アメリカではなんでも「ポーランド人は馬鹿だ」という内容のジョークがあると聞きます。また二次大戦前に何度も国土が分割され、二次大戦中もユダヤ人を始めとした死者数が500万人以上も出すという(国別死者数では4位という説も)悲劇的な歴史を持ちながらも何故か同じヨーロッパの国々からポーランドはそれほど同情されず、それどころかそのような歴史を歩んだのもやや自業自得みたいに言われているなどとも聞きます。
なんでポーランドがこんな風に馬鹿にされるのか理由はわかりませんが、以前にちょっとこの辺で気になったのでポーランドの歴史をこの前ネットで調べました。西欧史については一通りやっていて大まかな流れはわかっているものの個別の国々の歴史となるとまだまだ勉強不足であることを痛感したのですが、改めてポーランドの歴史を見てみると意外に面白く、さすがにブログでまとめることはしませんけどドイツ騎士団とプロイセンの歴史くらいなら一つのテーマでまとめてもありかもしれません。
折角なのでポーランドの歴史について簡単に触れると、あまり知られていませんが中世、具体的には13~16世紀くらいまでは間違いなく欧州最強国家と読んでいいほどの繁栄ぶりをみせております。当時のポーランドはヤゲウォ朝と呼ばれる国家体制で他のヨーロッパ諸国に先駆けて絶対王権を確立し、軍事力においてもポーランド騎士団と呼ばれる軍勢を保有して文字通りに現在のロシア地域にいたスラブ民族、並びにオスマントルコを筆頭としたイスラム勢力との抗争でキリスト教勢力の最前線を担う役割を果たしておりました。
残念ながらというか16世紀以降はロシアやプロイセン、オーストリアが勢力を拡大した上に内戦もやらかしてしまったことからポーランドは国力を落としてしまうわけですが、それ以前のポーランドがまさに帝国と呼ぶほどの繁栄を誇った理由については様々な要素が挙げられており、私の視点で述べるとそれらは「寛容性」という言葉にまとめられるように思えます。
当時のポーランドは一応はキリスト教を国教とする国であったのですが他のヨーロッパ諸国と比べてその強制性は非常に弱く、むしろ他の宗教や民族に対して非常に寛容であったことはほぼ意見が一致します。一番代表的なのはユダヤ人に対する態度で、13世紀の時点でユダヤ人の人権並びに政治的自治を認める法令を出しており、それを聞きつけたことによって他のヨーロッパ諸国で弾圧を受けたユダヤ人が移民してきたことによって学術的にも文化的にも発展したそうです。
そのほか現在のリトアニアに存在した、ギリシャ正教を国教とするリトアニア大公国と14世紀に連合を結び「ポーランド=リトアニア連合」という国家連合を作ってポーランド王家は領土や権力を大きく高めたのですが、この際にポーランド王国にやられてばっかだったドイツ騎士団が「異教徒と手を組んでいる」などとバチカンに訴えてきます。この際にポーランドは、「異教徒とはいえリトアニアの人間も同じ人間で我々と同じ人権を持つ」なんてかっこいいことを語ってバチカンにもその正当性を認めることに成功します。にしてもドイツ騎士団はカッコ悪いな。
このように異教徒、異文化、異民族に対してとにもかくにも寛容に受け入れていったことがポーランドの躍進に買ったと現在では評価されているのですが、こうした寛容性は何もポーランドに限らなくてもほかの歴史でも同じ傾向がある気がします。
一番卑近な例は現代の米国で、20世紀には黒人差別問題が大きく残っておりましたがそれでもほかの国々に比べればそうした民族的差別はまだ小さいように私には思え、黒人のオバマ氏が大統領になれたり、有色人種の人口が白人を追い抜いたりなどとしている状況を見るにつけ帝国と呼ばれるだけの多文化性、多様性を孕んだ国と言っていいでしょう。同じく帝国とくれば「テルマエ・ロマエ」で同じものローマ帝国も同じで、奴隷制によって成り立った経済構造でしたが植民州出身の人間でも兵役を終えればローマ市民権を与えたりして、いわば異質な文化の地域を取り込むような政策を実施しております。
私は帝国と呼ばれる国というのは歴史的に、異質な文化や民族を取り込むから帝国であって単独の文化を保持し続けハイ手的な主義を取る国は帝国とはなり得ないと前々から考えております。その上でさらに続けると、やはり発展性という意味では帝国の方が圧倒的な強さを持ち得ます。
現代の米国がいろいろな意見があるもののそれでも最強国として君臨し続けているのは毎年大量の移民を受け入れ、また学術や文化面で多くのものを取り込みつつ変化しているからだと思います。もちろんこんな帝国性を持つのは生半可な努力じゃ出来るわけなく日本なんて島国という特徴からもまず慣れるわけありませんが、それでももっと寛容性というものを意識し、異質な文化や概念を取り込むことで国家として民族として強くなれるということを少しは考えてほしいと陰ながら思います。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2014年4月3日木曜日
2014年4月1日火曜日
STAP細胞問題の最終報告について
・<STAP細胞>「小保方さんに不正行為」認定 失望大きく(毎日新聞)
これまでに何度もこの問題で記事を書いておりますが、以前の記事に書いた通りにようやく理研も小保方氏の論文に捏造や不正があると認めました。肝心の小保方氏は今回も記者会見には出てこず、報道では理研側の発表に対して反論を述べ不服申し立てをする予定だなどとされて本当に懲りない奴だなとか思います。今回の発表に対する私の感想は、当初でこそ妙なかばいだてこそしたものの途中からは理研は割ときちんと対応したかなと思え、これまで同様に小保方氏は確信犯で捏造をしていたのだろうという考えに変わりありません。
理研の発表内容に関してはもう細かく感想を述べませんが小保方氏がメディアへ配布したコメントについていくつか意見を述べると、 画像を切り貼りしたのは見やすくするための処置だったとか、自分の卒論と同じ画像が論文に使われていたのは単純ミスで悪意はなかったと主張しているようですが、そんなたわごとを信じる奴はマジで精神病ものだと呆れるレベルの反論としか言いようがありません。そして最も重要な、共同研究者の依頼で作成したSTAP細胞とされるマウスの細胞が、共同研究者が送ったマウスとは別系統の遺伝子を持つ細胞だったことに関して触れていないという時点で、まぁ色んな意味で確信犯なことがわかります。
この事件において第一義的に重要な論点は言うまでもなSTAP細胞論文は捏造だったのかそうでないのかということに間違いありませんが、第二の論点として何故これほどまで人格的に明らかな問題のある人物を理研が採用したのか、この点についてもっとみんなで考えるべきじゃないかと私は思います。私がこのように考えるのもいわゆるポストドクター問題こと、日本で博士号を取得した研究者が研究職に就職できず、大半が培った知識や技術を活かせないまま苦しい生活を送っているとよく聞くからです。
報道によると理研の研究職の待遇はほかの研究機関と比べて非常に良いらしいのですがそれは置いといて、何故ほかにもたくさん博士号取得者がいるにも関わらず平気でコピペ論文を出すような人間を理研は採用したのか、そして研究リーダーにまでして捏造を見過ごしたのか。別に研究職に限るわけじゃないですけど日本は人材採用のプロセス、そして昇進プロセスがどこかおかしい気がしてならず、政治家に白企業経営者にしろ、「よりによってなんでこんな人間が」と言いたくなるほど人格疑う人間が上に上ってくることがやけに多いです。何故こんなことが起きたのかその原因についてこれを機にもっと考えるべきじゃないか、なんてちょっと言いたくなります。
さっきから私は文字通りに人格否定発言を繰り返しておりますが、今回の捏造によって日本が世界に対してリードしている再生医療研究に大きな不信感を招いたという点で、本気で小保方氏には強い怒りを覚えます。日本がこの分野で何故リードしているのかと言えばノーベル賞も受賞した京都大学の山中伸弥教授がIPS細胞の作製に成功したためですが、そんな山中教授と小保方氏を比較したいい社説が先日、産経新聞に載せられておりました。
・推敲が足りない? 3月13日(産経新聞)
この社説では同じくノーベル賞受賞者の益川敏英氏と山中氏の業績を引用し、下記の様に小保方氏と比較しています。
「冒頭の2人の業績を振り返れば、ノーベル賞級の発見は、一人の天才の力だけではなし得ないことがわかる。益川さんは、ノーベル賞を同時に受賞し た小林誠さんとの議論の末に、新理論を打ち立てた。山中さんは、受賞記念講演のなかで、ともにiPS細胞開発に取り組んできた仲間の名前を挙げてたたえて いる。
この問題は突き詰めると、結局この一言に尽きるような気がします。この社説に書かれている通りに山中氏はIPS細胞発表後の会見、そしてノーベル賞の授賞式やそのほかのあらゆる場面で、自分の研究室にいる研究員が奮闘してくれた結果で自分だけの力ではないとこれでもかと言わんばかりに褒め称えていました。
それに対して小保方氏ですが、ネイチャー掲載後の会見では自分の研究を認めない科学界への腹立たしさばかり主張し、共同研究者たちに関してはほぼ全く触れられていなかったように私は記憶しております。今となってしまえばやはり自己主張が間違った方向に発展してしまった人だったということと、こんなイカサマばかりやっているから周りは認めなかったんだよと吐き捨てて言いたくなるような感情しか覚えませんが。
私は昨日の記事で漫画家の永井豪氏が若かりし頃の自分を追った「激マン!」という漫画のレビューを書きましたが、永井氏はこの漫画の中で当時の自分のアシスタントたちに対して非常に事細かくかつ好意的に紹介していて、実際に彼らなくして当時の仕事はこなせなかったという風に述懐していることを指摘しました。山中氏にしろ永井氏にしろ真に世の中に功績を残し評価されるべきはこういう人たちであり、にもかかわらず何故こんな採用前からいろいろと問題を抱えてそうな人間を理研が採用してしまったのか、そうしたてんについてくどいようですがもっとかんがえるべきでしょう。
これまでに何度もこの問題で記事を書いておりますが、以前の記事に書いた通りにようやく理研も小保方氏の論文に捏造や不正があると認めました。肝心の小保方氏は今回も記者会見には出てこず、報道では理研側の発表に対して反論を述べ不服申し立てをする予定だなどとされて本当に懲りない奴だなとか思います。今回の発表に対する私の感想は、当初でこそ妙なかばいだてこそしたものの途中からは理研は割ときちんと対応したかなと思え、これまで同様に小保方氏は確信犯で捏造をしていたのだろうという考えに変わりありません。
理研の発表内容に関してはもう細かく感想を述べませんが小保方氏がメディアへ配布したコメントについていくつか意見を述べると、 画像を切り貼りしたのは見やすくするための処置だったとか、自分の卒論と同じ画像が論文に使われていたのは単純ミスで悪意はなかったと主張しているようですが、そんなたわごとを信じる奴はマジで精神病ものだと呆れるレベルの反論としか言いようがありません。そして最も重要な、共同研究者の依頼で作成したSTAP細胞とされるマウスの細胞が、共同研究者が送ったマウスとは別系統の遺伝子を持つ細胞だったことに関して触れていないという時点で、まぁ色んな意味で確信犯なことがわかります。
この事件において第一義的に重要な論点は言うまでもなSTAP細胞論文は捏造だったのかそうでないのかということに間違いありませんが、第二の論点として何故これほどまで人格的に明らかな問題のある人物を理研が採用したのか、この点についてもっとみんなで考えるべきじゃないかと私は思います。私がこのように考えるのもいわゆるポストドクター問題こと、日本で博士号を取得した研究者が研究職に就職できず、大半が培った知識や技術を活かせないまま苦しい生活を送っているとよく聞くからです。
報道によると理研の研究職の待遇はほかの研究機関と比べて非常に良いらしいのですがそれは置いといて、何故ほかにもたくさん博士号取得者がいるにも関わらず平気でコピペ論文を出すような人間を理研は採用したのか、そして研究リーダーにまでして捏造を見過ごしたのか。別に研究職に限るわけじゃないですけど日本は人材採用のプロセス、そして昇進プロセスがどこかおかしい気がしてならず、政治家に白企業経営者にしろ、「よりによってなんでこんな人間が」と言いたくなるほど人格疑う人間が上に上ってくることがやけに多いです。何故こんなことが起きたのかその原因についてこれを機にもっと考えるべきじゃないか、なんてちょっと言いたくなります。
さっきから私は文字通りに人格否定発言を繰り返しておりますが、今回の捏造によって日本が世界に対してリードしている再生医療研究に大きな不信感を招いたという点で、本気で小保方氏には強い怒りを覚えます。日本がこの分野で何故リードしているのかと言えばノーベル賞も受賞した京都大学の山中伸弥教授がIPS細胞の作製に成功したためですが、そんな山中教授と小保方氏を比較したいい社説が先日、産経新聞に載せられておりました。
・推敲が足りない? 3月13日(産経新聞)
この社説では同じくノーベル賞受賞者の益川敏英氏と山中氏の業績を引用し、下記の様に小保方氏と比較しています。
「冒頭の2人の業績を振り返れば、ノーベル賞級の発見は、一人の天才の力だけではなし得ないことがわかる。益川さんは、ノーベル賞を同時に受賞し た小林誠さんとの議論の末に、新理論を打ち立てた。山中さんは、受賞記念講演のなかで、ともにiPS細胞開発に取り組んできた仲間の名前を挙げてたたえて いる。
STAP細胞の論文の共同執筆者の間では、論文の撤回をめぐって、意見の対立もあるようだ。一連の騒動のニュースに接していて、小保方さんにとって、「同志」と呼べる研究者の姿が見えないことも気にかかる。」
この問題は突き詰めると、結局この一言に尽きるような気がします。この社説に書かれている通りに山中氏はIPS細胞発表後の会見、そしてノーベル賞の授賞式やそのほかのあらゆる場面で、自分の研究室にいる研究員が奮闘してくれた結果で自分だけの力ではないとこれでもかと言わんばかりに褒め称えていました。
それに対して小保方氏ですが、ネイチャー掲載後の会見では自分の研究を認めない科学界への腹立たしさばかり主張し、共同研究者たちに関してはほぼ全く触れられていなかったように私は記憶しております。今となってしまえばやはり自己主張が間違った方向に発展してしまった人だったということと、こんなイカサマばかりやっているから周りは認めなかったんだよと吐き捨てて言いたくなるような感情しか覚えませんが。
私は昨日の記事で漫画家の永井豪氏が若かりし頃の自分を追った「激マン!」という漫画のレビューを書きましたが、永井氏はこの漫画の中で当時の自分のアシスタントたちに対して非常に事細かくかつ好意的に紹介していて、実際に彼らなくして当時の仕事はこなせなかったという風に述懐していることを指摘しました。山中氏にしろ永井氏にしろ真に世の中に功績を残し評価されるべきはこういう人たちであり、にもかかわらず何故こんな採用前からいろいろと問題を抱えてそうな人間を理研が採用してしまったのか、そうしたてんについてくどいようですがもっとかんがえるべきでしょう。
2014年3月31日月曜日
漫画レビュー「激マン!」
このブログについてよく、「どうして記事にするネタが切れないの?」と不思議そうに知人から尋ねられることが多いのですが、実体は逆で書きたいネタ外たくさんあるにもかかわらずほとんど書き切れていないのが実情です。今日書く子のレビューも約一ヶ月前に書こうと企画しておきながらずるずると遅れ、明日のタイミングに合わせるために今日この日に書くこととしました。
・激マン!(Wikipedia)
本題に入る前に簡単に永井氏について紹介しますが、永井氏は大学受験中に漫画家になることを志し、確かどっかの出版社に持ち込みしたところすぐに才能が認められてひとまず誰かのアシスタントにならないかと言われ、「じゃあ手塚先生」と言ったところその時に手塚治虫の職場に空きがなく、そのかわりとして石ノ森章太郎のアシスタントなり漫画家生活をスタートします。アシスタントとして多忙な生活を送る中でひとまずデビューしようと自分の作品を作ることを考え、すぐにストーリが組めるという理由からギャグ漫画を作りはじめ、それらの作品が後にチャンピオン編集長となり「ブラックジャック」などを連載させる名物編集者、壁村耐三によって見出されてプロ漫画家としてデビューします。
こうして永井氏はギャグ漫画家としてデビューしてすぐに人気作家となり、続けざまに少年ジャンプで連載を始めた「ハレンチ学園」でその人気を不動のものとしますが、本人としてはギャグ漫画よりもストーリー漫画を以前から書きたいと考えており、そうした本人の願いからテレビアニメの企画と同時進行で始められたのが「デビルマン」でした。
デビルマンについてこのままネタバレ覚悟で解説を続けますが、ある意味で観世懲悪に終わらないダークヒーローストーリーの作品として嚆矢となるような作品で、連載期間が短くそれほど長編ではないものの、逆に長編ではないからこそその話のインパクトは凄まじく、まだ読んでない人には強く一読することをお勧めします。この作品は「週刊少年マガジン」においてテレビアニメと同時並行で漫画が連載されたのですが、その時の状況についてこの「激マン!」は事細かに描写しています。それにしてもこのタイトル、漫画家を目指す少年二人と漫画編集の裏側を描いた「バクマン。」を露骨にパクってるな。
話は戻りますが当初、デビルマンは普通のヒーロー物として企画が立てられたそうで実際に漫画の連載より先に放送されたテレビアニメ版はそうした描かれ方がされています。ただ漫画版において永井氏は深いテーマ性、具体的には戦争というものを暗喩させる作品として描き始め、テレビアニメ版の企画になかった飛鳥了というキャラクターを勝手に作ったりして徐々に別の方向へと突き進んでいきます。
このデビルマンを執筆していた状況についてもこの「激マン!」の中では詳しく描かれているのですが、その中でひときわ目を引いたのは当時の永井氏の多忙ぶりです。なんでも週刊連載を三本も抱えていて一週間に執筆する原稿枚数はなんと100ページも超えていたそうです。もちろんこんなページ数を一人で書けるわけがなく自身のプロダクションで多くのアシスタントを抱え、日程を管理するため兄弟を始めとしたマネージャーも多く雇っておりました。そんな状況について永井氏は担当編集者に対して、「実は僕の今の手取り収入は同世代のサラリーマンよりも少ないんですよ」と語るシーンがあります。
漫画の中のセリフによると、連載なんて一本か二本くらい抱える方が一番収入に良く、当時の連載本数だと執筆を維持するためのスタッフの人件費がかかりすぎて実質マイナスに近い作業量だったそうです。それでも連載を抱えたのは収入以上に漫画作品を残したいという永井氏の信念からで、また当時は体力にも自信があって二、三日の徹夜も苦にせずやれたと描かれてあります。まあなんというか、恐ろしい執念だと読んでて感じました。
ただそんなタフな永井氏であっても、それまでのギャグ路線からシリアスなストーリーのデビルマンは執筆していて苦労が多かったらしく、その執筆にかかる労力はこれまでの漫画作品の数倍だったとしています。ただそれでもこの作品にかけたいという思いは強かったらしく、なんとデビルマンに心血を注ぐために人気絶頂だった「ハレンチ学園」を始めとした主だった当時の連載作品を終了させることにしたそうです。これには各漫画雑誌の担当も驚いて何とか連載を続けるように説得したものの永井氏は譲らず、実際に次回作を書くことを条件にして複数作品の連載を切りました。
・激マン!(Wikipedia)
本題に入る前に簡単に永井氏について紹介しますが、永井氏は大学受験中に漫画家になることを志し、確かどっかの出版社に持ち込みしたところすぐに才能が認められてひとまず誰かのアシスタントにならないかと言われ、「じゃあ手塚先生」と言ったところその時に手塚治虫の職場に空きがなく、そのかわりとして石ノ森章太郎のアシスタントなり漫画家生活をスタートします。アシスタントとして多忙な生活を送る中でひとまずデビューしようと自分の作品を作ることを考え、すぐにストーリが組めるという理由からギャグ漫画を作りはじめ、それらの作品が後にチャンピオン編集長となり「ブラックジャック」などを連載させる名物編集者、壁村耐三によって見出されてプロ漫画家としてデビューします。
こうして永井氏はギャグ漫画家としてデビューしてすぐに人気作家となり、続けざまに少年ジャンプで連載を始めた「ハレンチ学園」でその人気を不動のものとしますが、本人としてはギャグ漫画よりもストーリー漫画を以前から書きたいと考えており、そうした本人の願いからテレビアニメの企画と同時進行で始められたのが「デビルマン」でした。
デビルマンについてこのままネタバレ覚悟で解説を続けますが、ある意味で観世懲悪に終わらないダークヒーローストーリーの作品として嚆矢となるような作品で、連載期間が短くそれほど長編ではないものの、逆に長編ではないからこそその話のインパクトは凄まじく、まだ読んでない人には強く一読することをお勧めします。この作品は「週刊少年マガジン」においてテレビアニメと同時並行で漫画が連載されたのですが、その時の状況についてこの「激マン!」は事細かに描写しています。それにしてもこのタイトル、漫画家を目指す少年二人と漫画編集の裏側を描いた「バクマン。」を露骨にパクってるな。
話は戻りますが当初、デビルマンは普通のヒーロー物として企画が立てられたそうで実際に漫画の連載より先に放送されたテレビアニメ版はそうした描かれ方がされています。ただ漫画版において永井氏は深いテーマ性、具体的には戦争というものを暗喩させる作品として描き始め、テレビアニメ版の企画になかった飛鳥了というキャラクターを勝手に作ったりして徐々に別の方向へと突き進んでいきます。
このデビルマンを執筆していた状況についてもこの「激マン!」の中では詳しく描かれているのですが、その中でひときわ目を引いたのは当時の永井氏の多忙ぶりです。なんでも週刊連載を三本も抱えていて一週間に執筆する原稿枚数はなんと100ページも超えていたそうです。もちろんこんなページ数を一人で書けるわけがなく自身のプロダクションで多くのアシスタントを抱え、日程を管理するため兄弟を始めとしたマネージャーも多く雇っておりました。そんな状況について永井氏は担当編集者に対して、「実は僕の今の手取り収入は同世代のサラリーマンよりも少ないんですよ」と語るシーンがあります。
漫画の中のセリフによると、連載なんて一本か二本くらい抱える方が一番収入に良く、当時の連載本数だと執筆を維持するためのスタッフの人件費がかかりすぎて実質マイナスに近い作業量だったそうです。それでも連載を抱えたのは収入以上に漫画作品を残したいという永井氏の信念からで、また当時は体力にも自信があって二、三日の徹夜も苦にせずやれたと描かれてあります。まあなんというか、恐ろしい執念だと読んでて感じました。
ただそんなタフな永井氏であっても、それまでのギャグ路線からシリアスなストーリーのデビルマンは執筆していて苦労が多かったらしく、その執筆にかかる労力はこれまでの漫画作品の数倍だったとしています。ただそれでもこの作品にかけたいという思いは強かったらしく、なんとデビルマンに心血を注ぐために人気絶頂だった「ハレンチ学園」を始めとした主だった当時の連載作品を終了させることにしたそうです。これには各漫画雑誌の担当も驚いて何とか連載を続けるように説得したものの永井氏は譲らず、実際に次回作を書くことを条件にして複数作品の連載を切りました。
そうやってデビルマンの執筆態勢を整えた永井氏でしたが、徐々に作品が独り歩きし始めたというか、自分の想定とは勝手にストーリーが変わっていったと作品中で述懐しています。その動きに拍車をかけたのは漫画雑誌からの連載打ち切り連絡で、連動企画だったテレビアニメが終了することから漫画版のデビルマンもすぐに終了させるように通告されたことからでした。
この時の状況について「激マン!」では非常に詳しく描かれており、マネージャーをしていた兄と共に編集部を訪れて何度も連載を続けるように交渉し、実際に読者人気も上がっていったことから当初の予定より終了までの連載回数を増やすことに何度か成功させます。とはいえ執筆できるページ数は限られていることからそれまで以上に展開を早めてなんとか結末へ落そうと努力するわけなのですが、漫画の中の展開がハイスペースなのと同様に当時の永井氏の近況もなんと慌ただしかったことかと思わせられるばかりでした。
このような背景があったことから実際にデビルマンの後半部は非常にハイスピードで展開が進んでいくのですが、その中で異色を放つのは主人公の不動明を悪魔と戦うために悪魔と合体することを提案する、飛鳥了というキャラクターです。このキャラについて永井氏は当初、不動明をデビルマンへ導く役割を終えたら死亡して途中退場するキャラクターとして用意したらしいですが、登場させたところ人気が出たためそのまま生存フラグを歩み続投し、折々でキーポイントとなっていくキャラになってくのですが、後半に至って「一体何故この飛鳥了がここにいるのか」などと、作者の思惑を外れた活躍をするようになったと描かれています。彼の正体についてはぜひ原作の「デビルマン」を読んでもらいたいのですが、彼の役割が意図したものではなくストーリーの展開から独り歩きして出来上がったものだったという事実には私自身非常に驚き、同時に永井氏は本当に勢いでストーリーを進めていく人なんだなぁなどと感じました。
という具合で「激マン!」の解説なのか「デビルマン」の解説なのかよくわからない記事となりましたが、当時の漫画界と永井氏の近況、そして編集部と漫画家の作品にこだわる余りの深い交渉は見ていてなかなか面白いです。ただ敢えて苦言を呈せば、作者自身が自分の伝記的作品を書くことが恥ずかしくてこの「激マン!」について、「ノンフィクションに限りなく近いフィクション」と紹介しており、作中ではややオーバーな表現も目立ちます。そのため冷静かつ怜悧な目線に欠け、その面でこの「激マン!」はその価値をやや落としているようにも見えます。恥ずかしいとは思うものの、恥を忍んで淡々と当時の状況を追っておけばよかったのにとちょっと残念な点です。
最後に読んでてほかに気になった点として二つ挙げると、「デビルマン」でヒロインの母親が同じ人間によって拷問されて殺されて、その死体が出てくるシーンで永井氏は最初、逆さ吊りにされた上に体が左右に真っ二つに引き裂かれた死体を描いたところ、「逆さ吊りはいいけど真っ二つは駄目」と編集部に駄目だしされてしぶしぶ修正したシーンがあります。そのシーンで永井氏は、「どうせ残酷な描写なんだからあんまり変わらないような」と書いてますが私も同感です。
この時の状況について「激マン!」では非常に詳しく描かれており、マネージャーをしていた兄と共に編集部を訪れて何度も連載を続けるように交渉し、実際に読者人気も上がっていったことから当初の予定より終了までの連載回数を増やすことに何度か成功させます。とはいえ執筆できるページ数は限られていることからそれまで以上に展開を早めてなんとか結末へ落そうと努力するわけなのですが、漫画の中の展開がハイスペースなのと同様に当時の永井氏の近況もなんと慌ただしかったことかと思わせられるばかりでした。
このような背景があったことから実際にデビルマンの後半部は非常にハイスピードで展開が進んでいくのですが、その中で異色を放つのは主人公の不動明を悪魔と戦うために悪魔と合体することを提案する、飛鳥了というキャラクターです。このキャラについて永井氏は当初、不動明をデビルマンへ導く役割を終えたら死亡して途中退場するキャラクターとして用意したらしいですが、登場させたところ人気が出たためそのまま生存フラグを歩み続投し、折々でキーポイントとなっていくキャラになってくのですが、後半に至って「一体何故この飛鳥了がここにいるのか」などと、作者の思惑を外れた活躍をするようになったと描かれています。彼の正体についてはぜひ原作の「デビルマン」を読んでもらいたいのですが、彼の役割が意図したものではなくストーリーの展開から独り歩きして出来上がったものだったという事実には私自身非常に驚き、同時に永井氏は本当に勢いでストーリーを進めていく人なんだなぁなどと感じました。
という具合で「激マン!」の解説なのか「デビルマン」の解説なのかよくわからない記事となりましたが、当時の漫画界と永井氏の近況、そして編集部と漫画家の作品にこだわる余りの深い交渉は見ていてなかなか面白いです。ただ敢えて苦言を呈せば、作者自身が自分の伝記的作品を書くことが恥ずかしくてこの「激マン!」について、「ノンフィクションに限りなく近いフィクション」と紹介しており、作中ではややオーバーな表現も目立ちます。そのため冷静かつ怜悧な目線に欠け、その面でこの「激マン!」はその価値をやや落としているようにも見えます。恥ずかしいとは思うものの、恥を忍んで淡々と当時の状況を追っておけばよかったのにとちょっと残念な点です。
最後に読んでてほかに気になった点として二つ挙げると、「デビルマン」でヒロインの母親が同じ人間によって拷問されて殺されて、その死体が出てくるシーンで永井氏は最初、逆さ吊りにされた上に体が左右に真っ二つに引き裂かれた死体を描いたところ、「逆さ吊りはいいけど真っ二つは駄目」と編集部に駄目だしされてしぶしぶ修正したシーンがあります。そのシーンで永井氏は、「どうせ残酷な描写なんだからあんまり変わらないような」と書いてますが私も同感です。
もう一つの気になるシーンですが、当時の永井氏の状況説明としてこ「激マン!」の中では数多くの彼のアシスタント作家の名前が出てきます。それも名前だけでなく各人の特徴や経歴、そして後の活躍まで事細かに書いており、本当に仲間思いの人なんだなぁと素直に感じました。その中でもひときわ高い評価をされているのが「ゲッターロボ」で主軸を担う石川賢で、彼に対して永井氏はアシスタントというよりまさに相棒と言っていいような最大級の評価がされております。
永井氏のプロダクションは「ダイナミック企画」という名で、ここは通常の漫画プロダクションとは明らかに趣が異なり永井氏自身も自分の作品の制作機関というよりは気の合う漫画家同士の製作集団だと述べており、実に数多くの漫画家がここから巣立っております。こうした目的を同じく行動する集団というかチームが案外二本にはないと日系アメリカ人が書いた本をこの前友人から借りて読んだのですが、明日最終報告する理研にはそうしたチームがあったのかなと思うわけで、何も問題なければこのテーマで明日記事を書く予定です。
永井氏のプロダクションは「ダイナミック企画」という名で、ここは通常の漫画プロダクションとは明らかに趣が異なり永井氏自身も自分の作品の制作機関というよりは気の合う漫画家同士の製作集団だと述べており、実に数多くの漫画家がここから巣立っております。こうした目的を同じく行動する集団というかチームが案外二本にはないと日系アメリカ人が書いた本をこの前友人から借りて読んだのですが、明日最終報告する理研にはそうしたチームがあったのかなと思うわけで、何も問題なければこのテーマで明日記事を書く予定です。
2014年3月30日日曜日
みんなの党・渡辺代表の献金疑惑について
体調不良ですっかりまいっている最中にまたぞろ記事化すべき政治事件が多発しているのでこれから徐々に片づけていく所存ですが、真っ先に今日取り上げるのはみんなの党の代表である渡辺善美氏の政治献金疑惑についてです。結論からパパッと書いちゃうとまず間違いなく渡辺代表は年内にも政治資金規正法違反で議員辞職することとなり、分裂したばかりでもあるのでみんなの党も解党し、残った議員は無所属となるか結の党に合流することになるとここで断言します。 今回の渡辺氏の疑惑、ってかもうほぼ事実として確定されつつありますがそれについて簡単に説明すると、2010年と2012年の選挙の直前にDHCの吉田会長から計8億円もの融資を受けていたにもかかわらず政治資金の収支報告書に記載、報告していなかったという、構造的にはこの前会った猪瀬前都知事の事件とほぼ同じ事件です。この疑惑は吉田会 長が週刊新潮に寄せた手記から明るみに出て、その手記によると現時点で5億円超がまだ返済されていないとのことです。 こうした報道に対して渡辺氏自身は融資を受けていたことを認めた上で、政治資金ではなくあくまで個人的な借り入れであると主張し、収支報告書に記載していなくても違法ではないとの主張を行いました。その上でではどういった用途に使ったのかという質問に対しては曖昧な回答に終始し、果てには用途の具体例として「酉の市で熊手を買った」という、小学生みたいな言い訳をする始末でああやっぱりこの人って頭悪いんだなと再認識できました。 会見を見るだけでも渡辺氏が嘘をついていて政治資金として使っていたのだなということは十分わかるのですが、この会見に対 し吉田会長はすぐ反応し、「選挙で金が要るから金銭的な支援(具体的には3億円)をお願い」なんていう内容の携帯メールが残っているということを明らかにしました。これはテレビでコメンテーターが述べていた内容ですが、そのメールによると借り入れた資金は選挙後、当選した人数によって税金から政党へと配られる政党助成金から返済するような内容も書かれてあり、仮にそれが事実だとしたら税金である政党助成金を質にして資金を借り入れたこととなりその悪性性は非常に高いと指摘され、私もこの意見に深く同意できます。 そもそも渡辺氏の裏金問題は今回が初めてというわけでなく、過去にはある意味で日本の政治形態を変えたリクルート事件でしっかり未公開株を受け取っており、父親 の故渡辺美智雄も「息子のおかげで総理になり損ねた」なんて述べてます。あくまで私の印象ですがこういった裏金問題を何度も起こしているのと普段の言動から見て渡辺氏は、どっかの這いよる混沌と同じで、ばれなければ犯罪じゃないと確信犯で考えている気がして、もしかしたら叩けばまだ埃が出てくるかもしれません。 それにしても気になるのは今回の疑惑がどうしてこのタイミングでてきたのかということです。こういってはなんですがタイミングがいいというか、ちょうどこれまで幹事長を務めてきた江田憲司氏が離党して結いの党を作り分裂した直後なだけに、政治に偶然はないというだけあってどっから出てきたのかなぁと邪推したくなります。 もっともそうやって煽りつつも、今回の一件に関しては江田氏は関与してないのではと私は見ています。根拠としては融資元である吉田会長が割とノリノリに取材に答えている様子で、単純に渡辺氏と吉田会長の仲が悪くなったというか関係悪化したことからばらされただけではないかと思えます。 それにしても今回の融資額というか献金額は8億円で、猪瀬前都知事の実に16倍と規模だけはでかいです。重要なのはやったかどうかで金額自体は関係ないのですが、8億借りて熊手を買ったって どんだけ熊手好きなんだよとツッコみたくなる迷回答ぶりです。 |
2014年3月29日土曜日
何のために歴史を学ぶのか
このブログを長く見続けている方なら言うまでもないでしょうが私は歴史が非常に好きで、大きく出るとトップとまではいかないまでも歴史の知識量が同学年で上位1%には確実に入る自信もあります。特に自分の強みとしては日本史、世界史の両方を受験勉強している上に中国史では文革を始めとした近現代史に異常なほど造詣が深く、一連の流れをそらで説明できる人物なんてそう相違ないでしょう。
そんな歴史自慢をする私に対してよく、「なんでそんなに歴史を勉強するの?」という質問が飛んできます。そこで今日は何のため歴史を勉強するのか、歴史を勉強する価値について私の考えを述べていくことにします。リハビリ中の身なのに、変則テーマを選んでくるな自分も。かいてて一番楽な政治記事にしとけばいいのに……。
ここで突然昔話をしますが、今からちょうど十一年くらい前に同じテーマで物を考えたことがあります。現在もそうですが私は実学志向で学問は何かしら世の中の役に立たなければ意味がないという意識があり、歴史科目についても何かしら実際に、精神面上でもいいから使える要素を取り出して体系化するべきだと考え、そこで目を付けたのが哲学的要素でした。
歴史を学ばないものは愚かな失敗をする、なんていう文句は昔からありますが、ここまで極端でなくても教訓めいた内容や繰り返される事実を取りまとめ、人生を考察するような学問に昇華できないかと当時の私は考え、この方面で本気で体系化しようと試みたわけですが、結果的に言うとこれは失敗に終わりました。というのも歴史的事実から哲学的要素を取り出していろいろ議論するよりも、本家本元の哲学を学んだ方がずっと手っ取り早かったからです。私が無理矢理哲学めいたテーマを歴史から見出そうとしても、既に哲学が同じテーマで議論し終えており、しかもしっかりと体系化していて変に教訓めいたことを議論したいなら哲学を学んだ方が早いという結論に至りました。
そういうわけで歴史に哲学的要素を求めることはあきらめ、じゃあどういう風に解釈すればいいのかと再考しました。回りくどい言い方はよして結論を述べると、歴史というのは単純にストーリーという娯楽で、その歴史を学ぶということは娯楽の幅を広げるということ、ではないかと思います。
そもそもなんで私が歴史が好きなのかというと、それこそ学んでて面白いと感じるということ以外ありません。なんで面白いと思うのかというとそれは小説や漫画などと同じく歴史というのは一つの流れを持ったストーリーで、根本的に文学や絵画といった芸術と領域を同じくするものではないかと考えています。そもそも、小説などと言った架空のお話しである文学の原初を辿れば人の営みというか歴史に行きつくように思え、歴史=ストーリーと解釈してしまった方が自然なのかもしれません。
更にもう一歩踏み込むと、歴史の価値を哲学めいた言い方したり歴史を学ばないと過ちを繰り返すなどと高所めいた言い方をする人もいますが、私に言わせるとそんな深く考えず素直に娯楽と割り切って楽しんだ方がいいように思えます。更に続けると、日中韓の様に国家間で歴史解釈を巡って深刻そうに議論となったりしますが、私に言わせるとこの議論自体も見て楽しむ娯楽の一つで、各国の代表は我々に娯楽を提供するため真剣に頑張っていると解釈しています。
歴史議論が何故娯楽なのかともう少し書くと、最近はすっかり収まりましたが一昔前の日本最大の歴史議論となると「邪馬台国論争」で間違いないでしょう。これは邪馬台国が北九州にあったのか、近畿にあったのかという位置を巡る論争なのですが、東大や京大の学者たちは真剣に資料を調査し、論拠を挙げるなどして議論し続けましたが、そうやって議論し続ける様は多分見ている一般人としては面白いものだったのではないかと思います。たとえて言うならボクシングの試合を観戦しているようなもので、片っ方が右ストレートとばかりに土器を出土させてくると、もう片っ方がカウンターとばかりに中国の古代資料を繰り出すという応酬で、ほかの人は知りませんが私にとっては見ていて面白い対戦な気がします。
また見ているだけでなく自らリングに上がるというか、自分自身も歴史議論をすると素直に面白いです。あの時あの武将はどうすればあの戦争に勝てたのか、あの政治家はこういう経験があったからこういう決断を下したのではなどと、学生時代は歴史好きの友人に恵まれこのような非常に楽しい議論を何度も出来ました。さすがに文革について議論できる相手はいなかったが……。
このように歴史というのは人生に教訓を与える学問ではなく、むしろ人生を豊かにさせてくれる娯楽だと単純に割り切るべきだというのが私の考えです。となると歴史学者というのはお金をもらいながら必死で我々に提供するべき娯楽を探したり、確認しているということになりますが、私はまさにその通りで、そしてそれらは価値ある行為だとも考えてます。さすがに正面切って歴史学者にこんな風には言えんが。
ここで最初の問いこと「何のために歴史を学ぶのか」に戻ると、私から贈れる回答としては「歴史という娯楽を楽しむための下地作りのため」に学ぶ価値があると言えるかと思います。先程の様に人の議論を見て楽しむため、自分で議論に加わるためには最低限の歴史知識が必要となり、これらを娯楽としてみるために必要な準備が歴史の勉強だと思います。また歴史を学ぶことによって小汚い茶碗や腕が六本ある仏像をありがたく感じられるようにもなり、それまで娯楽として感じられなかった対象に対しても娯楽として感じられる効果が歴史を学ぶことで得られると考えられ、そういう意味で私は歴史を学ぶことで娯楽の幅が広がるのではないかと言いたいわけです。最近太字をよく使うなぁ我ながら。
上記のような考え方から私は、歴史を学ぶと楽しみの幅が増えるという意味で他人に対しても学ぶことを進めるわけです。あとこれはまだ未検証ですが私個人の実感として、歴史好きの人間は好奇心が強いというか自分と関わりのない分野に対しても比較的積極的に踏み込んだり、興味を持てる人が多い気がします。なお今、「好奇心」という言葉を使いましたが、どっちかっていうと日本語的には「数寄」という言葉が、本来価値無き物に対して価値を見出すという意味合いで歴史に対してはより適しているような気がします。
最後に歴史問題について一言意見を述べると、これは完全な娯楽に過ぎないと私は割り切っています。現代の問題に対処する上で過去の歴史を全く無視することはさすがに言語道断ですが、過去の歴史にこだわるあまり現状と、そして未来を軽視することは本末転倒でしょう。この辺について続いて書きたいところですがさすがに体力がいる内容なので、余裕が出来たらまた書きます。
そんな歴史自慢をする私に対してよく、「なんでそんなに歴史を勉強するの?」という質問が飛んできます。そこで今日は何のため歴史を勉強するのか、歴史を勉強する価値について私の考えを述べていくことにします。リハビリ中の身なのに、変則テーマを選んでくるな自分も。かいてて一番楽な政治記事にしとけばいいのに……。
ここで突然昔話をしますが、今からちょうど十一年くらい前に同じテーマで物を考えたことがあります。現在もそうですが私は実学志向で学問は何かしら世の中の役に立たなければ意味がないという意識があり、歴史科目についても何かしら実際に、精神面上でもいいから使える要素を取り出して体系化するべきだと考え、そこで目を付けたのが哲学的要素でした。
歴史を学ばないものは愚かな失敗をする、なんていう文句は昔からありますが、ここまで極端でなくても教訓めいた内容や繰り返される事実を取りまとめ、人生を考察するような学問に昇華できないかと当時の私は考え、この方面で本気で体系化しようと試みたわけですが、結果的に言うとこれは失敗に終わりました。というのも歴史的事実から哲学的要素を取り出していろいろ議論するよりも、本家本元の哲学を学んだ方がずっと手っ取り早かったからです。私が無理矢理哲学めいたテーマを歴史から見出そうとしても、既に哲学が同じテーマで議論し終えており、しかもしっかりと体系化していて変に教訓めいたことを議論したいなら哲学を学んだ方が早いという結論に至りました。
そういうわけで歴史に哲学的要素を求めることはあきらめ、じゃあどういう風に解釈すればいいのかと再考しました。回りくどい言い方はよして結論を述べると、歴史というのは単純にストーリーという娯楽で、その歴史を学ぶということは娯楽の幅を広げるということ、ではないかと思います。
そもそもなんで私が歴史が好きなのかというと、それこそ学んでて面白いと感じるということ以外ありません。なんで面白いと思うのかというとそれは小説や漫画などと同じく歴史というのは一つの流れを持ったストーリーで、根本的に文学や絵画といった芸術と領域を同じくするものではないかと考えています。そもそも、小説などと言った架空のお話しである文学の原初を辿れば人の営みというか歴史に行きつくように思え、歴史=ストーリーと解釈してしまった方が自然なのかもしれません。
更にもう一歩踏み込むと、歴史の価値を哲学めいた言い方したり歴史を学ばないと過ちを繰り返すなどと高所めいた言い方をする人もいますが、私に言わせるとそんな深く考えず素直に娯楽と割り切って楽しんだ方がいいように思えます。更に続けると、日中韓の様に国家間で歴史解釈を巡って深刻そうに議論となったりしますが、私に言わせるとこの議論自体も見て楽しむ娯楽の一つで、各国の代表は我々に娯楽を提供するため真剣に頑張っていると解釈しています。
歴史議論が何故娯楽なのかともう少し書くと、最近はすっかり収まりましたが一昔前の日本最大の歴史議論となると「邪馬台国論争」で間違いないでしょう。これは邪馬台国が北九州にあったのか、近畿にあったのかという位置を巡る論争なのですが、東大や京大の学者たちは真剣に資料を調査し、論拠を挙げるなどして議論し続けましたが、そうやって議論し続ける様は多分見ている一般人としては面白いものだったのではないかと思います。たとえて言うならボクシングの試合を観戦しているようなもので、片っ方が右ストレートとばかりに土器を出土させてくると、もう片っ方がカウンターとばかりに中国の古代資料を繰り出すという応酬で、ほかの人は知りませんが私にとっては見ていて面白い対戦な気がします。
また見ているだけでなく自らリングに上がるというか、自分自身も歴史議論をすると素直に面白いです。あの時あの武将はどうすればあの戦争に勝てたのか、あの政治家はこういう経験があったからこういう決断を下したのではなどと、学生時代は歴史好きの友人に恵まれこのような非常に楽しい議論を何度も出来ました。さすがに文革について議論できる相手はいなかったが……。
このように歴史というのは人生に教訓を与える学問ではなく、むしろ人生を豊かにさせてくれる娯楽だと単純に割り切るべきだというのが私の考えです。となると歴史学者というのはお金をもらいながら必死で我々に提供するべき娯楽を探したり、確認しているということになりますが、私はまさにその通りで、そしてそれらは価値ある行為だとも考えてます。さすがに正面切って歴史学者にこんな風には言えんが。
ここで最初の問いこと「何のために歴史を学ぶのか」に戻ると、私から贈れる回答としては「歴史という娯楽を楽しむための下地作りのため」に学ぶ価値があると言えるかと思います。先程の様に人の議論を見て楽しむため、自分で議論に加わるためには最低限の歴史知識が必要となり、これらを娯楽としてみるために必要な準備が歴史の勉強だと思います。また歴史を学ぶことによって小汚い茶碗や腕が六本ある仏像をありがたく感じられるようにもなり、それまで娯楽として感じられなかった対象に対しても娯楽として感じられる効果が歴史を学ぶことで得られると考えられ、そういう意味で私は歴史を学ぶことで娯楽の幅が広がるのではないかと言いたいわけです。最近太字をよく使うなぁ我ながら。
上記のような考え方から私は、歴史を学ぶと楽しみの幅が増えるという意味で他人に対しても学ぶことを進めるわけです。あとこれはまだ未検証ですが私個人の実感として、歴史好きの人間は好奇心が強いというか自分と関わりのない分野に対しても比較的積極的に踏み込んだり、興味を持てる人が多い気がします。なお今、「好奇心」という言葉を使いましたが、どっちかっていうと日本語的には「数寄」という言葉が、本来価値無き物に対して価値を見出すという意味合いで歴史に対してはより適しているような気がします。
最後に歴史問題について一言意見を述べると、これは完全な娯楽に過ぎないと私は割り切っています。現代の問題に対処する上で過去の歴史を全く無視することはさすがに言語道断ですが、過去の歴史にこだわるあまり現状と、そして未来を軽視することは本末転倒でしょう。この辺について続いて書きたいところですがさすがに体力がいる内容なので、余裕が出来たらまた書きます。
2014年3月28日金曜日
一週間ぶりの投稿
いろいろと不審に思っていた方もいるかと思いますが、実に一週間ぶりにこのブログを更新します。
以前に私はこのブログで、「このブログはほぼ毎日更新でしかも毎日長文を書いているだけに何の予告もなしに一週間くらい更新が無かったらみんな不気味に思うんじゃないかな」と書いたことありますが、今回がまさにそのような休載となってしまい、こういってはなんですが書く側の自分ですら不気味に感じました。実際に何人かの読者の方から「どうしちゃったの?(;゚Д゚)」と心配の声をかけていただき、なんか申し訳ないなと思うのと同時にいい読者に囲まれていることを再確認しました。
今回更新が空いた理由はごく単純に疲労からで、先週、というよりそれ以前からあまり調子が良くなく、更新が止まった先週金曜の夜から急激に持ち崩しました。その先週の金曜日に私は既に記事にもしてますが、朝方は元気で昼には友人と一緒に池袋にある文革レストランに行ってきたほどなのですが、多分三連休に入って緊張感がすっと抜けたせいもあるでしょうが、夕方からだるくて動けなくなり、よく日曜日も家からほとんど出ず漫画喫茶にだけしか外出しませんでしたがそれでも体調はあまり復調しませんでした。でもって体力が戻らないだけでなく精神的にも常にイライラしていて、敢えて芸能人にたとえると常に沢尻エリカ氏(失礼な気もするが)みたいな具合で、言葉遣いとかもやけに荒くなってました。そして今のような感じに文章も歯切れ悪く、全部「でした」などの「た止め」が続いたりとか……。
特に致命的だったのは日曜日で、出来るだけ長く寝ていたかったのに人が来るから朝早くに起きて対応し、しょうがないから寝れなかった分を昼寝で補填しようと別れてから昼寝に入ったらその人物から本当にくだらない理由で電話かけられ起こされて、おまけに来るなと言ってるのに家にまで来られて、これで本当に立ち直り効かないくらいに気力も体力も悪化しました。次の月曜日の出勤なんか文字通り死にそうな顔で(「死ね、死ね……」って呟きながらドアオープンだった)家を出て行きましたが、なんか職場でも「疲れてない?」ってよく聞かれました。ああ、「た止め」が終わらない……。
そんな理由もあって意識的に休もうとしたというより、このところは素直に疲労でブログが書けなかったというのが真情で、しばらくブログを休むという告知記事すら書く気が起きませんでした。このブログで同時進行で進めている「企業居点」というサイトの構築作業も完全ストップで休むことに集中しましたが、今週は水曜日に部内の飲み会、昨日の木曜日は今年医学部に受かった友人と二人で牛角パーティをやるなどこういう時にとばかりにイベントが目白押しでした。いやどっちも楽しかったけどさ。
しかしブログ更新を完全にサボった甲斐もあってやや持ち直したのと、明日土曜日は出勤日ですが思い切って有給を取得して休むことにしたので、今日久々の更新と相成りました。
ここで自分の苦労自慢からやや話の方向を変えますが、今回ブログの更新をサボってみていくつか気づいたことがあります。一つは先ほどにも書いた通りにわざわざ心配してくれる読者がいることで、もう一つはやはり更新が途絶えると心配されるほど普段の更新量が異常だということ、そして三つ目に、自分がこのブログに相当な時間をかけていることです。三つ目に関してもう少し続けると、ブログを敢えて書かないで少し過ごしてみたら自分でも驚くほど一日の時間が余りました。それこそ睡眠時間もとれるし、ゲームをする時間、読書をする時間も余裕があり、言っちゃなんですがかなり楽でした。
たまに自分でもなんでこんなに毎日記事を書くんだと、「誰のため?なんのため?5W1H?」っていう歌詞でラップが歌えるんじゃないかと思う時もあったのですが、実際に書かなくなってみるとかなり自由な時間が持てて、たまっているゲームもみんな片づけられるしまだ納得いっていない科目の勉強も出来そうで、どれだけの時間と労力、熱意をこのブログにかけているんだと我ながら少し呆れました。ちなみにこのブログの記事は一本当たり大体一時間弱をかけており、記事によっては事前に勉強したり資料を整理するので平均すると大体一時間強になると計算してます。仮にこの計算だと、私は年間で400時間くらいこのブログに費やしていることとなります。もしこの400時間を別の方面に使えば……。なんて考えもよぎらなくもありません。
しかし、それでもやっぱり私はブログを書き続けなければならない人間でしょう。先程にも書いた通りにこの一週間は一日の時間が余ったりしましたが、この余った時間は正直に言って何をすればいいのかわかりませんでした。それだけこのブログの執筆が習慣になっているのと同時に、私個人の考えとしても折角自分が蓄えた知識や視点を世に出さないのは惜しいという気持ちが強かったです。
このブログは自分の知識と文章力をひけらかしてちやほやされたいという下心もありますが、それ以上に自分の持っている知識を求めている人がいるなら、役に立つのなら出来るだけわかりやすく解説して届けたいという妙なボランティア精神で成り立っています。ブログを始めて間もない記事にも書いていますが究極的にこのブログは私が大学一回生の頃に、「こんなのあったらいいな(*´∀`)」と思ったものを具現化させたものです。現時点でそこそこ手ごたえも掴んでいるしいい読者にも囲まれているという点である程度この目標は達成できている気がします。
あと、ちょっと本筋からずれますがこのところ意識している作家として松本清張と山田風太郎がおります。どちらも小説家として名を成した人物ですが、松本清張は生前、後進の育成は全くせず新人賞のパーティも嫌々そうに出ていたそうなのですが、同時代の作家によると松本清張はまだ形にしていないアイデアをたくさん抱えていて後進の育成とかやる暇あったら原稿を書いていたいというような人物だったためとされています。次に山田風太郎ですが、彼は戦前から日記を書いていてその時期ごとの事件について彼の視点で鋭い寸評が書かれてあり、当時の状況を知る一つの資料となり得ています。
自分が何を言いたいのか詳述はしませんが、自分の一つの理想は具現化したのだから、これ以前からも意識はしていましたがそろそろまた別の概念を以ってこのブログを続けてこうかと考えてるわけです。そんなわけで明日からまた普段のペースで更新していきます。
以前に私はこのブログで、「このブログはほぼ毎日更新でしかも毎日長文を書いているだけに何の予告もなしに一週間くらい更新が無かったらみんな不気味に思うんじゃないかな」と書いたことありますが、今回がまさにそのような休載となってしまい、こういってはなんですが書く側の自分ですら不気味に感じました。実際に何人かの読者の方から「どうしちゃったの?(;゚Д゚)」と心配の声をかけていただき、なんか申し訳ないなと思うのと同時にいい読者に囲まれていることを再確認しました。
今回更新が空いた理由はごく単純に疲労からで、先週、というよりそれ以前からあまり調子が良くなく、更新が止まった先週金曜の夜から急激に持ち崩しました。その先週の金曜日に私は既に記事にもしてますが、朝方は元気で昼には友人と一緒に池袋にある文革レストランに行ってきたほどなのですが、多分三連休に入って緊張感がすっと抜けたせいもあるでしょうが、夕方からだるくて動けなくなり、よく日曜日も家からほとんど出ず漫画喫茶にだけしか外出しませんでしたがそれでも体調はあまり復調しませんでした。でもって体力が戻らないだけでなく精神的にも常にイライラしていて、敢えて芸能人にたとえると常に沢尻エリカ氏(失礼な気もするが)みたいな具合で、言葉遣いとかもやけに荒くなってました。そして今のような感じに文章も歯切れ悪く、全部「でした」などの「た止め」が続いたりとか……。
特に致命的だったのは日曜日で、出来るだけ長く寝ていたかったのに人が来るから朝早くに起きて対応し、しょうがないから寝れなかった分を昼寝で補填しようと別れてから昼寝に入ったらその人物から本当にくだらない理由で電話かけられ起こされて、おまけに来るなと言ってるのに家にまで来られて、これで本当に立ち直り効かないくらいに気力も体力も悪化しました。次の月曜日の出勤なんか文字通り死にそうな顔で(「死ね、死ね……」って呟きながらドアオープンだった)家を出て行きましたが、なんか職場でも「疲れてない?」ってよく聞かれました。ああ、「た止め」が終わらない……。
そんな理由もあって意識的に休もうとしたというより、このところは素直に疲労でブログが書けなかったというのが真情で、しばらくブログを休むという告知記事すら書く気が起きませんでした。このブログで同時進行で進めている「企業居点」というサイトの構築作業も完全ストップで休むことに集中しましたが、今週は水曜日に部内の飲み会、昨日の木曜日は今年医学部に受かった友人と二人で牛角パーティをやるなどこういう時にとばかりにイベントが目白押しでした。いやどっちも楽しかったけどさ。
しかしブログ更新を完全にサボった甲斐もあってやや持ち直したのと、明日土曜日は出勤日ですが思い切って有給を取得して休むことにしたので、今日久々の更新と相成りました。
ここで自分の苦労自慢からやや話の方向を変えますが、今回ブログの更新をサボってみていくつか気づいたことがあります。一つは先ほどにも書いた通りにわざわざ心配してくれる読者がいることで、もう一つはやはり更新が途絶えると心配されるほど普段の更新量が異常だということ、そして三つ目に、自分がこのブログに相当な時間をかけていることです。三つ目に関してもう少し続けると、ブログを敢えて書かないで少し過ごしてみたら自分でも驚くほど一日の時間が余りました。それこそ睡眠時間もとれるし、ゲームをする時間、読書をする時間も余裕があり、言っちゃなんですがかなり楽でした。
たまに自分でもなんでこんなに毎日記事を書くんだと、「誰のため?なんのため?5W1H?」っていう歌詞でラップが歌えるんじゃないかと思う時もあったのですが、実際に書かなくなってみるとかなり自由な時間が持てて、たまっているゲームもみんな片づけられるしまだ納得いっていない科目の勉強も出来そうで、どれだけの時間と労力、熱意をこのブログにかけているんだと我ながら少し呆れました。ちなみにこのブログの記事は一本当たり大体一時間弱をかけており、記事によっては事前に勉強したり資料を整理するので平均すると大体一時間強になると計算してます。仮にこの計算だと、私は年間で400時間くらいこのブログに費やしていることとなります。もしこの400時間を別の方面に使えば……。なんて考えもよぎらなくもありません。
しかし、それでもやっぱり私はブログを書き続けなければならない人間でしょう。先程にも書いた通りにこの一週間は一日の時間が余ったりしましたが、この余った時間は正直に言って何をすればいいのかわかりませんでした。それだけこのブログの執筆が習慣になっているのと同時に、私個人の考えとしても折角自分が蓄えた知識や視点を世に出さないのは惜しいという気持ちが強かったです。
このブログは自分の知識と文章力をひけらかしてちやほやされたいという下心もありますが、それ以上に自分の持っている知識を求めている人がいるなら、役に立つのなら出来るだけわかりやすく解説して届けたいという妙なボランティア精神で成り立っています。ブログを始めて間もない記事にも書いていますが究極的にこのブログは私が大学一回生の頃に、「こんなのあったらいいな(*´∀`)」と思ったものを具現化させたものです。現時点でそこそこ手ごたえも掴んでいるしいい読者にも囲まれているという点である程度この目標は達成できている気がします。
あと、ちょっと本筋からずれますがこのところ意識している作家として松本清張と山田風太郎がおります。どちらも小説家として名を成した人物ですが、松本清張は生前、後進の育成は全くせず新人賞のパーティも嫌々そうに出ていたそうなのですが、同時代の作家によると松本清張はまだ形にしていないアイデアをたくさん抱えていて後進の育成とかやる暇あったら原稿を書いていたいというような人物だったためとされています。次に山田風太郎ですが、彼は戦前から日記を書いていてその時期ごとの事件について彼の視点で鋭い寸評が書かれてあり、当時の状況を知る一つの資料となり得ています。
自分が何を言いたいのか詳述はしませんが、自分の一つの理想は具現化したのだから、これ以前からも意識はしていましたがそろそろまた別の概念を以ってこのブログを続けてこうかと考えてるわけです。そんなわけで明日からまた普段のペースで更新していきます。
2014年3月21日金曜日
直近一ヶ月間で閲覧数の多いページ
最近になって友人からGoogle Analiticsで閲覧数の多いページのタイトルを表示して順位を見られることを初めて教えてもらい、密かに見ていて楽しんでいます。というのもこれまで閲覧数の多いページはアドレスでしか表示されないと思い込んでおり、検索ワードとかなら以前から見ていましたがページタイトル別ではこれまで把握しておらず、どういう傾向があるのか測りかねていたからです。
そこで折角なので、多分興味を持っている人も多いかと思うので今日は直近一か月間における上位50位くらいまでの閲覧数が多いページを一覧にして初公開します。早速ですが以下がその順位と閲覧数です。
<解説>
まず一位は普通にトップページが着ましたが、2位の「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」に関しては時期的要素が強いです。というのもこの記事は地下鉄サリン事件が起きた日である昨日にアクセス数が急増した記事で、事件を振り返る方が大量に訪れたことが原因でしょう。3位の「足利事件の真犯人について」も同じような要素を含んでおり、この記事で紹介している清水潔記者がまさにこの内容で近日新たに本を出されたとのことで、それに付随して閲覧数が増えたのでしょう。
もっとも地下鉄サリン事件の記事に関しては事件全体ではなく医療現場の状況に限定してスポットを当てており、 なおかつ短いテキスト量で割とよくまとめられたという自負があります。この記事を嚆矢として、今後もこの事件に関してはいい記事をかけられたらとも内心考えてます。
上記を踏まえ、そうなると外部的要素なしに一番人気の記事は4位の「漫画レビュー『実は私は』」 ということになってしまいます。6位の「漫画レビュー『シドニアの騎士』」にも言えますが、こういうサブカル関連の記事は検索されやすく地味にアクセスが稼ぎやすいです。特に「実は私は」に関してはまだマイナーさの残る漫画作品でレビューも少なく、このタイトルで検索かけるとレビュー記事として一番上に自分の記事が出た時は本気で焦りました。
このほか際立っているタイトルとしては、やはり7位の「奈良ドリームランドを偲ぶ」でしょう。この記事自体は割と自己満足というかこんなん書いたってそんな反応はないだろうと思っていたら意外や意外にコンスタントに閲覧数が現在に至るまで伸び続けており、地味にこのブログのキラーコンテンツとなり得ました。うちの親戚を始めドリームランドを懐かしい世代が大量にいたのだなと再認識させられるとともに、ある意味でそういった世代にいい記事を提供できたのかなと割と満足しています。
あと今回この順位を見て思ったのは、ブログ開設当初にアクセスゲッターだった「猛将列伝 ~宮崎繁三郎~」の記事を始め、歴史系記事がだいぶ落ちてきたなという感があります。歴史記事は社会ものと比べて時期に関係なくアクセスが来るのでブログ開設当初は意識的に多く書いておりましたが、最近だと自分でも自覚するくらい書く機会も減っており、それらが影響しているのかもしれません。
最後に全体の特徴として述べると、本当に同じ一人の人間が書いているとは思えないほど記事内容がばらけている、と我ながら思います。漫画のレビューを書いているかと思ったらウクライナ情勢とか中国事情、スピリチュアル体験なども書いてあり、その一方で房総半島に自転車乗った話とか日本人の家族関係に関する考察も書いてあって、見る人が見たら複数人で書いているブログではと思うのが自然な気がします。もっとも私の文章は特徴がはっきりしているから途中でやはり一人が書いているとしか思えなくなるでしょうが。
最後にこの中で自身が気に入っている記事をいくつかピックアップしておきます。ほかのはともかく最後のは書いた時期が新しいのと、記憶が鮮明というか生々しいことが影響してます。
・地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡
・上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る
・楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)
そこで折角なので、多分興味を持っている人も多いかと思うので今日は直近一か月間における上位50位くらいまでの閲覧数が多いページを一覧にして初公開します。早速ですが以下がその順位と閲覧数です。
1 | トップページ | 2391 |
2 | 地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡 | 609 |
3 | 足利事件の真犯人について | 473 |
4 | 漫画レビュー「実は私は」 | 398 |
5 | ホンダ・フィットHVのリコール多発について | 349 |
6 | 漫画レビュー「シドニアの騎士」 | 340 |
7 | 奈良ドリームランドを偲ぶ | 296 |
8 | 近年の漫画雑誌印刷部数の推移 | 198 |
9 | HSK5級、6級の試験対策 | 190 |
10 | 平成史考察~玄倉川水難事故(1999年) | 187 |
11 | ヒトラーが溺愛した姪 | 157 |
12 | 自販機業界の便乗値上げについて(#゚Д゚) プンスコ! | 152 |
13 | 石川啄木と金田一京助 | 143 |
14 | スピリチュアル体験録 | 140 |
15 | 猛将列伝~今村均~ | 137 |
16 | 中国人の好きな男性のタイプ | 132 |
17 | 中川元財務相の泥酔会見の裏側 | 130 |
18 | ソチ五輪の報道を見て感じること | 118 |
19 | 中小企業は本当に人手不足なのか | 116 |
20 | 猛将列伝 ~宮崎繁三郎~ | 112 |
21 | 埼玉県三郷市、千葉県松戸市通り魔事件の犯人逮捕を受けて | 97 |
22 | 理研の会見、そしてSTAP細胞捏造疑惑について | 94 |
23 | PM2.5を排出しているのは誰か | 87 |
24 | 「シドニアの騎士」の11巻について | 86 |
25 | 漫画レビュー「レッド」 | 83 |
26 | さようならOpera | 76 |
27 | 三菱地所の欠陥マンション事件について | 75 |
28 | 素顔同盟の思い出 | 74 |
29 | ウクライナを巡る国際情勢 | 72 |
30 | ソニータイマーの真実 | 72 |
31 | こんなに上がった漫画の価格 | 69 |
32 | 水木しげる伝説 | 69 |
33 | スズキの会長の鈴木修について | 68 |
34 | 豊臣政権が崩壊した原因とは | 68 |
35 | 「極黒のブリュンヒルデ」のアニメ化について | 67 |
36 | 平成史考察~磯野カツオの声優交替(1998年) | 66 |
37 | このブログのアフィリエイト収入額 | 63 |
38 | 疲労のためしばらくお休み(ヽ´ω`) | 63 |
39 | 猛将列伝~木村昌福~ | 62 |
40 | 暗殺者列伝~山口二矢 | 58 |
41 | 房総半島自転車一周地獄の旅 | 58 |
42 | 漫画レビュー:怨み屋本舗シリーズ | 58 |
43 | 最近なくなったコールドスリープの話 | 57 |
44 | 本当に強い剣客は誰なのか? | 57 |
45 | このところの朝日新聞のスクープ連発について | 55 |
46 | 湾岸戦争直前における人質事件 | 52 |
47 | 高齢者層は本当に金融資産を蓄えているのか? | 50 |
48 | 犯罪者の家族への社会的制裁について | 50 |
49 | パソコン本体価格の高騰(;´Д`) | 49 |
50 | 上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る | 49 |
51 | 中華料理の名前とその意味たち | 49 |
52 | 家族関係が異常に希薄な日本民族 | 48 |
53 | 楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`) | 47 |
<解説>
まず一位は普通にトップページが着ましたが、2位の「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」に関しては時期的要素が強いです。というのもこの記事は地下鉄サリン事件が起きた日である昨日にアクセス数が急増した記事で、事件を振り返る方が大量に訪れたことが原因でしょう。3位の「足利事件の真犯人について」も同じような要素を含んでおり、この記事で紹介している清水潔記者がまさにこの内容で近日新たに本を出されたとのことで、それに付随して閲覧数が増えたのでしょう。
もっとも地下鉄サリン事件の記事に関しては事件全体ではなく医療現場の状況に限定してスポットを当てており、 なおかつ短いテキスト量で割とよくまとめられたという自負があります。この記事を嚆矢として、今後もこの事件に関してはいい記事をかけられたらとも内心考えてます。
上記を踏まえ、そうなると外部的要素なしに一番人気の記事は4位の「漫画レビュー『実は私は』」 ということになってしまいます。6位の「漫画レビュー『シドニアの騎士』」にも言えますが、こういうサブカル関連の記事は検索されやすく地味にアクセスが稼ぎやすいです。特に「実は私は」に関してはまだマイナーさの残る漫画作品でレビューも少なく、このタイトルで検索かけるとレビュー記事として一番上に自分の記事が出た時は本気で焦りました。
このほか際立っているタイトルとしては、やはり7位の「奈良ドリームランドを偲ぶ」でしょう。この記事自体は割と自己満足というかこんなん書いたってそんな反応はないだろうと思っていたら意外や意外にコンスタントに閲覧数が現在に至るまで伸び続けており、地味にこのブログのキラーコンテンツとなり得ました。うちの親戚を始めドリームランドを懐かしい世代が大量にいたのだなと再認識させられるとともに、ある意味でそういった世代にいい記事を提供できたのかなと割と満足しています。
あと今回この順位を見て思ったのは、ブログ開設当初にアクセスゲッターだった「猛将列伝 ~宮崎繁三郎~」の記事を始め、歴史系記事がだいぶ落ちてきたなという感があります。歴史記事は社会ものと比べて時期に関係なくアクセスが来るのでブログ開設当初は意識的に多く書いておりましたが、最近だと自分でも自覚するくらい書く機会も減っており、それらが影響しているのかもしれません。
最後に全体の特徴として述べると、本当に同じ一人の人間が書いているとは思えないほど記事内容がばらけている、と我ながら思います。漫画のレビューを書いているかと思ったらウクライナ情勢とか中国事情、スピリチュアル体験なども書いてあり、その一方で房総半島に自転車乗った話とか日本人の家族関係に関する考察も書いてあって、見る人が見たら複数人で書いているブログではと思うのが自然な気がします。もっとも私の文章は特徴がはっきりしているから途中でやはり一人が書いているとしか思えなくなるでしょうが。
最後にこの中で自身が気に入っている記事をいくつかピックアップしておきます。ほかのはともかく最後のは書いた時期が新しいのと、記憶が鮮明というか生々しいことが影響してます。
・地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡
・上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る
・楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)
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