ページ

2013年1月26日土曜日

書評「永遠の0」

永遠の0(Wikipedia)

 以前に知り合いに借りて読んだので(忙しい合間を縫って一週間で)、今日は小説「永遠の0」の書評を書こうかと思います。ちなみにひとつ前の書評は「積み木くずし 最終章」ですが、あれはドラマ放送時にえらくアクセス数を稼いでくれたので、今回も映画が公開される今年12月頃にヒット数を稼いでくれないかと早くも期待感で胸がいっぱいです。

 この作品のあらすじを簡単に書くと、司法試験浪人でうだつの上がらない生活をしていた主人公はある日、ジャーナリストの姉から太平洋戦争中に特攻隊となって60年前に戦死した祖父、宮部久蔵について調査するよう依頼(ほぼ命令)されます。戦友会を通して知り合った祖父の戦友達は一様に、宮部久蔵は坂井三郎を始めとした歴史に残る名パイロットにも劣らない零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦の凄腕パイロットだったと証言するも、戦闘では積極的に戦うことはせず「臆病者」と呼ばれるほどに慎重かつ用意周到な性格で、宮部久蔵本人も戦争では絶対に死にたくないという自信の心情を周囲に隠すことはなかったと話します。一体何故死にたくないと広言していたにもかかわらず特攻隊となったのか、当時の戦況と共に主人公たちは20代で散った祖父の短い生涯を追っていくという内容です。

 まず予備知識としてゼロ戦について触れておくと、これは日本軍が太平洋戦争中において幾度かの改良を経ながら一貫して使い続けた戦闘機なのですが、開戦初期は破格の性能であまりにも強かったことから米英軍は、「ゼロ戦と単独で遭遇した場合は直ちに離脱せよ」と、敵前逃亡するよう命令を出すほどでした。どうしてゼロ戦が他国の戦闘機より強かったのかというと非常に単純で、装甲が極端に薄い代わりに航続距離、旋回性能が高いという、防御を捨てて攻撃に特化した機体だったからです。その為にちょっとでも被弾したらすぐに撃墜されるのでパイロットの消耗が激しく、またこうしたゼロ戦の構造を分析した米英軍がゼロ戦が飛行出来ない高々空から急降下して攻撃するという一撃離脱戦法を編み出したことによって、戦争後期になっていくにしたがって徐々に活躍が失われていくこととなりました。

 話は戻って「永遠の0」ですが、表現に関して気になった点を挙げると全編を通して戦友たちの語りが中心となっており、作者は元々放送作家ということからこういうインタビュー形式の文章になったのかなという気がします。一方、ちょっと専門的なことを言わせてもらえば語り以外の叙述ではほとんどが短文で区切られてて複文が少なく、やや表現力が甘いようにも感じるのですが、語りの部分を敢えて際立たせるために確信犯でこういう書き方をしているというのならば逆に大した表現方法だと唸らされます。
 そして肝心の内容に関してですが、太平洋戦争の戦史に詳しくない主人公の視点が常に維持され、読者に対しても順番にかつ丁寧に当時の状況を説明しており物語の運び方は私からも太鼓判を押します。また宮部久蔵の顛末も最後の最後で大どんでん返しが待っており、ラストの方は「おいおいここでこういう展開かよ」と驚かされる結末となっており、一言で言って非常に面白い作品でした。

 あと個人的に強く感じたとして、この作品の初版は2006年の発行ですが特攻隊の記述に関してまさに2000年代の作品であるというように思えます。というのも特攻隊の隊員たちは志願という形式で募集がされたことにはなっているものの、実態的には軍隊内で強制的に指名されて無理矢理実行されたということは1990年代の時点からも指摘されていたものの、2000年代に入ってからそうした強制があったという当時の証言が多く世に出るようになってきました。また特攻隊にされたパイロットたちもこうした作戦に意味があるのか、自分たちの様な熟練パイロットを捨て石にする作戦は破綻しているという証言も発見されるようになり、決してお国のためになどと狂信的な思想で実行していったわけじゃなく、本人たちも疑問と忌避感を持ちながら実行していたということが明らかとなってきました。

 作品中でもこうした点をよく指摘しており、現在イスラム系テロリストらが実行している自爆テロとは一線を画す行為だったのだと強調されています。私個人の主観ではありますが、1990年代は戦時中の日本の教育や思想が歪んでいて自分の命よりも国のためという奉公意識が強かったから特攻は実行されたのだ、当時の人と現代人とでは思想が全然異なるという意見があったように思えるのですが、実際には現代人と当時の軍人に大きな思想の違いはなく、みんな死にたくないと思いながら死を強制されていたというのが真実のように思え、こうした見方が歴史家の間でも徐々に強まっているように見えます。この作品はその点を重要なテーマとしており、現代の思想も一つの価値観であって絶対的に正しいというものとは言い切れないものの、時代が異なろうとも人はそれほど大きくは異ならないというのを訴えたいのだと思います。

 書評は以上の通りなのですが、私が読んだ文庫版の解説には一昨年に亡くなられた児玉清が寄せており、非常に表現しづらいのですがいろんな思いが頭の中を過ぎました。読んでる人には早いのですが死の直前に文芸春秋に寄せたこの人の寄稿文を読んでただけに、どういう思いで国家を見つめていたのだろうかとしばし考えました。


教員の早期退職問題について

 各報道によると日本全国各地の学校でこのところ、教職員が4月を待たずに早期退職するというケースが頻発している層で。一体何故3学期終了を待たずに早期退職するのかというと、公務員給与体系の改正に伴い4月まで残って退職した場合、現在早期退職する場合と比べて退職金が総額で150万円前後減少するということが原因だそうです。この教職員の早期退職について文科相も発言をしたようですが、私の意見を述べると人生なんて人それぞれなのだし早期退職する人を責めるべきではないと思え、またこの件がニュースになること自体に違和感を覚えます。

 まず150万円という金額ですが、これははっきり言ってでかいです。自分なんか今、年収が為替変動の直撃を受ける立場で去年なんかリアルに150万円切ってたけど、100万円余分に使えるか否かはその後の方針策定に当たって大きく影響します。しかも今回早期退職する教職員はその後は基本的に収入がなくなるわけですし、多くもらえるというのであればそちらを取りたいというのも理解できますし、それが普通だと思えます。
 今回の問題に対する意見ではクラス担任を受け持つ教師も早期退職を行うということからか、卒業を待たずに生徒を放り出して無責任だというような批判もありますが、早期退職する教師一人一人にも人生があるわけですし、結構大きな金額を犠牲にしてまで仕事を奉仕しろというのはちょっと酷なように思えます。それだけに、無責任だと批判する声が多く感じる風潮は私個人としては如何なものかと思うのと同時に、他人の人生にそこまで口出しするべきではないという主張をさせていただきます。

 あともう一点このニュースを見ていて思うのは、教師が大量に早期退職することで引継ぎなどに問題があるなどという意見に対して、何故これが論点になるのかがわかりません。既に実施している自治体もありますが早期退職自体は認めた上で2月、3月の2ヶ月間を臨時採用すれば引継ぎにしろ通常業務にしろ何も問題がないように思え、上記の点と合わせてこの問題がニュースとなるほど大騒ぎする問題なのかに対し疑問を感じます。そもそもの話、いくつか同じような意見も見受けますが現場を無駄に混乱させるような日程で給与改正を実行しようとした行政側を攻めるべきではないのかとも思えます。

 最後に教員の臨時採用について触れたのでこの際書いてしまいますが、真に議論すべきはこの早期退職ではなく臨時採用という一時雇用の身分で採用される教師が増えていることのような気がします。簡単に背景を説明すると今どの自治体も赤字で新規雇用を絞った上で、いつでもクビが切れるように正式採用にはせず臨時採用でしか教員を雇用しないと聞きます。この煽りを受けるのはもちろん若年世代で、昇給も強く望めない中で教育にモチベーションを持てというのも無理な話でしょう。もっとも、雇用の保証に関しては日本全体で強すぎると思うのであまりなくてもいいとは思いますが。
 ただ教育の充実化を図る上で、優秀で多くの仕事をこなす教師にはそれなりの待遇を用意しなければ成り立たないでしょう。更にもう一歩踏み込むと、先日の大阪市立桜宮高校の教師、あと大津のいじめ事件の学校の教師のように問題のある教師が何故その時まで現場に居続けたのか、これも日本社会全体に言えますが「淘汰」というものがあまりにもなさすぎるし、淘汰がないからこそ若い世代が割を食って社会全体でおかしくなっているのではないかと感じる次第です。

2013年1月23日水曜日

続、大阪市立桜宮高校の事件について

 このところ本業が忙しく、ようやく今日ひと段落してまたブログ復帰です。どうでもいいけど先週は知り合いに借りた「永遠の0」を一週間弱で読まないといけなかったのが地味に忙しかった。

 前にも一回さらりと書いたし部外者があまり口出すべき内容ではないと思ってこの件にはもう触れないでおこうと考えていましたが、なんかちょっとメディアの報道でこの点誰か突っ込まないのと思うところが多いので、また桜宮高校について差し出がましいとわかっていながらも意見を書こうかと思います。

 前回記事でも書いたように、といっても前は学校名を敢えて書きませんでしたが、この学校のスポーツ科に通うバスケ部の男子生徒が顧問教師からの体罰を苦に自殺しました。この自殺を巡って体罰と教育について非常に多くの議論が交わされるようになりましたが、私としては体罰云々以前に学校からの聞き取り調査にこの顧問教師が明らかな嘘をついていた一点をとっても教育者としてふさわしくないと主張しました。
 私が見る限り産経新聞だけが唯一言いたいことを言ってくれたのですが、どうしてこの顧問教師自身の謝罪文などが未だに出てこないのが不思議でしょうがありません。また発覚当初ならともかく懲戒免職なり明確な処分もまだ出ておらず、それでいてスポーツ課の入試をどうするとか議論になるのは順番が違うような気がします。重ねて言いますが、この顧問教師は謹慎中だそうですが一日も早く懲戒免職した上で教員免許を剥奪してから今後の検討をするべきです。

 それで入試の件に移りますが、既に奉じられているようにスポーツ科は普通科に統合で結局やるようです。順を追って私の意見を解説すると、まずスポーツ科はやはり廃止にし、このまま潰した方がいい気がします。というのも仮にこのバスケ部だけの問題であればこの顧問教師一人がおかしかったで済みますが、この学校はバスケ部以外にもバレー部の顧問が体罰を行っていたことが発覚しており、しかもその問題で謹慎を受け田にもかかわらずバレー部顧問はまた体罰を行っていたと聞きます。それ以外にも結構怪しい話がちらほら聞こえ、顧問教師個人ではなく学校それ自体の体質にやはり問題があるように感じるからです。
 そして今回この記事を書こうと思ったきっかけにもなった、下記のニュースの件も見逃せません。

尾木ママ怒り心頭「誰がこんなことやらせたの!」 桜宮高生徒が記者会見
「ええ加減にせぇ はしもと、殺すぞ」「部落民がいきんな」 桜宮高校生徒がツイッターで暴言(J-Castニュース)

 上のニュースにある、生徒が入試中止に反対を主張した記者会見は私も見ていて強い違和感を覚えました。仮に生徒全員、または生徒を代表する生徒会長の様な人間が行うならともかく、運動部の主将8人だけというのはこの学校の生徒の総意とはとても思えませんし、また記事にも書かれている通りに誰かの入れ知恵でやらされているのではないかという疑念も覚えます。その上で言えば、人が一人死んでいるにもかかわらず具体的な対策案を出さずまた新たに生徒を募集しようとすることに何とも思わないのか、また同じことが起きた場合にどう責任を取るのかとも聞いてみたいです。
 下のニュースについては細かく語る必要もありませんが、これ以外にも問題と思える発言をする生徒がおり、それこそ試合に勝てば人間性はどうでもいいという、教育の前提がひっくり返る勝利至上主義が学校全体にはびこっているのではとも思わせられます。

 また繰り返しになりますがスポーツ教育というのは運動を通して人間性を育てるのが本意であって、人間性を捨ててまでも運動能力を鍛える形であってはならないのです。大学での運動部であれば年齢もそこそこ上がり本人の責任でもあるので多少は勝利至上主義に走っていいとは思いますが、高校の段階ではやはり人間性に重きを置いた部活動でなくてはなりません。聞けば桜宮高校はスポーツ科があるということで受験生を集めているらしく、より実績を高めて受験生を集めようとする風潮、勝利至上主義があったのではないかとも思えます。
 そういったことを踏まえると、今回のこの事件は一人の顧問教師が引き起こしたのではなく桜宮高校という構造が起こした事件とも思え、さすがに教員全員を交代すべしという橋下市長の主張は極端すぎると思いますが、問題の禍根を立つという意味でスポーツ科は廃止し、今後一切募集するべきではないというのが私の意見です。

 最後に蛇足ですが、スポーツ科が廃止されることについて桜宮高校の入学を希望していた中学生が不条理だ、ひどいなどと言っているとよく報じられていますが、子供相手にやや大人げない気がするものの、この程度の不条理で音を上げているようであれば先が知れません。それこそ今の時代、就業で言えば内定切りもあればリストラだってありますし、友人の言葉を借りればこの世の中は不条理が蔓延して不条理によって成り立っていると言っても過言ではありません。はっきり「たかだか」この程度の問題でと言わせてもらいますが、まだ受験校を選べるこの時期でこんなことを言っていてはならず、事情が変わったのだからとパッと切り替えて次善の策をすぐに実行しないのはただ弱いだけだと思います。
 やや極端な話に持って行くという気もしますが、一番最初に上げた「永遠の0」という小説は特攻隊の話です。自分が今のモチベーションを持つようになったきっかけはこの特攻隊の手記と大坂の陣に臨む浪人の願掛けからですが、特攻隊の人はある日突然上官によって指名されて、ほかに選択肢のない中で死なざるを得ませんでした。たとえ現在がどれだけ苦しい環境であるとしても、ほかに選択肢があるというだけでも自分は恵まれていると強く感じます。

2013年1月21日月曜日

自らを欺くなる時

 自分でかくのも少し気が引けますが、自分はやや馬鹿正直と言ってもいい性格をしているかと思います。一昨日も利用したラーメン屋で会計を済ませた際に半熟卵のトッピング代(8元=112円)が含まれていなかったので店員に指摘して差額をわざわざ自分から支払いましたが、なんか店員の方が驚いた顔していました。恐らく友人なら向こうの落ち度なのだから気づいたとしても余分に支払う必要はないと言うでしょうが、私自身もそういう行動を取ったとしても何も咎められることはないと考えています。なんかこういう書き方をすると、さもその友人が悪人みたいに見えますが……。

 なんでこんな性格するようになったのかというと、一つの原因は子供の頃に失敗しでかした際に嘘ついてごまかそうとして、余計に事態を悪化させることが多かったことがあります。実際にこれでかなり痛い目に遭っており、「たとえ立場を危うくさせることになっても、ミスった時は正直に言った方が最終的にはお徳だ」といつも肝に銘じています。
 こうした経験のほかもう一つ理由を上げると、やはり嘘をついた時に自分自身に感じるあの違和感がどうにも慣れないというのがあります。これは直接的な嘘というより表面的な嘘を言う際、たとえば本当は好きでもない食べ物を「花園君もあれおいしいと思うでしょ」と言われて周囲に合わせて「うん、まぁね」などと言う時に腹の中で感じる、「本当は違うんだけどなぁ」っていうあの感覚です。更に話を深く落とすとこういう風に違和感を感じられる間ならばまだいいですが、「違和感を感じなくなる」ところまで行きたくないという拒否感をはっきり持っております。

 諺にも「うそから出たまこと」という言葉がありますが、人間というのは基本的にそれほど思考が自立しているわけではなく、周囲や環境、果てには自分が出す言葉にまで影響され思考が変わっていくと聞きます。先程の例ですと元々おいしいと思っていなかった食べ物を周りに合わせておいしいものだと言い続けているうちに、本当にそれをおいしいと感じるようになっていくという具合です。
 仮にこう言った思考の変化が意識的でかつポジティブなものだったらそれほど問題ではないですし、スポーツのメンタルトレーニングなどでは困難な練習を敢えてイージーなものだと自ら思い込むことに負担を下げたりすることもあるそうです。ただこれが無意識的にかつネガティブなものだとしたら、やはりそれは嘘を言う本人にとっていい結果を生むことはないでしょう。また嘘を多用することによって思想が変わるにとどまらず、思想自体なくなるということもあり得るのではないかとも考えています。

 こう考えるのも、やっぱり嘘ついても平気な人に自立した思考が感じられないからです。自分もこれまでに息を吐くかのように嘘をつく人に何度か出くわしたことがありますが、そういう人たちは利己的な判断で嘘をついていると自分自身では考えているのかもしれませんが、その実本当は自分が今一体どんな内容の言葉を発しているのか、真実を言っているのか嘘をついているのかすらも理解できていないのではないかと思う時がありました。言ってしまえば、その場その場で思考が変わるので本音というものが何も存在しないような人間です。

 嘘をつくというのは結局はこうなることだと思います。利己的な判断から適当にごまかす嘘を重ねるうちに最終的には自分自身の本音すら消し去ってしまう、自らをも欺く結果になるのだと思います。もっともこんなこと書いておきながら自分自身も、正直な方ではあるものの一つも嘘をつかない聖人というわけではありません。ただ曲げてはならない点、譲ってはならない点では、それこそリアルファイトに発展しそうな瀬戸際でも絶対に折れることはなく、見方によれば頑固に見えるでしょうが自分自身の価値観はまだほかの人よりは見えやすいと考えている次第です。

2013年1月18日金曜日

今日の中国紙一面

 書かなくてもいいかなと思うけど知り合いに借りた「永遠のゼロ」を今日中に読まないといけないので、短くまとめる感じで書きます。

鳩山由紀夫元首相「日本兵の犯した犯罪行為についておわび申し上げる」(人民日報日本語版)

 説明するのも馬鹿馬鹿しいですが、鳩山元首相がまたイランことしてくれて、中国に来てわけのわからない行動を取っております。リンク先は人民日報の日本語版ですが今日の中国紙の一面はどれも例外なく鳩山元首相の写真で、あまりにも頭に来るから記事は結局読みませんでした。それくらい読めよと自分でも思いますが、同僚が頭痛起こして出社が遅れたのもあるし……。

 長々書くような話題じゃないし言いたいことだけ書くと、今からでも遅くないから検察は無実の村木さんを捕まえるくらいなら早くこいつを脱税容疑で逮捕しろといいたいです。結局あの事件では秘書を含めて誰も逮捕されてませんが、これはいくら脱税しても逮捕はあり得ないと受け取っていいのかといいたくなります。この際、国策捜査でもなんでもいいから、二度とシャバに出すなと本気で言いたいです。
 あと本人には中国なんか行く暇あったら自分の思い付きで散々振り回した沖縄県の普天間と鹿児島県の徳之島に行けよと言いたいです。それにしてもこのニュースのせいで2012年の中国のGDP成長率が7.8%だったのは全然話題になってないな。話題にしているところはところで見当はずれなこと言っているのばっかりだし。

2013年1月17日木曜日

ばらまきの矛先

 本題と関係ありませんが、先週日曜日はNHKが大王イカの映像を世界で初めて公開して大きな話題となったようです。ただ大王イカの裏に隠れて映画「アバター」のロードショーがあったのですが視聴率をすっかり食われて、配給元の20世紀FOXホームエンターテイメントがツイッターで、

「(´-`).。oO(ダイオウイカ・・・絶対許さない」

 などと発信していたのがおもしろかったです。でもってこんなこと言いながら、「(´-`).。oO(ダイオウイカの好物がイカってどうなんだろう・・・」とも言ってたそうですから、結局見てたようです。
 それにしてもこういう余談、発信したいのはやまやまだけどブログ本題とはずれることが多いし、そろそろ別発信も検討しなきゃ。

 それでは真面目な本題に入りますが、自民党に政権交代していこうというものの日本は円安が進んで株価も上がり、その変化の大きさに非常に驚いております。特に円安に関しては日本の貿易額がマイナス成長したり経常収支が赤字になったりしたのも原因でしょうが、安倍首相のインフレ目標2%発言が最も大きいと私も認めます。正直に言ってインフレ目標は確かに一つの手段ではあってもどれだけ効果があるのかと考えておりましたが、短期間とはいえここまで円安に誘導できたのであれば価値ある発言といえるでしょう。自分の見識もまだまだ甘かったようです。
 ただこうした方面は評価できる一方で、過去最大級の補正予算を組んでまた無駄なばらまきをするのではないかと懸念もしております。

現金給付、1万円超検討=消費増税8%時の低所得者対策―自民(時事通信)

 上記の時事のニュースはまだ真偽を取っておりませんが、仮に報道が事実でまた現金給付をしようというのであればちょっと呆れます。小渕、麻生内閣の時にもはっきり言って何の効果もなかったにもかかわらず、一体何故またこのような行為に出るのか理解に苦しむ、というか公明党を引きつなぐ手とはいえいい加減にしろと言いたいです。
 また現金給付だけでなく、どうもこの前のトンネル事故を契機に道路建設にも手を出しそうな雰囲気です。耐震補修が必要な道路の工事はまだ理解できますが今までの自民党のパターンから言うと津軽と函館の間に橋を作ろうとか言い出しかねず、実際に道路以外への公共投資話が一切見えてこないため無駄な箱物投資は確実に増えていくかと思います。安倍首相自身は無駄なばらまきはやらずに精査した上で必要な方面へ投資すると言っていますが、本当に有言実行できるのかは私個人として信じたい一方、やはり疑わしいです。

 念のため、愚痴になりますが自分の周囲の人間相手ならこういうこともいちいち言う必要ないんだけど、ばらまきというか公共投資自体は否定しません。私は財政規律派ではあるもの何もテコ入れなしじゃ今の状況が続くし、無駄な支出を削減してからという意見もありますが必要な投資は果断に実行するべきだと思っております。そう踏まえた上で言うと、道路やダム建設は果たして今必要なのかというと疑問です。ではどこに公共投資すればいいのかですが、恐らく同じ意見を言う人はほかにいないでしょうが、いま日本が何よりも投資すべきなのは送電網だと思います。

 なんでこんなところに着目したのかというと、実は今日、私の住んでいるサービスアパートメントで電力メーターの付け替え工事がありました。別に私が立ち会うわけじゃなく昨日に告知があって今日に完了の連絡が会っただけですが、どうもアナログ式からデジタル式に切り替えられたそうです。実際の性能を見たわけじゃないですが、多分以前より検測コストとか下がってるんじゃないかと思います。
 あまり日本で報じられていませんが、中国ではこのところこのようなスマートメーター、スマートグリッドと呼べるような送電網設備の交換が政府主導で進められています。機器を交換することによって電力消費量をより細かく調べ、効率よく供給できるようになるのですが、中国は去年はそうでもありませんでしたが経済成長が激しいから電力が不足しがちで、この方面にはかなり気を配っております。

 中国の状況は日本も同じです。日本も原発を止めて電力供給がシビアになってきており、こういう時期だからこそスマートグリッドの推進し電力メーターなり送電線、変圧器などをより効率の高い機器に交換していくべきです。それこそ交換にかかる費用なんかは全部税額負担でも、長期的に見ればプラスじゃないかと考えています。
 そしてなにより今やらなければいけないのは、東日本大震災時にも問題となった東日本と西日本で異なる周波数の統一です。周波数が一ヶ国で異なるのは先進国でも日本だけですし、東日本大震災直後もこの妙な違いが残っているせいで西日本から東日本へ電力の融通が出来なくなるという、かなり笑えないお粗末な事態を招いております。今後も大地震なり火山噴火なりで一部地域で電力が停止することもあり得るのだし、一刻を争うくらいに急いで統一化を果たすべきです。それこそ繰り返しになりますが、どれだけ税金を使ってでも。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるとは言いますが、それにしたってスマートグリッドも日本では死語となっている感があります。重ねて言いますが今日本に必要なのは送電網効率化への投資であって、道路ではありません。そして周波数統一は今このチャンスを逃したら問題を先送りするだけで、ガンダムファンにしかわからないけどアムロ・レイばりに、人は……同じ過ちを繰り返してしまいます。全く。

 最後にスマートグリッドを推進する上で進めたい政策ですが、夜間電力の割引を日本はもっと広くやるべきだと思います。というのも上海では電力消費量が少ない夜10時以降であれば電気料金は昼間の半分になるため、私もこの時間に敢えて洗濯機とか回しています。なかなか面白いことをしているなと親父に紹介したらしたり顔して、「日本でももうやっとるやろ」と言ってましたが、自分が調べてみると日本で夜間電力割引を受けるには電力会社との契約が必要で、しかもその契約、一度結んだら今度は昼間の電気料金が契約前より上がるというわけのわからない仕組みです。
 基本的に電力というのはピークが低ければ低いほどいいので、もっと夜間電力を振興するべきです。電力会社もわけのわからない料金設定なんかせず、どんどん押していけばいいのに全く。あと発送電分離も、自民はなかったことにするんじゃないかと警戒中です。今日は割と筆のノリがいいなぁ( ´ー`)

2013年1月15日火曜日

ジャンプを久々に読んで

 先日知り合いが、正月に日本から持って返ってきたからといってジャンプをくれました。私はジャンプを小学校高学年の頃から大学3回生の頃まで毎週購読していたのですが、北京留学から帰ってきてからは単独の作品をコミックスで読むことはあっても雑誌で読むことはほとんどありませんでした。
 それだけにえらく久しぶりに今回読んでみたのですが、まず真っ先に読もうと思った漫画は松井優征氏による「暗殺教室」でした。この人の以前の漫画の「魔人探偵脳噛ネウロ」を気に入ってて、なんか新連載を始めたということだったので気になっていたのですが、期待に違わず面白い作品だと思いました。ネウロの方もまた読みたいと思っているだけに、機会があったらコミックスを前漢買い集めてみたいと考えております。

 その次に読んだのはこちらは購読していた頃から連載していた「銀魂」です。はっきり言って昔と全く変わらない絵柄と展開でそれなりに楽しめたのですが、この漫画の最大の欠点である「一コマにおける膨大なセリフ量」がやや気になりました。ある意味この漫画の長所でもあるのですが雑誌ならともかくコミックスになると文字が小さくて非常に読みづらくなるきらいがあるにもかかわらず、どうも前よりひどくなっているような印象を受けます。この点を解消できたらもっとよくなると思うのですが。

 そのほかの連載作品はもはや全く知らない作者ばかりだったのですが、唯一面白いと思ったのは「烈!!!伊達先パイ」という漫画です。非常にベタなギャグ漫画ながらキャラクターの表情が豊かでなおかつ一話完結もののショートストーリーなので読みやすかったです。ぜひ応援したいと言いたいところなのですが掲載順が最後の方でネットでも、「打ち切り候補ナンバー1」とまで書かれており、どうも危うい立場のようです。

 あとこれは全体の感想ですが、どうも連載漫画がマガジンの作品っぽい漫画が多いような気がします。マガジンっぽいとは如何にと自分でも問いたくなるのですが、絵柄や構図、ストーリーなどが往年のマガジンを連想させる、具体的には細い線にスクリーントーンを多用しベタが少ない絵の漫画が多いように思え、さっきの「伊達先輩」のように太い線に濃い絵柄のジャンプらしい漫画が減っている気がします。考えてみればもう「ジョジョ」も連載してないんだし。
 逆にというか、今マガジンで一番勢いのある「進撃の巨人」という漫画は系統的には明らかにジャンプ系列に属すんじゃないかと前から考えてます。お互いに前ほど雑誌のカラーにこだわらなくなっているからこんな風になっているのかなというのが、今日の私の意見です。意見も何もという気もするが。