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2015年3月3日火曜日

日本人の同化圧力

 本当は今日はやけに眠いので(この前の日曜は10時間寝ていた)ブログは休もうとも考えていましたが、ちょっとネタ拾ったので頑張って一本記事書くことにします。

川崎市中1生殺害 リーダー格「少年Bに『お前もやれ』と指示」(FNN)

 上記のリンク先は今話題の川崎での少年殺人事件のニュースです。この件に関してはほかの人がいちいち話題にしているので私の方から何か言いたいことは特にありませんが、一つだけ言及するとこの手の事件にしては珍しく被害者が通っていた学校の教師らは批判されず、むしろその親と犯人の親がよく槍玉に挙がっているなという印象を覚えます。大津のいじめ自殺事件とはこの辺りが大違いだなと思うのと同時に、神奈川県警関連のニュースでやや怪しい、はっきり言ってしまえば誤報と思われるリークが出ているのが気になります。

 そんな事件の感想は置いといて今日書きたい話題に移ると、上記のリンク先見出しによるとリーダー格の犯人は一緒にいた子分こと別の犯人に対し、被害者を暴行するよう指示したそうです。こうした行為は言ってしまえばよくあることなのですが、社会学で言うとこの行為は「同化」といって、複数の人間で同じ行動を取る、または同じ経験を共有することで結びつきを強めるという一種のコミュニケーション方法だと考えます。暴行みたいに極端なものでなくても、一緒にスポーツしたりゲームしたりも同化の一種に入りますが、学術的に研究価値があるのはやっぱり極端な同化行為です。

 今回のこの事件でリーダー格が子分に暴行を指示したのは色々思惑があるでしょうが、やはり同じ暴行という行為を行わせることで責任の連帯なりを無意識にでも意図したんじゃないかと思います。ちなみにこの暴行による同化行為ですが一番よく行われるのはやっぱりマフィア内部ですが、学校内でのいじめもこの類に入るとすれば広く盛んにおこなわれていると言ってもいいでしょう。
 特に日本の場合は明らかにいじめ行為が多いのですが、視点を広げると一般社会上でもこの同化によるコミュニケーションが多く、というより下手したら同化以外のコミュニケーションがないのではと思うくらい日本人はこれを重視しているように見えます。一例をあげると外国人と話す際に日本人はお互いの国で知られている有名人を言い合うなど共通点を捜しはじめますが、自分やほかの外国人同士だと割と現地の生活習慣とか風習など異なる点を紹介し合います。

 眠いので言いたいことをもう話すと基本的に日本人はコミュニケーションにおいて共通点、共有体験を非常に重要視する一方、思想や経験の異なる相手に対するコミュニケーションというか付き合い方が非常に下手、というよりも知らないようもに見えます。なもんだから新入りとかに対してはやたらと共有体験を創ろうと同化を迫り、その圧力はかなり異常なんじゃないかなぁと前から思ってます。
 特に共有体験において私の目からすると何かしら苦痛を伴うものを強要するパターンが多い気がします。以前にも「目下に苦痛を強いる日本人、といじめの構造」で少し書いていますが、目上の人間が目下の人間に苦痛を伴う共有体験(一気飲みやハードワーク)を強いさせ、立場というか上下関係を相手に認識させようとしているのではと、さっきのニュースの見出しを一目見てピンときました。マフィアなんて明確にそういう目的で集団での暴行に参加させてるんだろうけど。

 最後に学生時代にある授業で一緒に受けていた学生が、「こんだけ書店にコミュニケーションに関する本が並んでいる事実一つとっても、日本人ってコミュニケーションが極端に下手な民族なんだと思う」という一言が今でも頭に残っています。実際中国にいてもコミュニケーションがうまくいかないとかで悩む人は全くと言っていいほど見ないし、こういう事実に日本人はもっと自覚したらどうかなと眠いと思いながら感じます。

2015年3月2日月曜日

フリーフォール

 昨夜、何故か右足の裏の土踏まずのあたりが突然痛みだし、夜中にもかかわらず起きて軽く指圧しました。前夜に「エリーのアトリエ」というゲームをやり過ぎたせいなのかと疑いつつまた布団に入ったもののこの時からなんか不吉な予感がしており、今日はいつも通りのハッピーデーだと自分に言い聞かせながら出社したものの、やっぱ良い予感は当たらなくても不吉な予感って当たるもんですね。

 ちょうど春節が空けてから私の仕事は忙しさを増してきたというかあれこれ気を配らないといけない内容が増えているにもかかわらず、外注の製品で不良が出たり、何故か東京の方から「これ英語に翻訳して返事しといて」とか投げられたりしてます。そんな忙しい中で今日やろうと思っていたことは避難訓練で、次回の下請け同士の部会での活動報告に載せようと前から準備していました。
 避難訓練と一言で言ってもたくさんありますが、今回私がやろうとしたのはロープを使った高層からの脱出訓練で、要するにロープ使って高い所から降りるという訓練です。なんでこんなのやろうとしたのかというとこの前中国の消防署職員が工場団地に来て防災の講義をした際、同僚がその時に売られた避難用ロープを購入したのでいい機会だからやってみたいと無鉄砲に考えたからです。

 その同僚が買った避難用ロープはもちろんメイドインチャイナで、腰に巻くベルトのほか金具が両端についていて、あと真ん中にスライダー付き金具が取り付けられています。使い方としては端にある金具を柱や手摺に固定し、ベルトを腰に身に着けそのベルトにスライダー付き金具をつけ飛び降りると言ったところです。スライダーにはクランクがついており、きつく締めることでロープが滑らないようになり固定できるようになっています。
 問題があったのはやっぱ、このスライダーだったんでしょうね。あんまりきつく締めすぎると今度は全くロープが流れず降りられないのではないかと思って加減しましたが、緩め過ぎたのでしょう私の場合は。

 同僚らが「危ないって」とガチで止める中、「大丈夫だって」と言いながら階段の手すりに金具を固定し、ロープを握って工場の二階の窓から飛び降りてみましたが、飛び降りるというよりはしがみついていた窓の桟から手を放す形で見事なまでのフリーフォールとなりました。空中で制止するどころか手を放した瞬間に一気にズザザーってロープが流れだし、慌てて軍手つけた両手でロープを握りましたがえらい勢いで落ちるもんだから握った手が摩擦ですぐ熱くなり、全力ではとてもじゃありませんが握れませんでした。この時落ちながら思い浮かべた言葉は、「(; ゚Д゚)<話し違うじゃん!」でした。
 幸い、降下地点が花壇にも使えそうな位に軟らかい地面だったこともあり、臀部、背中、後頭部の三点着地を決めてどこも怪我なくSWATも真っ青なくらいの速度で降下をしてのけてやりました。マジな話、スライダーをロープが通っていたから落下速度は抑えられなかったもののまだ空中で姿勢を制御で来て狙った地面に落ちることが出来たのは本気で良かった。そのすぐ手前はコンクリだったし。

 落下した高さは目測で約7m位でしたが、我ながらよくもまぁあんな所からピョンと飛び降りたもんだと後で外から窓の位置を見てたら笑いがこみあげてきました。あとはめてた軍手は手の平にゴムの吸盤がついてましたが摩擦で吸盤の一部は溶けてて、私も左手人差し指第二関節のあたりに火傷の痕でしょうけど水膨れになってたのですが、正直に言って着地時にぶつけた後頭部より左手のがヒリヒリして痛かった(´;ω;`)

 避難訓練というよりは飛び降り自殺の練習みたいな感じとなった今回の試みですが、先ほどにも述べた通りに部会での発表にしようと考えており、同僚にカメラ持たせて、「落ちるところを撮っておいてね」頼んでおりました。同僚に確認すると一応撮影してくれていましたが、1枚目は情けない形で窓の桟にしがみつく自分が写っており、二枚目は完全に落下してたため自分の姿が見切れてしまっており、この二枚を連続してみるとかなり笑えます。
 教訓としては素人だとロープでは絶対に高い所から降りられないという事が今回よくわかりました。避難用の防災用品は多少高くても、縄梯子辺りにしないと意味がないということを皆さんも理解してくれれば幸いです。それにしても、自分ってやっぱタフだけど馬鹿だなぁ……。

2015年3月1日日曜日

また毎日新聞のシチズン撤退に関する腹立つ記事

 先月初めに秋葉原通り魔事件について書いた毎日記者の記事が読んでて非常にムカつくと書きましたが、また今日も毎日の記事で読むからに腹が立つ記事があったのでここで取り上げます。

<中国撤退>日本企業に「進出時以上の労力」(毎日新聞)

 上記の記事は中国から日系企業が撤退する際に従業員の補償などで様々なトラブルが起こるなど多大な苦労が強いられるということを報じる記事です。記事の趣旨自体は真っ当で特に言うこともないのですが、先に一つだけ苦言を呈すと別にこれは中国に限った話じゃないのにさも中国のカントリーリスクみたいに書くのはどうかという気がします。
 そういうことは置いといて私がこの記事のどこに怒りを覚えるのかというと、シチズンの広州工場こと「西鉄城精密(広州)有限公司」の清算に関して触れたところで、そのまま該当箇所を下記に抜き出します。

<引用開始>
 中国・広州にあるシチズンホールディングスの現地子会社が2月5日、翌日の会社解散と従業員の全員解雇を通告し、約1000人の従業員が抗議する騒ぎが起きた。1997年から腕時計の部品などを製造してきたが、国際的な事業再編の一環で閉鎖を決めた。

 中国では通常の解雇は1カ月前の通知が義務付けられているが、会社解散の場合は通知義務がない。同社は「地元当局と協議したうえでの措置で、手続きに違法性はない」としているが、中国国内では「法的に問題なくても従業員に重要な情報を隠していた」(新華社通信)などと批判的な報道が相次いだ。シチズンは最終的に、解雇時に支払う補償金を上積みして、事態を収束させた。
<引用終了>

 このニュースについては私も既に過去記事にて取り上げていますが、工場閉鎖のわずか1日前に全従業員に対して突然解雇を通知するなど、はっきり言えば常識外の処理を進めてシチズンは無理矢理閉鎖しています。詳細は過去記事を見てもらいたいのですが、何故このような行為をシチズンほども大きな会社が平然と行ったのか理解に苦しみます。

 そんなシチズンの電撃的解雇について上記の毎日の記事では、あくまで私の主観では「法律上は問題ないのに中国メディアは不当にシチズンを批判するので、やむなく補償金を上積みして解決した」かのようなニュアンスで書かれているように見えます。実際に中国の労働法を細かくは見ていませんが解散時には解雇通知義務がないとはいっても、何も閉鎖1日前まで黙っている必要が本当にあったのかとなると非常に疑問です。それこそ夜逃げ当然に会社が倒産したりするならまだ理解できますがシチズンほど大きな会社で、手持ち資金とかもまだいくらかある規模の会社がこういうことをしていいのかといえばそりゃおかしいに決まっています。

 更に言えば会社解散であれば解雇通知義務はないという主張ですが、本当にそうなのかとこれも疑問です。広州市政府と何らかのネゴがあったことは間違いないので市政府は何も言って気はしませんでしょうが、だからといって違法ではないかとなると中国なだけにまた別問題です。またこれまで私がこの問題で見てきた記事ではこのシチズンの解雇方をどこも適法とは話しておらず、さっき適当に検索かけてみたレコードチャイナの記事でも労働専門家の意見として、「当局の法解釈は誤っている。従業員の重大な利益に関わる事項に関しては労働組合または従業員の代表と協議しなければならず、20人以上の従業員削減を行う場合は1カ月前に全員に通知しなければならないはずだ」という指摘を引用しています。というより、誰がどう考えたってこれが適法と考えるバカはいないでしょう。

 あと補償金を上積みしたと書かれてありますが、私が調べた限りだと通常の解雇時には一ヶ月分の給与を支払う義務があるのですが、シチズンはこれに加え解雇に同意する従業員に対しては勤続年数に応じた上積み金を出すと当初から報じられていました。これは逆に言えば、解雇のやり方が違法だと応じない従業員には余計な金は支払わないと暗に脅すようなやり方だったのではと、私には思えます。少なくとも、美談っぽく書く内容ではありません。

 一応シチズンも先月24日にこの件でプレスリリースを出していますが、私から見ればよくもまぁ白々しい言い分をと読んでて呆れてきます。正直、この一件に関しては中国人に「日本人は汚い奴らだ」と言われてもしょうがない気すらします。仮に外資企業が日本でこう言うことやったら絶対日本のメディアも黙っていないと思うのですが、少なくとも毎日からすれば全く問題ないようです。シチズンともども日本からいなくなってくれればと、この一件に関しては思います。

2015年2月28日土曜日

千葉のマッドシティ~わらそう(模型店)

 かつてあだ名が「ビンラディン」だった中東系な顔立ちの親父にこの連載どうよと聞いてみたところ、「そんなに松戸が好きだとは知らなかった」とやや返事に困る回答が来ました。好きか嫌いかっつったらそこまで好きではなく、ただそこそこ書ける思い出話が多いというのが本音です。なお一番思い入れがある街はどこかとなると変な話だけどやっぱ田辺かなぁ、わかる人だけわかってください……。
 そういうわけで再び始まるこのマッドシティシリーズ。今日は恐らく私だけでなく、少年時代に松戸近くで住んでいた人なら確実に覚えているであろう一つの模型店を紹介します。その模型店というのも、「わらそう」というお店です。

 わらそうは松戸駅から歩いてすぐ行けるほど近い距離にあった模型屋です。今でも「松戸 わらそう」とネットで検索を多くの人間がその存在を懐かしむページが引っかかるほどですが、実際にその在りし日を見ていた私からしても非常に思い入れがあるお店でした。私自身は松戸市に隣接した自治体で育っておりますが、子供の頃からプラモデルを買いに行くとなると家の近くにある模型店も使う一方、友達と一緒にわざわざ電車を乗り継いだり、自転車漕いだりしてまでもこのわらそうへ訪れていました。

 一体何故それほどまでにこのわらそうは多くの少年(+おっさん)に親しまれたのか。理由はいくつかあるでしょうがその中でも特に大きなものとして私が挙げるとすれば、その広大な店舗面積とそれに付随する圧倒的な品揃えの良さでしょう。わらそうの店舗はちょっとしたファミレスくらいに広くて模型店にありがちな狭い店舗内に模型の箱をぎっしり積み重ねるといったことはせず、整然と商品を並べて通路も大きく取り、この一点だけでも他の模型店とは一線を画しておりました。
 またそれだけ広いこともあって軍艦や自動車といった定番プラモはもちろんのこと、ガンプラからミニ四駆といった子供向け、そして大人向けの鉄道模型まで幅広く、多彩なジャンルの模型を一つのお店で揃えていました。そのため親子連れが来ても子供はミニ四駆、父親は鉄道模型などを互いにじっくり見られるので、実際に私とビンラディンだった親父もよく連れ立って一緒に訪れていました。

 私がこのわらそうで主に購入していたのはご多分に漏れずガンプラがメインでしたが、大体小学校中学年くらいから歴史に興味を持ち始め、その頃辺りからは城郭のプラモに興味を持って実際に買って作ったもので確実に覚えているのは和歌山城、松山城、安土城、姫路城といったところです。なおミニ四駆は一応私の頃も流行りましたがどうにもはまることが出来ず、一台だけ作ってそれこっきりでした。
 そのほかわらそうで購入したもので覚えているのは、名前はさすがに失念しましたが一隻だけタミヤの駆逐艦も小学生時代に作っています。ただ当時はミリタリーにははまっておらず、またその駆逐艦を作るのにも難儀して「その次も」というチャレンジ心も起こらなかったので折角の機会をふいにしてしまいました。もうちょっといろんなのを作って学んでおけばよかったものを。

 その後、私が中学生になるとこのわらそうに行く機会、というより模型を作る機会がすっかりなくなってしまいました。大きな理由はありませんが周りでも作っている人間は減りましたし、自然と離れていったような感じです。その後大学生になって京都行って、長期休みの時に何気なく自転車で走っていたら、「あれ、ないじゃん?」と気が付き、その時になってわらそうが閉店したことを知りました。もしかしたら大学生じゃなく高校生の頃だった可能性もありますが、ちょっと記憶が曖昧です。
 なおビンラディンだった親父に「わらそう潰れたで」と報告したら「ほんまか!?」とえらくびっくりした反応されただけに、親父も相当思い入れがあったんだと思います。

 このわらそうの閉店後、この店が松戸近郊の少年たちの間で絶大な支持を得ていたことに気が付いたのはひょうなことがきっかけでした。私の知恵袋的な友人はこの松戸市の出身で私の家とも近いことからお互いに成人後、なにやら地元トークで盛り上がり、その際にこのわらそうも上がってきました。

花園「わらそうって店、覚えてる?」
友人「覚えてるも何も、俺の兄貴がそこでバイトしてた」

 やはり同郷で同年代ということもあり、この友人もわらそうを何度も利用していたそうで、また上述のように親類がアルバイトしてたとのことでこの店のことを強く覚えていました。今回この記事を書くに当たって何か覚えてることあると聞いたところ、「道路に面したショーウィンドウの中にある等身大ヨーダがやけにリアルできもかった」と返してくれてそれを聞いて私も、「ヨーダとかいたよなぁ。めっさ懐かしいわぁ」とちょっと盛り上がりました。なお、確かそのショーウィンドウの中にはC3-POなどほかのスターウォーズのキャラも等身大で入ってました。

 最後に模型の話をもう少しすると、中学高校大学時代は一切作らなかったくせに何故か社会人になってからまた興味を持ち出して、ランエボを始めとするスポーツカーの製作に一時期はまっていました。やはり改めて模型を作ってみると自動車の構造について理解が深まり、また指先の動きが脳の活動と完全に一致するといえるような、集中力を伴う模型の製作作業は久々にやると非常に新鮮な感覚をもたらしてくれました。いっぱい作る必要はありませんが、たまに作る分にはすごくいい気分転換になるのでまだ少年の心を失っていない男性の方には実はお勧めです。

かつて「わらそう」のあった土地は現在駐車場に

どうでもいいけどこの辺り駐車場が多過ぎ

横にある「カプリチョーザ」は昔も今も現役です

<追記>

 コロナの影響か、2020年10月12日をもって上の写真のカプリチョーザが閉店したとのことです。松戸仲間の友人がどうやって見つけたのか知らないけど、上記ニュースを教えてくれました。
 なおカプリチョーザに私はリアル髀肉の嘆状態だった2013年に1回だけケーキセット食べに寄ったことがあります。近くに通っている他の喫茶店があったためその後カプリチョーザに行くことはありませんでしたが、雰囲気や味は悪くなかったことをよく覚えています。


<2023年8月1日追記>

 先ほど松戸のソウルメイトから、わらそう跡地にマンションができると向こうから知らせてきました。これでわらそう跡地で再興する夢も絶たれたということになり、寂しさもひとしおです。「わらそう跡地」みたいな石碑でも立ててくれないかなぁ( ;∀;)

2015年2月24日火曜日

臨死体験で見えるトンネルに対する意見

 昨夜はどうしてもお好み焼きが食べたくなって味千ラーメンに行ってきました。以前に訪れた際に新商品として「麻辣大阪風煎餅」という名前で売り出していたのを知っていたので早速頼んでみたのですが、麻辣と書いてあるだけあって唐辛子の風味というか香りが感じられました。ただ味はそこまで辛くなくそこそこおいしかったので、また今度行ってみたら食べようかなと感じさせる出来でした。
 そういうわけで本題に入りますが、なんかまたスピリチュアルな記事が続きますが先日友人に下記の本をプッシュされました。友人曰く、NHKがこんなオカルトネタを取り扱ったこと自体がなかなか面白いとのことです。


 この本はNHKが特番向けに取材した内容がまとめられ筆者というかプロデューサー曰く、通常の超常現象番組は始めから肯定的であるか、また否定的であるかという立場を鮮明にしていることが多いが自分たちは現代の科学でどこまで超能力を分析できているか、そしてどの点が未だに分析できていないかを明らかにするというアプローチをしていて他の番組とは異なっているとアピールしてます。もっとも、読んだ感じだと必ずしもそういうわけじゃないのでは、ほかの番組でも似たようなアプローチしているのもあるようなという気がややしました。
 先に本の感想を述べると前半は心霊現象を取り扱っていて取材班も実験に参加するなどしてそこそこ面白く感じられましたが、後半の超能力の下りは読んでて研究している科学者の意見をそのまま右から左に書いていることが多く、正直に言って読んでて退屈しました。前半は取材に参加したメンバーの生の意見も数多くあったのに後半はそういうのが全くなく、多分書いてて飽きちゃったんじゃないかな。

 そうした感想はここまでにして今日の本題ですが、この本の中では臨死体験についても触れられています。

臨死体験(Wikipedia)

 上記のウィキペディアのページがやけに充実していてかなりびっくりなのですが、臨死体験と言ってそれが何かわからない人はそんなにいないと思います。よく三途の川が見えたり幽体離脱をしたりなどと様々なバリエーションがあって、体験談などは確かに読んでて楽しいです。なおどうでもいいことですが「三途の川」は英語にすると「Son’s river(子供たちの河)」となるのかな、賽の河原と関係あるのかななどと昔に一瞬だけ考えました。

 この臨死体験でよく出てくるキーワードに、「光のトンネル」というものがあります。さっきのNHKの本にも出てくるのですが、臨死体験者が意識を失った辺りから暗いトンネルを歩いていて、トンネルの出口方向に光が見えるからそっちへ向かって歩いて行ったというところまでは多くの人間で共通しており、出口に出たところで意識が戻った、または三途の川が出てきた、もしくは既に死んだ知人や親類が待っていたという話へ分岐していきます。
 結論から述べるとこの臨死体験で見えるトンネルは幻覚の一種で、脳が見せる生理的な映像に過ぎないと私は考えています。なんでそう言い切るのかというと、ぶっちゃけ私も似たようなのを見ているからです。

 知ってる人には有名ですが私は過去に二回ほど癲癇の発作で気絶したことがあります。初めて気絶するまでは「人間が急に倒れるなんてことが本当にあるのかよ?」と思ってましたが実際に倒れてみて、「ほんまやったんや……」と自分の認識を改めました。なお気絶してから飲み始めた薬の影響からかここ数年は吐き気を催させる癲癇による発作すらなくなっていますが、自分の飲んでいたのは軽症向けの精神安定剤だったため薬局へ買いに行く際はいつも「うつ病か何かですか?」と聞かれてましたが、うつ病に見えるのかな自分の見た目は?

 話しは戻しますが気絶した際の話を書くと、当日は癲癇による発作(当時はまだそれが癲癇だとはわかっていなかった)で強い吐き気を催していて、「気持ち悪いし早退しようかなぁ」とか思っていた所で記憶が途切れています。次に目が覚めたというか意識があったのはストレッチャーで運ばれている最中で、近くにいた人によるとなんか必死に酸素マスクを外そうとしていたそうです。
 この時の感覚はよく覚えており、酸素マスクから供給される空気がとにもかくにも濃い空気に思えて普通の空気を吸いたいと考えて外そうとしていました。ただ視界は全く見えず、というか光が一面に広がっている真っ白な状態で自分の姿はおろか周囲すらも識別できず、かろうじてローラーの回る音、自分が何かに載せられているという触感があったことからストレッチャーで運ばれているということは理解できました。

 この時の視界が肝ですが本当に光一面真っ白で、Zガンダム風に言うならリアルに「光が……広がっていく」と言いたくなる状態です。しかしストレッチャーが建物外に出たところでまた意識が途切れるのですがこの時の視界というのがまさに臨死体験のトンネル同様、視界の周囲から徐々に黒い影が広がっていき白い光が真ん中の方に徐々に収縮されていくような見え方で、当時はそうとは思いませんでしたが見方によればトンネルのようにも見えない気もしません。
 恐らくこの時私に起こっていたのは、上記のウィキペディアのページ内でも解説されている酸素の欠乏か脳への血流異常による視野狭窄現象だったと思います。まぁあのページ内にはストレートに側頭葉癲癇説も書かれてますが。

 少なくとも私の体験した視野狭窄はレンズで光を絞るかのように周辺が真っ黒くなっていき中心に光が収束するようなもので、意識が混濁した状態であればトンネルに見えたり、まさに自分がそのトンネルを歩いているような感覚を覚えるのではないかと思います。なもんだから臨死体験に出てくるトンネルは幻覚の一種で心霊的な要素はあんま持っていないんじゃないかというのが私の持論です。もちろん絶対的にこれが正しいというわけつもりはないですし、もしかしたら本当に青函トンネルとかユーロトンネルが出てくる臨死体験もあるかもしれませんが、トンネルを見たという臨死体験者の大半は実はただの幻覚だったのじゃないかと言いたいわけです。

 もう一つ臨死体験者に起こりうる話で内心眉唾だと考えているものに、臨死体験後の心境の変化です。臨死体験者はその体験後に世界の見方が変わった、以前以上に生きていることを幸福を感じられるようになったと大半の人間が証言していますが、そんなの私に言わせれば危機一髪な目に遭えば誰だってそう思うよという気がします。登山中で死にかけたりとか大怪我を負ったとか、乗る予定だった飛行機や船が事故に遭ったとか、そういう体験をした人も結構似たようなことを話している気がします。
 ただある意味癲癇キャリアだからこそ言える一つの話として、他の人は知らないけど癲癇の発作が収まった直後というのはそれまでのゲロゲロ状態から打って変わって一時的にとんでもなくハイになります。実際に使ったことはもちろんありませんがドラッグを使った状態ってのは案外こういうものなんじゃないかと思うくらいに体が軽くなり、気分も高揚し、心なしか頭の回転や発想も良くなっていた気がして、すっかり癲癇発作がなくなった今でもたまにあの時の感覚をもう一度感じたいと思うくらい気分がよかったです。もちろん発作がないに越したことはありませんが。

 以上が臨死体験で私が眉唾だと思う症状に対する主な意見ですが、やはり全体を通して大半の臨死体験は脳がみせる幻覚だと思います。そう思う根拠として臨死体験で見られるイメージは文化的な影響が強く、たとえば日本人なんかは「三途の川」を見ることが多いのに対して欧米人はキリストのような光る人間のイメージが多く出てくるそうです。また同じ日本人でも以前は閻魔大王が出てくることもあったそうですが、最近の症例だと閻魔大王はこのところ出演機会が減っているとも聞きます。
 ただ一つだけ私が気になることとして三途の川を見た臨死体験者に聞きたい点があり、三途の川のほとりには「奪衣婆」はいたのかどうかという点です。話しを聞いてる限りだと「なんか知らないババアがいた」と話す人はほぼ皆無に近いのですが、注意してみたら案外いるようにも思えるだけに誰か確かめてくれないかなと密かに期待しています。

2015年2月23日月曜日

千葉のマッドシティ~おかじま電器編

 松戸駅から常磐線で一駅先の北松戸駅、二駅先の馬橋駅の間にある国道6号沿いにはかつて、地元民なら一度は使ったことがあるであろう家電量販店がありました。その名は「おかじま電器」で、途中から「100満ボルト」という名称に変わりました。

100満ボルト|店舗情報

 上記サイト内にある「松戸店」というのがここで話す店舗です。いつ頃に出来たのかはわかりませんが私が物心づいた90年代初頭には既にあり、周囲に同じくらいの規模を持つ家電量販店がそれほど多くなかったために何か購入する際はほぼ確実にここを訪れていました。この店は一階と、半地下一階の二層建てとなっており、一階では主に冷蔵庫やテレビなど大型家電、半地下一階ではパソコンやそのサプライ品などを多く置いてありました。

 なんでこんなどこにでもありそうな家電量販店を取り上げるのかというと、私が小学生だったちょうど20年くらい前、新品のゲームソフトを買うとなるとほぼ確実にここを利用していたという思い出があるからです。実際に買ったソフトで覚えているのだとロックマンの5や6で、うちの姉貴はスーパーファミコンの「かまいたちの夜」を誕生日プレゼントとしてここで買ってました。にしてももうちょっと女の子らしいものを選べよという気もしますが。
 その頃はゲームもよく売れていた時期ということもあって一階の半分くらいのスペースがゲーム売り場に使われており、中古販売もしていて平日はともかく土日ともなれば結構な数の子供や親子連れが訪れていたと記憶しています。今でこそゲームソフトはネットでダウンロード購入も出来ますが、昔はまだ販売店も限られていて中古の安いソフトを捜すとなるといくつもの店舗をはしごして捜さなければならず、そういう意味で「ここなら確実に置いてあるだろう」というこの店舗はなかなかにありがたいお店でした。

 しかし時を経るにつれて近隣の国道沿いには同じような家電量販店がどんどん増えていきました。現時点でもコジマ電機やヤマダ電機が同じ国道沿いに林立して客を奪い合っていますが、それ以上にこの「100満ボルト」にとって大きな存在だったのはわずか数十メートル先に出来た「PC DEPOT」だったと思います。PCデポではもちろんパソコン関連がメインで家電は取り扱っていませんでしたが、チラシなどでは露骨に「100満ボルトさんには負けません」などと書くなど対決姿勢を打ち出され、実際私もパソコン関連となるとPCデポの方に行く機会が多かったです。それでもたまに「100満ボルト」を見ると結構いいパソコンが置いてあって、親父にあげた東芝製ネットブックなどはここで購入しました。

 話は戻りますがそのようにライバル店が増えていったのと、あと折からの家電不況もあって「100満ボルト」を運営するサンキューは2013年9~10月に千葉県内の店舗を一斉に閉店させ、この松戸店もあえなく閉店となりました。ちょうどこのころはまだ日本に帰国中だったのと、松戸の潜伏地へ引っ越す時期と重なったので閉店セールに赴き、シャープ製のピンクの冷蔵庫を最後に購入しました。閉店時は本当に子どもの頃からずっと存在し続けてきた店舗だっただけに一際さびしく、また国道6号沿いを自転車で走る際のあの風景がなくなるということに少なくないショックを受けました。
 その後、店舗跡はしばらく放置されていましたが、私が中国に行ってからなんかテナントが入っていたようですがそれもすぐいなくなり、とうとう建物ごと撤去される運びとなったそうです。その現場を私の友人がわざわざ撮影してきてくれました。



 こうして写真で見ると、本当に何もなくなってしまってという感想が持ち上がってきます。割とこういう店舗の閉店とかには冷淡な態度を取ることが多い私ですが、この旧おかじま電器に関しては子供の頃からの強い思い入れがあっただけについつい思い出に耽ってしまいます。

2015年2月22日日曜日

日本の不動明王信仰について

 中国で最もメジャーな宗教は何かとなると名目上は仏教となりますが、仏教は文化大革命時に寺院が多数壊されたこともあってか日本以上にお坊さんになる人の割合も少なければ庶民の信仰心も薄いのが実態です。一例を出すと現在中国では旧正月の春節であるものの、日本みたいに9割の人間が初詣に行くこともなければ日常でも念仏唱えたり線香を焚く機会も多くありません。
 その一方で宗教というくくりに入れるか議論の余地はまだあるものの、日本での神道に当たるような土着の慣習に近い道教は現在の中国でも強い影響を残しております。ちょっとしたお堂(=廟)などは割とどこ行ってもあるし川沿いには媽祖廟、商売人の家には関帝像がほぼ必ずあり、観光地を歩くとお土産屋には日本での七福神でおなじみな布袋や福禄寿の木造がよくならんであります。それにしても自分もこっち来てから意識するようになりましたが、七福神って元々は道教からだったんですね。

 道教については趣味も兼ねてまた今度ゆっくり解説してもいいのですが、中国で仏教寺院や道教の廟を訪れると上記の七福神のように日本でもみられる仏像や仙人の木造や絵が見られるものの、不動明王の姿だけはどこに行っても見られないことにある日ふと気が付きました。そこから着想を得てちまちまと調べていったところどうもこの不動明王は日本国内限定の神様であることがわかり、その一方で極めて日本らしくないキャラクターであるにもかかわらず深く信仰されていることに違和感を感じたので、今日はちょっと頭使いたいので余計な手加減はなく好きな勝手に書いてくことにします。

不動明王(Wikipedia)

 不動明王とはなにかに関しては上のサイトを見てください。簡単に言うと空海が中国から持ってたのが日本初上陸だったということもあって密教で特に信仰されておりますが、密教に限らずほかの日系仏教宗派でも人気があって木造はもとより絵画などにもよく描かれているポピュラーな神様です。
 この不動明王の姿はどれも筋骨隆々とした姿として描かれ、表情は非常に恐ろしい形相で肩や背中には炎をまとっていることも少なくありません。不動明王がこのような姿で描かれるのは彼が悪鬼や悪霊と対峙する存在であるため、その強い視線で敵対する相手を射抜き、すくませるためだとされています。

 先にも述べた通りに中国では少なくとも「不動明王」と呼ばれる仏教の神は一般には存在せず、仏教の神としては日本で生まれ、発達したかなり珍しい例だと言えます。その起源が何かについてはヒンズー教の三主神の一つである破壊神シヴァではないかという説が主流のようですが、私個人の考えとしてはシヴァは雷神のイメージが強く炎を纏う不動明王とはなんかイメージが異なり、同じヒンズー教の神々に起源を求めるのであればむしろ同じように炎を扱い数々の悪魔と戦うインドラの方が近いのではと素人的に思います。

 起源の話は置いといて本題に入りますが、先にも述べた通りに不動明王は日本オリジナルであるものの日本の神としてはかなり特殊というか日本らしくない特性を持ち強い違和感を感じます。どの点が日本らしくないのかというと「戦闘をメインとする神」、つまり「軍神」や「破壊神」的な性格で、日本は「和を以って貴しとなす」というだけあってあんまりこの手の神様は人気になりません。
 インドなんかはさっきのシヴァを始め好戦的な神様ほど高い人気を持ちますが日本だと軍神で一番人気なのは七福神の一角であると共に四天王の一角でもある「毘沙門天」で、その次に来るものとなるとあとは「摩利支天」くらいしか浮かばず、バリエーションが多くありません。で、実際にはどうか詳しく調査したわけではありませんが、毘沙門天も摩利支天も衣装を見る限りだと中国の要素が強く、日本っぽい要素がほとんど感じられないばかりか日本国内の信仰心もそんなほどではない気がします。

 同じく神道の中でも軍神的な性格を持つ神様はほかの神話や宗教と比べると幾分少ない気がします。神道でこの手の神様として最大級なのはスサノオノミコトで間違いなくこれなんかは申し分ない破壊神ですが、これ以外となると力持ちで有名な建御雷(タケミカヅチ)くらであとはほぼ皆無です。両柱ともにアマテラスや大国主と比べるとそれほど信仰もされておらず、勝手な感想ですが乱暴なキャラクターを持つ神様は日本じゃいまいちメジャーになり切らない風土を感じます。

 このように考えているだけに、どうして不動明王がこれほどまでに日本で人気なのか、また何故日本だけなのか、日本で生まれ育ったのかが非常に気になるわけです。悪魔と戦う神様がほかにいなくて疫病祓い、厄払いのポストにぴったり収まったからとか、そのスマイルなんて一切ゼロなくらい恐ろしい形相が畏怖させる偶像として人気になったからとかいくつか推論は立てられますが、これらだと腹の底にストンと落ちるくらい納得するには不十分です。
 では一体何故なのか。それがわかれば苦労はしませんが、パッと今思いついたのは対峙する相手が不在がちなのが影響したのかなという仮説が出てきました。中国やインドだと仏法を邪魔する悪魔(もしくは竜神など化物)が割と激しく暴れてそれを沈める戦闘神も大活躍するのですが、日本だとこの手に類するのは八岐大蛇くらいで、そもそも戦う相手が少なかったから破壊神が人気でなかったのかもしれません。それに対し不動明王が対峙する相手というのは普通の悪魔ももちろん含まれますが、それ以上に煩悩などといった「修行者の弱い心」がメインであるような気がします。

 よくある不動明王の講話に、悪人からしたら不動明王は恐ろしい神様だが善人には怖い顔をしていても怒っているわけじゃないから安心していい、なんていうのを聞くし、また煩悩など悪い心があるから不動明王が恐ろしく見えるのであってそういう心がなければ恐ろしくはない、なんてのも聞きます。このように不動明王は信仰者の心と対峙するので、ほかの軍神の様に「神様VS悪魔」という構図にならず、日本人の大好きな「自己との対峙」要素を持つもんだから強面の形相ながら高い人気を勝ち取るに至ったのではないかと推理してみます。全部本当に勝手な推論だけど。

 ただ中国やインドになく、ほぼ完全に日本オリジナルの仏教の神といったらこの不動明王が代表格であると私は考えています。それだけにもっとこの不動明王の特性についてあれこれ研究を深めることで日本思想も解きほぐせるのではないかと密かに考えている次第です。