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2013年2月10日日曜日

日本人の視線

 自分のパソコンは中国関連の単語をタイプすることが多いので「しせん」と入力すると「四川」と変換されて「視線」にならないことが多いです。それとはあまり関係はないですが、日本帰国から五日経ち日本人の視線について思うことがあるので今日はこのテーマで一本書いていきます。

 日本に帰ってから当初は自転車で自宅周辺を回る日々でしたが、昨日は用事があって東京の方へ電車に乗って遠出しました。その電車乗車中、駅に停車して乗客が乗り込むあの瞬間に何故だかよく乗り込む客が自分に視線を向けてくるのでこちらも視線を向けたところ、パッと逆方向に視線を向きかえられるということが異常に多かった気がします。もっとも前から日本にいる人からしたら当たり前の光景かもしれませんが、つい一週間前まで上海で過ごしていた自分からしたら違和感があり、なんでそんな視線の向け方するのかなと少し不思議に感じました。

 あくまで私の実感ですが、中国でも道歩いていて向かいから歩いてくる中国人がこっちに視線を向けてくることは多いにあります。でもってその視線にこちらが反応して相手に向けると一瞬目が合い、「ん、なに?」って具合で見据えるとまた自分の進行方向、または周囲へ自然と視線を戻すというパターンが大半です。これに対し日本人(自分もだが)はやたらめったら周囲の人間に視線を送る、それも相手にばれないようにそれこそ忍者みたいに視線を張り巡らそうとする人が多いような気がします。といっても視線なんて後ろからならともかく正面180度以内から向けられでもしたらいくら忍んでいたってすぐわかりますし、私が反応して逆視線を向けるといかにも「マズっΣ(゚Д゚;)」っていうくらいに真逆の方向に視線そらすから、こういってはなんですがバレバレです。

 私がクエスチョンを持つのは、全員が全員ではありませんがどうして日本人はやたらめったら周囲に視線を向けるのか、でもって逆に視線を向けると何故そんなに慌てるのかの二点です。私個人の考えとしては普通に歩いてりゃ進行方向などに注意向ける必要があるのだし他人と目が合うことはおかしなことではないのだから忍んだりせず堂々と見りゃいいのに、はっきり言えば何故それほど怖がるようなそぶりを見せるのかがわかりません。ただこういうのは思い起こすと関西では中国と同じく全くこういうことはなく、関東限定の現象なのかもしれません。
 ちょっと紙幅が余っているので帰国後の近況を書くと、環境の変化に伴って躁鬱状態になるだろうと予想してそれなりに対策を立てておりましたが、案の定というか昨日までハイテンションな状態が続いておりました。今日昼寝したあたりから前ほどの高揚感はなくなったので鬱期に突入したかと思いますが、鬱といってもなんとなくだるいなぁって思う日が続く程度なので、そこそこ対策が奏功したかと考えています。後ほんとどうでもいい話ですが先程スーツを買いに洋品店行ってウエスト測ったところ、長い中国生活で細くなってたせいか「このサイズに合うのはうちでは一着です」と言われてしまいました。そりゃまぁ、選びやすいんだけどさ。

2013年2月8日金曜日

レールアウト、トライアウト~後編

 前回に引き続き今回も自分語りですが、前回では自分が中国に渡ったところまで話しました。少し解説し忘れた点があるのですが、中国での私の雇用形態は現地採用方式で、雇用に関する基準も日本の法令にではなく中国の法令に沿ったものでありました。これが何を意味するかと言うと、一番大きな影響は賃金にあり、時間給では確実に日本の最低賃金をブッちぎっててリアルに年収は為替変動もありますが、日本円で150万円を切っておりました。ただこの賃金の低さ自体は契約前に提示されており私も納得してサインしているので文句を言うのは筋違いですし、むしろ未経験者が入り辛い編集業務に入れてもらったことに強い恩を感じております。まぁこれで給与も高かったらもっと良いに決まってますが……。

 何はともあれそうして編集職での生活が始まったのは2011年3月からで、最初は中国語の翻訳すらおぼつかなかったものの何とか仕事も少しずつできるようになり、また2011年10月から12月には香港へ長期出張に出かけるなど、2011年の一年間は今以てしても中身の濃い一年だったと記憶します。本格的に中国、上海での仕事生活が始まったのは香港から帰ってきた翌2012年1月からですが、この頃からは取材などにも頻繁に出かけるようになりそれなりに充実していたかと思います。
 知ってる人には早いですが私はもともと記者職に就きたいと考えていたものの、この業種への就職では不利となる関西圏の大学に進学した上に見事に新卒で入れなかったことからもうかかわることはないと思っていただけに、中国に来てこのような職に就くとは非常に運命はわからないものだと強く感じました。先にも書いてある通りにこの業界は異業種からの転職が難しく経験者が優遇される業界だけに、恐らく日本国内に留まっていれば全くチャンスはなく、最低限翻訳することのできる中国語能力が求められた現地採用だからこそうまくもぐりこめたと思うし、実際に会社の上司らもそう言っていました。

 ただそうして憧れの職業に就いたものの、迷いと言うかこのままでいいのかという気持ちは常に抱いておりました。というのもこれは新卒の就職活動時にも考えていたことですが、仮に新聞社なりで編集職に就いたらほかの大多数の人間が就く仕事、たとえば営業なり経理なり事務なりといった仕事が一切体験できない、分からないままで一生が終わるのでは、それはそれでなんかおいしいところを逃してしまっているのではという懸念がありました。まどろっこしい言い方せずにストレートに書くと、記事しか書けない人間で終わってしまうのはもったいない、記事も書ける、営業もできる、経理もできる、経営もできるような人間の方が圧倒的に強くて楽しそうじゃないかと考えてました。幸いと言うか自分の場合はまだ日本で就職した会社で貿易事務をやり、簡単な営業とかも経験してはおりますが、それでも仕事内容は新人の範囲に留まっており個人的にはまだ納得できる量ではありませんでした。

 そんなわけの分からない思想を持った自分が出した結論というのも、もったいぶって言うほどのものではありませんが三度目の退職でした。素知らぬ振りしてブログも更新し続けておりましたが、実は三日前に日本に帰国し、現在自分の会社の設立手続きを進めております。編集職に未練がなかったわけではありませんが、もっと自分の力量を試してみたい、伸ばしてみたいという気持ちと共に、中国への転職前にNHKの取材を受けた際、「やる気のある若者を日本はどんどん海外に送り出すべきだ。そして将来、そういう人たちに日本に帰ってきてもらって国内の成長を担ってほしいです」と、NHKの記者に言われた言葉を自分自身で実行すべきだという、また妙な結論に至ったわけです。前から単純に、今日本に何をするのが一番ためになるのかと言えば少しでも雇用を作るべきだと思っていたし。

 そういうわけでプロフィール欄もちょっと変更し、また心機一転でこのブログを運営して行こうと思います。最後になりますが現時点でもう自分は、日本において一般的な社会地位向上のレールから大きく逸脱したと考えています。多分この後は落ちる一方でしょうが、少なくともそれはすべて自分の責任に由来するもので納得することはあっても後悔することはないと思います。
 それにしても、我ながら思い切った性格してるなぁとため息出てきます。

2013年2月7日木曜日

レールアウト、トライアウト~前編

 学生時代に何気なく友人に言われた一言の中で印象に残っているものとして、「花園君って、これまでパーフェクトな人生を送ってきたんでしょ」というものがあります。この発言をした友人は自分の出身大学に入学するまで二浪していたというのが大きな要因でしょうが、中高一貫の私立校に入学してストレートで四大に入った自分は確かに一見すれば日本で典型的な学歴獲得ルートで、そのように見えたのかもしれません。
 ただ私個人としてはこう言われてやや心外だったという気分を当時に持ちました。というのも私立中学への進学は自分が望んだものでなく、なおかつ当時の同級生にこのところ「そこまで嫌だったの?」と言われるくらいに中学、高校時代は楽しいものではなく、なんていうか非常に制限が多くて煩わしいの一言に尽きる時代だったからです。もっとも、別の学校に行っていたら違っていたのかといわれればそうではなく、多分大きな違いはなかったでしょうが。

 ただ大学への進学は浪人を経験することなくストレートで、満18歳での入学は今じゃ決して珍しいものではありませんがスタート的には恵まれた状態だったと言えますし、横並び的な年齢価値観で言えば一応最前列ではありました。そんな自分が初めて最前列から降りたというべきか、年齢の基準を一段落としたのは大学三回生の頃で、通っていた大学を休学して一年間中国に留学に行ってきました。休学した関係から帰国後は学年が一つ落ちてかつて同学年だった友人らは就職内定を得て卒業を待つ身となっておりました。
 もっとも、学年が一年落ちたといってもブラブラ遊んでいたわけでなく留学だったので、見方によればプラスな経験ともとることができます。その後も無事に就職内定を得て大学卒業後はきちんと正社員の身分で社会人生活もスタートでき、細かい内実はどうあれ終身雇用的な価値観では経歴的に全く傷のない状態がこの時も続きました。

 そんな自分にとって初めて、ドロップアウトとまでは行かないまでもレールアウト、脱線的な事件が起きたのは三年前の2010年で、新卒で入社した会社を退社して中国にある会社への転職を図りました。今現在を以ってしても最初に自分を拾ってくれた会社には強い恩義を感じておりますし退社したことに後ろめたさを感じておりますが、はっきり言ってしまえばどうしても譲ることのできない事件が起こり、自分の意に反して引かざるを得ない立場に追い込まれたことが退社の理由です。
 こういうとなにか大きな事件に巻き込まれたように見えますが、事件自体は非常にごく些細なものです。ただ当時もそうですし今現在も同じ考えですが、あれだけごく些細な問題にもかかわらず、周囲も自分に全く責任がないと認知しつつも自分に謝罪するよう要求したことを受け、「このままこの会社にいたら、問題の大小にかかわらずなんでもかんでも責任をおっ被せられるかもしれない」という懸念を抱きました。この辺は「~に過ぎない」か「~にもかかわらず」のどっちかを取る議論となりますが、自分は後者を選びました。

 今時入社数年で転職すること自体はそれほど珍しくありませんが、それでも終身雇用的な価値観が強い今の日本で転職、それも国内ではなく海外に求めたというのは経歴上、明確な脱線に当たると思います。私個人としてもこれが一つのルビコンに当たると当時認識しており、一般的なレールの上から外れて別のレールに乗り移るか、レールのない荒野を走るかのどちらかになるだろうと自覚しながら中国にやってきました。
 もっとも最初の転職は見事に失敗というか、グラスワインを5杯くらい連続で一気飲みすることを強要したり、自分の入社前の問題(仕入れ発注ミス)を自分におっ被せるような前近代的な会社に入ってしまっていろいろ苦労し、乾坤一擲のつもりで中国に渡ったものの運がなかったとこの時はつくづく思いました。ただ自分の運は尽きていなかったというべきか、中国に渡って4ヶ月目で別の会社に再転職し、曲がりなりにも経済紙の編集職を得ることができました。もはやこの時点で三回目の新入社員体験をする羽目となり、変わった星の下で生まれたのだろうと自覚し始めておりましたが、この時点できっとまだ波乱はあると内心考えておりました。続きは次回で。

2013年2月6日水曜日

中国の大気汚染について

 先日に日本にいる友人とスカイプで会話をした際、「そっちの大気汚染ってどんな状況なの?」と真っ先に聞かれました。何でまた急にそんなこととか気になるのかなと当時は思いましたが、どうもネットニュースとかを見ている限りだと中国の大気汚染について華々しく報じられているようで、その友人以外の人間に誰に聞いても同じような質問がされるので、今日はこの辺で私の知っている話を軽く紹介しようと思います。

 まず中国の大気汚染の状況ですが、現地の報道でも年々悪化していると報じられております。悪化している原因というのは複数ありますが、一番大きなものは経済成長に伴う生産増加によって工場などの煤煙排出量が増えていることで、その次としてモータリゼーションに伴う自動車の排気ガスが来るといったところです。汚染の程度は地域によって差があるのですが、もとより交通渋滞が激しく乾燥した土地の北京市が最悪とも伝えられており、先月には北京市郊外にある鉄工所などに臨時で休業するよう当局が命令を出すなど矢継ぎ早に対策を出しております。少し経済情報的なものを流すと、こうした臨時休業命令は今後拡大する恐れがあり、北京市に工場を持っている日系企業も対象となってくる可能性があります。また市街地に近い場所にある工場に補助金を出して移転させるという政策も既に実施されており、設備移転や拡張を考えている日系企業にとっては考慮していく材料にはなるでしょう。
 北京以外の都市でも内陸部を中心に大気汚染がひどく、たとえば先週に私が行った合肥市などは滞在中、ついぞ一度たりとも青空を見ることができませんでした。この辺などは中国にいったことがない人にはあまり感じづらいかもしれませんが、日本に帰国するたびに青空がきれいだと心底感じるほどに中国では空が澄み渡ることはほとんどありません。夏場などはまだマシですが、冬場はほぼ毎日に渡って曇った日が続きます。あと上海市に関しては、工場の郊外移転や排出基準などがある程度厳しく設定されているのと、しないに黄浦江という川が流れ海に近いことからまだほかの都市よりはマシだと思え、青空も見ることができます。

 話は変わりますがこれら大気汚染の程度を測る基準として、日本でも報じられておりますが「PM2.5」という物質の飛散量が中国では採用されております。このPM2.5という物質ですが自分も具体的にはどんなものかまでは専門でないので分かりませんが、非常に細かい微粒子のためマスクをしても貫通して喉に入るという物質らしく、厄介そうなものだとはつくづく思います。
 このPM2.5、報じられるようになったのは去年の春頃でそのときにも大気汚染がニュースの大きなテーマとなっていたのですが、確か5月くらいにアメリカ大使館が、「俺たちも自前で測ってみたけど、中国政府の発表以上に飛散量が多い」と発表したことがありました。これに中国政府が「勝手に計測するな(#゚Д゚) プンスコ!」とマジになって怒り、アメリカ大使館側も「だが断る(゚ω゚)」と言い返した後はなんか急に尻すぼみになって報じられる回数が急減したのですが、何故か今年になってまた急に報道回数が増え始め、この辺に何か意図があるのではないかと思います。

 ちょっと回りくどい言い方になりましたが、中国の大気汚染は何も今に始まったことではなく以前からです。確かに程度は徐々にひどくなっている実感はありますが、今突然急に悪化したのではなく、今突然急に報じられるようになったというのが真実だと思います。一体何故急に報じられるようになったのか、推論で申せばこれから中国政府こと習近平政権は環境問題とその対策を大きな政策テーマに持っていこうとしているのではないかと思います。
 専門家には話が早いですが江沢民政権は「科学的発展」というスローガンの下に経済成長を、胡錦濤政権は「和階社会」というスローガンの下に格差改善を最大の政策テーマに掲げました。日本だとあまりなじみがありませんが中国ではこうしたスローガンが大きく意味を持つというかいろいろあるのですが、これまでの軌跡とかを見ていると習近平政権は「緑色社会」など環境改善をテーマに持ってくるのではないかと前々から感じております。そのためお膳立てとばかりに、今の中国は環境が大きく悪化していると報じて危機感をあおり、それを改善させることで支持向上につなげようとしているのではないか、というような考え方もできるというわけです。あくまで推論ですが。

 最後に中国の大気汚染が日本に与える影響ですが、言うまでもなく偏西風は西から東へ流れるので日本の空気も巻き添え食って悪くなるのは自明で、勝手な見立てだと黄砂も一緒に飛んでくる4月あたりが花粉とのダブルパンチになって最悪な状況になるんじゃないかと思ってます。この辺に関しては日本も中国に対して対策実施を強く主張するべき位置にあるのでもっと強気に攻め、それこそ日系企業の環境対策グッズを率先して買うように話を持っていくべきでしょうし、政府だけでなく一般市民に対して、「日本製を使えばよくなる」という事実をしっかり伝えていくことが肝要です。

 なおこれは恐らく蛇足になるでしょうが、日本のテレビ番組で本日テリー伊藤氏が、「中国人は日系企業が中国で製品を作るために煤煙を出しており、日本人が大気を汚染させていると主張している」という発言を行いましたが、少なくとも私が見ている限り、中国の主要メディアでこのような主張をしている媒体は見たことがありません。テリー伊藤氏には是非出典を明らかにしてもらいたいのですが、勝手な想像だとそれこそネット上の一意見をさも代表性があるかのように言ったのではないかと思います。
 先にも申している通りにこの問題では日本は中国に対して対策実施を強く主張できる立場にあると思います。しかし不必要に日本人の対中感情を煽ってまで問題の深刻性を主張するのは筋違いでしかなく、このような主張に対しては批判的な立場をとらせていただきます。

2013年2月5日火曜日

中国艦からの火器管制用レーダー照射について

中国艦、海自艦に火器管制用レーダー照射(読売新聞)

 もう今日は合肥の旅行記事だけで終わりにしようかと思っていましたが、大きなニュースが飛び込んできたので簡単に現地の報道などを紹介しようと思います。
 まず上記ニュースの内容を簡単に説明すると、尖閣諸島付近に出張っている中国の軍艦がミサイルなどの火器照準用レーダを日本の海上自衛隊の護衛艦に照射してきたと日本側は主張しています。さすがに根拠もなくここまで日本も主張することは考え辛く、実際に中国側は照射してきたのだと私は思います。そしてこの行為はいくら示威行為だとしても、軍事関係に疎いのでどうかはわかりませんが、やっぱり極端な行為だと思え日本側が取った抗議も正当なものだと考えています。

 それで今回のこの事件、中国ではどのように報じられているか調べてみました。新華社の記事を見る限りではレーダを照射したという上記の日本側の主張と、その行為に日本が抗議したという事実だけを簡潔に報じており、特に解説とか反応に関しては何も報じておりません。明日、どのように書いてくるかが注目でしょう。

安倍晋三の苦しい踊り(人民日報 日本語版)

 少し気になったので人民日報の日本語版も見てみたのですが、レーダー照射に関しては何も書かれていなかったものの、上記の安倍政権を批判する論説記事が載っておりました。中国メディアが安倍政権を批判するのは何も今に始まったことではないのですが、今回のこの内容はかなり過激にかつ強力に批判しており、考えすぎかもしれませんが掲載タイミングにきな臭さを覚えます。

 ちょっとこれだけでは短いので少し私見を加えると、何故このタイミングなのかというものを感じます。というのも先日、公明党の山口代表が習近平総書記と対談するなど去年9月に冷え込んだ日中関係は回復の兆しを見せており、日系自動車メーカーの販売台数などもまた盛り返してきております。政治的、経済的にも雪解けが起こり始める中でどうしてすべてを無碍にするような今回の行動を取るのか、勝手な推論を書けばこの行動は習近平総書記をはじめとする共産党幹部が承認しての行動なのか、人民解放軍が独自に行っての行動なのか、ここが気になります。また中国は今週末から旧正月こと春節が始まり経済はおろか政府機能がほぼ停止します。そうしたことも考慮されて今回のような行動を取ったのか、考えればきりがありません。
 どちらにしろ、相手がどのような反応をするのかを見極める必要があり、余裕があればまたこの件で続報を書いていきます。

  おまけ
 今回の記事を書くに当たって新華社のサイトを見ていたら、「日本の”変態的”女子相撲文化」という記事が目に留まり、思わず見入ってしまいました。その内容、相撲は女性禁制で太田房江元大阪府知事が土俵に上がれなかったことやら、相撲の歴史は日本書紀に遡るとかやけに詳細に書いており、明治や大正時代の女子相撲の写真やポスター、この前青森で開かれた女子相撲の世界大会の写真など驚くくらいに充実しており度肝を抜かされました。それにしても「変態的」と書かれても強く言い返せないなと素直に感じます。

合肥旅行~包拯と李鴻章

 昨日に引き続き合肥の旅行記です。昨日は動物の写真ばっか載せて「合肥関係ないやん」と自分でも突っ込みたくなる内容でしたが、今回は合肥出身の有名人二人こと、包拯と李鴻章を中心に書いていきます。


包拯(Wikipedia)

 包拯(包公)というのは北宋時代に活躍した官僚で、日本ではあまりなじみがありませんが裁きが厳正だったことから悪人からは恐れられ、善人からは親しまれるという絵にかいたような名役人で、死後は講談などにも取り上げられてますます人気となっていった人物です。この人物、日本風に言うならば「大岡越前」に当たる人物で、講談などではよく裁判シーンが取り上げられて名裁きを下す人物として描かれております。
 先にも書いたようにこの人は合肥出身で、市内には彼を祭った祠、そして併設する彼のお墓があります。友人の上海人は包拯のことはもちろん知っておりましたが、彼が合肥出身だとは知らず墓を訪れた際は非常に驚いておりました。なおこのお墓ですが、案内書きを見てみるとつい最近までどこにあるのかでもめていたそうです。恐らく合肥にあるのだろうとは考えられていたものの確証がなく、20世紀に入って発掘調査が行われ、彼の遺骨を納めた石室が見つかったことからはっきりしたそうです。この石室ですが小さなトンネルとなっており入ることも出来るのですが、さすがに罰当たりだと思って写真は撮りませんでした。


 何故か包拯の祠の前の水がめにはコインだけでなく紙幣が投げ込まれておりました。ここはコインだけにすませばいいのに。


 上の写真の胸像は包拯と同じく合肥出身で、日清戦争で北洋軍閥を率いて明治の日本軍と戦った李鴻章です。日本史だと清側の敗軍の将で下関条約(中国では馬関条約としている)の代表として人物名は覚えるもののあまりパッと書かれてはおりませんが、実際の中国史では自らの民兵組織を元に北洋軍閥を起ち上げて、西洋技術の導入を目指す洋務運動を推進するなど超重要人物です。私個人的にも興味のある人物で彼の住居跡が博物館になっていると聞いて今回訪れてみたのですが、何に一番驚いたかっていうと招商局を作ったのがこの李鴻章だったということです。

 招商局というのは現在は香港系コングロマリット(複合企業)で、海運から不動産、金融まで幅広くやっている企業団体です。中国本土なら招商銀行というATMが充実した金融機関が一番目につくかと思いますが、中国本土以上に香港での影響力は半端じゃありません。香港で開かれる国際見本市にはほぼ必ずここが協賛しており私もよく見ていたのですが、この招商グループを李鴻章が作っていたというのは正直言って意外でした。調べてみると官営海運会社としての位置づけで作られたようですが、設立から地味に100年を既に越しております。

 この日はその後、宿泊先のシェラトンホテルへと向かったのですが、捕まえたタクシー運転手に「シェラトンだ」と伝えると、我々が予約した本物のシェラトンではなくみんな偽物のシェラトンホテルへと行こうとするので、住所を何度も説明させられる羽目になりました。それにしても、偽ブランドなのにこうもみんな信じるのだからやっぱり効果はあるのだろうな。
 そのシェラトンですが、合肥駅の近くにあるものの道路が一部修理中のために大回りをさせられる羽目となり、また渋滞がひどくてなかなかたどり着かず6時半くらいになってようやく着くことが出来ました。そして次の日は午前中はぶらぶらし、午後一の列車で上海へと帰ったわけです。

 ざっとこんな感じで合肥旅行を終えたのですが、昨日にも書いたように交通事情は最悪といってもいいほどでした。同じ内陸部でも合肥以上に日本から遠い武漢や重慶と比べても日系企業の進出は少ないのですが、あの交通の悪さを見るにつけ、自治体のガバナンスが弱いというか外資誘致の仕方とかがうまくないのではないかと思わざるを得ません。断言してしまうと、合肥に進出するくらいなら武漢や重慶へ行った方がマシです。
 ちなみに合肥の交通ですが地下鉄はなく移動は基本タクシーかバスしかないのですが、タクシーが全然少なく待っても待っても来ません。その一方、正規に営業許可を取っておらず違法にタクシー業に従事する、通称白タクは跋扈しており、ただ路上で信号待ちしているだけでも「どこ行く?」って車を止めて聞いてくるので、友人の「無秩序な場所で秩序に従ってはいられない」という言葉の元に大いに活用しました。意外に料金もリーズナブルだったし。

 ただ一回えらいことがあったというか、自分と友人の二人を既に乗せているにもかかわらず別の歩行者にも「どこ行く?」とさらに乗っけようとする白タクがいたのですが、まさにその現場を警察官が見ていて、そのまま運転免許証を取り上げてしまいました。「免許証ないからここで降りてくれ」と言われてそのまま下りてまた別の白タクを捕まえましたが、二兎を追うものは一兎をも得ずを間近で見ることとなりました。

2013年2月4日月曜日

合肥旅行~大気汚染と野生動物園


 昨日にも書きましたが、先週末に安徽省合肥市に友人の上海人と旅行に行ってきました。なんで合肥に行こうかと思ったかというと、割と近場で三国志の「合肥の戦い」で有名だし、ちょうどいいから行ってみようということになりました。結論から言えば、そんないい旅行じゃなかったです。

 まず上の写真を見てもらえばわかる通り、というか日本でも大きく報じられてるかと思いますがめちゃくちゃ空気悪かったです。上海なんかはまだ空気はマシな方だし昨日はきれいな夕焼けも見ることが出来ましたが、合肥にいる間は青空なんて一片たりともありませんでした。また空気が悪いだけじゃなく、路上を走る車が中国の都市の中でも異常に多く排気ガスがリアルにきつかったです。これまで中国で渋滞が起こりやすく道路が悪い都市といったら真っ先に北京を思い浮かべていましたが、下手したら合肥は北京以上にひどいかもしれません。実際にタクシーに乗ってホテルに向かう際、渋滞がひどくてなかなか前に進みませんでした。

 時系列に沿って日程を説明しますが、2/1(金)に上海駅から高速鉄道に乗り込み、合肥市へと向かいました乗車時間はわずか3時間で距離を考えると非常に早い移動です。合肥に着いたのは午後5時過ぎだったのでそのまま宿泊先のインターコンチネンタルホテル、今回の旅行は近場な分、いいホテルを選んだのですが、タクシー乗り場を見ると凄い長蛇の列。結局、タクシーに乗ったのは一時間過ぎた6時半くらいで、ホテルに着いた頃には8時前となっておりました。
 ホテル自体はインターコンチネンタルなだけあって立派でしたが、部屋に入って驚いたのは浴室です。




 ちょっと見た目わかりづらいですが、なんとバスタブが浴室の外から丸見えという驚きの設計。普通、カーテンレールとかあるのにこのホテルに至ってはそんなの皆無。奥にはちゃんと仕切りが設けられたシャワー室がある分、何故浴室は丸見えなのか理解に苦しみました。結局、それで使わなかったんだけど。


 一夜明けて次の日、ホテル近くにある合肥野生動物園に行ってきました。野生というだけあってかなり近距離から動物を見ることが出来て非常に楽しめました。上の写真は鹿ですが、何故か奈良のと同じでカメラ目線の鹿が多かったです。それにしても奈良市内は野生動物園ってレベルじゃないよな。


 こちらはテナガザルですが、ピーナッツなりみかんなりを投げるとジャンピングキャッチで取ったり、遊具につかまって回転しながら受け取ったりするなど、動画を撮っておけばよかったと思うくらい動き回っており、友人がえらく興奮してました。確か30分以上はここにいたような。


 客にもらったペロキャンを人間っぽくなめてる写真です。


 テナガザルのほかにもこの動物園はやけに猿が多く、しかも客からエサをもらい慣れているというかこうして露骨に手を伸ばしたりする猿を多く見受けました。中には隣の猿がエサをもらっているのを見て、俺にもよこせとばかりに檻を揺らして音を鳴らすのもいたくらいです。




 自分が好きなレッサーパンダももちろんおり、写真のように二本足で立ってはエサをねだってました。それにしてもレッサーパンダは風太君以外も普通に立つんだな。



 本当は野生動物園の後に三国志の古戦場である「合肥新城跡」に行く予定でしたが、中心部から非常に離れた距離にあるだけでなく、一度行ったことのある同僚が「期待するな」と言っていたので、そのまま敢えて見送りました。郊外だから渋滞はないとはいえ、ほかにも回る所もあったし。そんなわけで、続きはまた次回に。