昨夜、自宅に帰ったら突然の断水が起こっておりかなり打ちひしがれました。
明けて翌日、大家が水道局に確認したらやっぱり料金未納で断水にしていたそうなのですが、そもそも支払い通知も断水通知もなくやってくる辺り久々に中国らしさを体感しました。少なくともこれまで自分が住んできた中国の部屋ではきちんと水道代の支払い通知が来てたし、電気とガスに関しては今の部屋にも来てたってのになんだよここの水道局はと、日本だったら金属バット持って確実に乗り込みにいく水準です。
ただ大家との関係はかなりいいので、はっきりとは言わなかったものの未納分は大家が負担してくれたようです。それはそれでありがたいのですが、開栓工事は明日になるとか言われ、今夜もまたシャワーも浴びれずトイレも流せない長い一夜を過ごす羽目となりました。ってか断水は速攻でやってきたのに何で開栓はのろいんだかなぁ。
このように水道一つでも思うにままならないのですが、今日また別のトラブルが起きました。言うまでもないでしょうが見出しに掲げたガス漏れです。
今朝起きて台所に行くとなんか鼻につく臭いがするので外から変な臭いが入ってきたのかと思いつつ出勤の準備をしていたところ、はっと我に返って「これってガス漏れじゃん」と気が付きました。なんで気づくのが遅れたのかというと日本と中国ではガスの臭いが異なっており、日本はいわゆる腐った玉ねぎの臭いをつけておりますが中国は焦げた玉ねぎのような臭いをしており、そのため最初一発ではわかりませんでした。ちなみにプロパンガスは元々は無味無臭で臭いは後付けです。
ただその時はすぐ家を出なくてはならず、また本当に自分の部屋からガスが漏れているか確信がつかめなかったのでそのまま窓だけ開けて家を出ました。でもって帰ってきて水がやっぱり流れないことを確認した上で台所に立つと、やっぱり臭いが充満してました。
急いで大家を呼ぶと、大家も臭いには気が付きガスのゴムホースに石鹸水をつけてリークがないか確認しましたが、リーク穴は確認できず、「ゴミの臭いじゃねぇの?」といって、また明日確認してと言って去ってしまいました。いやね、一応はガス会社呼ぼうよとは言いましたけど。
その後、ガスの元栓を閉めた上でしばらく時間を置いたら臭いはなくなり、今度はガスの元栓を開き、コンロとつなぐホースの栓を締めて放っておいたら結構やばげな濃度になり、確実に洩れていることを確信しました。再度大家に、「頼むから早くガス会社呼んでくれ」といって了解を得ましたが、来るのは多分明日以降だろうな。
それにしても断水に続きガス漏れとは、俺なんか悪いことしたっけと思うくらいにやたらトラブルが集中し過ぎている気がします。昨夜はパワプロで中日相手にサヨナラホームランかっ飛ばした後にすぐふて寝したので夜10時から就寝しましたが、なんか今日は「サバイバル」がテーマの「メタルギアソリッド3」で現実逃避したい気分です。念のため書いておきますが、決して話を作っているわけではなく、これらの事態はリアルに現在進行形で起こってる事態です。ってか、早いとこ御払いにでも行った方が良いのかな……。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2015年9月2日水曜日
2015年9月1日火曜日
断水('A`)
今日夕方に自宅へ戻った所、部屋の中の水道という水道が断水しておりました。
ぶっちゃけ今も絶賛断水継続中で、でもって水道管理しているところは大家によると就業時間過ぎてて電話通じないらしく、今夜一晩はこの状態が続くことが決定しております。
朝家を出るときは問題なく水が出たのですが、今日の日付が9/1であるということを考えると何らかの理由で水道管理をしている部署に止められたと考えるのが筋でしょう。実際に私もこの部屋に入ってから一度も水道代を払ったことはないので思い当たる節が全くないわけではありませんが、そもそも水道代の支払い通知なんて一度も来たことがありません。電気とガスに関しては定期的に来るのでその度に真面目に支払ってきましたが、支払い通知もなく、予告もなく断水しかけてくる辺りはやっぱ中国だなと久々に思い知らされました。日本でやったら大事だぞこれ。
一応、既に大家には話して先程部屋にも来てもらって状況を説明し、明日朝一で聞いてくれるそうなので多分明日には何とかなってるはずでしょう。ってか明後日から抗日戦争勝利70周年記念で三連休に入るから明日までにどうにかならないとマジヤバいってのがほんとのところですが。
それにしても、こういう想定を大きく越えたところでトラブルが起きると本当に気が滅入ります。昔に比べれば私も随分と慣れたし、精神的には並の日本人に比べて相当タフである自信はありますが、やる気でないので今日は早くにふて寝してようと思います。
ぶっちゃけ今も絶賛断水継続中で、でもって水道管理しているところは大家によると就業時間過ぎてて電話通じないらしく、今夜一晩はこの状態が続くことが決定しております。
朝家を出るときは問題なく水が出たのですが、今日の日付が9/1であるということを考えると何らかの理由で水道管理をしている部署に止められたと考えるのが筋でしょう。実際に私もこの部屋に入ってから一度も水道代を払ったことはないので思い当たる節が全くないわけではありませんが、そもそも水道代の支払い通知なんて一度も来たことがありません。電気とガスに関しては定期的に来るのでその度に真面目に支払ってきましたが、支払い通知もなく、予告もなく断水しかけてくる辺りはやっぱ中国だなと久々に思い知らされました。日本でやったら大事だぞこれ。
一応、既に大家には話して先程部屋にも来てもらって状況を説明し、明日朝一で聞いてくれるそうなので多分明日には何とかなってるはずでしょう。ってか明後日から抗日戦争勝利70周年記念で三連休に入るから明日までにどうにかならないとマジヤバいってのがほんとのところですが。
それにしても、こういう想定を大きく越えたところでトラブルが起きると本当に気が滅入ります。昔に比べれば私も随分と慣れたし、精神的には並の日本人に比べて相当タフである自信はありますが、やる気でないので今日は早くにふて寝してようと思います。
五輪ロゴの撤回を受けて
既に報じられておりますが、かねてからパクリ疑惑のあった佐野研二郎氏による東京五輪のロゴデザインを撤回すると発表しました。詳細についてはほかのニュース記事に譲りますが、五輪組織委員会の言い分はデザインの展開例で佐野氏が流用したことを認めたためとしておりますが、実際は展開例にとどまるレベルでないのは明らかで、先日明らかになったように最初に提訴されたベルギーの美術館ロゴよりもヤン・チヒョルト展のロゴデザインがオリジナルだったということがばれたためようやく撤回に至ったのが真実な気がします。
それにしてもよくもまぁこれだけの大舞台でこんなパクリデザインを通そうとしたものだとつくづく呆れます。佐野氏についてはサントリーのトートバッグに限らずほかにも多数のパクリ疑惑がありますが、この一件を見る限りそれらは疑惑ではなくもはや余罪であるとしか思えません。案外、弟子がやったと主張していたトートバッグのデザインも佐野氏自身の手によるものかもしれません。
また今回の一件は発表当初から数々の疑惑が出ていたにもかかわらずそうした声を真摯に検討するどころか妙な庇い立てをし続けてきた五輪組織委員会にも強い疑問を覚えます。パクリデザインであったことは当初見抜けなかったことはまだ理解できるものの疑惑に対して真相を究明する姿勢は全く見せず、今日の会見も報じられている限りだとどこか他人事のような言い方をしているように思え、新国立競技場の問題といい本気で反省しているのかと疑りたくなります。
実際のところ、五輪組織委員会はかなり早い段階でパクリデザインであることを知ってて佐野氏をかばっていたと思える節があります。というのも疑惑が持ちあがってきた際にデザイン原案の公開を当初は頑なに拒否していました。結局は世論の声に押されて公開することとなりましたが、結果そのデザイン原案が先ほど述べたヤン・チヒョルト展のロゴデザインと全く同じだったことから足がついており、原案を出すことがまずいと知っていた上で抵抗していたとしか私には見えません。
あともう一つ付け加えると、当初ベルギーの美術館ロゴに酷似していると言われた際にやや強気で疑惑を否定していたのは、最初にも書いた通りにそれがパクリ元ではなかったからではないかという気がします。やはりパクリ元はヤン・チヒョルト展のロゴで、それが報じられてしまったために兜を脱いだのが今日だったのではと勝手ながら推察しています。
最後に今回の一件でつくづく思うこととして、どうしてこんなくだらない人間がそこそこ名声を得て活動しているのかという日本の現状にため息が出ます。こんな厚顔な人間そうそういないぞという気がしますが、昨年は「キセキの世代」と言われるくらいに色々と凄い人たちが大勢出てきてしまった後であるだけに「しょせん社会なんてこんなもんか」とあきらめさせられてしまいます。
ただ真面目な話、今回のロゴデザイン選考に関わった人間はもう今後この手の選考はやるべきではないと思います。素人目にも佐野氏のデザインはオリジナリティに欠けていたし、はっきり言えばダサいの一言に尽きるものでした。それをわざわざ選んだということは癒着、もしくは名声による色眼鏡が作用したとしか思えず、そうした疑惑を晴らすためにもこういう事にはもう関わらないでというのが一市民としての感想です。まぁそもそも自分が一市民かというとやや微妙ですが。
それにしてもよくもまぁこれだけの大舞台でこんなパクリデザインを通そうとしたものだとつくづく呆れます。佐野氏についてはサントリーのトートバッグに限らずほかにも多数のパクリ疑惑がありますが、この一件を見る限りそれらは疑惑ではなくもはや余罪であるとしか思えません。案外、弟子がやったと主張していたトートバッグのデザインも佐野氏自身の手によるものかもしれません。
また今回の一件は発表当初から数々の疑惑が出ていたにもかかわらずそうした声を真摯に検討するどころか妙な庇い立てをし続けてきた五輪組織委員会にも強い疑問を覚えます。パクリデザインであったことは当初見抜けなかったことはまだ理解できるものの疑惑に対して真相を究明する姿勢は全く見せず、今日の会見も報じられている限りだとどこか他人事のような言い方をしているように思え、新国立競技場の問題といい本気で反省しているのかと疑りたくなります。
実際のところ、五輪組織委員会はかなり早い段階でパクリデザインであることを知ってて佐野氏をかばっていたと思える節があります。というのも疑惑が持ちあがってきた際にデザイン原案の公開を当初は頑なに拒否していました。結局は世論の声に押されて公開することとなりましたが、結果そのデザイン原案が先ほど述べたヤン・チヒョルト展のロゴデザインと全く同じだったことから足がついており、原案を出すことがまずいと知っていた上で抵抗していたとしか私には見えません。
あともう一つ付け加えると、当初ベルギーの美術館ロゴに酷似していると言われた際にやや強気で疑惑を否定していたのは、最初にも書いた通りにそれがパクリ元ではなかったからではないかという気がします。やはりパクリ元はヤン・チヒョルト展のロゴで、それが報じられてしまったために兜を脱いだのが今日だったのではと勝手ながら推察しています。
最後に今回の一件でつくづく思うこととして、どうしてこんなくだらない人間がそこそこ名声を得て活動しているのかという日本の現状にため息が出ます。こんな厚顔な人間そうそういないぞという気がしますが、昨年は「キセキの世代」と言われるくらいに色々と凄い人たちが大勢出てきてしまった後であるだけに「しょせん社会なんてこんなもんか」とあきらめさせられてしまいます。
ただ真面目な話、今回のロゴデザイン選考に関わった人間はもう今後この手の選考はやるべきではないと思います。素人目にも佐野氏のデザインはオリジナリティに欠けていたし、はっきり言えばダサいの一言に尽きるものでした。それをわざわざ選んだということは癒着、もしくは名声による色眼鏡が作用したとしか思えず、そうした疑惑を晴らすためにもこういう事にはもう関わらないでというのが一市民としての感想です。まぁそもそも自分が一市民かというとやや微妙ですが。
2015年8月31日月曜日
夏の終わりに
本日は8月31日ですが、言うまでもなく小中高生にとっては夏休み最後の日です。中国でもそれは同じようで、今日昼ごはんに味千ラーメンへ行ったら最後の晩餐を食べに来たかのような子連れの母親がやけに多かったような気がしました。
私自身は夏休みだからと言って特別何か思い出があるわけでもなく、夏よりも冬の方が昔から好きだったのでこれといって何か思い出すことも懐かしむこともないわけですが、「Yahoo知恵袋」の質問を見ているとやたらと宿題の回答を聞くような、中には読書感想文を書いてほしいというような質問が多く、こんなところで聞いてる暇あったら自分で調べて書けばいいのにとちょっと呆れ気味で見ています。
話は自分の話に戻りますが、自分にとって一番楽しい夏休みはいつだったかとなると大学一回生の頃の夏休みが一番楽だったという気がします。この年はほぼずっと実家に帰省して、バイトも少しやってお金にも余裕があったので暑い日は家の中でゲームをして、やや涼しい日は自転車をこいでたり、ブックオフで古本漁ったりしてのんびり過ごしていました。当時遊んだゲームはプレイステーションの「バロック」、「真・女神転生」が中心で、なんか当時としてもレトロなゲームをやってました。
この間他にやったこととしてはバイト先で知り合った人にくっついて行って初めてコスプレ会場を訪れたことと、あと小説の新人賞に応募しようと小説を書こうとしたもののこれはという作品が浮かばず断念したこと、そのほかだと家族が出払ったので火星人というあだ名の友人が泊まりに来てなんか二人でゲームしてたくらいです。その火星人とは現在連絡を取り合っていませんが、彼は中学と高校の同級生でしたが彼の家庭は母子家庭で、特段話題にすることはしませんでしたが周りも知っていて特に大きく振れるようなこともありませんでした。
ただ一回、ひょんな偶然か保険の授業の最中に先生が、「お前ら父ちゃんとか急に倒れたらどれだけ大変変わるか。うーんとそうだな……」と言って生徒を見回しはじめて、火星人に当たったらちょっと空気悪いよなとか思ってたら案の定火星人がドンピシャで当たって、「すいません、うちお父さんいないです」と軟らかく返事したので先生も、「おお、そうか」といってほかの人に当てて聞き直したことがありました。
その大学一回生の夏休み、別の大学に通っていた火星人でしたがうちに泊まりに来た際に向こうからちょっとこの辺の話をして、どうやら物心ついたころから母子家庭だったということを教えてくれました。ただうっすらと、両親らしき人物が喧嘩をしているような場面が記憶にあり、恐らく何らかの形で離婚したのではないかと一回だけ洩らし、私もここに書くまでその火星人の話を一度としてほかの人間に漏らすことなくこれまで来ました。
なんでまたこんなことを急にここで書こうと思ったのかというと、たまには日記的な記事を書いてみたかったのと、現時点であれば火星人が特定されて彼を困らせることもないし、彼自身も特段秘密にしていたわけでもなかった態度だったので、夏の終わりにふと普段しない会話を互いに交わしたという思い出を残してみたかったからです。
なお火星人の電話番号は携帯のアドレス中だと「火星」という表記で記録していましたが、私の携帯電話を盗み見たサークルの先輩が着信履歴に「火星」と書かれてあるのを見て、「なんやお前、火星と交信しとったんか!?」とマジで驚いていました。
私自身は夏休みだからと言って特別何か思い出があるわけでもなく、夏よりも冬の方が昔から好きだったのでこれといって何か思い出すことも懐かしむこともないわけですが、「Yahoo知恵袋」の質問を見ているとやたらと宿題の回答を聞くような、中には読書感想文を書いてほしいというような質問が多く、こんなところで聞いてる暇あったら自分で調べて書けばいいのにとちょっと呆れ気味で見ています。
話は自分の話に戻りますが、自分にとって一番楽しい夏休みはいつだったかとなると大学一回生の頃の夏休みが一番楽だったという気がします。この年はほぼずっと実家に帰省して、バイトも少しやってお金にも余裕があったので暑い日は家の中でゲームをして、やや涼しい日は自転車をこいでたり、ブックオフで古本漁ったりしてのんびり過ごしていました。当時遊んだゲームはプレイステーションの「バロック」、「真・女神転生」が中心で、なんか当時としてもレトロなゲームをやってました。
この間他にやったこととしてはバイト先で知り合った人にくっついて行って初めてコスプレ会場を訪れたことと、あと小説の新人賞に応募しようと小説を書こうとしたもののこれはという作品が浮かばず断念したこと、そのほかだと家族が出払ったので火星人というあだ名の友人が泊まりに来てなんか二人でゲームしてたくらいです。その火星人とは現在連絡を取り合っていませんが、彼は中学と高校の同級生でしたが彼の家庭は母子家庭で、特段話題にすることはしませんでしたが周りも知っていて特に大きく振れるようなこともありませんでした。
ただ一回、ひょんな偶然か保険の授業の最中に先生が、「お前ら父ちゃんとか急に倒れたらどれだけ大変変わるか。うーんとそうだな……」と言って生徒を見回しはじめて、火星人に当たったらちょっと空気悪いよなとか思ってたら案の定火星人がドンピシャで当たって、「すいません、うちお父さんいないです」と軟らかく返事したので先生も、「おお、そうか」といってほかの人に当てて聞き直したことがありました。
その大学一回生の夏休み、別の大学に通っていた火星人でしたがうちに泊まりに来た際に向こうからちょっとこの辺の話をして、どうやら物心ついたころから母子家庭だったということを教えてくれました。ただうっすらと、両親らしき人物が喧嘩をしているような場面が記憶にあり、恐らく何らかの形で離婚したのではないかと一回だけ洩らし、私もここに書くまでその火星人の話を一度としてほかの人間に漏らすことなくこれまで来ました。
なんでまたこんなことを急にここで書こうと思ったのかというと、たまには日記的な記事を書いてみたかったのと、現時点であれば火星人が特定されて彼を困らせることもないし、彼自身も特段秘密にしていたわけでもなかった態度だったので、夏の終わりにふと普段しない会話を互いに交わしたという思い出を残してみたかったからです。
なお火星人の電話番号は携帯のアドレス中だと「火星」という表記で記録していましたが、私の携帯電話を盗み見たサークルの先輩が着信履歴に「火星」と書かれてあるのを見て、「なんやお前、火星と交信しとったんか!?」とマジで驚いていました。
2015年8月30日日曜日
ホンダはハイブリッドを継続するのか?
日本から友人が来ていたので今日はその友人に上海を案内していましたが、あるお土産屋で天津甘栗が売られているのを見たその友人は、「(天津の爆発事件で)これ身体に悪そうだし、嫌いな上司に送ろうかな」と検討していたのがじわじわ来ました。
話は本題に入ってまた興味ない人には全く面白くない自動車業界ネタですが、個人的な見解として日系自動車大手のホンダ(本田技研)は今後もハイブリッドエンジンの開発・生産・販売を継続するのかについて密かに疑問視しています。今日はその理由とホンダが置かれている現況をいくつか整理した上で記事を書いていきましょう。
まず私がこの着想を得たきっかけは自動車関連企業に勤めるかなり詳しい人から、「ホンダも日産も今まであまり手を付けてこなかったターボエンジンの開発に本腰を入れ始めた」という一言からでした。ここで出てくるターボエンジンという言葉ですが、この意味は寿る愛のターボエンジンではなくいわゆるダウンサイジングターボを指しており、詳しくはよそのサイトなどで見てもらいたいのですが、燃費効率化の手段として近年は自動車のエンジンに小型ターボユニットを組み合わせるという手法が広がっており、こちらの研究開発にホンダと日産が着手し始めてきたということです。
なおこのダウンサイジングターボに関して言えば欧州の自動車メーカーが先んじており、日系においては厳密な意味では異なりますがことターボエンジンにおいては三菱自動車が間違いなく最も研究が進んでおり、次点にはディーゼルとの組み合わせで大成功したマツダが来るかなと素人的に思っています。なんで三菱自動車がターボで進んでいるかっていうと、親会社の三菱重工がこの方面において第一人者だからです。
話は戻りますがホンダがダウンサイジングターボに取り組むというのは世界的な潮流からわかりますが、その一方で気になるのはもう一つのエンジン開発の潮流であるハイブリッドエンジンです。この方面では言うまでもなくトヨタが第一人者でそれに追いつこうとホンダはフィットHVという車種を出してそこそこヒットしましたが、2013年に発売したモデルチェンジ後のフィットHVはエンジンが途中で停止するというエンジン制御システムの不具合が多発し、なんと一年ちょっとで合計五回ものリコールを出してしまいました。このリコール原因ははっきりしており、エンジン始動時にモーターだけで駆動するゼロスタートという機能を搭載したため(従来は始動時から常にエンジンが動いていた)で、トヨタが20世紀に量産で実現していたシステムをようやく導入した所であっさりぼろが出てしまいました。この多発したリコールの対応のためホンダは新車投入がズルズルと伸びていしまし、最近大分掃けたと聞くものの一時期はフィットHVの在庫が恐ろしいくらい溜まっていたとも聞きます。
このハイブリッドエンジンでの失敗経緯があったため、ホンダがダウンサイジングターボに取り組むと聞いて私は、「ハイブリッドはもうあきらめるつもりなんじゃないのか?」という考えがすぐよぎりました。もちろん両方並行して開発を続けるということも十分考えられますが、果たしてそこまでホンダの開発資金に余力があるのかというとかなり疑問で、またホンダ自体も一時期は「ハイブリッドといったらフィットでしょ!」とハエのよーにうるさいくらい宣伝していましたが最近はリコール多発の余波を受けてかハイブリッドのアピールすらほとんど見かけないくらいになり、むしろ忘れてほしいんじゃないかという気すらします。
正直に言うと私は日系自動車メーカーの中でも断トツでホンダが嫌いです。理由はデザイン面で中国メーカーも真っ青なくらいに他社の丸パクリが多いのと、ハイブリッドとは呼べないようなしょうもない技術でハイブリッドエンジンなどと喧伝していたためですが、そうした偏見を差し置いても近年のホンダの技術低下は見て見ぬ振りが出来ないレベルです。実際一次の部品メーカーに聞いても、エンジン意外の自社開発を全てやめてしまったため自動車全体に詳しい人間がいなくて無理難題を下に向かって言ってくるとも伺っています。
あともう一つ私が気になる点として、今後ハイブリッドエンジンが発展するのかという展望です。というのもトヨタのハイブリッドエンジンは確かにすごい技術ではあるのですが、案外根本のシステムというか仕組みは初代プリウスが出た時点のものと大きく差がないと聞いており、近年の燃費アップは電池など周辺部品の発展によるものだと聞くからです。もちろん技術なんて後年同心化するかなんて誰にもわかりませんが、ハイブリッドエンジンには今後さらに発展する伸び代あるのかというとちょっとわからないところがあります。それに比べればダウンサイジングターボの方がまだ手が付けられていない面もあるし、従来技術も応用できるので未来を感じるとしたら私もこっちだったりします。
あくまでここに書いたのは技術的にはド素人である私個人の妄想ですが、なにかの考えのタネにもなるかなと思って、あまり他に書くネタが今日見つからなかったので一応書くことにしました。それにしてもホンダと中日新聞と野田聖子に対する批判は一切手加減ないなと我ながら思います。何この東海ライン。
話は本題に入ってまた興味ない人には全く面白くない自動車業界ネタですが、個人的な見解として日系自動車大手のホンダ(本田技研)は今後もハイブリッドエンジンの開発・生産・販売を継続するのかについて密かに疑問視しています。今日はその理由とホンダが置かれている現況をいくつか整理した上で記事を書いていきましょう。
まず私がこの着想を得たきっかけは自動車関連企業に勤めるかなり詳しい人から、「ホンダも日産も今まであまり手を付けてこなかったターボエンジンの開発に本腰を入れ始めた」という一言からでした。ここで出てくるターボエンジンという言葉ですが、この意味は寿る愛のターボエンジンではなくいわゆるダウンサイジングターボを指しており、詳しくはよそのサイトなどで見てもらいたいのですが、燃費効率化の手段として近年は自動車のエンジンに小型ターボユニットを組み合わせるという手法が広がっており、こちらの研究開発にホンダと日産が着手し始めてきたということです。
なおこのダウンサイジングターボに関して言えば欧州の自動車メーカーが先んじており、日系においては厳密な意味では異なりますがことターボエンジンにおいては三菱自動車が間違いなく最も研究が進んでおり、次点にはディーゼルとの組み合わせで大成功したマツダが来るかなと素人的に思っています。なんで三菱自動車がターボで進んでいるかっていうと、親会社の三菱重工がこの方面において第一人者だからです。
話は戻りますがホンダがダウンサイジングターボに取り組むというのは世界的な潮流からわかりますが、その一方で気になるのはもう一つのエンジン開発の潮流であるハイブリッドエンジンです。この方面では言うまでもなくトヨタが第一人者でそれに追いつこうとホンダはフィットHVという車種を出してそこそこヒットしましたが、2013年に発売したモデルチェンジ後のフィットHVはエンジンが途中で停止するというエンジン制御システムの不具合が多発し、なんと一年ちょっとで合計五回ものリコールを出してしまいました。このリコール原因ははっきりしており、エンジン始動時にモーターだけで駆動するゼロスタートという機能を搭載したため(従来は始動時から常にエンジンが動いていた)で、トヨタが20世紀に量産で実現していたシステムをようやく導入した所であっさりぼろが出てしまいました。この多発したリコールの対応のためホンダは新車投入がズルズルと伸びていしまし、最近大分掃けたと聞くものの一時期はフィットHVの在庫が恐ろしいくらい溜まっていたとも聞きます。
このハイブリッドエンジンでの失敗経緯があったため、ホンダがダウンサイジングターボに取り組むと聞いて私は、「ハイブリッドはもうあきらめるつもりなんじゃないのか?」という考えがすぐよぎりました。もちろん両方並行して開発を続けるということも十分考えられますが、果たしてそこまでホンダの開発資金に余力があるのかというとかなり疑問で、またホンダ自体も一時期は「ハイブリッドといったらフィットでしょ!」とハエのよーにうるさいくらい宣伝していましたが最近はリコール多発の余波を受けてかハイブリッドのアピールすらほとんど見かけないくらいになり、むしろ忘れてほしいんじゃないかという気すらします。
正直に言うと私は日系自動車メーカーの中でも断トツでホンダが嫌いです。理由はデザイン面で中国メーカーも真っ青なくらいに他社の丸パクリが多いのと、ハイブリッドとは呼べないようなしょうもない技術でハイブリッドエンジンなどと喧伝していたためですが、そうした偏見を差し置いても近年のホンダの技術低下は見て見ぬ振りが出来ないレベルです。実際一次の部品メーカーに聞いても、エンジン意外の自社開発を全てやめてしまったため自動車全体に詳しい人間がいなくて無理難題を下に向かって言ってくるとも伺っています。
あともう一つ私が気になる点として、今後ハイブリッドエンジンが発展するのかという展望です。というのもトヨタのハイブリッドエンジンは確かにすごい技術ではあるのですが、案外根本のシステムというか仕組みは初代プリウスが出た時点のものと大きく差がないと聞いており、近年の燃費アップは電池など周辺部品の発展によるものだと聞くからです。もちろん技術なんて後年同心化するかなんて誰にもわかりませんが、ハイブリッドエンジンには今後さらに発展する伸び代あるのかというとちょっとわからないところがあります。それに比べればダウンサイジングターボの方がまだ手が付けられていない面もあるし、従来技術も応用できるので未来を感じるとしたら私もこっちだったりします。
あくまでここに書いたのは技術的にはド素人である私個人の妄想ですが、なにかの考えのタネにもなるかなと思って、あまり他に書くネタが今日見つからなかったので一応書くことにしました。それにしてもホンダと中日新聞と野田聖子に対する批判は一切手加減ないなと我ながら思います。何この東海ライン。
2015年8月29日土曜日
野球の神と打席に立った男
また私事ですが最近ゲームの「実況パワフルプロ野球2012」にはまっています。なんではまっているのかというと今ちょこちょこ進めているとある案件の作業を進めたくなくて現実逃避としての意味合いが強いですが、ひたすら一野球選手となって試合に出続けるマイライフというモードで遊んでます。
今回私は所属チームにヤクルトスワローズを選びましたが、初年度こそ優勝を逃したものの毎シーズン5割6分以上という異常な数値でヒットを量産し続けたので二年目以降はずっとセリーグで優勝し続けており、でもってパリーグは毎年ソフトバンクホークスが優勝してくるので日本シリーズはもはや定例試合みたいな感じとなってきてちょっと飽きを感じてきました。
それとこのゲーム、所属する日本人選手に比べてランダムで加入してくる外国人選手がやたら強いせいか、しばらくするとスタメンが外国人ばかりとなってこの前なんかスタメン9人中6人が外人となってもはや日本人の方がレアになってしまいました。これ明らかに調整不足だろう。
ほかにも調整不足と感じた点について、1シーズンで68本もホームラン打ったのに特殊能力の「パワーヒッター」がつかなくって、なんやねんと思って少しやる気なくしました。もしかしたら既に「アベレージヒッター」という特殊能力を取得していたが故かもしれませんが、それにしたって毎年ホームラン王のタイトル取ってるのに「パワーヒッター」つかないってのはおかしい気がします。
ただこの特殊能力が欲しくてひたすら狙ってホームランを打ち続けた時期があったのですが(中日の吉見選手から1試合で3本ホームラン売ってやった。ざまぁ)、一度だけ9回裏の3対6で打席が回った時、たまたま満塁だったので打てたら面白いなと思って狙ってみたら見事にお釣りなしの逆転満塁サヨナラホームランをかっ飛ばしたことがありました。ゲームとはいえこの打った瞬間は非常に快感で、ああきっとプロ野球選手もこういう喜びを感じるんだろうなと思いつつしばらく余韻に浸っていました。
しかし事実は小説よりも奇なりというか、現実にはもっとすごいホームランが存在してたりします。プロ野球ファンならもう想像がついているでしょうが、それは近鉄とオリックスに在籍していた北川博敏元選手が2001年9月26日に打ったあの伝説のホームランのことです。
・北川博敏(Wikipedia)
北川元選手はドラフトで指名されて最初阪神に入団しますがここでは芽が出ず、トレードで放出されて2001年に近鉄に入団します。ここで当時指揮を執っていた梨田監督に勝負強いバッティングが認められて1軍入りし、「いてまえ打線」と言われたほどバッティングが好調だった当時の近鉄でも指折りのバッターとして頭角を現します。
この年に好調な打線を背景に勝ち星を重ねた近鉄は優勝へのマジックを点灯し、9月24日の西武戦でビハインドの9回裏に北川元選手、中村元選手が連続でホームランを放ってサヨナラ勝ちしてついにマジックを1とします。そして、優勝まで残り一勝としたところで運命の9月26日を迎えたわけです。
この日の近鉄の相手は同じ関西チームのオリックスで、序盤に点を取られた近鉄はその後も取り返すことなく5対3と3点ビハインドのまま9回裏の近鉄の攻撃に入ります。この回、近鉄は立て続けに安打が出て一挙にノーアウト満塁と絶好のチャンスへと入ります。ここで梨田監督は代打に北川元選手を送り込んだのですが、その結果はなんとお釣りなしの代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランという、もうこれ以上ないくらい感動的な一発を決めてのけてしまいました。
このような記録は過去に例はなく、そもそもお釣りなしの代打逆転満塁サヨナラホームランだけでも45年ぶり史上2人目だったそうで、如何に北川選手が大舞台で勝負強いというのが見て取れます。本人もこの時のホームランは印象深かったようで、引退すら懸念されたシーズンだったけに「運命を変えた一発」と述懐しています。
頭文字Dの須藤京一っぽくこの奇跡の一発を言い表すなら、「野球の神がいるとしたら、きっとこの時は北川元選手の傍に立っていたんだろうな」といったところです。その後北川選手は2012年に引退しますが、恐らく彼のこの記録と名前はこの一発でずっと語り継がれると思うとなかなか胸が熱くなる思いがします。
それにしても、当時は野球に全く興味がなかったせいかこんなホームランがあったという事実すら最近まで知らなかったというのはなかなか恥ずかしいものです……。
ヽ(*゚д゚)ノ カイバー
今回私は所属チームにヤクルトスワローズを選びましたが、初年度こそ優勝を逃したものの毎シーズン5割6分以上という異常な数値でヒットを量産し続けたので二年目以降はずっとセリーグで優勝し続けており、でもってパリーグは毎年ソフトバンクホークスが優勝してくるので日本シリーズはもはや定例試合みたいな感じとなってきてちょっと飽きを感じてきました。
それとこのゲーム、所属する日本人選手に比べてランダムで加入してくる外国人選手がやたら強いせいか、しばらくするとスタメンが外国人ばかりとなってこの前なんかスタメン9人中6人が外人となってもはや日本人の方がレアになってしまいました。これ明らかに調整不足だろう。
ほかにも調整不足と感じた点について、1シーズンで68本もホームラン打ったのに特殊能力の「パワーヒッター」がつかなくって、なんやねんと思って少しやる気なくしました。もしかしたら既に「アベレージヒッター」という特殊能力を取得していたが故かもしれませんが、それにしたって毎年ホームラン王のタイトル取ってるのに「パワーヒッター」つかないってのはおかしい気がします。
ただこの特殊能力が欲しくてひたすら狙ってホームランを打ち続けた時期があったのですが(中日の吉見選手から1試合で3本ホームラン売ってやった。ざまぁ)、一度だけ9回裏の3対6で打席が回った時、たまたま満塁だったので打てたら面白いなと思って狙ってみたら見事にお釣りなしの逆転満塁サヨナラホームランをかっ飛ばしたことがありました。ゲームとはいえこの打った瞬間は非常に快感で、ああきっとプロ野球選手もこういう喜びを感じるんだろうなと思いつつしばらく余韻に浸っていました。
しかし事実は小説よりも奇なりというか、現実にはもっとすごいホームランが存在してたりします。プロ野球ファンならもう想像がついているでしょうが、それは近鉄とオリックスに在籍していた北川博敏元選手が2001年9月26日に打ったあの伝説のホームランのことです。
・北川博敏(Wikipedia)
北川元選手はドラフトで指名されて最初阪神に入団しますがここでは芽が出ず、トレードで放出されて2001年に近鉄に入団します。ここで当時指揮を執っていた梨田監督に勝負強いバッティングが認められて1軍入りし、「いてまえ打線」と言われたほどバッティングが好調だった当時の近鉄でも指折りのバッターとして頭角を現します。
この年に好調な打線を背景に勝ち星を重ねた近鉄は優勝へのマジックを点灯し、9月24日の西武戦でビハインドの9回裏に北川元選手、中村元選手が連続でホームランを放ってサヨナラ勝ちしてついにマジックを1とします。そして、優勝まで残り一勝としたところで運命の9月26日を迎えたわけです。
この日の近鉄の相手は同じ関西チームのオリックスで、序盤に点を取られた近鉄はその後も取り返すことなく5対3と3点ビハインドのまま9回裏の近鉄の攻撃に入ります。この回、近鉄は立て続けに安打が出て一挙にノーアウト満塁と絶好のチャンスへと入ります。ここで梨田監督は代打に北川元選手を送り込んだのですが、その結果はなんとお釣りなしの代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランという、もうこれ以上ないくらい感動的な一発を決めてのけてしまいました。
このような記録は過去に例はなく、そもそもお釣りなしの代打逆転満塁サヨナラホームランだけでも45年ぶり史上2人目だったそうで、如何に北川選手が大舞台で勝負強いというのが見て取れます。本人もこの時のホームランは印象深かったようで、引退すら懸念されたシーズンだったけに「運命を変えた一発」と述懐しています。
頭文字Dの須藤京一っぽくこの奇跡の一発を言い表すなら、「野球の神がいるとしたら、きっとこの時は北川元選手の傍に立っていたんだろうな」といったところです。その後北川選手は2012年に引退しますが、恐らく彼のこの記録と名前はこの一発でずっと語り継がれると思うとなかなか胸が熱くなる思いがします。
それにしても、当時は野球に全く興味がなかったせいかこんなホームランがあったという事実すら最近まで知らなかったというのはなかなか恥ずかしいものです……。
ヽ(*゚д゚)ノ カイバー
2015年8月28日金曜日
日本史上最高の権力者
今日たまたまYahooの知恵袋を見ていたら、世界史上で誰が一番権力を持っていたのかという質問があり、その質問者の方は候補としてインノケンティウス三世を挙げてる辺りはなかなか見識あると感じました。これに触発されたこともあり、世界史だと範囲が広すぎて定義も難しいと感じるので、今日は日本史上で誰が最高権力者だったと言えるのか幾人かの候補を上げようと思います。
1、足利義満
もはや説明するまでもなく室町幕府の最盛期を築いた義満ですが、あまり知られていませんが彼は太政大臣と征夷大将軍の官位を確か初めて同時に得た人物でもあります(後世では家康もGETしてる)。将軍在世時は南北朝の統一を果たしたほか有力守護大名を次々と滅ぼし、また幕府直属の奉公衆(親衛隊)を創設するなど圧倒的な権力を握り、その権力範囲は武士としては歴代ナンバーワンではないかと思います。
ただ逆に義満がそれほど圧倒的な権力を握ってなんでもかんでも決定していた反動からか、彼が逝去すると次代の足利将軍はどれも指導力をいまいち発揮できずズルズルと没落していくこととなります。人間強すぎると周りが駄目になってしまうという典型かもしれません。
2、白河上皇
こちらも有名どころでおなじみの「治天の君」ですが、白河上皇については鴨川の流れ、サイコロの目、山法師(僧兵)の三つだけが思い通りにならなくて「天下三不如意」という言葉とともに語られますが、逆を言えばこの三つ以外は自分の意思でどうとでもなったと在世時から言われたほど強い権力を持っていたとされます。かつて権勢をほしいままにした摂関家の切り崩しに成功しただけでなく、後代の天皇たちですら従うほかなかったとされ、寄進された荘園の量も半端なかったそうです。
白河上皇に限るわけではないですが、この記事書いてて思うのは日本における権力の源泉はやっぱり天皇で、その天皇を裏から操ることが時の政権担当者の必須事項だったと言えるのですが、この白河上皇は元天皇である上に現役の天皇を無視して院宣を出していた当たり、権力の源泉たる天皇を上回るというパワフルぶりだなと言える気がします。
3、天武天皇
歴代天皇で誰が最も強い権力を持っていたかとなると、それは誰がどんな異論をもって来ようとも私の中では天武天皇で揺るぐことはないでしょう。天武天皇は甥の大友皇子と戦った壬申の乱に勝利して天皇についたため、旧来の豪族を大友皇子と共にまとめて駆逐できて彼一人でなんでもかんでも決済出来たと言われています。
実際に「天皇」という言葉を公式に用い始めたのも天武天皇だとされ、また日本初の貨幣である「富本銭」も天武朝に発行されたとされるだけに、日本の皇室は実質的に天武天皇から始まったと言えるのではと密かに考えています。むしろ、天武天皇以前は本当に天皇家が日本の最高権力者だったのか、本当は蘇我氏だったのではと疑問に思える節もあるだけに、皇室の歴史は天武天皇からというのが私の中の掛け声です。
4、マッカーサー元帥
一応前に三人の候補を挙げましたが、真の意味で日本史上最高の権力者といったらこのマッカーサー元帥を置いて他ならないでしょう。強大な米軍をバックに議会や憲法すら無視できるほどなんの法律的拘束もなく、余計なこと言う旧臣もなく、果てには天皇すら言うことを聞かざるを得なかったなど、どこをとってもまさに天井知らずです。実際、彼が日本にいた頃は会社内とかで指示する際によく、「マ元帥の命令である」なんて冗談が飛び交ったと聞きますし。
よく業界ごとの最高権力者のことを、「○○会の天皇」などと表現することがありますが、「○○会のマ元帥」なんていう人はいないのかな。
最後に一応補足しておきますが、明治以降は議会政治が成立したこともあり、歴史を跨ぐような最高権力者と呼べる人間はそれ以前と比べていなくなったと言っていいでしょう。曲がりなりにも議会に従わなければならない以上、やはり権力が制限されています。
強いてあげるなら永田町の闇将軍こと田中角栄が議会制の中では特段大きな権力を持っていたと言えるでしょうが、民意も議会も党も全部無視して推し進める権力者は出て来れない以上、やはり昔とは違うってことです。
1、足利義満
もはや説明するまでもなく室町幕府の最盛期を築いた義満ですが、あまり知られていませんが彼は太政大臣と征夷大将軍の官位を確か初めて同時に得た人物でもあります(後世では家康もGETしてる)。将軍在世時は南北朝の統一を果たしたほか有力守護大名を次々と滅ぼし、また幕府直属の奉公衆(親衛隊)を創設するなど圧倒的な権力を握り、その権力範囲は武士としては歴代ナンバーワンではないかと思います。
ただ逆に義満がそれほど圧倒的な権力を握ってなんでもかんでも決定していた反動からか、彼が逝去すると次代の足利将軍はどれも指導力をいまいち発揮できずズルズルと没落していくこととなります。人間強すぎると周りが駄目になってしまうという典型かもしれません。
2、白河上皇
こちらも有名どころでおなじみの「治天の君」ですが、白河上皇については鴨川の流れ、サイコロの目、山法師(僧兵)の三つだけが思い通りにならなくて「天下三不如意」という言葉とともに語られますが、逆を言えばこの三つ以外は自分の意思でどうとでもなったと在世時から言われたほど強い権力を持っていたとされます。かつて権勢をほしいままにした摂関家の切り崩しに成功しただけでなく、後代の天皇たちですら従うほかなかったとされ、寄進された荘園の量も半端なかったそうです。
白河上皇に限るわけではないですが、この記事書いてて思うのは日本における権力の源泉はやっぱり天皇で、その天皇を裏から操ることが時の政権担当者の必須事項だったと言えるのですが、この白河上皇は元天皇である上に現役の天皇を無視して院宣を出していた当たり、権力の源泉たる天皇を上回るというパワフルぶりだなと言える気がします。
3、天武天皇
歴代天皇で誰が最も強い権力を持っていたかとなると、それは誰がどんな異論をもって来ようとも私の中では天武天皇で揺るぐことはないでしょう。天武天皇は甥の大友皇子と戦った壬申の乱に勝利して天皇についたため、旧来の豪族を大友皇子と共にまとめて駆逐できて彼一人でなんでもかんでも決済出来たと言われています。
実際に「天皇」という言葉を公式に用い始めたのも天武天皇だとされ、また日本初の貨幣である「富本銭」も天武朝に発行されたとされるだけに、日本の皇室は実質的に天武天皇から始まったと言えるのではと密かに考えています。むしろ、天武天皇以前は本当に天皇家が日本の最高権力者だったのか、本当は蘇我氏だったのではと疑問に思える節もあるだけに、皇室の歴史は天武天皇からというのが私の中の掛け声です。
4、マッカーサー元帥
一応前に三人の候補を挙げましたが、真の意味で日本史上最高の権力者といったらこのマッカーサー元帥を置いて他ならないでしょう。強大な米軍をバックに議会や憲法すら無視できるほどなんの法律的拘束もなく、余計なこと言う旧臣もなく、果てには天皇すら言うことを聞かざるを得なかったなど、どこをとってもまさに天井知らずです。実際、彼が日本にいた頃は会社内とかで指示する際によく、「マ元帥の命令である」なんて冗談が飛び交ったと聞きますし。
よく業界ごとの最高権力者のことを、「○○会の天皇」などと表現することがありますが、「○○会のマ元帥」なんていう人はいないのかな。
最後に一応補足しておきますが、明治以降は議会政治が成立したこともあり、歴史を跨ぐような最高権力者と呼べる人間はそれ以前と比べていなくなったと言っていいでしょう。曲がりなりにも議会に従わなければならない以上、やはり権力が制限されています。
強いてあげるなら永田町の闇将軍こと田中角栄が議会制の中では特段大きな権力を持っていたと言えるでしょうが、民意も議会も党も全部無視して推し進める権力者は出て来れない以上、やはり昔とは違うってことです。
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