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2010年11月28日日曜日

日本人の感情表現と文章

 ネットを当てもなく見ているとよく、「外国人を見て和む話」というものがまとめられております。実際に読んでみると確かに和む話ばかりで見ていてほのぼのとしてくるのですが、ふと考えてみるとなんで外国人の行動にこうも和まされるのかと疑問を覚え、ちょこっと考えて出した私の結論はというと、やっぱり日本人と比べて外国人は割合に感情をストレートに表現する事が多く、うれしいやがっかりといった感情を比較的押さえ込む日本人からするとそれが素直にさらけ出されるのを見て和みを感じるのではないかと思いました。
 なお言うまでもないことかもしれませんが、ここで言う外国人ってのは基本的に西欧人で中国人とか韓国人は入っていません。中国語でも西欧人は「外国人」もしくは「老外」というけど、日本人と韓国人はこれに入らない辺りにシンパシーを感じる。

 話は戻って素直に感情を出す外国人についてですが、日本人というか日本の世の中は基本的に感情を押し殺す事がすべての場において美徳とされ、小学校くらいからもそのように教育されます。私自身も日本人であるので感情を押し殺して黙々と行動する人間をかっこいいと思う傾向がありますが、その一方でなんでもかんでも感情を束縛される事に窮屈さを感じることもままあります。先ほどの外国人を見て和む話といい、私は今の日本人は一応は感情を押さえることが美徳だと認識しつつも、内心では感情をストレートに表現したいという欲求が強いのではと、考えた次第です。近頃流行りのうつ病も、やっぱりそういった感情表現と関係ある気がするし。

 では日本人は元からそうした感情表現を押し殺すのか、もしくは感情表現自体が苦手なのかと言うと、これは間違いなく後天的に植え付けられた特徴だと考えています。なんだかんだ言って日本の子供達を見ていると実に感情表現が多彩なのに対し、年齢が上がるにつれてそのような傾向はなくなってしまいます。となると日本の教育自体が感情表現を抑えるように教え込んでいる事になるのですが、そう考えた時に真っ先に思い浮かんだのが日本の作文教育です。

 日本の作文教育については過去にも「読書感想文は必要なのか」の記事の中で、日本の読書感想文は執筆者が本を読んで実際に感じた感想以上に教師が納得するような本を誉めるような内容が暗黙のうちに要求される点を指摘しましたが、よくよく考えてみると読書感想文に限らず日本の作文教育は個人的な意見はまだ書けるにしても、文章に感情を盛り込む事については徹底的に排除されているきらいがあります。

 ここで私がいちいち書かなくとも中学高校にて、「文章は客観的に書きなさい」と教えられたことは日本人なら誰にでもあるでしょう。この客観的にというのは響きはいいですが、実際には感情をすべて排除してマシーンのように文章をつづれと言っているも同然で、確かに客観的な視点は文章には不可欠であるものの主観的な視点を徹底的に排除するのはそれも問題だと私は思います。
 元々人間は感情を束縛される事に対して嫌悪感を抱くようで、私の感覚ですけど感情を捨てて文章を書けと言われてもあまり乗り気にはなれません。逆に、「お前の今持っている感情をすべてこの紙の上で表現せよっ!!(#゚Д゚)」などと言われ、自分の好きな歴史人物についてそれが何故いいのかだったり、嫌いな人間について呪詛の言葉をつづれってんなら物凄い乗り気で今からでもいくらでも書く気が起きます。

 くれぐれも言っておきますが、今も書いているこの文章を含め基本的には文章には客観性というか落ち着いた表現が求められると考えています。しかし主観的な表現も全く価値がないわけではなく、感情を文字にて表現するという意味ではむしろ格好の材料となることがあります。
 私が何を言いたいのかと言うと、日本の作文教育は一から十まで感情を殺すように書かせるために作文に対して苦手意識を作っている気がして、せめて小学生の間、出来れば中学校くらいまでは好きな事や感情をそのまま文字にて書かせた方がまだやる気もでていいんじゃないかという事です。

 これこそ先ほどの外国人の和む話で見かけた話ですが、イタリア人の男性は女性を見ると誰彼かまわず歯の浮くような文句で口説くそうですが、彼らは小学生の頃からラブレターの書き方を勉強するなどその方面で徹底した教育受けているそうです。ラブレターまでとは言いませんが、感情をさらけ出す材料をもうすこし作文の題材に選んで欲しいものです。

2010年11月27日土曜日

大学時代の遠慮のない後輩について

 またぞろ堅い内容の記事が続いているので、軟らかいネタでも書こうかと思います。

 先日、大学時代に住んでいた関西に行ってお世話になった方々へ挨拶回りに行きましたが、控えめに言っても私の大学時代は実り多いものだった気がします。今も交流があるほどいい恩師に恵まれた事はもとより、関東育ちの私が敢えて箱根の関を越えて関西の大学に行ったことで関西、関東両方の文化や地理を得られたことは今でも非常に大きな武器となっております。近年は東京一極集中のために関西の学生も地元に未練があるものの関東で働く事になることが多く、関東の学生はもとから住んでいるのもあってずっと関東に居続けると言うことが増えており、事実私の高校時代の友人らもほとんどが関東から出ずにいます。

 ただ大学時代で何が一番大きかったかというと、意外なことに下宿生活が一番だった気がします。ただ下宿するだけならそうでもないのですが、やや都市部から離れたキャンパスに通っていたために私が入った下宿はその大学の男子学生しか入居していない下宿で、周囲からも「○○男子寮」と揶揄されるアパートでした。大家の人も昔から学生を世話しているだけあって入学式の夜には一回生を集めて顔合わせ会などを催してくれるなど、壁が薄くて隣室のテレビの音が3Dサウンドで聞けましたが楽しい下宿でした。

 そんな下宿でしたが何の因果か私と大家夫妻は仲が良くなり、テスト中とかに遊びに行っては蜜柑とかお菓子を一緒に食べたり、下宿を出た後も遊びに行っては話をしたりしてえらく贔屓にしてもらいました。そんなもんだから二回生以降は前述の一回生らの顔合わせ会のまとめ役を毎年して、学年の違う後輩らとも知り合う機会も得られて今時ではない下宿生活をしてたように思えます。

 そうして知り合った後輩の中で、やっぱり特徴が強かったのは四国勢です。私の気のせいかもしれませんが四国出身の人間はみんな県民性を見事に反映していて、なおかつずうずうしいというか妙な遠慮がないために付き合ってて面白い人が多かったです。その中でも特にインパクトが強かったのは香川県から来た後輩で、何故かは知らないですが私がいつも夕食を作っている最中に、

「先輩、ゴミってどう出すんですか?」
「先輩、洗濯機って夜に使ってもだいじょうなんすか?」
「先輩、夏休みに部屋空ける時ってなにかしないといけないんすか?」

 こんな具合に、いっつもメシ作っている最中に来るので私も仕方なく、

「まぁ立ち話もなんだから、上がってメシでも食べてって」
「えっ、マジッすか!? じゃオジャマします!!ヽ(・∀・ )ノ 」

 他の学生ならまだ、「いやいや、そんなの悪いですよ」って遠慮してくるのに、彼だけは二つ返事でいつも食べてきました。まぁその方がこっちも気持ちいいけど。

 その後一旦私は中国に留学しましたが、日本に帰って元の大学に復学した際はキャンパスも変わっていたので別の下宿を借り、その後久々に元の下宿を訪れた際にその香川の後輩を訪ねるとうれしいことに私のことを覚えていて、たまたま一緒にいた自分は半分岡山県人だと言って譲らない神戸市西区出身の後輩ととともに私のことを、

「ちょうど今、俺達花園さんのことを話してたんですよ。井上和香が好きなスケベな先輩がいたよなぁって」
「('A`)」

 この時に新しい下宿の住所を教え、もしよければまた晩御飯を食べにおいでと誘ったら神戸の後輩と共にすぐに来て、その日は確かカレーを作りましたけどあらかじめご飯を四合炊いといたら「足りないっすねぇ( ゚Д゚)」と言ってきたので、追加で三合を炊いたら三人で全部平らげてしまいました。
 私は学生時代にいろんな人間を招いては食事を用意してきましたが、あれほど遠慮がない学生は他にいなく、今でも強烈な印象に残っております。日本の世の中だと遠慮深い事が美徳として扱われますが、私はこの後輩と会ってからは遠慮が強すぎるとかえって相手の気分を害させ、むしろ二つ返事で素直に喜んだ方が人間関係的にもいいと思うようになりました。

 ちなみに下宿にはもう一人、高知出身の後輩がいましたが、香川の後輩ほどではありませんでしたが彼もあまり遠慮はせずにいい意味で感情をストレートに出してました。ただ一回だけ彼の部屋に遊びにいったところ、結構散らかっていたのでそれからは私の部屋に呼ぶようにしました。

2010年11月25日木曜日

オリジナルなき中国経済

 前回の記事では日中の若者の現状を私なりに比較しました。概略を簡単に説明すると日中共に若者は苦しい立場に追いやられているが、日本の若者は中国の若者と比べれば将来性はともかく現状では金銭的にも社会的にも恵まれているにもかかわらず非常に後ろ向きなところがあるという主張をしました。
 そんな次の回の今日は、今回私が中国で滞在した際に感じた中国経済の違和感こと今後の中国の不安定要素と、それを逆の位置から見た日本の優位について一考を紹介します。

 以前に書いた「中国の自動改札と券売機」の記事にて私は中国での自動改札機と券売機を紹介しましたが、どちらも日本の駅に置かれているものと比べると性能的には低いものでした。元々両方とも日本企業の京都三大ブラック企業で有名なオムロンが開発した物なので原産国である日本の機械の方が優位を持ってて当たり前でしょうが、ふと考えるとこうして現在中国国内で普及が進んでいるものは、作っている現場は中国でも元々はすべて外国製なのではという考えがもたげました。自動車然り、携帯電話然り、マクドナルド然り、新幹線という高速鉄道は名前もそのままなのに「自分達で頑張って作りました」と言ってますが実際には日本の技術の流用だそうです。

 中国は今年、GDPで日本を追い抜きアメリカに次いで世界二位になることがほぼ確実視されていますが、世界二位の経済大国にも関わらず中国が独自に世界に発信した文化、サービス、規格となるとほぼ皆無なのが現状です。この傾向については私が記憶している限り五年前から中国国内の学者は今の中国の経済成長と日本の高度経済成長期を比較し、「当時の日本にはすでにトヨタやソニーといった世界に通用するブランドがあったにもかかわらず、中国には未だにそのようなブランドが存在しない」と問題視していましたが、それから五年経った今においてもこの点には一向に改善が見られません。
 企業ブランドで言えば一昨年のリーマンショック以降は吉利自動車がボルボを買収するなど、中国企業は主に海外の自動車系ブランドの買収は手広く行いましたが少なくとも現時点においてはまだそれら買収したブランドが有効に機能しているとは思えません。IBMのパソコン部門を買収したレノボは知名度アップに見事成功したとは思うけど。

 元々中国の企業はかねてから品質トラブルを抱える事が多いので、私みたいに中国と深く関わっている人間でなければあまり企業名までは覚えてもらえないのが常です。そうした企業ブランドの低さに加え、私がもう一つ問題視しているのは中国独自の技術や規格こと、「チャイナスタンダード」の欠如です。

 いきなりチャイナスタンダードといっても、恐らく大半の人は見慣れない言葉に戸惑うかと思います。この言葉の意味は文字通りに「中国規格」で、細かい所までとなると話は別ですが、今現在で中国で流通している商品やサービスにおいて中国独自の規格があるかといえばほぼ皆無なのが実情です。
 考えてもみてください。今現在で中国発の独自な文化やサービス、技術を挙げろと言われてすぐに挙げられる日本人はほとんどいないと思います。実際に他の人より中国に関わる事の多い私ですらこの質問は難問で、強いてあげるならば有人宇宙開発だけは結構頑張っていると思いますがそれ以外となると結局は他国の下請け製造のみで、むしろこの点では半導体製造や韓流ドラマなどを持つ韓国の方が上手です。

 結局の所、中国は以前から問題視されながらも世界に通用されるような独自規格を全く作れず、他国の完成した製品、もしくはサービスを受け入れているだけで、世界の工場といわれながらも製造している製品は他国のコピー止まりなのが現状です。
 断言してもいいですが、今後十年の間はチャイナスタンダードがグローバルスタンダードになることはありえないでしょう。中国は人口も多くて市場も大きいだけに、携帯電話の電波方式など自国でその商品なりサービスの形態を普及させる事で他国の企業を従わせやすいように思えるのですが、不思議な事に今もってそのようなグローバルスタンダードと呼べるような規格を作る事が出来ずにおり、その原因はほかならぬ中国人自身にあると思います。

 それにひきかえ日本はというと、よく携帯電話機の規格などでガラパゴス化しているなどと言われていますが、陰に隠れてちゃっかりと国際規格をいろいろ作っているとこのところ感じます。その一番の代表例はソニー連合のブルーレイディスクで、最初はあーだこーだいいながらも今じゃすっかり世界各国の映像記録媒体として定着していますし、それに合わせて再生機の規格も物にしてます。そのほか鉄道においては言わずもがなの新幹線、特に今度はありえない長距離をリニアモーターカーで結ぶというのですからその技術の高さは素人ながら恐れ深く感じるほどです。

 以上のような考察から私は、中国はまだしばらくは内需喚起で経済成長を確実に続けるものの世界第二位の経済大国と呼ぶにはあまりにも発信力、技術力が低いため、ある日突然に成長を止めることになると予想します。しかもそのブレーキの反動は恐らく日本のバブル崩壊時以上で、かつてヨーロッパ、日本が歩んだ通りかそれ以上の冬が来ると思います。

 かつて日本はアメリカなどから「人まねザル」などと言われた時代がありましたが、その時代にあってもカシオの計算機やマツダのロータリーエンジン、テレビアニメーションなどといった技術や文化を独自に生み出していました。しかし中国には、私の不勉強によるものかもしれませんが未だにそのような技術や文化はなく、むしろ独自性の強かった香港映画がハリウッド映画に成り下がった始末です。
 よく中国関係の仕事をしている人から聞く話に、日本はたくさん独自の技術や文化を持っているにもかかわらずそれを全く活用しようとせずに自国の経済を卑下する、という話がありますが、中国からの視点で見ると私も同じように感じます。日本の将来がダメだと悲観する事は簡単ですが、時と場合によってはまだ余裕がある人間の自己卑下にしか見えない時もあります。

2010年11月24日水曜日

中国から見た日本の若者の状況

 今現在、今後の日本の景気について聞けばサラリーマンはもとより評論家らも異口同音に不況で先行きは暗いという見通しを話します。私自身もつい先日までそのように考えていたのですが、先日に中国にしばらく滞在して新ためて日本を外から見るのと、中国を中から見て以前とはやや違った考え方を持つようにこのところなってきています。結論を先に述べると私は日本人が将来を悲嘆しているのは甘えもいいところで、まだ随分余裕を持て余しているようにしか現在は考えていません。

 上海に滞在中、街中を歩いているとそれまであまり気にしていませんでしたがふとあるレストランの入り口に掲げられていた看板に目を留めてみたところ、ちょっと気になる数字が書いてありました。

「ホールスタッフ募集 月給2,000元」

 もちろんオリジナルは中国語で、「招聘洗碗工 RMB2,000」と書かれていましたが、改めてこの数字を見てみると日中での為替格差と生活の差をまざまざと見せ付けられました。この2000元という数字、現在の日本円は円高の影響もあって1元=12円ですがそれで計算すると、その上海にあるレストランではホールスタッフの給与は24,000円という事が分かります。

 日本円で月給24,000円だととてもじゃないですが暮らしていくには厳しい額ですが、中国ならば物価も安くてそれ程でもないのではと皆さん思われるでしょう。確かに中国の物価は日本と比べて非常に安く、コーラなどは1缶2元(24円)、食事も10元(120円)も払えばチャーハンなりラーメンなりそこそこ食べることが出来ます。ただこうした費用が安いからといって他のも何でもかんでも安いわけではなく、これは中国人の友人にも確認しましたが上海市内で部屋を借りる場合はどんなに狭くとも2000元以上は必ず取られるそうで、その他の細かい生活費用も上海では日本並みに取られる事も少なくありません。
 となると家賃が2000元では先ほどのホールスタッフは月収を丸ごと大家に取られる事になり普通では生活できません。ではそんなホールスタッフの募集に応じる、主に田舎から出稼ぎにやってきた若者らはどうやって生活するのかと言うと、大抵は一つの狭い部屋を数人で一緒に借りて共同生活をして働き続けるのです。

 念のため言っておきますが、上海は中国で最も物価が高い地域である一方で最も給料の高い地域です。確かに地方によって細かい事情は変わってくると思いますが大抵の都市部では多かれ少なかれこのような状況で、元からその土地に住んで定住している人間ならともかく、出稼ぎに来た若者らは数人で共同生活をしながらわずかに残った給料を貯めて地方に送る事でぎりぎりの生活を続けています。
 こうした中国の苦しい状況は田舎出身の若者に限らず、大卒の若者ですらも当てはまるのではないかと現在私は睨んでいます。細かくまだ確認が済んでいなく企業ごとにも違うでしょうが、私の予想だと中国のホワイトカラー職の大卒初任給は約5,000元前後で、しかも最近は日本同様に大卒の就職状況が悪いために卒業したにもかかわらず職にあぶれる若者が後を絶ちません。

 翻って日本の状況ですが、就職氷河期を越えるほどの低い率で戦後最低を更新するほど昨年度の大卒内定率は悪かった物の、地方ならばともかく東京や大阪といった都市部であれば20代ならばまだアルバイトで働く事は可能だと思います。仮にアルバイトの身分で正社員同様にフルタイムで働けば月収20万円を稼ぐ事も難しくなく、この収入であれば部屋を借りて一人で生活することも不可能ではないでしょう。
 もちろん日本の雇用慣行上、新卒で就職できなければその後もずっと就職の機会がない、アルバイトでは雇用経験として認められない上にスキルが身につかない、三十代になればアルバイトもし辛くなるため、この低い内定率の状況を私も問題視しており早く対策を打つべきだと考えてはいますが、それでも中国の若者(大卒高卒を含めて)の状況と比べるならばまだまだ日本の若者は恵まれた環境にあると思います。厳しいことを言えば、たとえ就職にあぶれたとしても日本の若者ならばアルバイトをしながらお金を貯め、ある程度溜まった所で資格の勉強をしてスキルアップに繋げてその状況から抜け出す可能性もありますが、中国の若者にはそんな可能性すらありません。

 よく中国は上り調子、景気がいいとあちこちで言われていますが、そこで生活する人間達のミクロな生活を比較すれば今の日本人はまだ遥かに恵まれており、これで「日本の将来は暗い」、「一度チャンスを逃したらもう立ち直れない」などと言うのはどこか浮世離れした感が私にあります。

 もちろん言うは安しで行なうは難しの如く、実際に厳しい状況に置かれた事のない私がこんな事を言うべきではないのかもしれませんが、それでも敢えてこのように文章にして主張したのは自分を含む今の日本の若者に必要以上に世間の暗い雰囲気を真に受けるなと言いたいからです。
 たとえ正社員になれなくともまだ生きていける、生活できる、おまけに今はデフレで安い金額でそこそこ娯楽も楽しめる。将来が厳しいと予想されるとしても必要以上に暗くなる必要はありません。これは多分、近年中国に行ったことのある人なら皆わかると思いますが、日本の若者と比べて中国の若者は実に明るい表情を皆でしています(北方の人はあまり笑わないけど)。将来性はともかく現行の生活状況は中国の若者の方が明らかに苦しいにもかかわらず、彼らはまだ若者らしいと言ってはなんですが明るい表情で楽しそうに暮らしています。

 将来を懸念する事、対策を作る事は非常に大事ですが、そのために今現在を無駄に台無しにしては意味がありません。日々のニュースや年配の世代が暗い事ばかり言っているからといって真に受けず、まだ日本は頑張れば先進国の生活を送れるのだと考えてもっと前向きになってくれればと、一人の若者として切に願います。

 次回はもうちょっとマクロな日中経済比較を行います。そこそこ自信のある内容を用意してます。

プレステVSサターンの次世代機争い

 先日、中国人の友人と日本のゲームの話をした際、日本でもあったプレイステーションとセガサターンの次世代機争いが中国でもあったという話を聞いたので、あの時代をリアルに生きていた一人として後世に歴史を語り継ぐために今日はこの次世代機争いについて書こうと思います。

ソニープレイステーション
セガサターン

 上記二機種のゲームハードはほぼ時を同じく1994年の年末に発売し、当時スーパーファミコン全盛だった時代に次世代の主要ゲームハードの座を賭して激しく争いました。発売当時の私は小学生でしたがゲーム屋、電気屋に置かれた試遊台にて両者のゲーム画面を見てそのグラフィックの良さに驚いたのをよく覚えています。

 まず簡単に発売当時の状況を説明すると、当時は持たないものは小学生男子にあらずと言われるまでに普及していたスーパーファミコンでしたが発売から大分年数が経っていたこともあってゲームハードとしての機能に限界が徐々に見えていました。そんな次世代機が徐々にほしいなぁと思われていた矢先、日本ではともかく海外市場ではメガドライブというハードで成功を収めていたゲーム会社のセガが日本市場の奪還のためにセガサターンを開発して市場に投入したのですが、その一方で家電会社のイメージの強かったソニーが任天堂との共同開発を行っていたものの途中で破綻したCDドライブ型ゲームハードを独自に開発しており、そうして完成したプレイステーションを揃って投入しました。両者はどちらもクリスマスの年末商戦に合わせて発売したのですが発売当初の両者の値段はプレイステーションが39,800円、サターンが44,800円で、物の分からない小学生とはいえ親にねだるには高すぎるなぁと私は感じました(スーパーファミコンは最初、25,000円だった)

 そんな感じだったので発売当初は遊んでみたいと思うめぼしいソフトもなく、値段の高さと相まってどちらかといえば子供ではなく大人が遊ぶゲームハードなんだろうと思ってあまり欲しいと感じませんでした。ただ市場では物凄い綱引きがあった様で、どちらも赤字覚悟で再三の値下げ合戦を繰り広げてはスーパーファミコンから離脱するサードパーティことソフト開発メーカーの抱きかかえ合戦が行われていたそうです。

 ちなみに確証は持てない情報ですが当時の業界関係者によると、当時ほぼゲーム市場を独占していたスーパーファミコンでゲームを発売するに当たって任天堂がソフトメーカーに任天堂に支払うよう課していたロイヤリティことマージン率は異常に高かったらしく、メーカーらも任天堂と対抗する他社の新ハードの登場を待望していたそうです。実際にスーパーファミコンの後期発売ソフトは定価が9,000円台後半で当たり前、中には10,000円を越すのまであったので現在のソフトと比べても異常に高いものだとわかります。一説によると、定価の約半分が任天堂へのロイヤリティ分だったという噂まであるし。
 逆をいえばこうした殿様商売をやっていた隙を突かれたこともあってこの次世代機争いの途中に任天堂が発売した「Nintendo64」は普及が進まず、現在に至るまで据え置き機で任天堂は王座に帰り着くことが出来ずにいます。消費者としてはソフト価格が安くなって助かったんだけど。

 話は戻ってプレステとサターンの話です。そんなこんだで94年の年末に発売して95年からがっぷり四つになって販売争いが行われるようになったのですが、当初はサターンの方が優勢でプレステ側が「目指せ100万台」と言っている最中に先にサターンの方が100万台を達成したくらいでした。この要因を私なりに分析するとサターンは販売元がゲーム会社のセガなだけにゲームセンターに置いて認知度の高かった「バーチャファイター」など人気ゲームを早くに移植したが故だと考えています。また私見ながら初期プレステのソフトはサターンと比べるとやや子供っぽいというか、対象年齢の低いゲームが多いように思えてハード本体の値段が子供には手の出し辛い価格だった事を考えるとそうしたソフトの差がモロにでたとおもいます。
 ちなみに95年、うちの親父が取引先から騙したのか脅したのかは分かりませんが、日立製のHiサターンというサターンのちょっと変わった機種をもらってきたので、私はこの次世代機争いではサターン派に属しました。

 明けて96年、すでにサターンを持っていたことからバリバリのサタニストだった私ですが、この年の初期に初めてプレステユーザーがうらやましくなる事件がありました。それは何かと言うと、今もシリーズが続く「バイオハザード」の一作目がプレイステーションから三月に発売されたのです。元々ホラーゲームが好きだった私なだけにこのゲームは発売前から興味があり、どうしてサターンじゃできないんだと歯噛みするような思いで店頭に置かれたデモプレイを眺めていたのを覚えています。

 そしてこの頃から両者ゲームハードにおいて性能差が徐々にはっきりでるようになり、聞くところによると当初はサターンの方が高性能だったものの元の設計が当時主流になりつつあった3Dゲームにあまり向いておらず、逆にこの分野に強かったプレステがソフトメーカーに頼られるようになっていったそうです。さらに発売当初は気にならなかったものの、ゲームの途中経過を記憶するのにプレステでは別売りの「メモリーカード」といって外付けの端子媒体を使うのですが、サターンの場合は内蔵のメモリが初めからついていました。サターンはメモリが最初からついてあるからなにかと便利だと思ったら運の尽きでこのメモリは定期的に電池を交換しないと機能しなくなり、しかも電池を交換した際はそれまでのデータがすべてすっ飛ぶという優れもの、さらには電池交換のタイミングは全く確認できないという三拍子ものでした。この次のドリームキャストといい、セガは記憶媒体についてなにか考え方がイカれているとしか思えない。
 一応サターンにも外付けの大容量記憶媒体こと「パワーメモリー」があったのですが、これも最初はいいけど使い出して大体二年くらい経つとびっくりするくらいにハードが認識してくれなくなり、私もサターン本体を殴り壊さんばかりにこのパワーメモリーを外しては挿入してを繰り返した事が何度もあります。

 そういった元もとの性能の差に加え、両者とも徐々に描画機能や開発機能などに改造を行っていましたがこれもプレステの方が進んでいました。唯一プレステで問題だったと私が感じたのは、サターンと違ってテレビなどとの接続端子がすぐに痛むところがありました。サターンは各部品ごとにメーカーがちがったもののプレステの場合はすべてソニー内の部品を使っていたためこうした細かい所ではサターンに軍配が上がります。とはいえ、プレステ2ではこういった接続不良はきれいさっぱりなくなったけど。

 そうして徐々にプレステが勢いづく中で最後の決定打となったのは96年の後半に発表された「ファイナルファンタジー7」がプレステから発売されるという一撃でした。まさに関ヶ原における小早川秀秋の裏切りのように、当時ブランドイメージとしてはゲーム会社中最強であったスクウェアのプレステへの参陣はサタニストの私も、「もはやこれまでか」と思わせられたほどでした。事実それからはどちらも持っていない子供はプレステを、サターンを持っている子供もプレステを買い漁る始末で、97年以降になるとサターンで発売されたゲームはセガ製以外はほぼすべてプレステに移植されるという、悲しい結果になりました。そんな下り坂まっさかさまの時代にあってサターンの最後を輝かせたゲームソフトをいくつか挙げると、

・街(チュンソフト)
・スーパーロボット大戦F(バンプレスト)
・ブラックマトリクス(NEC)

 私の記憶が確かなら、最後の「ブラックマトリクス」が他のゲームハードのソフトも入った週間売上げランキングにてサターンソフトでありながら一位になった最後のゲームだったと思います。まぁ三つとも、後にプレステに移植されているけど。

 このサターンとプレステの争いからもう十年以上経ちますが、その後も「プレイステーション2 VS X-box」や「プレイステーション2 VS ゲームキューブ」、「プレイステーション3 VS X-box360」、「Nintendo DS VS PSP」などと一応ハード争いを見ることはありますが、この時のハード争いほど熾烈なものは私は未だ見たことはありません。96年まではカプコンを筆頭に片っ方でゲーム出してもしばらくすればすぐもう片っ方に移植されて当たり前でしたし、他メディアとのタイアップも全然勢いが違いました。

 その上でサターンの敗因を私なりに言わせてもらうと、やっぱりセガの販売戦略が根本からおかしかったと言わざるを得ません。前ハードのメガドライブで人気だったソニックシリーズをなかなか出そうとしなかったり、小中学生には敷居の高い「大戦略」などといった戦略シミュレーションばかりだしたり、挙句にキラーソフトである「バーチャファイター」が3D格闘ゲームなのにハード性能を2D描画に偏らせるなど、言い方は悪いですが本気で売るつもりがあるのか疑問に感じるほど穴が多かったです。
 しかも残念なことにセガはこの次の「ドリームキャスト」でも大ポカを連続し、前述の記憶媒体では「ビジュアルメモリ」という、発売する前に誰か止めなかったのかと思うくらいの不良品を出してくる始末でした。この時期のセガはあの悪名高き「パソナルーム」を使って社員を退職に追い込むなど常軌の逸した行為をしており、末期だったんだろうなぁと個人的に思います。私もサタニストだっただけにセガを応援してたけど、「パソナルーム」のこと聞いてからはこの会社が大嫌いになりました。

  おまけ
 ちなみに私の中国人の友人は、「鉄拳(プレステ)かバーチャファイター(サターン)かで悩んだけど、僕は鉄拳を取ったよ」と言ってました。鉄拳も面白いしね……。

2010年11月23日火曜日

新聞を読まなくなったのはネットニュースのせいか

 別に隠すほどの事ではないのでもう書いてしまいますが、先週の金曜から日曜まで関西に赴き、お世話になったかたがたに中国へ行く前の挨拶回りに行っていました。夜行バスで行ったけど、自分が学生だった頃より本数が多くなったと思う。

 それはさておき今回の挨拶回りの最中に以前の恩師から誘いがあり、京都某所で行われた研究報告会にも参加してきました。報告会のテーマは今時の大学生ということで各専門の先生がそれぞれのまとめた内容を報告し合っていろいろと面白く、取り上げられたデータの中から面白かったのをいくつか抜粋すると、

・下宿生の支出は食費や娯楽費などほぼすべて下がっている中、家賃代だけは上がっている
・仕送りが減る一方、アルバイト収入も減少傾向
・一日一時間以上授業以外の自主勉強、読書を行えば統計上勉強している方になってしまう
・就職活動に苦しむのに男女ではあまり差がなく、どちらも真面目なタイプが苦労している

 ざっとこんなものなのですが、敢えて大きく取り上げようと思うのにこの記事の題となっている新聞とネットニュースの関連の研究報告でした。結果を先に言うとよく、「インターネットでニュースを見る習慣ができたので、新聞は読まれなくなった」と言われつつも実際に学生を調査してみたらインターネットでニュースを良く見る人ほど新聞も読む人が多くなったという内容で、私の感想を述べるとまぁそうだろうなと気がしたわけです。

 私自身も他の人間より人一倍ネットでニュースを見ますが新聞もほぼ毎日読んでて、購読ということになると学生時代はお金が惜しくて取りませんでしたがそのかわりに図書館や喫茶店でこれまたほぼ毎日チェックしていました。よく広告業の企業に勤めている人から最近はネットのせいで誰も新聞を読まなくなったという愚痴を聞きますが、確かにネットの影響は少なくないまでも今回のデータ報告といい、私は日本で新聞が読まれなくなっている本質はネットというより基礎学力の低下が原因ではないかと今回感じたわけです。

 日本にいるとあまり気がつきませんが、他国と比べると日本は相当な活字大国です。日本人全員が難しい漢字交じりの文章を読める識字率の高さはもとより多種多様な本が毎日出版され、そこそこの世帯では毎日新聞が配達されるなどということは他の国ではまず考えられません。他国で滞在した経験がある方なら分かるでしょうが他の国では本の紙質も悪ければ日本みたいに娯楽関係の書籍は異常に少なく(中国はビジネス書ばかり)、本を読むのは知識人くらいで本屋という店の形態もどことなく日本とは違っています。言ってしまえばこうしたブログが成立するのも日本人が活字を読むことに抵抗がなく、ユーザーが多いが故に草の根でも通用するからだと言えるでしょう。

 そんな日本はこのところ出版不況だと各所で騒がれていますが、それを推しても未だに日本は読書大国だと私は言い切れます。ただ以前の水準からは落ちているのは事実でそれがこのところの新聞購読者の低下にもつながっており、その主原因はネットだと言われているもののそれについてはかねてから反論もあり、私自身もネットでニュースは見るが新聞も見るのでなかなか腑に落ちていませんでした。
 そんなところへ上記の報告があったわけですが、結論を述べると私はネットでニュースを見るようになったのも全く影響がないわけじゃないもののそもそも新聞を読む人間が減った、言い換えるならば新聞を読むほど知識や好奇心を持つ人間が減ったのが原因じゃないかと思うわけです。

 日本の基礎教育力の低下はあちこちでも言われており、私も先日二年下の大卒の女の子から「チェルノブイリってなんですか?(´・д・`)」と言われてリアルに焦った経験がありますが、やはり私の目から見て勉強している人はネットだろうが新聞だろうがとにもかくにもニュースに対して貪欲であるのに対し興味のない人はネットニュースも新聞も読んでない気がします。荘考えるとネットニュースの配信が新聞の購読者を減らしたというより、日本の人口減もありますがそれまでの日本の基礎知識レベルの低下が主原因ではないかと感じるようになりました。

 基礎教育というとあまりイメージがしにくいですが、私なんか先日中国へ行ってこういったものが非常に大事なんだと思うようになりました。前にも書いた自動改札、券売機が使えない中国人といい、基礎教育レベルが高ければ当たり前に使える技術もレベルが下がって使えないということも十分に考えられ、今後日本も本というものは勉強する人しか読まないものになってしまうかもしれません。読書離れをどう防ぐかではなく基礎教育をどうするかという点に新聞社は着目すべきというのが、今日のまとめです。

2010年11月22日月曜日

中国で転職するには

 またしばらく家を空けていたので久々の更新となってしまいました。やる気はあるからまたばりばり書くぞ。
 あと今日からカテゴリーに新たに「中国のはなし( `ハ´)」を追加しました。今日の記事といい、これから中国の事もいろいろ書くので独立したカテゴリーを設けて臨もうと思います。

 すでに過去の記事でも書いていますが、先日私は日本で勤めていた会社を辞めて中国の企業に就職しました。現在私は中国での就労ビザの発行を待っている段階ですが今後中国での転職を考える方に対してなにかしら参考になるかもしれない、もとい検索に引っかかってアクセスが増えるように、今日はどうすれば中国の企業に転職できるのか私の経験を簡単に説明しようと思います。

 海外転職というと難しいのではと構えてしまう方が多いかも知れませんが、少なくとも今現在の中国に私のように日系企業への転職であれば不況真っ只中の日本よりは転職がし易いかと思います。ほかにも方法はあるでしょうが私は今回の転職にはオーソドックスな人材会社を通して探すというやり方を行いましたが、人材会社への登録はともかく本格的に企業を捜して大体二週間で無事就職先を決めております。

 具体的な流れはというと、まずはなんといっても人材会社への登録です。人材会社はいろいろありますがそれぞれ得意とする業種や分野があり、あらかじめ自分の目的に合った人材会社を選ぶ事をお勧めします。私の場合は中国で勤務する事が最大条件だったので海外転職を専門とする「パソナグローバル」と「テンプスタッフ上海」に登録して活動を行いましたが、両社とも担当者は中国での就労経験を持つ方だったので相談を含め非常に懇切丁寧に対応してもらえました。

 人材会社に登録すると登録時に作った条件に照らして担当者の方から募集企業の紹介があり、求職者はその紹介される企業の中から面接を受けたい企業を連絡し、担当者に面接の可否を企業側に尋ねてOKが出れば面接日時を設定してもらいます。
 私の場合は中国の滞在予定を作った上で担当者に相談し、その滞在日程の中で条件に合う募集企業の面接日程を作ってもらいました。こうした海外転職(現地採用)の場合は当然ですが面接は現地で行われるため該当する国に直接足を運ぶ必要があり、私のように会社を辞めて一ヶ月くらいの滞在をしながら捜す人もいますが元の企業に止まったまま、有休などを使用して現地での面接日にだけ渡航して面接を受けるという、働きながら転職先を捜す人もいるそうです。

 そうやって中国での面接日程を決めると、後は指定された日時に会社を訪問して面接を受けるだけです。私が受けたのは主に日系企業だったので面接担当者は皆日本語が上手な人で特に中国語で志望動機などを語る必要もなく、ざっくばらんな面接で控えめに言っても楽しかったです。
 面接後は日本での転職同様に人材会社から結果を聞くのですが、この結果の連絡は日本企業と比べて中国の企業は日系でも非常に早いです。私が受けた会社はどこもその当日中、もしくは次の日にすぐ合否の連絡があり、わざわざビザまで取って一ヶ月の滞在予定を立てましたが結果から言えば訪中から一週間で就職先が決まったほどです。そういう意味では無理して会社を辞めてから捜さなくても良かったような気がします。これはこれで手続き上は楽でいいんだけど

 ではそうした就職先の捜し方は置いといて、具体的に中国で仕事を捜すには何をしておけばいいかということを私の経験から話します。
 まず必要なのは中国語の技術で、日系企業で日本人を相手にするにしても生活する場が中国なだけに中国語はできるに越した事はありません。ただ本当に日本人ネイティブであれば誰でもいいという募集企業もあるので中国語が出来なくとも捜せない事はありませんが、中国語のハンデは給料にも反映されますし、中国に語学留学するのはそれ程難しくもなくお金もかからないため、中国語ができないなら現地で学校に入って勉強しながら捜す方がいいと私は思います。

 そうした語学以外に必要となってくるのはちょこっと意外かもしれませんが大学の卒業証書、あとすでに退職しているのであれば離職票です。というのも最近の中国は職にあぶれた日本人が私以外にも結構やってきているそうで、中国当局も以前と違ってこの頃は就労ビザの発行審査が厳しくなっているようです。実際に私が人材会社から受けた説明によると、以下の様な書類や履歴の有無を確認してくるそうです。

・中国語の成績書(HSKや中国語検定の証明書、留学中の成績書など)
・四年制大学の卒業証書
・無職である事の証明書(離職票)
・日本での勤務実績(約二年以上)

 私は全く意識してなかったのですが、中国でも最近は大卒の就職事情が悪いために勤務経験のない外国人には就労ビザがなかなか下りなくなってきているそうで、私のように日本で働いた経験があるとないとで結構扱いが変わるそうです。余談ですが日本食、それも寿司職人の場合だとどこも人材が不足しているため、どの国でもほぼ無条件でビザがもらえるらしいです。
 就労ビザは現地の当局に採用する企業が必要な書類(病院での健康診断書を含む)を提出し、地方にもよりますが提出から約一ヶ月ほど登録に必要な書類が採用先に届けられ、求職者はその書類を持って日本の中国大使館、領事館へ赴き、就労ビザの発行を受けるそうです。

 オチらしいオチがありませんが、中国への転職ですと人材会社に相談すれば結構スムーズに出来るという事が私の言いたい内容です。私自身が質問に答えてもいいですが、もしなにか中国での転職で聞きたいことがあれば人材会社に聞くのが一番かと思います。
 最後に昨今の日本人の中国転職状況を人に聞いた範囲で説明すると、上海万博が終わった事で以前より男性性社員の募集が減っていて、事務などの女性社員の募集が増えているそうです。先日の尖閣諸島沖の衝突事故の影響で日系企業は中国のカントリーリスクを持つようになった、撤退が相次いでいるという報道が日本でよくなされていますが、カントリーリスクはともかく撤退はそれほど行われているようには思えません。ですが以前ほどの水準となるとやや目減りしているのは事実です。その一方で依然と工程管理や技術開発などの経験者の募集は広く行われており、理系技術者については中国語が出来なくとも高い給料の仕事は保証されているように見えます。