2013年1月26日土曜日

書評「永遠の0」

永遠の0(Wikipedia)

 以前に知り合いに借りて読んだので(忙しい合間を縫って一週間で)、今日は小説「永遠の0」の書評を書こうかと思います。ちなみにひとつ前の書評は「積み木くずし 最終章」ですが、あれはドラマ放送時にえらくアクセス数を稼いでくれたので、今回も映画が公開される今年12月頃にヒット数を稼いでくれないかと早くも期待感で胸がいっぱいです。

 この作品のあらすじを簡単に書くと、司法試験浪人でうだつの上がらない生活をしていた主人公はある日、ジャーナリストの姉から太平洋戦争中に特攻隊となって60年前に戦死した祖父、宮部久蔵について調査するよう依頼(ほぼ命令)されます。戦友会を通して知り合った祖父の戦友達は一様に、宮部久蔵は坂井三郎を始めとした歴史に残る名パイロットにも劣らない零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦の凄腕パイロットだったと証言するも、戦闘では積極的に戦うことはせず「臆病者」と呼ばれるほどに慎重かつ用意周到な性格で、宮部久蔵本人も戦争では絶対に死にたくないという自信の心情を周囲に隠すことはなかったと話します。一体何故死にたくないと広言していたにもかかわらず特攻隊となったのか、当時の戦況と共に主人公たちは20代で散った祖父の短い生涯を追っていくという内容です。

 まず予備知識としてゼロ戦について触れておくと、これは日本軍が太平洋戦争中において幾度かの改良を経ながら一貫して使い続けた戦闘機なのですが、開戦初期は破格の性能であまりにも強かったことから米英軍は、「ゼロ戦と単独で遭遇した場合は直ちに離脱せよ」と、敵前逃亡するよう命令を出すほどでした。どうしてゼロ戦が他国の戦闘機より強かったのかというと非常に単純で、装甲が極端に薄い代わりに航続距離、旋回性能が高いという、防御を捨てて攻撃に特化した機体だったからです。その為にちょっとでも被弾したらすぐに撃墜されるのでパイロットの消耗が激しく、またこうしたゼロ戦の構造を分析した米英軍がゼロ戦が飛行出来ない高々空から急降下して攻撃するという一撃離脱戦法を編み出したことによって、戦争後期になっていくにしたがって徐々に活躍が失われていくこととなりました。

 話は戻って「永遠の0」ですが、表現に関して気になった点を挙げると全編を通して戦友たちの語りが中心となっており、作者は元々放送作家ということからこういうインタビュー形式の文章になったのかなという気がします。一方、ちょっと専門的なことを言わせてもらえば語り以外の叙述ではほとんどが短文で区切られてて複文が少なく、やや表現力が甘いようにも感じるのですが、語りの部分を敢えて際立たせるために確信犯でこういう書き方をしているというのならば逆に大した表現方法だと唸らされます。
 そして肝心の内容に関してですが、太平洋戦争の戦史に詳しくない主人公の視点が常に維持され、読者に対しても順番にかつ丁寧に当時の状況を説明しており物語の運び方は私からも太鼓判を押します。また宮部久蔵の顛末も最後の最後で大どんでん返しが待っており、ラストの方は「おいおいここでこういう展開かよ」と驚かされる結末となっており、一言で言って非常に面白い作品でした。

 あと個人的に強く感じたとして、この作品の初版は2006年の発行ですが特攻隊の記述に関してまさに2000年代の作品であるというように思えます。というのも特攻隊の隊員たちは志願という形式で募集がされたことにはなっているものの、実態的には軍隊内で強制的に指名されて無理矢理実行されたということは1990年代の時点からも指摘されていたものの、2000年代に入ってからそうした強制があったという当時の証言が多く世に出るようになってきました。また特攻隊にされたパイロットたちもこうした作戦に意味があるのか、自分たちの様な熟練パイロットを捨て石にする作戦は破綻しているという証言も発見されるようになり、決してお国のためになどと狂信的な思想で実行していったわけじゃなく、本人たちも疑問と忌避感を持ちながら実行していたということが明らかとなってきました。

 作品中でもこうした点をよく指摘しており、現在イスラム系テロリストらが実行している自爆テロとは一線を画す行為だったのだと強調されています。私個人の主観ではありますが、1990年代は戦時中の日本の教育や思想が歪んでいて自分の命よりも国のためという奉公意識が強かったから特攻は実行されたのだ、当時の人と現代人とでは思想が全然異なるという意見があったように思えるのですが、実際には現代人と当時の軍人に大きな思想の違いはなく、みんな死にたくないと思いながら死を強制されていたというのが真実のように思え、こうした見方が歴史家の間でも徐々に強まっているように見えます。この作品はその点を重要なテーマとしており、現代の思想も一つの価値観であって絶対的に正しいというものとは言い切れないものの、時代が異なろうとも人はそれほど大きくは異ならないというのを訴えたいのだと思います。

 書評は以上の通りなのですが、私が読んだ文庫版の解説には一昨年に亡くなられた児玉清が寄せており、非常に表現しづらいのですがいろんな思いが頭の中を過ぎました。読んでる人には早いのですが死の直前に文芸春秋に寄せたこの人の寄稿文を読んでただけに、どういう思いで国家を見つめていたのだろうかとしばし考えました。


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