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2008年7月22日火曜日

毎日新聞の今後

 すでにあちこちで報道されていますが、先日に毎日新聞の英語版サイト「WaiWai」がようやく閉鎖されました。ようやくとは書きましたが、私自身もこの毎日の英語版サイトについては今回の報道でで初めて知りました。その報道によると、この英語版サイトでは声に出すのすら恥ずかしい卑猥な内容や、何の実証性のない週刊誌から抜粋しただけの異常な記事が発信され続けていたというようで、正直このニュースを知った時に私は目を疑いました。

 しかもなお悪いことに、この英語版サイトについては以前より批判があったようです。しかし毎日新聞社側はその批判を真面目に受けず、約三年間以上にも渡ってこのサイトの更新を続けていたというのです。結果的には今回大きく他のメディアで取り上げられて閉鎖したものの、他紙、確か朝日か読売かですが、「海外の読者に対し、失った日本の信頼を取り戻すのは難しい」と言う通り、誤った情報を世界に発信し続けたという罪は非常に重いことに間違いありません。

 そして現在に至るのですが、この事件の余波は案の定大きく、毎日新聞の日本版ウェブサイトである「毎日jp」では今も確認しましたが、現在ページのどこにも自社及び関連会社以外の広告が全くないという異常事態が発生しています。普通、こういった新聞社のサイトでは経済面などに企業の広告が貼り付けられるのが普通なのですが、ここにすら何もないというのですから事態は予想以上に深刻です。他紙の報道によると、やはり事件の影響を考え大企業などは企業イメージを悪くするとの懸念から一斉に広告を引き上げたためとのことらしいですが、本紙はまだ確認していませんが、恐らく紙面上も大企業の広告は現在ほとんどないでしょう。

 すでに以前に連載して書いていた新聞メディアの記事でも触れていますが、毎日はただですら北海道での夕刊配達を中止するほどに経営が追い込まれていたにもかかわらず、今回このような事態となって広告収入も先細るとなると、ますます追い詰められるのは明白でしょう。私の見立てでは、もしこのままの状態が続くとなると今年か来年中には毎日新聞社は潰れるのではないかと思います。現にそういった話、買収案なども私の耳に入ってきています。

 もし毎日新聞社の経営が破綻するとどうなるかですが、やはり一番に考えられるのは他社による買収です。しかし毎日新聞社自体が不良債権となっている現在、恐らく他の新聞社は動かないのではないかというのが知り合いの業界関係者の見方です。それよりも系列テレビ局であるTBSが資本を注入し、財務状況を救うのではないかと言っていましたが、私も現状ではこの線が最も可能性が高いと思います。
 そしてこれは恐らくありえないですが、ここでもしインターネット会社が毎日新聞、この際取材部門だけでも買収するとなれば、私の予想するメディア業界の大変動の一歩が踏まれることとなると思います。まぁ、起こったら面白いけど、さすがにこれは起こんないだろうな。孫正義氏とかやんないかな。

 それにしてもこの毎日の凋落は私自身にとって非常に残念な事態です。というのも、新聞社の記者で比べるなら私は毎日新聞が最も優れていると考えていたからです。かつてはゴッドハンドと呼ばれた遺跡発掘者の捏造事件を暴くなど、毎年のスクープでは質、量ともに他紙を圧倒し、その記者の取材力ではかねてより定評があり、私自身も高く評価していました。
 今回のこの事件はかねてより批判を受けていたにもかかわらず、何のチェックも行わなかった経営側の明らかな不作為によるもので、そうした無能な経営側のせいでで優秀な毎日の記者があおりを食らうというのを残念に思います。英語版サイトを閉鎖したにもかかわらず鳴り止まない批判に対し、ようやく毎日新聞社は今回の騒動の顛末を公表すると発表しましたが、はっきり言って遅きに失したでしょう。また記事を編集し続けた記者の処分も、どうも見ていて緩いのではないかと私は思います。

 一部の評論にもありますが、意外や意外に、この事件は日本メディア界を大きく揺るがす一発目になりかねない可能性を含んでいます。今後とも、この問題は続報があれば紹介していくつもりです。

生き残るゲーム会社とは

 ちょっと私用で中国地方、主に広島県へと行っていました。印象に残ったのは、私は鹿児島県生まれで現地だと、島津斉彬様万歳、が色濃く主張されているのですが、今回行った山口県、特に萩市では吉田松陰先生万歳が色濃く主張されていました。

 そんなこともあって久々の投稿です。今日はこのところよく取り上げる、ゲーム会社の話です。
 まず単刀直入に結論を書きますが、今後生き残っていくゲーム会社というのは過去の遺産があるゲーム会社だけだと私は考えています。

 先日、かねてより前評判の高い「ドラゴンクエスト5」のNINTENDO DS版が発売されましたが、これが逆に一部のネットユーザーの意見からは批判の的になっています。その批判の内容というのも、このところのスクウェアエニックスは昔のゲームのリメイクばかりで稼いでいて、新しくゲームを作っていないというものです。 

 なんだかんだいって、こうした昔のゲームのリメイクというのはよく売れます。その理由というのも、昔に遊んだユーザーが年を取ってからまたやりたくなり、出たらまた買うからだと言われています。そもそも、私の知る限り昔のゲームを新たなハードでリメイクをやりだしたのはこのスクウェアエニックス(当初はエニックス単独)で、「ドラゴンクエスト1,2」をスーパーファミコンで出したのがきっかけで、皮肉な言い方ですが、このリメイク商法の元祖は未だにこの手法を続けているとも言えます。ドラクエ5なんて、プレステ2でも出していたし。

 しかしこうしたリメイク作品が何度も世に出る一方で、新しいジャンルのゲームというものは確かに以前ほど多くはありません。業界関係者によると、リスクの高い新ジャンルの作品より、過去のリメイクの方が安定した売り上げが見込めることからこうした状態が続いているといっていますが、現実にはそれ以上に、新しいジャンルのゲームでやっていけるほど、もはや今のゲーム業界に体力がないのかもしれません。
 というのも前の記事でも書きましたが、今じゃゲームの開発費は天井知らずになってしまい、本当に売れなかったら会社は即倒産なんていうことすら結構ザラです。知ってか知らずか、もはやリメイク作品がないところはゲーム業界では生き残れないのかとすら私は思います。

 それが冒頭に言った、ゲーム会社が生き残るかどうかは過去の遺産があるかどうかなのです。この考えを発展すると、なにもリメイク作品にとどまらずシリーズ作品もこの「遺産」と考えてもよろしいでしょう。
 たとえば、任天堂なら「マリオ」、「ゼルダ」、「マリオカート」、「ポケモン」と、未だにこれらのシリーズは最新版が出るたびに売れますが、これらと全く関係のない新たなゲームシリーズはやはり比較するとあまり売れていない気がします。
 さらに例を挙げていくと、バンダイナムコなら「テイルズシリーズ」、「鉄拳」、「スパロボ」で、KOEIなら「三国無双」、「信長の野望」、「三国志」、コナミなら私もお世話になっている「パワプロ」、「ウィイレ」、「メタルギアソリッド」、さすがに「かんばれゴエモン」はもう見なくなったけど。

 このように、今挙げたのはゲーム業界が華やかなりし頃に一作目が発売されたゲームシリーズばかりです。今やこれらのシリーズ以外で、販売本数で上位に上がれるソフトというのはほとんどないでしょう。つまり、まだ新ジャンルを開拓できる時代に人気シリーズを確立できたゲーム会社しかもう生き残れず、今後新ジャンルを新たに開拓するにしても、これらの過去の遺産で売り上げを確保しつつ開発するしかない状況にあるのではないかと私は言いたいのです。これだけ書くと、なんか今の日本のゲーム業界は閉塞してしまったような感じですね。

 唯一の例外を挙げると、カプコンについては未だに旺盛に新ジャンルに取り組んでいます。実はこの前までまたカプコンは潰れる間際だと言われていましたが、今回の「モンスターハンターシリーズ」の大ヒットによって再び息を吹き返しました。ここの会社は昔から、危なくなるごとに「ストリートファイターシリーズ」、「バイオハザードシリーズ」などの新ジャンルを開拓し、そのたびに不死鳥のごとく生き残っていますので、一ゲームユーザーとして今後も温かい目で見守って生きたいと思います。

2008年7月17日木曜日

格差社会を読み解く、経済学の系譜

 最近筆が乗らず、あまりたいした事書いていないので補填とばかりに現在の経済学の系譜を書いておきます。明日からちょっと所用で、しばらくブログがかけなくなりそうですし。

 まず経済学は大きく分けて二つに分かれます。経済学の祖であるアダム・スミスの源流を受ける資本主義経済学と、カール・マルクスを祖とする共産主義経済学です。もっとも、後者は勉強する学生も減り、二十世紀に起こった共産主義国もほぼすべてその綱領を放棄してますので、最近ではちょっとマイナーです。

 では前者はというと、こっちはこっちで今、二つの大きな流派に分かれています。まず、二十世紀中ごろに出現して各国で採用された、国家の経済への介入を謳うをケインズ主義と、その逆にすべての国家などによる規制の排除を謳う新自由主義、通称ネオリベラリズムの二つです。この新自由主義の代表格、というより親玉とも呼べたのが私のブログでも何度か出したミルトン・フリードマンです。

 このフリードマンが主張したのは、所得が大きい層、つまり金持ちががどんどん大きくなれば、そいつらの使うお金は最終的に貧困層にまで落ちてきて、みんなで豊かになれるというのが主な綱領です。この過程のことを新自由主義者は「トリクル・ダウン」、日本語に直すと、「水の滴り」と呼んで、実際に取る政策は大企業がもっと大きくなれるように規制を排除する、近年日本で取られた政策です。

 しかし読んでてわかると思いますが、私はこのやり方に疑問を持っています。すでにこれまでこのフリードマンの考えに則り政策を行った国はたくさんありますが、はっきり言って一つもこのトリクル・ダウンが起こった国はありません。どの国も格差が広がり、最終的には破綻した国の方が明らかに多いです。

 かといって、ケインズ主義も必ずしも正しいというつもりはありません。まぁその辺は今度に深くやるとして、ここで私が言いたい内容は、フリードマンの背後にはハイエクという人物がいます。このハイエクという人は今言ったケインズとめちゃくちゃ対立してたそうですし、案外フリードマンを読み解くより、このハイエクを読み解く方が、今のこの格差社会を読み解くのに役立つのではないかと思ってます。そういいつつ、「ケインズとハイエク」という本を難しさのあまり私は途中で投げ出したのですが。もし興味のある方は、この辺のことを勉強するといいかもしれません。

怒りの矛先について

 昨日、十四歳の中学生が高速バスをハイジャックするという事件が起きました。明日高速バスに乗る予定の私からすると、非常にスリリングな話題です。
 幸いなことに被害者は一人もいなかったのですが、呆れたことに犯人の事件の動機というのは、親に怒られて困らせてやろうと思った、というのです。

 実はこの動機、ちょっと前から注目していました。というのも、以前に駅のホームで人を線路に突き落として殺害した高校三年生の男子生徒も、はっきりとは明言してないものの、家庭の事情で大学進学をあきらめざるを得ず、両親に対してやや不満めいたことを漏らしていました。
 私が奇妙に思う点というのは、なぜこの二つの事件の犯人は、不満や怒りの直接的な矛先である両親に向かわず、その早まった行動を知りもしない赤の他人に向かったという点です。考えてみると、このような事件はなにも未成年に限りません。あの秋葉原の通り魔事件も、掲示板では職場や親への不満が書かれていたにもかかわらず、そのはけ口へとなったのはやはり赤の他人でした。

 詳しい原因や傾向まではこの場で図りはしませんが、今後もこういった事件は続出していくのではないかと思います。ただ言える事として、赤の他人にその暴力を振るったとしても、自分にとっても何の解決にもつながらないというのは断言できます。

2008年7月16日水曜日

実存主義について思うこと

 あまり深く理解してないで言うのもなんですが、ヨーロッパ哲学で現在力のあるこの実存主義の大綱を簡単に私流に言わせてもらうと、
「世の中に神様とか仏様は実際にはいない。なので厳密に言って人間にはこの世で生きていく上での使命やら運命ってのはないんだから、人それぞれにこの世で生きていく目的を見つけねばならない」
 という風に、勝手ながら理解させてもらっています。恐らくこういう考え方だから、ニーチェも「神は死んだ!!」とか言ったのだと思います。ちなみに、アメリカのある大学で「神は死んだ ニーチェ」という落書きがあったところ、次の日にその場所には、「ニーチェは死んだ 神」という落書きが上書きされてたそうです。

 多分、日本人からすると、「なんでヨーロッパ人はそんなことを真剣に考えてるの?」とか思う人も多いのではないかと思います。そんな使命やら運命がなければ生きていけないのかだとか、今まで普通に生きてて変だと思わなかったのかというように、私は素直に感じました。
 そしたら案の定というか、この実存主義の先駆けとなったドイツの思想家ハイデッガーは、年取ってから日本で浄土真宗を開いた親鸞が書いた「歎異抄」の翻訳を読んで、えらい感動したそうです。この浄土真宗の教えをこれまた私なりに解釈すると、
「人間、生まれてきたことだけに感謝しなさい。生きてるってハッピー!!」
 ってな内容なので、なんとなくハイデッガーが感動したというのも私なりに理解できました。

情報の入出力に必要な能力

 一般に、頭が良いという評価は、日本では知識をどれだけ多く持っているかで測られることが多いです。それこそ高校までの勉強はどれだけ数学の原理や歴史の人物名、化学式などを暗記するかで測られ、実社会でも商品知識から世の中のことをいろいろ知っているとなにかと重宝がられます。しかしそれらの知識、いわば情報を活用する段階の入出力に関わる能力については議論が少ないように思えるので、今回はこの点について考えてみようと思います。

 まず情報の入力ですが、これを左右する能力はほかの何者でもなく単純に理解力です。この理解力の中身はというと、どれだけ短時間に、またはどれほど難しい情報を頭に詰めこめられるかを問う能力です。この点については多分、読んでいる方もなんの疑問も感じないでしょう。肝心なのはこの次の出力です。

 というのも、これは私が中学生くらいの頃に考えたことなのですが、たとえばある賢い人は理解力が高くて、一般の人と比べて二倍も知識が豊富だったとします。しかし肝心の出力は悪くて、その賢い人は一般人の四分の一しか知識の活用ができないとすると、結局のところ2×1/4=0.5で、普通の人(1×1=1)の半分しか役に立たないことになります。

 ここで言いたいのは、どれだけすばらしい能力を持っていたとしても、それを生かす力がなければ宝の持ち腐れになるということです。こう考えた私は当時からこの出力の訓練に取り掛かりました。具体的に何をやったかというと、今みたいに文章をひたすら書く、つまり表現力を磨いていったのです。実はこの表現力こそが、能力の出力を左右する源泉だと私は考えています。

 日本人は最近作文も書かなくなったので、特にこの表現力の低下が激しいような気がします。しかし、頭に詰め込むだけでなくそれを応用的に使う能力、この表現力がなければほとんど知識は意味を成しません。幸いというか、私の場合は訓練の甲斐あってか今では人からよく、「説明の仕方がうまい」とよく誉められます。このブログでも、なるべくたくさんの人、一応は政治や社会問題に関心の強い中から上級者向けに書いてはいますが、できることならあまりそれらの問題に詳しくない初心者に方にも理解できるように努力しています。

 私の見方からするとこの表現力はこのところ軽視されがちで、私のように意識的に鍛えようとする人は少なくなっている気がします。私としては理解力同様にこの表現力も重要だと思うので、もっと注目しておくべき存在の能力だと思います。

2008年7月15日火曜日

竹島問題教科書記載のニュースについて

 まず前回に書いた記事の中で取り上げた、日本人の自意識の向上についての参考文献を紹介します。
「他人を見下す若者たち」 速水俊彦 講談社現代新書 2006年
 ブックオフで見つけました。

 それでは今日の本題です。昨日、政府は中学校向けの社会の資料集における日本の領土問題の範囲に、これまでの北方領土問題に加え韓国と領有権でもめている竹島問題を記載することを義務付けること発表しました。このニュースに対してどの新聞も今朝は一面に持ってきて、テレビでもバンバン流しています。
 そして当事者である韓国はというと、入ってくる情報では早速民間団体がデモをやり、韓国政府も駐日大使を抗議の意味を込めて召還することを発表しました。
 もっとも、この駐日大使の召還については韓国政府も一時的なものとあらかじめ発表しており、事態を深刻なものへとする意思はなさそうです。日本への抗議というよりはむしろ、私はこれは韓国国民に対するパフォーマンスな気がします。

 というのもこの竹島問題では現状で、圧倒的に日本が有利な立場にあるからです。私は日本の言い分しか聞いていませんが、この竹島の領有権では私は日本に分があると思います。その理由というのも一点につき、竹島を含む韓国が主張する領土線は、あの李承晩ラインだからです。この李承晩ラインというのは、韓国の初代大統領である李承晩が訳のわからない主張をして、それこそ文字通りに地図上に勝手になぞった線を領土線として戦後のどさくさにまぎれて決めたものです。さすがにこの勝手な行動に対して、アメリカですら怒ったといいますし、日本の側としても、この勝手に決められた領土線を侵害したとして当時多くの日本の漁船が拿捕されたことを考えると、いささか腹の立つ思いがします。

 そんなんだから李承晩の後には誰もこの領土線を主張しなくなりましたが、竹島だけは領有権があるとして未だに主張しているという話を聞きます。それ以前の過程を考えても、また国際司法裁判所で白黒つけようという日本側の提案を毎回韓国側が拒否している(これは韓国のジャーナリストも認めている)ことを考慮すれば、私は竹島は日本側に分があると思います。

 それでなぜ日本が圧倒的に有利な立場にあるかですが、以上の領有権の論拠だけでなく、日本側はこの問題をいくらでも好きに主張できるからです。逆に韓国はというと、そうじゃないと私は思っています。
 それはなぜかというと、韓国は前の記事でも書きましたが、「愛国無罪」という言葉があるくらい愛国心が強い国家です。しかし今の日本からすると想像しづらいものですが、ナショナリズムというものは追い風になると非常に心強いものの、逆風へと容易に変わっては国の政府を一挙に追い込みかねない思想なのです。
 日本の場合だと、戦前の軍隊に蔓延した強烈なナショナリズムが二・二六事件や五・一五事件といったクーデターや暗殺事件が連発しました。これも昨日に書きましたが、過ぎたるは猶及ばざるが如しで、ナショナリズムは今の日本みたいになさ過ぎても困るし、ありすぎても政府にとっては困るものなのです。

 現在、私の目からすると韓国や中国のナショナリズムはあり過ぎる状態にあります。中国については毎年のサッカーのアジアカップで言うに及ばずですが、韓国においてもこの竹島問題では逆批判があると聞いています。その逆批判というのも、
「日本が竹島について領有権を主張しているのに、政府は何も対抗策を出していない」
 というような、国民から政府への批判です。先ほど言った、大使召還がパフォーマンスといったのは、こうした批判をかわすためではないかと睨んでいます。

 片や日本は普段弱気な政府が急に強気になり出すと、以前ではそうも行きませんでしたがこのところは国民も「よく言った」的なノリで支持率回復につながるようになってると、ここ数年間観察してきて思います。つまり、日本側はこの竹島問題でどんどん強気に発言できる立場にあるのに対して、韓国は日本に強気な態度をとられるたびに国民を納得させなければならないお家事情があり、本音では頼むから黙っててくれといいたい状況にあるのです。まだはっきり出ていませんが、恐らくこの問題が長引けば、韓国大統領への支持率は落ちていくと思います。

 ただ、今回のこのニュースで気になる点がいくつかあります。そのひとつはタイミングです。
 実は先週に、アメリカの新聞に韓国の複数の団体から、
「知ってますか? 独島(竹島)は韓国の領土なんだって」
 という意見広告が載っていました。そんなことがあった次の週にこれですから、何かしら政府内で動きがあったか、もしくはたまたま偶然だったのか、現状ではどっちかを判断する材料がありませんがこのタイミングの不気味さには思うところがあります。まぁ教科書の内容なんですし、前々から決まっていたけど意見広告載せてきたから牽制のつもりでこのタイミングで投げちゃえ、というような感じだとは思いますけど。

 最期に、この問題に対する朝日新聞の今朝の社説に触れておきます。
「だがここは冷静になりたい」
 社説の中のこの一言に尽きます。内容を要約すると、もっと話し合って日韓で仲良くなろうよ、というような社説で、どこをどう見てもこの問題の背景、歴史、果てには朝日新聞としてはどっちに領有権があると思うのかという立場すら書いていません。これじゃ新聞失格と言われても仕方ないでしょう。
 さらにおまけに言うと、以前ある人から、このところの朝日新聞は一面から三面までどこをどう見ても事実関係の報道しか書いておらず、問題の具体的な解決方法の提案や今後の見通しを書かなくなり、三流に落ちているという批判を聞きましたが、この社説においてもどうすれば日韓が納得するかという話は一切書いていませんでした。

 敢えて私の立場から言うと、日本は現状で圧倒的に有利な立場にあるのだから、ここはひとつ佐藤優流に「領土問題で相手が要求を出してきたら、もっと大きい要求をこっちも出す」という鉄則に則り、日本の韓国大使に一足早い夏休みを日本でとってもらうとかいいかもしれません。夏休みの期限は、駐日韓国大使が頭下げて戻ってくるまでとか。
 このところ朝日を誉める記事が多かったから、たまには批判しないとね。