・列車追突、260人負傷=設備故障で減速運転中―邦人2人が軽傷・上海地下鉄(時事通信)
日本でも速報が流れたと聞くので既に知っておられるかと思いますが、本日午後3時頃に上海市地下鉄10号線にて列車衝突事故が起こりました。事故の詳しい詳細については上記リンク先の記事を確認してもらえばいいですが、さすがにこの前に起きた高速鉄道の衝突事故ほど大参事ではなく、複数人のけが人が出たものの死傷者は出ていないと現在のところ発表されております。もっとも新華社のホームページでは事故現場の写真が公開されておりますが、昼間見た時には床を血まみれにして人が倒れている結構どぎつい写真があったのにいつの間にかなくなっております。
さてこの衝突事故ですが、具体的な原因についてはまた管制やら信号トラブルだと言われておりますが、前回のあの高速鉄道の余韻冷めやらぬ中の衝突事故なだけに中国鉄道部(実際の運営は上海市営地下鉄だけど)としては汚名に汚名を重ねている状態と言っていいでしょう。もっともこんなことを言えば黒塗りの事故報告書をしれっと平気で出す我らが東電もあまり人のことを言えないのですが、今後はますます世間の目も厳しくなって政府としても解体作業に入りやすくなるんじゃないかと思います。
なお今回事故が起こった地下鉄10号線ですが、日本の報道でもいろいろ書かれている通りに去年の万博の時期に開業しただけあって上海市の地下鉄としてはかなり新しい路線です。日本でいえば山手線、京浜東北線にあたる3、4号線と比べると車両や駅舎のきれいさには目を見張るばかりで、普段乗っててもあまり悪い印象は覚えません。ただこの10号線は今回の事故が起こる以前にもトラブルが相次いでおり、確か7月の高速鉄道の事故が起きてすぐには原因不明で車両が動かなくなったことがあり、また衝突事故でもやらかすんじゃないのと当時は冗談で周りと言い合っていました。
別に隠すことでもないのでもう言ってしまいますが、実は私の住んでる部屋はこの10号線沿いにあり、通勤は徒歩で行っているものの市内で地下鉄を利用する際には必ず乗り込む路線です。私の部屋の最寄り駅は今日事故の起きた豫園駅と老西門駅からは離れていますが、さすがに普段から使っている路線なだけに少し嫌な気分にさせられます。
そんなもんだから今日会社帰りに近くの10号線の駅を見に行ったところ、当然と言えばそうですがシャッターが下りたままで入ることすらできませんでした。あと道路を見た限り、あくまで私の印象ですが地下鉄を忌避する人が出たのかいつもより混雑した感じを覚えました。
ついでに書くとこのところ中国ではエレベーター、エスカレーターでも事故が相次いでおり、こちらは基本的に製造メーカーは海外企業ながらもいろいろと品質が不安視されております。そんなエレベーターの事故の中でひときわ目を引いたのはあるオフィスビルのエレベーター事故で、なんでも13階から急に落下し始め一旦は9階で停止したものの、またすぐ落下をはじめ1階まで落ちてきたそうです。幸いというかこの事故でも死者は出ませんでしたが、一回停止してまた落ちるって、中にいた人はとんでもなく怖かったはずでしょう。今度上海にもディズニーランドが出来ますが、下手なアトラクションを作るよりかはこういったエレベーターを置いとくだけでもスリルは味わえるのではと噂になりました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年9月27日火曜日
2011年9月26日月曜日
中国政府と人民解放軍の思惑の違い
ちょっと古い話ですが、今年に防衛相が出した最新の防衛白書で、「尖閣諸島や南沙諸島などでの近年の中国軍の動きには警戒する必要がある」との記述を盛り込んだところ、こちら中国現地の新聞でもその内容が大きく取り上げられました。ただ断言してもいいですがこうした中国軍こと人民解放軍を警戒する記述が出たことで一番喜んだのは、ほかでもなく人民解放軍自身です。
前もって言葉の説明だけしておきますが、建前上は中国という国に軍隊はありません。一般に中国軍と呼ばれているのは人民解放軍のことですが、これは中国共産党が保有する軍のことで中国という国家の軍隊ではないという風に解釈されております。ただ実態的には中国軍と言っても変わらないことに中国、そして共産党自身もわかっており、近年は徐々に「中国という国家の軍隊」との解釈の仕方を本人らで広げております。
それで本題に戻りますが、一体何故人民解放軍は自衛隊が自分たちを警戒すると喜ぶのかですが、理由は単純明快で予算が得られるからです。その理屈というのも、
自衛隊が警戒している→彼らに対抗せねば→もっと予算が必要アル→政府は拡大予算を組むアル!
という解釈につながっていくからです。
こういってはなんですが、自衛隊はそういう存在ではないとはっきり言えるものの、軍隊というのは戦争があってなんぼです。戦争がなければどんどん予算は削減される一方、有事や危機感が高まれば逆に予算はどんどん増え、好き放題に使うことができます。戦前の日本も戦争に突入した一つのきっかけとつしてロンドン海軍軍縮条約に身の程知らずの旧帝国海軍が異を唱えたことが大きな要因となっておりますが、こういったことは多かれ少なかれどこの国にも共通しています。何気に最近のアメリカでも中国脅威論が言われるようになったのは、アメリカ軍が予算獲得のための一つの方便として使うようになったからで、本音では中国の軍隊なんて屁とも思っていないという話も聞きます。
さてこのような中国軍が予算を獲得したいという仮説ですが、これに対する中国政府の本音はというと、どうも私が見ている限りですと逆に軍隊を削減し軍事予算を減らしたいという思惑が見え隠れします。共産圏の軍隊というと北朝鮮の軍隊がある意味最も身近ですが、同じ共産圏でも中国と北朝鮮での軍隊への見方というのは大きく異なっており、中国では政府はおろか一般国民でさえも軍人を低く見ております。ひどい中国人なんか軍隊なんてクズの行くところだと広言してはばかりませんし、現実に退役した軍人には世間の蔑視があるため再就職もままならないそうです。
そんな風に見られている人民解放軍ですが、兵員数は北朝鮮と同じく100万人を超えており、世界的にもかなり大規模な軍隊です。た現代の戦争は兵隊の数が戦局に与える影響は少なく、中国もどちらかというと雇用を維持するためにこんな大規模な兵員数を維持しているのが本音で、可能ならば縮減して余ったお金を経済投資に使いたがっているという話を聞きますし、私もこの説を支持します。
そのため現在の政府と人民解放軍の思惑は、予算を減らしたいのと増やしたいので真っ向からぶつかっており、決して仲のいい関係ではありません。それ故に起こったのが昨年の尖閣諸島沖の漁船衝突事故とも言われ、あの事件で事態を大きく見せることが人民解放軍にとって有利に働くことから裏でいろいろ画策していたのではないかと、あくまで噂の範囲ですが言われております。
ではこうした中国に対し、日本はどのような態度を取るべきなのか。はっきり言ってバランスの取り具合で非常に難しく、中国を警戒する発言をすればするほど中国で軍事予算が拡大する可能性があり、かといって無警戒だと好き放題にやられた上に国内世論もヒートアップします。一番無難なのははっきりとしたライン、たとえば領海内に艦船などが侵入することがあれば中国限定の輸出規制対象品リストを作るとか、こっちまで来たら徹底的に対抗するという線を作りそれをはっきり見せることじゃないかと思います。どちらにしろ、あやふやな態度が一番問題です。
もう一つは、中国政府の人間と強固なパイプを作り、縮軍のお膳立てを支援するのもありかもしれません。中国の国民世論ですら人民解放軍への批判が高いのですから、「中国は軍にたくさん予算をかけて経済投資が遅れているので日本は助かっている」などと、誉め殺すような意見を公で発表してみたら、どんなことになるのか想像するだに面白いです。
前もって言葉の説明だけしておきますが、建前上は中国という国に軍隊はありません。一般に中国軍と呼ばれているのは人民解放軍のことですが、これは中国共産党が保有する軍のことで中国という国家の軍隊ではないという風に解釈されております。ただ実態的には中国軍と言っても変わらないことに中国、そして共産党自身もわかっており、近年は徐々に「中国という国家の軍隊」との解釈の仕方を本人らで広げております。
それで本題に戻りますが、一体何故人民解放軍は自衛隊が自分たちを警戒すると喜ぶのかですが、理由は単純明快で予算が得られるからです。その理屈というのも、
自衛隊が警戒している→彼らに対抗せねば→もっと予算が必要アル→政府は拡大予算を組むアル!
という解釈につながっていくからです。
こういってはなんですが、自衛隊はそういう存在ではないとはっきり言えるものの、軍隊というのは戦争があってなんぼです。戦争がなければどんどん予算は削減される一方、有事や危機感が高まれば逆に予算はどんどん増え、好き放題に使うことができます。戦前の日本も戦争に突入した一つのきっかけとつしてロンドン海軍軍縮条約に身の程知らずの旧帝国海軍が異を唱えたことが大きな要因となっておりますが、こういったことは多かれ少なかれどこの国にも共通しています。何気に最近のアメリカでも中国脅威論が言われるようになったのは、アメリカ軍が予算獲得のための一つの方便として使うようになったからで、本音では中国の軍隊なんて屁とも思っていないという話も聞きます。
さてこのような中国軍が予算を獲得したいという仮説ですが、これに対する中国政府の本音はというと、どうも私が見ている限りですと逆に軍隊を削減し軍事予算を減らしたいという思惑が見え隠れします。共産圏の軍隊というと北朝鮮の軍隊がある意味最も身近ですが、同じ共産圏でも中国と北朝鮮での軍隊への見方というのは大きく異なっており、中国では政府はおろか一般国民でさえも軍人を低く見ております。ひどい中国人なんか軍隊なんてクズの行くところだと広言してはばかりませんし、現実に退役した軍人には世間の蔑視があるため再就職もままならないそうです。
そんな風に見られている人民解放軍ですが、兵員数は北朝鮮と同じく100万人を超えており、世界的にもかなり大規模な軍隊です。た現代の戦争は兵隊の数が戦局に与える影響は少なく、中国もどちらかというと雇用を維持するためにこんな大規模な兵員数を維持しているのが本音で、可能ならば縮減して余ったお金を経済投資に使いたがっているという話を聞きますし、私もこの説を支持します。
そのため現在の政府と人民解放軍の思惑は、予算を減らしたいのと増やしたいので真っ向からぶつかっており、決して仲のいい関係ではありません。それ故に起こったのが昨年の尖閣諸島沖の漁船衝突事故とも言われ、あの事件で事態を大きく見せることが人民解放軍にとって有利に働くことから裏でいろいろ画策していたのではないかと、あくまで噂の範囲ですが言われております。
ではこうした中国に対し、日本はどのような態度を取るべきなのか。はっきり言ってバランスの取り具合で非常に難しく、中国を警戒する発言をすればするほど中国で軍事予算が拡大する可能性があり、かといって無警戒だと好き放題にやられた上に国内世論もヒートアップします。一番無難なのははっきりとしたライン、たとえば領海内に艦船などが侵入することがあれば中国限定の輸出規制対象品リストを作るとか、こっちまで来たら徹底的に対抗するという線を作りそれをはっきり見せることじゃないかと思います。どちらにしろ、あやふやな態度が一番問題です。
もう一つは、中国政府の人間と強固なパイプを作り、縮軍のお膳立てを支援するのもありかもしれません。中国の国民世論ですら人民解放軍への批判が高いのですから、「中国は軍にたくさん予算をかけて経済投資が遅れているので日本は助かっている」などと、誉め殺すような意見を公で発表してみたら、どんなことになるのか想像するだに面白いです。
2011年9月24日土曜日
上海でのペット商品博覧会
先日に新華社のページを覗いていたら、とある広告が目についたので早速今日行ってきました。その広告というのも、今日のお題となっているペット商品博覧会です。
なんで仕事でもないのにこんなのに、しかも入場料50元(600円)を支払ってまで行こうとしたのかというと、めっきり触れていない猫などの動物におさわり出来るかもしれないという不純な期待からでした。結論から言うと確かに少しはおさわり出来たものの、やはりペット商品を扱う企業の展示がメインだったので思っていたほどは出来ませんでした、残念。
それで展示会の内容ですが基本的には中国国内外のペット関連商品を取り扱う企業がブースを繰り出し、上記写真のように日系企業からも一部参加がありました。またペットショーとかコンテストもあるので自慢のペットを連れてくる飼い主もたくさんいましたが、その連れてこられた動物の多くは犬で、私が期待していた猫となるとほとんど見ることができませんでした。そりゃ外に連れてくるとなると犬と猫とでは大違いですし、ペット比率から言っても犬が圧倒的に多いんですからそりゃそうだったのですが……。
ちなみに中国のペット業界についてちょこっと解説すると、はっきり言って滅茶苦茶伸びてます。自分の上海人の友人もよく、「犬飼いてぇ」と漏らすほどで、街中を歩けば犬を散歩させている中国人は上海市内にはたくさんおります。敢えて深読みするなら一人っ子政策のせいで愛情の向け先や兄弟といった対象に物足りなさを感じているのかもしれませんし、可処分所得の増大とともに無許可で犬を飼う世帯は数多く存在しています。飼われる犬種は基本的にはトイプードルやコーギーなどといった小型犬が圧倒的多数で、大型犬ともなるとなんか欧米人が連れて歩いている印象があります。
話は戻り展示会ですが、犬だったらいくらでも見つかるものの目当ての猫はほとんど見当たらず空振りを打ったかとあきらめかけたところ、珍しい猫種のブリーダーがブースを展示しており、ようやく見つけることができました。
そこが扱っていたのは写真を見た通りの豹柄の猫で、人が出来ているのかたくさんの客にフラッシュをたかれつつも悠然と眠りつつ対応していました。人見知りの激しいうちの実家の猫だったら、こんな環境に置かれればすぐに発狂するだろうことを考えると猫にも違いがあるんだなという気がします。
そこのブースで目についたのは上の写真の猫ですが、何故だかガラス窓とトイレの間の狭い隙間に体を埋めていました。猫自体が狭い空間に体を密着させるのが好きですが、これだけ衆人環視のなかでも平然とやってのけるここの猫たちには本当に感心させられます。
ちなみに今回の展示会では大小さまざまな猫用ベッドも展示されておりましたが、うちの実家でも一回布でできたものを買ってきたことがありましたが、いざ置いてみるとうちの猫はその布ベッドには一切興味を示さず、布ベッドが入れられていた段ボールをしばらくの寝床として愛用し始めました。そんな経験があるもんだから、多分猫とかだってさらさらした感触より段ボールのざらざらした感触のが好きなんだろうからいっそ段ボールで作った方が売れるんじゃないかと思っていたら、
海外のメーカーでしたけど、本当に段ボールで上の写真みたいなのを作って売っていました。世の中、思い浮かんだことというのは既にほかの誰かも思い浮かべ、中には実行されているんだな。
なんで仕事でもないのにこんなのに、しかも入場料50元(600円)を支払ってまで行こうとしたのかというと、めっきり触れていない猫などの動物におさわり出来るかもしれないという不純な期待からでした。結論から言うと確かに少しはおさわり出来たものの、やはりペット商品を扱う企業の展示がメインだったので思っていたほどは出来ませんでした、残念。
それで展示会の内容ですが基本的には中国国内外のペット関連商品を取り扱う企業がブースを繰り出し、上記写真のように日系企業からも一部参加がありました。またペットショーとかコンテストもあるので自慢のペットを連れてくる飼い主もたくさんいましたが、その連れてこられた動物の多くは犬で、私が期待していた猫となるとほとんど見ることができませんでした。そりゃ外に連れてくるとなると犬と猫とでは大違いですし、ペット比率から言っても犬が圧倒的に多いんですからそりゃそうだったのですが……。
ちなみに中国のペット業界についてちょこっと解説すると、はっきり言って滅茶苦茶伸びてます。自分の上海人の友人もよく、「犬飼いてぇ」と漏らすほどで、街中を歩けば犬を散歩させている中国人は上海市内にはたくさんおります。敢えて深読みするなら一人っ子政策のせいで愛情の向け先や兄弟といった対象に物足りなさを感じているのかもしれませんし、可処分所得の増大とともに無許可で犬を飼う世帯は数多く存在しています。飼われる犬種は基本的にはトイプードルやコーギーなどといった小型犬が圧倒的多数で、大型犬ともなるとなんか欧米人が連れて歩いている印象があります。
話は戻り展示会ですが、犬だったらいくらでも見つかるものの目当ての猫はほとんど見当たらず空振りを打ったかとあきらめかけたところ、珍しい猫種のブリーダーがブースを展示しており、ようやく見つけることができました。
そこが扱っていたのは写真を見た通りの豹柄の猫で、人が出来ているのかたくさんの客にフラッシュをたかれつつも悠然と眠りつつ対応していました。人見知りの激しいうちの実家の猫だったら、こんな環境に置かれればすぐに発狂するだろうことを考えると猫にも違いがあるんだなという気がします。
そこのブースで目についたのは上の写真の猫ですが、何故だかガラス窓とトイレの間の狭い隙間に体を埋めていました。猫自体が狭い空間に体を密着させるのが好きですが、これだけ衆人環視のなかでも平然とやってのけるここの猫たちには本当に感心させられます。
ちなみに今回の展示会では大小さまざまな猫用ベッドも展示されておりましたが、うちの実家でも一回布でできたものを買ってきたことがありましたが、いざ置いてみるとうちの猫はその布ベッドには一切興味を示さず、布ベッドが入れられていた段ボールをしばらくの寝床として愛用し始めました。そんな経験があるもんだから、多分猫とかだってさらさらした感触より段ボールのざらざらした感触のが好きなんだろうからいっそ段ボールで作った方が売れるんじゃないかと思っていたら、
海外のメーカーでしたけど、本当に段ボールで上の写真みたいなのを作って売っていました。世の中、思い浮かんだことというのは既にほかの誰かも思い浮かべ、中には実行されているんだな。
2011年9月23日金曜日
夢売る貧困ビジネス
ネットの情報をそのまま鵜呑みにするのもどうかと自分でも思いますが、以前に覗いたある掲示板に書かれていた内容が前からずっと気になっております。その掲示板では声優養成学校に通っていた方の体験談が書かれていたのですが、通っていた本人は声優になる気はなくあくまでボイストレーニングとして通っていたもののそこそこ筋がよく、最初の養成期間を終えて準プロダクション兼中級養成学校へ上がる際に授業料が免除扱いとなったそうです。その中級養成学校では声優としての指導が行われる傍ら実際に仕事やオーディションも割り振られたりするようなのですが、所属する生徒はみんながみんなこのような授業料が免除されるわけでなく、やはり圧倒的大多数はそこそこのお金を支払いながら所属し続けるそうです。なおその方は授業料免除が決まった際の説明で、ほかの生徒には言わないようにと口止めされたそうです。
そんな声優学校のシステムについてその掲示板を書いていた方は、学校側は授業料免除扱いとなるような一部の才能のある生徒に仕事を割り振ることで、「所属してさえいれば声優になれる」という希望を他の生徒にも抱かせ、実際にはほとんどなれる見込みのない生徒を金づるとして所属させ続けている現状があると言っていました。この方の指摘について話を聞く限り私もほとんど同感で、これも一種の貧困ビジネスかと思いました。
全体構造を考えればごくごくわかりやすく自然なことなのですが、声優業界における需要と供給の割合は圧倒的に供給側が大きく、本当にごく一部の人間を除けば生活していくことはおろか声優として仕事をもらえる可能性すら非常に低いです。にもかかわらず声優学校の入学者募集広告は後を絶たず、言うなれば声優学校は文字通り生徒に対して技能ではなく夢を売っているんだろうという気がします。別にこうした声優学校のやり方を批判するつもりは私はありませんし、考えようによってはうまい商売だなと感心します。お金払って通っている生徒にも全く声優になれない可能性がないわけでもないですし。
ただこれとは別にちょっと自分が気になるというか目につく学校として、就職難の時代ゆえに内定獲得講座なるものがそこそこ流行ってきている点です。人の商売なんだしこういったことに口出しするべきなのかどうか少し悩みますが、ちょっとこの内定講座については懐の苦しい人間を騙して儲けているような気がするので見ていてあまりいい気分になりません。通っている人間からすれば多少お金がかかるとしても内定を得られる可能性が高まるのだからと納得されているのかもしれませんが、社会全体で考えるとこんな講座が世の中に対してどんな貢献があるのか、はっきり言いますが全く価値がありません。受け皿となる雇用が増えなければ根本的な解決にならないのに、こういう中間で搾取するようなビジネスがあっていいかとなると私はこれを否定します。
前にもある評論家が貧困者の不安心理につけ込む、経済学者の森永卓郎氏を名指しして貧困ビジネスが横行していると批判しており確か陽月秘話時代に私も取り上げましたが、実際には何の効果がないにもかかわらずさも貧困から脱出できるような夢だけを売るようなビジネスはやはり否定するべきだと思います。もちろんお金持ちだったら多少騙して商売していいわけじゃないですが、苦しい人間をさらに苦しい立場に追い込みかけないようなビジネスは実際に存在しており、それも2000年代に入ってから急激に増えております。
具体的にどう否定するのか私にもいい案はありませんが、「貧困ビジネス」という言葉をもっと普及させ、みんなが認識するようになれば多少は減らせるのではと思い、今日ちょっとこんな記事を書いたわけです。それにしても、高校卒業とともに声優学校行った小学校の同級生は今どうしてるかな。
そんな声優学校のシステムについてその掲示板を書いていた方は、学校側は授業料免除扱いとなるような一部の才能のある生徒に仕事を割り振ることで、「所属してさえいれば声優になれる」という希望を他の生徒にも抱かせ、実際にはほとんどなれる見込みのない生徒を金づるとして所属させ続けている現状があると言っていました。この方の指摘について話を聞く限り私もほとんど同感で、これも一種の貧困ビジネスかと思いました。
全体構造を考えればごくごくわかりやすく自然なことなのですが、声優業界における需要と供給の割合は圧倒的に供給側が大きく、本当にごく一部の人間を除けば生活していくことはおろか声優として仕事をもらえる可能性すら非常に低いです。にもかかわらず声優学校の入学者募集広告は後を絶たず、言うなれば声優学校は文字通り生徒に対して技能ではなく夢を売っているんだろうという気がします。別にこうした声優学校のやり方を批判するつもりは私はありませんし、考えようによってはうまい商売だなと感心します。お金払って通っている生徒にも全く声優になれない可能性がないわけでもないですし。
ただこれとは別にちょっと自分が気になるというか目につく学校として、就職難の時代ゆえに内定獲得講座なるものがそこそこ流行ってきている点です。人の商売なんだしこういったことに口出しするべきなのかどうか少し悩みますが、ちょっとこの内定講座については懐の苦しい人間を騙して儲けているような気がするので見ていてあまりいい気分になりません。通っている人間からすれば多少お金がかかるとしても内定を得られる可能性が高まるのだからと納得されているのかもしれませんが、社会全体で考えるとこんな講座が世の中に対してどんな貢献があるのか、はっきり言いますが全く価値がありません。受け皿となる雇用が増えなければ根本的な解決にならないのに、こういう中間で搾取するようなビジネスがあっていいかとなると私はこれを否定します。
前にもある評論家が貧困者の不安心理につけ込む、経済学者の森永卓郎氏を名指しして貧困ビジネスが横行していると批判しており確か陽月秘話時代に私も取り上げましたが、実際には何の効果がないにもかかわらずさも貧困から脱出できるような夢だけを売るようなビジネスはやはり否定するべきだと思います。もちろんお金持ちだったら多少騙して商売していいわけじゃないですが、苦しい人間をさらに苦しい立場に追い込みかけないようなビジネスは実際に存在しており、それも2000年代に入ってから急激に増えております。
具体的にどう否定するのか私にもいい案はありませんが、「貧困ビジネス」という言葉をもっと普及させ、みんなが認識するようになれば多少は減らせるのではと思い、今日ちょっとこんな記事を書いたわけです。それにしても、高校卒業とともに声優学校行った小学校の同級生は今どうしてるかな。
2011年9月22日木曜日
リーマンショックから三年後の国際社会
このところ一応最も専門だと考えている国際社会ネタを一切書いてないので、当たりさわりのないネタとしてリーマンショックからちょうど三年経った現在の国際状況について私感を書こうと思います。
・【コラム】「リーマンショック2」封切り間近(ウォールストリートジャーナル)
今回この記事を書くきっかけとなったのは上記リンク先の記事ですが、なかなかよくまとまっていて読んでて強く感心しました。ただ見出しについては「リーマンショック2」ではなく私なら「リーマンブラザーズ2」ってしますけど。これだと任天堂に怒られるかな。
それはともかくとしてまず現在の状況ですが、そもそもの発端となったリーマンショックから三年経ったにもかかわらず状況は好転するどころか悪化しています。さらに上記のウォールストリートジャーナルの記事でも「二回目のリーマンショックが起こる可能性が高い」と指摘しており、仮に起こった場合その規模は前回のリーマンショックを上回るとしています。ちなみにこの意見に対して私もほぼ同感です。
まず現在の世界経済を取り巻く状況で何が一番よくないのかというと、ギリシャやイタリアを筆頭とした政府債務の悪化、いうなれば国家財政を破たんする国が続出していることです。あながち日本も人のことを言えませんが欧州諸国は日本以上に絶望的なまで債務が増え続けており、どうにかしようとギリシャのように資金を注入したもののほとんど効果が上がらず悪化を続けています。実際に詳しく調べてないのであてずっぽうで言いますが、ギリシャが一度はドイツなどEU内の先進諸国に助け舟を出してもらったにもかかわらず再建できなかったのは、改革というか頭の切り替えが完全にしきれなかったことが原因じゃないかと思います。そう思うのもかつての日本もそうで、しばらく待てば嵐が過ぎると言っては小手先の改革でどうにか済まそうとしていた時期があり、危機感が足りなかったんじゃないかと思います。外科でたとえるなら、本来なら組織を切断しなければならないところを止血程度で止めようとしたといったような感じです。
しかも仮にこれがギリシャとか、言っては悪いですが中流国だけの問題であればまだ笑って過ごせますが、状況はイタリアやスペインといった先進国にも差し迫ってきております。特にイタリアなんかはこっちの新聞でもよく報道されていますがイタリア政府は中国政府に対して公債の引き受けを依頼したそうで、後で高くつくぞとちょっと私も思ったりしました。
こうした欧州の債務危機に対して、EUの反応は徐々にですが鈍ってきているようにも感じます。ドイツなんかはこれまであれこれ資金を融通したりしてきましたがそれら政策を主導してきたメルケル首相の支持率は低下しており、私の目にもやはりドイツ国民は徐々にEUに対して距離を置き始めているように見えます。言ってしまえば無理にでも同号を維持するのではなくギリシャなどの国はこの際切り捨ててしまえと言わんばかりで、フランスについてはまだどんなものかはわかりませんが最近は原発事故で大変そうです。
さすがに一年後に中国みたいにすぐに盛り返すというのは期待のし過ぎですが、三年も経って未だ改善の兆しが見えずむしろ悪化しているというのは憂慮すべきでしょう。じゃあ今後はどうなるかですが、率直に言ってニクソンショック以来の為替制度の大変革が自然と発生するのではないかと考えています。
現在の為替制度は1ドル当たりいくらかと、アメリカのドルを中心とした体制が戦後ずっと続いてきましたが、アメリカは現在なりふり構わない金融緩和を続けており基軸通貨を持つ責任を完全に放棄しています。今日のニュースによると共和党がFRB(米中央銀行)に対して金融緩和を停止するよう呼びかけたそうですが、身内からも声が上がっていることに対してやや驚きました。
ではドル体制が崩壊するとはどういう意味かですが、単純に通貨の信用がなくなって現物の価値が上がっていきます。それがどういう意味を指すのかですが、自分も為替関係は苦手で憶測でしか言えませんが、多分貿易量が輸出も輸入も世界全体で減っていくのではと予想しています。もともと私はリーマンショック直後にもグローバル化の時代は終わり世界はブロック経済の方向へ舵を切りだしたと主張していましたが、この流れを決定づけるのがドル体制崩壊じゃないかと見ています。
ちなみに友人からこのところ、「うちの貿易決済は円建てでしているから、このところ円高を理由に支払いを渋る顧客が多い」という泣き言をよく聞きます。一方で自分は人民元で現在給料をもらっているので、世界のイチローほどではないですけど円価に直すたびにため息が出ます。
・【コラム】「リーマンショック2」封切り間近(ウォールストリートジャーナル)
今回この記事を書くきっかけとなったのは上記リンク先の記事ですが、なかなかよくまとまっていて読んでて強く感心しました。ただ見出しについては「リーマンショック2」ではなく私なら「リーマンブラザーズ2」ってしますけど。これだと任天堂に怒られるかな。
それはともかくとしてまず現在の状況ですが、そもそもの発端となったリーマンショックから三年経ったにもかかわらず状況は好転するどころか悪化しています。さらに上記のウォールストリートジャーナルの記事でも「二回目のリーマンショックが起こる可能性が高い」と指摘しており、仮に起こった場合その規模は前回のリーマンショックを上回るとしています。ちなみにこの意見に対して私もほぼ同感です。
まず現在の世界経済を取り巻く状況で何が一番よくないのかというと、ギリシャやイタリアを筆頭とした政府債務の悪化、いうなれば国家財政を破たんする国が続出していることです。あながち日本も人のことを言えませんが欧州諸国は日本以上に絶望的なまで債務が増え続けており、どうにかしようとギリシャのように資金を注入したもののほとんど効果が上がらず悪化を続けています。実際に詳しく調べてないのであてずっぽうで言いますが、ギリシャが一度はドイツなどEU内の先進諸国に助け舟を出してもらったにもかかわらず再建できなかったのは、改革というか頭の切り替えが完全にしきれなかったことが原因じゃないかと思います。そう思うのもかつての日本もそうで、しばらく待てば嵐が過ぎると言っては小手先の改革でどうにか済まそうとしていた時期があり、危機感が足りなかったんじゃないかと思います。外科でたとえるなら、本来なら組織を切断しなければならないところを止血程度で止めようとしたといったような感じです。
しかも仮にこれがギリシャとか、言っては悪いですが中流国だけの問題であればまだ笑って過ごせますが、状況はイタリアやスペインといった先進国にも差し迫ってきております。特にイタリアなんかはこっちの新聞でもよく報道されていますがイタリア政府は中国政府に対して公債の引き受けを依頼したそうで、後で高くつくぞとちょっと私も思ったりしました。
こうした欧州の債務危機に対して、EUの反応は徐々にですが鈍ってきているようにも感じます。ドイツなんかはこれまであれこれ資金を融通したりしてきましたがそれら政策を主導してきたメルケル首相の支持率は低下しており、私の目にもやはりドイツ国民は徐々にEUに対して距離を置き始めているように見えます。言ってしまえば無理にでも同号を維持するのではなくギリシャなどの国はこの際切り捨ててしまえと言わんばかりで、フランスについてはまだどんなものかはわかりませんが最近は原発事故で大変そうです。
さすがに一年後に中国みたいにすぐに盛り返すというのは期待のし過ぎですが、三年も経って未だ改善の兆しが見えずむしろ悪化しているというのは憂慮すべきでしょう。じゃあ今後はどうなるかですが、率直に言ってニクソンショック以来の為替制度の大変革が自然と発生するのではないかと考えています。
現在の為替制度は1ドル当たりいくらかと、アメリカのドルを中心とした体制が戦後ずっと続いてきましたが、アメリカは現在なりふり構わない金融緩和を続けており基軸通貨を持つ責任を完全に放棄しています。今日のニュースによると共和党がFRB(米中央銀行)に対して金融緩和を停止するよう呼びかけたそうですが、身内からも声が上がっていることに対してやや驚きました。
ではドル体制が崩壊するとはどういう意味かですが、単純に通貨の信用がなくなって現物の価値が上がっていきます。それがどういう意味を指すのかですが、自分も為替関係は苦手で憶測でしか言えませんが、多分貿易量が輸出も輸入も世界全体で減っていくのではと予想しています。もともと私はリーマンショック直後にもグローバル化の時代は終わり世界はブロック経済の方向へ舵を切りだしたと主張していましたが、この流れを決定づけるのがドル体制崩壊じゃないかと見ています。
ちなみに友人からこのところ、「うちの貿易決済は円建てでしているから、このところ円高を理由に支払いを渋る顧客が多い」という泣き言をよく聞きます。一方で自分は人民元で現在給料をもらっているので、世界のイチローほどではないですけど円価に直すたびにため息が出ます。
2011年9月20日火曜日
産業空洞化懸念に対する一つの意見
もはや1ドル70円台が定着しつつある日本の円高状況ですが、この円高に伴いメーカーの海外進出は確実に増えてきております。メーカーからしたら日本で物を作るだけでどんどんと損失が増えるような状況ですし、この異常なまでの急激な円高を考えると彼らに対して「出ていかないでつД`)」などとはとても言えません。
しかしこうしたメーカーの動きに対して主に政界などから、工場が海外に移転していくことで日本国内の技術力の低下、産業の空洞化が広がってしまうのではという意見がこのところ出てきており、なにか優遇策を付けてでも日本に残ってもらうべきではないか検討するべきという声も聞こえます。こうした産業空洞化懸念に対する私の意見は至極その通りだと考えており、これまでのグローバリズム化による空洞化懸念(通称、いくいく詐欺)とは違い、今回の円高は真面目に企業の生き死にもかかっているだけあって何かしら対策を打つことも必要性を感じます。具体例を一個あげちゃうと東レがこれまで日本でしか作ってこなかった強化炭素繊維の工場を顧客も多い韓国にも作るとこの夏に発表しており、東レを責めるつもりは全くありませんがこれにはさすがに冷や汗を垂らしました。
ただこうして産業空洞化の対策を打つべきと主張する一方、技術や製品によってはこの際に日本は捨ててしまうべきなのではないかと真逆の意見も私は持ち合わせております。極端な意見に聞こえるかもしれませんがこうした「技術の放棄」についてこのところ真剣に考えているので、今日はちょっとその辺について軽く触れます。
ここで私の言う技術の放棄とは文字通り、特定の技術を完全に捨て去り関連する製品や部品の日本での製造をやめてしまうことです。捨て去るべき特定の技術とは具体的に言うと、「日本国内で製造しても採算の取れない技術」、「今後新技術に取って代わられる可能性が高い技術」のことで、身近な例を挙げると白物家電とかがこれに当てはまります。また後者の例だと、ガソリン車から電気自動車に移り変わる過程でなくなるエンジン、ラジエーター、マフラーなどといった部品の製造技術がそうです。
何故これらの技術を捨て去るべきだと主張するのかですがこれはごくごく単純な理由で、今だったらまだお金に換えられる可能性があるからです。日本では採算の取れない技術でも中国や他の新興国ではまだ必要とされている技術も多く、多少プライドにも関わりますがどうせ日本では使えないのであればそれらの国々の企業にこの際に売ってしまい、売って得たお金で新技術やまだ採算の取れる技術に注力した方がまだ未来につながるのではないかというわけです。
またもう一点こうした案を持つ理由を挙げると、団塊世代が大量退職した時期にはよく技術の継承問題が盛んに言われてきましたが、私は技術というものはなんでもかんでも継承するべきでなく、物によっては継承してはならない技術もあると考えています。私がこう思うのも既に何度かこのブログでも書いていますが、以前に親戚から、
「昔に家電メーカーでブラウン管テレビ作っていた連中は今は悲惨だ。ブラウン管テレビ自体がもう日本では作られなくなったし、ほかの方面に技術を転用することもできないから完全に日干し状態だ」
という話を聞いたことがあり、芸は身を助けるとはいうものの企業内である特定の技術に染まったらなかなかそこから脱却できず、その技術の衰退と命運をともにしてしまう可能性が高いからです。それこそ下手に今後使われなくなる可能性の高い技術の継承をしてしまったらその技術を継承した人間はすぐにお払い箱になってしまうこともありうるわけで、こんなことを言ってろくでなしと言われても仕方ありませんが、死ぬ人間は少ない方がいいに決まっており、死ぬべき技術は継承なんかして犠牲者を増やすべきじゃないと私は考えています。
このような観点から言って、技術を早めに捨てるという選択肢も今の日本には求められているのではないでしょうか。一つのモデルケースとして私が今現在でよく使っているのは、IBMによるLENOVOへのパソコンハード部門の売却で、この例は他山の石にしてはならないと思います。さらについでに書くとHPも今度ハード部門を売却すると言ってて、台湾のノートPCメーカーらは「サムスンが買わないように」と祈ってます。
また技術を売るにもタイミングというものがあります。ほっといても新興国でもどんどんと腕を磨いてきますし後になって売ろうと思っても相手してくれなくなることも十分ありうるわけで、将来性がないと判断するのであれば決断を早くし、失敗するかもしれませんが新たな方面へ売却で得たお金を投資する方がまだ生き残る可能性も広がるのではと思います。
この際だからもうはっきりと書いちゃいますが、液晶について言えば日系メーカーはもう完全に撤退した方がいいでしょう。有機ELならまだ投資する価値がありますが、液晶はこの後はどうあがいても採算は取れず赤字を生むだけです。なんせ韓国、中国メーカーですら手に余るくらいなんだし。
同様にさっき挙げた一部の自動車部品においても、発展する見込みがなく電気自動車には使われないものだったら捨てるべきかどうかを検討すべきです。一つの技術で死ぬまで食べていける時代ではもうないのです。
じゃあそうした技術を捨てた後で今度は何に投資するべきなのか。実は一つ、凄い気になっている技術があります。
・【TGS 2011】脳波で猫耳を動かそう!neurowearの「necomimi」(インサイド)
実物を見たわけじゃないですが脳波で猫耳が動くって、何気にこれはとんでもないものなんじゃないかとこのところ注目しております。それこそ萌えにとってはただの一歩だが、人類にとっては大きな一歩っていうくらい。
いちおう注意書きを書いておきますが私がここで主張する「有望な投資先」というのは猫耳ではなく、脳波感知系です。ガンダム風に言うならサイコミュですが、このニュースが出る以前にも今後自動車にどのようなものを付けたら付加価値が付くのかと考えており、あるとしたらやはり曲がろうと思っただけでウィンカーが自動的につくサイコミュしかないと思っていた矢先でした。
これ以外のサイコミュの運用先となると、風呂に入ってて湯加減を自動で感知して温度を調節するとか、その日の気分で音量が自動で変わるスピーカーとかせこいものばかり浮かびますが、最大の運用先となるとやはり軍需産業です。それこそガンダムに出てくるファンネルなどといった脳波でコントロールする無人兵器さえ作れたら某米国など一瞬で叩きのめせるわけですし、夢は限りなく広がります。ただファンネルの場合だとハード面はもとよりソフト面も強化が必要で、なんとしてでもギュネイ・ガスを超える強化人間も作る必要があります。
別にこの記事に限るわけじゃありませんが、前半と後半で語る内容に大きな差を感じます。ひょっとしたら自分は後半部を書くためだけに、わざわざ前半部を用意して引きを作ったんじゃないかと、自分で自分に妙な疑念を抱くくらいだこの記事に関しては。
しかしこうしたメーカーの動きに対して主に政界などから、工場が海外に移転していくことで日本国内の技術力の低下、産業の空洞化が広がってしまうのではという意見がこのところ出てきており、なにか優遇策を付けてでも日本に残ってもらうべきではないか検討するべきという声も聞こえます。こうした産業空洞化懸念に対する私の意見は至極その通りだと考えており、これまでのグローバリズム化による空洞化懸念(通称、いくいく詐欺)とは違い、今回の円高は真面目に企業の生き死にもかかっているだけあって何かしら対策を打つことも必要性を感じます。具体例を一個あげちゃうと東レがこれまで日本でしか作ってこなかった強化炭素繊維の工場を顧客も多い韓国にも作るとこの夏に発表しており、東レを責めるつもりは全くありませんがこれにはさすがに冷や汗を垂らしました。
ただこうして産業空洞化の対策を打つべきと主張する一方、技術や製品によってはこの際に日本は捨ててしまうべきなのではないかと真逆の意見も私は持ち合わせております。極端な意見に聞こえるかもしれませんがこうした「技術の放棄」についてこのところ真剣に考えているので、今日はちょっとその辺について軽く触れます。
ここで私の言う技術の放棄とは文字通り、特定の技術を完全に捨て去り関連する製品や部品の日本での製造をやめてしまうことです。捨て去るべき特定の技術とは具体的に言うと、「日本国内で製造しても採算の取れない技術」、「今後新技術に取って代わられる可能性が高い技術」のことで、身近な例を挙げると白物家電とかがこれに当てはまります。また後者の例だと、ガソリン車から電気自動車に移り変わる過程でなくなるエンジン、ラジエーター、マフラーなどといった部品の製造技術がそうです。
何故これらの技術を捨て去るべきだと主張するのかですがこれはごくごく単純な理由で、今だったらまだお金に換えられる可能性があるからです。日本では採算の取れない技術でも中国や他の新興国ではまだ必要とされている技術も多く、多少プライドにも関わりますがどうせ日本では使えないのであればそれらの国々の企業にこの際に売ってしまい、売って得たお金で新技術やまだ採算の取れる技術に注力した方がまだ未来につながるのではないかというわけです。
またもう一点こうした案を持つ理由を挙げると、団塊世代が大量退職した時期にはよく技術の継承問題が盛んに言われてきましたが、私は技術というものはなんでもかんでも継承するべきでなく、物によっては継承してはならない技術もあると考えています。私がこう思うのも既に何度かこのブログでも書いていますが、以前に親戚から、
「昔に家電メーカーでブラウン管テレビ作っていた連中は今は悲惨だ。ブラウン管テレビ自体がもう日本では作られなくなったし、ほかの方面に技術を転用することもできないから完全に日干し状態だ」
という話を聞いたことがあり、芸は身を助けるとはいうものの企業内である特定の技術に染まったらなかなかそこから脱却できず、その技術の衰退と命運をともにしてしまう可能性が高いからです。それこそ下手に今後使われなくなる可能性の高い技術の継承をしてしまったらその技術を継承した人間はすぐにお払い箱になってしまうこともありうるわけで、こんなことを言ってろくでなしと言われても仕方ありませんが、死ぬ人間は少ない方がいいに決まっており、死ぬべき技術は継承なんかして犠牲者を増やすべきじゃないと私は考えています。
このような観点から言って、技術を早めに捨てるという選択肢も今の日本には求められているのではないでしょうか。一つのモデルケースとして私が今現在でよく使っているのは、IBMによるLENOVOへのパソコンハード部門の売却で、この例は他山の石にしてはならないと思います。さらについでに書くとHPも今度ハード部門を売却すると言ってて、台湾のノートPCメーカーらは「サムスンが買わないように」と祈ってます。
また技術を売るにもタイミングというものがあります。ほっといても新興国でもどんどんと腕を磨いてきますし後になって売ろうと思っても相手してくれなくなることも十分ありうるわけで、将来性がないと判断するのであれば決断を早くし、失敗するかもしれませんが新たな方面へ売却で得たお金を投資する方がまだ生き残る可能性も広がるのではと思います。
この際だからもうはっきりと書いちゃいますが、液晶について言えば日系メーカーはもう完全に撤退した方がいいでしょう。有機ELならまだ投資する価値がありますが、液晶はこの後はどうあがいても採算は取れず赤字を生むだけです。なんせ韓国、中国メーカーですら手に余るくらいなんだし。
同様にさっき挙げた一部の自動車部品においても、発展する見込みがなく電気自動車には使われないものだったら捨てるべきかどうかを検討すべきです。一つの技術で死ぬまで食べていける時代ではもうないのです。
じゃあそうした技術を捨てた後で今度は何に投資するべきなのか。実は一つ、凄い気になっている技術があります。
・【TGS 2011】脳波で猫耳を動かそう!neurowearの「necomimi」(インサイド)
実物を見たわけじゃないですが脳波で猫耳が動くって、何気にこれはとんでもないものなんじゃないかとこのところ注目しております。それこそ萌えにとってはただの一歩だが、人類にとっては大きな一歩っていうくらい。
いちおう注意書きを書いておきますが私がここで主張する「有望な投資先」というのは猫耳ではなく、脳波感知系です。ガンダム風に言うならサイコミュですが、このニュースが出る以前にも今後自動車にどのようなものを付けたら付加価値が付くのかと考えており、あるとしたらやはり曲がろうと思っただけでウィンカーが自動的につくサイコミュしかないと思っていた矢先でした。
これ以外のサイコミュの運用先となると、風呂に入ってて湯加減を自動で感知して温度を調節するとか、その日の気分で音量が自動で変わるスピーカーとかせこいものばかり浮かびますが、最大の運用先となるとやはり軍需産業です。それこそガンダムに出てくるファンネルなどといった脳波でコントロールする無人兵器さえ作れたら某米国など一瞬で叩きのめせるわけですし、夢は限りなく広がります。ただファンネルの場合だとハード面はもとよりソフト面も強化が必要で、なんとしてでもギュネイ・ガスを超える強化人間も作る必要があります。
別にこの記事に限るわけじゃありませんが、前半と後半で語る内容に大きな差を感じます。ひょっとしたら自分は後半部を書くためだけに、わざわざ前半部を用意して引きを作ったんじゃないかと、自分で自分に妙な疑念を抱くくらいだこの記事に関しては。
2011年9月19日月曜日
東條英機に対する私の評価
太平洋戦争開始時の首相、そしてA級戦犯の代表格ということで有名な東條英機ですが、彼の評価については現代において色々あって分かれており、あくまで私感で述べると昭和の時代までは時局もあったのか否定的な評価が支配的でしたが近年は逆評価のような肯定的な評価のされ方が増えて来ているように思います。そんな東條に対する私の評価をどんなものかというと、先に書いてしまうとこの人は首相、軍人である以前に人としてもどうかと思うほどどうしようもない人物だったと見ています。
・東条英機(Wikipedia)
東條の詳しい来歴などについては省略するので、興味のある方は上記ウィキペディアの記事をご参照ください。まず東條への批判として最も多いのは勝算の見込みが全くないにもかかわらず太平洋戦争を開戦した(参謀本部はシミュレーションだと全部日本の敗戦だったのに、「勝負はやってみるまで分からないよ( ゚∀゚)」と言い切ったらしい)という点が挙がってくるでしょうが、これについては私はあまり気にしていません。何故なら東條一人が旗を振ったから当時にあの戦争に突入したわけでなくそれ以前からの長年の積み重ねと、これは近年になってようやく主張できるようになりましたが軍部だけでなく当時は国民の大半も中国、アメリカとの戦争を望んでいました。それゆえ東條がたとえ存在しなくとも戦争に突入したであろうと私は考え、開戦の責任まで東條に負わせるのは真相を解き明かす上で致命的な躓きになりかねないと考えています。
ではそんな東條のどこが嫌いなのかといえば、我ながら結構細かいですが一つ一つのエピソードがどれも気違いじみているところに激しい嫌悪感を覚えます。そんな気違いじみたエピソードの代表格は、バーデン=バーデンの密約で、これは大学受験レベルの日本史ではまず出てこないのですが是非とも後世に伝えるために指導するべきだと私一人で主張している史実です。これは1921年に東條を含む欧州に滞在していた陸軍若手官僚同士がドイツのバーデン=バーデンに集まり、陸軍の近代化や後に国家総動員法として後に実施される案をお互い一致団結して目指すということを誓ったという会合で、この時集まったメンバーらは後の統制派、皇道派という戦前陸軍の二大派閥の指導者となっていきます。
仮にこれだけの内容であればさして気にするほどでもないのですが、この時に示し合わされた議題の一つに当時の陸軍で権勢を振るっていた長州閥の排除も含まれていました。東條自身も自分の父英教が陸大一期を首席で卒業したにもかかわらず大将にまで昇進しなかったのは長州閥でなかったせいだと信じ込んでいた節があり(事実かどうかは不明)、長州閥への憎悪は強かったようです。
そんなことを誓い合った東條達はどんな方法で長州閥の追い出しにかかったのかというと、なんと自分たちが陸大の入学選抜に関わって長州出身者を徹底的に排除するというやり方を取りました。具体的にどんな方法かウィキペディアの記事によると、入学選抜の口頭試験において長州出身者のみに対し、「貴官は校門から、試験会場まで、何歩で到着した?」、「陸軍大学のトイレに便器はいくつあるのか?」などという全然選抜する上で関係のなく、答えられるはずのない質問をして落としていったそうです。その甲斐あってある年を境に長州出身の陸大入学者は、陸大が廃止されるまで10年以上に渡って現れることがありませんでした。
このエピソードだけでも十分神経というかいろいろ疑うのですがこれ以外にもこういった人間の小ささをアピールするかのようなエピソードが東條には多く、陸軍内部で人事権を握るや能力如何にかかわらず自分と馬が合うかどうかで人事を決めていき、戦時中もノモンハン事件の辻正信やインパール作戦の牟田口廉也など軍人として致命的なまでに能力が欠けていて実際に大失敗をやらかした人物らに対し、「名誉挽回のチャンスを与えねば」と、どんどんと中央に上げていって戦争指揮を任せています。その一方で陸軍内部で良識派と呼ばれ実際に多大な戦果を挙げた今村均や山下奉文については「仲間」だと判断しなかったせいか、中央に呼び寄せることなく延々と現地司令官のままに据え置きました。石原莞爾に至ってはお互いに犬猿の仲だったこともあり、左遷から予備役にまで追い込んでます。
このほかにも戦時中に、「竹槍で勝てるものか」と批判記事を書いた毎日新聞の新名丈夫記者(当時37歳)を報復のために硫黄島へ送ろうとしたり、東條内閣退陣を促そうとした逓信省工務局長の松前重義(当時42歳)を二等兵として招集し、こちらは実際に南方に送っています。しかも40代という明らかに徴兵年齢としては高齢過ぎる松前を目立たせないよう、松前に近い年齢の老兵を合わせて数百人も招集するほどの手の入れようだったそうです。
極めつけが終戦直後で、戦時中に「敵の捕虜になるくらいなら自決しろ!」と言っていたにもかかわらず本人は阿南大将と違ってなかなか自決せず、GHQが逮捕に来た段階に至ってようやく拳銃自殺を図り、案の定未遂に終わっています。この時に東條は腹部を撃っていますが、いろいろ意見が言われているものの普通自決するなら頭を撃つのが自然じゃないかと思いますし、そもそももっと早くに自決してればよかったのではという気がしてなりません。公家出身の近衛文麿ですら当時既に自決してたのに。
その後は知っての通りに東条は極東国際軍事裁判で裁かれるわけですが、この裁判において東條は戦争責任が昭和天皇に及ばないように自身がスケープゴートになろうと努めたと巷間言われておりますが、私はこの説に対して率直に疑っております。東條自身がスケープゴートたらんという意識を持っていたということに対しては否定しませんが、東條がそう務めたからと言って何かが変わったのかといえば何も変わりはしなかったと思います。こう思う根拠としてアメリカは日本のポツダム宣言受諾以前から対日占領政策を研究しており、その研究の中で天皇制を維持することは占領政策にかなうとはっきりと結論を出しており、天皇への戦争責任は初めから見逃されることが決まっていたからです。
そのためこういうと実も蓋もないですが、東條=スケープゴート説というのは彼を無理矢理にでも肯定的に評価しようとする人たちに作られた説、もしくは東条とその支援者らが自己満足するために作られた話ではないかと見ています。第一、スケープゴートになろうってんなら初めから自決未遂なんかしてるんじゃないよと言いたいし。少なくとも、東條がいてもいなくても昭和天皇は戦争責任から外されていたであろうことを考えると取り上げる価値もありません。
最後に東條の靖国合祀について一言を添えると、「死ねと命令した人間」と「死ねと命令された人間」が同じ場所に合祀されるのはやはりおかしな気がします。それもまともな戦争指揮ならともかくインパール作戦をはじめとしたかなり偏った、異常な価値観で決められた戦争だとするとなおさらです。
・東条英機(Wikipedia)
東條の詳しい来歴などについては省略するので、興味のある方は上記ウィキペディアの記事をご参照ください。まず東條への批判として最も多いのは勝算の見込みが全くないにもかかわらず太平洋戦争を開戦した(参謀本部はシミュレーションだと全部日本の敗戦だったのに、「勝負はやってみるまで分からないよ( ゚∀゚)」と言い切ったらしい)という点が挙がってくるでしょうが、これについては私はあまり気にしていません。何故なら東條一人が旗を振ったから当時にあの戦争に突入したわけでなくそれ以前からの長年の積み重ねと、これは近年になってようやく主張できるようになりましたが軍部だけでなく当時は国民の大半も中国、アメリカとの戦争を望んでいました。それゆえ東條がたとえ存在しなくとも戦争に突入したであろうと私は考え、開戦の責任まで東條に負わせるのは真相を解き明かす上で致命的な躓きになりかねないと考えています。
ではそんな東條のどこが嫌いなのかといえば、我ながら結構細かいですが一つ一つのエピソードがどれも気違いじみているところに激しい嫌悪感を覚えます。そんな気違いじみたエピソードの代表格は、バーデン=バーデンの密約で、これは大学受験レベルの日本史ではまず出てこないのですが是非とも後世に伝えるために指導するべきだと私一人で主張している史実です。これは1921年に東條を含む欧州に滞在していた陸軍若手官僚同士がドイツのバーデン=バーデンに集まり、陸軍の近代化や後に国家総動員法として後に実施される案をお互い一致団結して目指すということを誓ったという会合で、この時集まったメンバーらは後の統制派、皇道派という戦前陸軍の二大派閥の指導者となっていきます。
仮にこれだけの内容であればさして気にするほどでもないのですが、この時に示し合わされた議題の一つに当時の陸軍で権勢を振るっていた長州閥の排除も含まれていました。東條自身も自分の父英教が陸大一期を首席で卒業したにもかかわらず大将にまで昇進しなかったのは長州閥でなかったせいだと信じ込んでいた節があり(事実かどうかは不明)、長州閥への憎悪は強かったようです。
そんなことを誓い合った東條達はどんな方法で長州閥の追い出しにかかったのかというと、なんと自分たちが陸大の入学選抜に関わって長州出身者を徹底的に排除するというやり方を取りました。具体的にどんな方法かウィキペディアの記事によると、入学選抜の口頭試験において長州出身者のみに対し、「貴官は校門から、試験会場まで、何歩で到着した?」、「陸軍大学のトイレに便器はいくつあるのか?」などという全然選抜する上で関係のなく、答えられるはずのない質問をして落としていったそうです。その甲斐あってある年を境に長州出身の陸大入学者は、陸大が廃止されるまで10年以上に渡って現れることがありませんでした。
このエピソードだけでも十分神経というかいろいろ疑うのですがこれ以外にもこういった人間の小ささをアピールするかのようなエピソードが東條には多く、陸軍内部で人事権を握るや能力如何にかかわらず自分と馬が合うかどうかで人事を決めていき、戦時中もノモンハン事件の辻正信やインパール作戦の牟田口廉也など軍人として致命的なまでに能力が欠けていて実際に大失敗をやらかした人物らに対し、「名誉挽回のチャンスを与えねば」と、どんどんと中央に上げていって戦争指揮を任せています。その一方で陸軍内部で良識派と呼ばれ実際に多大な戦果を挙げた今村均や山下奉文については「仲間」だと判断しなかったせいか、中央に呼び寄せることなく延々と現地司令官のままに据え置きました。石原莞爾に至ってはお互いに犬猿の仲だったこともあり、左遷から予備役にまで追い込んでます。
このほかにも戦時中に、「竹槍で勝てるものか」と批判記事を書いた毎日新聞の新名丈夫記者(当時37歳)を報復のために硫黄島へ送ろうとしたり、東條内閣退陣を促そうとした逓信省工務局長の松前重義(当時42歳)を二等兵として招集し、こちらは実際に南方に送っています。しかも40代という明らかに徴兵年齢としては高齢過ぎる松前を目立たせないよう、松前に近い年齢の老兵を合わせて数百人も招集するほどの手の入れようだったそうです。
極めつけが終戦直後で、戦時中に「敵の捕虜になるくらいなら自決しろ!」と言っていたにもかかわらず本人は阿南大将と違ってなかなか自決せず、GHQが逮捕に来た段階に至ってようやく拳銃自殺を図り、案の定未遂に終わっています。この時に東條は腹部を撃っていますが、いろいろ意見が言われているものの普通自決するなら頭を撃つのが自然じゃないかと思いますし、そもそももっと早くに自決してればよかったのではという気がしてなりません。公家出身の近衛文麿ですら当時既に自決してたのに。
その後は知っての通りに東条は極東国際軍事裁判で裁かれるわけですが、この裁判において東條は戦争責任が昭和天皇に及ばないように自身がスケープゴートになろうと努めたと巷間言われておりますが、私はこの説に対して率直に疑っております。東條自身がスケープゴートたらんという意識を持っていたということに対しては否定しませんが、東條がそう務めたからと言って何かが変わったのかといえば何も変わりはしなかったと思います。こう思う根拠としてアメリカは日本のポツダム宣言受諾以前から対日占領政策を研究しており、その研究の中で天皇制を維持することは占領政策にかなうとはっきりと結論を出しており、天皇への戦争責任は初めから見逃されることが決まっていたからです。
そのためこういうと実も蓋もないですが、東條=スケープゴート説というのは彼を無理矢理にでも肯定的に評価しようとする人たちに作られた説、もしくは東条とその支援者らが自己満足するために作られた話ではないかと見ています。第一、スケープゴートになろうってんなら初めから自決未遂なんかしてるんじゃないよと言いたいし。少なくとも、東條がいてもいなくても昭和天皇は戦争責任から外されていたであろうことを考えると取り上げる価値もありません。
最後に東條の靖国合祀について一言を添えると、「死ねと命令した人間」と「死ねと命令された人間」が同じ場所に合祀されるのはやはりおかしな気がします。それもまともな戦争指揮ならともかくインパール作戦をはじめとしたかなり偏った、異常な価値観で決められた戦争だとするとなおさらです。
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