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2015年8月17日月曜日

実録、左遷者列伝~後編

 昨日に引き続き左遷された有名人を片っ端から紹介するこの企画。前置きはいいので早速いってみましょう。

4、南雲忠一(海軍提督)
 戦史マニアなら誰もが知るであろう有名人である南雲忠一とはミッドウェー海戦を指揮した海軍の将軍です。ミッドウェーが惨敗に終わった原因を南雲の指揮時の逡巡にあるとの声はかねてから多く、この敗戦をきっかけに太平洋戦争は攻守が逆転していることもあって批判されることの多い人物です。
 しかし彼の敗戦は有名でも彼の最後はあまり知られていないように思われ、というのも彼は最後サイパン島にて玉砕命令を出して彼自身もそこで戦死しております。彼がサイパン島の指揮官に任命されたのは周囲の人事もありますが、見方によれば勝ち目のない戦いに無理やり放り出されたとも見え、左遷とは意味合いが異なるかもしれませんがここで紹介しておきたかった人物です。
 なおミッドウェー敗戦の原因を彼に求める声は多いものの、彼だけでなく作戦司令部の曖昧な目標決定や戦術指導にも問題があったとされ擁護する声もあります。私自身もあの敗戦の責任がこの人一人に押しつけられているように感じられ、擁護派の一人であります。

5、生方恵一(NHKアナウンサー)
 一定の年齢層にはまだ強く記憶に残っているのではないかと思われますが、この人物がどういう人かというとあの「ミソラ事件」の当事者であったNHKのアナウンサーです。
 ミソラ事件とは1984年の紅白歌合戦で、司会をしていた生方恵一が都はるみ氏の名前を呼ぶ際に間違って「ミソラ……」とばかりに、昭和の大スターである美空ひばりの名前を間違って口にしてしまった事件です、もちろん生放送で。
 年が明けた翌1985年の正月からこのハプニングが他のマスコミから大いに取り上げられはじめ、その最中に生方の東京本社から大阪局への異動人事が行われ、しかもその年にNHKを退職してフリーへと転身したためこの事件の余波を受けてのことだろうと大いに騒がれました。

 ただ実際のところは懲罰的な左遷ではなく、生方の大阪局への移動は紅白前からすでに内示されていた人事で、また呼び間違えられた当事者の都はるみ氏と美空ひばりはともに、「あらあら、間違われちゃったわ」という具合で全然怒ってなかったそうです。もっとも後年の生方はこの事件を自らネタにして使うことがあり、昔にたまたま見たテレビ番組では、

「あの事件が無ければアナウンサーとして天下を取っていた」
「(番組終了が予定されていた)ニュースステーションの久米宏の後釜といったら僕しかいない!」

 などと怪気炎を上げていました。
 なおこの記事を書くに当たって調べ直したら昨年末に亡くなられていたようで、この場を借りてご冥福をお祈りします。

6、二岡智宏(元巨人軍)
 この人は新しい人物なのであまり説明は必要ないでしょうが、生え抜きの巨人軍の中で抜群の成績を残していたことから将来のフロント入りもほぼ確実視されていたものの、2008年に芸能人の山本モナ氏と一緒にホテルから出てくるところを激写されるというスキャンダル事件が起こり、同年中に日本ハムファイターズへトレードで放出されました。
 この事件の何が面白いかってそれ以前からも路上でチューしてる所などをしょっちゅう報道されていた山本モナ氏が謹慎明けからすぐにまたスキャンダルを起こした点で、しかもシーズン中の野球選手であったことから、「なんかわざとやってるのでは」と思ったのは私だけではないと思います。あとこのスキャンダル事件の直後、ネットでは「山本マサと山本モナの違いを教えて(暇人速報)」という掲示板が立ち、「マサ関係ないやん」とツッコみつつ見事な比較が出そろってて大笑いしたのを今でも覚えています。あと、五反田という地名を見る度にこの事件思い出す。


7、うちの親父
 このブログの読者に会うとほぼ確実に話題に上がるうちの親父ですが、枕詞は決まって「名古屋に左遷された」で一貫しています。なんでこんな枕詞を付けたのかというとただ普通に「うちのおとんが」と書いても捻りないなと思って、読者に印象づかせるためにも読んでてドキッとするような枕詞がいるだろうと思って適当につけたら何故だか自分の想定以上に人気な代名詞になりました。ちなみに本人もこのブログ見てて、「読んでて胸が痛む」と言ってます。
 そんな親父は現役バリバリ(これも死語だな)の頃、東京本社から名古屋支社への転勤を言い渡されます。転勤当初は慣れない単身赴任生活もあって本当にしんどかったようで、この時期は会う度に、「名古屋人は汚い(#゚Д゚)y-~~イライラ」などと、やたら愛知の人の悪口を口にしてました。ただそんな生活でも数年を経て安定してくると悪口も言わなくなっていったのですが、ある年に仕事でしくじり、今度は広島へさらに左(=西)へ遷されることとなりました。広島に移った後も最初は大変だったそうですがこちらは比較的短い期間で済み、現在はまた名古屋に戻って今も働いております。

 なお最初の名古屋への転勤の際に親父は、「愛知の美人は豊臣秀吉が大阪へ、徳川家康が江戸へそれぞれ根こそぎ持っていったから不細工しか残らなかったのでは」という自説を展開した所、社内の女性社員からセクハラで訴えるぞと脅されたそうです。
 ただ親父の言うことも一理あるというか日本史中でも屈指といえるほど女好きである天下取り2人なだけに、話の種として私もある日この親父の説を当たり障りのない同僚に話したところ、その同僚が愛知出身の同僚(♀)にばらしやがって、「花園君は私にひどいことを言いましたね(*^^)」と、直接詰問される羽目となりました。もうその時は、「すいません、ほんっとにすいません(;゚Д゚)」、とばかりに平身低頭で謝り続けましたが、その後もその同僚にはずっと頭が上がりませんでした。


 以上が主だった左遷された人々ですが、昨日の記事で片倉(焼くとタイプ)さんがコメントしてくれたようにこの「左遷」という言葉の元になった劉邦はその後見事に再起して、中国の皇帝にまでなっています。何が言いたいかっていうと人生万事塞翁が馬っていうことで、左遷されたからってめげずにいれば天下も取れるかもよと言いたかったわけです。
 ついでにかくと地方への左遷を嘆く人がよくネット上にいますが、日本国内なだけいいじゃんと、国境ぶち破って就職転職異動を繰り返している自分は思います。

2015年8月16日日曜日

実録、左遷者列伝~前編

 勤務者、特にサラリーマン男性に対して聞かせて割と好反応が得られやすい私の持ちネタの一つに、「左遷」という言葉の由来があります。この言葉は中国で項羽と劉邦が争っていた時代に成立した言葉で、諸侯が連合して初代統一王朝の秦を打倒した際、主導権を握った項羽は功績のあった武将に領土の分配を行いました。この際に項羽の軍師の范増は劉邦の野心と求心力を警戒し、本来なら首都咸陽(現在の長安)に一番乗りした劉邦には咸陽周辺の領土を与える約束でしたが、下手に反抗できないよう彼を僻地へと送り込むべきだと進言します。最終的には咸陽からさらに西にある、当時としてはかなりの僻地である漢中に封じるのですがこの際に范増が項羽に言った言葉というのが、「劉邦は左(=西)に遷(うつ)すべし」で、転じて僻地へと追いやることを「左遷」と言い表すようになりました。

 こうして成立した左遷ですが、歴史を顧みるとなかなか持って様々な人間が権力争いやら自らの不始末などによって左遷されており、その過程もなかなかドラマチックだったりします。そこで今日は日本で左遷された人物の中でも有名な人物をいくつか紹介kしようと思います。

1、菅原道真
 最早説明不要。日本において左遷といったらまずこの人、「ミスター左遷」と呼んでもいいくらい有名でみんなにとってもお馴染みなのがこの菅原道真です。なんせ彼は左遷されたという事実が日本史の教科書に載せられている上、小中高の授業でほぼ必ず教えられるほど左遷人事がPRされており、その結果というか福岡県の「大宰府市」という地域名を見るにつけ私の中では即「左遷」という言葉が浮かんでくるほど刷り込まれています。多分これは私以外でも同じなんじゃないかな。
 それにしても天神様に対してこういう内容を平気で書く当たり、私の怖いもの知らずもいい所です。もし雷に当たって死ぬことがあれば確実にこの記事が原因でしょうが、天神様の雷波って中国にも届くのかな?

2、森林太郎(通称、モリリン)
 この人物は明治時代に東大を史上最年少で卒業(現在においても)した上に当時としては非常に珍しかったドイツへの留学に派遣され、帰国してからは軍医の幹部として辣腕を振るうという日本史上でも屈指のエリートでした。ただ彼自身の著作においても若い頃から周囲といくらか軋轢があったと思われる節がありますが、1899年に東京から福岡県の小倉市へ左遷人事を受けています。
 わかる人にはもうわかっておられるでしょうが森林太郎というのは文豪、森鴎外の実名です。ただ彼の場合は小倉に左遷されてから三年後に軍医トップの地位に昇進して東京へと舞い戻りましたが、小倉時代を経てからは性格も以前と比べ大分丸くなり、執筆する小説の性格も大きく変わったと言われているだけに本人にとっても大きな転機だったのではないかと思われます。

3、指原莉乃
 AKB48の指原氏といったら既にみんなにとってもお馴染みの人物で、デビュー当初は人気も低く鼻でゴム手袋を膨らまして割るなど地味な活動が続きましたがその後、人気は次第に上昇していき、AKB総選挙でトップを取るなど下剋上を果たしたことでも有名です。そんな彼女ですが2012年、総選挙で当時としては過去最高の4位に輝いた直後に週刊誌発のスキャンダルが明るみとなり、プロデューサーの秋元康氏からAKB48からHKT48にグループ移籍を言い渡されます。ってか、三日天下な当たり書いててなんか明智光秀みたいだ。
 この際に東京から福岡県博多市へと活動拠点が移ることとなったためか、上述の菅原道真と重ね合わされ、ネット上では「指腹左遷」、「太宰権師(だざいのごんのそち)」などと揶揄されることとなりました。現在は活動拠点を再び東京に遷している模様で、最初の下剋上といい、叩いてもなかなか死なない妙なタフさに溢れた人のように思えます。

 以上が今日紹介する三人ですが、見てわかる通りに三人とも左遷地が何故か福岡県に集中しています。確かに福岡県は日本でほぼ西端の土地であり「左に遷す」という意味ではこれ以上ない位置にありますが、左遷された人物の中でもトップクラスに有名な人物三人が揃っているというのもなかなかオツなもんです。天皇の流刑地といったら隠岐の島が有名ですが、多少不謹慎ですが福岡県もなんかこの方面でアピールしてもいいんじゃないかと思えてきました。
 それにしても、菅原道真と森鴎外に指腹氏並べて記事書くなんて恐らく世界で私だけでしょう。なんかこう書くと、指原氏がすごい大物に見えてきた……。

 ってことで、次回は続きとばかりに他に数人の左遷人物を取り上げます。

2015年8月15日土曜日

鎮魂の日

 二次大戦の終戦日は日本では8月15日ですが世界的には9月2日とすることが一般的です。何故異なるのかというと戦争というのは降伏を宣言した瞬間に即終了するのではなく交戦国同士がしっかりと終戦を行うと文書で調印した瞬間に終了するもので、二次大戦の場合は9月2日に米軍艦ミズーリ上で重光葵が調印したことによって完全なる終戦を迎えました。ただこれらは法的な定義によるもので、実際の終戦日を一とするかはやはり各国がそれぞれで決めるべきものであり、日本では8月15日とするのであればそれはそれで間違いありません。

 しかしこの点で本当に考えるべき点は、一体何故日本では世界の潮流に逆らって未だに8月15日を終戦日としているのかです。その理由は大きく分けて二つあると私は考えており、一つは降伏の決断が昭和天皇の玉音放送という象徴的な手段によって伝えられたため印象が一際強く残ったためで、もう一つは日本独特の「お盆」の風習と結びついたためと推測します。

 あまり取り上げられることはありませんが8月15日前後に祖先の霊を祀るという行為は日本独特の風習です。中国では4月の「清明節」という日が日本の「お盆」に当たりお墓参りなどを行うのですが、同じ東アジアの仏教文化圏同士でもこのように日程が大きく異なっている点を考慮すると8月に祖先の霊を祀ることに明確な根拠はなく、これまでの日本の歴史からたまたまこのようなスケジュールに落ち着いて風習化したと思われます。
 この8月に祖先の霊を祀るという風習が先の玉音放送、というより戦争の犠牲者に対する慰霊と結びついたことによって終戦日は8月15日とする意識が日本人の中で強まったのではないかと思え、実際にお盆と合わせて戦争犠牲者に対する慰霊行為やイベントが行われているのが現状です。そのような成立の経緯を踏まえると日本における8月15日の終戦日は心安らかに戦争犠牲者に対し慰霊の祈りを捧げる鎮魂の日であるように思え、またそうであるべきだと私は考えています。

 しかし今年の終戦日はそのような鎮魂の日と言うには程遠く、非常にくだらない議論で実に騒々しく不快なことこの上ありません。過日、安倍首相は終戦70周年に合わせて政府の談話を発表しましたが、この談話内容について産経を除くほぼすべてのメディアは一言一句を細かくあげつらっては中国や韓国に対する配慮に欠けるなどと言って批判する論調を取りました。
 はっきり言って私は終戦についての談話というのでであれば、戦争犠牲者を悼み二度と過ちを起こさないというような文言さえ入っていればそれでもう十分であると思います。確かに国外に向けても発信される以上は侵略を正当化したり、日本は運が悪くて米国に負けただけだというような負け惜しみのような言葉が入っていたらさすがに問題ですが、真に優先して伝えなければならない内容というのは犠牲者に対する悼みであって、外交的配慮ではないでしょう

 ならば侵略した国には何の謝罪も補償もする気がないのかという方もおられるかもしれませんが、それらは何もこの「鎮魂の日」に議論しなければならない話題なのかといえば私はそれは違うと思います。それらは普段の外交において伝えていくなり、内容について議論すべき話題であり、この「鎮魂の日」に当たっての談話であれば戦争犠牲者に対してただ静かに悼むことを何よりも優先すべきでしょう。
 そんな「鎮魂の日」において揚げ足取りかのように言葉の端々をあげつらってしようもない批判を繰り返すという行為は、この日を政治利用して政権批判に使っているとしか見えず、本来静かに祈りを捧げるべき日とは程遠い行為を行う大手マスコミに対して内心強い憤りを私は覚えます。

 そもそも日本は二次大戦で韓国とは交戦しておらず、終戦を記念した談話であれこれケチ付けてくるというのは正直納得がいきません。従軍慰安婦問題だって、この祈りの日にわざわざ議論しなくてはならない話題なはずないでしょう。

 繰り返しとなりますが日本における8月15日は終戦の日であって鎮魂の日でもあり、死者に対し静かに悼みと祈りを捧げるべき日であるべきです。そんな日にかこつけて政権批判を、しかも言いがかりに近い主張で繰り返すなどナンセンスもいい所で、強い言葉で言えばくだらない政権批判を行っているマスコミこそあの戦争の犠牲者を冒涜しているとしか思えません。

 最後に、今年は終戦から70周年だとみんな言いますが、日清戦争終戦から120周年、日露戦争終戦から110周年、普通選挙法成立から90周年、足利尊氏の挙兵から780周年、大坂夏の陣から400周年でもあったりします。何が言いたいのかというと、これらの周年記念はほっといていいのと思いつつ、何周年だからってあれこれ騒ぐのは実はあんまり好きじゃなかったりします。
 もっとも、2012年は菅原道真の大宰府左遷(901年)から1111周年だったことから、一人でテンション上げながら何故か雷に対して念仏唱えていましたが。しかも中国で。

2015年8月14日金曜日

アニメはあくまで子供向け

 昨日書いた「すべてのジャンルはマニアが潰す」という記事に早速このブログのサブカル方面で定評のある読者2人がコメントを書いてくれました。自分としてもこの記事はなかなか面白い言葉を引用できたなと納得する記事だったのでコメントが来てくれてまずは何よりと思ったのですが、片方のコメントに、「最近のアニメはライト層向けに偏っている」との意見があり、元々もっと掘り下げて書いてみたい記事でもあったので今日はちょっと好き勝手書こうかと思います。結論から述べると見出しに掲げた通り、アニメはあくまで子供向けで、マニアックに作ってはならないというのが私の持論です。

 先に昨今の日本のアニメ事情について述べると、やはり全体的に大人向け、言うなればマニアック向けな作品が増えているように私には感じます。なんでこうなっているのかというと一番大きいのは制作費の回収方法が昔と今とで大きく変わっており、昔はアニメ放映と共におもちゃを始めとした子供向けキャラクター関連商品を売ることで制作費を回収しましたが、最近ではアニメそのものを収録したDVDの販売で回収するパターンがほぼすべてとなっており、DVDを販売するということからターゲットとなる視聴者層は購買力のある大人がメインとなり、こうした影響から子供向けから大人向けに作られるようになったと考えています。

 また単純に子供向けアニメの本数が私が子供だった頃と比べても減っています。私が子供だった頃は毎日夕方5時半からかつて放送したアニメの再放送が流れ、また土日はどちらもも6時半から8時の間は3本程度のアニメがほぼ必ず放送されていました。現在だとこの時間帯はバラエティがメインですし。

 こうした子供向けから大人向けアニメが増えている現状について最初に述べたように私は快く思っておらず、やはりアニメはあくまで子供向けに作られるべきで、子供をメインターゲットとしたライト層向けな作品をもっと増やすべきだと思います。理由は昨日の記事でも書いたようにコアユーザーの層が増えすぎるとライトユーザーの拡大が止まり、そしてコアユーザー自身も減っていって最終的にはユーザー総数が減少していく傾向があるからです。
 数学的にこうした現象を分析するなら、コア層とライト層の割合比で一つの壁となる数値があるのだと思います。たとえばこの割合が2:8を保っている間は全体のユーザー層は拡大を続けますが、コア層が徐々に拡大して3:7で拡大が止まり、4:6にまで至ると逆に縮小し始めるというように適頃な数値というのがあるのではというのが私の意見です。

 そうしたことを踏まえて日本のアニメ界の現状はコア層がやっぱり多くなりつつあり、将来コア層を形成するライト層の拡大に今のうちに力を入れてかないとよくないのではないかと勝手に懸念しています。何も大人がアニメを見るなということを言うつもりはさらさらなく、ただベースは子供向けアニメでこっちを中心にというのが私の主張です。

 ちょっと主旨が違うかもしれませんが、どんな作品が質が高いのかを突き詰めるなら私は時代や年齢を問わずに視聴される作品がやはり質が高いと思います。たとえば宇宙戦艦ヤマトなどは子供から大人まで幅広い層に支持されたため今でも人気がありますが、それ以外でも現在において古典的とされるほど支持される作品は子供向けに作られながら大人も巻き込んでおり、いい作品というのは客を選ばないからいい作品である気がします。


 ちなみに上記の動画は私が子供の頃に放映されていた水木しげる氏原作の「悪魔くん」のアニメOPです。懐かしさ補正もありますが、なんか今のアニメとは異なる不思議なパワーを持っているとこのOPを見る度に思うので、このところやたらと繰り返してみながら、「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」なんて呟いてます。
 あとどうでもいいですが昔にデーモン小暮閣下は自身のエッセイ本として「我は求め訴えたり」というタイトルで出版しましたが、悪魔なんだからお前が求め訴えられる側じゃねってこの頃よく腹の中でツッコんでいます。

2015年8月13日木曜日

すべてのジャンルはマニアが潰す

 このブログでよく毎日新聞の記事と記者を馬鹿にすることが多いですが、以下の記事は読んでて非常に面白かったです。取り立てて大きく注目するほどでもない内容のニュースをうまい文章で紹介してあり、非常に読み応えのある記事です。

<弘前市提唱>現存12天守同盟に「待った」 犬山城、壁に(毎日新聞)

 それで話は本題ですが、先日お笑いコンビ「ピース」の又吉氏が執筆した「火花」という小説が芥川賞を受賞し、現在進行形で大いに注目されております。この件について私も記事を書こうかなと思ったのですがそもそも「火花」は読んでないし、この本が芥川賞の候補に入った時点で受賞することは目に見えるほど当然でごく当たり前な出来事のように思えたので無視しました。なお昨夜友人とはこんな会話を交わしています。

「芸能人が受賞したんだから、次は有名声優辺りが書いた小説が受賞すんじゃね( ゚Д゚)」
「じゃね(゚Д゚ )」

 この受賞劇について言いたいことが全くなかったわけではないのですがそうした経緯もあって書かなかったところ、下記の山本一郎氏のコラムを今日読み、まさに私が言いたかったことを全部言ってくれていると思わずうならされる内容でした。

ピース又吉『火花』売れて良かったね

 基本的に考え方としてはまさに上記コラムの通りなのですが、このコラムを読んでてもう一つ気になった点として、今日の見出しに掲げた「すべてのジャンルはマニアが潰す」という一言です。

買収後売り上げが激増 プロレス人気再燃を新日オーナー語る(NEWSポストセブン)

 なんか今日はやたら記事紹介が多いですがそれは置いといて話を進めると、この言葉はトレーディングカードを製造・販売をしている「ブシロード」という会社の木谷高明社長が述べた言葉です。今まで自分は知らなかったのですが木谷社長は新日本プロレスを2012年に買収し、数年で売上げを倍増させるなどプロレス人気を立て直す見事な経営手腕を見せているそうです。
 そんな木谷社長が上記のインタビュー記事の中でプロレス人気が何故衰退していたのかという理由について述べた言葉が、「すべてのジャンルはマニアが潰す」なのですが、この言葉の意味はコアなユーザーはライトユーザーを拒絶し、弾く傾向があり、コアユーザーが増えすぎると逆に人気は衰退していくという内容です。

 この言葉はなかなかもって見事な指摘だと思え、実際に90年代の2D格闘ゲームブームや往年のスキーブームなど、なんとなくあてはまるような事例がポンポンと浮かんできます。政治においてもコアな支持者の囲い込みを続けたことによって日本の社民党は明らかに衰退し、逆にライトな支持層を取り込んで急激に拡大してトニー・ブレアのイギリス労働党は政権を取るなど、この言葉がそのまま当てはまる気がします。
 私自身も本当に市場を拡大するならコアなユーザーを切り捨ててでもライトユーザーの取り込みに従事するべきだと、おぼろげながら考えていましたが、こうもはっきりとした言葉でこの意味を表現する人物がいたとは非常に驚くと共に、やはり業界の最前線にいる人はただ者じゃないと、中国語で言うなら「了不起」と言いたくなる人物です。
ヽ(*゚д゚)ノ<カイバー

天津大爆発事故について

 一体どんな書き出しから書けばいいのか戸惑うくらい、昨夜起こった天津大爆発事故は衝撃的でした。

 既に各種の報道で皆さんも見聞きしておられるかと思いますが、昨夜中国天津市にある浜海新区という経済開発区の倉庫で大爆発が起こり、現在もなお被害の全容がわからないほどの大惨事となっております。今回の事故規模については百聞は一見の如かずというか、現場近くで爆発を撮影した写真や動画が既にメディアやサイトなどで公開されており、その映像の迫力たるや下手なハリウッドの映画を大きく上回ると思えるもので見ていて心底ぞっとさせられます。

 爆発原因については倉庫内に保管されていた化学薬品やガスなどだという推測が出ているもののまだはっきりしませんが、少なくともこれほど大規模な爆発を起こす物質があったことと、それらを引火させてしまう管理体制であったというのは事実でしかありません。今日も同僚らと少しこの事件について話しましたが、恐らくこの地区の防災担当者は今頃監禁させられた上で遠くへ左遷させられるか牢獄に入れられるでしょう。幸いというか、労働教育は数年前に廃止されてますが。
 それとこれは当局への苦言ですが、やはり未だに情報を小出しにするというのはいい加減無理があるでしょう。かつて事故を起こした新幹線を埋めるなどと言う暴挙を中国当局は犯しておりますが、今回の爆発事故については有害な物質が空気中に広がっている可能性もあるだけに、被害情報と共に確かな情報を可能な限り早く発表するべきでしょう。いい加減昔と違うんだし。

 少し個人的な印象を書いていくと、報道では最初の爆発が起こった後にもう一回爆発があった、つまり二回の爆発が起こったと伝えられています。実際に爆発当時を映した動画をみるとその通りなのですが、最初の爆発も確かに随分と大きく夜空が一瞬で明るくなるほどであるものの、二回目の爆発の大きさは一回目を遥かに凌駕しており、空どころか辺り前面が紅く染まった上に周囲の建物や木々が爆風で大きく揺れたりひん曲がったりするのが見受けられます。爆心地には恐らくもう何も残ってないため原因の特定は難しいでしょうが最初の爆発によよって二回目にどんなものが引火したのか、この点が非常に気になります。

 最後に被害状況についてですが、現時点の報道では死者は約50人、負傷者は数百人と報じられていますが、こんな情報ははっきり言って当てになりません。昨年8月に私の地元の昆山で起こった爆発事故も当局の発表では60人強が死亡したことになっていますが、私の横のつながりから得た情報によると実際には110人程度が死亡しており、負傷者はその数倍にも上る大惨事だったそうです。
 今回の天津大爆発は夜間帯だったとはいえその爆発規模は桁違いに大きく、断言してもいいですが死者は100人を確実に越えるでしょうし、負傷者を含めると四桁にも上る可能性があるでしょう。逆を言えば爆発時が夜間だったのはまだ幸いで、仮に昼間であれば死者数が四桁に昇る恐れもあったでしょう。

 それにしてもこれほどの爆発事故、少なくとも自分がこれまで映像で見てきた中ではかつてないほどの大きさです。ちょっと気が早いかもしれませんが悲惨な爆発事故の例として、今回の天津大爆発は歴史に残るんじゃないかなとすら思います。

2015年8月12日水曜日

人民元の切り下げについて

 土日に大雨が降ってからこちらは随分と涼しくなって過ごしやすいのですが、なんか逆に暑さがなくなったことによって気が抜けちゃったのか、このところは家帰ってパワプロで延々とバッティングし続ける日々が続いています。ちなみに打率は5割4分くらいです。
 なわけで今日はブログ休もうかなとも思ってましたがさすがにほっとけないニュースというか、中国が昨日に引き続き今日も人民元の強引な切り下げをやってきたので、いくらか解説文を載せます。

 まず人民元の切り下げとはどういう事か。これは簡単に言えば通貨としての価値を安くするという方法で日本円と比べるなら仮に以前は1元=20円だったとすると、この二日間で3%程度下がったということから「20×0.03=0.6」となるため、現在は1元=19.4円になる計算です。
 こうなるとどうなるかですが、国外に製品を輸出すると以前は20円で売っていたものが19.4円に値下げしても中国側は同じ利益を受け取れるようになるので、輸出競争力が増します。まぁこの辺はほかの解説でも読んで納得してください。

 それで話は人民元に移りますが、そもそも人民元の為替相場はどのように運営しているのか。私がざっとこの二日間で切り下げ関連のニュースを見ている限りだとどこも人民元レートの決定システムを理解していない人間が記事書いてるなという印象を覚えましたが、これに関しては内心しょうがない気がします。実際、人民元レートは日本円や米ドルの変動相場制と違って「管理フロート制」という妙なシステムで、私も十分に理解している状態だとは言えません。

 理解が間違っているかもしれないという前提で簡単にこの管理フロート制システムを私なりに説明すると、これは人民元の変動幅を前日の終値を基準値として上下2%に固定するというシステムで、たとえば前日終値が1元=20円だったとすると、翌日の変動幅は20×0.02=0.4となるので、19.6~20.4円の間でしか変動しないということとなります。この方法だったら終値付近で中国の政府系金融機関が介入すればいくらでも為替レートをコントロールできるので、まぁ中国にとっては都合のいい手段でしょう。

 では今回の切り下げはどういう風に行われたのでしょうか。通常、人民元の為替レートは前日の終値を基準としてそこから上下2%を変動幅とするのですが、今回の切り下げは前日の終値に対して11日は1.9%、12日は1.6%切り下げた値を基準値として、そこからいつものように2%の変動幅で取引させました。
 要するに今回のは中国政府が前日の終値なんて関係なくいきなり人民元のレートを変更したようなもので、誰の目から見てもかなり強引な手段を採ったと言える行動でしょう。仮にこれがまかり通るなら、人民元のレートはいつでも自由に中国政府が決められると言っても過言ではありません。

 では何故中国政府は今回このような強引な手法に打って出たのでしょうか。理由はほかの記事などでも言われている通りに各種の経済統計で景気の衰えを示すような悪い数値が相次いでおり、景気後退を懸念した中国政府が輸出のテコ入れとして為替に手をかけたというのが実情だと私も思います。今日発表された統計でも不動産投資の伸びに明らかな鈍化が見られ、一番最後の砦ともいうべき不動産業界すら振るわない状態になって当局も危機感を持ったのかもしれません。

 ただ今回の為替操作についてもう少し深く述べると、中国としても苦渋の決断だったのではと思う節があります。というのも中国はかねてから人民元を国際通貨として世界に認めてもらうために様々な努力を続けてきましたが、今回のこの為替操作によって明らかに世界通貨への道は後退しました。逆を言えば世界通貨化を一時諦めなければならないほど景気に対して危機感を持っているとの証左でもあり、今後発表される他の経済指標を注意深く見ていく必要があるでしょう。