ふと思うところがあったので、昨日は記事書くのをやめて下記サイトでいじめの統計データを眺めていました。
・政府統計の総合窓口
調べる前までこういうデータというものは本当にあるのかと内心疑っていましたが、意外とかゆいところに手が届くような感じで項目数も多く、比較的扱いやすいデータでした。ただ懸念がまったっくないというわけじゃなく、これは以前に統計関係の記事を書いた際にコメントしてくれた方がいましたがいじめの件数というものは得てして学校側が過少に報告するきらいがあり、鵜呑みにできないところがあります。その点を踏まえ、データを見ていくつか感じた点を教派紹介します。
1、都道府県別のいじめ発生率
これはもう上位、下位のトップ10を直接書いてしまいますが、前述の通りにあまり当てにならないデータです。なおこの順位は直接の件数ではなく、児童生徒数に対する発生件数の割合です。
<いじめ発生率の高い県>
1位 熊本
2位 大分
3位 岐阜
4位 福井
5位 石川
6位 愛知
7位 長崎
8位 静岡
9位 千葉
10位 富山
<いじめ発生率の低い県>
47位 和歌山
46位 佐賀
45位 福岡
45位 福島
43位 鳥取
41位 群馬
41位 宮崎
40位 滋賀
38位 三重
38位 沖縄
ざっとこんなもんですが、むしろいじめ発生率の高い県はきちんといじめ件数をカウントしているだけあって良心的な地域なのではないかと思います。その根拠として直接的ではないものの、いじめと相関しやすいであろう「小中学校の不登校発生率」と比較すると、最もいじめ発生率が高い熊本県は41位と非常に低く、逆に神奈川県はいじめ発生率が24位であるものの不登校発生率は1位でした。カウントのしやすさから言うと圧倒的に不登校率の方なので、むしろこっちの方で地域差を測るのが適当かもしれません。
2、いじめが発生しやすい年齢
これは認知件数とかはあまり影響しないのでデータをそのまま信じていいのですが、結論から言うといじめの発生件数が最も高くなる年代は中学一年次でした。細かい数字は書きませんが小学校一年時から発生件数は年齢の上昇に比例して上がり小学六年次で約8600件となるのですが、中学一年次はなんとその約二倍の約17000件となります。ただそれ以降は減少していき中学二年次で約13000件、中学三年次で約6200件と、恐らく受験勉強などが影響してか急速に収束します。
このデータをどう読み解くかですが、単純に中学校で最もいじめが発生しやすく、この年代に対して重点的な対策を取ることが最も求められているのではないかと思います。
3、いじめの男女差
これは特段取り上げる必要もないのですが各年代ごとの比較を見るとどの年代でも男子の方が女子より頭一個分発生件数が多く、男子の方がいじめを起こしやすいようです。現実問題としては男子のいじめには暴力が伴いやすいことから、女子に対してもそうですがこちらでも対策を注力する必要があるでしょう。
4、いじめの様態
これもデータの捻じ曲がりが発生しやすい内容なのであまり使えないかなとも思ったのですがちょっとだけ面白いと思ったもので、学校運営別の比較では発生件数から何から何まで基本的に公立校が私立、国立を圧倒的な差で上回っているのですが、いじめの様態で「パソコンや携帯電話等で、誹謗中傷や嫌なことをされる。」に限り、公立中学校が7.3%であるのに対し、私立が15.1%、国立が17.9%と割合で上回っております。変に頭が回るってことかな。
なんか今日はそれほどやる気がないのでこの辺で終えてしまいますが、もう少しこれらの統計データを利用してもっといじめ対策を煮詰めるべきだと強く思います。具体的にはからかいや嘲笑といった軽度のいじめと、暴力やカツアゲを伴う重度のいじめをはっきり分け、それぞれが発生した際にどのような対策や指導が効果的なのかをもっと比較し、共通認識を作るべきです。今回調べた限りですと中学三年次に急激に発生件数が減っていることから暇な時間を持て余すほどいじめが多くなるのではないかと思え、変な話ですがいじめる生徒にはそういう時間が持てないように課題なり部活なりボランティア活動なりを強制して行わせてみてはという案が浮かびました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年9月6日火曜日
2011年9月4日日曜日
日本人の習性
最近なんだかリストっぽい記事が続いていますが、昨日に引き続き今日は国際的に見て日本人の習性と思う部分をいくつか挙げようと思います。それにしても先程面倒だから持ち帰った内容の記事を書き上げましたが、毎日記事書いておきながらこんだけブログ更新する人ってほかにいるのかという気がたまにします。確かに商社勤務(去年まで)だった頃は頃で文章を書きたい執筆意欲というのが今より強かった気もするけど。
1、清潔好き
日本国内にいる日本人はあまり気にしませんが、日本人というのは国際的に見て明らかに異常なほどきれい好きです。浪費のたとえとして「湯水の如く」という言葉がありますが、それだけ身を洗う水が豊富だったことが影響しているかもしれません。
それでどの程度日本人が綺麗好きかですが、七月に日本に帰った際に私が最初に思ったのは、「うわ、全く匂いがしない」ってことでした。中国に限らず以前に行ったことのあるイギリスでも外国ではどこでも食べ物やらほこりなどいろいろな匂いがするのですが、日本に至ってはどこに行こうが完全に無味無臭。しかも確か十年くらい前には口臭スプレーについて口臭までいちいち気にしなければいけないのかという論評を見た覚えがありますが、今に至っては口臭なんて完全NGでないのが一般マナーになっているような気がします。
2、首振り
これは中国人の友人に指摘してもらって私も初めて気が付いたのですが、日本人は外国人、ひいては同じアジア人の中でも圧倒的に首を振るジェスチャーが多いです。具体的には肯定時の頷きと否定時の横振りですが、意外や意外に外国人はこのようなジェスチャーを多少はするものの日本人ほど明確にかつ頻繁にすることはなく、中国で日本人を見分ける際には首の動作を見ればそれなりに見分けられます。
私が思うに欧米人は腕など上半身全体をつかったジェスチャーを多用するのに対し、日本人はお辞儀の習慣からか挨拶から頷き、お礼などの表現の際には必ず首が縦に動きます。韓国人はわかりませんが中国人は意外とこの手のジェスチャーが薄く、ちょっとしたことでよく怒鳴り合ったりすることが多いですが、友人曰く上海人は口だけで殴り合ったりすることは少ないそうです。中国東北部の人は逆らしいけど。
3、他人の判断が正しいという前提
我ながら極論を言うもんだという気がしますが、日本人は自分で考えた判断内容より他人の判断内容、ひいては合議での結果をやや無条件で正しいと考えるところが過分に多い気がします。私はというと前に書いた「自分の判断への信頼性」の記事で言っているように逆に自分の判断は基本的に他人より優れているという逆の前提がありますが、私が一番わからないのはそれぞれの案やら判断内容に対して理屈なり原理なりを一切考慮せずに「正しいだろう」と推定する人たちです。そりゃ自分が経験や知識がないとわかった上での判断なら何も言いませんが、もう少し正しいと思うことは主張すべきだという気がします。
4、人の言うこと聞いてる振りして勝手な自己アレンジを加える
これは習性というよりかは文化ですが、よく日本人は他国の文化やら技術を学ぶとそのまんまコピーすることは少なく、ほぼ必ず日本に合わせたアレンジなり改良を加えてしまうことが明らかに多い気がします。具体例を挙げてくと中国から漢字を学ぶと勝手にひらがなやカタカナを作り、インド人からカレーを習うと向こうでは食べることが遠慮されている牛とか豚と一緒に煮込んだりなどと。これなんか自分は最近になっていろいろ感じるようになってきましたが、もしかしたら日本はアメリカがまだ民用化する前の最先端の軍事技術などを利用していろいろ製品作って、それがアメリカ側からすると気に入らなかったんじゃないかと思います。まだ裏とかとってませんが形状記憶合金というのはヘリコプターに使われる軍事技術だったのを、日本人がブラジャーとかに最初に使いだしたという話を聞いたことがあります。
5、相手が逆らえないとわかるや途端に狂暴になる
これは何度もこれまでの記事でも書いてて繰り返しになりますが、日本人は外国人と比して基本的には大人しく温和な性格ではあるものの、相手が自分に逆らえない、反抗出来ないとわかった際の狂暴性は異常と言っていいほどのものがあります。具体的には明らかに海外より多い駅員らへの暴力や精神病者を多数輩出するカスタマーセンターへのクレームなどがありますが、最近思うのは学校や職場でのいじめももしかしたらここからきているのではないかと見ています。
一体いつから日本人はこの習性を持つようになったかですが、前にも書いた朱子学の上意下達が影響とか戦前の陸軍教育などいろいろ意見はあるものの、私の中、というよりは私のゴーストに囁かせるならどの意見も腑に落ちず、結局的にはそれらの教育的要素よりずっと以前の日本人の習性が影響しているのではないかというのが一番納得できます。ちなみに他国のいじめについては昔に外国人らが出演した番組で、日本ほどの陰湿さは持たないという意見が多かったです。唯一、韓国においては多少はあるものの、学校現場ではまだ教師の権威が強くて日本ほど発展はしないそうですが、軍隊内では先日も銃乱射事件が起きるなど根強いと聞きます。この辺を比較したらなんか出てくるような気がしますけど、詳細は次回記事に回します。
1、清潔好き
日本国内にいる日本人はあまり気にしませんが、日本人というのは国際的に見て明らかに異常なほどきれい好きです。浪費のたとえとして「湯水の如く」という言葉がありますが、それだけ身を洗う水が豊富だったことが影響しているかもしれません。
それでどの程度日本人が綺麗好きかですが、七月に日本に帰った際に私が最初に思ったのは、「うわ、全く匂いがしない」ってことでした。中国に限らず以前に行ったことのあるイギリスでも外国ではどこでも食べ物やらほこりなどいろいろな匂いがするのですが、日本に至ってはどこに行こうが完全に無味無臭。しかも確か十年くらい前には口臭スプレーについて口臭までいちいち気にしなければいけないのかという論評を見た覚えがありますが、今に至っては口臭なんて完全NGでないのが一般マナーになっているような気がします。
2、首振り
これは中国人の友人に指摘してもらって私も初めて気が付いたのですが、日本人は外国人、ひいては同じアジア人の中でも圧倒的に首を振るジェスチャーが多いです。具体的には肯定時の頷きと否定時の横振りですが、意外や意外に外国人はこのようなジェスチャーを多少はするものの日本人ほど明確にかつ頻繁にすることはなく、中国で日本人を見分ける際には首の動作を見ればそれなりに見分けられます。
私が思うに欧米人は腕など上半身全体をつかったジェスチャーを多用するのに対し、日本人はお辞儀の習慣からか挨拶から頷き、お礼などの表現の際には必ず首が縦に動きます。韓国人はわかりませんが中国人は意外とこの手のジェスチャーが薄く、ちょっとしたことでよく怒鳴り合ったりすることが多いですが、友人曰く上海人は口だけで殴り合ったりすることは少ないそうです。中国東北部の人は逆らしいけど。
3、他人の判断が正しいという前提
我ながら極論を言うもんだという気がしますが、日本人は自分で考えた判断内容より他人の判断内容、ひいては合議での結果をやや無条件で正しいと考えるところが過分に多い気がします。私はというと前に書いた「自分の判断への信頼性」の記事で言っているように逆に自分の判断は基本的に他人より優れているという逆の前提がありますが、私が一番わからないのはそれぞれの案やら判断内容に対して理屈なり原理なりを一切考慮せずに「正しいだろう」と推定する人たちです。そりゃ自分が経験や知識がないとわかった上での判断なら何も言いませんが、もう少し正しいと思うことは主張すべきだという気がします。
4、人の言うこと聞いてる振りして勝手な自己アレンジを加える
これは習性というよりかは文化ですが、よく日本人は他国の文化やら技術を学ぶとそのまんまコピーすることは少なく、ほぼ必ず日本に合わせたアレンジなり改良を加えてしまうことが明らかに多い気がします。具体例を挙げてくと中国から漢字を学ぶと勝手にひらがなやカタカナを作り、インド人からカレーを習うと向こうでは食べることが遠慮されている牛とか豚と一緒に煮込んだりなどと。これなんか自分は最近になっていろいろ感じるようになってきましたが、もしかしたら日本はアメリカがまだ民用化する前の最先端の軍事技術などを利用していろいろ製品作って、それがアメリカ側からすると気に入らなかったんじゃないかと思います。まだ裏とかとってませんが形状記憶合金というのはヘリコプターに使われる軍事技術だったのを、日本人がブラジャーとかに最初に使いだしたという話を聞いたことがあります。
5、相手が逆らえないとわかるや途端に狂暴になる
これは何度もこれまでの記事でも書いてて繰り返しになりますが、日本人は外国人と比して基本的には大人しく温和な性格ではあるものの、相手が自分に逆らえない、反抗出来ないとわかった際の狂暴性は異常と言っていいほどのものがあります。具体的には明らかに海外より多い駅員らへの暴力や精神病者を多数輩出するカスタマーセンターへのクレームなどがありますが、最近思うのは学校や職場でのいじめももしかしたらここからきているのではないかと見ています。
一体いつから日本人はこの習性を持つようになったかですが、前にも書いた朱子学の上意下達が影響とか戦前の陸軍教育などいろいろ意見はあるものの、私の中、というよりは私のゴーストに囁かせるならどの意見も腑に落ちず、結局的にはそれらの教育的要素よりずっと以前の日本人の習性が影響しているのではないかというのが一番納得できます。ちなみに他国のいじめについては昔に外国人らが出演した番組で、日本ほどの陰湿さは持たないという意見が多かったです。唯一、韓国においては多少はあるものの、学校現場ではまだ教師の権威が強くて日本ほど発展はしないそうですが、軍隊内では先日も銃乱射事件が起きるなど根強いと聞きます。この辺を比較したらなんか出てくるような気がしますけど、詳細は次回記事に回します。
2011年9月3日土曜日
日本プロ野球、魔球の射手たち
野球漫画ときたら魔球、と言われるくらいに野球における変化球というものはいろんな意味で人の注目を浴びます。まぁそういっておきながら自分が一番好きな野球漫画は魔球とか一切出ない、ちばあきお氏の「キャプテン」なんだけど。
前からやろうやろうと思ってなかなか実現できずにいた企画ですが今日はその変化球に絞り、拙い私の知識ながらも現実のプロ野球選手の中でひときわ記憶に残る「魔球」と呼ばれるような変化球を投げていた投手とその球種を紹介しようかと思います。
1、伊藤智仁(スライダー)
一番に持ってこないと怒る友人がいるので早速持ってきましたが、元ヤクルトの伊藤智仁選手とくればなんといってもスライダーです。生憎中国だとYoutubeがつなげられないのでもってこれませんが、実際に現役時の伊藤選手のスライダーを見てもらえばわかりますが、明らかに物理学の法則を無視した軌道で、バッターの目の前で真横に曲がっているようにしか見えません。もっともこんなとんでもないスライダーを投げられたのはもともと伊藤選手の方がルーズショルダーという、脱臼しやすい特殊な体つきをしていたからだそうで、そのせいか現役時代が短かったのは残念な限りです。
2、佐々木主浩、野茂英雄(フォーク)
現在でもアメリカでは普通に魔球として取り扱われるフォークボールですが、その使い手と言ったらなんといっても大魔神・佐々木選手とパイオニア・野茂選手の二人が自分の中で挙がってきます。二人とも日米球界で活躍したのはもとより、バッターからすると「目の前ですとんと落ちるため視界から消える」と言わせるほどの落差の大きいフォークボールを決め球として持っていましたが、それ以上に特徴的と言えるのはそのフォークを生かす速球の威力でしょう。二人とも全盛期の最高球速は時速150キロを超えており、それ故にバッターもフォークに対応できなかったと言われています。
なおフォークボールの神様と呼ばれる杉下茂氏によると、現在のフォークボールはSFF(スプリット・フィンガー・ファストボール)などといった亜流が多く、本物のフォークを投げたのは自身と村山実選手、村田兆治選手、野茂選手、佐々木選手の5人を挙げています。それにしても日本は変化球にも神様がいるあたり、バラエティが本当に豊富な気がする。
3、藤川球児(ストレート)
現在私が最も好きな選手の一人ですが、実際に野球選手になれたからよかったものの親にこんな名前を付けられると相当なプレッシャーものです。
変化球と言っておきながらですが、藤川選手の投げる直球ことストレートもよく魔球として取り扱われます。藤川選手については何度もこのブログで取り上げていて誰も覚えていないでしょうが繰り返しになってしまいますが、私が2005年のシーズンで藤川選手の投球を見た際は文字通り目を疑いました。これも実際の動画を確かめてみればわかりますがどのバッターも藤川選手のストレートを空振りする際はいつもボール二、三個分下を振りぬくのですが、対戦したバッターによると「ボールが浮き上がってくるように見える」そうで、実際にテレビ画面で見ていてもボールの軌道が浮いているように見えます。それ故に私は当初、直球に近いシュートという変化球を投げたのではないかと思い、テレビでストレートと表示されても最初は疑ったほどでした。
4、潮崎哲也(シンカー)
シンカー(スクリュー)という球は手首を捻じるようにして投げるため、ダルビッシュ選手ですら封印したほど肘などを故障させてしまいやすい球種です。ただ潮崎選手のようなサイドスローやオーバースローでは腕の振りと合わせて投げやすいそうで、それ故に現在のプロ選手でもオーバースロー以外の投手が投げることが多いように思います。
そんな潮崎選手のシンカーですが、1番の伊藤選手同様にどこかで物理学を無視したような動きをしてました。当時のバッターからも来るのがわかっていても打てないと言われたほど変化する軌道が大きかったことはもとより、バッターから見て最初右に変化したかと思ったら急激に左下へ落ちてくるというタイミングの合わせ辛い球だったそうです。ゲーム中で私も潮崎選手と対戦しましたが、確かに相手していて「反則だろっ」って言いたくなる変化球でした。
5、ジェフ・ウィリアムス(スライダー)
阪神ファンからするとバースと並び記憶に残る外人選手のウィリアムス選手ですが、いろんな意味で私の中のサイドスロー投手の常識を打ち破った選手でもあります。というのも私の中でサイド、アンダースローの選手というのはどこか非力な感じがして速球はそれほど速くないという印象があったのですが、このウィリアムス選手に至ってはサイドスローながら速球が時速150キロを超えるなどパワフルな投球をしており、それに加えて文字通り左から差し込むスライダーの凄さには目を見張りました。
ウィリアムス選手は左利きなので左手からボールを投げるのですが、サイドスローゆえにほかの投手と比べてリリースポイントが大きく左にずれており、そこから放たれるスライダーというのは横一文字に大きく変化するのが特徴でした。ただ球が早い、投げるポイントがずれているとかいうのではなくともかく大きく変化するのが特徴で、なんでも空振りした右バッターに投げたスライダーボールがそのままぶつかるといったことが何度かあったそうです。現在ヤクルトの久古健太郎選手もサイドスローでスライダーを武器にしていますが、案外こういった投球方法は定着してくるかもしれません。
6、星野伸之、今中慎二(スローカーブ)
変化量が大きい変化球といったらこの二人を忘れるわけには行かないでしょう。両選手ともおおよそ野球選手にとしては似つかわしくないほど細身の長身選手で、ルックスと相まって現役当時は女性ファンなども多かったと聞きます。そんな二人ですが今中選手はまだ最高球速が時速145キロに達したものの、星野選手に至っては130キロ前後が限界というほど他の一般の投手と比べて非力さをあちこちから指摘されていました。しかし両者ともそれを補って余りある投球術に加え、時速100キロを切るとんでもなく遅いスローカーブを武器に、奇しくも同時期に長きに渡って活躍しておりました。
これも当時に対戦したバッターらの証言ですが、左バッターからすると両者(どちらも左利き)が投げるスローカーブは大きく変化するために背中から入ってくるため、通常の構えからすると完全に一時視界から消えるそうです。しかもそんな遅い球を投げられた後だと速球との球速の落差に目が慣れず、それほど速い球でもない割に空振りを失してしまうことが多かったようです。
それにしても星野選手の球速の遅さは色々とエピソードが多く、奥さんからは「私でも打てる」と言われ、完封勝利後に相手チームの西武の選手らから、「今日の星野は一段と遅い」、「ボールが止まって見えた」などと言われたそうです。個人的にはすごい好きな選手ですが。
7、渡辺俊介(シンカー)
通称「地上3cmの男」ことマリーンズの渡辺選手は恐らく史上最も低い位置から投げつけるアンダースローという特殊な投球フォームばかりが取り上げられますが、何気にもっとすごいんじゃないかと思うのがシンカーボールです。というのも先ほどにも書きましたがシンカーというのは手首を捻じって投げることからサイド・アンダースローと相性がいいのですが、渡辺選手のシンカーはその特徴的な下手投げというフォームから捻じって投げる投げ方ゆえに、ドリルの回転と同じジャイロ回転をしていると言われています。これがどのような意味を持つのかというと、なんでも一説には渡辺選手のシンカーは自身のストレートボールより球速が早いそうです。原理はジャイロ回転をしているゆえに空気抵抗が低いとのことで、それ故に「高速シンカー」という名前が冠されています。まぁそれ以上に、そもそも渡辺選手のストレートの球速が130キロ台と低いのが大きいですが。
ただこの渡辺選手についてもう少し付け加えると、先の星野選手、今中選手同様に体格に恵まれず中学、高校と二番手以下の投手に甘んじていたそうです。そこでどうすればいいかということで父親と、唯一の取り柄でこれだけなら誰にも負けたことのなかった体の柔らかさを生かして「アンダースローになるしかない」という結論から今のフォームに至ったそうです。その後大学野球時代もあまり注目されませんでしたが、投げていた試合を見に来ていた社会人野球の新日鉄君津の監督の目に留まったことからチームにスカウトされたそうですが、本人の著書によると当時の大学の監督は、「いやいや、今日たまたまあいつは調子が良いだけでやめておいた方がいいですよ(;´Д`)」と止めたらしいです。ひどいよ監督。
しかしそうしたやや日陰者の経歴ながら現在では球界を代表する投手となり、ひいては彼の影響からアンダースローに挑戦する中学、高校野球選手も増えてきているといい、人生譚として渡辺選手の「長所にかける」生き方には強い共感と尊敬を覚えます。同様の選手では元阪神の赤星選手がいますが、一試合一試合のプレイとともにこうした選手らのバックグラウンドを知ることでよりスポーツが楽しめるのではないかと思い、こうしてまとめてみました。
前からやろうやろうと思ってなかなか実現できずにいた企画ですが今日はその変化球に絞り、拙い私の知識ながらも現実のプロ野球選手の中でひときわ記憶に残る「魔球」と呼ばれるような変化球を投げていた投手とその球種を紹介しようかと思います。
1、伊藤智仁(スライダー)
一番に持ってこないと怒る友人がいるので早速持ってきましたが、元ヤクルトの伊藤智仁選手とくればなんといってもスライダーです。生憎中国だとYoutubeがつなげられないのでもってこれませんが、実際に現役時の伊藤選手のスライダーを見てもらえばわかりますが、明らかに物理学の法則を無視した軌道で、バッターの目の前で真横に曲がっているようにしか見えません。もっともこんなとんでもないスライダーを投げられたのはもともと伊藤選手の方がルーズショルダーという、脱臼しやすい特殊な体つきをしていたからだそうで、そのせいか現役時代が短かったのは残念な限りです。
2、佐々木主浩、野茂英雄(フォーク)
現在でもアメリカでは普通に魔球として取り扱われるフォークボールですが、その使い手と言ったらなんといっても大魔神・佐々木選手とパイオニア・野茂選手の二人が自分の中で挙がってきます。二人とも日米球界で活躍したのはもとより、バッターからすると「目の前ですとんと落ちるため視界から消える」と言わせるほどの落差の大きいフォークボールを決め球として持っていましたが、それ以上に特徴的と言えるのはそのフォークを生かす速球の威力でしょう。二人とも全盛期の最高球速は時速150キロを超えており、それ故にバッターもフォークに対応できなかったと言われています。
なおフォークボールの神様と呼ばれる杉下茂氏によると、現在のフォークボールはSFF(スプリット・フィンガー・ファストボール)などといった亜流が多く、本物のフォークを投げたのは自身と村山実選手、村田兆治選手、野茂選手、佐々木選手の5人を挙げています。それにしても日本は変化球にも神様がいるあたり、バラエティが本当に豊富な気がする。
3、藤川球児(ストレート)
現在私が最も好きな選手の一人ですが、実際に野球選手になれたからよかったものの親にこんな名前を付けられると相当なプレッシャーものです。
変化球と言っておきながらですが、藤川選手の投げる直球ことストレートもよく魔球として取り扱われます。藤川選手については何度もこのブログで取り上げていて誰も覚えていないでしょうが繰り返しになってしまいますが、私が2005年のシーズンで藤川選手の投球を見た際は文字通り目を疑いました。これも実際の動画を確かめてみればわかりますがどのバッターも藤川選手のストレートを空振りする際はいつもボール二、三個分下を振りぬくのですが、対戦したバッターによると「ボールが浮き上がってくるように見える」そうで、実際にテレビ画面で見ていてもボールの軌道が浮いているように見えます。それ故に私は当初、直球に近いシュートという変化球を投げたのではないかと思い、テレビでストレートと表示されても最初は疑ったほどでした。
4、潮崎哲也(シンカー)
シンカー(スクリュー)という球は手首を捻じるようにして投げるため、ダルビッシュ選手ですら封印したほど肘などを故障させてしまいやすい球種です。ただ潮崎選手のようなサイドスローやオーバースローでは腕の振りと合わせて投げやすいそうで、それ故に現在のプロ選手でもオーバースロー以外の投手が投げることが多いように思います。
そんな潮崎選手のシンカーですが、1番の伊藤選手同様にどこかで物理学を無視したような動きをしてました。当時のバッターからも来るのがわかっていても打てないと言われたほど変化する軌道が大きかったことはもとより、バッターから見て最初右に変化したかと思ったら急激に左下へ落ちてくるというタイミングの合わせ辛い球だったそうです。ゲーム中で私も潮崎選手と対戦しましたが、確かに相手していて「反則だろっ」って言いたくなる変化球でした。
5、ジェフ・ウィリアムス(スライダー)
阪神ファンからするとバースと並び記憶に残る外人選手のウィリアムス選手ですが、いろんな意味で私の中のサイドスロー投手の常識を打ち破った選手でもあります。というのも私の中でサイド、アンダースローの選手というのはどこか非力な感じがして速球はそれほど速くないという印象があったのですが、このウィリアムス選手に至ってはサイドスローながら速球が時速150キロを超えるなどパワフルな投球をしており、それに加えて文字通り左から差し込むスライダーの凄さには目を見張りました。
ウィリアムス選手は左利きなので左手からボールを投げるのですが、サイドスローゆえにほかの投手と比べてリリースポイントが大きく左にずれており、そこから放たれるスライダーというのは横一文字に大きく変化するのが特徴でした。ただ球が早い、投げるポイントがずれているとかいうのではなくともかく大きく変化するのが特徴で、なんでも空振りした右バッターに投げたスライダーボールがそのままぶつかるといったことが何度かあったそうです。現在ヤクルトの久古健太郎選手もサイドスローでスライダーを武器にしていますが、案外こういった投球方法は定着してくるかもしれません。
6、星野伸之、今中慎二(スローカーブ)
変化量が大きい変化球といったらこの二人を忘れるわけには行かないでしょう。両選手ともおおよそ野球選手にとしては似つかわしくないほど細身の長身選手で、ルックスと相まって現役当時は女性ファンなども多かったと聞きます。そんな二人ですが今中選手はまだ最高球速が時速145キロに達したものの、星野選手に至っては130キロ前後が限界というほど他の一般の投手と比べて非力さをあちこちから指摘されていました。しかし両者ともそれを補って余りある投球術に加え、時速100キロを切るとんでもなく遅いスローカーブを武器に、奇しくも同時期に長きに渡って活躍しておりました。
これも当時に対戦したバッターらの証言ですが、左バッターからすると両者(どちらも左利き)が投げるスローカーブは大きく変化するために背中から入ってくるため、通常の構えからすると完全に一時視界から消えるそうです。しかもそんな遅い球を投げられた後だと速球との球速の落差に目が慣れず、それほど速い球でもない割に空振りを失してしまうことが多かったようです。
それにしても星野選手の球速の遅さは色々とエピソードが多く、奥さんからは「私でも打てる」と言われ、完封勝利後に相手チームの西武の選手らから、「今日の星野は一段と遅い」、「ボールが止まって見えた」などと言われたそうです。個人的にはすごい好きな選手ですが。
7、渡辺俊介(シンカー)
通称「地上3cmの男」ことマリーンズの渡辺選手は恐らく史上最も低い位置から投げつけるアンダースローという特殊な投球フォームばかりが取り上げられますが、何気にもっとすごいんじゃないかと思うのがシンカーボールです。というのも先ほどにも書きましたがシンカーというのは手首を捻じって投げることからサイド・アンダースローと相性がいいのですが、渡辺選手のシンカーはその特徴的な下手投げというフォームから捻じって投げる投げ方ゆえに、ドリルの回転と同じジャイロ回転をしていると言われています。これがどのような意味を持つのかというと、なんでも一説には渡辺選手のシンカーは自身のストレートボールより球速が早いそうです。原理はジャイロ回転をしているゆえに空気抵抗が低いとのことで、それ故に「高速シンカー」という名前が冠されています。まぁそれ以上に、そもそも渡辺選手のストレートの球速が130キロ台と低いのが大きいですが。
ただこの渡辺選手についてもう少し付け加えると、先の星野選手、今中選手同様に体格に恵まれず中学、高校と二番手以下の投手に甘んじていたそうです。そこでどうすればいいかということで父親と、唯一の取り柄でこれだけなら誰にも負けたことのなかった体の柔らかさを生かして「アンダースローになるしかない」という結論から今のフォームに至ったそうです。その後大学野球時代もあまり注目されませんでしたが、投げていた試合を見に来ていた社会人野球の新日鉄君津の監督の目に留まったことからチームにスカウトされたそうですが、本人の著書によると当時の大学の監督は、「いやいや、今日たまたまあいつは調子が良いだけでやめておいた方がいいですよ(;´Д`)」と止めたらしいです。ひどいよ監督。
しかしそうしたやや日陰者の経歴ながら現在では球界を代表する投手となり、ひいては彼の影響からアンダースローに挑戦する中学、高校野球選手も増えてきているといい、人生譚として渡辺選手の「長所にかける」生き方には強い共感と尊敬を覚えます。同様の選手では元阪神の赤星選手がいますが、一試合一試合のプレイとともにこうした選手らのバックグラウンドを知ることでよりスポーツが楽しめるのではないかと思い、こうしてまとめてみました。
2011年9月1日木曜日
野田新首相に対する中国紙の反応
昨日はなんだかやけに眠くて十時半に床についたら、今日はなんだか躁気味にテンションが高かったです。こんなところで病気自慢をしてもしょうがないですがてんかん症患者は信長やナポレオンを筆頭として感情の上下が激しいとよく聞きますが、私に限って言えばあながち間違いじゃないように思います。それにしても最近になって、年寄り同士が顔を合わせると自分の病気の話から始めるというのがだんだんわかってきました。
そうした無駄話は置いといて今日の本題ですが、日本での野田新首相誕生に合わせてこちらの中国現地紙でも各紙が一面で取り扱うなど、非常に大きく注目されています。その中でいくつか私が読んだ新聞ではまず今回の総裁選の結果をそのまま「意外」と書いてありましたが、これは恐らくその新聞に限らず中国全土のメディア、果てには日本メディアを含めて同じような感想を持ったことでしょう。
というのも総裁選前は中国紙も小沢派肝煎りの海江田氏(中国語が得意らしい)と前原氏ばかり取り上げており、特に前原氏については外務大臣時代に中国ともいろいろやりあったことから首相として望ましくないというような論調が多かったです。もっとも私としては小泉時代ですら日中はそれなりにやってこれたんだから、前原氏が首相になったところで日中関係に影響はないとみておりましたが。
そうした経緯はさることながら今回就任した野田首相については早くも、「歴史認識が肝心」と釘を刺すのも忘れてませんでした。恐らくこれは野田氏がかつてA級戦犯は犯罪者ではないと日本でもあちこちで報じられている過去の発言を得たものとも見ることができますが、そもそもの話として日本政府が中国と関わることと言ったら歴史問題以外はないと言っても過言ではなく、またまた引っ張り出しますが政冷経熱と言われた小泉時代ですら日中の貿易量は増えていったのだし、ほかに書くことがなかったのが現実でしょう。
ただこれ以外に割といい点を突いているなと思ったところで、「財政立て直しを図るのか震災復興を優先するのか、難しい選択が迫られる」という論評がつけられていました。これについては前に書いた記事で私も書きましたが、野田氏は増税をはっきりと口にするなど根っからの財政健全派です。しかし先の東日本大震災での復興活動を行うに当たって大幅な財政支出は避けることは出来ず、この相反する課題に対してどう取り組むのかが今後の試金石となるでしょう。
ついでなのでほかの政治系話題についても書いてしまいますがなんでも今回の総裁選の最中にこちらも立候補した鹿野氏は、決選投票前に海江田氏を支持するか野田氏を支持するのかをスーツを脱ぐことで自派閥に伝えたそうですが、ここはひとつ鹿野氏を見習って自分もこれから会議のたびにむやみやたらにスーツを脱ごうかなと画策してます。それにしても高校野球のサインじゃないんだからと思う一方、こういう古典的な方法を見るとなんか安心してしまう自分もいます。
あと有力候補とみられながら落選した件の前原氏ですが、また今日も外国人献金が明るみになってとうとう合計金額が百万円を突破したそうです。一回目にまとめてわかるならまだしもその後きちんと調査していなかったのかただただ呆れるばかりですが、ここまでの迂闊ぶりを見ると本当にこの人は今回の総選挙で落選してよかったと一国民として思います。日本で既に誰か言っている人がいるかもしれませんしキツイ言葉だということは承知の上ですが、永田元議員はメール問題の際に自ら議員辞職しました。
そうした無駄話は置いといて今日の本題ですが、日本での野田新首相誕生に合わせてこちらの中国現地紙でも各紙が一面で取り扱うなど、非常に大きく注目されています。その中でいくつか私が読んだ新聞ではまず今回の総裁選の結果をそのまま「意外」と書いてありましたが、これは恐らくその新聞に限らず中国全土のメディア、果てには日本メディアを含めて同じような感想を持ったことでしょう。
というのも総裁選前は中国紙も小沢派肝煎りの海江田氏(中国語が得意らしい)と前原氏ばかり取り上げており、特に前原氏については外務大臣時代に中国ともいろいろやりあったことから首相として望ましくないというような論調が多かったです。もっとも私としては小泉時代ですら日中はそれなりにやってこれたんだから、前原氏が首相になったところで日中関係に影響はないとみておりましたが。
そうした経緯はさることながら今回就任した野田首相については早くも、「歴史認識が肝心」と釘を刺すのも忘れてませんでした。恐らくこれは野田氏がかつてA級戦犯は犯罪者ではないと日本でもあちこちで報じられている過去の発言を得たものとも見ることができますが、そもそもの話として日本政府が中国と関わることと言ったら歴史問題以外はないと言っても過言ではなく、またまた引っ張り出しますが政冷経熱と言われた小泉時代ですら日中の貿易量は増えていったのだし、ほかに書くことがなかったのが現実でしょう。
ただこれ以外に割といい点を突いているなと思ったところで、「財政立て直しを図るのか震災復興を優先するのか、難しい選択が迫られる」という論評がつけられていました。これについては前に書いた記事で私も書きましたが、野田氏は増税をはっきりと口にするなど根っからの財政健全派です。しかし先の東日本大震災での復興活動を行うに当たって大幅な財政支出は避けることは出来ず、この相反する課題に対してどう取り組むのかが今後の試金石となるでしょう。
ついでなのでほかの政治系話題についても書いてしまいますがなんでも今回の総裁選の最中にこちらも立候補した鹿野氏は、決選投票前に海江田氏を支持するか野田氏を支持するのかをスーツを脱ぐことで自派閥に伝えたそうですが、ここはひとつ鹿野氏を見習って自分もこれから会議のたびにむやみやたらにスーツを脱ごうかなと画策してます。それにしても高校野球のサインじゃないんだからと思う一方、こういう古典的な方法を見るとなんか安心してしまう自分もいます。
あと有力候補とみられながら落選した件の前原氏ですが、また今日も外国人献金が明るみになってとうとう合計金額が百万円を突破したそうです。一回目にまとめてわかるならまだしもその後きちんと調査していなかったのかただただ呆れるばかりですが、ここまでの迂闊ぶりを見ると本当にこの人は今回の総選挙で落選してよかったと一国民として思います。日本で既に誰か言っている人がいるかもしれませんしキツイ言葉だということは承知の上ですが、永田元議員はメール問題の際に自ら議員辞職しました。
2011年8月30日火曜日
情報媒体別の信頼性
このところ自分も元気がないのか記事を一日に二本更新することがほとんどなくなりました。まぁその原因は元気がないんじゃなくて、「モンスターハンターP2G」と「太閤立志伝5」というゲームのせいなんですが、後者は今、敦賀でOLしてたけどある日脱サラして甲賀の里で忍者になったという設定のくのいちでプレイしていますが、上役からの仕事指示で茶道を教わりに通っている千利休から何度も茶碗を盗んだりしていていろいろと胸が痛みます。終いには悪名が高まり過ぎて、柳生宗厳に突然襲われたりするし……。
そうした雑談は置いといて今日の本題ですが、昨日総裁選に勝利した野田氏は本日晴れて衆参の決議を経て首相に就任し、これからは野田首相と呼べるようになりました。さすがに昨日の今日ということで組閣にまではまだ至ってはいませんが、党内人事には小沢派、非小沢派からそこそこ信頼が持たれている輿石氏を幹事長に迎えるなど、当初の発言通りに党内融和を図った人事を進めているようです。
実はこの輿石氏の幹事長就任ですが本日昼ごろにNHKが、「輿石氏、就任に難色」という報道をしていました。にもかかわらず夕方には輿石氏は承諾し、NHKも七時台のニュースで昼間の報道には全く触れずに就任報道をしていました。
まぁいくら報道機関だからと言ってなんでもかんでも正しく報道できるわけじゃないし、時にはしくじることもあるでしょうからあまり気にするわけじゃないですが、タイミングがいいというかこういった勢い余ってしまったような飛ばし報道について、池上彰氏が日経新聞に対して言及する記事をたまたま読む機会がありました。
・池上彰氏が日経報道姿勢に「苦言」 「日立・三菱重工統合」続報なぜ出ない(JCASTニュース)
件の記事は上のものですが、確か今月初め頃にあった「日立、三菱重工が経営統合」という記事を日系が出したもののその後うんともすんとも続報を出さないでいる日経(ちなみに対象の企業側は報道を否定)に対して池上氏が苦言を呈したそうなのですが、元々日経には以前からこういう飛ばし報道をする癖があると指摘されており、キリンとサントリー合併報道でもほかのメディアが「そりゃないよ」としている中で日経だけは「合意間近」と主張し続けておりました。それ故に「日経は経済面以外はいい」とまで言われる所以なのですが、大新聞や大メディアであっても一見して怪しい情報はやはり怪しい情報として終わるという例によく使わせてもらっております。
ここで話は変わりますが自分以上に反権力の塊みたいなある友人はやはりその思想上から記者クラブで囲い込みする大メディアをとことん嫌い、情報入手先として週刊誌をよく頼り、週刊現代とビッグコミックについてなら何でも来いというのが一人います。もちろんその友人は出来がいいために週刊誌から怪しい情報は拾わずに地味に面白い情報だけをきちんと選び取ってきて末恐ろしいのですが、私も確かに大メディアは嫌うものの、週刊誌はやはりメインソースには出来ないと考えています。
というのも昔にリアルタイムで取り上げた週刊新潮の偽赤報隊事件犯人の記事などのように時たま大真面目に平気で大ウソをこくところがあり、「所詮は週刊誌」というスタンスで取り扱わなければ変なところで痛い目に遭うと感じるからです。だからと言って週刊誌など雑誌メディアに価値がないというわけじゃなく、現在取りざたされている島田伸介氏の引退を巡る騒動については明らかに大メディアは引いて報道する中で今年四月の段階からかなり踏み込んで報道するなど、大メディアの弱い部分については一程度の信頼は置けますし情報ソースとして重宝します。ちなみに2007年くらいに確か文芸春秋は当時の中田カウス氏の報道と合わせて、サイドビジネスに執心し過ぎるとして島田氏のことを取り上げていたような気がします。先見の明があるというかなんというか。
こうした既存メディアに対し、近年新たに出てきたメディアとしてはこうしたブログに代表されるネットメディアです。インターネット新聞については一時は一気に広がると言われながらもやはり採算を取れるところは少なく未だにごく少数でしか運営されていませんが、基本的に私はネット発の情報は初めの段階では全く信頼しません。以前にも誰かが妙なコメントをしてきた際に取り上げましたが一部のネットメディアは本当に愚にもつかない情報を最低限の確認もせずに載せたりすることがあり、しかもアクセス数を稼ぐためなのかかなり刺激性で過激性に偏ったことを書いたりします。
個人的には今後ネットメディアもこうした情報の確証性などを組合かなんか作って高めていき、他の既存メディアと並ぶような存在になってほしいとは思うものの、現状ではまだそこまで望むべくもありません。まぁどれか一つのメディアに偏るのではなく、状況に応じて使い分けるというのが一番ベストであることに変わりはないですが。
そうした雑談は置いといて今日の本題ですが、昨日総裁選に勝利した野田氏は本日晴れて衆参の決議を経て首相に就任し、これからは野田首相と呼べるようになりました。さすがに昨日の今日ということで組閣にまではまだ至ってはいませんが、党内人事には小沢派、非小沢派からそこそこ信頼が持たれている輿石氏を幹事長に迎えるなど、当初の発言通りに党内融和を図った人事を進めているようです。
実はこの輿石氏の幹事長就任ですが本日昼ごろにNHKが、「輿石氏、就任に難色」という報道をしていました。にもかかわらず夕方には輿石氏は承諾し、NHKも七時台のニュースで昼間の報道には全く触れずに就任報道をしていました。
まぁいくら報道機関だからと言ってなんでもかんでも正しく報道できるわけじゃないし、時にはしくじることもあるでしょうからあまり気にするわけじゃないですが、タイミングがいいというかこういった勢い余ってしまったような飛ばし報道について、池上彰氏が日経新聞に対して言及する記事をたまたま読む機会がありました。
・池上彰氏が日経報道姿勢に「苦言」 「日立・三菱重工統合」続報なぜ出ない(JCASTニュース)
件の記事は上のものですが、確か今月初め頃にあった「日立、三菱重工が経営統合」という記事を日系が出したもののその後うんともすんとも続報を出さないでいる日経(ちなみに対象の企業側は報道を否定)に対して池上氏が苦言を呈したそうなのですが、元々日経には以前からこういう飛ばし報道をする癖があると指摘されており、キリンとサントリー合併報道でもほかのメディアが「そりゃないよ」としている中で日経だけは「合意間近」と主張し続けておりました。それ故に「日経は経済面以外はいい」とまで言われる所以なのですが、大新聞や大メディアであっても一見して怪しい情報はやはり怪しい情報として終わるという例によく使わせてもらっております。
ここで話は変わりますが自分以上に反権力の塊みたいなある友人はやはりその思想上から記者クラブで囲い込みする大メディアをとことん嫌い、情報入手先として週刊誌をよく頼り、週刊現代とビッグコミックについてなら何でも来いというのが一人います。もちろんその友人は出来がいいために週刊誌から怪しい情報は拾わずに地味に面白い情報だけをきちんと選び取ってきて末恐ろしいのですが、私も確かに大メディアは嫌うものの、週刊誌はやはりメインソースには出来ないと考えています。
というのも昔にリアルタイムで取り上げた週刊新潮の偽赤報隊事件犯人の記事などのように時たま大真面目に平気で大ウソをこくところがあり、「所詮は週刊誌」というスタンスで取り扱わなければ変なところで痛い目に遭うと感じるからです。だからと言って週刊誌など雑誌メディアに価値がないというわけじゃなく、現在取りざたされている島田伸介氏の引退を巡る騒動については明らかに大メディアは引いて報道する中で今年四月の段階からかなり踏み込んで報道するなど、大メディアの弱い部分については一程度の信頼は置けますし情報ソースとして重宝します。ちなみに2007年くらいに確か文芸春秋は当時の中田カウス氏の報道と合わせて、サイドビジネスに執心し過ぎるとして島田氏のことを取り上げていたような気がします。先見の明があるというかなんというか。
こうした既存メディアに対し、近年新たに出てきたメディアとしてはこうしたブログに代表されるネットメディアです。インターネット新聞については一時は一気に広がると言われながらもやはり採算を取れるところは少なく未だにごく少数でしか運営されていませんが、基本的に私はネット発の情報は初めの段階では全く信頼しません。以前にも誰かが妙なコメントをしてきた際に取り上げましたが一部のネットメディアは本当に愚にもつかない情報を最低限の確認もせずに載せたりすることがあり、しかもアクセス数を稼ぐためなのかかなり刺激性で過激性に偏ったことを書いたりします。
個人的には今後ネットメディアもこうした情報の確証性などを組合かなんか作って高めていき、他の既存メディアと並ぶような存在になってほしいとは思うものの、現状ではまだそこまで望むべくもありません。まぁどれか一つのメディアに偏るのではなく、状況に応じて使い分けるというのが一番ベストであることに変わりはないですが。
2011年8月29日月曜日
野田氏の民主党総裁就任について
このところ政治系記事から遠ざかっておりましたが、久々に大きく取り上げるニュースが入ってきました。
すでにあちこちで報じられていると思うのでリンクは貼りませんが、本日行われた管首相の後継を巡る民主党代表選挙の結果、現財務大臣の野田佳彦氏が当選しました。与党民主党の代表ということで事実上次の総理就任が確実ですが、私の感想はというと意外な結果でした。
今回の民主党代表選挙ですが、私の予想では第一回目の投票では小沢派が推す海江田現経産大臣が一位になるも過半数は獲得できず決選投票となり、その決選投票を経て前原氏が勝つんじゃないかと思っていたのですが、ふたを開けてみると一回目の投票で二位となったのは野田氏で、二回目の投票でも海江田氏を破っての当選となりました。前の記事で「小沢派は言われているほど影響力はない」と書いてしまってたのもあり、海江田氏が落ちて実はホッとしました。
それで当選して次の首相になる野田氏についてですが、正直なところこの人の持つ政策案や人物は未知数なところが多いです。最近日本の情報から遠ざかっているのもありますが、私が唯一といって野田氏について知っていることはその財政方針が増税・健全化派だということです。
かねてから野田氏は与謝野氏同様に財政健全化のためには増税が必要だと主張しており、なんかあっちこっちでもう書かれていますが一日二箱を消費する程のヘビースモーカーにもかかわらずたばこ税増税を自ら手掛けています。私も与謝野氏、野田氏同様に増税やむなし、下手すりゃ震災だからと言い訳せずに果断に実施すべしというくらいの立場であることから、この点については野田氏に対して好感が持てます。
またこのほか今日になって焦って経歴とかも調べましたが、現在の管首相同様に野田氏も二世議員ではなく完全な叩き上げの議員であることも期待感が得られます。管首相もたたき上げであることからこれまでの二世議員と違って、辞任発言をしたにもかかわらずなかなかやめようとしないなど余計なくらいにタフでありましたが、近年の日本の政治的混乱は安倍首相に始まるすぐに交代する首相職が大きな原因であることから、是非とも野田氏も生半可な批判程度には負けずに任期を全うしてもらいたいものです。
なんかつぎはぎだらけの文章が続いていますがもう一つ野田氏を持ち上げるエピソードを挙げるとすると、ちょっと時期は忘れましたが円が急騰を見せた際に記者からコメントを求められ、「状況を注視して見守っていく」と発言したことが確かありました。この発言の後、あくまでネット上ではどれだけのんきなことを言っているんだ、無策な人間だなどと激しく野田氏を批判する声が見かけられましたが、私はこの野田氏の発言を見て意外にしっかりした人だと感じていました。というのも当時の状況(現在もだけど)で日本が円高に対して打てる手段なんてないに等しく、具体的な手段に言及しようものならその程度しかもう政府には手が残っていないのかと懐を見透かされる恐れがあり、それであるのなら何も言わずに手段があるのかないのかを敢えてぼかし牽制するのが一番と考えており、まさにそのように野田氏が発言したのを見てああいう場での発言をよくわきまえている人だと思いました。
と、こんな感じで折角の新首相なのでやや持ち上げるようなことを多く書きましたが、マスコミもすでに言及しているように野田氏を待つ現状はお世辞にも楽な環境ではありません。まず求められるのは震災被災者に対する支援と復興対策ですが、物事を決めようにも衆参でねじれ現象が起きており、なおかつ民主党内もいつものことですが一枚岩ではないために党内運営ですら困難が予想されます。また仮に総裁選前に前原氏が公約に掲げた自民党、公明党などとの大連立が起きたとしても、恐らく所帯がでかくなるだけで現在の民主党と同じ内部抗争を繰り広げるだけに終わる可能性が高いです。
ではどうすればいいかですが、一つ考えられるのは自民と大連立した上で掲げる政策に同調できない議員らを党内から追放し、政界再編を敢えて起こすことです。リスクは高いですが成功すれば衆参のねじれを解消した上で政策を一本化し、安定基盤を作ることができます。もう一つの案としては現民主党体制を維持した上で、世代交代を進めることです。こっちの案については詳細を省きます。
とはいえ、今の日本の状況を考えると誰が首相になるかよりもどのように首相を切り盛りするかが大事です。一国民として必要であれば引きずり降ろすべく批判しますが、そうでない場合は可能な限り応援したいと思います。
すでにあちこちで報じられていると思うのでリンクは貼りませんが、本日行われた管首相の後継を巡る民主党代表選挙の結果、現財務大臣の野田佳彦氏が当選しました。与党民主党の代表ということで事実上次の総理就任が確実ですが、私の感想はというと意外な結果でした。
今回の民主党代表選挙ですが、私の予想では第一回目の投票では小沢派が推す海江田現経産大臣が一位になるも過半数は獲得できず決選投票となり、その決選投票を経て前原氏が勝つんじゃないかと思っていたのですが、ふたを開けてみると一回目の投票で二位となったのは野田氏で、二回目の投票でも海江田氏を破っての当選となりました。前の記事で「小沢派は言われているほど影響力はない」と書いてしまってたのもあり、海江田氏が落ちて実はホッとしました。
それで当選して次の首相になる野田氏についてですが、正直なところこの人の持つ政策案や人物は未知数なところが多いです。最近日本の情報から遠ざかっているのもありますが、私が唯一といって野田氏について知っていることはその財政方針が増税・健全化派だということです。
かねてから野田氏は与謝野氏同様に財政健全化のためには増税が必要だと主張しており、なんかあっちこっちでもう書かれていますが一日二箱を消費する程のヘビースモーカーにもかかわらずたばこ税増税を自ら手掛けています。私も与謝野氏、野田氏同様に増税やむなし、下手すりゃ震災だからと言い訳せずに果断に実施すべしというくらいの立場であることから、この点については野田氏に対して好感が持てます。
またこのほか今日になって焦って経歴とかも調べましたが、現在の管首相同様に野田氏も二世議員ではなく完全な叩き上げの議員であることも期待感が得られます。管首相もたたき上げであることからこれまでの二世議員と違って、辞任発言をしたにもかかわらずなかなかやめようとしないなど余計なくらいにタフでありましたが、近年の日本の政治的混乱は安倍首相に始まるすぐに交代する首相職が大きな原因であることから、是非とも野田氏も生半可な批判程度には負けずに任期を全うしてもらいたいものです。
なんかつぎはぎだらけの文章が続いていますがもう一つ野田氏を持ち上げるエピソードを挙げるとすると、ちょっと時期は忘れましたが円が急騰を見せた際に記者からコメントを求められ、「状況を注視して見守っていく」と発言したことが確かありました。この発言の後、あくまでネット上ではどれだけのんきなことを言っているんだ、無策な人間だなどと激しく野田氏を批判する声が見かけられましたが、私はこの野田氏の発言を見て意外にしっかりした人だと感じていました。というのも当時の状況(現在もだけど)で日本が円高に対して打てる手段なんてないに等しく、具体的な手段に言及しようものならその程度しかもう政府には手が残っていないのかと懐を見透かされる恐れがあり、それであるのなら何も言わずに手段があるのかないのかを敢えてぼかし牽制するのが一番と考えており、まさにそのように野田氏が発言したのを見てああいう場での発言をよくわきまえている人だと思いました。
と、こんな感じで折角の新首相なのでやや持ち上げるようなことを多く書きましたが、マスコミもすでに言及しているように野田氏を待つ現状はお世辞にも楽な環境ではありません。まず求められるのは震災被災者に対する支援と復興対策ですが、物事を決めようにも衆参でねじれ現象が起きており、なおかつ民主党内もいつものことですが一枚岩ではないために党内運営ですら困難が予想されます。また仮に総裁選前に前原氏が公約に掲げた自民党、公明党などとの大連立が起きたとしても、恐らく所帯がでかくなるだけで現在の民主党と同じ内部抗争を繰り広げるだけに終わる可能性が高いです。
ではどうすればいいかですが、一つ考えられるのは自民と大連立した上で掲げる政策に同調できない議員らを党内から追放し、政界再編を敢えて起こすことです。リスクは高いですが成功すれば衆参のねじれを解消した上で政策を一本化し、安定基盤を作ることができます。もう一つの案としては現民主党体制を維持した上で、世代交代を進めることです。こっちの案については詳細を省きます。
とはいえ、今の日本の状況を考えると誰が首相になるかよりもどのように首相を切り盛りするかが大事です。一国民として必要であれば引きずり降ろすべく批判しますが、そうでない場合は可能な限り応援したいと思います。
2011年8月28日日曜日
儒学の反骨性
よくネット上などで、「日本は儒学社会だから社畜が多い」などという言葉を見かけます。この言葉の言わんとしていることは「お上に何でも従え」と教える儒学概念が日本では強いため、外国人からしたら劣悪以外の何物でもない雇用環境でも文句も言わず働く日本人が多いという意味ですが、後者の部分はともかくとして前者の部分には「異議ありっ!!( ゚Д゚)」と言いたいです。私は確かに真剣に儒学を学んだわけじゃありませんが、儒学は上意下達な学問ではなく、むしろ反骨心が高い学問だとみているからです。
そもそもの話として、日本で儒学と言ったらほぼ間違いなく朱子学を指します。この朱子学というのは私の恩師に言わせると、「儒学の中でも極左的なもの」だそうで、中国でも一時国学化されたものの決して全土で流行ったものじゃなかったそうです。しかし何故かその極左的な朱子学は上意下達で為政者にとって都合がよかったことから朝鮮半島、そして日本では流行ってしまい、中国本国とはまた違った儒学がそれぞれの国で発展することとなりました。
では元々の儒学はどうなのかということですが、儒学と言ってもたくさん学派があるのでひとくくりは出来ないもののその一番のバイブルとなっている「論語」においては結構反骨心が高い記述が多く、むしろ効かん気の強い学問ではないかという風に感じるところが多いです。
そう思うような具体的な個所をいくつか紹介すると、「もし主君が正道を務めないようであれば諌め、それでも改めなければそっと離れなさい」という記述があります。これは主が間違った行為をしているようであれば批判を恐れず諌め、それでも行動を改めようとしないのであればその主君に付き従ってはならない、むしろ協力するなという意味です。またこれ以外にも間違った方向へは自分の才能は使ってはならないなど、ゆくゆく仕えるべき主君についてあれこれ注意がなされております。
実際に古代における中国の儒学者の経歴を見ると、頑固というか言うこと聞かない直言居士ばかりが目につきます。当時から一流の儒学者だった司馬遷はもとより、今のアカデミックの主流が反権力を掲げているのと同様に儒学も権力に対して批判的な立場であるのが正位置なのではないかと思います。
それ故に最初の話に戻るのであれば、今の日本社会は邪教がはびこったせいでいろいろおかしなことになっているのではないかと私は思っている、というか常日頃から主張しています。人間もちろん我慢が出来るというのは美徳ですが、度が過ぎた我慢というのは周囲をも巻き込み全体を不幸にしてしまうと考えます。友人などから話を聞きますが冗談抜きでどうして過労死にならないのか、なったとしても誰も気に留めないのか、年末に毎日のように人身事故が起きても誰も気に留めないのかと思うくらいの今の日本の状況においては、嫌なものは嫌とはっきり拒否する勇気が必要なのではないかと思い、本来の儒教にある価値観こそが今求められているのではという気がします。
ちなみに日本におけるもう一つの有名な儒学の学派は陽明学がありますが、こちらも日本に伝わる途中でちょっと変遷を受けて「実践第一」が妙に重んじられるようになりましたが、そのせいか著名な日本の陽明学者は吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山と、反体制思想の塊のような面々が集うようになってしまいました。もし仮に私が為政者の側であったら、朱子学は弊害が大きいと判断して採用しない程度でほっとくでしょうが、陽明学においてはさすがにあれなんで流行らせないようにするかもしれません。
最後にもう一つ蛇足ですが実践という話ではよく、「義の無き信念は無に等しい」という言葉を私は使ってます。これは原作:武論尊氏、作画:池上良一氏の漫画の「HEAT -灼熱-」という漫画に出てくるセリフですが、セリフが出てくるシーンのネタバレをするとアメリカで弁護士をしていた主人公の父親が世話になったマフィアのボスから、黒人への銃乱射事件を起こした白人の少年の弁護を頼まれます。目撃者も多くいたことから有罪確定とみられた裁判は主人公の父親の腕もあり無罪へと傾きますが、この父親の行動に子供だった主人公は強く反発します。
そして裁判では最後に無罪判決が下りて裁判所から喜んで白人の少年は出てくるわけですが、主人公の父親はその背後から少年を射殺すると、自分の保険金は事件の遺族らに渡るよう手配していると言って自殺します。その父親から主人公への遺書に上記の言葉が入っているわけですが、頭で考えるだけでも駄目、実践するだけでも駄目という意味でこのエピソードをよく思い浮かべるようにしています。
そもそもの話として、日本で儒学と言ったらほぼ間違いなく朱子学を指します。この朱子学というのは私の恩師に言わせると、「儒学の中でも極左的なもの」だそうで、中国でも一時国学化されたものの決して全土で流行ったものじゃなかったそうです。しかし何故かその極左的な朱子学は上意下達で為政者にとって都合がよかったことから朝鮮半島、そして日本では流行ってしまい、中国本国とはまた違った儒学がそれぞれの国で発展することとなりました。
では元々の儒学はどうなのかということですが、儒学と言ってもたくさん学派があるのでひとくくりは出来ないもののその一番のバイブルとなっている「論語」においては結構反骨心が高い記述が多く、むしろ効かん気の強い学問ではないかという風に感じるところが多いです。
そう思うような具体的な個所をいくつか紹介すると、「もし主君が正道を務めないようであれば諌め、それでも改めなければそっと離れなさい」という記述があります。これは主が間違った行為をしているようであれば批判を恐れず諌め、それでも行動を改めようとしないのであればその主君に付き従ってはならない、むしろ協力するなという意味です。またこれ以外にも間違った方向へは自分の才能は使ってはならないなど、ゆくゆく仕えるべき主君についてあれこれ注意がなされております。
実際に古代における中国の儒学者の経歴を見ると、頑固というか言うこと聞かない直言居士ばかりが目につきます。当時から一流の儒学者だった司馬遷はもとより、今のアカデミックの主流が反権力を掲げているのと同様に儒学も権力に対して批判的な立場であるのが正位置なのではないかと思います。
それ故に最初の話に戻るのであれば、今の日本社会は邪教がはびこったせいでいろいろおかしなことになっているのではないかと私は思っている、というか常日頃から主張しています。人間もちろん我慢が出来るというのは美徳ですが、度が過ぎた我慢というのは周囲をも巻き込み全体を不幸にしてしまうと考えます。友人などから話を聞きますが冗談抜きでどうして過労死にならないのか、なったとしても誰も気に留めないのか、年末に毎日のように人身事故が起きても誰も気に留めないのかと思うくらいの今の日本の状況においては、嫌なものは嫌とはっきり拒否する勇気が必要なのではないかと思い、本来の儒教にある価値観こそが今求められているのではという気がします。
ちなみに日本におけるもう一つの有名な儒学の学派は陽明学がありますが、こちらも日本に伝わる途中でちょっと変遷を受けて「実践第一」が妙に重んじられるようになりましたが、そのせいか著名な日本の陽明学者は吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山と、反体制思想の塊のような面々が集うようになってしまいました。もし仮に私が為政者の側であったら、朱子学は弊害が大きいと判断して採用しない程度でほっとくでしょうが、陽明学においてはさすがにあれなんで流行らせないようにするかもしれません。
最後にもう一つ蛇足ですが実践という話ではよく、「義の無き信念は無に等しい」という言葉を私は使ってます。これは原作:武論尊氏、作画:池上良一氏の漫画の「HEAT -灼熱-」という漫画に出てくるセリフですが、セリフが出てくるシーンのネタバレをするとアメリカで弁護士をしていた主人公の父親が世話になったマフィアのボスから、黒人への銃乱射事件を起こした白人の少年の弁護を頼まれます。目撃者も多くいたことから有罪確定とみられた裁判は主人公の父親の腕もあり無罪へと傾きますが、この父親の行動に子供だった主人公は強く反発します。
そして裁判では最後に無罪判決が下りて裁判所から喜んで白人の少年は出てくるわけですが、主人公の父親はその背後から少年を射殺すると、自分の保険金は事件の遺族らに渡るよう手配していると言って自殺します。その父親から主人公への遺書に上記の言葉が入っているわけですが、頭で考えるだけでも駄目、実践するだけでも駄目という意味でこのエピソードをよく思い浮かべるようにしています。
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