上の写真はこの前ネットで拾ってきた写真ですが、遠距離撮影の静止画ながら妙に躍動感がある画像で気に入っています。それにしてもなにしやがるんだこのツバメは……。
写真に合わせて、というわけでもないですが最近スポーツネタを書いてないので、今日は前から準備していたプロ野球関連のネタについて書きます。そのネタというのも、私個人の中で記憶に残っている優勝チームです。
プロ野球は言うまでもなく毎年ペナントレースが行われセパ両リーグで二つの優勝チームが出ます。毎年出てくる優勝チームですが何年かに一度は際立ったというか記憶に深く残るチームがあり、今日は私の目線で「あのチームはほんと強かった」と思えるチームをいくつかピックアップしてみようと思います。なお年齢の関係から、90年代以降のピックアップとなってしまう事にはご承知を。
今でこそAクラスからはほど遠いチーム事情が続くベイスターズですが、90年代後半は間違いなく競合の一角でほぼ毎年優勝争いの候補として名前が挙がるほどの実力を擁しておりました。その高い実力の原動力たるや括弧書きに書いた「マシンガン打線」と呼ばれた打撃陣で、ホームラン数こそ少なかったもののバッター全員が異常なまでにヒットを量産していただけでなく、一人が塁が出るや後続も次々と続くなど数得点を一度にもぎ取る非常に稀有な打線でありました。
その中でも特に目立っていたのは4番を担ったロバート・ローズ選手です。優勝したシーズンの打率が「.325」という高い数字だったこと以上に、ランナーがいる状態であればほぼ確実に長打を放ってくるという恐ろしいまでの勝負強さが際立っており、満塁時であれば五割くらいの確率でヒットを打っていたようにすら思えます。このほかにもその後に2000本安打も決めた1番の石井琢朗選手、打って、走って、守れての三拍子が見事揃っていた3番の鈴木尚典選手など、素晴らしくタレントの揃っていた打線でした。特に鈴木選手は長打も単打も盗塁も自由自在だったので私がゲームで使っていた際は本当にありがたい選手でした。
このように打線こそチームの代名詞となっておりますがその裏で投手陣も異常なまでに充実しており、現在も横浜で活躍されている三浦選手、楽天にいる斎藤選手、野村選手とエース級の先発投手が揃っていただけでなく、「大魔神」のニックネームで有名なストッパー、佐々木選手が君臨しておりました。後年、中日の岩瀬選手や元阪神の藤川選手、巨人の山口選手など球界を代表するようなストッパーが各チームに現れておりますが、ことストッパーという点においてはこの時の佐々木選手以上の圧倒的な威圧感、迫力、そして安心感を持ったストッパーはいないんじゃないかと思います。それほどまでにこの時の佐々木選手の投球は図抜けており、今も当時のビデオを見る度に「なんやねんこのフォーク……」とため息が出てきます。
2000年代前半にパリーグの各球場で使われていたボールは現在と比べて明らかに「飛ぶ球」で各球団ともに大幅な打高投低な傾向が見られましたが(近鉄の「いてまえ打線」も当てはまる)、ことホークスの打線となると記録上でも異常な数字が並んできます。
優勝こそ逃した2001年は井口選手、小久保選手、松中選手、城島選手の四人が30本以上の本塁打を記録しております。その二年後の2003年、この四人のうち小久保選手は怪我で試合には出られませんでしたが、残りの三人にペドロ・バルデス選手の四人が四人とも100打点以上を記録した上、チーム打率も「.297」という途方もない記録を打ち立てております。注目すべきは打率や打点の高さに隠れて井口選手、村松選手、川崎選手の三人がシーズン盗塁ランキングの上位三位を独占するという機動力も備わっていたという点で、本当に資格のないチームだったように未だに強く記憶に残っています。
この時クリーンナップを担った各選手はその後、松中選手を除いて他のチームへ移籍しておりますが、どのチームでも4番を含めた主軸を担っており、誇張ではなく「4番の実力を持った選手だけでチームを作った」ようなチームだった気がします。また先のベイスターズ同様に2003年優勝時は投手陣も充実というかエースがずらりと並んでおり、和田選手、杉内選手、新垣選手の三人のルーキーが揃って大活躍して優勝に大きく貢献していました。新垣選手だけはその後のシーズンでは持ち崩しておりますが、何とか今後復活を期待したいところです。
仮に歴代で最強と呼べる日本のチームを挙げるとしたら、私はこの2009年のWBC日本代表チームを挙げることにします。各チームから名選手だけを引っ張ってきているのだから多少ずるい気はするものの、チームとしての完成度で言ったらこのチームが一番素晴らしかったと今では思えます。
参加した選手はお馴染みのイチロー選手を筆頭に松坂選手、ダルビッシュ選手、岩隈選手、田中(マー君さん)選手、青木選手、川崎選手などその後にメジャーリーグでも大活躍する超一流選手たちはもとより、内川選手や小松選手などその後も在籍するチームの柱石となる選手も多く、これほどはずれのない人選はそうないんじゃないかと思える陣容です。
実際の試合では予選リーグで大活躍した村田選手が怪我で本戦に出られなかったり、ストッパーとして期待された藤川選手が不調でダルビッシュ選手が代わりにストッパーを務めるなど多少のトラブルはあったものの、実際の試合では各選手が文字通り奮戦し、見事優勝にまでこぎつけました。特にイチロー選手に至っては予選から本戦までずっと不調であったものの、最後の大一番である決勝戦の韓国戦では決勝打を放つなど事実上、試合を決めるキーパーソンとなっており、あれだけの不調にもかかわらず使い続けた原監督の采配には頭が下がります。
なおこの時のWBC大会では投手MVPは松坂選手に挙がりましたが、一番私の印象に残ったのはほかでもなく岩隈投手でした。数試合の登板を見ましたが大舞台でも一切動じず安定した投球を見せ、やはりその実力は抜きんで板という印象を覚えます。松坂選手自身も「真のMVPは岩隈選手」と話していたらしく、その後のメジャーでの活躍を見ても現時点でのナンバーワン日本人投手はやっぱこの人ではと思えてきます。
最後に蛇足ですが、「マー君さん」こと田中選手はこの時にWBC代表として偉大な先輩たちと共に世界のチームと戦ったというのはその後のキャリアにおいて素晴らしい経験になったのではないかと素人ながら思ってます。また優勝時、藤川選手に「お前、まさひろっていうよりまさおって顔だよな」って言われ、「まさお」と連呼されながらみんなから蹴られたというのも、今思うといい経験だったんじゃないかなとか思ったりします。