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2008年4月2日水曜日

兵隊の一割に関する話

 いきなりですが、2:8の法則を皆さんご存知でしょうか。通称パレートの法則といってあちこちで語られているようですが、どうやらそのほとんどは通説の域を出ない、元の法則から乖離したデマのようです。
 たとえば、働きアリは全体の二割が巣穴の中で働き、残りの八割はほとんど働いていないが、その働いていないアリだけを集めると、またそのうちの二割が今度は働き出すとか。この説を使って、企業組織内でも社員の二割が実際には働いていて、残りは働いていないとか。まぁこう書いていて、うそ臭い話だと思います。

 しかし、この考え方がうまく適合できる例もあります。
 かつてのアメリカの調査によると、太平洋戦争中に実際に銃の引き金を引いたアメリカ兵は全体のほんの一割程度だったようです。それ以外は全くといっていいほど銃を撃たないか、そのまま敵に撃ち殺されるだけだったらしいです。この統計は日本軍でもほぼ同様に起こっており、言ってしまえば兵隊の中の勇ましい一割の兵士同士がドンパチやっていたというのが、過去の戦争の実情だったようです。

 しかしこれではほとんどの兵士がつれてくだけ無駄だ。そういうことでアメリカ軍はこの反省を生かし、心理学的見地による軍隊教育を施し、ベトナム戦争ではこの割合を四割以上にまで引き上げたという話を聞いたことがあります。ちなみに、この軍隊教育というのは単純に映画「フルメタルジャケット」の中で行われているようなもので、要するに自分も他人の命も守るに値しない、殺して奪い取ってもかまわないという概念を無理やり植えつけるというやり方です。

 ここで私が何が言いたいのかというと、それこそ特別な意識や逆境に追い込まれ、普段は全体の一割程度の兵士しか戦わない軍隊が本気になって十割全員で戦った場合はどうなるか。もしそうなった場合、理論上は十倍もの兵力差のある敵軍に対して勝利することもありうるということになります。歴史上に数多くある寡兵にて大軍を破る史実も、それこそ背水の陣ではないですが状況次第ではありうると私は考えています。

 なお、さらにさらに話を深めると、基本的に同種の生物同士はリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子論」の言うとおりに、種の保存目的の観点から互いに殺しあうと深いストレスを感じるらしいのですが、人間はどうも全体の一割程度、殺人を犯してもそのようなストレスを感じないタイプが生まれてくるらしいのです。そのほとんどは殺人なんて滅多な体験をせずに、己のそのような特性を自覚せずに死んでいくのですが、ひょうなこと、それこそ戦争などを経験することによってその特性を自覚してしまい、そのまま殺し屋とか戦争屋となったり、精神に異常を持つようになるそうです。
 この話も、先ほどの太平洋戦争の一割の話ときれいに一致します。また、そうした特性のない人間に無理やり殺人を冒させる、先ほどのベトナム戦争の例などを行うと、大抵はその後に精神面で問題を起こし、生活が破綻していくようです。

 自分は心理学という学問が大嫌いなのですが、この話は数字的にも他の説と一致することも多く、また説得力の高い精緻な意見なので非常に気にいっている上、含蓄の深い話だとして解説することが多い話です。

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