ぶっちゃけた話、今とても眠いです。理由は簡単でこの連休中に夜更かしし過ぎて、昨晩はなかなか寝付けないまま今日仕事があったからです。ただそれ以上に今朝起きたら原因不明の腹痛に襲われ、あまりにも痛いもんだから体を曲げて靴下を履くことすらままならないほどでした。真面目にZガンダムのカミーユ・ビダンじゃないけど、「何の役にも立てず、俺は両親の元へ行くのか?」などという具合で死を覚悟するくらいの激痛でした。まぁ両親は存命してるけど。
同僚にも朝一で心配されるくらいで、なんでも顔が完全に土気色だったそうです。正午くらいまでは激痛が続き終いには背中の方まで痛くなって、くしゃみなんかして体を動かすと全員に痛みが走って悶えるほどでしたが、午後から徐々に引いて現在では無痛状態です。ほんとにあれはなんだったんだろう。
そんな奇妙な症状のことは置いといて、そろそろ本題に入ります。今日のお題は鎌倉時代の区分こと、始まる年についてです。
・鎌倉時代(Wikipedia)
鎌倉時代が始まった年ともなると、語呂合わせキングと言っても差し支えない「いい国作ろう鎌倉幕府」に表されるように1192年だとお思いの方が多いでしょうが、実は最近になってこれは変わって、現代では壇ノ浦の合戦があった1185年からだ義務教育では教えられています。一体何故年代が繰り上がったのかというと、1192年は源頼朝が征夷大将軍に就任した年で以前はこの時代から武士政権が始まったとみられていたのですが、既に1185年に鎌倉幕府の支配体制における代表的な構造である地頭の設置が認められており、実質上の支配がはじまっていることから繰り上げられたそうです。
もう眠いのでさっさと結論を出してしまいますが、私は鎌倉幕府が始まった年というのは1185年、1192年のどちらもふさわしくないと考えています。じゃあ何年から始まるのが適切なのか、この答えは率直に言って1221年からです。日本史好きならもうわかるでしょうが、この年は承久の乱が起こった年です
私が何故承久の乱の前後で平安時代、鎌倉時代と区切ろうとするのかというと、この承久の乱が起こるまでは西国は天皇家、東国は鎌倉武士団と、日本全国で二重支配があったからです。それがこの承久の乱を契機に全国を鎌倉幕府こと北条家が完全に統括することとなり、ひいては天皇家をも支配下に置くことになります。天皇家が実質的に武士の支配下にはいるのはまさにこの時が初めてで、この構造は1868年に明治維新が起こるまで続くことになります。これは山本七平が言っていたように、日本の歴史上で本当に限られた回数しか起こっていない最大級の革命劇です。
さらに言うと鎌倉幕府は当初でこそ源頼朝こと源氏の棟梁が統治しましたが、彼以降は実質的に北条家が取り仕切っており、鎌倉幕府は誰のものだったかとなると私は北条家の物だったと言っていい気がします。この構造は徳川家による江戸幕府が成立する前の豊臣政権に近いようにも思え、時代区分としては源氏はブレイクスルーに過ぎず、主役にするべきではないはずです。その北条家が完全に主導権を握るきっかけとなったのは1219年に源実朝が暗殺され、それを一つの契機として起きたのが承久の乱と考えると、やっぱり鎌倉幕府は1221年からというように思えてなりません。
ここではっきり書いてしまいますが、ブレイクスルーに過ぎない源頼朝の征夷大将軍就任から鎌倉幕府が始まるという考え方の方が不自然で、承久の乱から始まるという方が明らかに自然なのです。にもかかわらずこれまで前者の説が取られてきたのは間違いなく皇国史観が影響していると断言してもいいです。皇国史観がなんなのかまではもう説明しませんが、要するに「天皇家が敗北して取って代わられた」という歴史をなるべく小さくしたかったからで、早いことこんなカビの生えた価値観は捨てて、公平な認識でもって鎌倉幕府の開始年度は再考していただきたいものです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2012年4月5日木曜日
2012年4月4日水曜日
日本に影響を残した外国人~アーネスト・フェノロサ
また大分期間が空いてのこの連載。何か理由があるわけじゃないけど、こっちでも気温が上がってきたから薄着でワッショイしてたら鼻水が止まらなくなった日に再開というのも何かしら運命があるのかもしれません。花粉症ではありませんが、これだから4月は嫌いだ
・アーネスト・フェノロサ(Wikipedia)
そんな鼻水との格闘を続ける中で紹介するのは、日本の美術界、ひいては奈良の観光業界に多大なる貢献を放たしたアーネスト・フェノロサです。個人的な感傷ですが、この人に関しては私自身も並々ならぬ尊敬心を抱いております。
フェノロサはアメリカのハーバード大学で政治経済学を学んでいたのですが、25歳の時に来日していた大森貝塚で有名なエドワード・モースから哲学を講義出来る優秀な人材との紹介を受けて1888年に来日しました。
話は少し横にそれますが、この時期のお雇い外国人は一応はそれぞれの専門領域を教えるために来日していますが、当時の日本の学術レベルが非常に低い割に指導教授がいなかったこともあり、今で言えば小学校で習うような理科の内容や簡単な世界情勢とかも一緒に講義していたようです。
話はフェノロサに戻りますが、日本にやってきた当初は東大で政治学や哲学などを教えていて昨今知られているような美術との関わりはなかったそうです。ただ以前からボストンの美術学校でデッサンを学ぶなどこの方面にも元々興味はあったようで、来日からほどなくして日本の美術品に興味を示しだし、ちょうど当時フェノロサを師事していた岡倉天心に収集を手伝わせるようになってからは一気に火が吹き、日本画の絵画展で審査員なども務めております。
そんなフェノロサの現代にまで通じる最大の功績はなんといっても、廃仏毀釈によって壊滅的打撃を受けていた仏教美術の再評価です。話せば少し長くなりますが、1868年に明治時代に入った直後、日本政府は神仏分離令といって境界があいまいだった神道と仏教の線引きをはっきりするための通達を出しました。これを受け一部の地域、特に近畿地方ではそれ以前からの反感もあってか仏教に対して「えらそうにしてやがったくせ神道とは別かよ!」っていうようなノリで、暴動に近いほどの排斥が起こるようになりました。
日本の高校レベルの授業ではこういう風に軽く教えられると思いますが、実態的には非常に大きな排斥運動でした。それこそ一部の寺なんかは民衆によって完全に破壊されて跡形もなくこの世から消え去ってしまってますし、歴史的価値の高い仏像や宝物も一切合財破壊されたり燃やされたりもしています。運が良くても、欧米の好事家に買われて国外に流出するケースがほとんどだったと言います。
この廃仏毀釈の被害が最も大きかった地域は神道のお膝元である三重県と、仏教勢力の強かった奈良県だと言われています。勝手な想像ですが、京都の寺なんかはそれとなく有力者と結びついたり、京都人もある程度価値がわかっていたから保存に成功できたのだと思います。
逆に奈良県は徹底的と言っていいほどの破壊が横行し、主要な仏像などはすべて薪の材料として燃やされていったそうです。今も残る奈良の伽藍や塔が何故残ったのかというと、薪として売る価格よりも分解して薪にする手間賃のが高かったためだとされており、そのほか仏像なども処分費用が掛かるからしょうがなく倉庫に保管されていただけであって、こうしたものが現在国宝として珍重されていることを考えるとどれだけの貴重な財産が失われたか想像に難くありません。
こんな混乱の坩堝と化していた近畿地方にフェノロサと岡倉天心は乗り込み、売られようとしていた美術品の保存に努めただけでなくそれらを海外に紹介することで再評価を進めました。仮に当時のフェノロサの運動がなければ、同地域の主要な観光資源となっている寺や仏像のほとんどが失われていた可能性もあり、そういう意味では奈良県はタイガースファンにとってのバースよろしくフェノロサに対してもっと崇めたりした方がいいんじゃないかと思います。
またこの時期のフェノロサと岡倉天心のエピソードとして、法隆寺夢殿の救世観音像にまつわる話があります。この救世観音像は長きにわたって秘仏とされており、像を覆う布を取ったら祟りが下りるとして封印されておりました。しかしそういって公開を拒む法隆寺に対してこの二人は、「祟りなんかどうでもいいからとっとと見せやがれ(#゚Д゚)ゴルァ!!」とかなり強引に迫って、なんでも止める僧侶とかを無理矢理引きはがして夢殿に乗り込んだそうで、僧侶の中には祟りを恐れてその場から逃げだす者までいたそうです。
こうして邪魔者をすべて追い払った二人は悠々と救世観音像とお目見えできたわけですが、この像は聖徳太子を模した像と言われており、一説には一族すべてが殺された太子を慰めるために作られたとも言われています。それゆえ法隆寺の怨霊伝説とか神霊ものには頻出のアイテムであって、自分が昔見た話なんかだと夢殿を写真で撮ったら燃えている写真が出来たというのもあります。
こんな感じで日本で大暴れ、もといかなり楽しそうな人生を送ったフェノロサは1890年に帰国し、ボストン美術館の東洋部長として日本美術の紹介をつづけ、1908年にロンドンで死去しました。
この記事でもそうですが、私がフェノロサを紹介する際は基本的に廃仏毀釈を説明する時です。それ以前からどれだけ価値が知られていようとも、また実際に高い価値が持っていようとも、ちょっとした風向きの違いでこうも簡単に失われてしまうことがあるということをせっかくなので肝に銘じておいてほしいという願いを込めて筆をおかせてもらいます。
・アーネスト・フェノロサ(Wikipedia)
そんな鼻水との格闘を続ける中で紹介するのは、日本の美術界、ひいては奈良の観光業界に多大なる貢献を放たしたアーネスト・フェノロサです。個人的な感傷ですが、この人に関しては私自身も並々ならぬ尊敬心を抱いております。
フェノロサはアメリカのハーバード大学で政治経済学を学んでいたのですが、25歳の時に来日していた大森貝塚で有名なエドワード・モースから哲学を講義出来る優秀な人材との紹介を受けて1888年に来日しました。
話は少し横にそれますが、この時期のお雇い外国人は一応はそれぞれの専門領域を教えるために来日していますが、当時の日本の学術レベルが非常に低い割に指導教授がいなかったこともあり、今で言えば小学校で習うような理科の内容や簡単な世界情勢とかも一緒に講義していたようです。
話はフェノロサに戻りますが、日本にやってきた当初は東大で政治学や哲学などを教えていて昨今知られているような美術との関わりはなかったそうです。ただ以前からボストンの美術学校でデッサンを学ぶなどこの方面にも元々興味はあったようで、来日からほどなくして日本の美術品に興味を示しだし、ちょうど当時フェノロサを師事していた岡倉天心に収集を手伝わせるようになってからは一気に火が吹き、日本画の絵画展で審査員なども務めております。
そんなフェノロサの現代にまで通じる最大の功績はなんといっても、廃仏毀釈によって壊滅的打撃を受けていた仏教美術の再評価です。話せば少し長くなりますが、1868年に明治時代に入った直後、日本政府は神仏分離令といって境界があいまいだった神道と仏教の線引きをはっきりするための通達を出しました。これを受け一部の地域、特に近畿地方ではそれ以前からの反感もあってか仏教に対して「えらそうにしてやがったくせ神道とは別かよ!」っていうようなノリで、暴動に近いほどの排斥が起こるようになりました。
日本の高校レベルの授業ではこういう風に軽く教えられると思いますが、実態的には非常に大きな排斥運動でした。それこそ一部の寺なんかは民衆によって完全に破壊されて跡形もなくこの世から消え去ってしまってますし、歴史的価値の高い仏像や宝物も一切合財破壊されたり燃やされたりもしています。運が良くても、欧米の好事家に買われて国外に流出するケースがほとんどだったと言います。
この廃仏毀釈の被害が最も大きかった地域は神道のお膝元である三重県と、仏教勢力の強かった奈良県だと言われています。勝手な想像ですが、京都の寺なんかはそれとなく有力者と結びついたり、京都人もある程度価値がわかっていたから保存に成功できたのだと思います。
逆に奈良県は徹底的と言っていいほどの破壊が横行し、主要な仏像などはすべて薪の材料として燃やされていったそうです。今も残る奈良の伽藍や塔が何故残ったのかというと、薪として売る価格よりも分解して薪にする手間賃のが高かったためだとされており、そのほか仏像なども処分費用が掛かるからしょうがなく倉庫に保管されていただけであって、こうしたものが現在国宝として珍重されていることを考えるとどれだけの貴重な財産が失われたか想像に難くありません。
こんな混乱の坩堝と化していた近畿地方にフェノロサと岡倉天心は乗り込み、売られようとしていた美術品の保存に努めただけでなくそれらを海外に紹介することで再評価を進めました。仮に当時のフェノロサの運動がなければ、同地域の主要な観光資源となっている寺や仏像のほとんどが失われていた可能性もあり、そういう意味では奈良県はタイガースファンにとってのバースよろしくフェノロサに対してもっと崇めたりした方がいいんじゃないかと思います。
またこの時期のフェノロサと岡倉天心のエピソードとして、法隆寺夢殿の救世観音像にまつわる話があります。この救世観音像は長きにわたって秘仏とされており、像を覆う布を取ったら祟りが下りるとして封印されておりました。しかしそういって公開を拒む法隆寺に対してこの二人は、「祟りなんかどうでもいいからとっとと見せやがれ(#゚Д゚)ゴルァ!!」とかなり強引に迫って、なんでも止める僧侶とかを無理矢理引きはがして夢殿に乗り込んだそうで、僧侶の中には祟りを恐れてその場から逃げだす者までいたそうです。
こうして邪魔者をすべて追い払った二人は悠々と救世観音像とお目見えできたわけですが、この像は聖徳太子を模した像と言われており、一説には一族すべてが殺された太子を慰めるために作られたとも言われています。それゆえ法隆寺の怨霊伝説とか神霊ものには頻出のアイテムであって、自分が昔見た話なんかだと夢殿を写真で撮ったら燃えている写真が出来たというのもあります。
こんな感じで日本で大暴れ、もといかなり楽しそうな人生を送ったフェノロサは1890年に帰国し、ボストン美術館の東洋部長として日本美術の紹介をつづけ、1908年にロンドンで死去しました。
この記事でもそうですが、私がフェノロサを紹介する際は基本的に廃仏毀釈を説明する時です。それ以前からどれだけ価値が知られていようとも、また実際に高い価値が持っていようとも、ちょっとした風向きの違いでこうも簡単に失われてしまうことがあるということをせっかくなので肝に銘じておいてほしいという願いを込めて筆をおかせてもらいます。
2012年4月3日火曜日
南京詣出
今日も清明節のお休みだったので、ちょっと遠出とばかりに高速鉄道に乗って南京市へ遊びに行きました。南京には留学中の6年前にも一回だけ訪れたことがありましたが、当時とは違ってピカピカの南京南駅もあれば地下鉄も整備されており、いい意味で見違えていました。

そんな南京市で今回訪れたのは、孫文こと孫中山の墓所です。孫文のことを中国では一般的に孫中山と呼ぶのですが、この呼称の起源はというと孫文が日本滞在中に「中山」という表札を見て、「いいじゃんコレ(゚∀゚)」ってな感じで自分の呼び方に使い始めたのがきっかけだそうです。表札もかけてみるもんだ。
そんな孫文の墓こと中山陵ですが、えらい山の中にあって最寄りの地下鉄駅から上ること実に30分もかかってようやく到着しました。ただ昇っている最中は前の人間を次々追い越して一度も抜かれることはなかったので、多分ほかの人が昇ったら1時間近くかかる気がします。この中山陵に限らず中国の偉人の墓はどこも馬鹿でかく、瀋陽市にあるホンタイジの墓も東京ドーム何個分だっていうくらいの広さで、伏見にある桃山御陵と比べると日本は詣出客に随分優しい設計だということが痛感します。

手前の女性のけだるそうな顔が印象的。

この日は連休中とあって人口大国中国らしく、ほかに行くところはないのかよと言いたくなるくらいに人でごった返していました。もっとも自分もその一人なのだが。

孫文の像。この像に限らず中国では座った姿の像がやけに多いです。ちなみに像というと南宋時代に活躍して現在では売国奴ととして罵られている秦檜の像は跪いていることで有名ですが、なんか去年に座った姿の像が発見されてクララが立ち上がった時くらいの衝撃が中国全土に走りました。結局、批判が多くって公開されなかったけど。

孫文の墓の後はその隣にある、明代の初代皇帝、洪武帝の墓所も見学しました。孫文の墓所は無料公開なのに対し、こちらは通常料金75元のところ、この日は観光シーズンなので50元の入場料金を取られました。同じ墓所なのに孫文ばっかり特別扱いはずるいと、洪武帝も草葉の陰で思っているに違いない。

こっちも人でごった返していて、上海じゃ聞いたことのないようなアクの強い北方訛りの中国語も聞こえてきました。北京で中国語を勉強した身からすると、妙に懐かしいんだけど。
この二つの墓所を3時間くらいぶっ通しで歩き続けた後は市街地を軽く回り、そのまま駅に戻って上海に帰ってきました。いつもこんな感じで無茶な距離を歩き続けるせいか、初見の人と一緒に出掛けると大抵「ごめん、足が痛いんだけど……」とダウンさせてしまってます。ある友人なんか、「花園君に鍛えられたせいか、友達と一緒に歩くとみんなちょっと待ってって僕に言うようになってきた……」と言うくらいで、そこまで意識はしてないですが周りにかなり無茶をさせてるようです。

そんな南京市で今回訪れたのは、孫文こと孫中山の墓所です。孫文のことを中国では一般的に孫中山と呼ぶのですが、この呼称の起源はというと孫文が日本滞在中に「中山」という表札を見て、「いいじゃんコレ(゚∀゚)」ってな感じで自分の呼び方に使い始めたのがきっかけだそうです。表札もかけてみるもんだ。
そんな孫文の墓こと中山陵ですが、えらい山の中にあって最寄りの地下鉄駅から上ること実に30分もかかってようやく到着しました。ただ昇っている最中は前の人間を次々追い越して一度も抜かれることはなかったので、多分ほかの人が昇ったら1時間近くかかる気がします。この中山陵に限らず中国の偉人の墓はどこも馬鹿でかく、瀋陽市にあるホンタイジの墓も東京ドーム何個分だっていうくらいの広さで、伏見にある桃山御陵と比べると日本は詣出客に随分優しい設計だということが痛感します。

手前の女性のけだるそうな顔が印象的。

この日は連休中とあって人口大国中国らしく、ほかに行くところはないのかよと言いたくなるくらいに人でごった返していました。もっとも自分もその一人なのだが。

孫文の像。この像に限らず中国では座った姿の像がやけに多いです。ちなみに像というと南宋時代に活躍して現在では売国奴ととして罵られている秦檜の像は跪いていることで有名ですが、なんか去年に座った姿の像が発見されてクララが立ち上がった時くらいの衝撃が中国全土に走りました。結局、批判が多くって公開されなかったけど。

孫文の墓の後はその隣にある、明代の初代皇帝、洪武帝の墓所も見学しました。孫文の墓所は無料公開なのに対し、こちらは通常料金75元のところ、この日は観光シーズンなので50元の入場料金を取られました。同じ墓所なのに孫文ばっかり特別扱いはずるいと、洪武帝も草葉の陰で思っているに違いない。

こっちも人でごった返していて、上海じゃ聞いたことのないようなアクの強い北方訛りの中国語も聞こえてきました。北京で中国語を勉強した身からすると、妙に懐かしいんだけど。
この二つの墓所を3時間くらいぶっ通しで歩き続けた後は市街地を軽く回り、そのまま駅に戻って上海に帰ってきました。いつもこんな感じで無茶な距離を歩き続けるせいか、初見の人と一緒に出掛けると大抵「ごめん、足が痛いんだけど……」とダウンさせてしまってます。ある友人なんか、「花園君に鍛えられたせいか、友達と一緒に歩くとみんなちょっと待ってって僕に言うようになってきた……」と言うくらいで、そこまで意識はしてないですが周りにかなり無茶をさせてるようです。
2012年4月2日月曜日
日本のライバル国
日本人に対して「日本のライバル国は?」と聞いたら恐らく、7割方の人間が韓国か中国の名前を挙げ、残り3割の大半をアメリカと答えるのではないかと思います。なお韓国か中国かといったら多分韓国の方が割合が多い気がします。このような現実を踏まえた上で言うと、私は将来的に真に日本のライバル国となるのは、一つは国ではなく地域ですが香港、もう一つはシンガポールだと考えております。
久々にこういう突飛な意見というか、見ている人が見たら何をと思われる話ですが、この件に関してはやや真面目に考えております。まず最初に上げた国々がどうして日本のライバルじゃないかという点ですが、韓国については主要産業が電機と自動車ということでうなずける部分もあるのですが、アメリカや中国に関しては人口規模から国土まで日本とは桁違いに大きく、何気にこの前も私がレポートで書きましたが、国土が広いだけあって中国の建機メーカーはまだまだ長きにわたって繁栄を享受することが予想されています。また産業構造というか国の構造もこの二ヶ国は日本と趣が異なっている、具体的に言えば軍事費の支出割合が大きく、こう言ってはなんですがいい意味で棲み分けが出来る相手だと考えています。
では逆に、どうして香港とシンガポールを日本の将来のライバル国として挙げたのかについて説明します。まず前提から解説すると、日本はともかく香港とシンガポールの二ヶ国(面倒なので香港はこの後も「国」として話を進めます)は互いに相手をはっきりとライバル視ししており、去年も香港の調査では競争相手国としてシンガポールが一位に入っていました。この二ヶ国がどうしてライバル視し合っているかというと単純に産業から構造までが全く一緒で、どちらも移民が多く、国土と人口は少なく、食料は他国からの輸入で賄っており、法人税は少なく、金融とグローバル拠点としての立地の良さを武器に戦っているからです。さらに付け加えるなら、英語が公用語として通用する点も共通しています。
こうして挙げた要素を日本の現状と比べると、自分で言っておきながらですが明らかに隔たりがあります。まず日本は中国やアメリカと比べると狭いながらも国土は広く(平地は少ないが)、人口も世界でもかなり上位にランクインしています。食料を外国に依存しているという点では共通していますが、英語が公用語なんて遥か遠い世界なくらいにほかの要素はまるで一致してません。
このように土台が全く違うにもかかわらず何故私がこの二ヶ国をライバル視すするのか、回りくどい言い方になってしまいましたが20年くらい先の日本の持っていき先として、国の構造や産業をこの二ヶ国の現状に近づけさせたいというのが狙いです。何故このような意見を持つのかというと、そもそもの現状として今の日本は政治家も官僚も国民もそろってアメリカや中国に張り合おうとしているところがあります。確かにかつての日本のGDPや経済力は非常に高くてアメリカや中国とも張り合えそうに見えたこともありましたが、張り合おうとした結果、いろんなものを失っているのが今の日本の現状ではないかとも感じます。また中長期的に見るならば、これまた極論かもしれませんが自分は将来の世界では人口が少なければ少ないほど一国として有利になると考えており、現在の少子化対策は必要ではあるものの日本の人口は緩やかに減少させていくべきだとも考えており、中国やアメリカをボクシングのヘビー級としてとらえるなら、もっと体重の軽いフェザー級などへ持っていくべきだという持論をかねてから持っております。
こうした価値観から将来的な日本の姿のモデルとして今の世界で成功しているのを挙げるととすると、やはり香港とシンガポールかという考え方から勝手なライバル視に繋がりました。
まずくれぐれも言っておきますが、一から十まで香港とシンガポールのような国に日本はなるべきだとは考えておりません。香港の人口は約700万人、シンガポールは約470万人で日本の十分の一以下であり、人口が少ないがゆえの有利さもありますが日本は国内人口が大きい分だけあって国内市場を持っているという強みがあり、これをわざわざ捨てる必要がありません。ただ将来的な人口減に対応するため、この二ヶ国の取り組みの必要なところ(必要なところ≠良いところ)は日本も取り込んでいくべきで、それこそ移民に関しては今から議論するのも遅すぎるくらいです。
なんか自分でも考えがまとまっていなかったせいかあまりまとまりのない内容となりましたが、簡潔にまとめるなら「中国やアメリカと張り合おうとせず、香港やシンガポールに近づくように構造を変えるべき」というのが私の意見です。
久々にこういう突飛な意見というか、見ている人が見たら何をと思われる話ですが、この件に関してはやや真面目に考えております。まず最初に上げた国々がどうして日本のライバルじゃないかという点ですが、韓国については主要産業が電機と自動車ということでうなずける部分もあるのですが、アメリカや中国に関しては人口規模から国土まで日本とは桁違いに大きく、何気にこの前も私がレポートで書きましたが、国土が広いだけあって中国の建機メーカーはまだまだ長きにわたって繁栄を享受することが予想されています。また産業構造というか国の構造もこの二ヶ国は日本と趣が異なっている、具体的に言えば軍事費の支出割合が大きく、こう言ってはなんですがいい意味で棲み分けが出来る相手だと考えています。
では逆に、どうして香港とシンガポールを日本の将来のライバル国として挙げたのかについて説明します。まず前提から解説すると、日本はともかく香港とシンガポールの二ヶ国(面倒なので香港はこの後も「国」として話を進めます)は互いに相手をはっきりとライバル視ししており、去年も香港の調査では競争相手国としてシンガポールが一位に入っていました。この二ヶ国がどうしてライバル視し合っているかというと単純に産業から構造までが全く一緒で、どちらも移民が多く、国土と人口は少なく、食料は他国からの輸入で賄っており、法人税は少なく、金融とグローバル拠点としての立地の良さを武器に戦っているからです。さらに付け加えるなら、英語が公用語として通用する点も共通しています。
こうして挙げた要素を日本の現状と比べると、自分で言っておきながらですが明らかに隔たりがあります。まず日本は中国やアメリカと比べると狭いながらも国土は広く(平地は少ないが)、人口も世界でもかなり上位にランクインしています。食料を外国に依存しているという点では共通していますが、英語が公用語なんて遥か遠い世界なくらいにほかの要素はまるで一致してません。
このように土台が全く違うにもかかわらず何故私がこの二ヶ国をライバル視すするのか、回りくどい言い方になってしまいましたが20年くらい先の日本の持っていき先として、国の構造や産業をこの二ヶ国の現状に近づけさせたいというのが狙いです。何故このような意見を持つのかというと、そもそもの現状として今の日本は政治家も官僚も国民もそろってアメリカや中国に張り合おうとしているところがあります。確かにかつての日本のGDPや経済力は非常に高くてアメリカや中国とも張り合えそうに見えたこともありましたが、張り合おうとした結果、いろんなものを失っているのが今の日本の現状ではないかとも感じます。また中長期的に見るならば、これまた極論かもしれませんが自分は将来の世界では人口が少なければ少ないほど一国として有利になると考えており、現在の少子化対策は必要ではあるものの日本の人口は緩やかに減少させていくべきだとも考えており、中国やアメリカをボクシングのヘビー級としてとらえるなら、もっと体重の軽いフェザー級などへ持っていくべきだという持論をかねてから持っております。
こうした価値観から将来的な日本の姿のモデルとして今の世界で成功しているのを挙げるととすると、やはり香港とシンガポールかという考え方から勝手なライバル視に繋がりました。
まずくれぐれも言っておきますが、一から十まで香港とシンガポールのような国に日本はなるべきだとは考えておりません。香港の人口は約700万人、シンガポールは約470万人で日本の十分の一以下であり、人口が少ないがゆえの有利さもありますが日本は国内人口が大きい分だけあって国内市場を持っているという強みがあり、これをわざわざ捨てる必要がありません。ただ将来的な人口減に対応するため、この二ヶ国の取り組みの必要なところ(必要なところ≠良いところ)は日本も取り込んでいくべきで、それこそ移民に関しては今から議論するのも遅すぎるくらいです。
なんか自分でも考えがまとまっていなかったせいかあまりまとまりのない内容となりましたが、簡潔にまとめるなら「中国やアメリカと張り合おうとせず、香港やシンガポールに近づくように構造を変えるべき」というのが私の意見です。
2012年4月1日日曜日
司法取引を導入するべきか否か
・司法取引(Wikipedia)
久々に司法関係の話題を取り上げようと思ったので、司法取引を日本でも導入するべきか否かというテーマについて今日は書きます。結論から書くと、今の日本の現状ではまだ全面的に導入するべきではないというのが私の意見です。
話をする前に司法取引について、知ってる人は端折って結構ですが簡単に説明します。これはいわゆる「裁判取引」と言われ英米ではかなり盛んに実行されている制度なのですが、要するにその本人が関わっている犯罪について共犯者や手口、証拠などを供述、提出する代わりに罪の軽減化を認めるという制度です。具体的なメリットとしては、まだ摘発されていない事件が明るみになったり、もしくは組織犯罪などを一気にトリマ閉まることが出来るといったことが挙げられています。
欧米なんかだとやはりマフィア絡みの犯罪にこの司法取引がよく使われるそうですが、このほか経済犯罪から詐欺事件までと、弁護士が仕事しやすいようになんかいろいろと整備されているそうです。
そんな司法取引に対する日本の現状ですが基本的には一切認めていませんし、進んで自白をすることで反省の態度があるとみなして減刑されることはあっても、欧米のように証拠を提出するかわりに執行猶予を約束するということは多分許されておりません。ただ全くないというわけではなく課徴金減免制度といって、カルテルなど経済案件に関する組織犯罪に対しては申告した順番が早ければ早いほど課徴金が免じられる制度が2006年から導入されており、こういうのもなんですが物凄い成果を上げております。
せっかくなので何か事例をひっぱってこようと検索したらこの制度を運用している公正取引委員会が記者も学者も感動するくらいにきちんと過去の事例案件をまとめておいてくれてます。それで事例ですが、最新の自動車向けハーネスに関する事例では恐らく真っ先に垂れこんだであろう古川電工が課徴金を全額免除されており、その次の住友電工は50%、そして最後であろう矢崎総業が30%とそれぞれ免除されています。矢崎に関しては海外でも派手にカルテルをやってたのかこの前幹部がアメリカで逮捕されて懲役付きの実刑判決食らってましたが、きついことを言うとハーネス業界ならさもありなんと私は感じましたし、まだ他にも隠していることがたくさんある気がします。自分もあの業界とはちょっと関わったことがありますが、見積もり依頼時にエンドユーザーとなる自動車メーカーの名前を出さないと絶対に販売価格を明かさない(=自動車メーカーごとに価格が初めから決まっている)ところといい、真面目にくたばったほうがいいと言いたくなるやり方してます。あと在庫くらいもう少し持てよ、住友電工。
話は司法取引に戻りますが、確かにこの制度があると「早く自白した方が刑が軽くなる」という競争意識が働いて犯罪の摘発に間違いなく効果があると言い切れるのですが、それを考慮しても日本で導入するべきではないという立場を私は取ります。一体何故反対なのかというと、これは日本の司法制度に問題があるためで、刑事事件などで自白が過剰に重く取り扱われる風土があるからです。それこそ具体例を挙げていったら切りがないくらいなのですが、日本の刑事裁判では足利事件を筆頭に容疑者が自白したという供述書さえあればほかの可能性を示唆したり自白内容を覆す証拠や目撃証言があっても完全に無視されてしまいます。
そのため司法取引がもし認められる場合、それこそ誰かが嘘の証言をして全く関係のない人間を共犯だったと供述したら、ほかに何も証拠がないにもかかわらずその無関係の人間が逮捕、拘留、実刑判決の三拍子を受けてしまいかねません。言うなれば、冤罪の温床となる確率が非常に高いのです。
また仮に真実の証言や供述があっても、警察や検察側のねじれた判断でその供述者が罠にはめられる可能性も十分に考えられますし、現実にそんな事件が過去に起きています。その事件とは1993年に起きた埼玉愛犬家連続殺人事件で、この事件では4人もの人間(実際にはもっと多いとされている)を殺害した夫婦について遺体の解体などを手伝った男が「検察側から持ちかけられた」として、執行猶予を付けることを条件に犯行内容などを自供しました。この男の自供によって、というより自供があって初めて殺害を立証する証拠が発見され事件を立件することが出来たのですが、この男の第一審に対する検察の求刑には執行猶予はつけられず、判決も懲役三年の実刑がおりました。
こうした検察の態度に対して男は約束を反故にされたとして司法取引の密約があったという事実を明かした上に、共犯の裁判における証言を一切拒否する行為に出ました。これに対し浦和地検はこちらはお約束通りに「密約はなかった」と存在そのものを否定しましたが、事件構造から言っても傍目に見てもあったとみて当然じゃないかと私は考えています。なお、共犯の夫婦二人には死刑判決が下りてます。
以上のような考察から、私は司法取引が日本で導入されたら刑事事件などにおいて警察や検察によって恣意的に利用されるだけでなく、冤罪を大量に生みかねないと考えています。ただ経済犯罪に対する効果は既に実証済みであることからこのまま続けるべきで、さらに言うなら刑事事件においてもある程度適用先を限定する、それこそ完全な証拠があるのを条件にした上で暴力団などによる組織犯罪に対してのみであれば検討した上で導入してもいいのではと思います。この前も記事にて取り上げましたがそれこそオウム真理教などテロ集団に対してはむしろ適用すべきで、破防法よりも使い勝手がいいんじゃないかと勝手に考えてます。
ちなみに今は就活シーズンですが、自分はどこかの面接でふとしたことをきっかけに、「仮に御社が社会的に明らかに不正と見られる行為を行っていた場合は自分は迷わず内部告発します」といって速攻で落とされたことがありました。自分が雇用する立場ならこういう人間を評価して引き込むでしょうが社会はなかなかそうもいかないようです。
久々に司法関係の話題を取り上げようと思ったので、司法取引を日本でも導入するべきか否かというテーマについて今日は書きます。結論から書くと、今の日本の現状ではまだ全面的に導入するべきではないというのが私の意見です。
話をする前に司法取引について、知ってる人は端折って結構ですが簡単に説明します。これはいわゆる「裁判取引」と言われ英米ではかなり盛んに実行されている制度なのですが、要するにその本人が関わっている犯罪について共犯者や手口、証拠などを供述、提出する代わりに罪の軽減化を認めるという制度です。具体的なメリットとしては、まだ摘発されていない事件が明るみになったり、もしくは組織犯罪などを一気にトリマ閉まることが出来るといったことが挙げられています。
欧米なんかだとやはりマフィア絡みの犯罪にこの司法取引がよく使われるそうですが、このほか経済犯罪から詐欺事件までと、弁護士が仕事しやすいようになんかいろいろと整備されているそうです。
そんな司法取引に対する日本の現状ですが基本的には一切認めていませんし、進んで自白をすることで反省の態度があるとみなして減刑されることはあっても、欧米のように証拠を提出するかわりに執行猶予を約束するということは多分許されておりません。ただ全くないというわけではなく課徴金減免制度といって、カルテルなど経済案件に関する組織犯罪に対しては申告した順番が早ければ早いほど課徴金が免じられる制度が2006年から導入されており、こういうのもなんですが物凄い成果を上げております。
せっかくなので何か事例をひっぱってこようと検索したらこの制度を運用している公正取引委員会が記者も学者も感動するくらいにきちんと過去の事例案件をまとめておいてくれてます。それで事例ですが、最新の自動車向けハーネスに関する事例では恐らく真っ先に垂れこんだであろう古川電工が課徴金を全額免除されており、その次の住友電工は50%、そして最後であろう矢崎総業が30%とそれぞれ免除されています。矢崎に関しては海外でも派手にカルテルをやってたのかこの前幹部がアメリカで逮捕されて懲役付きの実刑判決食らってましたが、きついことを言うとハーネス業界ならさもありなんと私は感じましたし、まだ他にも隠していることがたくさんある気がします。自分もあの業界とはちょっと関わったことがありますが、見積もり依頼時にエンドユーザーとなる自動車メーカーの名前を出さないと絶対に販売価格を明かさない(=自動車メーカーごとに価格が初めから決まっている)ところといい、真面目にくたばったほうがいいと言いたくなるやり方してます。あと在庫くらいもう少し持てよ、住友電工。
話は司法取引に戻りますが、確かにこの制度があると「早く自白した方が刑が軽くなる」という競争意識が働いて犯罪の摘発に間違いなく効果があると言い切れるのですが、それを考慮しても日本で導入するべきではないという立場を私は取ります。一体何故反対なのかというと、これは日本の司法制度に問題があるためで、刑事事件などで自白が過剰に重く取り扱われる風土があるからです。それこそ具体例を挙げていったら切りがないくらいなのですが、日本の刑事裁判では足利事件を筆頭に容疑者が自白したという供述書さえあればほかの可能性を示唆したり自白内容を覆す証拠や目撃証言があっても完全に無視されてしまいます。
そのため司法取引がもし認められる場合、それこそ誰かが嘘の証言をして全く関係のない人間を共犯だったと供述したら、ほかに何も証拠がないにもかかわらずその無関係の人間が逮捕、拘留、実刑判決の三拍子を受けてしまいかねません。言うなれば、冤罪の温床となる確率が非常に高いのです。
また仮に真実の証言や供述があっても、警察や検察側のねじれた判断でその供述者が罠にはめられる可能性も十分に考えられますし、現実にそんな事件が過去に起きています。その事件とは1993年に起きた埼玉愛犬家連続殺人事件で、この事件では4人もの人間(実際にはもっと多いとされている)を殺害した夫婦について遺体の解体などを手伝った男が「検察側から持ちかけられた」として、執行猶予を付けることを条件に犯行内容などを自供しました。この男の自供によって、というより自供があって初めて殺害を立証する証拠が発見され事件を立件することが出来たのですが、この男の第一審に対する検察の求刑には執行猶予はつけられず、判決も懲役三年の実刑がおりました。
こうした検察の態度に対して男は約束を反故にされたとして司法取引の密約があったという事実を明かした上に、共犯の裁判における証言を一切拒否する行為に出ました。これに対し浦和地検はこちらはお約束通りに「密約はなかった」と存在そのものを否定しましたが、事件構造から言っても傍目に見てもあったとみて当然じゃないかと私は考えています。なお、共犯の夫婦二人には死刑判決が下りてます。
以上のような考察から、私は司法取引が日本で導入されたら刑事事件などにおいて警察や検察によって恣意的に利用されるだけでなく、冤罪を大量に生みかねないと考えています。ただ経済犯罪に対する効果は既に実証済みであることからこのまま続けるべきで、さらに言うなら刑事事件においてもある程度適用先を限定する、それこそ完全な証拠があるのを条件にした上で暴力団などによる組織犯罪に対してのみであれば検討した上で導入してもいいのではと思います。この前も記事にて取り上げましたがそれこそオウム真理教などテロ集団に対してはむしろ適用すべきで、破防法よりも使い勝手がいいんじゃないかと勝手に考えてます。
ちなみに今は就活シーズンですが、自分はどこかの面接でふとしたことをきっかけに、「仮に御社が社会的に明らかに不正と見られる行為を行っていた場合は自分は迷わず内部告発します」といって速攻で落とされたことがありました。自分が雇用する立場ならこういう人間を評価して引き込むでしょうが社会はなかなかそうもいかないようです。
2012年3月31日土曜日
スターウォーズの関連商品
過去記事でこのところメール語尾に「フォースと共に」という言葉を付けるのがマイブームとなっていると語りましたが、ちょうど「スターウォーズ エピソード1」の3D版が公開されたこともあって関連する話題がこのところ溢れております。自分が見たニュースだと今回の3D版を2D版の公開当初は幼くて恐らくは見ていない世代に見せたところ反響はよかったという話がありましたが、こうした映画本体に関する話題にとどまらず関連商品も出てきているようで、先日見た中にはこんなニュースがありました。
・『スター・ウォーズ』ライトセーバー型の傘が登場! スイッチでシャフトが光る本格仕様!(シネマトゥデイ)
上記リンク先で紹介しているのはライトセーバー型の傘で、なんでもスイッチを付けるとシャフト部分がライトセーバーのように光るそうです。ちょうど現在私が上海で使っている傘が去年の台風の際に骨の一部が曲がっているので見た時は素直に「欲しい」とか思っちゃったりしたのですが、値段は4980円とのことでやや割高感があります。
ちなみにスターウォーズはハリウッド映画として初めて関連のおもちゃ商品が出たそうで、確かシリーズを通した売上げはギネスブックとかにも載っていたような気がします。ライトセーバーなんかおもちゃ化しやすい商品なだけに大量にあふれていたでしょうが、それにしたって傘に使おうと考えた人は相当な切れ者でしょう。
これとは別に昨日、仕事で企業のプレスリリースをチェックしていたら、ちょっと目を引くリリースが出ておりました。
・May the Force be with you. - ヨーダがライトセイバーでPCを守るUSBアクセサリ(マイナビニュース)
こちらはセンチュリーというパソコン向けアクセサリーなどを売っている会社ですが、なんとヨーダのデスクプロテクターを発売したそうです。デスクプロテクターとは知らないうちに勝手にパソコンを触ろうとする人間に対し警告を与える、もとい音を出すだけの防犯用具だそうですが、先ほどの傘といいこんな商品にヨーダを使おうとする人は相当の切れ者かアレな人でしょう。しかも妙に凝っていて、発する音声は下記の六種類にも渡るそうです。
1、In the end cowards are those who follow the Dark Side.
(和訳:臆病者とはダークサイドに堕ちる者達のこと)
2、A disturbance in the Force there is.
(和訳:侵入者そこにあり)
3、Retreat! Cover you, I will!
(和訳:撤退せよ!わしが守る)
4、Still much to learn, you have.
(和訳:まだ学ぶべきことが多くある)
5、So certain of defeat, are you? Hmmm…
(和訳:負けを認めるのか)←防犯用具がこんなこと言っていいのかよ(;゚Д゚)
6、Rush not into fight. Long is the war.Only by surviving it, will you prevail.
(和訳:戦いに急ぐな、戦争とは長期間かかるものだ。生き残ることによってのみ、打ち勝てるのだ)
「一体こんな商品を出したところで誰が得するんだよ、俺以外に」とかちょっと思ってしまった商品です。
ちなみにまた豆知識ですが、エピソード5~6では人形を使ってヨーダのシーンが撮影されましたが、エピソード1では人形とCGを混合して撮影され、エピソード2、3に至ってフルCGで撮影されたそうです。これも技術の進化によってなされたものですがヨーダのフルCG化は思わぬところで弊害も生んでおり、なんでもエピソード2の終盤でヨーダと激しい戦闘シーンを展開するドゥークー伯爵役を演じたクリストファー・リーは撮影の際、目には見えず存在しない相手に激しくライトセーバーを振るうアクションを要求され、非常に苦労したそうです。この弊害は次回作のエピソード3にも引き継がれ、ダース・シディアス役を演じたイアン・マクダーミドも同じように、存在しないヨーダに翻弄されるというかなり無茶な演技を実践してます。ちなみにこの二人が各場面を演じた際の年齢はそれぞれ80代、60代にも及んでおり、その苦労は大いにしのばれます。
劇中でオビワン・ケノービは「最も粘り強いジェダイ」と呼ばれていますが、ヨーダに関しては「最も俳優に苦労を強いたジェダイ」といって間違いないでしょう。
・『スター・ウォーズ』ライトセーバー型の傘が登場! スイッチでシャフトが光る本格仕様!(シネマトゥデイ)
上記リンク先で紹介しているのはライトセーバー型の傘で、なんでもスイッチを付けるとシャフト部分がライトセーバーのように光るそうです。ちょうど現在私が上海で使っている傘が去年の台風の際に骨の一部が曲がっているので見た時は素直に「欲しい」とか思っちゃったりしたのですが、値段は4980円とのことでやや割高感があります。
ちなみにスターウォーズはハリウッド映画として初めて関連のおもちゃ商品が出たそうで、確かシリーズを通した売上げはギネスブックとかにも載っていたような気がします。ライトセーバーなんかおもちゃ化しやすい商品なだけに大量にあふれていたでしょうが、それにしたって傘に使おうと考えた人は相当な切れ者でしょう。
これとは別に昨日、仕事で企業のプレスリリースをチェックしていたら、ちょっと目を引くリリースが出ておりました。
・May the Force be with you. - ヨーダがライトセイバーでPCを守るUSBアクセサリ(マイナビニュース)
こちらはセンチュリーというパソコン向けアクセサリーなどを売っている会社ですが、なんとヨーダのデスクプロテクターを発売したそうです。デスクプロテクターとは知らないうちに勝手にパソコンを触ろうとする人間に対し警告を与える、もとい音を出すだけの防犯用具だそうですが、先ほどの傘といいこんな商品にヨーダを使おうとする人は相当の切れ者かアレな人でしょう。しかも妙に凝っていて、発する音声は下記の六種類にも渡るそうです。
1、In the end cowards are those who follow the Dark Side.
(和訳:臆病者とはダークサイドに堕ちる者達のこと)
2、A disturbance in the Force there is.
(和訳:侵入者そこにあり)
3、Retreat! Cover you, I will!
(和訳:撤退せよ!わしが守る)
4、Still much to learn, you have.
(和訳:まだ学ぶべきことが多くある)
5、So certain of defeat, are you? Hmmm…
(和訳:負けを認めるのか)←防犯用具がこんなこと言っていいのかよ(;゚Д゚)
6、Rush not into fight. Long is the war.Only by surviving it, will you prevail.
(和訳:戦いに急ぐな、戦争とは長期間かかるものだ。生き残ることによってのみ、打ち勝てるのだ)
「一体こんな商品を出したところで誰が得するんだよ、俺以外に」とかちょっと思ってしまった商品です。
ちなみにまた豆知識ですが、エピソード5~6では人形を使ってヨーダのシーンが撮影されましたが、エピソード1では人形とCGを混合して撮影され、エピソード2、3に至ってフルCGで撮影されたそうです。これも技術の進化によってなされたものですがヨーダのフルCG化は思わぬところで弊害も生んでおり、なんでもエピソード2の終盤でヨーダと激しい戦闘シーンを展開するドゥークー伯爵役を演じたクリストファー・リーは撮影の際、目には見えず存在しない相手に激しくライトセーバーを振るうアクションを要求され、非常に苦労したそうです。この弊害は次回作のエピソード3にも引き継がれ、ダース・シディアス役を演じたイアン・マクダーミドも同じように、存在しないヨーダに翻弄されるというかなり無茶な演技を実践してます。ちなみにこの二人が各場面を演じた際の年齢はそれぞれ80代、60代にも及んでおり、その苦労は大いにしのばれます。
劇中でオビワン・ケノービは「最も粘り強いジェダイ」と呼ばれていますが、ヨーダに関しては「最も俳優に苦労を強いたジェダイ」といって間違いないでしょう。
2012年3月29日木曜日
長崎ストーカー殺人事件に対する千葉県警の対応
今日は色々とニュースがあり、それぞれで簡単にまとめようかと思いましたがやっぱりこっちの話題を取り上げることにします。なお少しだけ書くと、本日に小川法相が死刑執行に踏み切りましたがその際の会見において、「国民の強い支持があった」と発言したと報じられています。もしかしたら一部分だけが切り取られて大きく報じられているだけなのかもしれませんが、細かいようですが少し苦言を言うと、「社会が厳罰化を求める風潮になってきている」というのならまだしも「支持があるから」で死刑を執行するというのはちょっと違うような気がします。死刑執行自体は私はもっともだと思いますが、民意でそうだから執行すべきではなく、やはり政治家としての責任で決断したということを肝に持っておいてもらいたいです。
・再調査の点検徹底を=千葉県公安委に異例の要請―国家公安委員会(時事通信)
話は本題に移りますが、明かな捜査の不手際から殺人事件にまで発展した長崎ストーカー殺人事件ですが、事件の様相はかつての桶川ストーカー殺人事件と同じような姿となってきました。その捜査の怠慢ぶりが指摘されてきた千葉県警ですが、先日も内部調査において被害届受理よりも署員旅行を優先したという事実を隠ぺいしようとしていたことが明らかとなり、なんていうか仮にかばえと言われてもかばいようがないほどの失態ぶりを見せております。被害者遺族も第三者委に調査を依頼するよう求めましたが予想されたように千葉県警はこれを拒否し、最終的には国家公安委員会に再調査の徹底、いうなれば第三者委へ依頼しろという異例の要請を受けるに至っております。本当に救いようのない。
最近はどうだかわかりませんが、千葉県警は確か昔に懲戒免職者数が全国で最多となったことがあるだけに実は私もあまり信用しておりません。同じ千葉県警の失態だとついこの間にも、県内で十年以上前に起きた殺人事件がDNA技術の発達によって真犯人を見つけることが出来ましたが、千葉県警はこの事件の発生直後はなんの根拠もないにもかかわらず被害者遺族を疑って拘留するという、足利事件同様の冤罪事件を引き起こしています。ちなみに何故その事件で遺族が疑われたのかというと、なんでも被害者の祖母が悲しみのあまりに「私が殺したようなものだ」と後悔の念を口にしたことを殺意認定としたそうです。金田一少年もびっくりな急展開振りとしか言わざるを得ません。
話は今回の長崎ストーカー殺人事件に戻りますが、そりゃ忙しいだろうってのはわかりますがかつて桶川ストーカー殺人事件を過去に見ているはずなのに、どうしてこうも同じ失敗を繰り返せるのか理解できません。しかもそんなバカをしたのが一部の署員だったらまだ救いようもありますが、今回こうして組織ぐるみで旅行の事実を隠そうとするあたりはやはり組織全体でどこかねじが外れているんじゃないかとも思ってしまいます。このところこういった不祥事の話題は大阪府警が独占していただけに、言い方は悪いですが大阪府警も矛先がずれてほっとしていることでしょう。
自分は子供の頃はやはり、警官というものは使命感もあってかっこいい職業だと思っていました。しかし年をとったというのが何よりでかいでしょうが、そうした憧憬に似た感情は現在ではほとんど持てずにおり、むしろ震災を含めあちこちで活躍している自衛隊員の方が今では立派な職業のように思えます。はっきり言って今まで信頼に足ると感じる警察官にはお目にかかったことはありませんが、末端の人たちは決してこんなじゃないという幻想をどうにか信じたいものです。
・再調査の点検徹底を=千葉県公安委に異例の要請―国家公安委員会(時事通信)
話は本題に移りますが、明かな捜査の不手際から殺人事件にまで発展した長崎ストーカー殺人事件ですが、事件の様相はかつての桶川ストーカー殺人事件と同じような姿となってきました。その捜査の怠慢ぶりが指摘されてきた千葉県警ですが、先日も内部調査において被害届受理よりも署員旅行を優先したという事実を隠ぺいしようとしていたことが明らかとなり、なんていうか仮にかばえと言われてもかばいようがないほどの失態ぶりを見せております。被害者遺族も第三者委に調査を依頼するよう求めましたが予想されたように千葉県警はこれを拒否し、最終的には国家公安委員会に再調査の徹底、いうなれば第三者委へ依頼しろという異例の要請を受けるに至っております。本当に救いようのない。
最近はどうだかわかりませんが、千葉県警は確か昔に懲戒免職者数が全国で最多となったことがあるだけに実は私もあまり信用しておりません。同じ千葉県警の失態だとついこの間にも、県内で十年以上前に起きた殺人事件がDNA技術の発達によって真犯人を見つけることが出来ましたが、千葉県警はこの事件の発生直後はなんの根拠もないにもかかわらず被害者遺族を疑って拘留するという、足利事件同様の冤罪事件を引き起こしています。ちなみに何故その事件で遺族が疑われたのかというと、なんでも被害者の祖母が悲しみのあまりに「私が殺したようなものだ」と後悔の念を口にしたことを殺意認定としたそうです。金田一少年もびっくりな急展開振りとしか言わざるを得ません。
話は今回の長崎ストーカー殺人事件に戻りますが、そりゃ忙しいだろうってのはわかりますがかつて桶川ストーカー殺人事件を過去に見ているはずなのに、どうしてこうも同じ失敗を繰り返せるのか理解できません。しかもそんなバカをしたのが一部の署員だったらまだ救いようもありますが、今回こうして組織ぐるみで旅行の事実を隠そうとするあたりはやはり組織全体でどこかねじが外れているんじゃないかとも思ってしまいます。このところこういった不祥事の話題は大阪府警が独占していただけに、言い方は悪いですが大阪府警も矛先がずれてほっとしていることでしょう。
自分は子供の頃はやはり、警官というものは使命感もあってかっこいい職業だと思っていました。しかし年をとったというのが何よりでかいでしょうが、そうした憧憬に似た感情は現在ではほとんど持てずにおり、むしろ震災を含めあちこちで活躍している自衛隊員の方が今では立派な職業のように思えます。はっきり言って今まで信頼に足ると感じる警察官にはお目にかかったことはありませんが、末端の人たちは決してこんなじゃないという幻想をどうにか信じたいものです。
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