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2016年3月3日木曜日

千葉のマッドシティ~バンダイミュージアム(移転)

 このブログとリンクを結んでいる潮風大使さんがディープなマッドシティネタをわざわざ取り上げてくれているので、興味がある方は是非下記リンク先をご覧ください。

潮風太子松戸に出没す(笑う蜘蛛の糸)

 一方、こちらのブログではマッドシティネタがこのところめっきり少なくなってきておりますが、何もネタが切れたというわけではなく単純にほかに書くネタが多過ぎるというのが実情です。とはいえいい機会だし、あと知り合いと一緒に夕飯食べて眠いこともあるので大分前に準備しておいたバンダイミュージアムについて今日は紹介します。

おもちゃのまちバンダイミュージアム(Wikipedia)

 バンダイミュージアムとは玩具製造販売大手のバンダイ(現バンダイナムコホールディングス)が設立、運営しているアミューズメント施設です。栃木県下都賀郡にあり、看板商品のガンダムに関連した商品や展示を中心に様々な玩具が多数置かれてあり、大人から子供まで様々な年代が楽しめるような施設となっております。行ったことないけど。

 で、なんで栃木県にあるこの施設をマッドシティネタで語ってんのかというと実はこのバンダイミュージアム、元々は松戸市にあった施設でした。場所は松戸駅から徒歩一分というかほぼ接続している商業ビルのピアザ松戸で2003年にオープンし、聞いた話だとガンダムのプラモデルが大量に売られていたとか。そんな松戸市に合った施設が何で栃木県に移ったのかというと、はっきりとは言われていませんが客足がそんなに伸びなかったという営業上の理由が大きかったとのことで2006年に閉店しており、2007年から栃木県で再オープンしたそうです。

 で、正直なことを述べると、実は私も松戸時代のバンダイミュージアムには一度も行ったことがありませんでした。なんでかって理由は非常に単純で、この時期の私は京都方面で転戦を続けていたというか大学に通ってて(+北京)、関東にはほとんど滞在していませんでした。なのでたまに帰省した際も松戸にこういう施設が出来たとは聞いてはいたものの足を運ぼうとまでは思うことはなく、むしろこういうアニメグッズやプラモを買おうってんなら秋葉原まで出向こうとしたでしょう。
 あくまで私個人の意見ですが、なんで松戸でバンダイミュージアムが流行らなかったのかというと都心に近すぎたということも一つの理由じゃないかと思います。都心に近すぎてこの手の商品なりアミューズメントを求めるのであればもっといいところというか候補が数多くあり、地元民はともかくとして中途半端な距離にある松戸にまで足を運ぼうっていう人が多く出なかったのかもしれません。

 なおこの元入居先ことピアザ松戸にはかなり前から1~2階にはゲームセンターが入っており、その上にはマクドナルド、紳士服の青山、ダイソー、ユザワヤ、ブックオフが入っています。ゲームセンターには中学生の頃に親父を無理やり引き連れて25対25で打ち合う戦車ゲームして遊んでて何故か親父もこの時のことをやけに覚えてて何度も話題にしてきます。
 紳士服の青山では開店当初に一着スーツを購入していますが、今日以前いた職場にそのスーツ着て顔を出したら、「あら、あんたスーツも持っていたのね」と、昔の同僚に言われました。秋から春にかけてその職場ではほぼ毎日、猫の絵柄に「ALCATRAZ」とアルファベットで書かれたトレーナとGジャン来て通っていたのですが当時の同僚みんなこの格好を覚えてて、むしろどうして今日それを着てこなかったという風にまで言われました。

2016年3月1日火曜日

伝統工芸のぼったくり事情

 本題とはまた関係ありませんが、今職場で使っているパソコンと自宅で使っているパソコンのこーボード配列が異なっているため、なんかこのところ職場でも自宅でもキーボードを打っているとどちらでも違和感を覚えてなんでやねんという状況です。どちらもノートパソコンですが、自宅では外付けキーボードを使っているものの職場ではノーパソ付属のキーボードなので、職場にも外づえっキーボードを一応は用意したもののなんかテーブルの高さが合わないのか仕事し辛くて結局外してしまいました。

日本の誇りを守るため「伝統文化」も変化せよ なぜ、ここまで「ボッタクリ」がまかり通るか(東洋経済)

 そういうわけで本題ですが今日引用する記事はみんな大好きアトキンソン……といっても、この名前聞いてするわかる人はほとんどいないでしょうが、この人は以前に私が書評を書いた「新・観光立国論」という本の作者で、以前ゴールドマン・サックスの日本支部でアナリストをやっていた愉快なイギリス人です。
 どうでもいいですがこの前、「イギリスに留学した姉が現地の食べ物がまずくて栄養失調寸前なんだけど」というまとめ記事見てうんうんと深く頷いていました。自分は余り食にこだわりがないけど、生きているのが本気で嫌になったのはロンドン滞在時くらいです。

 アトキンソン氏は現在、京都にある文化財保護事業を行っている小西美術工藝舎で活動されておりその傍らで日本の観光産業について提言や警鐘を行っているのですが、今回引用した記事では、日本の伝統工芸が実は日本の物ではなくなってきているにもかかわらず、日本製と偽ってぼったくりに近い行為がなされていることを紹介しています。
 そういった一例としてこの記事で紹介されているのが「漆」なのですが、自分もこの記事で初めて知りましたが漆の英語名は「japan」とのことで、それほど世界的にも日本を代表する素材だと認識されているようです。しかし、現在日本で使われる漆の98%は実は中国産で、重要文化財の塗り直しとかにも日本産の漆はほとんど使われなくなっているそうです。

 それでも日本人が作っているのなら日本製といえるのでは、と思うかもしれませんが、アトキンソン氏によると、日本らしいものを買い求めに来ている外国人からすれば「そりゃないよ」と受け取るだろうと否定した上で、

「想像してみてください。みなさんがイタリアで高価な『ヴェネチアングラス』を購入して来たとしましょう。後にそのガラスが実は中国産だったと聞いて、どう感じるでしょう。『ダマされた!』と思わないでしょうか。」

 おっしゃることまさにその通りで、日本の伝統工芸品として売り出している以上は徹頭徹尾日本産にこだわるべきでしょう。これも本文に書かれてますが、漆が「japan」ではなく実は「china」だったというのはシャレにならない話です。

 またこの漆と合わせて金箔についても触れており、一部で中国産の金箔を使って安く作っているのにもかかわらずお値段は据え置きで、ぼったくっている業者が少なからず存在するということも指摘しています。安く作れるのならそれに越したことはないものの、それを消費者に還元しないというやり方は消費者にも技術者にも産業的にも悪影響を与えていると指摘し、それならば値段が高くても本物志向にこだわるべきだということを暗に示唆しています。

 なお最後の方で金箔に疑問を持ったきっかけとして、以下のようなエピソードが載せられています。

「業者から『金の値段が1割上がったから、1枚あたりの単価が1割上がります』と言われました。これは元金融アナリストとして、絶対に認められない話です。1枚あたりの単価のなかには、職人の賃金、固定費なども含まれているはず。金だけで構成されていないのは明らかです。」

 というエピソードを書いた後、「ゴールドマン・サックスという世界トップクラスの投資銀行の元役員にそんな話が通じるはずもない」と、かっこよく言っててマジリスペクトみたいに思いながらこの記事読んでました。

2016年2月29日月曜日

最近のブログ更新速度について

 いきなりいうのもなんですがこのところこのブログの更新ペースは一様に上がり続けています。しかも更新が多いだけじゃなく取り上げるネタも自分から見てもなかなか面白い内容が多く、特に去年一年間にあまり多く書かなかった中国経済関連の記事が増えていてどれも内容が充実していると思います。
 一体何でこうなったのか。一番大きな原因は1月に引っ越しとネットトラブルの影響を受けて記事更新が一時中断したのと、やはり昆山から上海に引っ越してきていろいろと周囲から受ける影響というか刺激が増えて気が付くことも増えてきたからだと思います。今こうしている状態でも取り上げようとするネタは常に5本以上抱えている状態が続いており、早く消化しなければと思って書いている間にまたどんどんと書きたいネタが見つかって文字通り作業が追い付かない自転車操業のような感じに陥っています。

 かといって、以前みたいに一日に二本や三本をまとめてアップすると読者への負担が明らかに大きすぎます。書いてるこっちももちろん負担ですが。
 なのでひとまずは一本ずつ消化していく方針で記事を書いてますが、それにしてもなんでこんなに消化できないのか自分でも不思議です。書いてるだけならまだしも、地味に隠れて周囲へ取材も一緒に行ってますし、たまには休日に一歩も外に出ないでボーっとしていたい気もしますがこのところは午前中から夕方までほぼずっと自転車に乗って読解く日々が続いているし、来週に至ってはまた、晴れていたらですが自転車の遠征が決まりました。

 なおたまに聞かれますが、平日の就業中には一切ブログは書いていません。っていうか書くほど暇じゃないですし。いつも家に帰宅してからネットで情報収集して、それから執筆に入るというペースが数年前から確立されていますが、それにしたってもう少しのんびり書いた方がいいのかなとたまに思ったりします。

2016年2月28日日曜日

龍華寺へ訪問(上海市内)


 このブログを読んでおられる方には早いですが、昨年末から中国人にスチール棒で殴打されてこめかみから出血したり、引っ越し先にネット回線がリアルに存在しなかったり、ネット回線契約したら業者が住所を間違えて入力したため危うく工事できなかったりなどと、我が事ながらあまりにも運気に見放されていると感じる日々が続いております。後輩からも、「あなた憑かれてるのよモルダー」と、最後の「モルダー」とまでは言われていませんがなんか悪霊か何かに取りつかれているのではないかと心配されるほどで、自分自身もかなり早くからその可能性を疑ってきました。
 とはいえこちら上海で悪霊が嫌がるようなパワースポットがあるかとなるとこちらもまた疑問で、何かそういうところないかなと探してみたところ、「ここがイチオシ」という具合に紹介されていたので、上海市内でも最も古いお寺とされる龍華寺へ朝から行ってきました。

正面入り口を入ってすぐの所
 
 龍華寺は上海市の中心部南にある所で、地下鉄11号線の「龍華」という駅のすぐ近くにあります。中に入るには10元払ってチケットを買う必要がありますが、チケットと交換で火にくべる線香もらえるので比較的良心的です。
 上の写真は入り口を入ってすぐの所で撮ったものです。撮影しながら、「撮影する写真には女性をなるべく入れるように」という、香港記者時代の上司のアドバイスを思い出しました。


 ちなみに寺のすぐそばには「革命烈士公園」というでかい公園&展示施設もあります。こっちは無料でしたが、展示内容がやや細かく網羅し過ぎなように思え見ていてそれほど楽しめませんでした。


 この写真は「羅漢殿」と書かれた建物の中ですが、「俺の知っている羅漢とは違う……」と思って写真撮りました。日本で羅漢というとアメコミに出てきそうなムキムキでごつい男たちですが、なんか中国だと違うのかもしれません。


 仏像前の祭壇ですが捧げられているお供物見て、「パイナップルか、いいもん食ってるな」と思いました。


 境内の脇でなんかいろいろ燃やしていました。煙と煤の量が半端じゃなく、風下に立つと少しきついくらいの燃えっぷりでした。

 お参りの効果があるのかどうかは今後に委ねるとして、何気にそこそこ長い期間住んでおきながらですが上海市内にこんなお寺があるということを今まで全く知りませんでした。上海市の仏教寺院というと市内中心部にあってショッピングモールに囲まれている静安寺がメジャーで私もそこしか知りませんでしたが、案外近くにこういう古刹もあったんだと正直驚きでした。
 やっぱり以前と違って自転車があるため、行動範囲が格段に広がった上海生活が展開されています。ちなみにこのお参りの後は帰り道にあったからIKEAに寄ってみたところ、食堂の余りの混みっぷりに疲労する羽目となりました。

2016年2月27日土曜日

中国の住宅価格が上昇し続けてる件について

 引っ越しを終えて二週間経ちようやく落ち着いてきたものの、落ち着いてきた今だからこそ買いたいものがたくさん出てきて今日は朝から夕方までニトリで日用品買ったり、ジャンクなPCパーツ屋でWIFI発信機を買ったり、立ち寄ったスーパーで6元(約108円)で2.5リットルのコーラ買ったりとほぼずっと買い物をし続けていました。ついでに自転車屋にも寄ってもはや顔なじみとなった店員に挨拶交わすと共にギアを少し調整してもらうというおまけつき。
 こんな感じでずっと走り回っていたら上海人の友人から、「是非これを書いてくれ」とメッセージが送られてきました。普段はどうでもいいことを要求してくることが多いのですが今回提示された話題は中国の住宅価格についてで、ちょっと面白いデータも添付されてて面白いと感じたので、今日はこの話題について書きます。

 中国の住宅市場がバブルといわれて幾星霜。以前にも取り上げていますが中国が嫌いな人たちは毎年のように、「中国の住宅バブルは今年中にはじける」と言い続けるとともに毎年その予想を外し続け、最近になってからだとさすがにというかようやく反省したのか商売にならなくなったのかあまりこういう言質も見なくなってきました。具体的に言うと「爆買い」という言葉が出始めた頃から中国バブル崩壊論も減少してきたように思え、やはり中国批判が商売になり辛いというか障害になってきたというのが一番大きな背景でしょう。
 では実際の所はどうかってことですが、今回上海人が送ってきたデータというか記事がまさにそれで、2016年1月における都市別の住宅価格変動データでした。そのデータをそのまま引用すると、

「2016年1月における上海市の公営住宅を除く新築住宅の1平米当たり成約価格は前年比24.9%上昇の3.59万元(約64万円)、深圳市では同74.27%上昇の4.65万元(約83万円)だった」

 以上のように、上海市では去年の1月から今年の1月で1.25倍に、深圳では1.74倍になったと報じられているとのことです。
 さすがに数字でかいんでほんまかいなと思い裏取りをしたところ、このデータはこのところ急激に拡大している中国の不動産サービス大手「鏈家房地(正式名称は北京鏈家房地産経紀有限公司でみんな鏈家と呼んでる)」が出したデータだったようで、以下の記事にほかの媒体が出したこのところの住宅価格データと共にまとめられています。


 少し脱線しますが「華爾街」というのは「ウォール街」の中国語訳です。だけど記事の出典元のニュースサイト「華爾街見聞」はWSJことウォール・ストリート・ジャーナルとは無関係だし、第一本部も上海にあるとのことでまたいつものかと思いました。

 話は戻りますが、香港であれば下手な政府データよりも大手不動産サービス大手がまとめた司教データの方が信用できるのですが、中国本土だとそうもいかないというか鵜呑みにできないところがあります。なので今度は中国の国家統計局を訪れてみたところ、タイミング良いというか昨日26日に毎月出ている70都市住宅価格変動統計データの1月版が出ていました。

2016年1月份70个大中城市住宅销售价格变动情况(中華人民共和国国家統計局)

 書かれている中国語は簡単だしデータは図表にまとめられているので中国語がわかる方は直接サイトを見てもらった方がいいかもしれません。
 こちらのデータは中国国家統計局が毎月出しているものなのですがこちらによると上海市の公営住宅を除く新築住宅価格は、前月比で2.2%、前年比で17.5%の上昇をしており、深圳市も前月比で4%、前年比で51.9%の上昇とまとめられており、鏈家のデータほどではないにしろ大幅な上昇を続けているというデータが出ています。っていうかこんなの見てたら、日本の住宅価格上昇なんてどうでもいいことのように思えてきます。

 もう少しデータについて補足すると、これほどまでに急激に上昇した背景としては春節という中国のビッグイベントが影響しており、住宅にしろ車にしろ、高額な買い物は春節直前に行われることが多いためこの時期の伸び幅は他の月よりも明らかに大きいことがあります。
 また上海と深圳以外の都市についてですが、北京や広州、武漢といった主要都市でも上昇が続いておりますがいわゆる地方都市こと三級、四級都市ではほぼすべて下落しており、主要都市と地方都市とで明確な差が出始めてきたと各記事で指摘されており、私も同意見です。とはいえ主戦場である主要都市では上がってるんだから、バブル崩壊とはとても言えない状態でしょう。

 なおたまたまですが、この前私がお世話になった不動産屋のおばちゃんから前の部屋の敷金を受け取りに行った際に最近の市況はどうかと何故か聞いたところ、やはり新築住宅の人気は高く価格も上昇する一方で、よく売れている価格帯としては7000万元(約1億2600万円)当たりだと教えてくれました。金額を聞いて呆然とする私に対しおばちゃんは、「もし必要になったら相談しなさい。安くていい物件を探してあげるわ」と力強く言ってくれましたが、「いや、そんな金額無理やってヾ(゚Д゚;)」と恐縮することしかできませんでした。

とんかつ屋でのご飯おかわり記録

 今日は仕事を終えてから上海高島屋に寄って、そこの7階にある「かつくら」というとんかつ屋さんで晩ご飯食べてきました。一体なんでこの店に立ち寄ったのかというと、実はここ、上海高島屋がオープンした初日に私が取材したお店だからです。
 上海高島屋がオープンした初日はオープン前から記事書いて取り上げていた私も訪れ手は見たのですが、ぶっちゃけ高島屋側のプレス向け広報があんましっかりしておらず館内のしょうもない説明ばかりで記事に書くネタが乏しく、補填するネタをどうにか用意する必要がありテナントとして入居したこの店の関係者らしい人が背広で歩いていたらすぐさま声かけて、話聞いてそのまま記事に取り入れました。何気に海外店舗第一号店だったので、記事に仕立てやすく本当に助かった。

 このような関わりもあってか取材で世話にもなったんだし、なるべく売り上げに貢献してあげたい気持ちもあって先月に上海へ越してきてから割とよくここへは立ち寄っています。もちろんここのとんかつの味自体が舌に合っていることもあるのですがそれともう一つ、この「かつくら」には実は学生時代からずっとお世話になっているという因縁もあったりします。

 知ってる人には早いですが「かつくら」の本店は京都にあって、京都市内の繁華街やデパート内には割とよく出店していて見かけることも多いお店です。無論、学生時代を京都で過ごした私もこのお店の存在は早くから認知していたものの、このブログでも何度も書いておりますが学生時代の私はリアルに金が無く、そんな威張るほどしょっちゅう立ち寄っていたわけではありませんでした。
 何度も書きますが学生時代の私は本当にお金が無く、食費も極限まで削った生活をしていたためほぼ毎日暇さえあれば夕ご飯に何を食べようかと必死でシミュレーションするほど深刻に餓えていました。お菓子でも「きのこの山」を買うくらいなら100円のビスケットを買った方がお腹にたまると友人同士で情報を交換し合い、たまにはチョコレートの味を感じたいと思いつつもきのこの山をあきらめビスケットでよく我慢しておりました。

 そんな万年金欠飢餓状態の私でしたが、資格試験の前日などここぞというところではおいしいもの食べて気合を入れることがあり、そうした場面でこの「かつくら」をよく活用しました。一体何故ここで「かつくら」を選ぶのかというと、このお店はご飯とみそ汁と千切りキャベツがおかわりし放題だったからです。
 初めて「かつくら」を訪れた日、時間帯も覚えてるけど確かお昼前でした。あらかじめ情報を得ていた私は緊張しながら店の扉をくぐり一番安いロースとんかつ定食を頼み、注文した品物が出てくるとまずゆっくりととんかつ一切れを口に入れ、でもって茶碗に盛りつけられたご飯を全部食べて即おかわりを申し出ました。ご飯のおかわりが出てくるまでの間に味噌汁とキャベツを口にして、ご飯が出てくるとまたとんかつ一切れを食べて茶碗に盛りつけられたご飯を……ということを繰り返し、結局その日はご飯を五回おかわり、キャベツとみそ汁をそれぞれ一回ずつおかわりして、「一体どれくらいぶりだろうこの感覚は……」と思うくらいに久々の満腹感を覚えました。なお近くのテーブルにいたカップルはマジで私の方をちらちら見ていました。

 このように外食とはいえ半端ない量を堪能できることから学生時代に思い切り食うと決めた時はこの「かつくら」を頼り続けていました。一回親父が遊びに来た時も一緒に「かつくら」を訪れましたが、この時も五回くらいご飯をおかわりしたので親父がえらい驚き、その後もよく話題に出されます。っていうか店員に、お櫃ごとご飯ちょうだいって先に言えばよかったかもしれません。

 以上のような体験というか学生時代の借りもあって、未だに私の中でとんかつ屋とくればこの「かつくら」が一番のお店だという妙な信条があります。なお上海高島屋の「かつくら」ではご飯を最初からお櫃でくれるのですが中に入っている量はそんなに大した量ではなく、ちょっとつめればお茶碗一杯に収まる量です。別に今は学生時代ほど餓えた生活しているわけじゃありませんが、食べ慣れた味(豚肉は安徽省と山東省から取り寄せてるとのこと)ということもあって、お櫃二杯、感覚的には一合くらいのお米食って、あと味噌汁とキャベツも一回ずつおかわりして今日は帰りました。
 その気になればご飯はもう一合食べられたなということと、学生時代だったら「孤独のグルメ」の出演オファーにも堂々と対応できただろうと思いながらエスカレーターで下っていきました。

 なおその帰り、日本の品々を打っている高島屋の特設コーナー寄って何故か南部鉄器の急須を428元で購入。前からすごく欲しかったのですが、マジ頑張りすぎている自分へのご褒美として思い切ってついに購入してやりました('∀`)

2016年2月26日金曜日

ルターは何故、宗教改革に取り組めたのか?

マルティン・ルター(Wikipedia)

 最近歴史物の記事書けてないので、前から書きたかったルターについて書きます。
 さてルターといったらキリスト教の宗教改革の嚆矢を放った著名な人物としてお馴染みですが、彼は元々宗教家になろうとしていたわけではなく、当初は法律家を目指して法学を学んでいました。そんな彼が何故キリスト教の修道士へと進路を鞍替えしたのかというと、なんでもある日おうちに帰る途中で雷雨に遭って、「お願いだから雷落とさないで。僕、修道士になるから!」と言ったことがきっかけで、その日を境にすっぱりと法学の道をあきらめて修道会に入ったとのことです。

 このエピソードからしても、どうもルターは堅物というか真面目過ぎる人物だったのではないかと伺えます。将来を期待してた両親などは上述の進路変更に大反対だったそうですが、「俺はもう約束してしまったんだ」といって話を聞かず、そのまま突っ走るようにして修道士へ、そして神父になってしまうのですから、真面目過ぎるだけじゃなく無駄に行動力もある人物だったのだろうと勝手に推定しています。

 そんなルターが宗教改革に取り組むきっかけになったのは、世界史履修者ならみんなお馴染みの贖宥状です。これはお金に困った一部の教会が献金を集めるために、「贖宥状を買えば罪が許されて天国いけるよ♪」と売り出したことにキリスト教内部からも批判が起こって議論となったという問題で、何もルターだけでなく当時の多くのキリスト教関係者が疑問を呈しているのですが、実際に堂々と批判するという行動にまで打って出たのはルターほか数名だけだったそうです。
 キリスト教会側もこの贖宥状に関しては多少負い目があったのか当初はルターをなだめて穏便に議論をまとめようとしたそうですが、教会側から提示された和解案をルターは悉く拒否しながら公開討論や是正を求め続け、結果的に教会並びに神聖ローマ帝国は彼のありとあらゆる権利を剥奪したばかりか公然と命すら狙う事態にまで発展します。

 幸いというかルターには彼を支持する領邦君主がいたため彼らの保護を受ける形で活動を続けることが出来、保護下にあって隠遁していた最中にそれまでラテン語でしか書くことを許されなかった聖書をドイツ語に翻訳した上で当時出来たばかりの活版印刷法によって大量に広まり、彼が書いたドイツ語がそのまま中世ドイツ語のスタンダードとして定着します。
 なお余談ですがこの時の初版本のことを「グーテンベルク聖書」と呼び、早稲田大学にも一冊あるって聞いたことがあります。まぁ私が見ても読めないけど。

 ここで本題に戻りますが、一体何故ルターはそれほどまでに迫害を受けながらアグレッシブな活動を続けられたのでしょうか。私が思うに、一つは最初に書いたように彼が真面目過ぎる性格で不正を一切許せなかったからと、二つ目としては初めから神学一辺倒ではなく途中まで法学を勉強して進路変更したからではないかと考えています。言い換えるなら、若い頃に別の世界を見ていたからということです。
 よくいろんなことを体験すると視野が広がるから何にでもチャレンジした方がいいと世の中言いますが、実際にこれをやるとなると骨が折れるもので、特に専門的領域の訓練に一旦入ってしまうとなかなか引き返せないというか別方面へチャレンジしようという気が薄れます。大学でも専攻を変更する人はそんなにいないでしょうし、ましてや文系から理系へ移転する人となると確実にレアです。

 現代ですらこの通りですが中世はこの傾向がもっと強かったというか修道士になる人は小っちゃい子供の頃から修道院に入り、その世界を知らないまま修道会の中で全部完結する一生を送ったと言います。こうしたタイプはあまり内部に対して疑問を持たないというか持ったとしても上部には抵抗しない傾向があるとされ、ルターはこの点で青年期までとはいえまだ外の世界を知っていたということが大きかったのではと私は見ているわけです。

 このような「外の世界を知っているか否か」ということに何故着目するのかというと、旧日本陸軍の教育システムでも同じことが指摘されているのを前に読んだことがあるからです。旧日本陸軍(海軍もそうだが)では13~16歳が入学する陸軍幼年学校を卒業後に陸軍士官学校へ入学し、ここを出ると晴れて軍の士官なれるという教育システムでした。ただ、陸軍士官学校の入学者の大半は幼年学校の出身者であったものの、少数ですが外部からも生徒を募集しており、一般高校(当時の名称だと中学校)の出身者でも非常に狭き門ではあったものの入学することは可能でした。
 で、こういってはなんですが、そうした外部出身者の士官ほど優秀な将軍が多かったりします。主だったものを上げると、

栗林忠道:硫黄島の戦いを指揮。太平洋戦争で米軍が最も評価した日本の指揮官の一人。
宮崎繁三郎:インパール作戦を指揮。野戦指揮では陸軍最強との呼び声も。
今村均:ラバウル方面司令官。陸大も主席で卒業しておりラバウルを終戦まで持ちこたえる。

 三人とも天性の軍人ともいうべき見事な指揮ぶり、並びに戦略眼を持っておりましたが、三人とも幼年学校を出ていないというのはもはや偶然ではないと思います。何事も一つの世界に邁進することが重要だと言われますが、全否定するつもりはない物の、やはり外の世界も体験しておくことも重要だとルターと合わせて思う限りです。