最近自転車に乗っていなかったので上海市中心部から北に行った海沿いの公園まで片道33km、往復66kmを走ってきましたが、連休ということもあって公園は大賑わい、っていうか車の列が公園入り口前からやばいくらい長々と続いていたので結局入らずすぐUターンしてきましたが、気温がここ数日で急に上がったのと、最近あまり漕いでいなかったのもあってやけに疲れて帰ってきました。しかも帰り道、道を逆走してきた電動バイクと正面衝突もしてます。
私が腕時計に目をやったその瞬間、その電動バイクは横にマージンあるのにまっすぐ私に向かってきたのですが相手の上げた声で私も気が付いたので直前で減速しつつ、よけきれないと思って斜行しながら向こうのバイクにわざと自転車をぶつけたため、自転車も体も完全に無傷でした。つくづく自分は無駄にタフな気がします。
話しは本題に入りますが仮に学問をするとはどういう事かと人に尋ねた場合、十中八九は「その分野の知識を身に着けること」という答えが返ってきて、少しレアなものになると「知見を広げること」なんてのもあるかもしれません。仮にこの二つの答えが返ってきたら私ならばその場で「それは違う」と否定した上で、模範解答として私が学生時代にお世話になった中国語の先生にかつて教えてもらったように、「各学問分野ごとの思考法を身に着けること」と教え、経済学なら貨幣を中心に社会を分析し、商学なら経済活動と価値測定を中心に、法学なら法体系や制度を中心に、人文学なら個人や社会の思想や文化を中心に、それぞれ核となるとモノから世の中を見る思考や判断力を身に着けることだと教えます。
その上で自分の学問目的は上記の概念をベースにしてあるもののやや邪道で、多種多様な感覚を身に着けることそれ一筋であったと、気分がよければそう教えると思います。
感覚を身に着けるというのは私なりの表現で、通常の表現ではありません。では感覚を身につけるということは何かというと、上にあげたあらゆる学問分野の価値判断基準を身に着け、それぞれの視点を使いこなすと共に同時に見られるようになるということを指します。更に学問分野だけでなく、男性と女性の価値観の違い、日本人と中国人の価値観の違い、カレー好きと煎餅好きの価値観の違い、これらあらゆるジャンルや特徴の異なる視点で使い分け、目に入る耳に入るものすべてを見逃さずに知覚する目的で以って学問に取り組んでいました。
一体何故こんな妙ちきりんなことをしていたのかというと一番大きな理由は中学生の頃からジャーナリストになりたいと思っており、普通の人なら見逃すような情報でもきちんと拾えるようになるためにはどうすればいいかと考え、究極的には間隔を広げ、増やすことだという結論に至ったためです。感覚というと通常ならば五感を指し、視覚なら目、聴覚なら耳を介して感じ取りますが、これと似た感じで芸能情報を感知する感覚、政治情報を感知して分析する感覚、特定状況下に置かれた人々の思考を類推する感覚など、こういったものを私はずっと求めてきました。
常日頃からあらゆるジャンルの情報を感じ取るため感覚を磨くことはもとより、価値観の異なる人間同士で同じ対象をどのように異なって見えるのか、また限られた知識の中でどういう風に思考を組むのかなど、今まであまり口にすることはありませんでしたが隙あらば観察しようと動き続け、思考パターンを作ることに従事してきました。
そんな私の経験から言えば、完全にではありませんが比較的同じような記憶を共有している場合だとほぼ同じ思考、行動パターンを取る可能性が高いようにみられます。同じ記憶と言っても何も生まれてからずっとの記憶となると本人以外でなければわかりませんが、特定ジャンル、たとえば歴史や経済などの分野に分けると小学生レベルや中学生レベルなどに区分しやすくなり、それらあるジャンルの知識が同じ水準の人間同士となるとそのジャンルに対する思考パターンは等しくなり、何か課題や質問を出すとほぼ同じ結論に至ることが多いというのが私の実感です。
そのため、私が相手の出方を伺う際はその相手がその分野に対しどれだけの知識を持っているのかをまず確認します。その上で知識とは関係なくとも何か特定のこだわりの条件、極端な例だとトラウマのような思考に影響を及ぼす過去の体験や経験を探り、これらを一通り把握した段階から相手の次の返答や行動を読み始め、それに対する自分の返答も準備し、結論をどこに持って行くかなどを決めていきます。
人間、苦し紛れとなると手持ちの材料を全部投げ出そうとするところがあり、特に知識関連だとあまり関係なさそうでも少しで関係する要素があれば、苦しい状況下で口に出しがちです。大体の結論はそこへ持って行くというか苦し紛れの一言を言わせることにあり、その一言を打ち崩す自分の言葉でフィニッシュをかける、というのが私の通常の議論パターンです。ほかの人がやってるかどうかは知りませんが。
ただ、大体10分から15分くらい話せばその人が大体どういうパターンで話を組んでくるかは段々見えてきます。掘り下げるタイプとか話題を切り替えるタイプとか逆質問を多用するタイプとか、それらを見極めた上でどういう言葉をかけると相手がどう反応するのか、むしろどう捉えるかを予想する、言うなれば感覚を奪うような感じで議論で攻める時は攻めるようにしてます。もちろん完全に決まらないこともあるっちゃありますが。
前にもちょこっと書きましたこのところ「隙を見せたら一撃死」みたいな白熱した議論をする相手がいなくてやや手持無沙汰です。そういう白熱する議論における好敵手というのは上記の思考パターンとは異なり、既存の知識に頼らないというのがやっぱり一番手ごわい気がします。そういうタイプはどうやってまくかとなると、ひたすらに頭使わせて途中から疲れで頭廻らなくさせるくらいしかないのですが、やってる最中にこっちが頭廻らなくなったりするからまた面倒くさい。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年5月1日日曜日
2016年4月30日土曜日
千葉のマッドシティ~桐杏学園新松戸校
・桐杏学園公式サイト
上記リンク先は小学校受験を目指す幼稚園生を対象とした「桐杏学園」という塾のサイトですが、ここは現在は市進ホールディングスの傘下であるものの、以前は独立した企業母体で、また幼稚園生だけでなく小学生、中学生を対象とした塾でありました。でもって私も小学校の四年生から六年生にかけてここの新松戸校で指導を受け、中学受験をする羽目となったわけです。
桐杏学園新松戸校は新松戸駅から線路沿いに歩いた駅前自転車置き場の前に専用校舎があり、私みたいに車で送り迎えされる人もいれば電車使って柏辺りから通ってきている生徒もおりました。当時、小学生の講義時間は夕方五時から九時までで、五年生は火木の週二回、六年生は月水金の週三回で授業が組まれており、授業のある日の夕食は持たされた弁当を休み時間に食べてこなしてました。
私はこの塾に小学四年生の後半から入塾したのですが入るに当たっては入塾に当たっては試験があり、学力が足りなければ容赦なく入塾が断られるというシステムでした。幸か不幸か私はこの試験にパスして新松戸校の五組に割り振られたのですが、当時新松戸校には一組から五組まであり、一組全員と二組の一部はSクラス、それ以外はAクラスとされて五組は最底辺のクラスでした。このクラス並びにクラス内の席順は毎週行われる日曜テストの結果を元に一ヶ月毎に変更され、成績がよければクラス内の席次も上がって上のクラスへと移り、逆に成績が落ちればクラス内の席次もどんどん下がって下手すりゃ下のクラスに落ちるというシステムです。
当時小学生だった自分からすればこのシステムは初めてともいえる明確な「競争」に根ざしたシステムであったため、最初は戸惑いとともに強いストレスを感じながら通っていたのを覚えています。もっともこの時に体験していなければ後年の中学の定期テストで同じことを体験していただろうし、そういう意味では早いか遅いかの違いだけでしょう。
クラス替えのベースとなる日曜テストは毎週日曜日に西日暮里校で行われており、小学五年生は午後一時から四時半まで、小学六年生は午前八時から十一時半までというスケジュールで組まれていました。そのため小六の頃ならまだ午後の時間帯が自由に使えましたが、小五の頃は日曜日に自由な時間は実質なく、友達とも遊びの約束も出来なかったためそこそこストレス抱え続けていました。特に最初にこの日曜テストを受けた時は初めてのテストという緊張と共にそれまであまり経験してなかった長時間の拘束を受けたため、テストが終わった後で体調を大きく崩しそのまま一週間丸ごと学校も休んで寝込み続くという有様でした。
そもそも私自身は中学受験どころか何もわからないままこの塾に放り込まれ、受験のシステムを理解した後でも周囲の友達と共に地元の中学校へ進学したいとずっと願い続けましたが親からの強制を受ける形で結局中高一貫の私立校へと進学せざるを得ず、でもってその学校も何の面白味もない学校だったため今でもなんか丸々大損こいたような気分しかありません。強いてよかった点を挙げるとすれば、「なんでこない苦しい思いせなあかんねん……」と、当時やばいくらい自問自答を繰り返し続けた甲斐あってじっくりと内省しながら周囲の状況とを比較する思考が極端に鍛えられたってことくらいです。
こんな具合で小学校高学年の頃はあまりいい思い出がないのですが、まだ救いだったのは一緒に塾に通っていた友人たちの存在でした。大体どの生徒も親から強制されて中学受験されている口で抱えている悩みはほぼ一緒だったこともあり、お互いの環境を理解しやすく且つ共感し合える人間同士だったため、塾にいる時間しか接触がないにも関わらず誰とでもすぐに仲良くなれました。今でもよく覚えているのは同じ苗字の生徒がクラス内に二人いて、片方がひょうきんで目立つ生徒だったのでそのまま名字で呼ばれ、もう片方は大人しく目立たない生徒だったため「パート2」というあだ名で呼ばれてましたが、今考えると結構ひどいあだ名だったなという気がします。
同じあだ名ネタだと、国語の時間に講師に指され選択問題の回答を四択で要求された場面で、問題内容は作品名を答えるというもので正解は「山椒大夫」だったのですが、指された生徒の後ろにいた別の生徒が小声で「クリスマスキャロルだ」と嘘教えたらそのまんま元気よく「クリスマスキャロル!」と答えてしまってそれ以降、「キャロル」ってあだ名になった生徒もいました。講師もこのあだ名で呼ぶほど浸透ぶりがよかったです。
話は私の体験談に戻りますが入塾当初は最低レベルのクラスで席次も一番後ろからスタートし、塾で教えられる勉強にもなかなかついて行けず四苦八苦を続けましたが、小五の秋頃には段々と学力も上がって三組の中堅くらいに位置するレベルに落ち着きそのまま最後までその位置をキープし続けました。小学校の頃は科目にあまり得意不得意はなかったのですが社会科の歴史単元だけはまるで別で、この頃から圧倒的に強く日曜テストの偏差値も60を切ったことは一度もなかったと思います。
あと、平日はさっき述べた通りに小六時は週三回の授業でしたが夏休みはまた別で、夏期講習がみっちり組まれてあって半分以上、っていうかほぼずっと塾で過ごしていたような気しかしません。むしろ今同じことやれって言われたら耐えられないかもしれないような勉強漬けで、体調を含め精神とかよく崩さなかったなと今思います。まぁ周りの生徒もみんな耐えてたんだから崩すわけないでしょうが。
なお夏休み中の夏期講習時はよく休み時間に校舎内で鬼ごっこをして遊んでいましたが空き教室ごとに冷房MAXとか暖房MAXに設定したりして、次の休み時間にそれらの教室に潜伏しては無駄に寒がったり熱がったりしてました。教室名も勝手に「北極」とか「インド」って名付けてたし。
こんな感じの塾生活を送って中学受験を果たしたわけですが、この当時に中学受験をする生徒は私を含めクラス内には数人しかおらず非常に少ない人数でした。しかし聞くところによると昨今は少子化もあるでしょうが中学受験をする生徒はどんどん増えており、実際に私の従妹の子供もみんな中学受験していて時代が変わったなという感慨を覚えます。私に言わせれば勉強する子は必要になったらするので、小さいうちから強制しなくてもやる時はやるから無理して中学受験はさせなくてもいいんじゃないかと思うのですが、世間はどうもそういうわけではないようです。
この、桐杏学園新松戸校はその後の被買収などを受けて校舎自体なくなっており、最近あの辺り行ってなかったので記憶が定かではありませんが確か跡地は駐車場になってた様な気がします。小学生時代にあれほど血反吐吐いて遊びたい盛りの時期に一方的に我慢を強いられ続けて今に至るのかと思うと本当に無駄な行為だったなと思えてならず、あれだけ時間使うんだったらVスライダーの一つでも習得させればよかったのになんて思えてきます。まぁ、Vスライダー使えるようになったからってその後の人生には何も影響しないでしょうが……。
おまけ
真面目に今思い返してみても、小六の夏休みは勉強してた以外の記憶がほとんどありません。中一の夏休みは自転車で浦安まで片道約25km、往復50km走って帰りに死にかけたってのはよく覚えているのですが。
上記リンク先は小学校受験を目指す幼稚園生を対象とした「桐杏学園」という塾のサイトですが、ここは現在は市進ホールディングスの傘下であるものの、以前は独立した企業母体で、また幼稚園生だけでなく小学生、中学生を対象とした塾でありました。でもって私も小学校の四年生から六年生にかけてここの新松戸校で指導を受け、中学受験をする羽目となったわけです。
桐杏学園新松戸校は新松戸駅から線路沿いに歩いた駅前自転車置き場の前に専用校舎があり、私みたいに車で送り迎えされる人もいれば電車使って柏辺りから通ってきている生徒もおりました。当時、小学生の講義時間は夕方五時から九時までで、五年生は火木の週二回、六年生は月水金の週三回で授業が組まれており、授業のある日の夕食は持たされた弁当を休み時間に食べてこなしてました。
私はこの塾に小学四年生の後半から入塾したのですが入るに当たっては入塾に当たっては試験があり、学力が足りなければ容赦なく入塾が断られるというシステムでした。幸か不幸か私はこの試験にパスして新松戸校の五組に割り振られたのですが、当時新松戸校には一組から五組まであり、一組全員と二組の一部はSクラス、それ以外はAクラスとされて五組は最底辺のクラスでした。このクラス並びにクラス内の席順は毎週行われる日曜テストの結果を元に一ヶ月毎に変更され、成績がよければクラス内の席次も上がって上のクラスへと移り、逆に成績が落ちればクラス内の席次もどんどん下がって下手すりゃ下のクラスに落ちるというシステムです。
当時小学生だった自分からすればこのシステムは初めてともいえる明確な「競争」に根ざしたシステムであったため、最初は戸惑いとともに強いストレスを感じながら通っていたのを覚えています。もっともこの時に体験していなければ後年の中学の定期テストで同じことを体験していただろうし、そういう意味では早いか遅いかの違いだけでしょう。
クラス替えのベースとなる日曜テストは毎週日曜日に西日暮里校で行われており、小学五年生は午後一時から四時半まで、小学六年生は午前八時から十一時半までというスケジュールで組まれていました。そのため小六の頃ならまだ午後の時間帯が自由に使えましたが、小五の頃は日曜日に自由な時間は実質なく、友達とも遊びの約束も出来なかったためそこそこストレス抱え続けていました。特に最初にこの日曜テストを受けた時は初めてのテストという緊張と共にそれまであまり経験してなかった長時間の拘束を受けたため、テストが終わった後で体調を大きく崩しそのまま一週間丸ごと学校も休んで寝込み続くという有様でした。
そもそも私自身は中学受験どころか何もわからないままこの塾に放り込まれ、受験のシステムを理解した後でも周囲の友達と共に地元の中学校へ進学したいとずっと願い続けましたが親からの強制を受ける形で結局中高一貫の私立校へと進学せざるを得ず、でもってその学校も何の面白味もない学校だったため今でもなんか丸々大損こいたような気分しかありません。強いてよかった点を挙げるとすれば、「なんでこない苦しい思いせなあかんねん……」と、当時やばいくらい自問自答を繰り返し続けた甲斐あってじっくりと内省しながら周囲の状況とを比較する思考が極端に鍛えられたってことくらいです。
こんな具合で小学校高学年の頃はあまりいい思い出がないのですが、まだ救いだったのは一緒に塾に通っていた友人たちの存在でした。大体どの生徒も親から強制されて中学受験されている口で抱えている悩みはほぼ一緒だったこともあり、お互いの環境を理解しやすく且つ共感し合える人間同士だったため、塾にいる時間しか接触がないにも関わらず誰とでもすぐに仲良くなれました。今でもよく覚えているのは同じ苗字の生徒がクラス内に二人いて、片方がひょうきんで目立つ生徒だったのでそのまま名字で呼ばれ、もう片方は大人しく目立たない生徒だったため「パート2」というあだ名で呼ばれてましたが、今考えると結構ひどいあだ名だったなという気がします。
同じあだ名ネタだと、国語の時間に講師に指され選択問題の回答を四択で要求された場面で、問題内容は作品名を答えるというもので正解は「山椒大夫」だったのですが、指された生徒の後ろにいた別の生徒が小声で「クリスマスキャロルだ」と嘘教えたらそのまんま元気よく「クリスマスキャロル!」と答えてしまってそれ以降、「キャロル」ってあだ名になった生徒もいました。講師もこのあだ名で呼ぶほど浸透ぶりがよかったです。
話は私の体験談に戻りますが入塾当初は最低レベルのクラスで席次も一番後ろからスタートし、塾で教えられる勉強にもなかなかついて行けず四苦八苦を続けましたが、小五の秋頃には段々と学力も上がって三組の中堅くらいに位置するレベルに落ち着きそのまま最後までその位置をキープし続けました。小学校の頃は科目にあまり得意不得意はなかったのですが社会科の歴史単元だけはまるで別で、この頃から圧倒的に強く日曜テストの偏差値も60を切ったことは一度もなかったと思います。
あと、平日はさっき述べた通りに小六時は週三回の授業でしたが夏休みはまた別で、夏期講習がみっちり組まれてあって半分以上、っていうかほぼずっと塾で過ごしていたような気しかしません。むしろ今同じことやれって言われたら耐えられないかもしれないような勉強漬けで、体調を含め精神とかよく崩さなかったなと今思います。まぁ周りの生徒もみんな耐えてたんだから崩すわけないでしょうが。
なお夏休み中の夏期講習時はよく休み時間に校舎内で鬼ごっこをして遊んでいましたが空き教室ごとに冷房MAXとか暖房MAXに設定したりして、次の休み時間にそれらの教室に潜伏しては無駄に寒がったり熱がったりしてました。教室名も勝手に「北極」とか「インド」って名付けてたし。
こんな感じの塾生活を送って中学受験を果たしたわけですが、この当時に中学受験をする生徒は私を含めクラス内には数人しかおらず非常に少ない人数でした。しかし聞くところによると昨今は少子化もあるでしょうが中学受験をする生徒はどんどん増えており、実際に私の従妹の子供もみんな中学受験していて時代が変わったなという感慨を覚えます。私に言わせれば勉強する子は必要になったらするので、小さいうちから強制しなくてもやる時はやるから無理して中学受験はさせなくてもいいんじゃないかと思うのですが、世間はどうもそういうわけではないようです。
この、桐杏学園新松戸校はその後の被買収などを受けて校舎自体なくなっており、最近あの辺り行ってなかったので記憶が定かではありませんが確か跡地は駐車場になってた様な気がします。小学生時代にあれほど血反吐吐いて遊びたい盛りの時期に一方的に我慢を強いられ続けて今に至るのかと思うと本当に無駄な行為だったなと思えてならず、あれだけ時間使うんだったらVスライダーの一つでも習得させればよかったのになんて思えてきます。まぁ、Vスライダー使えるようになったからってその後の人生には何も影響しないでしょうが……。
おまけ
真面目に今思い返してみても、小六の夏休みは勉強してた以外の記憶がほとんどありません。中一の夏休みは自転車で浦安まで片道約25km、往復50km走って帰りに死にかけたってのはよく覚えているのですが。
2016年4月28日木曜日
今日出た呆れた報道、見事な報道
本当は別の記事ネタを書く予定でしたが見ていて呆れる記事が本日多数見受けられたので、日本の報道界に物申す意味合いで槍玉にあげようと思います。
・三菱自の燃費不正、見劣る開発費が引き金か 経営危機で削減、トヨタの1割以下(SankeiBiz)
見出しを読んだ時点で「こいつらバカじゃねぇの?」とすぐ思った記事です。内容は例の三菱自動車の燃費不正について不正を起こした背景として、「三菱自は開発費が他社より少なく、開発部門が不正に至る要因になったのではないかとの見方は少なくない。」とか抜かしていますが、開発費が少ないことが不正を誘発する理由になるとはとても思えません。もしそうなら三菱自動車よりもっと開発費のない中小各社はどうなんだってことだし、第一トヨタはここ数年ずっとR&D(研究開発)投資額で日本ナンバーワンだし、ここのR&D投資額の1割以上に達する企業の方がはっきり言ってレアでしょう。デスクもこれ読んで、「んなわけねーだろ」と思わなかったのだろうか。
詳しく比較してませんが、同じ自動車メーカーでもマツダに至ってはそんなR&Dに投資してないくせに世界屈指のディーゼルエンジンとか空恐ろしい4WDシステムを開発してのけています。開発成果だけ見れば、ここ数年はトヨタより上だと思います。
・日本の「報道の自由」を考える~本当の問題はどこにあるのか(江川紹子)
この前NGOに国際報道自由度ランキングで日本が72位と結構低かったことについて「えーなんでー?」ってグダグダ書いてるのが上の江川氏の記事ですが、この順位の真相は多分この下の記事内容でしょう。
・「記者クラブ廃止」「独立機関設立」…国連特別報告者が提言 大手メディアはほぼ無視(楊井人文)
私見から言っても日本で報道の自由を一番妨げている要因はこの記事で指摘されている「記者クラブ」の存在で間違いないと思うし、サボって原文読んではいないですが恐らくNGOの報告書でもその点について指摘されてると思います(別の日系メディアも、報告書中に記者クラブの記述があったことはさらりと報じている)。にもかかわらず江川氏のグダグダ無駄に長い記事では記者クラブについては一切触れておらず、一番肝心な部分に触れずどうでもいい周辺内容についてあまり意味のないことを延々と書き綴っています。よくこんな恥ずかしい記事出すな、ってかこの人原文ちゃんと読んでるの?
・直撃!鈴木敏文「裏切り者たちに告ぐ」~「アイツだけは許せない」という怒り(現代ビジネス)
記者としての見識を疑う記事が多く出ている中、読んでて唸らされたのが上記の現代ビジネスの記事です。記事内容は見出しにも書かれている通り、先日に電撃辞任したセブン&アイホールディングスの鈴木敏文元会長への電撃インタビューです。
実は現代ビジネスは普段あまり評価していない媒体なのですがこの記事に関しては別で、短いながらも鈴木氏から直接言葉を引き出した上にセブン&アイの経営状況に関してほかの取材源から得た情報を合わせて報じており、誠に以って完成度の高い記事となっております。週刊文春もそうですがこのところの雑誌メディアの奮闘ぶりは目を見張るものがあり、一方で大メディアにおいてはお門違いもよく下手すりゃ常識すら疑う記事が散見され、元記者の立場から言わせてもらうと緊張感を持たない記者が増えてるなと思うわけです。
まぁここだけの話、大メディアの記者に関しては以前からそんなに実力評価していません。大新聞でスクープ取ってくるのは決まって雑誌メディアや地方紙出身の中途採用の記者だし。
・三菱自の燃費不正、見劣る開発費が引き金か 経営危機で削減、トヨタの1割以下(SankeiBiz)
見出しを読んだ時点で「こいつらバカじゃねぇの?」とすぐ思った記事です。内容は例の三菱自動車の燃費不正について不正を起こした背景として、「三菱自は開発費が他社より少なく、開発部門が不正に至る要因になったのではないかとの見方は少なくない。」とか抜かしていますが、開発費が少ないことが不正を誘発する理由になるとはとても思えません。もしそうなら三菱自動車よりもっと開発費のない中小各社はどうなんだってことだし、第一トヨタはここ数年ずっとR&D(研究開発)投資額で日本ナンバーワンだし、ここのR&D投資額の1割以上に達する企業の方がはっきり言ってレアでしょう。デスクもこれ読んで、「んなわけねーだろ」と思わなかったのだろうか。
詳しく比較してませんが、同じ自動車メーカーでもマツダに至ってはそんなR&Dに投資してないくせに世界屈指のディーゼルエンジンとか空恐ろしい4WDシステムを開発してのけています。開発成果だけ見れば、ここ数年はトヨタより上だと思います。
・日本の「報道の自由」を考える~本当の問題はどこにあるのか(江川紹子)
この前NGOに国際報道自由度ランキングで日本が72位と結構低かったことについて「えーなんでー?」ってグダグダ書いてるのが上の江川氏の記事ですが、この順位の真相は多分この下の記事内容でしょう。
・「記者クラブ廃止」「独立機関設立」…国連特別報告者が提言 大手メディアはほぼ無視(楊井人文)
私見から言っても日本で報道の自由を一番妨げている要因はこの記事で指摘されている「記者クラブ」の存在で間違いないと思うし、サボって原文読んではいないですが恐らくNGOの報告書でもその点について指摘されてると思います(別の日系メディアも、報告書中に記者クラブの記述があったことはさらりと報じている)。にもかかわらず江川氏のグダグダ無駄に長い記事では記者クラブについては一切触れておらず、一番肝心な部分に触れずどうでもいい周辺内容についてあまり意味のないことを延々と書き綴っています。よくこんな恥ずかしい記事出すな、ってかこの人原文ちゃんと読んでるの?
・直撃!鈴木敏文「裏切り者たちに告ぐ」~「アイツだけは許せない」という怒り(現代ビジネス)
記者としての見識を疑う記事が多く出ている中、読んでて唸らされたのが上記の現代ビジネスの記事です。記事内容は見出しにも書かれている通り、先日に電撃辞任したセブン&アイホールディングスの鈴木敏文元会長への電撃インタビューです。
実は現代ビジネスは普段あまり評価していない媒体なのですがこの記事に関しては別で、短いながらも鈴木氏から直接言葉を引き出した上にセブン&アイの経営状況に関してほかの取材源から得た情報を合わせて報じており、誠に以って完成度の高い記事となっております。週刊文春もそうですがこのところの雑誌メディアの奮闘ぶりは目を見張るものがあり、一方で大メディアにおいてはお門違いもよく下手すりゃ常識すら疑う記事が散見され、元記者の立場から言わせてもらうと緊張感を持たない記者が増えてるなと思うわけです。
まぁここだけの話、大メディアの記者に関しては以前からそんなに実力評価していません。大新聞でスクープ取ってくるのは決まって雑誌メディアや地方紙出身の中途採用の記者だし。
2016年4月26日火曜日
続・三菱自動車の燃費不正事件について
どうでもいいですが今の職場に言語学の専門家でもないのに、「関西弁のプロ」と呼ばれる人がいます。なんでかっていうとその人にかかれば中国語ですら関西訛りに聞こえてくるほどの本格派で、「あの人が関西弁ならこうだと言ったらこうだ」とみんな納得してます。
・当社製車両の燃費試験における不正行為に係わる国土交通省への報告について(三菱自動車)
さて本題ですが、先日にも取り上げた三菱自動車の燃費不正事件について今日国交省への三菱自動車による報告が行われ、その後の記者会見にて報告内容の説明が行われました。その報告では当初発覚した四車種だけでなく、25年前の1991年から国の規定された「惰行法」ではなく「高速惰行法(と三菱が自称する)」によって一貫して燃費検査の基礎データを測定していたというものでした。この報告を受けてメディアなどでは「燃費不正は25年前から」、「他の車種でも同様の手口」などと大きく書いてはいるものの、私としてはそれほど驚きはなく4/20の段階で既に分かり切っていた内容にしか過ぎないと思っています。
何故最初に不正発覚した4/20の段階で「ekワゴン(デイズ)」、「ekスペース(デイズルークス)」以外の車種でも燃費不正をしているとわかっていたのかというと、最初の会見後の報道でそういってたからです。
・燃費試験、有利な数値提出=測定に規定外の方式も―三菱自(時事通信)
上のリンク先は4/21(何気にエリザベス女王の誕生日)付けの記事ですがこの中に、
「『ミラージュ』『デリカD5』『アウトランダーPHEV』については正規の方法で測定したと明言するが、米国方式による測定が10車種近くに上る可能性がある。」
という記述というか三菱側からの発表があり、これは言うなれば「ミラージュ」、「デリカD5」、「アウトランダーPHEV」以外の車種では全部不正をやってると言ってるも同然です。逆を言えばこの三車種に関しては国の規定に則った「惰行法」で抵抗値を測定しているというわけですから、三菱が自称する「高速惰行法」が社内で違法だという認識がなかったとか、違法な検査方法が使われているとは知らなかったというのはまず間違いなく嘘でしょう。今日の会見でもこのような言い訳を使っていた当たり真摯に反省しているとはとても言い難く、この会社が未だに不正をどうにかしてごまかそうという態度が透けて見えます。
では何故上記三車種に限って正しい検査方法を採用したのか、わかる人なら「アウトランダー」という車種名を見るだけでわかるでしょう。「ミラージュ」は海外工場からの逆輸入車ということが影響しているのではないかと思いますが、「デリカD5」にはクリーンディーゼルエンジンを搭載したモデルがあり、「アウトランダーPHEV」はその名の通りプラグインハイブリッド車であることがその理由だと断言できます。どちらも新開発技術による環境対策車であるため国から補助金が出ている車種なのですが、補助金が得られるだけにその性能検査も厳しく細かいため、それら検査をパスするために黙って従ったのでしょう。まぁ今回の事件を受けて性能表示が正しくても補助金は打ち切られるでしょうし、下手すりゃこれまで支払われてきた補助金も没収されるかもしれませんが。
それよりもっと怖いのは電気自動車(EV)の「i-MiEV」でしょう。これなんかEVであることから国から多額の補助金が出ていますが、恐らくこの車種でも抵抗値が弄られ燃費が不正されているはずです。EVであることに変わりはありませんが不正は不正で、やはりこちらでも補助金が打ち切られるだけなら幸いですが過去の補助金が没収されるとなると半端ない金額が請求されることになりかねません。
また最初に燃費不正が発覚した四車種(実際には二車種)に関しては恐らく正しい燃費測定値に切り替えたとしてもエコカー減税の対象区分から外れることがないため、実際には減税差額分費用は発生はしないでしょうがほかの車種となると話は別で、たとえば現行のギャランフォルティスなんか数年前のマイナーチェンジ前はエコカー減税対象車ではなく、今のモデルはギリギリその枠内に入っている車でしたから確実に対象区分から外れると予想されます。なんせ25年も燃費不正をやってきたのですからたくさんの車種で減税差額費用が発生するでしょうし、全部積み上げたらどれだけキャッシュ・フロー傾くのか今からでも財務諸表見てわくわくしたいところです。
三菱の嘘はまだまだあります。一個一個上げて言ったらほんと切りがないですが、たとえば今の社長は完全な開発畑出身の人で燃費不正について「知らなかった」なんてわけないです。社内からつい最近報告されたばかりだなんて言ってますが、25年前からやっている不正について開発にいた人間が知らないわけないでしょう。
そしてもう一つ、今日のプレスリリースに「(2)上述の軽自動車以外の当社製車両についても十分な調査が進んでおらず、引き続き調査の上、別途ご報告する。」と書かれてありますが、これも実は嘘で本当は詳細が分かっていながら敢えて発表を引き延ばすための方便に見えます。なんでそんなことするのかというと、最初に発覚した四車種(実は二車種)は燃費不正したからといって販売を現在停止しているわけですが、もし他の車種でも同じ燃費不正をしていたことを素直に認めてしまうと上記四車種への対応をそのまま適用せざるを得ず、そうなるとほぼ全車種の販売と生産を停止せざるを得なくなるからです。そしたら販売店、工場揃って実質的に営業停止になるわけで、そうならないためにも調査した内容を即座にきちんと報告なんかせず敢えて情報を小出しにしてごまかそうとしている、そんな風に私には見えます。
前の記事でも書きましたが、私は親子二代続いての三菱党です。レースゲームでランエボ(エボ8MRが一番好き)とミラージュ・サイボーグ(ハッチバックの方)ばかり乗り続けるくらい三菱車が大好きでしたが、この会社がここまで救いようのないクズだとは思ってもみませんでした。
思い起こせば今回の事件には予兆があり、後だしジャンケンっぽい言い方になりますが去年三菱自動車が出したリコールに妙な内容がありました。
・デリカD:5、アウトランダー、ギャランフォルティスシリーズ(除くターボ車)のエンジンについて(三菱自動車)
上記リコール公告は去年9月に出されたものですが、対象車種は約20万台と非常に大規模かつエンジンに関わる重大なリコールであるにもかかわらず、対象車種は平成20年(2008年)前後に集中しています。内容から考えれば市場からの情報であってももっと早く気付いたと思われる欠陥内容で、ちょうどこのすぐ後に日本に帰国した際に親父と、「あれ絶対リコール今まで隠しとったやろ三菱」と言い合って意見が一致しました。ってか親子揃って妙に細かいリコール情報把握しててちょっとおかしい気がしたけど。
かつてのリコール隠しの一件から三菱は欠陥に対して即座に対応すると言いながら上記のザマで、喉元過ぎれば何とやらかなどと当時言っていましたが、喉元も何も初めから何も反省していなかったというのが実態だったのでしょう。今日の会見内容も見るからに嘘ついていることがわかるだけに、前回記事にも書いた通り来年中には経営破綻してどこかに買収されるだろうというのが私の見方です。
・当社製車両の燃費試験における不正行為に係わる国土交通省への報告について(三菱自動車)
さて本題ですが、先日にも取り上げた三菱自動車の燃費不正事件について今日国交省への三菱自動車による報告が行われ、その後の記者会見にて報告内容の説明が行われました。その報告では当初発覚した四車種だけでなく、25年前の1991年から国の規定された「惰行法」ではなく「高速惰行法(と三菱が自称する)」によって一貫して燃費検査の基礎データを測定していたというものでした。この報告を受けてメディアなどでは「燃費不正は25年前から」、「他の車種でも同様の手口」などと大きく書いてはいるものの、私としてはそれほど驚きはなく4/20の段階で既に分かり切っていた内容にしか過ぎないと思っています。
何故最初に不正発覚した4/20の段階で「ekワゴン(デイズ)」、「ekスペース(デイズルークス)」以外の車種でも燃費不正をしているとわかっていたのかというと、最初の会見後の報道でそういってたからです。
・燃費試験、有利な数値提出=測定に規定外の方式も―三菱自(時事通信)
上のリンク先は4/21(何気にエリザベス女王の誕生日)付けの記事ですがこの中に、
「『ミラージュ』『デリカD5』『アウトランダーPHEV』については正規の方法で測定したと明言するが、米国方式による測定が10車種近くに上る可能性がある。」
という記述というか三菱側からの発表があり、これは言うなれば「ミラージュ」、「デリカD5」、「アウトランダーPHEV」以外の車種では全部不正をやってると言ってるも同然です。逆を言えばこの三車種に関しては国の規定に則った「惰行法」で抵抗値を測定しているというわけですから、三菱が自称する「高速惰行法」が社内で違法だという認識がなかったとか、違法な検査方法が使われているとは知らなかったというのはまず間違いなく嘘でしょう。今日の会見でもこのような言い訳を使っていた当たり真摯に反省しているとはとても言い難く、この会社が未だに不正をどうにかしてごまかそうという態度が透けて見えます。
では何故上記三車種に限って正しい検査方法を採用したのか、わかる人なら「アウトランダー」という車種名を見るだけでわかるでしょう。「ミラージュ」は海外工場からの逆輸入車ということが影響しているのではないかと思いますが、「デリカD5」にはクリーンディーゼルエンジンを搭載したモデルがあり、「アウトランダーPHEV」はその名の通りプラグインハイブリッド車であることがその理由だと断言できます。どちらも新開発技術による環境対策車であるため国から補助金が出ている車種なのですが、補助金が得られるだけにその性能検査も厳しく細かいため、それら検査をパスするために黙って従ったのでしょう。まぁ今回の事件を受けて性能表示が正しくても補助金は打ち切られるでしょうし、下手すりゃこれまで支払われてきた補助金も没収されるかもしれませんが。
それよりもっと怖いのは電気自動車(EV)の「i-MiEV」でしょう。これなんかEVであることから国から多額の補助金が出ていますが、恐らくこの車種でも抵抗値が弄られ燃費が不正されているはずです。EVであることに変わりはありませんが不正は不正で、やはりこちらでも補助金が打ち切られるだけなら幸いですが過去の補助金が没収されるとなると半端ない金額が請求されることになりかねません。
また最初に燃費不正が発覚した四車種(実際には二車種)に関しては恐らく正しい燃費測定値に切り替えたとしてもエコカー減税の対象区分から外れることがないため、実際には減税差額分費用は発生はしないでしょうがほかの車種となると話は別で、たとえば現行のギャランフォルティスなんか数年前のマイナーチェンジ前はエコカー減税対象車ではなく、今のモデルはギリギリその枠内に入っている車でしたから確実に対象区分から外れると予想されます。なんせ25年も燃費不正をやってきたのですからたくさんの車種で減税差額費用が発生するでしょうし、全部積み上げたらどれだけキャッシュ・フロー傾くのか今からでも財務諸表見てわくわくしたいところです。
三菱の嘘はまだまだあります。一個一個上げて言ったらほんと切りがないですが、たとえば今の社長は完全な開発畑出身の人で燃費不正について「知らなかった」なんてわけないです。社内からつい最近報告されたばかりだなんて言ってますが、25年前からやっている不正について開発にいた人間が知らないわけないでしょう。
そしてもう一つ、今日のプレスリリースに「(2)上述の軽自動車以外の当社製車両についても十分な調査が進んでおらず、引き続き調査の上、別途ご報告する。」と書かれてありますが、これも実は嘘で本当は詳細が分かっていながら敢えて発表を引き延ばすための方便に見えます。なんでそんなことするのかというと、最初に発覚した四車種(実は二車種)は燃費不正したからといって販売を現在停止しているわけですが、もし他の車種でも同じ燃費不正をしていたことを素直に認めてしまうと上記四車種への対応をそのまま適用せざるを得ず、そうなるとほぼ全車種の販売と生産を停止せざるを得なくなるからです。そしたら販売店、工場揃って実質的に営業停止になるわけで、そうならないためにも調査した内容を即座にきちんと報告なんかせず敢えて情報を小出しにしてごまかそうとしている、そんな風に私には見えます。
前の記事でも書きましたが、私は親子二代続いての三菱党です。レースゲームでランエボ(エボ8MRが一番好き)とミラージュ・サイボーグ(ハッチバックの方)ばかり乗り続けるくらい三菱車が大好きでしたが、この会社がここまで救いようのないクズだとは思ってもみませんでした。
思い起こせば今回の事件には予兆があり、後だしジャンケンっぽい言い方になりますが去年三菱自動車が出したリコールに妙な内容がありました。
・デリカD:5、アウトランダー、ギャランフォルティスシリーズ(除くターボ車)のエンジンについて(三菱自動車)
上記リコール公告は去年9月に出されたものですが、対象車種は約20万台と非常に大規模かつエンジンに関わる重大なリコールであるにもかかわらず、対象車種は平成20年(2008年)前後に集中しています。内容から考えれば市場からの情報であってももっと早く気付いたと思われる欠陥内容で、ちょうどこのすぐ後に日本に帰国した際に親父と、「あれ絶対リコール今まで隠しとったやろ三菱」と言い合って意見が一致しました。ってか親子揃って妙に細かいリコール情報把握しててちょっとおかしい気がしたけど。
かつてのリコール隠しの一件から三菱は欠陥に対して即座に対応すると言いながら上記のザマで、喉元過ぎれば何とやらかなどと当時言っていましたが、喉元も何も初めから何も反省していなかったというのが実態だったのでしょう。今日の会見内容も見るからに嘘ついていることがわかるだけに、前回記事にも書いた通り来年中には経営破綻してどこかに買収されるだろうというのが私の見方です。
2016年4月25日月曜日
映画評論家の前田有一氏への感想
・「テラフォーマーズ」5点(100点満点中)(超映画批評)
撮影前からいろいろと不安視する声が多かった人気漫画「テラフォーマーズ」の実写版映画ですが、この映画に対する映画評論家の前田有一氏の評価が上記の5点だったということでやっぱりと思った方も多かったのではないでしょうか。前田氏はこの映画について、
「いずれにせよ、実写版『テラフォーマーズ』は、長年私が指摘してきた邦画の問題点が凝縮されたような映画である。」
とまでこき下ろしており、なんかここまでこき下ろしていると逆に見に行きたくなるといういわゆる「負のオーラ」すら感じます。ただ前田氏は原作の漫画作品に関してはこのレビューでも絶賛をしていて末尾に至っては、
「真のヒロインことミッシェル・K・デイヴスを魅力的に撮れる映画人が、はたして日本のどこかにいるのかどうか。あきらめずに期待だけは持ち続けていたい。」
と書き記しており、漫画原作を読んでいて同じくミッシェルさん大好きな自分としても大きく頷かせられる意見です。ってかこだわる所ここかよと思いつつも、「ここだよ!」と納得する自分がいる。
ここで話はダメ映画から切り替えてこのレビューを書いた映画評論家の前田有一氏について書いてきますが、大体一昨年くらいにこの前田氏のレビューサイト「超映画批評」を知ってからよく訪れてレビューを見てたりします。前田氏と自分は比較的感性が近いのかもしれませんがレビューでおすすめとされている映画は私も大体同じように面白いと感じられ、逆に過去に私が見たクソ映画がレビューで酷評されていると、「そうそう、そうだよ!」と手を叩きたくなるような感じがして、暇な時なんかボーっと眺めていることも少なくありません。
ただこの前田氏の評論についてはネット上でも議論となることが多く、独善的な意見だと批判する人も少なくありません。こうした点について私個人の立場から意見を言うと、評論家と言っても人間である以上相性というものはどうしても避けられず、万人に対し公平な評論を行える評論家なんてものはそうそういないというかいるはずないでしょう。それならば自分が面白いと思う映画をきちんとピックアップしてくれる相性のいい評論家を見つけることが肝心で、自分と感性が合わないというのなら気にしなくていいのではなんて思います。
その上で私なりに前田氏の評論の仕方で優れている点をいくつか挙げると、まず評論の文章が警戒でリズム感よく、本人の意見がわかりやすく書かれていてる点が上がってきます。逆に本音に近い思想も見えることから嫌悪感を持つ人もいるのでしょうけど、この辺はトレードオフでしょうし。
次に、これは私が知る映画評論家の中でも前田氏だけがきちんと実践できている点ですが、映画に詳しくない素人向けをベースにしつつ玄人向けの解説も同時に行っているという点です。いくつかレビューを見ていると、「映画好きにはたまらないけど素人にはお勧めできない作品」などと紹介されているものも少なくなく、その理由についても簡潔にまとまっています。
案外こういう二極向けのレビューというのは意識してできるものではなく、基本どっちかに偏った評論が世の中では多く氾濫しています。一例をあげると自動車で、よくユーザーレビューを見ているとファミリーカーのレビューにおいてもやたら走りにこだわる人がやれトルク配分がどうだとか高速時のギアチェンジがどうだとか、普通の人が車選びをするに当たって全く不要、というか余計な情報ばかりびっしり書きこんでいるのをよく見ます。前にも書いた「全てのジャンルはマニアが潰す」じゃないですが、よく知ってる人はやはり必要以上にディープな内容を書き込みがちです。
それに対して前田氏の映画はあくまで映画にそれほど詳しくない私のような素人向けにどういった点を見ればいいのか、出演している俳優や監督のキャリアがどうなのかなどを簡潔に説明した上で、玄人向けにも映像効果の説明を挟んであって実にバランスのいい評論をしているなと見ていて感じます。でもって、親子連れで見た方がいいとか、大人だけで見に行った方がいいなどと映画の見に行き方にも言及されてあって、自分のようなライターからすれば「優しい書き方」をしているようにも見えます。
ここで一気に話を転回しますが、評論とは必ずしも万人向けとは限らないということです。途中で出した自動車レビューについても、逆に走りや性能にこだわる人からすればディープな解説の方がありがたいわけで、要は自分が求める情報とその評論がマッチしているかということが重要になるだけに自分とマッチする評論家を捜すことが重要だと言いたいわけです。映画然り車然り政治評論然り、その評論家がどこに着眼点を持ってどういう解説を展開するのか、そのマッチ率を考慮せずに自分と合わないからと言って即その評論家を批判するというのはちょっと気が早いのではないかと思うわけです。
もっとも明らかに事実と異なる根拠や意見を主張したり、ステルスマーケティングをしてたりってんなら話は別ですがね。この辺はいわゆる「独立性」という評価項目に当たるわけですが、これを理解せずに人批判する輩もいるのでたまに鬱陶しいです。
そんなわけで前田氏の評論がしっくりくるという方は多分感性が私に近い人だと思います。なお歴史解説では半藤一利氏、保坂正康氏のコンビが私と相性がよく、ワイドショーだと「てっちゃん」こと宮崎哲弥氏が聞いててすとんと落ちる部類です。逆に合わないのはテリー伊藤氏、金子勝氏とかかな。
撮影前からいろいろと不安視する声が多かった人気漫画「テラフォーマーズ」の実写版映画ですが、この映画に対する映画評論家の前田有一氏の評価が上記の5点だったということでやっぱりと思った方も多かったのではないでしょうか。前田氏はこの映画について、
「いずれにせよ、実写版『テラフォーマーズ』は、長年私が指摘してきた邦画の問題点が凝縮されたような映画である。」
とまでこき下ろしており、なんかここまでこき下ろしていると逆に見に行きたくなるといういわゆる「負のオーラ」すら感じます。ただ前田氏は原作の漫画作品に関してはこのレビューでも絶賛をしていて末尾に至っては、
「真のヒロインことミッシェル・K・デイヴスを魅力的に撮れる映画人が、はたして日本のどこかにいるのかどうか。あきらめずに期待だけは持ち続けていたい。」
と書き記しており、漫画原作を読んでいて同じくミッシェルさん大好きな自分としても大きく頷かせられる意見です。ってかこだわる所ここかよと思いつつも、「ここだよ!」と納得する自分がいる。
ここで話はダメ映画から切り替えてこのレビューを書いた映画評論家の前田有一氏について書いてきますが、大体一昨年くらいにこの前田氏のレビューサイト「超映画批評」を知ってからよく訪れてレビューを見てたりします。前田氏と自分は比較的感性が近いのかもしれませんがレビューでおすすめとされている映画は私も大体同じように面白いと感じられ、逆に過去に私が見たクソ映画がレビューで酷評されていると、「そうそう、そうだよ!」と手を叩きたくなるような感じがして、暇な時なんかボーっと眺めていることも少なくありません。
ただこの前田氏の評論についてはネット上でも議論となることが多く、独善的な意見だと批判する人も少なくありません。こうした点について私個人の立場から意見を言うと、評論家と言っても人間である以上相性というものはどうしても避けられず、万人に対し公平な評論を行える評論家なんてものはそうそういないというかいるはずないでしょう。それならば自分が面白いと思う映画をきちんとピックアップしてくれる相性のいい評論家を見つけることが肝心で、自分と感性が合わないというのなら気にしなくていいのではなんて思います。
その上で私なりに前田氏の評論の仕方で優れている点をいくつか挙げると、まず評論の文章が警戒でリズム感よく、本人の意見がわかりやすく書かれていてる点が上がってきます。逆に本音に近い思想も見えることから嫌悪感を持つ人もいるのでしょうけど、この辺はトレードオフでしょうし。
次に、これは私が知る映画評論家の中でも前田氏だけがきちんと実践できている点ですが、映画に詳しくない素人向けをベースにしつつ玄人向けの解説も同時に行っているという点です。いくつかレビューを見ていると、「映画好きにはたまらないけど素人にはお勧めできない作品」などと紹介されているものも少なくなく、その理由についても簡潔にまとまっています。
案外こういう二極向けのレビューというのは意識してできるものではなく、基本どっちかに偏った評論が世の中では多く氾濫しています。一例をあげると自動車で、よくユーザーレビューを見ているとファミリーカーのレビューにおいてもやたら走りにこだわる人がやれトルク配分がどうだとか高速時のギアチェンジがどうだとか、普通の人が車選びをするに当たって全く不要、というか余計な情報ばかりびっしり書きこんでいるのをよく見ます。前にも書いた「全てのジャンルはマニアが潰す」じゃないですが、よく知ってる人はやはり必要以上にディープな内容を書き込みがちです。
それに対して前田氏の映画はあくまで映画にそれほど詳しくない私のような素人向けにどういった点を見ればいいのか、出演している俳優や監督のキャリアがどうなのかなどを簡潔に説明した上で、玄人向けにも映像効果の説明を挟んであって実にバランスのいい評論をしているなと見ていて感じます。でもって、親子連れで見た方がいいとか、大人だけで見に行った方がいいなどと映画の見に行き方にも言及されてあって、自分のようなライターからすれば「優しい書き方」をしているようにも見えます。
ここで一気に話を転回しますが、評論とは必ずしも万人向けとは限らないということです。途中で出した自動車レビューについても、逆に走りや性能にこだわる人からすればディープな解説の方がありがたいわけで、要は自分が求める情報とその評論がマッチしているかということが重要になるだけに自分とマッチする評論家を捜すことが重要だと言いたいわけです。映画然り車然り政治評論然り、その評論家がどこに着眼点を持ってどういう解説を展開するのか、そのマッチ率を考慮せずに自分と合わないからと言って即その評論家を批判するというのはちょっと気が早いのではないかと思うわけです。
もっとも明らかに事実と異なる根拠や意見を主張したり、ステルスマーケティングをしてたりってんなら話は別ですがね。この辺はいわゆる「独立性」という評価項目に当たるわけですが、これを理解せずに人批判する輩もいるのでたまに鬱陶しいです。
そんなわけで前田氏の評論がしっくりくるという方は多分感性が私に近い人だと思います。なお歴史解説では半藤一利氏、保坂正康氏のコンビが私と相性がよく、ワイドショーだと「てっちゃん」こと宮崎哲弥氏が聞いててすとんと落ちる部類です。逆に合わないのはテリー伊藤氏、金子勝氏とかかな。
2016年4月24日日曜日
中国の高級車オーナーのメーカー別性格・特徴分析
以前にやけに中東系の顔したうちの親父の会社でのあだ名が「ビンラディン」だったと書きましたが、言われてた当時に部下などから、「ってかビンラディンむかつかね?」、「最近ビンラディン生意気だよね」なんてCIAの会話っぽい陰口叩かれてたのかなと想像したらなんか笑えてきました。
・中国の高級車オーナーの平均年齢33歳 半数ハイヤーの運転手を経験(人民網日本語版)
でもって本題ですが、また人民網からの引用記事ではあるもののこの記事は思わず目を見張りました。現在世界で最も高級車が売れる市場である中国ですが、なんと高級車メーカー別にそのオーナーの性格・特徴分析を行ったというのが上記記事です。よくもまぁこれだけの大調査をやってのけたと思うだけに強く敬意を覚えると共に、日本のメディアもこういう面白い記事の一つや二つ作って見せろよとげんなりした気分も味わいました。
この性格・特徴分析ですが、読んでて同じ東アジア人なだけに日本人にも当てはまるんじゃないかと思う節があり、元記事を読んでもらう方が早いのですが私なりにいくつかトピックスをピックアップして紹介します。
1、高級車オーナーの資産・所得分析
性格だけでなくこの調査では高級車オーナーの資産と所得についても分析されているのですが、まず平均月収は3万1千元(約52万7千円)、世帯月収は9万元だったとのことです。中国は夫婦共働きが普通なので個人収入だけでなく世帯月収について統計を出しているのはなかなか面白いところな気がします。なおオーナーの平均年齢は33歳だったとのことで、日本と比べるとここには大きな差があるでしょう。
メーカー別の平均で世帯所得が最高だったのはランドローパー、世帯総資産額が最高だったのはポルシェだったようです。逆に世帯所得最低はなんとトヨタ系列のレクサスで、生体総資産額最低も日産系列のインフィニティとなり、どちらも日系がワーストになっています。昔、フェアレディZが「プアマンズポルシェ」と呼ばれてたそうですが、同も中国の高級車市場では「お金のない人の高級車」、「まだ手が出しやすい高級車」みたいな位置づけで見られているのかもしれません。
2、日系ブランドオーナーの特徴
丸々引用となってしまいますが、ここで出てきた日系ブランドのオーナーイメージ象を出すと以下のように分析されているようです。
<レクサス>
●オーナーのイメージ像:外資系企業の中堅幹部
●プロフィール:中性、男性が多い、高齢者が多い、高学歴者が多い
●社会的地位:中小企業の企業家、外資系企業の幹部、外資系企業の中堅幹部
●性格の特徴:努力家
<インフィニティ>
●オーナーのイメージ像:セレブ
●プロフィール:中性、若い、高学歴者が多い
●社会的地位:職業的特徴はあまりない。特に多い社会的地位はない
●性格の特徴:特に特徴はなく、比較的上品
インフィニティはともかくとして、レクサスに関しては凄く納得できる結果に見えます。なんていうか中小企業の社長とか大企業の中間管理職のおっさん辺りが乗ってそうなイメージだし、最後の「努力家」ってのも如何にもトヨタ系列っぽいです。
逆にインフィニティは「セレブ」ってなんやねんと思う意外な結果なのですが、女性陣に人気なのかもしれません。日本じゃあんまりインフィニティブランドが普及してないから日本国内でもこれというイメージが湧きませんが、とりあえず中国ではこんな感じのようです。
3、他の気になったメーカーの特徴
<ポルシェ>
●オーナーのイメージ像:富裕層の子供、気取っている、個人主義
●プロフィール:中性、若い、独身の高学歴者が多い
●社会的地位:富裕層の子供、成金、芸能人
●性格の特徴: 気取っている、上品、自信家、見栄張り
「社会的地位」に「成金」って言葉が入っていますが、こんな単語は日本の記事じゃまずかけないでしょうけどすごく的を得た言葉であるような気がします。全体的に生意気そうな奴が乗ってる感じがビンビンと伝わってきます。
<ベンツ>
●オーナーのイメージ像:大企業家、上品、成功者
●プロフィール:中性、男性が多い、高齢者が多い、高学歴者が多い
●社会的地位:政府関係者、国有企業の幹部、大企業家
●性格の特徴::努力家、落ち着いている、見栄張り、責任感がある
日本で高級車の代名詞であるベンツですが、こちらはイメージ的にはほぼ完全に日本と共通しているのではないかと思います。特に性格特徴の「落ち着いている、責任感がある」はすとんと腹に落ちてくるだけに、グローバル単位でベンツは自社イメージの徹底に成功しているんだなと思えてきます。
もっとも、日本みたいにヤクザ御用達っていうオプションが中国でも通じるかはわかりかねますが。
<BMW>
●オーナーのイメージ像:ポジティブ、富を自慢する
●プロフィール:中性、女性が多い、若い既婚者が多い、高学歴者が多い
●社会的地位:成金
●性格の特徴:気取っている、物質中心、見栄張り、ポジティブ、責任感に欠ける
ベンツと双璧を成す高級車ブランドのBMWですが、社会的地位が「成金」以外何もないってのがじわじわと来ます。逆を言えば日系高級車ブランドが致命的に書けている要素というのがこうした成金向けな要素ではないかとも思え、いまいち垢抜けてないのではないかとも思えてきます。友人とも話しましたが、レクサスにしろインフィニティにしろアキュラにしろ、変に庶民感を出したりするなどブランドイメージをきちんと固定化できていない面が見られ、偉そうなことを言える立場じゃないですがもうちょっと真面目に商売したらとこの調査結果を見ていて思うわけでした。
・中国の高級車オーナーの平均年齢33歳 半数ハイヤーの運転手を経験(人民網日本語版)
でもって本題ですが、また人民網からの引用記事ではあるもののこの記事は思わず目を見張りました。現在世界で最も高級車が売れる市場である中国ですが、なんと高級車メーカー別にそのオーナーの性格・特徴分析を行ったというのが上記記事です。よくもまぁこれだけの大調査をやってのけたと思うだけに強く敬意を覚えると共に、日本のメディアもこういう面白い記事の一つや二つ作って見せろよとげんなりした気分も味わいました。
この性格・特徴分析ですが、読んでて同じ東アジア人なだけに日本人にも当てはまるんじゃないかと思う節があり、元記事を読んでもらう方が早いのですが私なりにいくつかトピックスをピックアップして紹介します。
1、高級車オーナーの資産・所得分析
性格だけでなくこの調査では高級車オーナーの資産と所得についても分析されているのですが、まず平均月収は3万1千元(約52万7千円)、世帯月収は9万元だったとのことです。中国は夫婦共働きが普通なので個人収入だけでなく世帯月収について統計を出しているのはなかなか面白いところな気がします。なおオーナーの平均年齢は33歳だったとのことで、日本と比べるとここには大きな差があるでしょう。
メーカー別の平均で世帯所得が最高だったのはランドローパー、世帯総資産額が最高だったのはポルシェだったようです。逆に世帯所得最低はなんとトヨタ系列のレクサスで、生体総資産額最低も日産系列のインフィニティとなり、どちらも日系がワーストになっています。昔、フェアレディZが「プアマンズポルシェ」と呼ばれてたそうですが、同も中国の高級車市場では「お金のない人の高級車」、「まだ手が出しやすい高級車」みたいな位置づけで見られているのかもしれません。
2、日系ブランドオーナーの特徴
丸々引用となってしまいますが、ここで出てきた日系ブランドのオーナーイメージ象を出すと以下のように分析されているようです。
<レクサス>
●オーナーのイメージ像:外資系企業の中堅幹部
●プロフィール:中性、男性が多い、高齢者が多い、高学歴者が多い
●社会的地位:中小企業の企業家、外資系企業の幹部、外資系企業の中堅幹部
●性格の特徴:努力家
<インフィニティ>
●オーナーのイメージ像:セレブ
●プロフィール:中性、若い、高学歴者が多い
●社会的地位:職業的特徴はあまりない。特に多い社会的地位はない
●性格の特徴:特に特徴はなく、比較的上品
インフィニティはともかくとして、レクサスに関しては凄く納得できる結果に見えます。なんていうか中小企業の社長とか大企業の中間管理職のおっさん辺りが乗ってそうなイメージだし、最後の「努力家」ってのも如何にもトヨタ系列っぽいです。
逆にインフィニティは「セレブ」ってなんやねんと思う意外な結果なのですが、女性陣に人気なのかもしれません。日本じゃあんまりインフィニティブランドが普及してないから日本国内でもこれというイメージが湧きませんが、とりあえず中国ではこんな感じのようです。
3、他の気になったメーカーの特徴
<ポルシェ>
●オーナーのイメージ像:富裕層の子供、気取っている、個人主義
●プロフィール:中性、若い、独身の高学歴者が多い
●社会的地位:富裕層の子供、成金、芸能人
●性格の特徴: 気取っている、上品、自信家、見栄張り
「社会的地位」に「成金」って言葉が入っていますが、こんな単語は日本の記事じゃまずかけないでしょうけどすごく的を得た言葉であるような気がします。全体的に生意気そうな奴が乗ってる感じがビンビンと伝わってきます。
<ベンツ>
●オーナーのイメージ像:大企業家、上品、成功者
●プロフィール:中性、男性が多い、高齢者が多い、高学歴者が多い
●社会的地位:政府関係者、国有企業の幹部、大企業家
●性格の特徴::努力家、落ち着いている、見栄張り、責任感がある
日本で高級車の代名詞であるベンツですが、こちらはイメージ的にはほぼ完全に日本と共通しているのではないかと思います。特に性格特徴の「落ち着いている、責任感がある」はすとんと腹に落ちてくるだけに、グローバル単位でベンツは自社イメージの徹底に成功しているんだなと思えてきます。
もっとも、日本みたいにヤクザ御用達っていうオプションが中国でも通じるかはわかりかねますが。
<BMW>
●オーナーのイメージ像:ポジティブ、富を自慢する
●プロフィール:中性、女性が多い、若い既婚者が多い、高学歴者が多い
●社会的地位:成金
●性格の特徴:気取っている、物質中心、見栄張り、ポジティブ、責任感に欠ける
ベンツと双璧を成す高級車ブランドのBMWですが、社会的地位が「成金」以外何もないってのがじわじわと来ます。逆を言えば日系高級車ブランドが致命的に書けている要素というのがこうした成金向けな要素ではないかとも思え、いまいち垢抜けてないのではないかとも思えてきます。友人とも話しましたが、レクサスにしろインフィニティにしろアキュラにしろ、変に庶民感を出したりするなどブランドイメージをきちんと固定化できていない面が見られ、偉そうなことを言える立場じゃないですがもうちょっと真面目に商売したらとこの調査結果を見ていて思うわけでした。
2016年4月23日土曜日
熊本地震によるさらなる建設作業員人件費の上昇予測
昨夜12時に床に入ってから今朝は9時半に起きましたが、昼間の午後2時から5時までまた昼寝していました。先週も大体そんな感じでしたが私と同業で同じく繁忙期を迎えている友人の嫁に話聞いたら、「私も今日、12時間寝てた」と言ってて、みんな疲れてるんだなぁってよくわかりました。耳栓とか睡眠グッズを今度買ってこようかな。
話は本題に入りますが、先日起きた熊本地震を見て即思ったことがあったのですが、他に同じこと言う人いないかなと思ってこれまで黙ってきたものの今に至るまでそういった報道を目にすることなかったので今回記事にしますが、率直に言って、「マンションバブルもこれで終わりかな」と思いました。
建設業界に密着しているわけではないのですが、ここ数年は東京都心部を中心にマンションの建設ラッシュが起こると共に販売も好調を続けていると聞きます。好調の原因はちょうど都内の再開発がオリンピック開催決定と共に始まってきたことと、リーマンショック後に大きく落ち込んだ価格が回復してきたこと、そしてなにより消費税増税前の駆け込み需要が大きかったと指摘されています。最後の消費税増税に関しては5%から8%に上がった時点で収まるかと思ったのですが未だに好調を続けていて、10%に引き上げ以降はわかりませんが長谷工とかを中心に未だに建設ラッシュが続いています。
ただこの建設販売ラッシュにを心配する声は前から多く、特に建設作業員の人件費高騰はゼネコンや施工会社を中心に不安要素としてずっと指摘されてきました。建設作業員は東日本大震災の発生以降は慢性的に不足気味で、廃炉作業と合わせて人件費は上昇しっぱなしだそうです。それでも数ある施工不良事件にも負けずマンション販売は好調を保ってきていることから致命的な問題に発展するには至りませんでしたが、今回の熊本地震発生を受けてがれき撤去作業などにさらなる建設関連作業員の需要が高まると思われ、それにより人件費はさらに高騰し、業界的にも悪影響の方が大きくなるのではないかと直感的に思いました。
特に廃炉作業がある福島とオリンピック準備建設がある東京の場合はまだ距離が比較的近い事もあって作業員の移動でも大きく問題にならなそうですが、この二か所と九州地方の場合は大きく距離が離れてあり、弾力的な人員移動は叶わず高騰に拍車をかける気がしてなりません。特に東京では国立競技場の建設を巡って度々問題となってきましたが、もし私の予測通りに人件費が高騰すれば当初の予算を大きく上回る金額となりかねず、その他の施設を含めてオリンピックによって大赤字を喫するのではないかという懸念があります。まぁそれ言ったら最初の東京五輪でも、「赤字予算」というパンドラの箱を開けるきっかけになったのですが。
では今後どういう対策が必要なのか。なんでもしていいんだったら囚人を大量に導入してがれき撤去作業、廃炉作業に従事させるのがベターな気がします。逃げられないよう、いざって時に首ネジネジするアレつけたりして……。
次に非現実的な対策として建設作業員を単純に増やすためキャンペーンを行うというやり方ですが、高額の報酬を出したところで果たして集まるかどうかという点で疑問があるので非現実的です。
最後に現実的な対策としては、困った時の移民で、何らかの枠を以って建設作業員の移民を2020年までという期間限定で受け入れるというやり方です。現実的ではあるものの、決断する人は多分いないなとは思ってますが。
話は本題に入りますが、先日起きた熊本地震を見て即思ったことがあったのですが、他に同じこと言う人いないかなと思ってこれまで黙ってきたものの今に至るまでそういった報道を目にすることなかったので今回記事にしますが、率直に言って、「マンションバブルもこれで終わりかな」と思いました。
建設業界に密着しているわけではないのですが、ここ数年は東京都心部を中心にマンションの建設ラッシュが起こると共に販売も好調を続けていると聞きます。好調の原因はちょうど都内の再開発がオリンピック開催決定と共に始まってきたことと、リーマンショック後に大きく落ち込んだ価格が回復してきたこと、そしてなにより消費税増税前の駆け込み需要が大きかったと指摘されています。最後の消費税増税に関しては5%から8%に上がった時点で収まるかと思ったのですが未だに好調を続けていて、10%に引き上げ以降はわかりませんが長谷工とかを中心に未だに建設ラッシュが続いています。
ただこの建設販売ラッシュにを心配する声は前から多く、特に建設作業員の人件費高騰はゼネコンや施工会社を中心に不安要素としてずっと指摘されてきました。建設作業員は東日本大震災の発生以降は慢性的に不足気味で、廃炉作業と合わせて人件費は上昇しっぱなしだそうです。それでも数ある施工不良事件にも負けずマンション販売は好調を保ってきていることから致命的な問題に発展するには至りませんでしたが、今回の熊本地震発生を受けてがれき撤去作業などにさらなる建設関連作業員の需要が高まると思われ、それにより人件費はさらに高騰し、業界的にも悪影響の方が大きくなるのではないかと直感的に思いました。
特に廃炉作業がある福島とオリンピック準備建設がある東京の場合はまだ距離が比較的近い事もあって作業員の移動でも大きく問題にならなそうですが、この二か所と九州地方の場合は大きく距離が離れてあり、弾力的な人員移動は叶わず高騰に拍車をかける気がしてなりません。特に東京では国立競技場の建設を巡って度々問題となってきましたが、もし私の予測通りに人件費が高騰すれば当初の予算を大きく上回る金額となりかねず、その他の施設を含めてオリンピックによって大赤字を喫するのではないかという懸念があります。まぁそれ言ったら最初の東京五輪でも、「赤字予算」というパンドラの箱を開けるきっかけになったのですが。
では今後どういう対策が必要なのか。なんでもしていいんだったら囚人を大量に導入してがれき撤去作業、廃炉作業に従事させるのがベターな気がします。逃げられないよう、いざって時に首ネジネジするアレつけたりして……。
次に非現実的な対策として建設作業員を単純に増やすためキャンペーンを行うというやり方ですが、高額の報酬を出したところで果たして集まるかどうかという点で疑問があるので非現実的です。
最後に現実的な対策としては、困った時の移民で、何らかの枠を以って建設作業員の移民を2020年までという期間限定で受け入れるというやり方です。現実的ではあるものの、決断する人は多分いないなとは思ってますが。
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