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2015年10月24日土曜日

横浜高校野球部監督の教育論

 また今月の文芸春秋からの引用記事ですが、甲子園で幾度もの優勝をかっさらった横浜高校野球部を50年に渡って引っ張った渡辺元智前監督のインタビュー記事がなかなか面白かったので紹介しようと思います。

 渡辺氏は24歳で同高校野球部の監督に就任し、今年5月に引退するまで甲子園で春夏優勝5回を経験し、また松坂大輔選手をはじめとして横浜高校出身のスター選手を日本プロ野球界へ数多く送り出しており、名実ともに名監督と呼び声の高い人物です。そんな渡辺氏ですが部員の指導方法については「ひとつの指導方法でやってきたわけじゃない」と、冒頭から述べております。

 監督就任当初の渡辺氏は昔のスポ根ドラマよろしく、鉄拳制裁を当たり前のように行って指導してきたそうです。この指導方法について渡辺氏は当時の世相というか戦後は軍隊出身の指導者が多かったため誰もが殴られて教育されてきており、また他校でも当たり前のように行われてて練習試合でも野球そっちのけで双方のベンチで監督が選手を殴り飛ばしていたそうです。
 しかしそうした鉄拳制裁も次第に通用しなくなってきたそうです。通用しなくなった理由について渡辺氏は、若い当時は優勝実績がつくとともに周囲からちやほやされやや浮かれた生活を送ってしまい、そんな姿を部員たちが見透かしていたせいではないかと分析しています。ただそうした事態に至ってから立ち直りは早かったというか、一方的にこうしろという指導をやめて選手との対話を重視した指導へと切り替え、これが功を奏して1980年には愛甲猛氏を擁するチームで夏の甲子園優勝を達成できたと述懐しています。

 しかしこうした「対話路線」もそう長くは続かず数年でまた勝てなくなり、仕方ないので今度はアメリカの野球チームを参考に「伸び伸び野球」を打ち出したところチーム内に「甘え」が蔓延して余計に勝てなくなるという余計に悪循環となってしまいました。転機となったのは松坂世代が入ってきたころで、この世代は松坂選手を筆頭に後藤選手、小池元選手、小山元選手など後にプロ野球でも活躍する人材が大量に入ってきた年代だったため、彼らをきちんと使いこなせば必ず優勝できると確信が持てたそうです。
 しかしこう言った才能ある部員たちは渡辺氏によると「往々にして我が強い」とのことで、ひとまとめな指導ではとても対処できないと考え部品一人一人に合わせた指導を採用することにしました。具体的にはある選手には厳しく指導する一方で別の選手には誉めることを重視したり、またほかの人には体調管理の重要性を説いたりと、現代では当たり前とされる指導方法ですが98年の段階でこれを実践していたということはやはり渡辺氏には先見の明があるように感じられます。

 直近の指導方法については現在ロッテで活躍している涌井選手を引き合いにして、「メールでのコミュニケーション」をしたことが書かれています。なんでも松坂選手はどれだけ厳しく叱っても後でフォローすればきちんと彼も応えてくれたそうなのですが、涌井選手は一回叱ったら俯いて、誰とも話をしなくなってしまうため渡辺氏も、「叱り過ぎたのかな?」と度々感じたそうです。そこでマニュアルを必死で見ながら涌井選手の携帯にメールでフォローした所ようやく「わかりました」と返事が来てほっと一安心できたと書いてあり、それ以降はまめにメールで選手たちと頻繁に連絡を取り合うようにしていたそうです。ってかほんとマメだなこの人。

 自分の指導について渡辺氏は、選手に成長してもらいたいという信念だけは変わりはなかったものの、その指導方法は時代と共に常に変化していた。むしろそういう信念があったからこそ変化できたとまとめており、さすがベイスターズより強いのではと言われるくらいに横浜高校を牽引してきた監督だと感じるほど読み応えのあるインタビュー記事でした。

 本題とは少し外れるかもしれませんが、戦争指揮において参謀が将軍に優越する指揮システムを確立させた人物として、ドイツのモルトケという軍人がおります。彼の時代のプロイセンでは「戦争論」を著したクラウゼヴィッツなどが活躍しており戦争を学問体系的に分析する動きが強かったのですがモルトケはこうした動きに反発し、「戦争に不変の原則などないという事実のみが不変である」と述べ、従来の概念からは考えられないような鉄道や無線を活用した戦争指揮システムを導入し、ビスマルクと二人三脚でプロイセンを強国化させました。
 私自身もこのモルトケの意見というか概念を日頃から重視しており、不変なシステムなどほとんどなく時代とともにシステムはどんどん変えていくべきだと考えており、この渡辺氏もそうした価値観だったからこそ名監督足り得たと今回感じた次第です。

  おまけ Wikipediaに載っている渡辺氏の指導を受けた主だったプロ野球選手
青木実
永川英植
愛甲猛
高橋建
鈴木尚典
紀田彰一
多村仁志
松井光介
松坂大輔
成瀬善久
後藤武敏
小池正晃
荒波翔
涌井秀章
石川雄洋
筒香嘉智

大学ランクの壁、そして下剋上

 先日、日本から中国へ戻る飛行機を待っている間、空港の売店でかなり久しぶりに文芸春秋を購入しました。元々私は文芸春秋を購読していたものの姉妹雑誌の週刊文春で不必要と思うくらいに橋下大阪市長へのバッシング記事が続いたことに反感を持って数年前に購読をやめていたのですが、そろそろ過去は忘れてもいいかなと思ったのと、今月号(11月号)の特集が教育関連議論でその中に池上彰氏と佐藤優氏の対談が入っていたので、衝動買いの様にして買って持ってきました。

 掲載されていた記事や対談はどれも面白くこれからまた少しずつ記事化していく予定ですが、先ほど挙げた二人の対談では日本の大学の役割、そして改革案が中心となって語られており、自分は全然その存在を知らなかった「ビリギャル」という慶應大学の入試に合格した女の子について佐藤優氏が、「彼女は受験科目として使用した小論文と英語だけが合格水準にあってその他の科目は恐らく一定の水準に達していないだろう」的なことを指摘して、こうした偏った学力の学生を入学させることは問題があるとさりげなくディスっていました。
 なおこの佐藤氏の指摘を友人に話したところその友人は、ビリギャルが自分の受験体験をまとめた本の表紙に自分自身ではなくモデルの女性を使用したことについて、「結局女は見た目で決まるというようなことを自分でやっておいて何がビリギャルだよ。自分の実績をピーアールしたいなら自分が表紙に出ろ」とこっちもディスっていました。まぁ私もこの友人のいわんとしていることに同感なのですが。

 話は本題に入りますがこうした大学関連の改革話を聞いていてふと、「何で日本で最高峰の大学は東大なんだろう?」という妙な疑問がもたげました。こんな風に考えたのもちょっと前に戦前で本当のエリート校だったのは東大ではなく陸軍大学校だとか、エリート養成校として真に優れていたのは陸軍中野学校(佐藤優氏の主張)だったとかそういう内容を思い出しており、どうして現在では東大が一番なのか、否、どうして東大が一番に固定されているのかという点について疑問を覚えました。

 そりゃ東大は官制学校として一番金もつぎ込まれているだけでなく入試難易度でも文句なしにトップクラスです。しかし米国の大学ではアイビーリーグというトップクラスの大学ランクは存在するもののその中の順位や価値は常に変動していると聞き、特にハーバード大学を未だにありがたがっているのはアジア人だけで実は外国人留学生が学生の大半を占めているという噂も聞きます。
 大学の価値を推しはかる上で伝統は確かに重要な要素であるものの、真にその価値を見定める指標としては輩出した卒業生の質と、学内での研究ではないかと思えます。何が言いたいのかというと本来なら大学のランクというものはもっと変動があるべきで、この辺の競争システムが日本国内の大学業界では上手く働いていないのではと考えたわけです。

 先ほども言った通り日本でナンバーワンの大学と言ったら東大、次いで京大というのは戦後ずっと変わりがありません。国立大なんかは予算や教員などの面で政府も絡んでいるだけあってこのように順位が固定されるのは多少はしょうがない気がします。では私立大学はどうか。全く変動がないわけではないもののあるとしても同じ大学ランク内の優劣の逆転程度で、大学ランクを飛び越えた変動となるとほとんどあり得ないといっても問題ないでしょう。

 日本の私立大学のランクとなると最上位は言うまでもなく早慶こと早稲田大学と慶応大学です。以前はこの二者の実力は伯仲していたそうですが現在は私の見る限り明らかに慶應の方が上回るようになり、実際につくば市の風力発電機事件や小保方騒動とその対応を見ていると早稲田の水準は世間が見ているより実は低いのではと思うところもあります。もっとも、今思うと早稲田の凋落の始まりはスーパーフリー事件からだったのかなという気もしますが。

 関東圏内だとこの早慶に上智大学を加えた「早慶上智」という言葉もありますが、実は私はこの言葉にあまりピンと来なかったりします。というのも関西圏だと早慶のネームバリューは依然と高いものの上智大学についてはその存在すら知らない人間も少なくなく、高校時代までは関東にいたものの進学後は関西で過ごしてた私からすると「早慶上智」はいまいち実感の湧かない言葉だったりします。はっきり言えることは上智大学は早慶ほど全国的なネームバリューはなく、上智OBの方には申し訳ないですが早慶よりは一段劣るだろうというのが私の見方です。

 その早慶上智の下となると、今後はMARCH(+学習院)というランク層になり、その下は今度は日東駒専が来たりします。私の見る限りだとこれらも同ランク内での変動はあってもランクを越えた変動は数十年なく、なんていうか面白みに欠けます。
 では関西私立はどうか。こちらは最上位ランクにあたる「関関同立」というグループがあり、関西学院大学と立命館大学で2~3位の変動がたまにあるものの基本大きな変化はありません。ただその下の「産近甲龍」の中では近年大きな変動が起こっており、具体的に言うと近畿大学が目覚ましいばかりの躍進を続けています。

近畿大、志願者数で連続トップに 私立大の一般入試(朝日新聞)

 かつて大学入試の志願者数と言ったら早稲田大学か明治大学がトップの座をいつも争っていたのですが、なんとこの二大学を抑えて2014年と2015年は近畿大学がトップに躍り出てきました。近畿大学は関西圏にあることから東京の大学と比べ「上京への憧れ」という面でハンデを抱えておりますが、そのハンデを抱えながらトップに出たというのは控え目に見ても素晴らしい偉業と言っていいでしょう。

 何故近畿大学がトップに出たのか多方面で分析がされているものの、ほぼ一致した意見として「近大マグロ」ことマグロの完全養殖に成功した実績が世間に評価されたものとされ、私もこれに同感です。本人らもそれを自覚しているのか、「近代ってマグロだけだと思ってない?」という言葉が書かれた全面マグロの大学PRポスターを作ってたりしていて、見ていていいセンスを感じます。
 実際に近畿大学がどれほど躍進してるのかなと偏差値ランキングを少し見てみましたが、偏差値レベルでは同ランク内で明らかに最上位に入っており一部学部では関関同立をも上回っているところもあるほどで、もしかしたら絶対不滅と見られていたランクの壁をも超えるんじゃないかと思うくらいの勢いぶりです。

 先ほども書いたように大学の質を測る上でもっとも重要な指標は卒業生の指標、そして研究実績の二つです。近畿大学はこのうち後者で見事な成功を収めて躍進しており、今後もこう言った方面での競争が進んでランクの壁が破られて行けば日本の教育界も全体的な底上げが起こるのではないかと思っており、近畿大学には密かに期待していたりします。
 逆を言えばほかの私立大学についても小手先の改革に頼らず、学生の質向上に取り組みながらいい研究実績を作るなどといった、まともな方面の努力でもって大学ランクの壁を破るような下剋上を達成してもらいたいものです。なんでも競争に巻き込むことは私も反対ですが、真に競い合うべきところは競い合うに越したことはなく、そうした切磋琢磨によって世の中よくなってほしいものだというのが今日の私の意見です。

2015年10月23日金曜日

腐女子のDNA

 最近多いですがまた先日に友人と話した時の話題に、「なんで源氏物語が日本文学の最高峰の一つとして位置づけられるのがわからない」というものがありました。源氏物語が現在確認されている日本史上で最初に成立した小説であることには疑問の余地がないものの、果たしてこれが文学作品的に優れているかどうかとなったら正直疑問です。
 このように考えるのも源氏物語のストーリーがいろいろとアレで、短くいってしまえば母親に似た継母とか幼女を筆頭に女性をとっかえひっかえ(そのくせ正妻には手を出さない)するのがメインストーリーという、恋物語というかただのマザコンとロリコンのコンボを叩き出す変態物語なだけではとそこはかとなく感じるからです。ちなみに当時の感覚でも紫上に手を出そうとする光源氏はロリコンのように見られてたと当時の貴族の日記にも書かれてます。

 もちろん源氏物語には女をとっかえひっかえするだけの小説でないということはわかってはいますが、それにしたって現代から見ても内容がちょっとアレすぎやしないかと思うわけです。作者の紫式部なんて現代で言えばレディースコミックの作家にしか見えないという風にまた私が友人を前にして吠えていると、「レディースコミックと言えば、源氏物語の支持者って女性が多くないか?」という疑問が突然もたげました。

 ただ単に私が物を知らないだけなのかもしれませんが、源氏物語を持ち上げるような男性著名人となるとなんだかぴんと来ず、逆に女子大の教授とか瀬戸内寂聴先生など女性人だといっぱいいるような気がしてなりません。詳しくデータ取ってないで言うのもなんですが恐らく源氏物語の支持者は女性がやっぱり大半だと思え、また成立間もない頃も同じ状況だったのではと伺える資料もあったりします。
 その資料とは「更級日記」で、これは菅原道真の子孫にあたる菅原孝標女が自分の半生を綴った日記なのですがこの中で彼女は子供の頃、たまたま家にあった源氏物語の一部を読みふけって非常にはまり、何とかしてでも全巻揃えたいと訴え続けた末に念願かなって叔母さんから全巻をもらった時には、「ヒャッホー!(゚∀゚)」と言わんばかりにその喜びを表現して、貪るように読んだことが記されています。ってかこの時の菅原孝標女って十代前半だと思うけど、その頃からこんな本読んで大丈夫なのかという疑問がもたげますが……。

 この記事で何が言いたいのかというと、日本女子は昔も今もレディース系の激しくきっついストーリーが好きだった、平たく言えば腐女子だったのではという仮説です。自分は文系なので「日本人はDNA的にこれこれ~」という説明や主張は大嫌いであるものの、ことこの腐女子の系譜については日本女子のDNAと言っても差し支えないのではと少し考えています。
 ちなみに自分は過去に何度かレディースコミックをなんかの手違いで読んでしまったことありますが、「え?何これ?何が何だか全然わからないんだけどほんとに需要あんの?(;´Д`)」という感想を持った上では、はっきり言えば「ちょっと無理!」ってばかりに拒否感をリアルに持ちました。女性はあれ見て本当に面白いと思うのだろうか?

2015年10月20日火曜日

これまでのぶっ飛んだ体験記事まとめ

 先週日本に帰国中、うちの親父と伊勢に旅行へ行っている最中にふと最近のブログについてどうかと聞いたら、「ぶっ飛んだ記事が減ったよね」という意外な回答が返ってきました。このぶっ飛んでいるとはどういう意味かというと思想的な意味ではなく肉体的な意味で、要するに私のトンデモ体験記事が最近見なくなったことをうちの親父は不満だそうです。
 とはいっても嘘は書くこと出来ないし急に何かトンデモ体験しろと言っても無理もある。ただ逆に、これまでどんな体験を自分は今まで記事にしてきたのかなと少し思うところがあり、今日は私個人のぶっ飛んだ体験を書いた記事をまとめてみようと思います。

<高校時代の友人からかいエピソード>
煮え湯を飲むとどうなるか
血と涙のバレンタイン事件

 どちらも高校時代に友人を罠にはめた時のエピソードです。なお煮え湯を飲ませたエピソードは未だに私の中の思い出し笑いランキングで堂々の1位を維持しています。

<大学時代の貧乏話>
かつて餓えた日々
貧乏時代の私のエピソード
KOEIのゲームでやったこと

 どれも学生時代のエピソードですが、当時は記事中にも書いている通りに本当に毎日餓えてて食べることばかり考えていました。今思うとなんであんなに無茶してたのか不思議です。

<夢物語>
昨夜見た恐ろしい夢( ˘ω˘ ) スヤァ
昔見た夢

 どちらも過去に見た夢の内容を書いていますが、なんでこんな気違いな夢見たんだろうと読み返してて不思議に思います。

<服装系エピソード>
寒かった北京
休日の私の服装

 どちらも私の服装に関するものですが、真冬の北京に、しかも万里の長城にGジャン一枚で乗り込むって馬鹿じゃないかと読んでて我ながら呆れてきます。でもってもう一つの「休日の私の服装」で書いてあるように特徴的なTシャツを着る癖は続いており、この前も前の会社の後輩に、「花園さんは夏の時期よく、胸にでっかく『香港』って書いたTシャツ着てましたよね」と言われました。

<突発的体験>
深夜の決闘
突然の依頼
中国で聴いてショックを受けた歌

 適当にジャンル分け出来ないのをまとめましたが、「突然の依頼」で書いたように夜中急に中国語で記事書いてと言われてすぐに書いて出したのは今ではいい思い出だし、いい体験でした。

<身体的に痛かった体験>
フリーフォール
今日の衝突事故
これまでにやらかした神経的に痛い体験

 ある意味今回の記事主旨によく合っているジャンルがこれですが今回こうして記事をまとめていて思ったこととして、「なんで俺ってこんなにタフなんだろう」って感想でした。2階からまっさかさまに落ちたりオート三輪と衝突したりと結構危ない目に遭っているにもかかわらずなんで悉く無傷で戻ってくるのか、自分でもよくわかりません。

<精神的に痛かった体験>
運の尽きの一週間
パソコン破損(ノД`)

こちらは逆に精神的に打ちのめされたことを書いた記事ですが、どちらも海外生活ゆえのトラブルネタです。この記事だけ見るとひ弱そうな印象を覚えますが、逆を言えばこれら以外だと海外勤務して精神的に追い込まれることがなく、そのせいかこのところよく「肉体的にも精神的にタフだよね」と周囲からよく誉められるようになりました。

さようならOpera

 ここから単独で紹介していきますが、この「さようならOpera」の記事内容はただ単にOperaというブラウザを使うのをやめたことを書いただけの記事ではあるものの、記事中にあまりの使い勝手の悪さから無線式マウスを思い切りブン投げて壁にぶつけて壊したという気違いじみた私の行動が何故か詳細に描かれており、この記事を書いてからは「最近またマウスを投げたりしてませんか?」とやけに周囲から尋ねられる機会が増えました。

スピリチュアル体験録

 こちらの記事は私のブログにしては非常に珍しく、かなりオカルトじみた内容です。ただオカルトじみているものの記事内容というかスピリチュアルセッションで私が言われた内容があまりにもドンピシャであったため、私と直接会ったことのある知り合いはほぼ全員が驚く記事となりました。実際今読み返してもいろんな意味で凄い記事で、書いた当時に言われた内容を詳細に記しておいてよかったなとつくづく思います。

房総半島自転車一周地獄の旅

 私が今まで書いた記事の中で一番ぶっ飛んでいるものを挙げるとしたら、やっぱりこの房総半島一週を試みたこの記事でしょう。読めばわかりますが当日の朝に何の準備なく思い付きで開始するわ、途中でガードレールに衝突してリアルで空飛ぶわ、夜中1時に自転車のフレームが真っ二つに折れてギブアップするとか何考えてこんなことやってるんだよ我ながら呆れます。でもってこの時も空まで飛んでるのに致命的な怪我はしておらず、ソリッド・スネークに負けず劣らず自分ってタフなのかもとちょっと自惚れてきました。

2015年10月19日月曜日

横浜市マンションの施工不良事件について

 昨日はVWの不正事件について記事書きましたが、今日は負けじと日系企業の不正事件を取り上げようと思い、巷で話題になっている三井不動産レジデンシャル(横文字嫌だな)と旭化成という超大手企業のミラクルタッグによって生み出された横浜市のマンション施工不良事件について思うことを書いてきます。にしても中国に戻ってから何故かほぼ毎日左首が痛い、枕悪いのかな。

 本題に入りますが、この事件に関してはこのところ毎日トップニュースで逐一報じられているので説明の必要はないでしょう。この報道の影響を受けて以前に書いた大津の欠陥マンションの記事アクセスが増えればいいなと思っていたら案の定増えてて地味に恩恵を受けてたりしますが、この事件によって一番恩恵を受けているのは案外、直前に免震ゴムに続き防振ゴムでも検査不正を行っていたことがばれた東洋ゴムじゃないかと思っています。多分、みんなこの会社のこと忘れてるでしょうが、私は変に記憶力がいいだけに忘れてませんけど。
 そんな東洋ゴムといい、今回の施工不良は間違いなく大手と呼んでいい三井不動産レジデンシャル(横文字は嫌だ)と旭化成の二者が絡んでいるだけに、「大手だから安心」とはやっぱり言えないものだなというのが私の第一印象です。特に不動産業界は動く金が大きいだけに上から下まで隙あらば不正をとばかりに、大津の欠陥マンションの事例でもそうですが常識では考えられないとんでもないことをやらかす人間が他の業界と比しても多いような気がしてなりません。

 今回の事件も旭化成子会社の検査員が施工記録データを転用したことに端を発していると報じられていますが、そんなことしてばれたらどうなるのかという想像力が働かないのかと話を聞くだに呆れます。こんなこと言うと会社や上司のプレッシャーがあったのではなどと擁護する声もありますが、それは個人の都合であってマンション住人を巻き込んでいい理由にはならないというのが私の意見です。

 話は戻りますが上記の通り報道されている限りだと、今回の事件は旭化成の従業員がやらかしたことによって三井不動産側が大損を受ける構図になりそうです。これは一見すると三井不動産がマンション住人と共に被害者側であるかのようにも見えますが、三井不動産側は施工不良を疑う住人からの声に対して当初、「東日本大震災による影響」として施工不良を認めなかったとも報じられており、仮にこれが事実だとすると隠蔽しようとしたと言われてもしょうがないでしょう。実際、マンション住人はこの一件で三井不動産に対しても強い不信感を持ったと報じられています。
 三井不動産が住人からの質問を受けた段階で今回の施工不良を把握していたかどうかは現段階だとさすがに判断つきませんが、私個人としては何故「東日本大震災による影響」と回答したのかが気になります。地震が原因だと判断しうるデータをきちんと持っていたのか、持っていたのであればまだ理解できますがそうでなくその場しのぎに適当に返したのが先程の言葉だとしたら、この会社のリスク管理能力に対して強い疑念を覚えざるを得ず、普段の発言もちょっと信用の出来ない不誠実な態度の会社だなと感じてしまいます。

 長く書く気がないのでもう切り上げますが、この事件もあくまで氷山の一角で会って全国にはまだまだ明るみになっていない施工不良マンションがごまんとあることでしょう。建設Gメンや構造確認を専門とする設計事務所などは最近増えており彼らの活動には今後も期待したいところですが、人命にも関わることだし本来なら政府がちゃんとした調査機関を設けて調べるべきだと思うのですが、安倍首相も携帯電話料金の発言に続いてこういうことも考えてくれないかな。

2015年10月18日日曜日

VWの検査不正事件に伴う代償

 以前にもマツダのディーゼルエンジンと絡めて検査不正事件を起こした独フォルクスワーゲン(VW)について書きましたが、今日はぱぱっと今後の展開について予想を書きます。

 既に独当局などの調査によって今回米国で発覚したVWのディーゼルエンジンの検査不正は一部担当者によるものではなく組織だった、つまり会社ぐるみで行われた不正であることがほぼ明らかとなっております。VW側は当初、米法人の一部担当者が独自に行ったことと否定したものの欧州域内で販売されている車種のエンジンにも同様の不正が行われていたことが分かったことによってこの主張は崩れ、過去数代の経営陣、果てには現場の技術者を含めて多くの人間が関わっていたと見て間違いないでしょう。残る疑問点は検査不正に使われたコンピューターの制御を担当した自動車部品メーカー大手の独ボッシュがどこまで関与していたのか、不正を行うことを知って部品を供給していたのかが判断の分かれ目となるでしょう。ってか、俺もよく平気でこういうこと書くな。

 そうした犯人探しはひと段落がついてきたところで、次に問題となるのはその責任の取り方です。当初、VWはリコールに消極的でしたが米当局、果てには独政府から勧告を受ける形で関係する車種全てをリコールすると発表しました。リコール対象の車種については現在調査中とされているものの各種の報道を私の方で簡単にまとめたところ、各市場での対象台数は概ね以下の通りになると見られております。

<販売市場別リコール対象台数>
米国:48万台
欧州:850万代(VW)、210万台(アウディ)
※アウディはVW傘下の子会社というかブランド。実質的にはほぼ同じ会社

 合計すると1000万台超にも達するためやったねテンミリオンオーバーと皮肉の一つでもかけてやりたいくらいですが、このリコール(何故か「トータルリコール」という単語が浮かんだ)に伴う費用もさることながら、果たして本当にリコールだけで済むのかという疑念を密かに持っております。それはどういう事かというと、今回の検査不正はその不正の内容から察するに、リコールして修理を行ったところで販売時のカタログスペックが達成できないことが目に見えているからです。
 今回の不正はエンジンの挙動を検査内容に合わせコンピューターで制御することによって排出する汚染物質を実際の販売車以上に小さく見せたものでした。そのため仮に排出物の量を検査時と同じレベルにまで低減しようものならエンジン性能は大きく制限されることとなり、パワーや燃費の悪化は確実に避けられず、販売時のカタログスペックとは異なるエンジン性能になってしまうわけです。

 欧州域内ならドイツ政府の意向でまだこれでもどうにかごまかされるかもしれませんが、米国内だとそうは簡単に行かないだろうというのが私の味方です。言ってしまえば販売時に約束した性能が出せないこととなりただでさえ裁判好きな米国人なだけに、悪意を含んだ不正によって欠陥車を持たされたと主張して販売時の代金を全額返金するよう求めてくるかもしれません。つまり、下手したら48万台は全額返金を求められる可能性があるということもあり、また私自身そう言われてもしょうがないかもと思うくらい今回のVWの不正は根強いものです。

 既に米国は今回の不正に対してVWに制裁金を課すよう準備しておりますが、その金額は米国内だけで2兆円にも達するとされ、それに各国のリコール代金、下手して返金まで発展したら半端ない金額の現金が一挙にVWから流出することとなります。となると次に考えられるのは、それらの支出に対してVWは資産を切り売りするのか、言い換えれば傘下の自動車ブランドの売却に動くのかということがこの次のポイントとなるわけです。

 VWの傘下ブランドは先ほど挙げたアウディを始めとしてポルシェやランボルギーニといった超高級車ブランドも多く、その資産価値は決して低くありません。さすがにポルシェとかを売りに出すことはないと思うものの日本では馴染みのないシュコダやセアトくらいだったら売りに出すこともあり得るんじゃないかと思え、そうなると今度はどこがそれを買うかです。最有力候補はやはりというか中国の自動車メーカーで、次点で好調続く米GM。日系としては中級自動車ブランドだったらあまり買収メリットがなく、また円安という状況もあるので特に動くことはないでしょう。もっとも、アウディが売りに出されるとしたら中国自動車メーカーならどれだけ金を積んでも買おうとすることでしょう。

 最後にこの事件ですが、日系企業にとってはこれ以上ないほどの追い風でしょう。特に中国市場はVWのシェアが高いだけにこれを機に追い上げを図ろうとキャンペーンを打ち出してくるかもしれません。最も、調子に乗らない方がいいとは思いますが。

2015年10月17日土曜日

中心無きイスラム世界

 前日本に旅立った中国人留学生より今日メールがあり、「来日1日目にして財布落とした(ーー;)」と報告がありました。以前にもたびたび、っていうか毎回決めていた時刻に遅刻してきただけに、「注意力がなさすぎるんだよお前は!」と返信しておきました。さて、問題はこの後どうやってフォローするべきか……。

 話は本題に入りますが現在の国際社会で何が最も大きな問題かと問われるならば、それは間違いなくシリアを中心とした中東世界の混乱にあるでしょう。先日大きく報じられたEU諸国への難民流入問題といいその影響は周辺各国にも及び、仮にこのまま長期に渡って解決が図られなければ小さくない打撃を国際社会は受けることとなるのは必定と言えそうです。

 では何故中東世界で混乱が続くのか。直近で起こっている事態については最近誰も口にしなくなった「アラブの春」に端緒を発しており、この事件以降中東各国で革命が続いたことによって政権崩壊、難民の大量発生、並びに受入国の減少を招いております。しかも、目標とされていた民主化の実現すらあいまいなままで。
 またアラブの春より遡れば米軍のアフガニスタン、イラクへの攻撃も混乱の要因となっており、これによって旧支配勢力が駆逐されたものの新しく政権に就いた組織は傍目にも薄弱で、実際にオバマ政権になって駐留する米軍兵力が縮小されるやその支配の隙を突いてイスラム国が勢力を持つに至り、混乱に拍車をかけております。

 ただこれらの中東問題は追えば追うほど根が深いというか、本気で議論しようものならパレスチナ問題から第一次中東戦争、下手すればそれ以前の列強各国の植民地時代まで遡らなければなりません。さすがにそこまで議論する気はないのですが、それらの歴史と現状を突き詰めると究極的には「イスラム教」が重要なキーワードとなり、また現状の問題を考える上でも避けては通れない概念と言えます。イスラム過激派組織も、また政権側もイスラムの教えを旗頭にして自らの正当性を主張しているわけですが、そのイスラム教義の解釈についてはもはや各組織によってばらばらで、最も極端なイスラム国に至っては人身売買すら教義に適っていると主張して、またそんな無茶苦茶なことを言っているにもかかわらず未だに海外から参加者が集まってきているので世の中わからないもんです。

 書いててなんだか辛くなってきたのでここで結論を述べると、これら中東、いやイスラム世界で混乱が続く要因として、イスラム教の中心となるべき組織や団体が存在しないことが大きいのではと密かに睨んでいます。言うなれば、キリスト教にとってのバチカンに当たるものがイスラム教にないことが過激派や少数派を生んで収拾のつかない事態を招いているのではと言いたいわけです。

 言うまでもなくバチカン、並びにそこに鎮座するローマ法王はキリスト教世界を構成する中心の一つで、その動向に関しては非キリスト教国ですら気にします。キリスト教も内部には様々な教派や、ガチでバチカンことカトリックに刃向って出来上がった英国国教会なども下りますが、そんな連中であってもバチカンが打ち出す方針は気にせざるを得ず、それによってキリスト教圏は一定の思想統一が図られているとこれまでの歴史を鑑みてつくづく感じます。

 一方、イスラム教においてはそのような教義の中心となる組織はあったのか。この問いの回答はというと「かつてあった」で、具体的にそれに当たるのはムハンマドの一族が継承していた指導者の地位に当たる「カリフ」と、イスラム王国の最高権力者に当たる「スルタン」です。どちらも時代によってその地位に就く人間、ならびにその地位が存在する国家が変わっていったりしましたが、スルタンに関してはオスマントルコの皇帝がこの地位についていたものの、1922年のムスタファ・ケマルによる民主化、並びに政教分離の徹底によって現在のトルコ国となって以降は全世界のイスラム勢力に影響を与えるスルタンは出ていません。

 もっともオスマントルコの崩壊以降にイスラム世界を指導する存在が途端になくなったわけではないというのが私の意見です。あくまで私個人の考え方ですが、オスマントルコの崩壊以降はエジプトが実質的にイスラム世界の指導国となり、イスラエルとの中東戦争で他国をまとめるなどイスラム世界の軸となっていた見ております。逆を言えば、「反イスラエル」というものがイスラムをまとめる一つの軸だったというわけですが。
 ただそのエジプトも第四次中東戦争後のサダト大統領時にイスラエルと電撃的な和解に至り、イスラム世界での指導力が低下することとなり、それ以降は文字通り「中心無きイスラム世界」が始まり、現在に至るまでただのテロリストですらイスラム勢力を名乗るほどイスラム教価値観の乱立状態となっております。

 これがすべてを解決に導く特効薬になるとはもちろん考えていませんが、私個人としては現在のイスラム世界に安定をもたらすためにも、イスラム教の教義や価値観を決める上で中心となるような、キリスト教にとってのバチカンのような組織や集団を作るべきではないかと思います。このような考えを先日大阪で会ってきた大学の後輩(社学の同門)に話したところ、その友人が話したイスラム関連の教授も同じようなことを口にしていたと教えてくれました。はっきり言ってイスラム教に関しては問題漢もいい所でこんなところで偉そうな口を利ける立場でないことは重々承知しているものの、社会学士(というか国際政治マニア)の立場としての意見としてここでこのイスラム世界の中心設立案を強く主張したいと思い、今回このような記事を書きました。

 ただイスラム世界の中心と言ったってそんなの出来るのであればとっくに出来ているはずで、作ろうったってどうやってというのが現代の課題です。しかし中東の安定をもたらすためにも非常に大きな存在になると思われるだけに、日本をはじめとした国際社会は資金を始めとした支援を全力で行ってでもこのような中心組織なり象徴を作るべきではないかと思います。
 では現代でそのような存在になり得る候補はどこか。まず米国とも関係が強く聖地メッカのあるサウジアラビアがありますが、ここは王族支配が強く恐らく無理だろうと先程の友人との間で一致しました。ではかつて指導国となっていたエジプトはどうか、ここもアラブの春の影響で絶賛混乱中のためとてもとても期待できそうにありません。

 ならばどこか。素人としての意見を述べるならば一番期待したいのはほかでもなくイランです。ここは中東世界において実は最も民主的な政治体制であり、また懸念材料であった米国との関係も近年劇的に改善してきており、日本をはじめとした民主主義国家にとってすればイスラムの中心となってくれれば一番都合がいい国ではないかと思えます。どちらにしろ、中東の混乱を国際社会はいつまでも管かすべきじゃないだけに、周辺地域内できちっとまとめられ先進国とも話し合える強国を作るのが一番だと思うのですがね。