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2008年7月30日水曜日

二変数で見る国家の主義、体制


 今回紹介するこの図はかなり昔……構想的にはもう六年も前に作った図です。まずはその成り立ちから説明します。

 そもそも、右翼と左翼とは一体何を指すのでしょうか。中国では選挙がないという話をすると驚かれるくらいこのところの若者はあまり政治意識が高くないので、きちんと理解していない人も中にはいると思います。しかし、かえって現状では分からないと言う方が正解なのかもしれません。
 というのも、もはや国家の主義や体制を見るときに右翼や左翼といった二項対立では測れなくなっているからです。単純な比較でも、国の資産を国民全員が平等にばら撒くための政策が重んじられたバブル期以前の日本と、勝ち組負け組をはっきり分けるための政策が続いている現在では、もはや同じ体制とは言いがたいものです。しかも日本の場合に面白いのは、ここ十数年でそれだけの変化が起きているのに、政権の担当者は昔も今も同じ自民党、つまり右翼政党で変わりがないという点です。さらに言うと、変わっていく政策の非難者というのが旧来の自民党勢力、現在の国民新党などの勢力です。

 主義的に見るならば、両者はどちらも右翼です。ですがその掲げる政策は真逆とも言うくらい違っています。ではどんな点が違うのかというのを表したのが上記の図です。この図は縦軸が掲げる経済政策を表し、横軸が権力を構造する政治体制を表しています。
 ひとつひとつ説明していくと、グラフの左下の「階級主義」、「統制経済」の極にいるのが旧ソ連です。その根拠というのも、政治的指導者は共産党が一手に握っており、経済も配給制の元ですべて国家が管理していたためです。その真逆の右上にある、「民主主義」、「自由経済」の極にいるのはアメリカです。アメリカは言うまでもなく選挙は非常にオープンで、なんだかんだいって自由と平等にうるさい国です。そして経済政策も競争の重要性を掲げ、規制なりなんなりのすべての撤廃を掲げています。

 こんな感じでこの図は見ていきます。なんでこの図が必要なのかというと、先にも言ったとおりこれまではこの図でいう左下から右上への直線、右翼か左翼か、資本主義か共産主義かで語られてきましたが、アメリカと北欧諸国の関係のように、同じ民主主義陣営の中でも経済政策に大きな違いを出す国もあれば、かつては共産主義陣営に属していながらも、経済政策はもはや資本主義国同然でグラフの左上に位置する中国のような国も現れてきました。これほど状況が変化していながらも、右翼か左翼かという二項対立で議論するのはもはや不毛です。実際に論壇を見ていても、未だにこの二つの枠に当てはめ意見する討論家がおり、議論を訳の分からないものへと向かわせております。少なくとも、国家体制と経済政策の二変数は議論する上で欠かせないでしょう。

 そしてこの図はなにも国家だけにとどまらず、政治家にも適用できます。先ほど言った自民党内の意見の違いや現在の社民党の位置のあやふやさ、果てには論壇の人間の立ち位置というのにも使えます。たとえば私の好きな佐藤優氏や鈴木宗男氏なんかは右下の「社会民主主義陣営」に属すでしょう。そして小泉純一郎氏や安倍晋三氏、竹中平蔵氏はというと右上の「自由民主主義陣営」に属します。両者の対立点はまさにこの点で、ここ十数年の日本の変化も下から上への変化だ、というのが私の持論です。

 なお、この図は便宜的に私が簡単にまとめたものです。枠の位置と距離は必ずしも程度を表しているわけでもなく、敢えてアメリカと旧ソ連を両極に置いて作っています。
 さらにいうと、実際にはこの二変数でもまだ不足しています。たとえば外交政策が「融和」か「タカ派」かでも変わりますし、国民政策が「多民族主義」、「単一民族主義」でも変わってきます。そういった多変数の分析を行い国家を見ることこそ、国際政治学では非常に重要になってきます。

ウィキペディアで削除された秀逸記事

 このところ誰でも書ける記事ばかり書いてきたので、たまには自分にしか書けない記事でも書こうと思います。

 さて今回のお題のウィキペディアですが、このブログでも何度も引用しており、非常に愛読しているホームページです。このウィキペディアは佐藤優氏などは「情報が断片的で、体系的な知が身につかない」と批判していますが、一回見聞きすれば大抵のものは暗記できる私の能力とは非常に相性がよく、近年の私の知識力の向上に一役買っています。
 しかし残念なことに、このウィキペディアは誰でもどんなページでも編集できてしまうため、中には秀逸だった記事が削除されてしまうことも少なくありません。そこで今日は、削除されてしまって今はもう見ることのできない秀逸な記述を、私が記憶している範囲で紹介します。

1、スバル・インプレッサ
 このインプレッサという車は初期型のGC型なんか、私が最も好きなデザインをしています。現在ではモデルチェンジを繰り返してすでに三代目ですが、初代のGC型はとても格好いいのに、二代目のGD型となるととても同じ車とは思えない、言っちゃ悪いですが非常にダサいデザインへと成り下がりました。実際にプロのレーサーも二代目に変わった際、デザインはもとより走行性能も低下したと酷評していました。

 そこで肝心の削除された記述ですが、この二代目インプレッサの部分でデザインが酷評された経緯を書いた記述が丸々削除されていました。覚えている内容は、

「二代目インプレッサは登場とともに大きく変わったデザインが不評で、「丸目」、「デメキン」、「ボスボロット」などと揶揄された」

 という感じでした。面白い記述だったのに、消したのスバルの人間じゃないかな。


2、2ちゃんねる
 さすがにこれだけ閲覧者の多いサイトの記事ともなると、更新も非常に多いです。多分、私がじっくり腰据えて読んだ時が最も記述が多かった頃だと思う。

 そんなわけで詳しい説明は省いて削除された記述の紹介ですが、まず一番もったいなかったのは「2ちゃんねら~の性質」というような記事です。この記事では2ちゃんねら~の発言や特徴などを紹介しており、自分たちを「ヒッキー」や「ニート」などと呼び合いながら罵り合う自虐的な言動が多いことを指摘したり、「しない偽善よりする偽善」という2ちゃんねる内の言葉を引用するなど、なかなか参考に足る意見が数多かったのですが、今となっては跡形もありません。

 次に消された記述は、「ホリエモンへの評価」です。ここでは近鉄球団買収に名乗りを上げた頃は彼を賛辞するコメントが2ちゃんねるを席巻したが、彼の著書の中にある「女は金で買える」という言葉が紹介されるや一気に批判するコメントが上回るようになった経緯を紹介し、その後のニッポン放送買収騒動の際には保守的な日本の社会の改革者と評価する一方、ただ騒動を起こしてばかりの目立ちたがり屋という批判がないまぜになり、2ちゃんねる内ではまだ評価が確定していない(2005年頃)、というような見事な分析が……今じゃもうないんだよな。

3、小泉純一郎
 そこまで目くじらを立てるほどではないんですが、なきゃないでこの人の分析がうまくいかないので書いておきます。削除されたのは、確か「強運」という副題の記述でした。ここでは小泉氏が首相在任中に非常に強運であったことを紹介し、イギリスのブレア元首相に「うらやましい」と言わせたことが書かれていました。具体的な強運の事例として、自衛隊派遣を控えてイラクに視察に訪れていた外務省員がテロリストによって射殺された際、イラクは安全という言質が崩れ批判が集まると共に自衛隊派遣も頓挫するかと思われた時、イラクでフセイン元大統領が発見されるや一気に最初の批判が報道されなくなった、という事例が紹介されていました。

 なにもこの例に限らず、小泉氏は在任中はピンチになるやその度に強運によって守られていました。具体的な政策とは関係ないまでも、この記述が何故削除されたのか非常に疑問に思います。ああもったいない。

2008年7月27日日曜日

ライブドア事件の二審判決について

 本当なら判決が出た一昨日に書くべきだったのですが、何故か孫正義氏の記事を書くことを優先してしまいました。決して何の考えもなかったわけでなく、今日になってようやく出たメディアの反応を確かめた上で書こうと思っていたからです。言い訳じゃないよ。

 さてそんなこんだで出てきたメディアの反応です。YAHOOに出ている記事なんかは株価のライブドアショックの問題と掛け合わせたものばかりでしたが、今朝の朝日新聞の社説を要約すると、

「頼みになるのは顧客や従業員、そして社会からの支持だ。事業を通じて社会にどう貢献するか。ここに心を砕く経営者が増えるよう期待したい」

 社説の後半四行を抜き出すと以上の通りです。全体の内容も、判決である実刑を当然であるかのような、ホリエモンに対して批判的な内容です。
 さて残念なことですが、この社説も見当違いとしかいいようのない、非常にふざけた文章であるというのが私の感想です。

 この社説の何が問題なのかというと、朝日新聞がライブドアの失敗を、「顧客、従業員、社会への軽視」と判断した点で、そんなの言ったらほとんどの一流企業も同じことです。そしてなによりも、このライブドア事件の背景について全く踏み込んでいません。
 冷静に考えてみましょう、一体ホリエモンはどんな犯罪を起こして収監されたのでしょうか。多分普通の人に聞いても、思い出す人なんてほとんどいないでしょう。主な容疑となったのは、子会社への架空売り上げを利益に計上し、連結決算では本当は赤字のところを株価への影響を恐れて無理やり黒字化した、言うところの粉飾決算というのが主な容疑です。ちなみに、その際の水増しされた利益の額は53億円です。

 はっきり言いますが、こんなの当時はどこだってやってました。確かにこれまで検察も何度かこの容疑でしょっ引いたことはありましたが、ライブドアのは金額的にもこれほど大きな事件化するほどのものではなく、また判決の実刑二年六ヶ月(執行猶予なし)に相当する犯罪ではありませんでした。
 そしてなにより、この問題を一番おかしくしているのはその後に起きた日興コーディアル証券の事件です。この日興コーディアルの事件では、社員の一人がライブドア事件同様に子会社の売り上げを本体へと付け替えるというライブドア事件にて主容疑とされた全く同じ手口で、金額も約200億円も粉飾決算にて水増ししています。にもかかわらず、こちらの事件では逮捕者や処罰者は一人も出ていません。

 この温度差は一体なんなのでしょうか。佐藤優氏などはホリエモンとも直接会って話をして、何故彼が逮捕されたのかというのは、格差社会と呼ばれる今の時代で最も目立つ勝ち組だったからと断言しています。最も目立つ存在ゆえに、そんな人間を国が懲らしめれば、格差社会を是正しようとしているように見えるからだという意味ですが、私の意見も同感です。でなければ、これほどのあからさまな不公平は発生しません。単純に言うと、ホリエモンは犯罪を犯したのではなく、捕まえられるために犯罪を新たに作られたというのがこの事件のあらましです。同様に、このはめ込みはこの後に逮捕された村上ファンドの村上氏にも当てはまるでしょう。

 何故同じ犯罪なのに、こうも処罰が異なるのか。当時にも言われましたが、「処罰の違いは国(政治家)への献金の違い」なのでしょうか。どちらにしろ、この粉飾はどこからが犯罪なのか、そういった検証は未だに私は見たことがありません。本来、新聞の社説ともあろうものはこういった点に言及して追及すべきなのですが、全くこういったことに触れられていないばかりか、万人受けするように「顧客を大事にね」でまとめられても非常に困る話です。敢えて私風に言うのならば、

「頼みになるのは政治家や官僚、そして政府からの支持だ。事業を通じて政府にどう貢献するか。ここに心を砕く経営者が増えるよう期待したい」

 というのが、このライブドア事件の教訓です。なんか書いてて、産経新聞みたいな意見になったなぁ。

自分のどこに生きる価値があるのか

 これなんか私の友人は耳にたこができるくらい聞かせている話題なのですが、私は自分自身に、あまり生きる価値はないと思っています。昔から周りに迷惑ばかりかけていて、キリスト教的価値観で考えるとどう転んだって死後は地獄行き決定な人間だと思いますし、中学生くらいの頃から二十歳まで生きられればひとまず御の字かなと思っていました。そのため二十歳を超えた現在では、二十歳を超えた年数分、余分に生きてしまったと常に悔いている毎日です。

 しかし、それでも私はある一点において自分の生きる価値は非常に高いと考えています。その一点というのも、私の能力です。
 前回の記事でも書きましたが、人からよく指摘され、誉められるのは私の膨大な知識量です。事実私自身も自分の持っている知識の量には自信があり、自分という人間が死ぬことは全く惜しくはないのですが、自分が死ぬことでこの知識の山がこの世界からなくなってしまうというのは、どう考えてももったいないと考えてしまいます。同様に知識だけでなく、世の中を見たり、立案を行える思考力にも自信を持っています。

 実は先日、信長の野望をやりながらふと思ったことがありました。こういう私の生きる価値感というのは忍者に似ていないか、何故か他国の武将の暗殺成功時に思いつきました。
 もっともこれは講談の中だけの話でしょうが、司馬遼太郎氏の「梟の城」という作品で書かれている忍者のように、豊臣秀吉を暗殺しようとする忍者が、かつて織田信長によって忍者の里を滅ぼされた恨みとか天下国家のためとかという理由ではなく、自分が磨いてきた忍の技術を証明したいというためだけに警護の厳しい秀吉の暗殺を謀る、というような心理に近い匂いを感じました。。

 この価値観と真逆なのは言うまでもなく、武士の価値観です。よく言われる「葉隠」の一説にある、「武士道とは死ぬことにあり」というのは事実的にも間違いで、私の見る武士の生の価値観とは、すべてお家にあると思います。如何に自分の一族を栄えさせるか伝えるか、そのお家のために自分は歯車となる、というようなのが日本の武士の価値観だと私は考えています。言ってしまえば、あくまで講談の中だけですが忍者というのは自分の技術のために生きる個人主義なのに対し、武士というのは家族主義、ひいては全体主義的な価値観ではないでしょうか。

 どちらも自分個人が生存する価値観というのは希薄です。忍者は、くどいようですが講談の中では仕事を完遂することが主目的で、そのために自分の命を投げ打つ事すらあります。武士もお家のために、捨て身の奉仕を自らに要求します。
 なので、今の私の価値観は忍者に近いような気がします。私も何か大きな仕事を成し遂げられるのなら、自分の命など平気で差し出すつもりです。さすがに自爆テロとかはしませんけどね。

月間投稿最高記録更新

 早くもこの記事で、先月に月間記録を抜いた投稿本数41本を今月は抜きます。先月は新聞メディアの連載記事などがあり内容的に密度が濃いものが多かったとはいえ、なんでどんどん投稿数が増えるのか我ながら不思議です。
 友人らも、「一体いつこんなにいろんな問題を勉強しているのか?」とこれまでに数人が私に尋ねてきています。この質問に回答すると、私が書いている記事の多かれ少なかれは、貯金に頼っているところが多いです。割と時間が合ったときにいろいろ調べていた情報をそのまま書いていることもあれば、それに最新の情報を乗っけるだけというのもあります。それに加え、昔にあれこれ勉強しているという下地ができているので、新たな問題が起こってもその問題に対する理解が早いというのもあると思います。

 しかしそれ以上に、単純に情報に対する嗅覚が人より少し優れているというのが一番大きいと考えています。というのも、今思い返すと小学生時代からどうも情報に対する感覚が、今思うと違っていたように思えるからです。単純な暗記力はもとより、情報を整理して公開するという技術と感覚はすでに子供の頃から一頭抜いていたように思えます。特に暗記力に関しては、情報を時系列的に組み立てられるのは今のところ私以外の人間でやっている方はまだ見たことがありません。

 あと友人からの質問にもう一つ多いもので、「よくそんなに書いていて、ネタが尽きないな」というのもありますが、これに関して言わせてもらうと、実は現状では全然書き足りていない状況です。本当はもっとあれこれ腰をすえて書きたい内容も多いのですが、早くしないと書いても意味のなくなるニュースのが多くて、そっちに忙殺されてしまって手が回っていない状況です。もし書けるんだったら、自由主義経済政策についてじっくり解説とかしたいのですが。

 最期に、最近の投稿記事の傾向を見てみると、程よい具合に話題が多方面に渡っていると思います。先月なんかはメディア考察の記事が多かった分、社会系の解説が多かったのですが今月は哲学関係も入っており、なかなかよくまとまっているでしょう。ほかに強いて言えば、自分にしか書けない記事が多いです。佐藤優氏やら田原総一朗氏の記事とか、特にそれが如実に出ているのは「グッドウィルなどの派遣マージン率」の記事の中で、各メディアで取り上げられたマージン率の数字を一挙に並び立てているのなんか、私の得意技が炸裂した記事だと思えます。

2008年7月26日土曜日

エリツィン政権期の北方領土交渉について

 この記事は取り扱い注意です。私自身この手の問題は素人ですし、結構ナイーブな問題点を多く抱えています。

 さて皆さんも知っての通り私は佐藤優氏の大ファンです。しかし、彼の著書の中で常に疑問に思っていた点がひとつあります。それが今回の題の、エリツィン時代の北方領土交渉についてです。
 佐藤氏はこの時期、90年代末の北方領土交渉は非常に日本にとって有利な状況にあり、北方領土の日本返還まで後少しで、エリツィン元大統領も返還に前向きであったとその著書の中で繰り返し述べています。しかし、私はまだ読んでいないのですが大統領を引退したエリツィン氏は自身の自伝の中で、
「北方領土は最初から返すつもりはなかった」
 と述べているそうです。

 これでは佐藤氏の説明と真逆です。おかしいと言えばおかしいのですが、この北方領土外交の内幕なぞ私には知る由もなく、また自伝の内容とはいえ、当時の政権に気を使ってエリツィン氏がその場限りの言葉を述べたという可能性もあります。まさに、事実は藪の中です。

 そうこうしていたら今日、おもしろいニュースが入ってきました。ネタ元は産経新聞からのようで、「エリツィン大統領は4島返還を約束していた」という記事です。この記事の内容によると、エリツィン大統領は自身の決断で側近が止めるのにも関わらず、日本側の代表、当時の橋本龍太郎元首相に返還を約束していたとあります。
 この発言をした記者はロシアから亡命した記者のようで、信用性は測りかねますが、なかなか面白い出所だと考えています。もしこの記者の話が事実だとすれば、逆転ホームラン張りに佐藤氏の主張が真実だという事になりますが、まだまだこの問題は明らかになっていない点もあるので、今後も推移を見守っていくつもりです。

中国とイスラム教

 本日、前回に記事を書いた「中国バス爆破事件」のニュースに続報が入りました。それによると、どうやらイスラム教テロリスト団体から犯行声明が発表され、以前に起こった上海バス炎上事件も、この団体が起こしたものだと発表されました。テロリストの声明によると、彼らは北京政府に対して再三オリンピックの中止を呼びかけたにもかかわらず応じないために事件を起こし、今後も事件を起こすと、主張しています。

 実は以前、北京に駐在して十年以上になる会社員の方からこんな話を聞いていました。
「中国はイスラム教と仲がいいんだ。だからテロなんて起こらない」
 この人の言う通り、確かに中国はイスラム教国家とは非常に仲がいいのは事実です。特にパキスタンとはインドという共通敵をお互いに抱えているため日ごろから仲が良く、去年十月に新華社が行ったアンケートによると、全体の28%がパキスタンを好きな国に挙げ、見事一位に輝いています(ちなみに二位はロシア、三位は日本。逆に嫌いな国は一位韓国、二位日本、三位インドネシア)。そのほかの中東諸国とも比較的関係は良く、確かに表面上はイスラム教となんら対立していないように見えます。
 
 しかし、ここではっきり言いますが現中国はイスラム教とは激しい対立関係にあります。その理由と言うのもウイグル族自治区の問題です。
 このウイグル族というのは中国国内の少数民族のひとつで、中国の北西部に「新疆ウイグル自治区」という地域に住んでお、チベット族同様に北京政府によって激しい弾圧を受けつつも、現在もなお抵抗運動を続けております。ただチベット族と違う点は、ダライ・ラマ氏のように国際的に知名度の高い指導者が目下のところいないため、チベット族ほどその弾圧のニュースが取り上げられていないように思えます。

 ここまで書けばわかると思いますが、このウイグル族の宗教はイスラム教です。そのためイスラム教徒のネットーワークを利用し、中国国内のあちこちで激しいテロ活動を行っていると聞いております。聞いていると書いたのは、このような抵抗運動やテロ活動に対して北京政府は徹底的に情報統制を行って報道させず、私自身も伝聞でしか事実を聞いていないからです。それでも、地域的にも宗教的にも、このようなテロが起こりやすい地域にあり、日本でのウイグル人活動家の話を聞いていると弾圧もテロ活動も事実だと考えております。

 以上の経緯を踏んで、案の定イスラム教徒が今回のテロ事件に関わっていたという事になります。もっとも前回の記事では遠慮して細かく書きませんでしたが、まだ確定というわけではないですが当初の私の予想通りです。
 国際政治と言うのは基本的には国が主人公ではありますが、宗教団体も大きなプレイヤーの一人であります。国と国との関係を見るだけでなくその国と宗教勢力の関係も見る事が、特に9.11いこうの現在においては重要になってきます。