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2017年6月19日月曜日

ゲームレビュー「ブレイズ・ユニオン」

 なんか自分のブラウザだと下記リンク先のフラッシュが起動しませんがそれは置いといて、前回記事で取り上げた「ユグドラ・ユニオン」というゲームの事実上の続編である「ブレイズ・ユニオン」というゲームについて今日は取り上げます。

ブレイズ・ユニオン(STING)

 先にも述べたとおりにこのゲームは「ユグドラ・ユニオン」の続編にあたる作品で、ゲームの基本的なシステムは共通しています。もっともシミュレーションRPGとして「変態的」とまで言われるほど複雑なシステムしてるんですが、やってるうちに慣れるけど。
 ゲームの流れは面クリア型のシミュレーションRPGで、ゲームとしての骨格は前作のユグドラ・ユニオン同様に非常によくできてて弄りがいがあり、また明らかに難しすぎると思うくらいの難易度だったユグドラ・ユニオンに比べればやや抑えられててユーザーフレンドリーに作られており、実際ゲームで遊ぶとアイテムコンプリートなどこだわりさえなければサクサク進むような内容になっています。

 そんなブレイズ・ユニオンですが、私の中の評価は他の人にも是非お勧めしたい前作のユグドラ・ユニオンと比べると悪い、というよりむしろユグドラ・ユニオンを遊んだことのある人にはあんま勧めたくないような出来で、結論から言えば「失敗した続編」という評価を下さざるを得ません。何がダメなのかというと、ゲームシステムと難易度に関しては既に述べた通りにやりこみ性も高く文句はないのですが、それらをすべて台無しにするくらいストーリーが悪いです。

 何度も繰り返す通りブレイズ・ユニオンはユグドラ・ユニオンの続編ですが、ストーリーとしてはユグドラ・ユニオンの前日譚に当たり、ユグドラ・ユニオンにて敵役となりユグドラの王国を攻め滅ぼした皇帝ガルガーサが一傭兵から皇帝となるまでの活躍を描いた作品です。
 ちなみにやったことがある人には早いですが、ユグドラ・ユニオンにて敵キャラとして出てくるガルガーサは半端なく強く、真面目に初回プレイした際は「あれ、これ強制負けイベント?」と思ったくらいの無双っぷりで、そのあまりの強さに恐怖を覚えた人間は多数いたようです。っていうか初回は必ずこいつ一人にゲームオーバーへ追い込まれる。

 このガルガーサ自体はやはりその強さなどから前作でも印象に残っていただけにこのブレイズ・ユニオンで主役を張ると聞いて結構楽しみにしていたのですが、皇帝になる以前の話ということもありますが、この作品におけるガルガーサはユグドラ・ユニオンのガルガーサとはまるで重ならず、はっきり言って別人としか思えないキャラになっています。またそのガルガーサの部下達についても、前作ユグドラ・ユニオンで敵ながら印象に残るキャラが多数出ていただけに実際にプレイヤーキャラとなるならどんな活躍するのだろうと思って期待していましたが、前作キャラは出るには出るもののアイギナとネシアというキャラクターを除きその大半がチョイ役程度の出演にとどまり、ストーリーにもそれほど絡んできません。
 おまけに一部キャラクターに至っては、途中にあるステージセレクトで特定の面を選ばないと登場すらしない冷遇ぶりです。一方、主軸となるのはブレイズ・ユニオンで始めて出演するキャラクターたちで、決してこうしたキャラがつまらないというわけではないものの、せっかくの続編なのだからもう少し前作に出たキャラクターを活躍させてほしかったというのが私の本音です。

 こうしたキャラクターの出演だけでなく、途中にあるステージセレクトもどうしてこの仕様にしたのかと疑問に感じる内容です。ある程度ゲームを進めると次の戦闘に出るステージを複数から選ぶのですが、実はどのステージを選ぶかによって仲間になるキャラクターが変わってきて、さらには最終的なシナリオ分岐にも影響してそれによってエンディングが変わります。ただ、そのステージを選ぶとどのシナリオに進むかは明示されていないというかマスクデータで管理されており、はっきり言って攻略サイトを見ない限りは進みたいシナリオには思った通りいけないというやや不満を感じる仕様になっています。

 最後に、私が最も不満だったのはメインシナリオのストーリー展開とラスボスの描き方です。先に述べた通りにこのゲームは主人公のガルガーサが荒廃した帝国の一傭兵から皇帝になるまでの活躍を描いた作品なのですが、後半のシナリオ展開はものすごいハイピッチで、直前までパトロンとなる貴族配下の一傭兵だったのが突然反乱軍の盟主となり、そのまま皇帝も殺害して帝国を乗っ取るという異様な展開へと進みます。
 しかもこの時に倒される皇帝ですが、暴政を尽くしたことから国内が荒廃しそれによって反乱が各地で相次いでいるというストーリ背景にはなっているものの、ゲーム中では彼が何か暴政を犯していたり国民を虐げるような描写は一切なく、それどころか周囲からは深く尊敬されて最後まで忠実に付き従う忠臣も多くいることから、ゲームをプレイしている側からすると、「なんでこの人は下剋上されなきゃいけないの?」という疑問すら湧いてきます。そもそも、皇帝という立場の敵役にしては一昔前のビジュアル系みたいにピッチリ系タイツ履いた優男という外見をしており、なんというか威厳にも欠けるし攻略していて複雑な気持ちにさせられました。

 聞くところによると、このブレイズ・ユニオンはシナリオに関してはメーカーのスティング社内ではなく外注によって制作されたそうですが、はっきり言って「こんなクソみたいなシナリオを外注してどうする?」と私は思いました。真面目に、こんな内容に金払っちゃだめだと思う。

 誉められる点としては前作同様にBGMは文句のつけようがないくらいにどれも素晴らしいのと、声優陣がやたら豪華でどれもイメージに合うといったところです。シミュレーションとしての攻略の楽しみも悪くはありませんが、やっぱユグドラ・ユニオンと比べると劣ってしまうというのが残念なところです。

 なおこのブレイズ・ユニオンの後、同じシステムを使った「グロリア・ユニオン」というゲームも発売されておりますが、現在私は既に購入済みであるもののまだ遊んでいません。理由はつい先月に購入したものの、まず「ルフランの地下迷宮と魔女の旅団」を遊び(裏ボス、隠しボスも撃破済み)、現在は「討鬼伝 極」を必死で遊んでいるからで、手が回らないからです。聞くところによるとグロリア・ユニオンはどうも味方キャラが強すぎるのとシナリオが明るすぎるという点が批判されているようです。
 ブレイズ・ユニオンについては決して駄作ではないものの、やはり前作のユグドラ・ユニオンが名作過ぎるため、どうしても見劣りしてしまうというのが私の評価です。システム面でも上記の通りやや問題があり、もう少し煮詰められればと思うと惜しい作品に思えます。

  おまけ
 ちらっと書きましたが、「ルフランの地下迷宮と魔女の旅団」は真面目に凄い名作だと思うので興味ある方はぜひ遊んでほしい作品です。ジャンルはダンジョンRPGで、最大で40人のパーティを組めるという構成ながら戦闘を含めゲームテンポは非常にスピーディであり、厄災の魔女フルーラ、夕闇の魔女ドロニア、ドロニアの見習い魔女ルカという三人の魔女がそれぞれ主役となって広げられるストーリーはショッキング且つ感動的で、二周してようやく内容が分かってくる深いシナリオになっています。
 なおルカというキャラの「ギャー」という声は非常に癖になります。

2017年6月17日土曜日

ゲームレビュー「ユグドラ・ユニオン」

 あんまゲームのことばっか書いちゃだめだと思いつつも、好きなこと書いてストレス減らしたいので個人的にイチオシな「ユグドラ・ユニオン」というゲームについて書きます。

ユグドラ・ユニオン(STING)

 ユグドラ・ユニオンとは2006年にゲームボーイアドバンス向けに発売され、2008年にPSPへ移植されたシミュレーションRPGゲームです。私がこのゲームをやってみようと思ったきっかけは、制作したのがかつて遊んだ(でもって印象に残った)ことのある「バロック」というゲームを作ったSTINGであったことと、批評サイトで変態的システムRPGだと書かれていたためです。実際、この批評は間違っていません。

 簡単にゲーム概要を説明すると、ストーリーは亡国の王女が国家再興を期して生き残り(+山賊)と協力して戦うというシミュレーションRPGの祖たる「ファイアーエンブレム」並みにオーソドックスなものです。ただシステムが上記にも挙げた通りに変態的というか他の同ジャンルのゲームと一線を画す内容で、初見で見てみた人は多分ビビると思います。
通常のシミュレーションRPGではターンごとに出撃しているユニットキャラを動かし、攻撃を指定し、その結果によって味方がやられたり敵を倒したりします。然るにこのユグドラ・ユニオンでは、ユニットキャラを動かして攻撃するという点でこそ共通しているものの、攻撃できるのは1ターンにつき全キャラ含めて1回こっきりで、しかも1ターンに移動できるマスの数はターン冒頭に選んだカードによって決まり、それを出撃している全キャラで共有します。

 具体的に説明すると、冒頭で選んだカードの移動距離が4マスだったとしたら、出撃しているユニットキャラが5体いる場合、どれか一つのキャラを4マス動かすか、4体のキャラを1マスずつしか動かすことができません。もちろん2体のキャラを2マスずつ動かすこともできますが、このようにユニットキャラ個別に移動距離が決まってるわけじゃなく、その気になれば単騎で突出させることも可能で戦術がかなり広く設計されています。
 また上記に書いた通り攻撃できる機会も1回だけで、あるユニットキャラで隣接する敵ユニットを攻撃したらそれでそのターンの攻撃は終わりで、ほかのユニットは一切攻撃できません。もっとも、攻撃を仕掛ける際にその当事者であるユニットキャラの周囲に別の仲間ユニットがいれば、二戦目、三戦目、四戦目とばかりに連戦が発生して攻撃に加わることができますが。

 このように文字で説明していても一切意味が分からないようなやたら面倒くさいシステムしていますが、実際にはゲームの進行とともに徐々に機能が解放され、ゲーム内でのチュートリアルも丁寧であるためシステムが分からず困るようなことはありませんでした。ただ全部分かった上でも複雑かつ奥の深いシステムで、何故こんなものを作ったのか誇張ではなく理解に苦しみます。

 こうした戦闘システムもさることながらこのゲームの別の大きな特徴として、漫画家のきゆづきさとこ氏による丸っこくて非常にかわいらしいキャラクターによって、血生臭く情け容赦一切ないスパルタンなストーリが展開されるという点です。簡単にその概要を明かすと、主人公の王女ことユグドラは国の再興を目指して戦い、ストーリーの途中で見事に元の領土や首都を奪還します。そしたら今度は、「攻めてきた国を叩き潰さないと平和は来ない」と述べ、今度は逆に攻め込むという展開になります。
 その結果、エンディング時には敵軍のキャラクターは民間人を含めほぼ例外なく死亡し、味方キャラも自爆特攻したりするなどして死屍累々たる有様が広がります。しかも選択によっては、下界でもう必要ないから聖剣を返せという天使に対し、「聖剣の振るうところに正義あり」と言って神界にすら牙を剥きます。一体何故こうなった。

 なんか書いてていろいろあれですが、ゲームとしての骨格は非常によくできており、難易度もシミュレーションRPGとしては非常に難しくできてて歯応えがあります。なお私がプレイしたのはPSP版ですが、ゲームボーイアドバンス版はもっと難しかったようで、クリアさせる気あるのかよと思うくらいです。またやりこみ要素も半端じゃなく、特にアイテムに関してはマップ上にノーヒントで埋まっており、1週目でコンプリートした人は恐らくエスパーでしょう。

 最後にこのゲームの主人公というかヒロインである王女ユグドラは非常に高い人気を得て、メーカーのスティングもこのキャラをよく前面に出してコラボ企画に乗っています。そんなユグドラですが序盤はやたらと弱く下手すりゃ二軍行きレベルなのですが、後半にクラスチェンジするやすぐステータスがカンストするなどあり得ないほど強くなり、決め台詞の「寄らば斬ります」は「寄ってこなくても叩っ斬ってるじゃん」と誰もが思っただろうし、公式でも「寄ってこなけりゃ寄って斬るだけですけどね」というセリフを続編で言わせています。
 なおこのユグドラはあるステージに限ってバトル勝利台詞がいつもの「みんなの勝利です!」ではなく、「絶対に、許さない……」に変わるのですが、正直このセリフを音声で聞いたときはぞっとしました。それもそのはずというか演じる声優は中原麻衣氏で、「ひぐらしのなく頃に」の竜宮レナをはじめとして数多くのヤンデレキャラを演じてきたヤンデレ声優の代名詞というべき人であり、普段はすごくお嬢様っぽくかわいらしい声してるのに突然人間変わったかのような暗く沈んだ冷たい声に切り替わるため、中原氏の声聞くのは何気にこのゲームが初めてでしたがこの声マジこえぇと心の底から思いました。

 次回はこの続編の「ブレイズ・ユニオン」を取り上げます。こっちは先に書いておくと、私の中で評価めっちゃ低いです。

2017年6月16日金曜日

戦国時代はなぜ起こった?


 なんか笑えたので紹介。なおこの画像は「クレイモア」という漫画のワンシーンですが、同じ作者である八木教広氏のひとつ前の作品の「エンジェル伝説」は多分自分が生涯で一番笑ったギャグマンガだと思います。それだけに「クレイモア」でシリアス路線貫いたのは意外だった。

 さて私の知らないところで日本では空前の応仁の乱ブームらしいですが、以前親父の知人にも話しましたが何故応仁の乱がこれまで手つかずというかあまり話題にならなかったのかという理由ついて私は以下の原因があると考えています。

・応仁の乱を舞台にした有名な小説作品が出てこなかった(司馬遼太郎とかが書かなかった)
・対立構図や背景が複雑過ぎて理解するのが困難

 おそらく上記の理由に反対する人はいないかと思います。その上で、一体何故応仁の乱がおこったのかという問いにすぐ答える人なんてそんな多くはいないと思います。なので私が答えるとすれば、単一相続がまだ定着せず分割相続が相次いだ上、分家がやたら力を持ったという点に尽きると思います。

 日本語で「たわけ」というのは「阿呆」という意味ですが、この言葉の由来は「田分け」こと農家の分割相続を指しています。田んぼを分割相続してしまうことで生産力が大きくそがれ、結局別れた二つの家ともども没落するということを指しており、要するにこの言葉が生まれた背景としては分割相続の弊害を指摘することにあると言えるでしょう。

 江戸時代でこそ嫡男による単一相続が徹底されごく一部の例外を除いて大名、一般武士ともども単一相続が行われましたが、鎌倉時代においては分割相続することが当たり前だったそうで、当時には女性の地頭もいたことから女性にも相続権が存在したことが確認されています。室町時代前半に至ってようやく単一相続が定式化していきますがそれでもまだ後継者は嫡男とは限らず、また元から存在していた分家の存在もあり、いわばまだ制度が未整備の段階で単一相続時代へと突入してしまったことから本家跡取りの後継者争いが物凄く激しくなり、応仁の乱に参戦した武将、並びに関わった人間はすべてこの後継者争いが絡んでいます。
 そもそも一番大きな戦争理由は足利幕府九代目将軍が義政の弟か息子かという点でも後継者争いですし、そしてそれにのっかった細川家も山名家も、そしてそれぞれの側についた各家も後継者争いに端を発しています。

 また中央の京都だけでなく関東では足利家は古河公方と堀越公方に分かれ、それを補佐する関東管領の上杉家も本家と分家で争っており、いわば日本全国で後継者争いが勃発したのが戦国時代だったと言っていいと思います。さらに言えば、戦国時代のひとつ前の南北朝時代は天皇家の後継者争いとも言えますし。

 古来からやはり後継者争いほど争いの種はなく、欧州の百年戦争や薔薇戦争など枚挙に暇がありません。それだけに相続という制度がどれだけ社会不安の要素となるのか結構重要な概念だと常々私は思っているのですが、最近の日本だとみんな財産なくなってきたのか前ほど相続でこじれるような話が聞かなくなってきており、相続そのものの概念が危うくなってきたなとも思います。

  おまけ
 以前税理士の方に聞いた話で、ある資産家から相続へ向けて生前に遺書を作成するという依頼を受けてほかの税理士仲間ともどもいろいろ計算した上で作成し終え、ようやく内容がまとまりみんなで打ち上げ会をやっている最中、「いやー実はさ、若い頃遊んで隠し子いるんだよね♪」と資産家が口走ったため、全員宴会どころではなく真っ青となり、ある人に至っては宴会場で電卓叩き始めたということ聞きました。

2017年6月15日木曜日

オウム事件を分析する上で必要な三つの視点

 家の近くのあるお店のドアに、「当店は観賞用の魚販売店であってレストランではありません」と書いてあってなんか笑えました。さすが中国。

 それで本題ですがちょこっと前に書きましたが1997年発行の村上春樹氏による「アンダーグラウンド」という本を先日購入しました。この本は前から興味を持っていながらなかなか手を出さなかったもののようやく購入する決断ができたのですが、一体どういう本かというと小説ではなくルポルタージュで、その内容というのも地下鉄サリン事件被害者への直接インタビューしたものです。まだ読み途中ですが冒頭にて村上氏は、「事件後に様々な報道がなされたが、どれも自分が見たい内容の報道ではなかった」と述べ、自身が見たかった、聞きたかった内容こと事件の直接の被害者へのインタビューをわざわざ行って書いた本であると述べています。

 この村上氏の心境ですが実は私も全く同じ考えを持っており、むしろ私の場合はオウム事件の被害者報道には偏りがあるという風に見ていました。どのように偏りがあるのかというと、オウム関連報道では地下鉄サリン事件以前のオウム事件の被害者ばかりがしょっちゅう取り上げられ、地下鉄サリン事件の被害者については全くないとは言わないもののその比重が極端に軽いという風な印象を覚えました。具体的に言えば坂本弁護士一家殺人事件をはじめとした、サリン事件以前の教団が関わった拉致殺害事件が中心です。
 一体何故このような報道の偏りがあったのかというと理由は単純に、オウムの被害者団体がこれら事件の遺族らが中心となり、またオウム関連のジャーナリストや支援者たちもこれらの被害者団体と行動を共にすることが多かったためで、恐らく報道側にはそれほど意識はなかったものの結果的に被害者報道ではこちらへの比重が大きくなってしまったのではないかと思います。

 その上で地下鉄サリン事件に関しては、この事件が発生して以降は一連のオウム事件がようやく明るみに出たため徐々に地下鉄サリン事件自体がフェードアウトし、またこの地下鉄サリン事件で被害者となった方々もあまり取材に応じなかったなどの要因も考えられます。この取材対応については「アンダーグラウンド」の中でも、メディアに誤った報じ方をされて警戒心を持つ被害者が多かったことなどが書かれてあります。
 こうした前提があるだけに、この「アンダーグラウンド」は事件発生から約1年半後に当事者たちへ直接インタビューした、しかも余計なバイアスや質問をかけずに自由に被害者へ語らせているため、資料的な価値としては非常によくできた本だと思え、よくぞこうした記録を残してくれたと村上氏には感服させられるような内容です。実際そのインタビュー内容も同じ場面にいながら証言者によって内容が変わったり(駅員の対応や反応など)、各者の視点で語られてあって微妙な違いが事件当時の現場の状況について考えさせられます。

 さてこのまま「アンダーグラウンド」について語り続けてもよいのですが、この本を手に取って自分がようやく手にしたものの紹介について話は移らせてもらいます。その手にしたものというのも、オウム事件を語るには複数、最低でも三つの視点が必要だということです。
 本を取る前からなんとなくはイメージできていたものの、先ほど挙げた同じ現場にいながら微妙に異なった状況を証言するという個所を見てようやく文字化できるほど意識するようになったのですが、単純にオウム真理教と言ってもその構造や経歴、そして性格と犯罪は非常に複雑であり、現実に今の今に至るまでこの事件を総括したというか分析しきった解説はまだ出ていません。何故エリートたちがオウムに走ったのか、何故国家転覆を企てたのか等々、納得のいく説明や分析があったら私が教えてもらいたいです。

 どうしてオウムの分析が難しいのかというと既に述べた通りに内包する要素が非常に多く且つ複雑であるからです。またその要素によっては、互いに相反する内容も含まれてあって理解や分析を妨げるものになりうるもの少なくありません。
 グダグダ説明してもしょうがないのでもう述べますが、私はオウムを分析する上では少なくとも以下の三つの視点、それぞれで見る必要があるのではないかと思います。三つの視点と、それに含まれるキーワードのまとめは以下の通りです。

(視点:キーワード)
宗教:ヒンズー教、キリスト教、救世、創価学会、選挙立候補、終末論
カルト:土地取引、マインドコントロール、マハポーシャ、個人崇拝
テロリスト:国家転覆、毒ガス、犯罪、指名手配、教団省庁制、ロシア

(視点:被害者)
宗教:修行中の事故死者
カルト:坂本弁護士一家など非教団関係者
テロリスト:サリン事件被害者

(視点:その視点でオウムを語る記者や著名人)
宗教:島田裕巳、吉本隆明
カルト:江川紹子、小林よしのり
テロリスト:佐藤優、田原総一郎

 上記はあくまで暫定的な分類ですが、このように一口でオウム事件とは言ってもその見方や分析の仕方は上記のように三つの視点で分かれており、その三つの視点で語るべき内容を無理やり一つの「オウム事件」として語るから訳が分からなくなるのではないかというのが私の仮説です。もっともこれを見る方には「宗教とカルトは一緒ではないか?」と思われる人もいるかもしれませんが、それを敢えて分けて見る試みが必要なのではないかと主張したいわけです。
 例えば実際に、この三つの視点をごちゃまぜにして上記キーワードを当て込むとこうなります。

「オウム真理教はヒンズー教を柱に終末論を掲げた新興宗教で、次第に信者のマインドコントロールや個人崇拝を進めて土地取引に絡む事件を起こし、さらに国家転覆も企みサリンなどの毒ガスを使って都内で大規模な無差別殺人事件を起こした」

 これを見てオウム真理教がどんな団体か、事件をあまり知らない世代の人に見せたらどんな反応を示すでしょうか。これを敢えて三つの視点で分割するとそれぞれこうなります。

「宗教としてのオウム真理教はヒンズー教を柱に終末論を掲げた新興宗教である」
「カルトとしてのオウム真理教は信者のマインドコントロールや個人崇拝を進め、土地取引に絡む事件を起こした」
「テロリストとしてのオウム真理教は国家転覆を企み、サリンなどの毒ガスを使って都内で大規模な無差別殺人事件を起こした」

 こうなるわけですが、やはり視点を分割して各事件、特に被害者や実行犯を見なければ見えるものも見えなくなるのではと思います。そしてさらに言えば、それぞれの視点でそれぞれの結論も必要ではないかと思え、一緒くたにした結論というのは本当は存在しないのではないか、あってももう訳が分からないものになるのではと言いたいわけです。そして地下鉄サリン事件の実行犯に関しても、「宗教」と「テロリスト」の間に横たわるズレを見ることで、今までにないものが見えてくるような気がします。逆を言えば、視点を分けなかったことがこれまでのオウム分析における最大の躓きだったのではというのがこの記事の結論です。

 最後に、もし私がこの三つの視点の中からどの視点を中心に据えるのかと、自分の属性に最も近いものをやはり選ぶことになるでしょう。

2017年6月12日月曜日

根本的にいじめをなくす方法

 「うみねこのなく頃に」の漫画版エピソード5~8、計30冊を読破しました。個人的にはエピソード8の6巻に出てくるサヨトリーチェの姿が一番美しいと感じたけど、ほかの部分は一気読みならまだしも連載や単行本を追っかけていたらグダグダした展開に音を上げてたかも。

 最近自分でも本業が何なのかわからなくなってきていますがまだやり残した仕事があるのでまたすぐに書ける内容ですが、大分以前に私は日本の教育現場からいじめはなくならない、何故なら誰も発生頻度や地域に発生しやすい環境についてきちんと統計を取って調べることはおろか印象論だけのいじめ対策しか出さないからだと指摘しました。我ながらいいところをついているというか、現時点においても地域別、学校別いじめ発生件数の統計がほとんど出回っていない状況を見ると間違った指摘ではないと自負しています。
 そんな自分に言わせると、日本のいじめ問題は「ある仕組み」を利用することで一瞬で根本的にかつ完全に排除できるのではないのかなという案が一つだけあります。長く書くつもりないので(「うみねこ」については書いたが)単刀直入に言えば、いじめを行ったと認定された生徒の内申点は大きく減点されるという制度にすれば一発で万事解決行くのではと主張したいです。

 こんなことを書いていますが私は中学から私立校だったためいまいち中学校の内申点についてきちんと理解してないのですが、やはり公立中学出身者から話を聞くとその威力は絶大で、生徒らの常に気にしていたと話すなど意識も非常に高いと感じました。実際これは千葉県の一地域における話ですが、公立高校受験時において仮に内申点がほぼ満点だった場合、受験テストにおいてほぼ半分の点をはじめから取得しているという状態になると聞きます。無論成績のいい生徒は内申点も高い方が多いと思いますが、それでもこのハンデはあるとないとでは受験で大きく変わってきます。
 あまり大人は意識しませんが、子供というのは基本的に「打算」で行動する傾向が非常に強く、何をすると自分が特になるのか損得勘定がその行動を大いに左右します。実際に上記の内申点についても比較的教師の成績裁量権が強い美術や書道や家庭科などの科目においていい評定をもらおうと媚びていたという人間にも会ったことがあり、いじめをしたら内申点が大きく下がる、具体的には半減化するという処置をつけると言ったら大半の中学生は震え上がり、いじめと疑われるような行動すら避けるのではないかなと勝手に考えています。

 もっともこの意見に対する反論はいくらでも作れるし実際に私からいくつか述べると、中学校はそれでよくても小学校と高校の場合ではどうなのかというのがあります。小学校に関してはそこは教育現場でどうにかしてもらうしかないですが、やはりいじめ認知件数が最も高まるのは中学校の現場であるため、この時期に楔を打ち込むという意味では上記案は悪くないのではないかと考えます。この間に楔を打ち込んでおけば高校時代の行動にも影響すると思えますし。
 また高校でのいじめに関しては、果たしてそこまで対策を行う必要があるのかなという疑念が少しあります。高校生ともなれば自ら逃げることも可能な年齢と思え、災いをただ受けるだけで避けようとしないのであればどの道といったところでしょう。まぁその点については、日本の教育はストレスの堪え方ばかり教えて避け方や流し方をあまり教えないので求めるのはやや酷かなという気もしますが。

2017年6月11日日曜日

Kindleのダウンロードエラー回避方法を発見!

 クソ忙しい時期を乗り越えてこのところ平穏となってきたこともあってか、このところ頭の回りがいい上に視力も心なしかよくなっているというか回復している気がします。先月までやはり疲労が目にも来ていたのか買い換えたパソコンの画面がやけに見づらく、「フルHDはあんまよくない」などとレビューに書こうとまでしていましたが、書かずにおいてよかった。ただまじめな話、解像度がやや低い画面の方が線がはっきり出るのでテキスト作業が多い人にはそっちの方がいいのかも。

 さて話は本題ですが、今Amazonでスクウェア・エニックス発行の漫画に対し全品価格の半分にAmazonポイントが付くという、実質的な半額セールが行われています。スクウェア・エニックスの漫画作品はそんなに興味ない上に漫画雑誌としてもあまり評価してないためそのままスルーと思いきや、実は前からサウンドノベルゲーム「うみねこのなく頃に」のここから出ている漫画版は読んでみたいと思いつつも、巻数の多さから我慢しつつ見送ってきていたのですが、半額とくれば迷っている場合じゃないと思い一気に大人買いしました。
 「うみねこのなく頃に」はエピソード1から8までそれぞれやや独立しており、全部買うとほんとに果てしない量となるため、アニメ版で見たエピソード1から4は試しで購入したエピソード2を除いて見送り、エピソード5~8をまとめ買いで購入したのですが、それでも購入冊数は約30冊にも及び、現時点においてもまだ全部読み切っていません。

 そんな大人買い自慢は置いといて、実は購入する際に少し懸念がありました。その懸念というのもダウンロードです。
 日本国内ならいざ知らず中国だとKindleコンテンツのダウンロード速度が遅く、途中でしょっちゅうエラーも起こるため、これだけの量を読みたいときに読められるほどダウンロードしておけるのかという不安がありました。幸い今使っている華為のメディアパッドは通信部品がいいのか前のASUSのメモパッドより比較的安定しており、ダウンロード速度も割と高く出ます。その甲斐あって通信状況のいい午前中などは割とご機嫌にダウンロードできていたのですが、それでも30冊超のダウンロードとあって途中で厄介な問題が起こりました。その問題というの、「ダウンロードできなくなる」というエラーです。

 具体的にどういう症状かというと、ダウンロード中にエラーが発生してそのままダウンロードができなくなり、再度一からダウンロードしなおそうとしてもダウンロードを開始してくれなくなるというエラーです。この状態にはまるとコンテンツのダウンロードを要求しても一瞬だけ「ダウンロード準備中」という表示に切り替わった後、すぐそんな要求なかったかのように「ダウンロード中」の表示が消え、その後何度試みても同じような繰り返しで一切ダウンロードができなくなります。
 この現象は通常のノートPCでは起こらずタブレットPCでしか起こらないため、どうしてもコンテンツを楽しみたいというのならばノートPC用(別にデスクトップでもいいが)Kindleでダウンロードを行えばこうしたエラーも起こらず普通にみられます。

 ノートPCで見ればいいだけの話ですが、やはり移動中とかに漫画とかを読みたいことを考えるとあまり起こってほしくないエラーでした。特に今回はまとめ買いということもあって、読んでる途中で1冊だけタブレットからノートPCに切り替えて見るというのも非常に面倒だと感じ、このエラーが目の前で起こった際は怒りよりも寒気を覚えたほどです。
 しかし再ダウンロードしようにも既にエラーは発生済みで再ダウンロードは全く行えず、これまでもこのような症状は何度も見て煮え湯を飲んできていただけに、仕方ないからこの本だけはノートPCで見ようかと思って、この日は通常とは異なる操作を行いました

 通常、私はノートPCにコンテンツをダウンロードする際はノートPCにインストールしたKindleのソフトを立ち上げ、購入済みコンテンツの中から選んでダウンロードするという方法を取っています。ただ今回はエラーが発生した時点でまだノートPCを起動しておらずタブレットでダウンロード済みのコンテンツを読んでいた最中だったので、そのままタブレットからノートPCのKindleにコンテンツのダウンロードを行うよう指示することにしたのです。
 具体的にはAmazonのウェブサイトをブラウザで開き、アカウント登録を済ませた上で「アカウントサービス」メニューの中の「コンテンツと端末の管理」を選びます。すると開いたページではこれまでに購入したコンテンツ一覧が表示され、その中から端末にダウンロードさせたいコンテンツを選び、「配信」というコマンドを選びダウンロードさせる端末(この場合、登録済みのノートPCかタブレットPC)を指定してGOさせます。

 私はこの時、タブレットPCでブラウザを開き、あらかじめノートPCへのダウンロードを指示させようと考えていました。こうしておけばノートPCでKindleのソフトを開いた時点でダウンロードが始まるので、どのコンテンツがタブレットPCにダウンロードできなかったのかをいちいち調べなおしてダウンロード指示させる必要がないと考えたからです。
 ただこの時、ノートPC同様に登録してある手元のタブレットPCもダウンロード先の候補として表示されていました。そこで何の気なしに、あとほんのちょっとの期待とともにタブレットPCもダウンロード先として指定したところ、なんとエラー起こしてうんともすんともダウンロードを始めなかったコンテンツが再びダウンロードし始め、そのまま完了してタブレットPCでも見ることができるようになりました。

 今回のまとめ買いで上記のダウンロードエラーは2冊で起こりましたが、2冊とも同じようにブラウザからダウンロード指定することで無事ダウンロードできるようになり、エラーとともにダウンロードできなくなるというこれまでのKindleにおける最大の不満点を克服することに成功しました。なんとなくこの問題はサーバー上のコンテンツ管理、具体的にはダウンロードを終えているか否かの判定にあるのではないかと思っていただけに、もしやと思ったひらめきでうまくいって正直ビビりました。
 とはいえこれで無事に「うみねこのなく頃に」を楽しむことができ、また今後の海外における書籍購入でも実質最大の懸念を払しょくしたこととなります。冒頭の体調回復と言い、なんとなく自分に向かって風が吹いてきたなと思え、無駄にテンション上がってきました。

 なお今回うみねこと同時期に、前から読みたかった村上春樹氏の「アンダーグラウンド」も購入していますが、購入する際に「アンダーグラウンド」と入力して検索したところ検索範囲が「コミック」であったため引っかからず、かわりに「レッする!ジ・アンダーグラウンド」というなんかえっちそうな漫画が引っかかって、「なんやねん!」とリアルに声上げてびっくりしました。レビューを見る限りだと、この漫画は4巻で打ち切りにあったようです。

2017年6月9日金曜日

顔に出る政治家

 なんかこのところ疲労がたまってるようなのでささっと書きあげますが、例の加計文書問題について政府や文科省はようやく再調査を決めましたが、何故今頃になって再調査を決めたのかというと私が見るに理由は大きく二つあり、一つ目はしらばっくれようとも世論に抗しきれなかったということ、もう一つは国会のスケジュールからでしょう。国会のスケジュールとは単純に6月末に閉会する予定であることから(延長の話は出ていない)、国会さえ閉会してしまえば議会での追及もできずある程度世論をコントロールできるようになります。また今国会の大きな議題であった天皇退位特別法と共謀罪についてもある程度通貨スケジュールが見えてきたこともあるでしょう。

 しかしそれにしてもこの加計文書ですが、安倍政権にとっては本当に耳の痛い問題というか恐らくは噂されている通りに「総理の意向」と「忖度」が働いた結果なのだと思われます。このように思う理由としては既に報じられている種々の根拠もさることなら、安倍首相の動揺っぷりと顔色こそが何よりも物語っています。

 あまりこの手の話をするメディアはいませんが基本的に鋭い政治家というのはどんなに苦しい立場であってもそれを顔にはあまり出ません。代表的なのだと中国の前の総書記であった胡錦涛氏と、同じく今の総書記の習近平氏で、二人も笑顔も硬すぎるという弱点こそありますが(胡錦涛が米国のマイクロソフト本社を訪問して帽子被りながら硬すぎる作り笑顔をしていた姿はマジ笑えた)、政策でうまくいかないときや、嫌いな人間が目の前にいるときであっても一切イライラしたような表情は見せず、その点では手ごわい相手だとよく感じました。
 日本の政治家で挙げればやはり小泉、福田の元首相二人がまさにこのタイプで、小泉元首相の方はまだうれしい時なんかは黄色満面を恐らくわざと見せることがありまだ感情が見て取れましたが、福田元首相ともどもあからさまにイライラした表情はほとんど見せずこの点ではポーカーフェイスで政治家としては及第点でした。もっとも福田元首相は退任会見で怒っちゃったため、なんとなくそのイメージが強いですが。

 これらの政治家に比べ現在の安倍首相ですが残念ながらかなり顔に出るタイプの政治家で、痛いところを突かれるとすぐそのまま顔に出ちゃい、大体逆切れするかのようにイラついて怒るような態度を取ってしまいます。それでもまだ第二期政権が発足した当初は余裕もあってあまりそうした姿は見せず成長したなぁとか思っていましたが、どうも去年あたりから景気もそれほど戻らないのもあってかまたしばしばイライラする表情を見せるようになり、特にこの加計文書問題に関しては「印象論」という言葉を何度も連発するなど、苦しい胸の内を自ら明かしているようにすら見えます。

 念のため書いておくと、私自身は安倍政権が今すぐ倒れることは望んでいません。しかし安倍首相が望む2020年の東京五輪まで政権を維持しようというのはさすがに長すぎるし、アッキーナ事件を始めいろいろとしがらみが出始めていることもあることから、個人的には来年か再来年あたりで区切りつけてそろそろ退任すべきではないかとも思っています。既に自民党内でも岸田大臣を始め早く後任に席を空けろという声も出てきており、求心力はこの一、二年でガクンと落ちてきていることには間違いありません。
 これはあくまで私の勘ですが、ヒヤリハットの法則ならぬ1つの大きな政界スキャンダルの前にはいくつものヒヤリハットスキャンダルというのがあり、ちょうど今の森友学園や加計文書などがそうしたヒヤリハット例ではないかと思え、もしかしたら年末あたりにどえらい安倍政権のスキャンダルが出てくるのではないかと勝手に予想しています。火元はもちろん文科省で、今回の事件を受け文科省も安倍政権と距離を置くようになったように見えるだけに何かすごいリークとか出てくるのではと、あくまで勘ですがこんなことも覚えています。