめるつもりなのでいきなり結論ですが、学問を学ぶということはその学問領域ごとの考え方を見につけるということだと、私の中国語の恩師が教えてくれました。たとえば経済学だと、いわゆる貨幣の流通過程を中心に社会を見ていき、社会学だと人間集団の行動動機から社会を見ていくようになります。さらに付け加えるなら法学は法の影響力、拘束力から、政治学は権力からで、このように思考の着眼点や組み立て方、そういったものをどこにおくかという考え方の習慣を身に着けることすなわち学問をすることと話を聞きました。その上で言ってしまえば、各学問領域の専門知識というものは後付のようなものです。もちろん、こちらも疎かにしてはいけませんけど。
そうして考え方によって分かれる学問領域なのですが、これについて別の恩師は、ある程度その学問の大家となると、別の学問の大家にもなってしまっていることが多いとも言っていました。それこそマックス・ヴェーバーなどは社会学、政治学両方の大家ですし、マルクスも経済学、社会学、哲学の大家です。ゆえに、究極的には学問領域というのはあってないようなものらしいですが、ひとまずはそれぞれの専門を身に着けることからはじめないと、どうもピンときませんね。
……短くまとめすぎたかな。
2008年3月28日金曜日
犯罪は何から生まれるのか
先日、夜のニュース番組にてある犯罪がアジアに波及しているという特集が組まれていました。その犯罪というのも、オレオレ詐欺です。
場所は台湾ですが、なにもここだけに限らず他のアジア国家にてこの手の犯罪が横行しているらしく、どうもその根源は日本らしいです。実際、日本でこの犯罪の手法が確立されたことは間違いないでしょうし、文字通り犯罪が輸出されたと見るべきでしょう。
と、そんな状況を憂うのが今回の本題ではありません。実は社会学の中には逸脱論というものがあり、何をもって社会の逸脱、いわゆる犯罪行為が発生、実行されるのかを研究する科目があります。
自分はあまり詳しくはないのですが、一つの推論として犯罪者予備軍があります。たとえば不良の集団に年齢の若い層が新たに入ることで、すでに確立された犯罪方法(万引きや引ったくり)を先輩が教え、犯罪が継続されるというような、言っててどうでもいいくらい当たり前ですけどね。
自分がちょっと注目しているのは、犯罪に流行性はどの程度影響するかです。たとえば、欧米からストーカーがという言葉が始めて日本にやってきたのは確か93年か94年くらいです。私が始めてこの言葉を聴いたのは「世界まるみえテレビ特捜部」という番組にて、海外で異常な犯罪があるぞというばかりに紹介され、その後ドラマが作られたり実際に桶川ストーカー殺人事件が起こりましたが、最近はめっきり死語の部類に入ってきましたね、これも。
私が何を言いたいかは勘のいい人ならもうお分かりでしょう。要するに、犯罪方法や犯罪名が報道されるたびにその手法の犯罪が流行するのではないのかというのが私の仮説です。もちろん私自身、真面目に信じているわけじゃありません。それこそ単にその犯罪が注目されるようになり、それ以前からあった犯罪が急にテレビで報道される回数が増えるとか、何度も起こるから社会で一般化して逆に報道されなくなるとか。前者だと先ほどのストーカー、後者のだと集団自殺という例があります。
しかしそれでも注目される当初はかつてあったピッキングや今回のオレオレ詐欺のように模倣犯が続出することは間違いないでしょう。問題はすでに一般化した犯罪が何かの拍子に大きく取り上げられ、それが波及するかどうかです。時間と資金があれば、あれこれ私も研究できるのですがね。
敢えて今挙げるとすれば、一家心中と通り魔がこのところよく報道されています。別に報道するなとは言いませんが、どのように報道するかは、今回挙げた話を研究することでわかってくるのではないかと思います。
場所は台湾ですが、なにもここだけに限らず他のアジア国家にてこの手の犯罪が横行しているらしく、どうもその根源は日本らしいです。実際、日本でこの犯罪の手法が確立されたことは間違いないでしょうし、文字通り犯罪が輸出されたと見るべきでしょう。
と、そんな状況を憂うのが今回の本題ではありません。実は社会学の中には逸脱論というものがあり、何をもって社会の逸脱、いわゆる犯罪行為が発生、実行されるのかを研究する科目があります。
自分はあまり詳しくはないのですが、一つの推論として犯罪者予備軍があります。たとえば不良の集団に年齢の若い層が新たに入ることで、すでに確立された犯罪方法(万引きや引ったくり)を先輩が教え、犯罪が継続されるというような、言っててどうでもいいくらい当たり前ですけどね。
自分がちょっと注目しているのは、犯罪に流行性はどの程度影響するかです。たとえば、欧米からストーカーがという言葉が始めて日本にやってきたのは確か93年か94年くらいです。私が始めてこの言葉を聴いたのは「世界まるみえテレビ特捜部」という番組にて、海外で異常な犯罪があるぞというばかりに紹介され、その後ドラマが作られたり実際に桶川ストーカー殺人事件が起こりましたが、最近はめっきり死語の部類に入ってきましたね、これも。
私が何を言いたいかは勘のいい人ならもうお分かりでしょう。要するに、犯罪方法や犯罪名が報道されるたびにその手法の犯罪が流行するのではないのかというのが私の仮説です。もちろん私自身、真面目に信じているわけじゃありません。それこそ単にその犯罪が注目されるようになり、それ以前からあった犯罪が急にテレビで報道される回数が増えるとか、何度も起こるから社会で一般化して逆に報道されなくなるとか。前者だと先ほどのストーカー、後者のだと集団自殺という例があります。
しかしそれでも注目される当初はかつてあったピッキングや今回のオレオレ詐欺のように模倣犯が続出することは間違いないでしょう。問題はすでに一般化した犯罪が何かの拍子に大きく取り上げられ、それが波及するかどうかです。時間と資金があれば、あれこれ私も研究できるのですがね。
敢えて今挙げるとすれば、一家心中と通り魔がこのところよく報道されています。別に報道するなとは言いませんが、どのように報道するかは、今回挙げた話を研究することでわかってくるのではないかと思います。
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