今日事務所内で作業をしていたところ、どこかから迷い込んできた蜂が窓から入ってきました。さすがにハエ程度であれば誰も気にしませんが蜂ともなるとそうもいかず、誰かどうにかしろとみんなで言い合って最終的には私が新聞で叩き落としたのですが、飛んでいる蜂を叩いたものですから致命傷を与えることは出来ず地面に落ちた蜂は再び飛ばないもののまだ動いていました。そこで止めとばかりに二、三回続けて新聞で叩きましたがそれでもなお蜂は生き続け、それこそ上に新聞を置いて踏み潰しでもすれば一発だったでしょうがどうにもそうした気分にはなれず、散々叩いておきながら最終的には新聞にのっけて外に放り投げました。もしかしたらその後アリにでも食べられたのかもしれませんが、後でその場所に来てみると蜂の姿はありませんでした。
仮に事務所内に殺虫剤があれば、私は迷うことなく蜂を殺虫していたと思います。私がとどめをためらったのは新聞紙で直接叩き殺そうとしたということにほかなりません。私が何故新聞紙で直接叩き殺せなかったのは思い切り叩いて地面や壁に変にこびりついたら嫌だと感じたのと、もはや飛ぶ力もないのに止めを刺すべきなのかと憐憫を感じたからです。もちろんそんなの私の勝手な感情といえばそれまでですが、殺虫剤だったら躊躇なく殺せるだろうと考えるとなんだか奇妙な感じがしました。
殺虫剤であれば確かに破片がこびりついたり飛んだりすることなく殺すことが出来ますが、それ以上に変な言い方をするとごくごくスマートに、自分の手を汚さない感じで殺せるからこそ躊躇を覚えないのだと思います。敢えて例えて言うのであれば人間を金属バットで叩き殺すのと拳銃で撃ち殺すのとでは抵抗感が異なるようなものだと考えています。
随分と不謹慎な言い方が続きますが、やはり銃で人を殺すのは殺虫剤で虫を殺すように自分の手をほとんど汚さず、スマートに殺せる手段だと思います。それゆえに鈍器や刃物を使って殺すのとでは抵抗感が非常に低く、仮に手元にあればちょっとした感情で使用して間違いを犯してしまう確率も高い気がします。アメリカ最大のロビー団体である全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだ」というスローガンの下に銃の普及を訴えていますが、私はこれは完全にとは言わないまでもやはり間違いであり、銃が人を殺人に誘い込むのだと思います。
そういう意味で変な間違いを起こさないようにするためには、身近なところに凶器となりうる余計なものは置かないに越したことはないと思います。それこそ90年代後半に一時流行ったバタフライナイフなどは仕事で使う人以外であれば以ってのほかで、使わないのであれば持たない方がその人にとっても周りにとってもよいのではないかと考えています。
ちなみに私は生来の虫嫌いで見るのも触るのも嫌で、夏休みの昆虫採集なんて誰が考えたんだって言いたい位に毛嫌いしていました。たださすがに一人暮らしの経験を積んだことでゴキブリについては平気で靴で踏み潰す程度のことは出来るようになったのですが、先週にまた移った部屋はそれまでの手入れがあまりされていなかったためかゴキブリが大量に潜んでおりました。ちょうど使うこともあるだろうと思って日本から持ってきていたホウ酸団子を播いて現在対応中ですが、仕事が終わって帰宅するたびに毎夜あちこちにゴキブリの死骸が転がっているのを見て、気分的にはFF6のケフカになったような気がしました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年4月15日金曜日
2011年4月14日木曜日
歴史が逆転する時
このところ毎晩上司に夕食をおごってもらっている関係でなかなかブログを書く時間がありません。あとどうでもいいですが、OSが中国仕様なのが影響しているのかどうも文章書いてて漢字の変換が妙な具合に反映されます。
そういうわけで困った時の歴史ネタですが、以前に聞いた話でもしかしたら陽月秘話時代にも書いているかもしれませんが、20世紀後半にヨーロッパで酸性雨が問題となった時期、ヨーロッパの各地では彫像や建築物が雨によって溶ける現象が続発していました。現在では大分改善されてそういったことはほとんどなくなってはいるのですが、そういった時期を過ごしているにもかかわらず観光地になっているような古代ギリシャに作られたような神殿などは一切溶けることはなく、往年のその姿を保ち続けていました。これは一体何故かと言うと、実は古代ギリシャの建築に使われたコンクリートの製造技術は非常に高く、それこそ二十世紀末になるまで同等の品質のコンクリートを作ることが出来なかったそうです。
現代の生活をしているとパソコンを始めとして技術や製法というものは後の時代になればなるほど優れたものになると思いがちですが、実際の歴史を見るとこのコンクリートの例のように往々にして過去の技術が上回る、というより技術が時代とともに後退するということが起こっています。同じく古代ギリシャを例に取ると数学は次のローマ帝国時代には早くも後退し、十七世紀くらいになるまで追いつくことはありませんでした。
日本だと職人芸がよく失われることが多く、代表的な例だと戦艦大和は現代のどんな技術を要しても再現することは不可能と言われております。何でも大和の装甲は溶接でもリベット止めでもなく、プラモデルのように何トンもある装甲同士に数ミリ単位の凹凸を設けて、それらを噛み合わせてつなげていたそうです。木や紙ならともかく、削ったり曲げたりすることの出来ない鋼鉄でよくそんな芸当が出来たものだとつくづく戦前の日本には感心させられます。
これは社会主義の人間に多いですが、進歩主義と言って歴史というのは下っていくにつれて後退することなくどんどん良くなるという思想がありますが、私はこれは根本的に間違っていると考えております。知識や技術というものは本当にちょっとしたことで簡単に失われる可能性があり、それこそ発展させるだけでなく維持するということ自体も本当は大変な作業だと思います。東洋では「温故知新」という言葉を筆頭に比較的過去を省みる思想が多く、儒教に至っては紀元前十世紀の周の時代が最も良い時代で、いかにしてその時代に戻るかということが追求されるほどの徹底っぷりです。まぁそのせいで十九世紀はごたごたしたんだけど。
そういうわけで困った時の歴史ネタですが、以前に聞いた話でもしかしたら陽月秘話時代にも書いているかもしれませんが、20世紀後半にヨーロッパで酸性雨が問題となった時期、ヨーロッパの各地では彫像や建築物が雨によって溶ける現象が続発していました。現在では大分改善されてそういったことはほとんどなくなってはいるのですが、そういった時期を過ごしているにもかかわらず観光地になっているような古代ギリシャに作られたような神殿などは一切溶けることはなく、往年のその姿を保ち続けていました。これは一体何故かと言うと、実は古代ギリシャの建築に使われたコンクリートの製造技術は非常に高く、それこそ二十世紀末になるまで同等の品質のコンクリートを作ることが出来なかったそうです。
現代の生活をしているとパソコンを始めとして技術や製法というものは後の時代になればなるほど優れたものになると思いがちですが、実際の歴史を見るとこのコンクリートの例のように往々にして過去の技術が上回る、というより技術が時代とともに後退するということが起こっています。同じく古代ギリシャを例に取ると数学は次のローマ帝国時代には早くも後退し、十七世紀くらいになるまで追いつくことはありませんでした。
日本だと職人芸がよく失われることが多く、代表的な例だと戦艦大和は現代のどんな技術を要しても再現することは不可能と言われております。何でも大和の装甲は溶接でもリベット止めでもなく、プラモデルのように何トンもある装甲同士に数ミリ単位の凹凸を設けて、それらを噛み合わせてつなげていたそうです。木や紙ならともかく、削ったり曲げたりすることの出来ない鋼鉄でよくそんな芸当が出来たものだとつくづく戦前の日本には感心させられます。
これは社会主義の人間に多いですが、進歩主義と言って歴史というのは下っていくにつれて後退することなくどんどん良くなるという思想がありますが、私はこれは根本的に間違っていると考えております。知識や技術というものは本当にちょっとしたことで簡単に失われる可能性があり、それこそ発展させるだけでなく維持するということ自体も本当は大変な作業だと思います。東洋では「温故知新」という言葉を筆頭に比較的過去を省みる思想が多く、儒教に至っては紀元前十世紀の周の時代が最も良い時代で、いかにしてその時代に戻るかということが追求されるほどの徹底っぷりです。まぁそのせいで十九世紀はごたごたしたんだけど。
2011年4月12日火曜日
電子書籍について
昨年からタブレット型PCが相次いで発売されたことを受けて、日本の出版社らもようやく重い腰を上げて徐々にですが電子書籍販売に手を出すようになって来ました。ただ売れ行きはどうかというと元々の書籍離れもあり、今のところ目立って売り上げが伸びているという話はまだ聞きません。
そんな電子書籍ですが、はっきり言って日本にいた頃は私はそれほど興味がありませんでした。一度Sophieさんに小説をでも書いて電子出版で公開してみたらと誘われてひとつ手を出してみようかと考えた時期もありましたが、あいにくこちらのブログばかり書いてて小説まで手が回らず、結局お流れになってしまってます。
私がそれほど電子書籍に興味が持てなかったのは、まず単純にタブレット型PCはおろかスマートフォンすらまだ持ったことがなく、なんとなく画面で書籍を読むということに抵抗があったということと、まだ書籍の形で手に取ったほうが見やすいのではないかという理由からでした。ただ新聞などニュース記事であればすでにパソコンで見るのが主流となりつつあるので、こういったものが整備されてきたあたりにでも手を出そうかという風に考えてました。
しかしここにきて、少し事情が変わったというか電子書籍に本気で手を出そうかと検討し始めております。というのも海外に滞在していると日本の書籍を購入するのも一苦労で、電子書籍であればこちらでも見ることが出来るのではないかと考えたからです。具体的に検討しているのは日本にいた頃に購読していた文芸春秋で、ちょうど今年に入ってから電子書籍での配信を始めたと聞いたのでこの際契約して、こっちで読んでしまおうかと検討しているのですが、さすがにあれだけの分少量をモニタで見るというのもちょっと気が引けるところもありまだ契約に至れずにいます。また文芸春秋のような字がびっしりの雑誌とまでいかずとも、漫画雑誌や単行本の電子配信が出ているのであればそれらを契約するのいいかもしれません。
案外日本にいたときは気がつきませんでした、日本の書籍が手に入り辛い海外ではこうした電子書籍の存在は思った以上にでかいです。それこそ日本人が今以上に海外に出るようになればもっと需要が伸びるかもしれませんし、また日本人向けでなくとも海外の漫画ファンらに翻訳版をリアルタイムで配信するというのもありかもしれません。もっともそれは違法なところがすでにやってるでしょうが。
そんな電子書籍ですが、はっきり言って日本にいた頃は私はそれほど興味がありませんでした。一度Sophieさんに小説をでも書いて電子出版で公開してみたらと誘われてひとつ手を出してみようかと考えた時期もありましたが、あいにくこちらのブログばかり書いてて小説まで手が回らず、結局お流れになってしまってます。
私がそれほど電子書籍に興味が持てなかったのは、まず単純にタブレット型PCはおろかスマートフォンすらまだ持ったことがなく、なんとなく画面で書籍を読むということに抵抗があったということと、まだ書籍の形で手に取ったほうが見やすいのではないかという理由からでした。ただ新聞などニュース記事であればすでにパソコンで見るのが主流となりつつあるので、こういったものが整備されてきたあたりにでも手を出そうかという風に考えてました。
しかしここにきて、少し事情が変わったというか電子書籍に本気で手を出そうかと検討し始めております。というのも海外に滞在していると日本の書籍を購入するのも一苦労で、電子書籍であればこちらでも見ることが出来るのではないかと考えたからです。具体的に検討しているのは日本にいた頃に購読していた文芸春秋で、ちょうど今年に入ってから電子書籍での配信を始めたと聞いたのでこの際契約して、こっちで読んでしまおうかと検討しているのですが、さすがにあれだけの分少量をモニタで見るというのもちょっと気が引けるところもありまだ契約に至れずにいます。また文芸春秋のような字がびっしりの雑誌とまでいかずとも、漫画雑誌や単行本の電子配信が出ているのであればそれらを契約するのいいかもしれません。
案外日本にいたときは気がつきませんでした、日本の書籍が手に入り辛い海外ではこうした電子書籍の存在は思った以上にでかいです。それこそ日本人が今以上に海外に出るようになればもっと需要が伸びるかもしれませんし、また日本人向けでなくとも海外の漫画ファンらに翻訳版をリアルタイムで配信するというのもありかもしれません。もっともそれは違法なところがすでにやってるでしょうが。
2011年4月9日土曜日
徳川家光の姉の話
敢えて趣向を凝らしたタイトルにしましたが、徳川家光の姉と聞いてとっさに誰だかわかる人はそう多くないと思います。これは冷静に考えれば難しくはないのですが、家光の姉とはほかならぬ、豊臣秀頼の正室であった千姫です。
・千姫(Wikipedia)
千姫というと徳川家の豊臣家の間を取り持つためにわずか七歳にして豊臣秀頼と結婚し、その後婚姻を取り結んだ張本人である実の父と祖父によって嫁ぎ先の豊臣家が滅ぼされてしまうなど運命に翻弄された女性というイメージがもたれているかと思います。実際に戦国時代を通して見ても淀君などにも劣らない波乱万丈振りでありますが、豊臣家崩壊後の千姫の人生については語られることはそれほど多くありません。
大阪夏の陣後、千姫は一旦は両親のいる江戸の元へ身を寄せるのですが、この際に秀頼とその側室から生まれた奈阿姫の助命に奔走しております。奈阿姫は豊臣家の血縁ということで当初は処刑するべきという声が強かったのですが、この時に千姫は奈阿姫を自分の養子にし、文字通り身を挺してその命を守ろうとしました。ちなみにこの時船姫は十八歳、奈阿姫は六歳です。最終的にはこの千姫らの努力が実って奈阿姫は助命が許されるのですが、その後奈阿姫は鎌倉の東慶寺に入り、この寺を女性の駆け込み寺こと縁切り寺として確立させます。
ちょっとこちらも合わせて説明すると、江戸時代は夫婦間での離婚決定権は男性にしかなく、女性はたとえ夫にどれだけ不満があろうとも勝手に離婚することは許されておりませんでした。しかしそうした女性の救済策というか特例として、東慶寺をはじめとした幕府公認の縁切り寺に駆け込んで一定の修行期間を積めば女性の側から夫に離婚を突きつけることが許されていました。この制度の成立過程で奈阿姫は一定の役割を果たしたといわれております。
話は千姫に戻りますが、夏の陣から一年後に徳川四天王であった本田忠勝の孫の本田忠刻と再婚をします。再婚相手の忠刻とは仲が良かったそうですが残念なことに忠刻はわずか三十一歳で早世し、二回も夫に先立たれるという不幸を経験します。その後は本多家を出て江戸に再び出戻り、奈阿姫のいる東慶寺を支援するなどして過ごして七十歳で天寿を全うしております。
こうして経歴をざらっと見てみると実に興味深い人物で、性格についても奈阿姫の助命を行うなどさすがは家康の孫とも呼べるような毅然さです。七歳で輿入りして嫁ぎ先が滅んだことからフランスのマリー・アントワネットと重なるところもありますが、実際には豊臣家が滅んだ後の人生の方が後世への影響が強い点で大きく異なります。
私がこの千姫の後年の人生を知ったのはせがわまさき氏による「Y十M ~柳生忍法帖~」という漫画を読んだことがきっかけでしたが、千姫同様にこの漫画で取り上げられている会津騒動も今まであまり知らず、自らの不勉強を大いに恥じました。もっとも歴史に詳しい友人も知らなくて一緒に驚いたんだけど。
さらについでに書いておくと、この会津騒動で当初会津を治めていた加藤嘉明に始まる加藤家は減封の上の転封となり、代わりに治めることとなったのは秀忠が一生に一度の浮気で生んだ保科正之です。この保科正之に始まるのが会津松平家で、幕末期にはどの徳川親藩家よりも幕府再興に尽力するなど徳川家最大の藩屏として歴史に大きく名を残すこととなります。最後に止めとばかりにもうひとつ書いておくと、現在の徳川宗家当主の徳川恒孝氏はこの会津松平家出身で、Wikipediaにはこんな面白いエピソードが載せられております。
「日本郵船に勤務していた際、恒孝と加賀前田家18代当主前田利祐(現宮内庁委嘱掌典)は、一時期、本社の同じ部署で勤務していたことがあり、その時の上司が『徳川と前田家の当主を使うのは太閤(豊臣秀吉)以来だろうな』と笑ったという話がある。」
・千姫(Wikipedia)
千姫というと徳川家の豊臣家の間を取り持つためにわずか七歳にして豊臣秀頼と結婚し、その後婚姻を取り結んだ張本人である実の父と祖父によって嫁ぎ先の豊臣家が滅ぼされてしまうなど運命に翻弄された女性というイメージがもたれているかと思います。実際に戦国時代を通して見ても淀君などにも劣らない波乱万丈振りでありますが、豊臣家崩壊後の千姫の人生については語られることはそれほど多くありません。
大阪夏の陣後、千姫は一旦は両親のいる江戸の元へ身を寄せるのですが、この際に秀頼とその側室から生まれた奈阿姫の助命に奔走しております。奈阿姫は豊臣家の血縁ということで当初は処刑するべきという声が強かったのですが、この時に千姫は奈阿姫を自分の養子にし、文字通り身を挺してその命を守ろうとしました。ちなみにこの時船姫は十八歳、奈阿姫は六歳です。最終的にはこの千姫らの努力が実って奈阿姫は助命が許されるのですが、その後奈阿姫は鎌倉の東慶寺に入り、この寺を女性の駆け込み寺こと縁切り寺として確立させます。
ちょっとこちらも合わせて説明すると、江戸時代は夫婦間での離婚決定権は男性にしかなく、女性はたとえ夫にどれだけ不満があろうとも勝手に離婚することは許されておりませんでした。しかしそうした女性の救済策というか特例として、東慶寺をはじめとした幕府公認の縁切り寺に駆け込んで一定の修行期間を積めば女性の側から夫に離婚を突きつけることが許されていました。この制度の成立過程で奈阿姫は一定の役割を果たしたといわれております。
話は千姫に戻りますが、夏の陣から一年後に徳川四天王であった本田忠勝の孫の本田忠刻と再婚をします。再婚相手の忠刻とは仲が良かったそうですが残念なことに忠刻はわずか三十一歳で早世し、二回も夫に先立たれるという不幸を経験します。その後は本多家を出て江戸に再び出戻り、奈阿姫のいる東慶寺を支援するなどして過ごして七十歳で天寿を全うしております。
こうして経歴をざらっと見てみると実に興味深い人物で、性格についても奈阿姫の助命を行うなどさすがは家康の孫とも呼べるような毅然さです。七歳で輿入りして嫁ぎ先が滅んだことからフランスのマリー・アントワネットと重なるところもありますが、実際には豊臣家が滅んだ後の人生の方が後世への影響が強い点で大きく異なります。
私がこの千姫の後年の人生を知ったのはせがわまさき氏による「Y十M ~柳生忍法帖~」という漫画を読んだことがきっかけでしたが、千姫同様にこの漫画で取り上げられている会津騒動も今まであまり知らず、自らの不勉強を大いに恥じました。もっとも歴史に詳しい友人も知らなくて一緒に驚いたんだけど。
さらについでに書いておくと、この会津騒動で当初会津を治めていた加藤嘉明に始まる加藤家は減封の上の転封となり、代わりに治めることとなったのは秀忠が一生に一度の浮気で生んだ保科正之です。この保科正之に始まるのが会津松平家で、幕末期にはどの徳川親藩家よりも幕府再興に尽力するなど徳川家最大の藩屏として歴史に大きく名を残すこととなります。最後に止めとばかりにもうひとつ書いておくと、現在の徳川宗家当主の徳川恒孝氏はこの会津松平家出身で、Wikipediaにはこんな面白いエピソードが載せられております。
「日本郵船に勤務していた際、恒孝と加賀前田家18代当主前田利祐(現宮内庁委嘱掌典)は、一時期、本社の同じ部署で勤務していたことがあり、その時の上司が『徳川と前田家の当主を使うのは太閤(豊臣秀吉)以来だろうな』と笑ったという話がある。」
2011年4月8日金曜日
震災復興によって起こり得る変化
昨夜はまた東北地方で大きな地震が起こったようで、被災地の方々は不安な日々を送られているかと思います。時間が経ったとはいえまだまだ油断の出来ない日々が続きますが、どうか気持ちをしっかり持ってこの難局を早く乗り越えられるようお祈り申し上げます。
さて各界では徐々にですが復興に向けた動きが始まっており、今後の対策についても活発な議論を見受けられます。そのような議論やニュースを見ていて、いくつかこれまで存在した慣習や制度が変更されるのではと思う節があり、今日はそのような震災を受けて変わる可能性のあるものについて私の考えを紹介しようと思います。
1、新卒採用選考時期
今回の地震が新卒の就職活動シーズン真っ最中であったことを受け、一部の企業では採用選考の時期を延期したり説明会の数を増やすなどして被災地の学生に対する対応を行いました。元々これ以前から近年の就職活動シーズンの極端な早期化が学生にとって負担になっていると問題提起されており、去年にある大手商社が遅らせると言ったのを皮切りに経団連加盟企業などでも、実際に守られたかどうか非常に怪しいものですが、選考開始時期を春以降にすると発表していた矢先でした。
私としてはここはもうズバッと、「選考は昔通りに夏以降にする」と言い切る企業が出てきてくれないものかと内心期待しましたが、さすがにここまでする企業は今のところまだ見ません。ただ全体としては確実に延期はされているようで、これを契機に就職活動の早期化に全体で歯止めをかけたほうがよいのではないかと考えています。
私は以前から今の就職活動シーズンは学生、企業双方にとってデメリットしかなく、昔のように秋以降の選考に戻すべきだと主張してきました。学生にとってのデメリットは言うまでもなく学業面での支障、ならびに就職活動の長期化による多方面の拘束ですが、企業側のデメリットとしては人事部業務の集中が挙げられます。
実際に人事部で働いた経験があるわけでもないのであくまで素人として意見を言わせてもらうと、三月から四月にかけては社内の人事異動、成果査定、退職者対応、新入社員研修と、傍から見ていると人事はやることがいっぱいあって採用選考なんてやってる暇なんかあるのかと疑問に感じます。上記四つの仕事内容は時期が選べないから仕方ないとしても採用選考だけならなにもこの時期にやる必要はなく、仕事を分散するという意味でもやはり秋頃にやるべきなのではないかと思います。
なお蛇足ですが今回の震災後の人事対応で、トンボ鉛筆の話は聞いてていろいろ呆れました。私は元々三菱鉛筆の愛用者ですが、トンボ鉛筆はこれからは意図的に避けようと思います。本気で。
2、休日分散化
去年に民主党内ではゴールデンウィークやお盆の長期休暇を業界ごとに分散化するという休日分散化案が議論されましたが、この案は私の目からすると世間一般の反応はどちらかといえばあまりよくなく、結局民主党内でも法案の提出は見送られました。しかしここにきて電力供給問題が立ち起こり、もしかしたら今年中に実現するのではないかという予想をこのところ一人で持っております。
今回の地震で福島原発で事故が起きたことから、関東や東北地方の電力供給に混乱が起きていることは説明するまでもありません。現状はすでにある火力発電所の発電量を増やして対応しておりますが、現在の設備では電力使用量が冷房の使用などで高まる夏季の必要量には対応しきれないことが予想され、現在政府や経済界では対応方法を模索しております。
政府は家庭での節電を呼びかけるとともに大口の使用者である企業にも協力を呼びかけており、それに答える形で経団連内部でも対応方法が議論され、昨日には自動車工業会から業界ごとの輪番休業を取ることが提案がなされました。輪番休業とは言ってみれば業界ごとに交替でまとまった休みを取ることで、たとえば八月の第一週は電機業界の企業が休みを取り、第二週は自動車業界、第三週は化学品業界というように、別々に休暇を取ることで電力需要のピークを下げるという案です。
この輪番休業は言ってしまえば休日分散化と中身は全く同じです。もちろん実施する目的は異なっておりますが、今回の事態を受けて図らずも実現する可能性が高まっているのではないかと見ております。
私の意見を言わせてもらうと、電力需要を下げる目的としては確かに理に適っており、多少は下がるでしょうが経済活動を著しく低下させずに軟着陸させるという意味では最も適当かと考えています。その上で私は休日分散化は観光産業の振興という観点から以前から必要だと考えており、今回の対応を契機に今後も継続して業界ごとの長期休暇が実現すればと密かに期待しております。
3、在宅勤務
我ながら自分らしいと思いますが、今日ちょっと気になるニュースを小耳に挟みました。そのニュースというのは何でも、繊維メーカーの帝人が上記の夏季における電力供給問題の対策として社員の在宅勤務を検討しているそうです。検討を始めた理由は電力不足で停電や交通インフラが停止した際に備えるという目的と、大量の電力を使用する冷房などを節約するという目的からだそうですが、IT企業からではなく繊維メーカーからこういった議論が出てきたということに驚きを感じるとともに深く感心をさせられました。まぁほかの会社でも検討されているのかもしれませんが。
実際問題として、これだけIT技術が発達した今の時代ならIP電話などを活用すれば在宅勤務はそれほど難しくないでしょう。もちろん一部の業務は担当者らが会社に出社して集まらなければ出来ないでしょうが、みんながみんな出社せずに一部を在宅勤務にするだけでも電力の節約に貢献でき、その上で在宅勤務社員をこの際生活圏ごと関東以西に移せば通常生活でも電力使用量は減らせられます。
ただそれ以上に私は在宅勤務が増えることで仕事の幅が広がり、将来の日本企業の競争力強化につながるという期待の方がこの案に持つ感想としては大きいです。ただでさえ東京はラッシュ時のピークが半端じゃなく、これに対応するため鉄道会社も過密ダイヤを設定するなど大きな負担を強いられており、在宅勤務が実現したら世の中バラ色になると片道の通勤時間が二時間だった頃に何度も思いました。恐らく実行するに当たって労務管理等が障害となるでしょうが、それらの課題を克服して定着化できれば多方面でメリットがあると思うのでこれも今回をきっかけに広がってほしいと願っています。
どうもこのところスランプ気味で文章の調子がよくありませんが、今日は内容がそこそこカバーできたのではないかと思います。もう一山乗り越えたら、なんか成長できそうな気がするんだけど。
さて各界では徐々にですが復興に向けた動きが始まっており、今後の対策についても活発な議論を見受けられます。そのような議論やニュースを見ていて、いくつかこれまで存在した慣習や制度が変更されるのではと思う節があり、今日はそのような震災を受けて変わる可能性のあるものについて私の考えを紹介しようと思います。
1、新卒採用選考時期
今回の地震が新卒の就職活動シーズン真っ最中であったことを受け、一部の企業では採用選考の時期を延期したり説明会の数を増やすなどして被災地の学生に対する対応を行いました。元々これ以前から近年の就職活動シーズンの極端な早期化が学生にとって負担になっていると問題提起されており、去年にある大手商社が遅らせると言ったのを皮切りに経団連加盟企業などでも、実際に守られたかどうか非常に怪しいものですが、選考開始時期を春以降にすると発表していた矢先でした。
私としてはここはもうズバッと、「選考は昔通りに夏以降にする」と言い切る企業が出てきてくれないものかと内心期待しましたが、さすがにここまでする企業は今のところまだ見ません。ただ全体としては確実に延期はされているようで、これを契機に就職活動の早期化に全体で歯止めをかけたほうがよいのではないかと考えています。
私は以前から今の就職活動シーズンは学生、企業双方にとってデメリットしかなく、昔のように秋以降の選考に戻すべきだと主張してきました。学生にとってのデメリットは言うまでもなく学業面での支障、ならびに就職活動の長期化による多方面の拘束ですが、企業側のデメリットとしては人事部業務の集中が挙げられます。
実際に人事部で働いた経験があるわけでもないのであくまで素人として意見を言わせてもらうと、三月から四月にかけては社内の人事異動、成果査定、退職者対応、新入社員研修と、傍から見ていると人事はやることがいっぱいあって採用選考なんてやってる暇なんかあるのかと疑問に感じます。上記四つの仕事内容は時期が選べないから仕方ないとしても採用選考だけならなにもこの時期にやる必要はなく、仕事を分散するという意味でもやはり秋頃にやるべきなのではないかと思います。
なお蛇足ですが今回の震災後の人事対応で、トンボ鉛筆の話は聞いてていろいろ呆れました。私は元々三菱鉛筆の愛用者ですが、トンボ鉛筆はこれからは意図的に避けようと思います。本気で。
2、休日分散化
去年に民主党内ではゴールデンウィークやお盆の長期休暇を業界ごとに分散化するという休日分散化案が議論されましたが、この案は私の目からすると世間一般の反応はどちらかといえばあまりよくなく、結局民主党内でも法案の提出は見送られました。しかしここにきて電力供給問題が立ち起こり、もしかしたら今年中に実現するのではないかという予想をこのところ一人で持っております。
今回の地震で福島原発で事故が起きたことから、関東や東北地方の電力供給に混乱が起きていることは説明するまでもありません。現状はすでにある火力発電所の発電量を増やして対応しておりますが、現在の設備では電力使用量が冷房の使用などで高まる夏季の必要量には対応しきれないことが予想され、現在政府や経済界では対応方法を模索しております。
政府は家庭での節電を呼びかけるとともに大口の使用者である企業にも協力を呼びかけており、それに答える形で経団連内部でも対応方法が議論され、昨日には自動車工業会から業界ごとの輪番休業を取ることが提案がなされました。輪番休業とは言ってみれば業界ごとに交替でまとまった休みを取ることで、たとえば八月の第一週は電機業界の企業が休みを取り、第二週は自動車業界、第三週は化学品業界というように、別々に休暇を取ることで電力需要のピークを下げるという案です。
この輪番休業は言ってしまえば休日分散化と中身は全く同じです。もちろん実施する目的は異なっておりますが、今回の事態を受けて図らずも実現する可能性が高まっているのではないかと見ております。
私の意見を言わせてもらうと、電力需要を下げる目的としては確かに理に適っており、多少は下がるでしょうが経済活動を著しく低下させずに軟着陸させるという意味では最も適当かと考えています。その上で私は休日分散化は観光産業の振興という観点から以前から必要だと考えており、今回の対応を契機に今後も継続して業界ごとの長期休暇が実現すればと密かに期待しております。
3、在宅勤務
我ながら自分らしいと思いますが、今日ちょっと気になるニュースを小耳に挟みました。そのニュースというのは何でも、繊維メーカーの帝人が上記の夏季における電力供給問題の対策として社員の在宅勤務を検討しているそうです。検討を始めた理由は電力不足で停電や交通インフラが停止した際に備えるという目的と、大量の電力を使用する冷房などを節約するという目的からだそうですが、IT企業からではなく繊維メーカーからこういった議論が出てきたということに驚きを感じるとともに深く感心をさせられました。まぁほかの会社でも検討されているのかもしれませんが。
実際問題として、これだけIT技術が発達した今の時代ならIP電話などを活用すれば在宅勤務はそれほど難しくないでしょう。もちろん一部の業務は担当者らが会社に出社して集まらなければ出来ないでしょうが、みんながみんな出社せずに一部を在宅勤務にするだけでも電力の節約に貢献でき、その上で在宅勤務社員をこの際生活圏ごと関東以西に移せば通常生活でも電力使用量は減らせられます。
ただそれ以上に私は在宅勤務が増えることで仕事の幅が広がり、将来の日本企業の競争力強化につながるという期待の方がこの案に持つ感想としては大きいです。ただでさえ東京はラッシュ時のピークが半端じゃなく、これに対応するため鉄道会社も過密ダイヤを設定するなど大きな負担を強いられており、在宅勤務が実現したら世の中バラ色になると片道の通勤時間が二時間だった頃に何度も思いました。恐らく実行するに当たって労務管理等が障害となるでしょうが、それらの課題を克服して定着化できれば多方面でメリットがあると思うのでこれも今回をきっかけに広がってほしいと願っています。
どうもこのところスランプ気味で文章の調子がよくありませんが、今日は内容がそこそこカバーできたのではないかと思います。もう一山乗り越えたら、なんか成長できそうな気がするんだけど。
2011年4月7日木曜日
文章が書けない時
昨日は飲み会があり更新を休みましたが、今日は書かなければとパソコンに向かうもののどうも書けるような話題が浮かんできません。このところこういうことが続いているので、そろそろなんかまた連載でも立ち上げようかとも考えてますが、指しあたって今日は困った時の歴史ネタとばかりに思案に暮れてますが、すでに30分くらい無駄に時間が経っております。全く書くネタがないわけではないものの、果たして書くほどのネタかと思うものばかりでどうも慎重になりすぎているきらいがあります。
こんなブログ程度でなにをかとも思えますが、やはり書こうと思う時、もしくは必要文字数が規定されている時に書けない状態ほど苦しいものはありません。作家のする話を聞いてても締め切り間際に何も浮かんでこないというのは非常に追い込まれるようで、心労をやむというのも案外嘘じゃない気がします。ちなみに私は比較的長ったらしい文章を書くのを得意にしており、文字数制限のある大学の卒業論文では自分の分はさっさと書き終え、同じゼミのほかの学生三人の執筆をいろいろ手伝っておりました。ひどいのになると一番肝心な考察部分を含めて半分以上を私が書いてしまってました。
そんな具合で字数を埋めるのなら任せろと一時期はうぬぼれていた時期がありましたが、逆になんていうか、あらかじめ何文字から何文字以内と規定されると途端に文章が欠けなくなることがあります。一時期に投稿していた小説の新人賞などまさにそうで、普段だったら気にせず書けるものがどうも字数が頭の隅に入ってか全く筆が進まず、結局投稿をあきらめたことが何度もありました。そういう意味ではちょっと気持ちに弱いところがあるのかもしれません。その一方でこうした字数も内容の制限のないブログだと割りとのびのび書けるところがあり、今まで書いたブログ記事でも後から読み直してみて我ながらよく書いたもんだと寒心することもあります。
よく小中学校の作文教育では夏休みの読書感想文のようにあらかじめ提出枚数が決められていることが多いですが、私は個人的にはそういた制限は取っ払い、完全に毎週は自由にしたほうがいいと思います。書きたい人はいくらでも書けばいいし、書けない人なら書けないなりに短くまとめたら評価すればいいだけですし、そのほうが評価するほうもしやすくていいんじゃないかと思います。
明日は金曜ですが、明後日に現在いるサービスアパートメント内でまた引越しすることになりそうでちょっと気分的に盛り上がりません。あらかじめ6ヶ月契約にしたら家賃が安くなると聞いていたのでてっきり今いる1ヶ月契約で入った部屋を延長できるかと思ってたら、6ヶ月契約だと別の部屋になると先週言われていろいろ困ってます。これに限るわけじゃないけど、中国は本当に想定外のところでいろいろ問題が起こるからややこしい……。
こんなブログ程度でなにをかとも思えますが、やはり書こうと思う時、もしくは必要文字数が規定されている時に書けない状態ほど苦しいものはありません。作家のする話を聞いてても締め切り間際に何も浮かんでこないというのは非常に追い込まれるようで、心労をやむというのも案外嘘じゃない気がします。ちなみに私は比較的長ったらしい文章を書くのを得意にしており、文字数制限のある大学の卒業論文では自分の分はさっさと書き終え、同じゼミのほかの学生三人の執筆をいろいろ手伝っておりました。ひどいのになると一番肝心な考察部分を含めて半分以上を私が書いてしまってました。
そんな具合で字数を埋めるのなら任せろと一時期はうぬぼれていた時期がありましたが、逆になんていうか、あらかじめ何文字から何文字以内と規定されると途端に文章が欠けなくなることがあります。一時期に投稿していた小説の新人賞などまさにそうで、普段だったら気にせず書けるものがどうも字数が頭の隅に入ってか全く筆が進まず、結局投稿をあきらめたことが何度もありました。そういう意味ではちょっと気持ちに弱いところがあるのかもしれません。その一方でこうした字数も内容の制限のないブログだと割りとのびのび書けるところがあり、今まで書いたブログ記事でも後から読み直してみて我ながらよく書いたもんだと寒心することもあります。
よく小中学校の作文教育では夏休みの読書感想文のようにあらかじめ提出枚数が決められていることが多いですが、私は個人的にはそういた制限は取っ払い、完全に毎週は自由にしたほうがいいと思います。書きたい人はいくらでも書けばいいし、書けない人なら書けないなりに短くまとめたら評価すればいいだけですし、そのほうが評価するほうもしやすくていいんじゃないかと思います。
明日は金曜ですが、明後日に現在いるサービスアパートメント内でまた引越しすることになりそうでちょっと気分的に盛り上がりません。あらかじめ6ヶ月契約にしたら家賃が安くなると聞いていたのでてっきり今いる1ヶ月契約で入った部屋を延長できるかと思ってたら、6ヶ月契約だと別の部屋になると先週言われていろいろ困ってます。これに限るわけじゃないけど、中国は本当に想定外のところでいろいろ問題が起こるからややこしい……。
2011年4月5日火曜日
成果主義議論のその後
先日見たネットの掲示板で、現バンダイナムコのナムコが昔に出していた「テイルズオブエターニア」というゲームについて討論がされておりました。このゲームは今も続く「テイルズシリーズ」と呼ばれるRPGゲームの第三作目私も昔に遊んだ、というより発売前には東京ゲームショーでプロモーションも見ていたゲームなのですが、本当は「テイルズシリーズ」はこのゲームで完結する予定だったらしく、開発陣も総力を結集して作った作品だという話を誰かがしていました。真偽まではわかりませんが実際に遊んだことのある私も非常に納得する出来で、ちょうどPSP版(元々はPSで出された)がすでに発売されていると聞いたので、来月にこっちに遊びに来る予定の親父にでも持たせようとすぐAmazonで注文して日本の実家に配達を手配しました。
さてこのテイルズシリーズですが、はっきり言って昔と今とで比べると知名度やブランド力は昔の方があったと言わざるを得ません。というのもこのエターニアが発売されたのは2000年ですが、その後このシリーズはそれこそ手を変え品を変えてバンバンと続編が発売されていったのですが、細かい売上本数までは確認していませんが発売前の話題性やら知名度は文字通り回を重ねるごとに低下していった印象があります。私の周りでも途中で買うのをやめていくのがほとんどだったし。もちろんシリーズのブランド力を維持するのは並大抵じゃありません。日本は100年企業が多いというだけにゲーム業界でも息の長いシリーズ作品はたくさんありますが、それでも往年の輝きを知っている世代からするとこのテイルズシリーズの凋落は見ていて如何なものかと思うほどです。
では何故テイルズシリーズはブランド力が低下したのかですが、これまた又聞きで真偽は確かめられませんが一説によると当時のナムコが実施した成果主義を原因と指摘する話を聞いたことがあります。なんでも当時のナムコではヒット作を出した開発部署に報奨金を出すという成果主義を導入したらしいのですが、ブランド力が高かったテイルズシリーズはそれこそ出せば売れること間違い梨の鉄板タイトルであったため社内の開発陣はこぞってテイルズシリーズの開発部署に行きたがるようになり、また製作をするそばから次回作を乱発するようになったとのことです。実際にほかの有名RPGシリーズと比べてもテイルズシリーズの続編の発売速度は異常で、言われてみてそういう背景があったのかと妙に納得させられた話です。さらにこの成果主義によってナムコ社内では新ジャンルのゲーム開発意欲が失われ、焼き直しのような過去のヒット作の量産ばかり行われるようになって会社全体で開発力が落ちたとまで指摘されておりました。もっとも過去のヒット作の続編量産はナムコに限りませんが。
真偽はどうであれ、少なくとも経営が悪くなったナムコはバンダイと合併したのは事実です。このナムコに限らず、失われた十年後半に非常にもてはやされた人事の成果主義は城繁幸氏が散々批判した富士通の例を筆頭に会社経営の改革になるどころか、むしろ経営の悪化要因にしかならなかったという話ばかりです。どうでもいいですが、富士通はこの前のみずほ銀行のシステムトラブルの際にあちこちで、「富士通だからな」と言われてたのがちょっと面白かったです。
成果主義議論は以前にも何度かブログで取り上げていますが、現時点ではこの言葉自体がすでに死語になっているような感があります。一応どの企業でも年初に目標設定というものを一人ひとりにつけますが、これがどれだけ給与判定に影響を与えたかは実際にやったことのある私もわかりませんでした。むしろリーマンショック後に役員、管理職が減給されたなど、景気影響の方がストレートに反映されてたような。
私自身はあまり給与にこだわらない性格なので成果主義だろうが年功序列主義だろうがあまり気にはせず、むしろちょっと前に「日本人の自己裁量権」の記事やそれ以前の陽月秘話で書いた記事で主張した、仕事の責任に合わせた裁量権を社員一人ひとりに与えることの方が重要だと考えています。ただそういった裁量権の議論をするにあたっても給与や評価方法は避けては通れないもので、これらと絡めて議論するというのであればやはりもっと成果主義を研究し、実施するべきという立場を取ります。
私が思うに日本で成果主義が根付かない要因のひとつは社員一人ひとりの責任範囲が明確でないことにあると思います。どこからどこまでがその人の仕事の範囲なのかわからず、また複数人で関わる仕事で問題が発生すると誰の責任にするかで揉めるあたりつくづく日本人の曖昧さを痛感します。そういう意味でかねてから私が主張するようにもっと個人に自己裁量権を目に見える形で与えればこういった成果主義議論も一歩は前に進むんじゃないかという気がします。
現在では(以前から?)成果主義は間違いだという意見の方が大半でしょうが、私は今の日本が実施している成果主義は不完全さが目立つもので、運用次第では活用できる範囲はあると思います。もちろん先ほどのナムコの例のように足を引っ張る例もあるので、もっとわかりやすく誰がどう見ても大きな功績を出した人に年に一回だけ報奨金を出すというような、シンプルな形でもないよりかはいいんじゃないかと思います。
ちなみに私が日本で働いていた頃に自他共にファインプレーだったと認められた仕事に、金曜日に輸入検査の申請をするにあたって運送会社から必要書類がなかなか届かず、昼過ぎにFAXで受け取るや電車に飛び乗り、5時で閉まる申請所に最寄り駅から走って4時50分にたどり着いたというものがありました。申請所の方にはあらかじめ電話をしてなるべく待ってもらうように伝えていましたが、関西系の人だっただけに、「全く、ワシに残業させおって」といいつつ書類をきちんと受け取ってくれました。革靴で全力疾走したので、次の日はすねの辺りが筋肉痛になりました。
さてこのテイルズシリーズですが、はっきり言って昔と今とで比べると知名度やブランド力は昔の方があったと言わざるを得ません。というのもこのエターニアが発売されたのは2000年ですが、その後このシリーズはそれこそ手を変え品を変えてバンバンと続編が発売されていったのですが、細かい売上本数までは確認していませんが発売前の話題性やら知名度は文字通り回を重ねるごとに低下していった印象があります。私の周りでも途中で買うのをやめていくのがほとんどだったし。もちろんシリーズのブランド力を維持するのは並大抵じゃありません。日本は100年企業が多いというだけにゲーム業界でも息の長いシリーズ作品はたくさんありますが、それでも往年の輝きを知っている世代からするとこのテイルズシリーズの凋落は見ていて如何なものかと思うほどです。
では何故テイルズシリーズはブランド力が低下したのかですが、これまた又聞きで真偽は確かめられませんが一説によると当時のナムコが実施した成果主義を原因と指摘する話を聞いたことがあります。なんでも当時のナムコではヒット作を出した開発部署に報奨金を出すという成果主義を導入したらしいのですが、ブランド力が高かったテイルズシリーズはそれこそ出せば売れること間違い梨の鉄板タイトルであったため社内の開発陣はこぞってテイルズシリーズの開発部署に行きたがるようになり、また製作をするそばから次回作を乱発するようになったとのことです。実際にほかの有名RPGシリーズと比べてもテイルズシリーズの続編の発売速度は異常で、言われてみてそういう背景があったのかと妙に納得させられた話です。さらにこの成果主義によってナムコ社内では新ジャンルのゲーム開発意欲が失われ、焼き直しのような過去のヒット作の量産ばかり行われるようになって会社全体で開発力が落ちたとまで指摘されておりました。もっとも過去のヒット作の続編量産はナムコに限りませんが。
真偽はどうであれ、少なくとも経営が悪くなったナムコはバンダイと合併したのは事実です。このナムコに限らず、失われた十年後半に非常にもてはやされた人事の成果主義は城繁幸氏が散々批判した富士通の例を筆頭に会社経営の改革になるどころか、むしろ経営の悪化要因にしかならなかったという話ばかりです。どうでもいいですが、富士通はこの前のみずほ銀行のシステムトラブルの際にあちこちで、「富士通だからな」と言われてたのがちょっと面白かったです。
成果主義議論は以前にも何度かブログで取り上げていますが、現時点ではこの言葉自体がすでに死語になっているような感があります。一応どの企業でも年初に目標設定というものを一人ひとりにつけますが、これがどれだけ給与判定に影響を与えたかは実際にやったことのある私もわかりませんでした。むしろリーマンショック後に役員、管理職が減給されたなど、景気影響の方がストレートに反映されてたような。
私自身はあまり給与にこだわらない性格なので成果主義だろうが年功序列主義だろうがあまり気にはせず、むしろちょっと前に「日本人の自己裁量権」の記事やそれ以前の陽月秘話で書いた記事で主張した、仕事の責任に合わせた裁量権を社員一人ひとりに与えることの方が重要だと考えています。ただそういった裁量権の議論をするにあたっても給与や評価方法は避けては通れないもので、これらと絡めて議論するというのであればやはりもっと成果主義を研究し、実施するべきという立場を取ります。
私が思うに日本で成果主義が根付かない要因のひとつは社員一人ひとりの責任範囲が明確でないことにあると思います。どこからどこまでがその人の仕事の範囲なのかわからず、また複数人で関わる仕事で問題が発生すると誰の責任にするかで揉めるあたりつくづく日本人の曖昧さを痛感します。そういう意味でかねてから私が主張するようにもっと個人に自己裁量権を目に見える形で与えればこういった成果主義議論も一歩は前に進むんじゃないかという気がします。
現在では(以前から?)成果主義は間違いだという意見の方が大半でしょうが、私は今の日本が実施している成果主義は不完全さが目立つもので、運用次第では活用できる範囲はあると思います。もちろん先ほどのナムコの例のように足を引っ張る例もあるので、もっとわかりやすく誰がどう見ても大きな功績を出した人に年に一回だけ報奨金を出すというような、シンプルな形でもないよりかはいいんじゃないかと思います。
ちなみに私が日本で働いていた頃に自他共にファインプレーだったと認められた仕事に、金曜日に輸入検査の申請をするにあたって運送会社から必要書類がなかなか届かず、昼過ぎにFAXで受け取るや電車に飛び乗り、5時で閉まる申請所に最寄り駅から走って4時50分にたどり着いたというものがありました。申請所の方にはあらかじめ電話をしてなるべく待ってもらうように伝えていましたが、関西系の人だっただけに、「全く、ワシに残業させおって」といいつつ書類をきちんと受け取ってくれました。革靴で全力疾走したので、次の日はすねの辺りが筋肉痛になりました。
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