別に狙ってたわけじゃなかったけど、結構タイムリーな時期にこの記事を書くことになりました。
さて日本は先進国が次々と死刑制度を廃止している中で死刑制度を保持し、また去年には鳩山法務相(当時)が死刑囚の執行を次々と認めたことから朝日新聞が「死神」呼ばわりして物議をかもしました。私はこの死刑制度についてどう思っているかと結論から言えば反対で、未だ迷いはするものの廃止論者だと自認しています。
私が何故死刑制度に対して反対しているのかというといくつか理由はありますが、まず第一の理由として人間が人間の生死を決めるのはおこがましいからという単純な理由があります。これなんか私の宗教的バックグラウンドが大きく影響していると思うのですが、戦争や諍いによる突発的な殺人ではなく裁判という過程を通じ、その被告の生死を制度として集団が決めるというのは直感的に如何なものかと思っています。言ってしまえば人間の倫理観で絶対的に正しいことや間違っていることを判別できるわけなく、そんな拙い判断力が裁判を通したからといって人間の尊厳に深く関わる生死まで決めるというのは神様への冒涜なのではないかと考えるからです。
第二の理由は、死刑執行者のあまりにも大きな負担です。これだけ技術が発達した今の世の中でも死刑が決まった死刑囚を自動的に機械が殺してくれるわけではなく、ある段階で刑務官などの執行者がその死刑囚の殺人に関わらなければなりません。昔に聞いた話だと死刑執行に立ち会う、実行する刑務官には執行後に国から手当てが出されるそうですが、果たしてそんなもので彼らの心的負担が補償されるとは思えず、これまた十年以上前に見た執行を行った刑務官の匿名のインタビューでは、家族に対して自分の行ったことは言えず、また自分の仕事と言っても割り切ることの出来ないという話を読んだことがあります。
この辺なんかを何故もっと死刑を増やさないのだと主張する人たちに強く言いたいのですが、死刑にはどこかで刑を執行する人間が必ずおり、自分は執行に関わりたくないがもっと増やせという意見であればあまりに軽薄すぎるとしか言えません。少なくとも、もし誰もやらないのなら自分が執行してもよいという覚悟を持った人以外はこのような意見を持つべきではないでしょう。
他にもいくつかありますが、私が死刑制度に反対する大体の理由は以上の通りです。まず勘違いしてもらいたくない点として、私は裁判自体を否定するつもりはありませんし犯罪者を一般社会から隔離する懲役刑も社会の安定性を維持する上で必要であると考えています。
最初の理由で述べたとおりに、私は人間の倫理観というのをあまり信用していません。それこそ過去には魔女狩りなどと今じゃとうてい理解できない瑣末なことが犯罪とされて社会によって処罰されており、そんな信用のない倫理観に照らして犯罪者かそうでないかをどうして区別するのかといったら、その社会の多数派が持つ認識を一致させてその社会を安定させるということに尽きます。これまた言ってしまえば、我々の社会で犯罪者とされる人だけが住む国が作られたりしたらそこでは盗難も合法となるのかもしれないんだし。
私だって犯罪を行う人間は憎いと思いますが、刑を行うというのは俯瞰的に言えば多数派が少数派に自分たちのルールを押し付ける行為とも取れると思います。よく死刑を廃止して終身刑を最高刑にすると犯罪者が自然死するまでの食事などに税金を使わなくてはならなって無駄だという意見がありますが、私は懲役刑の受刑者を含めてそれらの税金は自分たちの社会を安定させるためのコストだと割り切るべきだと考えており、我々の社会から少数派を締め出す代わりに彼らに与える最低限の補償だとも思います。
ここまで言えばわかる通りに、私は死刑を廃止して再審で覆らない代わりはどうあがいても釈放されない終身刑こそが最高刑として相応しいと考えています。
これはあくまで私のおこがましい一意見ですが、果たして殺人を犯して死刑になった犯罪者を死刑で殺し、それが遺族にとって本当に慰めになるのかという疑問があります。もちろんニュースを見ているとそれでも死刑を執行してほしいと訴える遺族もいるのは知っていますが、報復からは何も生まれてこないのではなかいかと個人的に思います。
その一方でここまで死刑に反対だといいながらも、池田小事件の宅間守のように死刑以外にどうやって納得すればいいのかと思うような猟奇的な事件がこの頃起きており、何の慰めにもならないかもしれないがこんな犯人らを生かしておくことだけは絶対に許せないと思うことが私の中でも増えてきており、何が何でも死刑は廃止するべきと他人にまで強く主張することはできずにいます。
こういった理由から、あくまで廃止論者ではあるものの私自身も死刑制度の存続について今も悩んでいるのですがそんな中、ここでいちいち私が言うまでもなく本日また新たな死刑確定囚が生まれました。
・和歌山カレー事件 真須美被告の上告棄却 死刑確定(YAHOOニュース)
詳しく経緯を調べておらずにこんなことを言うのもおこがましいのですが、私はこの事件は有罪にはしても死刑にするべきではないと前々から考えていました。というのもこの事件は犯人の自白もなくまた確たる証拠もない中で状況証拠のみで裁判にて犯罪が認定されており、「疑わしきは罰せず」、「たとえ百人の犯罪者を逃しても一人の無辜の人間を罰するなかれ」の原則を堅持するために、容疑者が過去の経歴から言っても非常に怪しい人物だからとはいえ死刑にはせず、無期懲役刑に止めるべきだと考えていました。もちろん遺族の方の感情を考えれば自分が部外者でありながらどれだけ愚かなことを述べているのかは重々承知ですが、それでも言わずにはおれないというニュースが本日入ってきました。
・足利事件、DNA型一致せず 東京高裁再鑑定、再審の公算(47NEWS)
この事件は発生当時からも捜査に問題があるといわれつつも容疑者であった男性に無期懲役刑が判決された事件ですが、リンクに貼ったニュース内容にこれまでの捜査を根本から覆す証拠が出てきて再審の公算が高まったのですが、仮にこれが本当に冤罪であったとすればこれまで刑務所につなぎおかれたこの男性の人生はどうしてここまでされなければならなかったのかと、激しい同情と共に怒りを覚えます。
ちょっと蛇足かもしれませんが、前の小沢氏の秘書逮捕事件の際に、「検察が動いたんだから絶対に小沢はクロだろ」という意見を何度か聞きましたが、どうしてそこまで検察に信頼があるのかが私にとっては不思議でした。この事件といい、私は日本の警察や検察はあながち強権で知られる中国を笑ってられないほど問題があると考えており、そんな組織から一般市民を最低限守るためにも、証拠なしで死刑を判決してはならないし、もし冤罪だったとしても後年にまだ再審の出来る終身刑を最高刑にすえるべきだと思います。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年4月21日火曜日
2009年4月20日月曜日
政党交付金制度による世襲議員の促進
昨日は神宮球場に友人とヤクルトVS広島戦を見に行ったので、金曜に引き続きまたブログを休んでしまいました。それにしてもアウェーでありながら明らかに広島ファンの数のが多かったのは不思議でした。
・政党交付金、7党に支給(YAHOOニュース)
そんなわけで二日ぶりのこのブログですが、今また頭痛を起こしていて今日も休もうかとも思ったのですがさすがにサボりすぎなので短くまとめようと政党交付金について解説します。
この政党交付金というのは政界汚職が吹き荒れた55年体制末期こと平成初期に、非自民連立内閣の細川政権時に成立し現在まで施行されている制度です。この制度の具体的な内容というのは政治家が日々の活動のために使う政治資金を国から政党へと税金を使ってそのまま交付するという内容で、多分見る人から見たら噴飯ものの制度だと思います。
何故こんな制度が出来たのかというと、今も昔も政治家が政治活動を行うのに先立つものとしてたくさんのお金が必要ということに変わりはありませんでした。そのため資金力に余裕のある政治家ほど選挙や党内で有利になる傾向が強くなるため、資金力を確保するためにいろんな企業との癒着や汚職行為によって企業献金を集める政治家が後を絶たず、成立当時は佐川急便事件などそれが表に出てきて国民からの批判が一斉に集まった時期でした。こうした企業との癒着をなくすためにはどうすればいいかということで、なら政治活動に必要なお金は国が出そうと、国会内の議員数に応じた分の交付金を政党に交付するこの制度が生まれたのです。
確かにこの制度を作るにあたり言わんとすることはよくわかり、現役の議員の方などの話を聞いているこの交付金がなければ何も活動することが出来ず、日々の資金を企業からの献金に頼る割合が強くなってしまうという方もたくさんいます。しかし私は現状のこの制度を見ているとやはり順効果に対する逆効果の方が強すぎるため、即刻とまでは言わずとも改正するべきではないかと考えています。
ではこの制度の何が問題なのかということですが、結論から言って政治家に対して政党という組織が強くなり過ぎる傾向があるからです。
この交付金は政治家一人一人に均等に配られるわけではなく所属する国会議員数に比例して政党に配られるため、政党に属していない無所属の議員と所属議員が五人未満の小会派は一銭たりとももらえず、これだけで政党に属す議員に対して彼らは資金力に差が生じてしまいます。さらには政党所属の議員たちにとっても内心では党幹部の方針を快く思っていなくとも政党を離脱してはこの交付金を得ることが出来なくなるため、心ならずも政党に従わざるを得なくなると言われています。
そしてこの制度で一番問題なのは、これは全くの私の持論ですが世襲議員を増やしてしまう効果があるのではないかと思っています。
理屈はこうです。何度も言いますが政治活動、ひいては選挙において政治家はたくさんお金が必要です。そうした選挙にかかる費用をこの政党交付金がまかなっている部分も少なくないのですが、先にも述べたとおりに無所属議員は一銭たりともこの交付金を受けることが出来ず自弁でやるしかなく、必然的に選挙時には交付金のある政党所属議員の方が有利になってしまいます。その政党はというと近年特にこの傾向が強くなってきたのですが各選挙区の候補を決める際、政治家としての資質そっちのけでかつてその選挙区出身の議員の子弟こといわゆる世襲候補を政党の公認候補として指名する傾向が強くなっています。
世襲議員は自民党では今の少子化大臣の小渕優子議員を始めとして今度の選挙では小泉元首相の子供も立候補するそうですが、対する民主党も私の以前にやった調査では自民党には劣るものの世襲議員が数多くおります。こうなるのも政党が候補者を指名するという関係上、どうしてもOBの子弟を優遇する傾向になってしまうことからですが、この政党交付金制度で政党が組織として選挙に強くなる一方で政党に属さない無所属議員や小会派が資金力に差がつけられて選挙で戦いづらくなり、これが続けばますます世襲議員が増えていくのではないかと私は予想しています。
ここで言ってしまいますがどんな選挙制度がいい選挙制度なのかといえば、それはやっぱり能力や志の高い人間ほど当選しやすくなるという制度に尽きます。しかし前にも書いたようにここ数年の世襲出身の議員や首相はどれもぱっとせずなんでこんなのが当選してしまうのかと思ってしまうような議員ばかりの一方、政党からの指名を受けられないために自民ではなく民主から当選した議員らの活躍ぶりを見るにつけもっといい選挙制度はないのかと頭を悩ませてしまいます。
世襲議員というその属性だけでなんでもかんでも良くないとは言うつもりはありませんが、真に実力のある候補者をどう当選させて国会に送り込むか、そうしたことを考える上でこの政党交付金制度はまだ再考の余地があると考えています。
・政党交付金、7党に支給(YAHOOニュース)
そんなわけで二日ぶりのこのブログですが、今また頭痛を起こしていて今日も休もうかとも思ったのですがさすがにサボりすぎなので短くまとめようと政党交付金について解説します。
この政党交付金というのは政界汚職が吹き荒れた55年体制末期こと平成初期に、非自民連立内閣の細川政権時に成立し現在まで施行されている制度です。この制度の具体的な内容というのは政治家が日々の活動のために使う政治資金を国から政党へと税金を使ってそのまま交付するという内容で、多分見る人から見たら噴飯ものの制度だと思います。
何故こんな制度が出来たのかというと、今も昔も政治家が政治活動を行うのに先立つものとしてたくさんのお金が必要ということに変わりはありませんでした。そのため資金力に余裕のある政治家ほど選挙や党内で有利になる傾向が強くなるため、資金力を確保するためにいろんな企業との癒着や汚職行為によって企業献金を集める政治家が後を絶たず、成立当時は佐川急便事件などそれが表に出てきて国民からの批判が一斉に集まった時期でした。こうした企業との癒着をなくすためにはどうすればいいかということで、なら政治活動に必要なお金は国が出そうと、国会内の議員数に応じた分の交付金を政党に交付するこの制度が生まれたのです。
確かにこの制度を作るにあたり言わんとすることはよくわかり、現役の議員の方などの話を聞いているこの交付金がなければ何も活動することが出来ず、日々の資金を企業からの献金に頼る割合が強くなってしまうという方もたくさんいます。しかし私は現状のこの制度を見ているとやはり順効果に対する逆効果の方が強すぎるため、即刻とまでは言わずとも改正するべきではないかと考えています。
ではこの制度の何が問題なのかということですが、結論から言って政治家に対して政党という組織が強くなり過ぎる傾向があるからです。
この交付金は政治家一人一人に均等に配られるわけではなく所属する国会議員数に比例して政党に配られるため、政党に属していない無所属の議員と所属議員が五人未満の小会派は一銭たりとももらえず、これだけで政党に属す議員に対して彼らは資金力に差が生じてしまいます。さらには政党所属の議員たちにとっても内心では党幹部の方針を快く思っていなくとも政党を離脱してはこの交付金を得ることが出来なくなるため、心ならずも政党に従わざるを得なくなると言われています。
そしてこの制度で一番問題なのは、これは全くの私の持論ですが世襲議員を増やしてしまう効果があるのではないかと思っています。
理屈はこうです。何度も言いますが政治活動、ひいては選挙において政治家はたくさんお金が必要です。そうした選挙にかかる費用をこの政党交付金がまかなっている部分も少なくないのですが、先にも述べたとおりに無所属議員は一銭たりともこの交付金を受けることが出来ず自弁でやるしかなく、必然的に選挙時には交付金のある政党所属議員の方が有利になってしまいます。その政党はというと近年特にこの傾向が強くなってきたのですが各選挙区の候補を決める際、政治家としての資質そっちのけでかつてその選挙区出身の議員の子弟こといわゆる世襲候補を政党の公認候補として指名する傾向が強くなっています。
世襲議員は自民党では今の少子化大臣の小渕優子議員を始めとして今度の選挙では小泉元首相の子供も立候補するそうですが、対する民主党も私の以前にやった調査では自民党には劣るものの世襲議員が数多くおります。こうなるのも政党が候補者を指名するという関係上、どうしてもOBの子弟を優遇する傾向になってしまうことからですが、この政党交付金制度で政党が組織として選挙に強くなる一方で政党に属さない無所属議員や小会派が資金力に差がつけられて選挙で戦いづらくなり、これが続けばますます世襲議員が増えていくのではないかと私は予想しています。
ここで言ってしまいますがどんな選挙制度がいい選挙制度なのかといえば、それはやっぱり能力や志の高い人間ほど当選しやすくなるという制度に尽きます。しかし前にも書いたようにここ数年の世襲出身の議員や首相はどれもぱっとせずなんでこんなのが当選してしまうのかと思ってしまうような議員ばかりの一方、政党からの指名を受けられないために自民ではなく民主から当選した議員らの活躍ぶりを見るにつけもっといい選挙制度はないのかと頭を悩ませてしまいます。
世襲議員というその属性だけでなんでもかんでも良くないとは言うつもりはありませんが、真に実力のある候補者をどう当選させて国会に送り込むか、そうしたことを考える上でこの政党交付金制度はまだ再考の余地があると考えています。
2009年4月18日土曜日
壊し屋の存在意義
先ほどのニュースにてこの前のSFCGこと事業者金融会社の商工ファンド破綻の特集が組まれていました。この商工ファンドですが過去に貸し剥がしなど度々問題を起こしている会社で私も個人的にはあまり好きでない企業だったのですが、その特集の中でここに内定が決まっていた学生のインタビューがあり、そうした問題について認識はあったのかという質問に全く知らなかったと答え、
「仮にそういう問題があるのなら内部から徐々に変えていけばいいと思うし、自分のような(新しく入るであろう)人間がそういう風に変えていくべき役割だと思う」
と、話していましたが、まぁ正直随分と虫のいい話だと思います。貸し剥がしの事実も今まで知らないでいてどうやってその体質を変えていくのか、変えた後どうするのかという目算も何もないまま入ったとして、ミイラ取りがミイラになるように逆に組織に染まっていく可能性の方が高い気がします。そして何より、そうやって体質を変えるまで問題な事業の片棒を担ぐことになるのを何とも思わないのかと疑問に感じました。
まぁこの学生の言うことに対して私も厳しすぎるんじゃないかと自分でも思うのですが、こういう風に考えるのも私が壊す側の人間だからだと思います。世の中に問題のある組織や人間がいる際に私はそうした存在を改善などによって立て直すことよりも、まず完全に破壊してまた一から別の組織や体制を作る方へ物事を持っていこうとします。だからといって、なんでもかんでも壊してしまえばいいと考えるテロリストほどとまでは行きませんが。
実は政治家にもこの類型は当てはまり、大まかに言って創造型と破壊型の二種類に分かれると言われています。言うなれば制度を作る政治家と制度を壊す政治家で、言い方こそ「壊す」といってあまりいい印象ではなさそうですが、実際には壊す側の政治家ほど歴史には名前が残りやすいのです。
まず近年の破壊型の政治家の代表格はなんと言っても小泉純一郎元首相です。郵政や道路公団といったそれまで自民党内で聖域とされてきた場所に悉くメスを入れて解体、弱体化させ、果てには彼以上に破壊型的性格の強い田中眞紀子氏を使って外務省も徹底的に破壊しました。その一方で実は小泉元首相はなにかしら新しい制度や法律といったものはあまり作っておらず、そうした面への功績で言うと任期こそ一年でしたが国民投票法等を作った安倍元首相の方が大きい可能性すらあります。
また近代で言えば織田信長も破壊型の人物で仏教などといった当時の慣習を打ち破って破壊しつくし、その後の秩序は太閤検地や刀狩などで豊臣秀吉が作っているのですが人気で言えばやっぱり信長の方が上です。
このように見た目の派手さもあることからか、歴史上は破壊型の人間に人気が集まりやすい傾向にあります。だからといって破壊型の政治家が優れているというわけではなく、要は時代時代に合わせてそれぞれが役割をこなすことが大事で、タイプによる差はあれどもそれが能力や功績に直結することはないと考えています。
そういう意味で吉田茂と岸信介なんか好例だと思うのですが、戦前の体制をGHQの指導の下で引っくり返した人気な吉田に対し、日米安保条約を自らの退陣と引き換えに通すことでその後現在にまで続く外交体制を作った不人気な岸という具合に、私はこの二人の功績は互いに負けないほど大きいと見ていますが人気や評判においては大分解消されてきたけどまだ差が残っています。あとこれは私の私見ですが、このところどうも吉田の人気は下降気味でかわりに岸の人気が上昇中な気がします、二人とも孫が首相になったんだけど。
そこで話は私に戻りますが、私は典型的な破壊型の人間だと自認しています。今後何を破壊するのか、それともこの性格が何も活躍しないまま終わるのか、少なくともこのブログにおいては何かを攻撃的に批判するものが多いのは今後も変わらないでしょう。
今日600円も出して喫茶店でクリームみつ豆食べてきたのに、なんか今は疲れてて文章も荒れ気味です。午前中に洗濯(二週間分)、大掃除したのが原因だろうか……。
「仮にそういう問題があるのなら内部から徐々に変えていけばいいと思うし、自分のような(新しく入るであろう)人間がそういう風に変えていくべき役割だと思う」
と、話していましたが、まぁ正直随分と虫のいい話だと思います。貸し剥がしの事実も今まで知らないでいてどうやってその体質を変えていくのか、変えた後どうするのかという目算も何もないまま入ったとして、ミイラ取りがミイラになるように逆に組織に染まっていく可能性の方が高い気がします。そして何より、そうやって体質を変えるまで問題な事業の片棒を担ぐことになるのを何とも思わないのかと疑問に感じました。
まぁこの学生の言うことに対して私も厳しすぎるんじゃないかと自分でも思うのですが、こういう風に考えるのも私が壊す側の人間だからだと思います。世の中に問題のある組織や人間がいる際に私はそうした存在を改善などによって立て直すことよりも、まず完全に破壊してまた一から別の組織や体制を作る方へ物事を持っていこうとします。だからといって、なんでもかんでも壊してしまえばいいと考えるテロリストほどとまでは行きませんが。
実は政治家にもこの類型は当てはまり、大まかに言って創造型と破壊型の二種類に分かれると言われています。言うなれば制度を作る政治家と制度を壊す政治家で、言い方こそ「壊す」といってあまりいい印象ではなさそうですが、実際には壊す側の政治家ほど歴史には名前が残りやすいのです。
まず近年の破壊型の政治家の代表格はなんと言っても小泉純一郎元首相です。郵政や道路公団といったそれまで自民党内で聖域とされてきた場所に悉くメスを入れて解体、弱体化させ、果てには彼以上に破壊型的性格の強い田中眞紀子氏を使って外務省も徹底的に破壊しました。その一方で実は小泉元首相はなにかしら新しい制度や法律といったものはあまり作っておらず、そうした面への功績で言うと任期こそ一年でしたが国民投票法等を作った安倍元首相の方が大きい可能性すらあります。
また近代で言えば織田信長も破壊型の人物で仏教などといった当時の慣習を打ち破って破壊しつくし、その後の秩序は太閤検地や刀狩などで豊臣秀吉が作っているのですが人気で言えばやっぱり信長の方が上です。
このように見た目の派手さもあることからか、歴史上は破壊型の人間に人気が集まりやすい傾向にあります。だからといって破壊型の政治家が優れているというわけではなく、要は時代時代に合わせてそれぞれが役割をこなすことが大事で、タイプによる差はあれどもそれが能力や功績に直結することはないと考えています。
そういう意味で吉田茂と岸信介なんか好例だと思うのですが、戦前の体制をGHQの指導の下で引っくり返した人気な吉田に対し、日米安保条約を自らの退陣と引き換えに通すことでその後現在にまで続く外交体制を作った不人気な岸という具合に、私はこの二人の功績は互いに負けないほど大きいと見ていますが人気や評判においては大分解消されてきたけどまだ差が残っています。あとこれは私の私見ですが、このところどうも吉田の人気は下降気味でかわりに岸の人気が上昇中な気がします、二人とも孫が首相になったんだけど。
そこで話は私に戻りますが、私は典型的な破壊型の人間だと自認しています。今後何を破壊するのか、それともこの性格が何も活躍しないまま終わるのか、少なくともこのブログにおいては何かを攻撃的に批判するものが多いのは今後も変わらないでしょう。
今日600円も出して喫茶店でクリームみつ豆食べてきたのに、なんか今は疲れてて文章も荒れ気味です。午前中に洗濯(二週間分)、大掃除したのが原因だろうか……。
2009年4月16日木曜日
若者の政治離れの連鎖現象
このところNHKの番組を引用してばっかで今日もそうなのですが、一昨日のクローズアップ現代にて若者の政治離れが取り上げられていました。私もいちおう若者に属す側なので、他人事ではないということでひとつ黙って見てみました。
まずその番組でなるほどと思ったのが、ゲストに来ていた片山善博慶応大教授の発言でした。その発言というのも、このところ若者が政治から離れて投票に行かないことで、政治家らも自分の票に結びつかないことから若者対策の政策を打ち出さなくなってきており、さらに若者の側もそうした政治家の行動から政治から何の恩恵も得られないと感じてますます政治から離れるという、まさに一種の負の連鎖現象が起きているという内容でしたが、なかなか言われることごもっともです。
ちょっと詳しいデータが手元にありませんが、選挙における若者の投票率は毎回壮年層、老年層と比べて非常に低くなる傾向があると言われております。そうした若者らは決まった政治思想を持たない浮動票であることが多いため、これまで得票を期待して若者に対して選挙で強くアピールする政治家もいましたがそのどれもが最終的には敗北しています。私がはっきりとこの目で見てきたそのような例は大分前の大阪府知事選に出馬した江本猛紀氏の例で、江本氏はこれという地盤を持たなかったために浮動票を狙って若者らに強くアピールして街頭でもよく握手とかしていましたが結果は太田房江氏に大敗し、政治評論家たちも若者を中心に支持者を取り込もうとしたことが一つの敗因だったと指摘していました。
では何故若者は上の世代と比べて投票に行かないのでしょうか。これは私の例ですが、実は私は現在20代の半ばですが今年になって初めて地方選挙の投票に行ってきました。別にこの一年で急激に政治に目覚めたわけでなければ(14歳の頃から政治に興味はあった)投票にもこれまで何度も早く行きたいと考えていたものの、これまでは大学に通うために住民票がある実家から離れて下宿で生活していたので、学期間中に選挙が行われる際には投票することが出来ずにいました。そんでもって夏休みに選挙があるからこれで投票できると思っていたら、選挙日の前に中国留学へ出発したし……。
都市部ならともかく、地方出身の学生はこういうパターンの人がそれなりにいるでしょう。
ただこうした物理的な面より周りの同年代の人間を見ていると、やっぱり候補者の履歴や打ち出している政策が全くわからないという、政治的無関心というよりは政治的無知によるものが投票に行かない一番大きな理由だと思います。これなんか何度かこのブログで書いているのですが、やっぱり後輩などの話を聞いていると政治がどんな風に行われ今何が必要で何が議論されているのかがわからず、興味はあるもののどのように投票したり行動すればいいのかがわからないというのが非常に多いです。
実際に政治はある程度基礎的な知識を身につけなければ入り込みづらい領域であるため、こうした若者が出てくるのはある程度仕方が無いとは思います。そんな若者たちに一定の知識や解説を行うという目的を含んでこのブログと全然更新していない「陽月旦」私は立ち上げたのですが、やはり文字だけで教えるよりはマンツーマンであれこれ細かく教えた方が効率がいいのかもと思う時もあります。
とはいえ現在の若者が置かれている現状は不安定な雇用や多大な社会保障負担などと、ここ数十年で最もといっていい位に厳しい状況下にある世代だと言えます。この状況下で若者が投票に行かず上の世代だけが投票に行くとしたら、ますます若者へと負担が押し付けられる政策が通りやすくなるのは予想に難くありません。まぁ私としたら投票に行かない人間よりは投票に行く人間が政治的に厚遇されて然るべきだと思っているのでそれはそれでありだと思いますが、不平不満を言ったりヤケ起こして犯罪を行うくらいであればもっと若者らも投票行動を起こし、強く自分らの主張を訴えるべきでしょう。
しかし投票に行くにしてもどの政治家が自分らの味方になるのか、どんな政策を支持すれば自分たちにも日が当たるのかがわからないと、下手をすれば自分たちの敵となる人間を議場へ送ってしまうこともあるやもしれません。
そうしたことを考慮して私は差し当たり、若者内である程度の投票集団を組織することが手っ取り早くて効果が見込めると考えています。これは思想信条が合う者同士で集まってその中から政治について学んでいたりある程度知識のある人をリーダーに決め、選挙時にそのリーダーの指示する政党や候補者に投票する一種の組織票集団を作ることにより、組織票として政治家達にも強い主張を行えるようになるし集団内で政治について教えあうことで知識の向上を図ることがねらいですが、大体100人ほどの集団になればそれなりにいろいろなことができると思います。ま、自分で言うのなんだけど自分らの世代ってまとまりが無いからむずかしいだろうけどね。
おまけ
仮に若者が投票に行くようになっても世代別人口では上の世代の方が多いから政策に結びつかないのではとこれまで私は考えていたのですが、総務省の平成17年のデータで調べてみたら以下のような人口比でした。
・20~39歳:34,121,285人
・40~59歳:34,858,120人
・60~80歳:27,877,537人
という結果で、確かに40~80歳と比べると若者層と私が見ている20~39歳層は人数で見劣りしますが、思ったよりは少なくありませんでした。これだったらきちんと投票行動を行えばいろいろ反映できるとは思うのですが。
まずその番組でなるほどと思ったのが、ゲストに来ていた片山善博慶応大教授の発言でした。その発言というのも、このところ若者が政治から離れて投票に行かないことで、政治家らも自分の票に結びつかないことから若者対策の政策を打ち出さなくなってきており、さらに若者の側もそうした政治家の行動から政治から何の恩恵も得られないと感じてますます政治から離れるという、まさに一種の負の連鎖現象が起きているという内容でしたが、なかなか言われることごもっともです。
ちょっと詳しいデータが手元にありませんが、選挙における若者の投票率は毎回壮年層、老年層と比べて非常に低くなる傾向があると言われております。そうした若者らは決まった政治思想を持たない浮動票であることが多いため、これまで得票を期待して若者に対して選挙で強くアピールする政治家もいましたがそのどれもが最終的には敗北しています。私がはっきりとこの目で見てきたそのような例は大分前の大阪府知事選に出馬した江本猛紀氏の例で、江本氏はこれという地盤を持たなかったために浮動票を狙って若者らに強くアピールして街頭でもよく握手とかしていましたが結果は太田房江氏に大敗し、政治評論家たちも若者を中心に支持者を取り込もうとしたことが一つの敗因だったと指摘していました。
では何故若者は上の世代と比べて投票に行かないのでしょうか。これは私の例ですが、実は私は現在20代の半ばですが今年になって初めて地方選挙の投票に行ってきました。別にこの一年で急激に政治に目覚めたわけでなければ(14歳の頃から政治に興味はあった)投票にもこれまで何度も早く行きたいと考えていたものの、これまでは大学に通うために住民票がある実家から離れて下宿で生活していたので、学期間中に選挙が行われる際には投票することが出来ずにいました。そんでもって夏休みに選挙があるからこれで投票できると思っていたら、選挙日の前に中国留学へ出発したし……。
都市部ならともかく、地方出身の学生はこういうパターンの人がそれなりにいるでしょう。
ただこうした物理的な面より周りの同年代の人間を見ていると、やっぱり候補者の履歴や打ち出している政策が全くわからないという、政治的無関心というよりは政治的無知によるものが投票に行かない一番大きな理由だと思います。これなんか何度かこのブログで書いているのですが、やっぱり後輩などの話を聞いていると政治がどんな風に行われ今何が必要で何が議論されているのかがわからず、興味はあるもののどのように投票したり行動すればいいのかがわからないというのが非常に多いです。
実際に政治はある程度基礎的な知識を身につけなければ入り込みづらい領域であるため、こうした若者が出てくるのはある程度仕方が無いとは思います。そんな若者たちに一定の知識や解説を行うという目的を含んでこのブログと全然更新していない「陽月旦」私は立ち上げたのですが、やはり文字だけで教えるよりはマンツーマンであれこれ細かく教えた方が効率がいいのかもと思う時もあります。
とはいえ現在の若者が置かれている現状は不安定な雇用や多大な社会保障負担などと、ここ数十年で最もといっていい位に厳しい状況下にある世代だと言えます。この状況下で若者が投票に行かず上の世代だけが投票に行くとしたら、ますます若者へと負担が押し付けられる政策が通りやすくなるのは予想に難くありません。まぁ私としたら投票に行かない人間よりは投票に行く人間が政治的に厚遇されて然るべきだと思っているのでそれはそれでありだと思いますが、不平不満を言ったりヤケ起こして犯罪を行うくらいであればもっと若者らも投票行動を起こし、強く自分らの主張を訴えるべきでしょう。
しかし投票に行くにしてもどの政治家が自分らの味方になるのか、どんな政策を支持すれば自分たちにも日が当たるのかがわからないと、下手をすれば自分たちの敵となる人間を議場へ送ってしまうこともあるやもしれません。
そうしたことを考慮して私は差し当たり、若者内である程度の投票集団を組織することが手っ取り早くて効果が見込めると考えています。これは思想信条が合う者同士で集まってその中から政治について学んでいたりある程度知識のある人をリーダーに決め、選挙時にそのリーダーの指示する政党や候補者に投票する一種の組織票集団を作ることにより、組織票として政治家達にも強い主張を行えるようになるし集団内で政治について教えあうことで知識の向上を図ることがねらいですが、大体100人ほどの集団になればそれなりにいろいろなことができると思います。ま、自分で言うのなんだけど自分らの世代ってまとまりが無いからむずかしいだろうけどね。
おまけ
仮に若者が投票に行くようになっても世代別人口では上の世代の方が多いから政策に結びつかないのではとこれまで私は考えていたのですが、総務省の平成17年のデータで調べてみたら以下のような人口比でした。
・20~39歳:34,121,285人
・40~59歳:34,858,120人
・60~80歳:27,877,537人
という結果で、確かに40~80歳と比べると若者層と私が見ている20~39歳層は人数で見劣りしますが、思ったよりは少なくありませんでした。これだったらきちんと投票行動を行えばいろいろ反映できるとは思うのですが。
2009年4月15日水曜日
赤報隊事件手記、週刊新潮の降伏
・【新潮誤報 編集長インタビュー(上)】掲載理由の一つは「証明できないが、否定もできなかったから」(YAHOOニュース)
上記にリンクに貼った記事に書かれているように、とうとう週間新潮が私も長らく記事を書いてきた赤報隊事件の犯人手記が誤報であったと認めました。今日の発表を受けてSophieさんなんてすぐに祝電送ってくれましたが、私としても自分の見立てが間違っていなかったとニュースを見るなり手を叩いて喜びました。
それでこの新潮の降伏についての私の意見ですが、結論から言えば新潮がこのくだらない茶番に見切りをつけるのも遅かったし、今回の騒動についての編集長のインタビューを聞いててやはり恥の上塗りにしかなっていないと思います。
まず折角書いたのだからこれまで私がこの赤報隊事件手記について疑義を呈してきた記事をまとめて紹介します。
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その二
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その三
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その四
実は先週の段階で、この手記の主人公ともいえる赤報隊事件の犯人だと名乗り出てきた島村氏が新潮の口車に乗せられてしまったと、なんと当事者である朝日新聞に対しての謝罪を載せた記事が朝日新聞に島村氏の顔写真つきで載せられていました。もうその段階で今回のこの新潮の連載記事は真っ赤な偽物だということははっきりしていたので後はいつ新潮が認めるものかと待ち構えていましたが、意外と粘ってようやく今日になって記事は誤報であったと認めました。
恐らく、今回の新潮の降伏には会社上層部からによる強い指示があったと思います。というのも今の週刊新潮の編集者は先週の段階で既に更迭が決まっており、新潮社側は今回の記事と更迭は関係ないとは言ってはいたもののリンクに貼った記事でその編集長が未練たらたらに言い訳しているのを見るとこの編集長がなかなか取材ミスを認めなかったために会社が直接手を下したのだと思います。
そんな編集長の言い訳ですがリンクに貼った記事の見出しにも書かれているように、「証明できないが、否定もできなかったから」と、聞いてるこっちが呆れてくるようなことを言っています。本来マスメディアというのはその影響力の強さから細心に細心を重ねて取材を行いながら徹底して事実を確かめた上で報道しなければならないというのに、「否定もできなかったから」というのを逃げ道にして誤報を流してしまったというのであれば言論人はおろか一般人としての風上にもおけないでしょう。
またこのリンクに貼ったインタビュー内で言っている編集長の言い訳も、私からしたらとても信じられないくらいにひどい内容です。まず島村氏の証言にブレが無くリアリティがあったから信じてしまったと言っていますが、連載されている記事を読む限りアメリカ大使館員が犯行の指示犯というとてつもなく荒唐無稽な内容の上、事件当時の状況についても警察で公開されている情報との比較すら行っておらず(見事に証言とは矛盾している)、とてもじゃないですが情報の真偽を確かめた跡がまるで見当たりません。
その上証言者の島村氏は新潮側から90万円を受け取ったことを明かし、「向こうの作った話に乗せられた」と話しており、島村氏に騙されたという新潮側の証言と食い違っている点について何の言及もないのが非常に疑問です。まだ新潮が自分たちが正しいと主張していた頃に記事に信憑性はないと言う朝日新聞に対し、「こっちには取材中の会話を録音したテープがあるんだぞ」と、それが何の証拠になるんだよと言いたくなる様な反論を何度も繰り返していたのだから、新潮と島村氏のどっちが嘘をついているのか白黒つけるためにネット上にでもそのテープを早く公開してもらいたいものです。
今日のNHKニュースではこの事件について、今ちょっと私の中で急速に株を挙げて佐藤優氏に次ぐ位置にまで昇ってきている佐野眞一氏がインタビューに答えていましたが、新潮側は証言者の生い立ちや人生を調べることもせずやはり私同様に裏づけ取材はしてないだろうと見て、今回のこの新潮の報道はジャーナリズムの自殺だと強く非難していました。その上で新潮は明日発売の号での謝罪記事上で、自分たちは島村氏に騙されてしまったとだけしか書いておらず、読者への謝罪や反省の言葉がないとこれまた強い口調で非難していました。
一応念のために今回の新潮の連載が載った記事は今でも保管していますが、明日発売の記事ははてどうするものかとは思うものの、これ以上新潮に乗ってはならないと思うのでどっかの喫茶店にでも読みに行こうと思います。それにしても、こんなパーでも編集長ってやれるんだな……。
上記にリンクに貼った記事に書かれているように、とうとう週間新潮が私も長らく記事を書いてきた赤報隊事件の犯人手記が誤報であったと認めました。今日の発表を受けてSophieさんなんてすぐに祝電送ってくれましたが、私としても自分の見立てが間違っていなかったとニュースを見るなり手を叩いて喜びました。
それでこの新潮の降伏についての私の意見ですが、結論から言えば新潮がこのくだらない茶番に見切りをつけるのも遅かったし、今回の騒動についての編集長のインタビューを聞いててやはり恥の上塗りにしかなっていないと思います。
まず折角書いたのだからこれまで私がこの赤報隊事件手記について疑義を呈してきた記事をまとめて紹介します。
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その二
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その三
・週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その四
実は先週の段階で、この手記の主人公ともいえる赤報隊事件の犯人だと名乗り出てきた島村氏が新潮の口車に乗せられてしまったと、なんと当事者である朝日新聞に対しての謝罪を載せた記事が朝日新聞に島村氏の顔写真つきで載せられていました。もうその段階で今回のこの新潮の連載記事は真っ赤な偽物だということははっきりしていたので後はいつ新潮が認めるものかと待ち構えていましたが、意外と粘ってようやく今日になって記事は誤報であったと認めました。
恐らく、今回の新潮の降伏には会社上層部からによる強い指示があったと思います。というのも今の週刊新潮の編集者は先週の段階で既に更迭が決まっており、新潮社側は今回の記事と更迭は関係ないとは言ってはいたもののリンクに貼った記事でその編集長が未練たらたらに言い訳しているのを見るとこの編集長がなかなか取材ミスを認めなかったために会社が直接手を下したのだと思います。
そんな編集長の言い訳ですがリンクに貼った記事の見出しにも書かれているように、「証明できないが、否定もできなかったから」と、聞いてるこっちが呆れてくるようなことを言っています。本来マスメディアというのはその影響力の強さから細心に細心を重ねて取材を行いながら徹底して事実を確かめた上で報道しなければならないというのに、「否定もできなかったから」というのを逃げ道にして誤報を流してしまったというのであれば言論人はおろか一般人としての風上にもおけないでしょう。
またこのリンクに貼ったインタビュー内で言っている編集長の言い訳も、私からしたらとても信じられないくらいにひどい内容です。まず島村氏の証言にブレが無くリアリティがあったから信じてしまったと言っていますが、連載されている記事を読む限りアメリカ大使館員が犯行の指示犯というとてつもなく荒唐無稽な内容の上、事件当時の状況についても警察で公開されている情報との比較すら行っておらず(見事に証言とは矛盾している)、とてもじゃないですが情報の真偽を確かめた跡がまるで見当たりません。
その上証言者の島村氏は新潮側から90万円を受け取ったことを明かし、「向こうの作った話に乗せられた」と話しており、島村氏に騙されたという新潮側の証言と食い違っている点について何の言及もないのが非常に疑問です。まだ新潮が自分たちが正しいと主張していた頃に記事に信憑性はないと言う朝日新聞に対し、「こっちには取材中の会話を録音したテープがあるんだぞ」と、それが何の証拠になるんだよと言いたくなる様な反論を何度も繰り返していたのだから、新潮と島村氏のどっちが嘘をついているのか白黒つけるためにネット上にでもそのテープを早く公開してもらいたいものです。
今日のNHKニュースではこの事件について、今ちょっと私の中で急速に株を挙げて佐藤優氏に次ぐ位置にまで昇ってきている佐野眞一氏がインタビューに答えていましたが、新潮側は証言者の生い立ちや人生を調べることもせずやはり私同様に裏づけ取材はしてないだろうと見て、今回のこの新潮の報道はジャーナリズムの自殺だと強く非難していました。その上で新潮は明日発売の号での謝罪記事上で、自分たちは島村氏に騙されてしまったとだけしか書いておらず、読者への謝罪や反省の言葉がないとこれまた強い口調で非難していました。
一応念のために今回の新潮の連載が載った記事は今でも保管していますが、明日発売の記事ははてどうするものかとは思うものの、これ以上新潮に乗ってはならないと思うのでどっかの喫茶店にでも読みに行こうと思います。それにしても、こんなパーでも編集長ってやれるんだな……。
2009年4月14日火曜日
発展途上国への支援のあり方
確か小学生くらいの頃に読んだ評論にて、栄養不足ゆえにアフリカで子供が次々と死んでいくのを防ぐために、アメリカの食品会社がある時に粉ミルクを大量に送ったという話が紹介されていました。粉ミルクであれば栄養価は文句無く、また水の少ない土地でも摂取しやすくその上腐る心配も無いということでまさにうってつけとの触れ込みで援助を行ったのですが、結果というや惨憺たるものでした。
というのも援助を行ったアフリカの地域では水が貴重なため食器を洗うという習慣が無く、粉ミルクを使用した容器が洗われないまま流用されたことで細菌を発生させてしまい、援助を行う以前より子供の死亡率が上がってしまったという皮肉な結果を生んでしまったのです。
この事実について評論を書いた作者(さすがに作者名は忘れた)は援助を行ったアメリカの食品会社の意志は崇高で立派ではあると認めるものの、自分たちの視点だけで粉ミルクが援助物資として最適として選んだりせず、当該地域の状況や環境を考えてこうした支援を行わねばまれに逆の結果を生んでしまうこともあるとして、よくよく現地からの視点というものを持って援助を行う重要性を唱えて結論をまとめていました。
小学生当時にもなるほどと思わせられた評論だったゆえに未だに覚えているのですが、先日に実はここで紹介されているアメリカの食品会社の例に近い話を聞いたので、私からはその例を紹介しようと思います。その話の舞台というのは東南アジアのカンボジアで、長い内戦からひどく荒廃したこの国には日本を含めて各国から様々なボランティアたちによる援助が行われています。
そうしたボランティアたちの活動の中で、日本のボランティアたちが特によく行っている援助に井戸掘りがります。他の発展途上国同様に水が不足しがちで、また水源となっている川もそれほどきれいでないことから美味しい水を飲ませてあげようと、この十年間だけでもカンボジア各地にたくさんの井戸が日本人らの援助によって掘りぬかれたそうです。
しかしここまで言えばわかると思いますが、この井戸掘りは現地の住民らに思わぬ問題を生んでしまいました。というのもカンボジアは地下水が砒素に汚染されている地域が多く、その地下水を汲み取る井戸から井戸水を摂取した住民らが次々と砒素中毒に罹り、死亡者もたくさん生んでしまったのです。
井戸水に含まれる砒素というのは摂取していくことで徐々に蓄積されて砒素中毒が発症するため、当初は次々と病人が生まれる原因がわからず被害の拡大をなかなか防ぐことが出来なかったそうです。現在では地域によってはそうして日本人の手によって掘られた井戸の使用が禁止されるなど対策が取られているようですが、この事実を報じたNHKの番組内では砒素中毒によって子供を失った母親のインタビューがあり、何度も井戸水が怪しいと言ったが誰も取り合ってくれなかったと嘆いていたのを見て胸が痛みました。また砒素中毒によって体に麻痺が現れ寝たきりとなった男性は、働けずに家族の負担にしかなっていないのが苦しいと漏らしていました。
ここで私がわざわざ文字にして書かなくとも言いたいことは既に伝わっていると思いますが、発展途上国などに援助を行うにあたり善意で行えばなんでもいいというわけではなく、時にはその善意が逆の結果を生んでしまうということもあるということです。こうした事態を避けるためにもこの問題を報じた番組内でゲストの専門家も、あらかじめ水質検査を行うなど日本とは違った国ゆえ考えうる限りの万全の体制を敷いて援助を行わなければならないと述べていましたが、まさにその通りでしょう。
たまに日本では結果がつかなくともその過程がしっかりしていればいいというような言質があり、善意で行ったのだから深く責めるべきでないという風にまとめられる事例もあります。ですがそんなものでは片付かないものももちろんあり、善意であろうとなんであろうと片付けようのない事例もあります。そうした悲劇を生み出さないためにも、周到な準備と調査はどの方面においても重要であると付け加えて私の結論とさせていただきます。
というのも援助を行ったアフリカの地域では水が貴重なため食器を洗うという習慣が無く、粉ミルクを使用した容器が洗われないまま流用されたことで細菌を発生させてしまい、援助を行う以前より子供の死亡率が上がってしまったという皮肉な結果を生んでしまったのです。
この事実について評論を書いた作者(さすがに作者名は忘れた)は援助を行ったアメリカの食品会社の意志は崇高で立派ではあると認めるものの、自分たちの視点だけで粉ミルクが援助物資として最適として選んだりせず、当該地域の状況や環境を考えてこうした支援を行わねばまれに逆の結果を生んでしまうこともあるとして、よくよく現地からの視点というものを持って援助を行う重要性を唱えて結論をまとめていました。
小学生当時にもなるほどと思わせられた評論だったゆえに未だに覚えているのですが、先日に実はここで紹介されているアメリカの食品会社の例に近い話を聞いたので、私からはその例を紹介しようと思います。その話の舞台というのは東南アジアのカンボジアで、長い内戦からひどく荒廃したこの国には日本を含めて各国から様々なボランティアたちによる援助が行われています。
そうしたボランティアたちの活動の中で、日本のボランティアたちが特によく行っている援助に井戸掘りがります。他の発展途上国同様に水が不足しがちで、また水源となっている川もそれほどきれいでないことから美味しい水を飲ませてあげようと、この十年間だけでもカンボジア各地にたくさんの井戸が日本人らの援助によって掘りぬかれたそうです。
しかしここまで言えばわかると思いますが、この井戸掘りは現地の住民らに思わぬ問題を生んでしまいました。というのもカンボジアは地下水が砒素に汚染されている地域が多く、その地下水を汲み取る井戸から井戸水を摂取した住民らが次々と砒素中毒に罹り、死亡者もたくさん生んでしまったのです。
井戸水に含まれる砒素というのは摂取していくことで徐々に蓄積されて砒素中毒が発症するため、当初は次々と病人が生まれる原因がわからず被害の拡大をなかなか防ぐことが出来なかったそうです。現在では地域によってはそうして日本人の手によって掘られた井戸の使用が禁止されるなど対策が取られているようですが、この事実を報じたNHKの番組内では砒素中毒によって子供を失った母親のインタビューがあり、何度も井戸水が怪しいと言ったが誰も取り合ってくれなかったと嘆いていたのを見て胸が痛みました。また砒素中毒によって体に麻痺が現れ寝たきりとなった男性は、働けずに家族の負担にしかなっていないのが苦しいと漏らしていました。
ここで私がわざわざ文字にして書かなくとも言いたいことは既に伝わっていると思いますが、発展途上国などに援助を行うにあたり善意で行えばなんでもいいというわけではなく、時にはその善意が逆の結果を生んでしまうということもあるということです。こうした事態を避けるためにもこの問題を報じた番組内でゲストの専門家も、あらかじめ水質検査を行うなど日本とは違った国ゆえ考えうる限りの万全の体制を敷いて援助を行わなければならないと述べていましたが、まさにその通りでしょう。
たまに日本では結果がつかなくともその過程がしっかりしていればいいというような言質があり、善意で行ったのだから深く責めるべきでないという風にまとめられる事例もあります。ですがそんなものでは片付かないものももちろんあり、善意であろうとなんであろうと片付けようのない事例もあります。そうした悲劇を生み出さないためにも、周到な準備と調査はどの方面においても重要であると付け加えて私の結論とさせていただきます。
2009年4月13日月曜日
今後の株価について
このところ毎日のように知り合いの上海人から株価予想を聞かれ続けていたら別の友人からもこの株価について記事を書いてほしいとのリクエストが来たので、現状で私が今後の景気と株価を判断する材料をここで一挙に放出しようと思います。まず結論から言って、私はまだまだ景気も株価も暗い状態が続くと考えています。
別に景気判断に限るわけじゃないですが、予想というのは数ある情報の中からどれが最も強い影響を持っている情報なのかを探し出すというのが一番肝心です。ですが現在の景気判断においては逆説的ですが、私はどこをどう探しても良くなる条件が見つからないばかりか今後も悪化していくのではないかとうかがわせるような情報しか見当たりません。そういうわけなので、順番に注目している情報を挙げていきます。
1、ビッグスリーの破綻
現在アメリカの自動車ビッグスリーのフォード、クライスラー、GMは自分では取引先への支払いはおろか従業員へ払う給料すらも自前では用意できず、これらの支払いに使う資金の大半をアメリカ政府に肩代わりしてもらっております。何故これほどまでこの三社が優遇されるかといえばアメリカ国内においてこの三社が雇用している人数が非常に大きく、倒産させては一挙に失業者が街に溢れることになるからです。
とはいえこの三社の製品は国際的にお世辞にも競争力は強くなく、税金を投入してまで行き永らえさせても結局は一時しのぎにしかならず最後には倒産して無駄金に消えるのではないかと国内でも強い批判がされており、そのため政府としてもタダでとはいわず、過剰な従業員の待遇廃止やリストラといった具体的な再建策を融資条件にしているのですが現時点で三社はまだ思い切った再建策を出しておりません。
そうした中、あるタイムリミットが実は目前にまで迫ってきています。そのタイムリミットというのもクライスラーへの追加融資条件のことで、イタリアの自動車会社フィアットとの資本提携です。
国際的にも競争力もあり(アルファロメオは私も好き)、アメリカに強い販路を持っていないフィアットとの資本提携をまとめることをクライスラーは政府から融資条件として与えられていますが、一時は話がいいとこまで進んだらしいですがここに来てフィアットの方が落ち目のクライスラーを救うどころか一緒に引きずり込まれるのではという懸念が強まり、どうも交渉は暗礁に乗り始めているそうです。しかも今回の融資条件は期限が区切られていて、その期限は昨日の朝日新聞によると二十日を切っているそうです。
仮にこの話がまとまったとしても私はアメリカのビッグスリー三社が今後も生き残ることはありえないと思いますし、それを無理やり生き永らえさせても百害あって一利なしだとまで思います。言ってしまえばすでに経営的には破綻しているのだから、ビッグスリーのうち一社だけでも去年のうちにリーマンブラザーズ同様倒産させるか別の二社に吸収させるべきだったでしょう。
アメリカ政府がそこまで腹を決められるかですが、私は最低でも今年中にビッグスリーのどれかの管理機構入りの破綻は確実だと考えており、その際に大きく株価が下がることが予想されます。逆を言えば、その時が買いなんだけど。
2、政治的混乱
今度は日本の話ですが、どれだけ先延ばしにしても今年中に総選挙が行われます。この選挙の後に起こる可能性については大分前に一回記事にしていますが、現状ではその時に挙げた最悪のシナリオこと、自民も民主もどちらも単独過半数が取れないという趨勢になりつつあります。
どっちかが過半数を取るならともかくどっちも単独過半数を割る、もしくは自民党が議席の三分の二を割るだけでも政権を取った与党にとって国会運営は非常に困難をきたすようになり、そうした政治的混乱が市場に与える悪影響は計り知れません。この前までは民主党が非常に優勢だったので何とか民主が勝ってくれるという希望があったのですが例の小沢代表の秘書逮捕を受けて、かといって自民党も相変わらず人気が上がらず、このままでは次の選挙は勝者なき選挙で終わってしまう可能性が高いです。
言うなればこの際どっちでもいいから選挙で大勝して安定した政権を作ることが一番大事なのですが、検察が余計なことをするもんだから日本にとっての危機は増大したでしょう。またどちらも中途半端に終わって政界再編がスムーズに行われるというのであれば話は別ですが、そんなにうまくいけば誰も苦労はしません。渡辺喜美議員も飛び出したはいいけど、見事に誰も付いてこなかったし。
3、政策的失敗
ちょうど昨日に書きましたが、今の政府の景気対策の中身に私は非常に疑問を持っています。確かにお金を積めば今みたいに一時的に株価は上げることは可能ですが、それらのお金は突然降って湧いたものではなく将来返さなければならない借金です。今年の間はともかく来年度以降は徐々にその軋みが現実にも及ぼすようになり、金融総理こと与謝野大臣も明言している通りに2011年には消費税の増税も織り込み済みで、将来の増税が目に見えている資本投入で市場が刺激されるとは思えません。
そしてなにより、今の日本の経済上の問題点がどこにあるのか、何をすればいいのかという現状分析がきちんとなされないままの今回のように資本投入されてしまうことに苛立ちを覚えます。私は今の日本が抱える最大の問題点は二十代の失業率が10%を越えるまでの若者の不安定な雇用環境と内需の決定的な不足、そして外需に丸頼みの輸出依存型の経済体制だと考えています。これらの問題点をどう克服するか、どれだけ力を入れればいいのかという議論なしで今後の経済成長はまずありえないと考えます。
4、オバマ政権の顔ぶれ
これは今朝読んだ文芸春秋の「強欲国家米国が破産する日」(神谷秀樹著)に書かれていますが、今のオバマ政権の経済政策官僚のラリー・サマーズ国家経済会議委員長とティム・ガイトナー財務長官というのは、なんでもクリントン政権時の財務長官であるボブ・ルービンの門下生だそうです。この人の経歴というのも元ゴールドマン・サックス会長、シティグループ上級アドバイザーといった見事な経歴で、まさに今回の金融危機の元凶を作り出した一派の親玉みたいな人で、彼らを批判していた側の人間でなくまさに危機の元凶を作った一派の人間を政権に引き入れて果たして今の問題を解決へと導けるのかと神谷氏も言っていますが、言われることごもっともです。
こうした判断材料から、私はまだまだ景気は明るくならないと考えております。先ほど引用した神谷氏が同じ記事にてリーマンショックからもう半年以上経つが、未だに今回の金融危機は全体像が見えず景気の底がわからないと述べていますが、私もこの意見と同じで全く以って現状分析が成り立たない今の段階で景気が落ちることはあっても良くなるとはとても思えません。
そうはいってもこのところ日本の株価は上がっているじゃないかと言われるかもしれませんが、これは一昨日に友人とも議論しましたが、定額給付金を始めとした中身のない予算が通っただけでこれほどまで株価が上がる要素とは思えず、恐らく投資ファンドや年金機構などが契約の制約上、期末、期首ゆえに無理やり株式や通貨を購入した結果で、いわば偶発的なもので長くは続かないだろうという結論に終わりました。はっきり言いますが先月から今月にかけての株価上昇は異常なまでに不気味で、もし株を持っている人がいるのなら今のうちに売り払うべきだと思います。
さて、これで明日からでも株価が思いっきり下がってくれれば鼻高々なんだけどなぁ。
別に景気判断に限るわけじゃないですが、予想というのは数ある情報の中からどれが最も強い影響を持っている情報なのかを探し出すというのが一番肝心です。ですが現在の景気判断においては逆説的ですが、私はどこをどう探しても良くなる条件が見つからないばかりか今後も悪化していくのではないかとうかがわせるような情報しか見当たりません。そういうわけなので、順番に注目している情報を挙げていきます。
1、ビッグスリーの破綻
現在アメリカの自動車ビッグスリーのフォード、クライスラー、GMは自分では取引先への支払いはおろか従業員へ払う給料すらも自前では用意できず、これらの支払いに使う資金の大半をアメリカ政府に肩代わりしてもらっております。何故これほどまでこの三社が優遇されるかといえばアメリカ国内においてこの三社が雇用している人数が非常に大きく、倒産させては一挙に失業者が街に溢れることになるからです。
とはいえこの三社の製品は国際的にお世辞にも競争力は強くなく、税金を投入してまで行き永らえさせても結局は一時しのぎにしかならず最後には倒産して無駄金に消えるのではないかと国内でも強い批判がされており、そのため政府としてもタダでとはいわず、過剰な従業員の待遇廃止やリストラといった具体的な再建策を融資条件にしているのですが現時点で三社はまだ思い切った再建策を出しておりません。
そうした中、あるタイムリミットが実は目前にまで迫ってきています。そのタイムリミットというのもクライスラーへの追加融資条件のことで、イタリアの自動車会社フィアットとの資本提携です。
国際的にも競争力もあり(アルファロメオは私も好き)、アメリカに強い販路を持っていないフィアットとの資本提携をまとめることをクライスラーは政府から融資条件として与えられていますが、一時は話がいいとこまで進んだらしいですがここに来てフィアットの方が落ち目のクライスラーを救うどころか一緒に引きずり込まれるのではという懸念が強まり、どうも交渉は暗礁に乗り始めているそうです。しかも今回の融資条件は期限が区切られていて、その期限は昨日の朝日新聞によると二十日を切っているそうです。
仮にこの話がまとまったとしても私はアメリカのビッグスリー三社が今後も生き残ることはありえないと思いますし、それを無理やり生き永らえさせても百害あって一利なしだとまで思います。言ってしまえばすでに経営的には破綻しているのだから、ビッグスリーのうち一社だけでも去年のうちにリーマンブラザーズ同様倒産させるか別の二社に吸収させるべきだったでしょう。
アメリカ政府がそこまで腹を決められるかですが、私は最低でも今年中にビッグスリーのどれかの管理機構入りの破綻は確実だと考えており、その際に大きく株価が下がることが予想されます。逆を言えば、その時が買いなんだけど。
2、政治的混乱
今度は日本の話ですが、どれだけ先延ばしにしても今年中に総選挙が行われます。この選挙の後に起こる可能性については大分前に一回記事にしていますが、現状ではその時に挙げた最悪のシナリオこと、自民も民主もどちらも単独過半数が取れないという趨勢になりつつあります。
どっちかが過半数を取るならともかくどっちも単独過半数を割る、もしくは自民党が議席の三分の二を割るだけでも政権を取った与党にとって国会運営は非常に困難をきたすようになり、そうした政治的混乱が市場に与える悪影響は計り知れません。この前までは民主党が非常に優勢だったので何とか民主が勝ってくれるという希望があったのですが例の小沢代表の秘書逮捕を受けて、かといって自民党も相変わらず人気が上がらず、このままでは次の選挙は勝者なき選挙で終わってしまう可能性が高いです。
言うなればこの際どっちでもいいから選挙で大勝して安定した政権を作ることが一番大事なのですが、検察が余計なことをするもんだから日本にとっての危機は増大したでしょう。またどちらも中途半端に終わって政界再編がスムーズに行われるというのであれば話は別ですが、そんなにうまくいけば誰も苦労はしません。渡辺喜美議員も飛び出したはいいけど、見事に誰も付いてこなかったし。
3、政策的失敗
ちょうど昨日に書きましたが、今の政府の景気対策の中身に私は非常に疑問を持っています。確かにお金を積めば今みたいに一時的に株価は上げることは可能ですが、それらのお金は突然降って湧いたものではなく将来返さなければならない借金です。今年の間はともかく来年度以降は徐々にその軋みが現実にも及ぼすようになり、金融総理こと与謝野大臣も明言している通りに2011年には消費税の増税も織り込み済みで、将来の増税が目に見えている資本投入で市場が刺激されるとは思えません。
そしてなにより、今の日本の経済上の問題点がどこにあるのか、何をすればいいのかという現状分析がきちんとなされないままの今回のように資本投入されてしまうことに苛立ちを覚えます。私は今の日本が抱える最大の問題点は二十代の失業率が10%を越えるまでの若者の不安定な雇用環境と内需の決定的な不足、そして外需に丸頼みの輸出依存型の経済体制だと考えています。これらの問題点をどう克服するか、どれだけ力を入れればいいのかという議論なしで今後の経済成長はまずありえないと考えます。
4、オバマ政権の顔ぶれ
これは今朝読んだ文芸春秋の「強欲国家米国が破産する日」(神谷秀樹著)に書かれていますが、今のオバマ政権の経済政策官僚のラリー・サマーズ国家経済会議委員長とティム・ガイトナー財務長官というのは、なんでもクリントン政権時の財務長官であるボブ・ルービンの門下生だそうです。この人の経歴というのも元ゴールドマン・サックス会長、シティグループ上級アドバイザーといった見事な経歴で、まさに今回の金融危機の元凶を作り出した一派の親玉みたいな人で、彼らを批判していた側の人間でなくまさに危機の元凶を作った一派の人間を政権に引き入れて果たして今の問題を解決へと導けるのかと神谷氏も言っていますが、言われることごもっともです。
こうした判断材料から、私はまだまだ景気は明るくならないと考えております。先ほど引用した神谷氏が同じ記事にてリーマンショックからもう半年以上経つが、未だに今回の金融危機は全体像が見えず景気の底がわからないと述べていますが、私もこの意見と同じで全く以って現状分析が成り立たない今の段階で景気が落ちることはあっても良くなるとはとても思えません。
そうはいってもこのところ日本の株価は上がっているじゃないかと言われるかもしれませんが、これは一昨日に友人とも議論しましたが、定額給付金を始めとした中身のない予算が通っただけでこれほどまで株価が上がる要素とは思えず、恐らく投資ファンドや年金機構などが契約の制約上、期末、期首ゆえに無理やり株式や通貨を購入した結果で、いわば偶発的なもので長くは続かないだろうという結論に終わりました。はっきり言いますが先月から今月にかけての株価上昇は異常なまでに不気味で、もし株を持っている人がいるのなら今のうちに売り払うべきだと思います。
さて、これで明日からでも株価が思いっきり下がってくれれば鼻高々なんだけどなぁ。
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