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2017年12月2日土曜日

漫画レビュー「ゴールデンゴールド」

 先月に日本へ一時帰国してからこの一ヶ月間はずっと体調が悪く、今週に至ってはお尻からラー油が出るわ風邪ひいて鼻かむたびに鼻水に血が混じってるのを見るとマジビビります。そんな具合で体調良くないので好きに書ける漫画レビュー書きます。

 結論から言うと、この「ゴールデンゴールド」という作品については将来確実にアニメ化かドラマ化が実現すると断言できます。底知れないポテンシャルはもとより、ここ先が気になってしょうがない展開ぶりなど数年間で間違いなく最も優れた漫画作品ではないかとすら思えるような面白さです。
 私がこの作品を知ったのはAmazonの売り上げランキングで上位に入っていたことと、その特徴的な表紙から「中身が全く読めない」という印象を覚えたことからでした。てっきり、表紙に出ている女子高生と変な生物がドタバタをやらかすギャグコメディではないかと想像していました。
 では実際はどうか。簡単にあらすじを話すと、以下の通りです。

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 広島県の離島に住む女子中学生の主人公はある日、海辺で小さな仏像のようなものを拾い、なんとなくお堂に入れて拝んだところその仏像は子供くらいの大きさの人形となり、突然動き始めます。しかも知らないうちに主人公の家に上がり込みながら、主人公の祖母をはじめその島の出身者は誰もその異様な姿を見とがめることはせず、特に疑問を持たず同じ屋根の下で暮らし始めます。そしてその人形が来てからというもの、祖母が経営する民宿、雑貨屋は急に繁盛し始め、コンビニにも鞍替えするなど環境が段々と変わっていき、「もしかしてあれはフクノカミなのでは?」と主人公らは考えていくようになります。
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 以上は本当に序盤のみのあらすじなのですが、回を追うごとにフクノカミとはどんな存在なのか、何が目的なのかという疑問がどんどんと膨らみ、その不気味さと相まって先が非常に気になっていきます。また主人公らが生活する離島、と言っても「ドクターコトー」ほどの鄙びた離島ではなくスーパーも高校も島内にある島ですが、その島の日常生活風景が非常に丁寧に書かれており、それだけに日常が段々とおかしくなっていく情景が妙なリアル感を持って描かれています。

 最初一読して感じた印象としては浦沢直樹氏の「20世紀少年」のような印象、日常が段々と非日常へと崩れていくようなイメージを感じました。ただミステリーじみた展開のあちらとは違ってこちらは明らかな超常現象というか見た目からして異様そのものなフクノカミが周りから一切特別視されずまるでそこにいるのが当然のように普段の日常世界が続いていきます。例えて言うなら明らかにおかしいものが画面に映ってるのに、誰も反応しないまま進行が続けられるテレビ番組というような不気味さで、この不気味さこそがこの作品のエッセンスだと思え、徐々にちりばめられるフクノカミに対するヒントなども非常に配置よく紹介されます。

 この作品を友人にも勧めてみたところ、「この作品は本当に凄い!」と今までにないような興奮した返事が返ってきました。ただ友人曰く、「最初の数話だけでは全く分からず、1巻丸ごと通しで読んでみて初めてその魅力に気が付けるような作品だ」そうで、この批評は全く持って私も同感です。チラ見した程度ではいまいちわかりづらいところがありますが、通しで読むことで段々と世界がおかしくなっていく展開が分かってくるだけに、やや敷居が高い作品であるでしょう。

 まどろっこしい語りとなってしまいましたが、余計なことを考えずとりあえず一読されることを強くお勧めできる作品です。私なんか1~3巻を購入するとそのまま三週くらい読み返しましたが、あらゆる意味でこの作品は現在の連載作品の中で別格です。


    

2017年12月1日金曜日

中国の格差の実態~昔と今

 前回記事に引き続きまた中国の格差の話です。

 まず格差と一言で言っても、どの格差を対象にするかで全然話は変わってきます。エリカが例えてあげるなら、ヒルズ族とネットカフェ難民の比較に対し、松戸市民と東大阪市民の比較だとその差の開きには大きな違いがあるでしょう。自分で言っててなんですが、松戸と東大阪の比較って逆にむずそう。
 なので、ちょっと自分の方でも頭の中をまとめたいのもあるだけにいくつかトピックを絞ってこの問題について書いてこうと思います。そこで今回は、多分自分しか書けないであろう中国の格差今昔こと今と昔の格差についてです。

 結論から書くと、自分の想像を超えるレベルで中国はその社会における格差をこの10年で是正したなと思います。私は2005年に留学で初めて中国を訪れましたが、その時の印象を述べるとやや粗野な人間と、人間以下のバーバリアンに分かれているのが中国だと思いました。
 ホワイトカラー的な仕事についている中国人はやや田舎っぽいところが残るものの普通にノートパソコンを使ったり、最新の携帯電話を使いこなすなど文明人らしく振舞っていましたが、そうでない中国人、具体的には出稼ぎできている農民などはそこらじゅうで唾吐いたりたちしょんしたり、すぐ怒鳴ったり平気で赤の他人に寄りかかったりするなどして、元々住んでいる都市住民が彼らを差別するのも無理ないなと思うような人間ばかりでした。

 現在もこういうバーバリアンな中国人がいないわけではないものの、それでも10年前と比べたら本当にレアな存在になり下がりました。また来ている服とかも、路上生活者ですら昔より大分マシになっており、本当に中国は豊かになったなぁと感じさせられます。もちろんこれはあくまで中国の都市の中の風景であって地方行ったらまだまだ話は違うだろうし、奥地の農村に至っては今でも水や電気といった最低限のインフラすらないところも珍しくはないでしょう。それでも、これは別の記事でも書きますが10年前と比べれば農村の生活は大分マシになり、また都市部への移住制限も緩和されたこともあって「どうあがいても這い上がれない」というレベルの格差は確実に減ってきていると断言できます。

 収入に関しても、中国はこの10年間で最低賃金が全国で約4倍くらい上昇しており、この最低賃金引上げは資本家にとってマイナスとなるのに対し底辺労働者は恩恵を蒙る政策なだけに、単純な収入格差はこの事実一つとっても大幅に是正されていると言えるかと思います。一方どっかの国は、GDPが過去最長の成長を見せていると言いながら、最低賃金基準も大卒平均初任給がビタ一文も動いてませんが。

 私個人の印象で述べると、かつての中国は都市に生まれるか、農村に生まれるかでどうしようもないくらいの差が存在しましたが、現在も農村生まれは大きなハンデを抱えるものの、かつてと比べれば脱出の道は数多く作られており、這い上がれないほどの壁の高さではなくなったという気がします。
 一方、高額所得者に関しても、一山当ててあり得ないほど金持ちな資本家は確かに多いものの、かつては成金で鳴らした資本家が事業の傾きによってあっさり破産するといった事例も少なくなく、割と市場の競争原理は働いている気がします。まぁ悪いことしておきながら国の救済受ける企業ももちろんありますが。

 大雑把なレベルで話しているので具体性が欠けますが、私は中国の社会全体で見れば昔よりは今は大分格差が是正されているのではという立場を取ります。かつての格差は人間か、非人間かというレベルでしたが、今の格差は勝者か敗者かというレベルであり、まだ機械というか勝負ができる社会にはなっているのではと思います。
 もっとも内陸の奥地行ったらまた話は違ってくるとは思いますが、少なくとも言えることは、日本以上に中国政府は格差是正について真剣に取り組んでいることは事実です。その差が今後どうなるかが非常に楽しみです。

2017年11月30日木曜日

中国の格差を何故日本人は気にするのか?

 先日コメント欄で中国の格差について質問があったので記事に書こうと思いますが、本題に応える前に私個人の疑問として、どうして日本人は中国の格差をやたら気にするのかということについて思いのままに書かせてもらおうと思います。

 まずこの質問ですが、ぶっちゃけすごくよく聞かれます。初対面の人に自己紹介がてら「中国にいた」というと、「ちなみに、中国の方の格差って……」という具合で高確率で聞かれます。どっちかと言えば「中国の食事ってどうだったんですか?」の方がやや多く、比率的には6:4くらいではあるものの、実質この二つの質問が中国に行ったことのない日本人から聞かれる質問トップ2です。
 中国の食べ物や食事について質問されるのはまだ理解でき、実際私もつい先日に知人には話したラー油事件が起こるなど、食事に関するトラブルは大分減ったものの存在し続け日本人も興味を持つのも自然なことでしょう。しかし格差については正直、一体何故これほど聞かれるのか本気で分からず、2013年に帰国していた折にやたら聞かれ続けてずっと不思議でした。

 前もっていうと、私自身は格差に関心がないわけではなく、むしろこの方面に対しトップクラスに関心が強い人間であると自負しています。エリカが例えてあげると、一般人がトノサマガエルなら、私はウシガエルくらい格差に対して強く関心があり、学生時代からしょっちゅうこの問題追っては仮説を検証し続け、現在もそこそこの知見はあると考えています。あの派遣マージン率調査なぞ最たるもので、断言しますがあの調査は私だからこそできたのであって私以外にはまず誰もできないものだったでしょう。

 そんな私がどうして日本人が中国の格差に関心を持つことに奇異を感じるのかというと、率直に言って自国の格差にはあまり目を向けないでおいてなんで中国の格差が気になるのかというのが分からないからです。恐らく間違いないでしょうが、中国の格差が気になる人は韓国、米国、インド、ネパール、東欧の格差については全く関心はなく、ピンポイントで中国の格差にのみ関心を持っていることでしょう。
 そして日本国内の格差については、多分同様にあまり関心が持たれてないでしょう。自分がやった派遣マージン率の調査でも、やはり反応を見ていると当事者である派遣労働者たちのアクションがあまりなかったし、今となっては派遣格差について議論する人すら消え失せました。

 このような疑問をずっと抱えていたのですが、今回改めてそうして日本人は中国の格差にだけ関心を持つのか考えてみたところ、割とすぐに仮説は浮かんできました。結論をここでいうと、目にする報道や現実にギャップがあって頭の中でいまいち理解できず、実態がどうなのか疑問を覚えているからではないかという気がします。

 この考えのベースとなっているのは、上海を初めて訪れた日本人はほぼ例外なく、「上海がこんなに大都市だとは思わなかった」と述べる感想からです。上海に関する報道は日本でもたくさんあると思うのに、ほぼ一様に上海の街の規模やインフラに嘆息してみせ、一体日本ではどう報じられているのか、恐らく未だに中国はバーバリアンが闊歩する修羅の国のように報じられているんじゃないかと内心で思いました。
 一方、現実では自分も何度も報じている通りにこのところ中国人は日本に大挙してやってきて膨大な買い物をして帰ります。恐らく日本国内にいる人たちからすれば、テレビや新聞では中国は未だ発展途上国で、最低限のインフラにさえ事欠き北京や上海のような大都市ではスラムが大量にできているなどと報じられているのに、日本に来る中国人はこれほどまで馬鹿買いしていくのは何故だろう的になって、中国国内には大量の貧困者がいる中、ごく一部の超裕福な中国人が日本に来ているのではと想像するようになったのかもしれません。またここまで行かずとも、同じ中国の報道でも上海の摩天楼と農村の貧しく差別される人たちが同時に映され、「これは本当に同じ国の話?」という具合で疑問に感じてるのかもしれません。

 まぁ何が原因かとなると、きちんと中国の実態をうまく報じる日系メディアが多くないってことに尽きます。実際ネットの報道見ていても中国に関しては妙なバイアスかかってますし、意図的に格下のように中国を報じてますから、こうなるのも案外不思議でないかもしれません。
 私個人としては先ほどにも書いた通り、所詮は外国の格差であって日本人がどうこう思ったところで何かが変わるわけでもなく、それよりむしろ自国の格差について考えたらどうかと気持ちが強いです。なおこのような価値観から、私は中国の路上生活者にカンパしないようにしています。カンパしたところで根本的解決にはつながらないし、またこれは中国人自身が対処するべき格差だと考えているからです。さすがに、賽銭箱に小銭は入れますが。

2017年11月28日火曜日

幻想に生きる日本人

 先日後輩から、「中国の事情を説明する際、必ず最初に日本を持ち上げること言わないといけないことに気が付きました」と言われました。その際の返答として、「俺の苦労が少しはわかったろう。俺が記事書くときはいっつもそれなんだぞ」と答えました。

 これはどういう意味かというと、全部が全部そうではないものの、既に中国の方が日本を上回っている面が多いということです。大都市部での生活の便利さはもとより、工場生産の技術力、コンプライアンス、麻婆豆腐のうまさなど、数え上げたら割と切りがありません。なおコンプライアンスについて先日、監査法人で働く中国人の知り合いが、

「アメリカの専門家が最近、中国企業より日系企業の方がコンプライアンスが低いと言ってた。その背景というのも、中国企業の場合は国も取引先も企業はコンプライアンスを能動的に守らないと把握して注意しているとともに、法規制も厳しく定められているが、日系企業の場合は国も取引先も企業はきちんと法律守っていると信じ込んで、相互牽制を果たしていないからだ」

 と言っていましたが、これに関しては私も全く同感です。今日も東レの件がばれましたが、日産にしろ神戸製鋼にしろ、真面目にもう中国メーカーを笑う時代ではないでしょう。

 話は最初に戻しますが、こうした日本を既に上回っている中国の面を日本人に紹介する際、それをそのまま言ってしまうとあまり具合がよくありません。率直に言って、そのまま話すと日本人は露骨に不機嫌となり、容易に反発を買うからです。なので後輩は、「日本は長年やってるだけあってこの方面は間違いないけど」などと最初に日本を持ち上げてから、「けど、最近中国も追い上げてきていて」などと、中国を一つ下に落とすような感じで話すようにしているそうです。私もそうです。

 特に私の場合、その後輩から、「花園さん、なんか狙われてるんじゃないですか?」と言われるくらいにJBpressで中国関連記事を書くたびにヤフコメが激しく炎上しますが、仮にありのまま(れりごー)に言いたいことをそのまま書いていたら、今以上に炎上することは間違いないでしょう。上記のように日本人が反発するということを私もわかっているだけに、記事を書く際は露骨に「中国の方が日本より上だ」なんて書くことはせず、所々で日本を持ち上げるような記述を入れてフォローを入れています。
 実際にそれをやった例としては中国のローコストオペレーションを紹介した際の記事で、「品質維持に関しては中国人は苦手で、日本人の方が優れている」と書いた記述です。まぁそれでも反発大きかったけど。

 そもそも一体何故このような反発を日本人はするのか。例えば、この相手が中国人ではなく欧米人だったら反発はまず来ないと思われ、それから察するに犬みたいに中国人を格下だと思い込んでいるからこその反発だと考えられます。何気に、清水潔氏も南京事件の取材で少なからずそのような格下に見る意識が自分にもあったと本の中で書いてあり、相変わらず鋭い人だと感じました。

 以上のような点を踏まえてその夜後輩に、「俺が今JBpressでやっている仕事は、ある意味日本人に現実を教えるような仕事だと考えている。はっきり言って今の日本人は現実を見ず、未だに日本は一等国で中国は格下、中国が日本より優れている点など何一つ存在しないと心の底から信じ切って、幻想の中に生きている」と話しました。これはその場限りのセリフではなく、今現在も揺るがない価値観です。
 その上で、「ある意味、俺は幻想を追わずに現実を見据え、声に出し続けたからこそ日本社会から弾かれたところもあると思う。今の日本では、周りに合わせて幻想を見ないと生きていけないだろう」と述べましたが、いつも細かく突っ込んでくる後輩もこの時は何も言ってきませんでした。

 決して誇張ではなく、今の日本人の大半は幻想の中に生きていると私は思います。そして不都合な真実、中国が日本を多方面で上回ったことやほとんど追いついているという事実には目を背け、欧米に負けることは許されてもアジアの国に負けることは許されないという妙なプライドからどんどんと現実から乖離してきているようにも思います。
 私に言わせれば、負けるのは恥でもなんでもないとは思うものの、少なくとも現実を直視できない人間には未来はないと断言できます。夢を追うのは悪いことではないもの、幻想にすがりつくのは無様以外の何物でもありません。

 何も自分が何もかもをわかっているわけではないし偉そうなことを言える立場でもないことは自覚していますが、そもそもジャーナリストを目指したのも最も真実に近い場所に立っていたいという願望からであっただけに、ただ現実を直視するという点については常に意識していたし、周りよりはずっとそれができていたという風には考えています。そんな私に言わせれば、ここ数年、具体的には東日本大震災以降から日本人はそれ以前にもまして幻想を追い求める傾向が強くなってきている気がします。

 幻想を見ながらそのまま死ぬのも決して悪くはない気がしますが、自分はそれが嫌だったからこうして今中国にいるのでしょう。それでも、やはり現実を見るに越したことはないだろうから、中国事情の紹介記事執筆という仕事を今やっているという自負があります。「不都合な真実」という言葉がある意味ぴったりですが、割と私が好きなジャンルのエログロといい、目をそむけたくなるような対象にこそ真実は宿るというのはあると思います。

2017年11月27日月曜日

日産問題の第三者報告書に対する疑問

<日産>現場を疲弊させた「原価低減推進室」の必達目標(毎日新聞)

 もはや説明するまでもない日産の検査不正について西村あさひ法律事務所が第三者報告書を出していたようですが、率直に言ってもし自分が責任者であればこんな報告書を見た時点で「書き直せ」というか、書いた奴を首にします。というのも、全く問題の核心をついていないどころか体面だけ取り繕った内容に見えるからです。

 具体的にそれはどこかというと上記リンク先記事冒頭に引用されている、検査不正が起こった背景には慢性的な完成検査員不足があると指摘している点です。
 何故ほかのメディアとかもこの点を突かないのか誇張ではなく本気で心配になるほどなのですが、今回の日産の検査不正は20年以上行われ、社内では誰も問題視せずこうしたやり方がもはや当たり前と見ていたことが窺えます。
 毎日のアホは2交代制から3交代制になって生産量が増え、現場が忙しくなり検査員が不足したとも書いていますが、肝心なのはそれ以前からも検査不正が起こっていたということでしょう。また20年間も検査員が不足するほど常に忙しかったのかというとそんなわけないでしょうし、忙しさゆえの不足というのは明らかな見当違いとしか言いようがありません。

 こうした観点から見れば第三者報告書が原因に挙げた検査員不足は私から見て理由になりません。そもそも日産としては検査員が不足しているなんて自覚は一切ないまま、忙しさに関係なく検査不正をやっていたわけです。なのでこの点に注意したところで今後の改善が期待できるわけなく、さすがに完成検査ではすぐには再不正することはないでしょうけど、まだ見つかっていない部分に関しては今後も気にせずやり続けるのではと思えます。

 このように考えると実にこの第三者調査、並びにそれに基づいた日産の改善策が如何に茶番でしかないのがよくわかります。そもそも日系企業並びに日本人は問題発覚時に限らず議論する際に論点の核心については何故かみんなして言及することを避け、表面的な問題とはほとんど関係なくどうでもいい内容、特にすぐに且つわかりやすい対策が打てる箇所を槍玉に挙げ、「この原因に対してこうします」的なクソどうでもいい対策を最後に発表することが多いです。
 一部で情報が錯綜したのか、誤解したのか、意図的に間違えたのかはわかりませんが、今回問題となった完成検査を行う完成検査員資格は国家資格でもなんでもなく、日産の社内資格でありその認定条件は各自動車メーカーによって異なります。日産側はこれまで資格研修中の作業員でも問題がいないと思って作業させていたと言っておりますが、問題がないなら研修のハードルを避け、報道では2ヶ月間の実習研修と筆記テストが必要とのことですが、これを2週間くらいの実習研修に短縮させることが最も効果的且つ実質的な対策じゃないかと思えてなりません。品質維持できるならそれで万事解決なのに。

 なおすでに述べましたが、議論でも日本人は何故か問題の核心を避けるような主張をする傾向があり、議論が進むうちにどんどんと本質とは関係ない議論に発展しがちです。逆を言えば核心に敢えて引っ張るとたじろぐし意見に詰まるので、どうでもいい相手を一蹴する際に私は、「ところで本題は?今自分たちは何について話してるの?」と言って追い込みます。ヒートアップした相手ほど効果的です。

2017年11月26日日曜日

やくざやしき

 とっくに完結した漫画ですが、先月から「そんな未来はウソである」という漫画にはまって何度も読み返しています。作者の桜庭コハル氏については「今日の5の2」、そして連載中の「みなみけ」は読んでいたのですがこの「そんな未来はウソである」については存在すら知らず、改めて読んでみて相変わらずの間の取り方、セリフ回しの妙が光る作者だと感じます。
 なおこの漫画の主人公の一人である佐藤アカネについては尋常でないくらい高い女子力スペックを誇っており、漫画の中とは言えこれだけしっかりした女の子を見るのは久方ぶりでした。

 という具合ではまっているこの漫画ですが、今日たまたま読み返した回が文化祭のシーンで、かわいい絵柄の漫画なだけにかわいい女の子が三角巾被って「うらめしやー」と言うシーンが出てくるのですが、他の登場人物からも「あんまこわくない」と言われてしまいます。これを見て、そもそもお化けの格好してうらめしやーと言っても怖がる人は現代だとそんないないように思え、ならなんだったら怖いのかと考えた際にすぐ閃いたのが「やくざ」でした。

 本気で来場者を怖がらせるなら、というコンセプトでやくざを考えると、やはり名称としては「やくざやしき」が一番適切でしょう。で、中身はどうするのかってなるとまずは入場とともに「殺すぞこらっ!」という罵声を浴びせ、物陰から怖い顔のおっさんが「夜道には気を付けろよ」と言い、後ろからは銃声、前からは小指(らしきもの)がポンポンと飛んできて、たまに後ろからドス持った若いのが追いかけてきたり、突然ライトアップでリンチされた後のおっさんが出てきて、途中のルート選択が蟹漁船かタコ部屋に分かれているようなものを想像しました。なんかそこそこ怖い気がします。

2017年11月24日金曜日

義和団事件における「北京の55日」

北京の55日(Wikipedia)

 「北京の55日」という単語はあるハリウッド映画のタイトルですが、歴史的な名称でいえば「義和団の乱」における北京籠城戦のことを指します。事件としてみるならばこの「北京の55日」という言葉が一番相応しいと思え、敢えて今回この記事の見出しに据えました。

義和団の乱(Wikipedia)

 順を追って説明してくと義和団の乱とは1900年、日清戦争の5年後、日露戦争の4年前に北京周辺で起こった外国人排斥暴動と、それに乗じて宣戦布告によって行った清政府が、日本を含む8ヶ国連合軍との間で戦った紛争を指します。義和団とはこの紛争の原因となった半宗教、半拳法団体のことで、列強各国が中国各地を植民地にして我が物顔に振舞っているのを不満に感じた民衆らが結成した団体で、主にキリスト教徒(中国人信者を含む)に対し殺害を含む排斥を行っていました。

 この義和団は割と自然発生的に生まれた団体、というより実態としてはギャングに近いのですが、この義和団に対して西太后を頂点とする清政府は鎮圧を行うどころか、自分らも列強にいいようにされていた不満もあってか、露骨な支持をしたことで義和団は余計に拡大することとなりました。そして1900年の6月に入ると義和団は首都北京にも入ってきて外国人らの殺害をし始めるようになり、これをみて西太后は突然、列強各国へ「宣戦布告」を行うに至りました。
 もっとも、宣戦布告と言ったって清側もなんにも戦争準備はしてはおらず、また当時の列強に勝つ算段も立てていませんでした。ただでさえ軍事力に差がある相手に宣戦布告、それこそ今の北朝鮮が米国に突然宣戦布告するようなもんで、清政府の宣戦を受けた列強8ヶ国はすぐに連合軍を組んで中国へと進軍し、ほぼ抵抗らしい抵抗にもならず連戦連勝で2ヶ月後の8月には北京をあっさり落とし、中国を敗戦にせしめます。なおこの時に北京の名庭園とされた頤和園が破壊されたそうです。

 大まかな歴史事実だけ見ると明らかに身の程をわきまえず、民衆暴動に乗っかる形で列強と開戦した中国がボコボコにやられて、水ら余計に植民地化を進めてしまった事件なのですが、細かく見ていくとドラマがあり、それが「北京の55日」、つまり開戦直後に北京にいた各外国公使館員らとその家族が開放に至るまでの約2ヶ月間籠城していたという情景が存在したわけです。

 上述の通りに中国は突然、明らかに非合理的な判断から列強に対して宣戦布告を行ったのですが、この突然の行動を受けて一番困ったのは、当時北京にいた外国公使館員らでした。なにせ突然敵軍に囲まれるような状況となったわけで、これを受け各国公使館に駐在していた武官、兵隊らは急ぎ終結し、対応に追われることとなりました。
 協議の結果、各公使館らは北京市内で防御線を作り、救援が来るまで籠城を行うことを決めます。この連合国籠城軍の司令官にはイギリス人武官が選ばれましたが、実質的な実戦総指揮官だったのは日本の駐在武官であった柴五郎でした。

 当時籠城したのは北京市内にいた外国公司関係者約900人と、義和団に追われてきた中国人キリスト教徒約3000人で、戦闘が行える公使館付き護衛兵、義勇兵はわずか約500人だけだったそうです。ただ清の正規軍らも外国公使らを殺害すると後々大問題になると考え包囲こそしたものの積極的には攻撃せず、実際に抗戦し合ったのは主に義和団兵らだけでした。
 柴は英語、中国語、フランス語など語学に長けていたことから各部隊の意思疎通を仲介し、また現地にいた民間人からも協力を得ることで、連合軍らの北京入城によって解放されるまでの約2ヶ月間の包囲戦を見事に守り抜きました。この柴と日本兵の活躍は事件後、各国代表らからも大きな称賛を受け、特にイギリスからはビクトリア女王からも勲章を得たほか、この時知遇を得たイギリス外交官との交流が後の日英同盟の礎になったと評価する声もあります。

 今月の文芸春秋で「義和団事件で連合軍を率いた柴五郎」という記述があるのを見て今回私も初めて彼のことを知りましたが、柴の軍歴以上に義和団事件においてでこんな籠城戦があったのかという事実の方に驚きました。同時に、当時解放することもしなかった清政府はつくづく危機対応の悪い連中だったんだなと思えてなりません。

 この義和団事件後、柴は日露戦争にも従軍し、会津出身者という来歴が祟ったのか一時は閑職に回されたりしたものの、最終的には陸軍大将にまで上り詰めています。ただ個人的に彼が不幸だったと思うのは非常に長生きしてしまい、85歳の折に1945年の終戦を迎えてしまっています。当時とっくに軍を退役していた柴は終戦直後に自殺を図り未遂に終わったものの、結局はその時の傷がもとで同年末に亡くなっています。
 柴は生後すぐに故郷の会津藩が戊辰戦争で敗北したことで、数人の兄を除き両親を含め家族はほぼ全員亡くなるという不幸に遭っています。そうした生い立ち、北京の55日での奮戦、そして退役後の自決を見ていると、人の生き死にの不思議さというか皮肉さについて考えさせられる人物だというのが私の偽らざる感想です。

  おまけ
 映画「北京の55日」では柴の役を伊丹十三が演じていたそうです。