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2018年6月5日火曜日

何故問題が放置されるのか

 このところのスバルやレオパレス、スルガ銀行のニュースなどを見て、何故これら企業の問題が長年にわたり放置されてきたのかという疑問をよく感じます。何も今に始まるわけじゃなく、昔からこのような企業不正は後を絶えないと言うこともできるのですが、スバルを除けば隠れてやっていたわけじゃなく割とオープンに不正をやらかしており、尚且つ不正の期間も長いのが個人的に気になります。特にレオパレスなどはその壁の薄さはもはや一般常識と言っていいほどで、今回の問題も施工会社が全国各地に散らばっていることを考えていると関与者も多く、よく今まで明るみに出なかったものだと逆に凄いと感じます。

 これら企業不正に限らず年金問題やマイナンバー関連など、日本では往々にして問題が先送り、放置されやすい傾向が強いです。一方ですぐ対策取れるような些末な小事ほど、国も企業もやたらやる気を出して全力で取り組もうとするように見えるのですが、結論から言えば力の入れ方が明らかに間違っています。
 こうした、厄介な問題を先送りにすることは恐らく日本に限るわけではないとは思うものの、先送りにしたところで何か解決するわけでもなく、その負担はむしろ利息付きで後の世代に引き渡されるも同然です。果たしてこんな状況でいいのかと言っても、「でも誰も解決できないんだから仕方ないじゃん」って返事がきちゃいそうです。

 何故こうした当たり前のことを今回書くのかというと、中国の政策を見ているとちゃんと問題に向き合って解決しようと取り組む姿勢が見えるからです。最初は2~3年くらい懲役のつもりで中国に行こうとしたらもはやそこそこ長く住むことになった私だから言えると思いますが、この10年で中国の環境は劇的に改善しつつあります。上海市内でも青空をみえる日は年々増えており、また自動車の排ガスも以前は鼻を突くにおいが目立ったものの最近は軍や警察の車両を除くとそういうのはあまりしなくなりました。
 もっとも地方いったらまだまだ環境汚染が続いているとは思いますが、国の政策をみればやはりまだ中国はこうした問題に取り組もうとしていることが分かります。例えば環境規制の違反に対する処罰は現在間違いなく世界屈指の厳格な内容となっており、申告や対策が1日遅れるごとに罰金額が毎日一定額追加されていくという恐ろしい内容になっています。実際、こうした規制が功を奏して末端の中小企業などでもしぶしぶ対策を取るようになってきているそうです。

 また財政問題に関しても、中国の場合は中央国家財政は黒字というか歳入が年々増えている状況で今も昔も日本と違ってほぼ全く問題ありませんが、地方に関しては実態に即したデータを出さない等、見えないところで地方債務を増やしているなどと言われリスクがあります。
 この点に関しても最近の政策を見ていると、地方自治体の財務申告方式や調査方法などを細かく指示するなどして、見えないものを見ようとする意気込みが感じられます。一方の日本は、ただでさえ財政は大赤字だというのに低所得者の学費を免除するとか言い出すなど、不正なプロセスで獣医学部を追加した大学を取り潰すなどすることで持ち金を用意してから言えと言いたくなるような政策案が今日も飛び出してきました。

 何もこうした政治上の問題に限らないですが、私はよく「もっと現実を直視しろ」と周りに行っています。個人の人生でもそうですが、遠すぎる未来を心配したり、よかった頃の過去に浸っていても現状は何も改善しないし動きません。それであればもっと現状を見て、今何を優先して取り組むべきなのか、今のうちにやっておくべきことは何なのかを考えてそれをすぐ実行することの方がずっと建設的です。

 つい先月にも日本で知人に、「日本の大学生に今何に関心があると聞いたら、大抵は就職と年金と答える。就職はまだしも、年金なんて40年以上先の未来について心配したところで何もプラスはないし、今この瞬間が見えていない証左でもある」と言ってきましたが、過去も未来も気にしたところでほぼ何もメリットは存在しません。数年先の未来ならまだしも、今この瞬間の現実を何よりも重視する人間こそが一番強いのだと私は考えています。

 こんなこと言ってるからかもしれませんが、「花園さんは将来年金とかどうすんですか?」と、私自身は気にしてないのに周囲からやたら私の将来について心配が寄せられています。 「いざとなれば生活保護あるでしょ?」と言ったら、「日本に税金も払ってないくせに」と言い返されたこともありますが、ここまで極端じゃなくとももっと将来を気にせず、今この現在を大事にする姿勢は日本人に求められていると思います。
 せめて問題の解決に直接取り組まなくとも、今の日本にどういう問題があって何が最も優先されるべきなのか、そういうのをもっと考えてもらいたいなとこのところ日々思います。

ドラクエが支持される理由

 先月日本に帰った際にクソゲーだと名高い「フリーダムウォーズ」というゲームを500円で買ってきましたが、ゲーム本編をクリアしてみた感じだと、「クリアするまで遊んだのだから500円くれ( ゚д゚)クレ」と言いたくなるようなクソっぷりでした。真面目にこのゲームの骨格作った人はもうゲーム開発に関わらない方がいいんじゃないかと思うくらい、いい要素を悉く潰してしまう無駄に面倒くさい要素がガンガン入れられています。っていうか終盤、1~2発殴られたら即知って何なのよ?

 もっともこのゲームはクソだとわかっていながらどれだけクソなのかをリアル体感するために買ったようなゲームなのでそのことはもういいのですが、最近比較的発売年が新しいゲームをプレイしていて、日本のゲーム開発能力がこのところ落ちているのではと思うことが増えています。具体的にいうと、ゲームを開始する前にアップデートパッチをつけないとバグが多すぎてまともにプレイできなかったり、プレイできるとしても難易度調整がおかしくてまともに遊べない等、一体開発者らは何考えてこんな状態で市場にリリースしたのかと理解できないゲームが明らかに増えています。
 こうなった背景ははっきりしていて、昔と比べてリリースしたらどうあがいても修正対応できなかったのに対して、現在は基本どのゲームもオンラインアップデートでパッチを出すことが出来るようになり、恐らく開発者らもバグ対策などに問題があるとわかっていながら納期優先でリリースしてしまうようになっているのだと思います。ただプレイヤー側、特に発売日にすぐ買ってプレイしてくれるような人からすれば未完成品をテストさせられているようなもので、顧客意識的にこうした姿勢はどうかと思わざるを得ません。

 またパッチ修正対応でも、中には修正前よりひどい不具合を引き起こすという例も散見されます。最近だと私はプレイしたわけではありませんが「アジト×タツノコレジェンズ」というゲームで、エレベーターに戦闘員を乗せたら遥か彼方の空まで上昇してそのまま帰ってこなくなるという面白いバグが最初発見された後に出されたパッチを適用したら、ゲームクリアに必須ともいえる途中経過データが100%セーブできなくなるという、何を考えてこんなパッチ出したのかという恐ろしい所業をやってのけました。なおその後、メーカーはこのゲームに一切対応しなくなったとのことで、事実上クリアがほぼ不可能な未完成品と相成ったとのことです。

 そこまでひどいバグじゃなくても難易度調整がひどくてまともに遊べないゲームもこのところ、明らかに目につきます。今回遊んだ「フリーダムウォーズ」もまさにこの例に入り、ただただストレスのかかる理不尽な難易度での戦闘が強要されてばかりで、しかもこのゲーム、狩りゲーなのに武器の強化がランダム要素が強い上にあんま強くならず、防具に至ってはそもそも存在しないので基本殴られたらそこですぐおしまいとなるため、体力ゲージの存在意義がわかりません。
 ただ難易度が高いというのであれば私はかつて「ニンジャガイデン」という、クソ難しくて誰かが開発者に文句言ったら「練習してください」とだけ返答されたという曰くつきのゲームがありましたが、このゲームは確かに難しくて何度もマリオみたく屍を重ねたものの、プレイするたびに自分が上手になるのを実感できて、クリアする頃には縦横無尽に敵を切り刻めるようになるなど、満足感が高いゲームでした。しかし先ほどの「フリーダムウォーズ」のように、プレイの熟達云々以前のゲームシステムの問題で無駄に難易度が高いゲームはストレスが溜まるだけで、なぜこんな設計にしたのか真面目に関係開発者は早く業界を去ってほしいです。

 以上は主にゲームの管理面の問題ですが今回もう一つ主張したい点として、ドラクエが何故長年支持されるのかを考えた際、それはホイミをかけたら回復するという具合で、基本的なシステムが頑なに守られ続けているという安心感があるからではと思えてきました。何故このように思うのかというと、最近のゲームは無意味に複雑なシステムが多く、最初に手に取るまでのハードルが高くなるとともに、複雑すぎるシステムがゲームの面白さを削いでいると感じる節すらあるからです。

 また引っ張り出すと先ほどの「フリーダムウォーズ」なんかこの典型で、無駄にシステム複雑でやれることは確かに多いんだけど、大抵どれも使わなくてもいいようなシステムばかりで、真面目に関係開発者は頭おかしいと思います。

 真面目に話をすると、やはり最近の新しいゲームをやろうとする際にはいくつか抵抗感を覚えます。というのもどれもシステムが複雑で、プレイする前にゲームのシステムを理解しながら進めないといけないからです。親切なゲームはそうしたシステムや有効なプレイ方法をチュートリアルで指示してくれたり、最初は一部システムを封印させておいてゲームに慣れてきたところで段々と解除すると言ったことをしてくれますが、先ほどの「フリーダムウォーズ」はいきなりほぼ全部解禁で意味わかんなかったです。

 そうしたシステムが複雑なゲームに対して、やはり続編物だと最初にプレイするまでの抵抗感がぐっと下がります。言うまでもなく続編物であれば前作をやっていれば基本システムは既に理解しており、追加された部分だけチェックすればいいからです。そういう意味でドラクエなんかは、基本的な戦闘システムや会話システムなどその骨格は3の頃に固まってから現在に至るまで大きく変更されることなく維持されており、そうした姿勢がプレイヤーに安心感を持たせているのでこれほど長く支持されているのではないかと思えてきたわけです。

 なお以前にゲーム業界関係者が、「ゲームの開発者たちはシステムをわざと複雑に作りたがる」ということを言っていたのを耳にしました。なんとなくですが、「すべてのジャンルはマニアが潰す」に通じるような気がして、実際そうなんだろうなと思えてなりません。

 私個人の考えでは、ゲームのシステムや単純化できるところはやはりどんどんと単純化させシンプルにした方がかえって楽しめると思います。現在いろんな版権とコラボしているコーエーの「無双シリーズ」なんかこの典型で、「動くものはみんな敵」というくらいびっくりするほどそのまんまなシステムをしていることからこそコラボもできるし長く売れているのだと思います。

  おまけ
 なんかの記事で「癒し系マッチョ」という単語を見て、ハッスルダンスをするドラクエ6のハッサンを連想しました。ドラクエは「ハッスルダンス」や「はがねのつるぎ」、「ぱふぱふ」等の単語をきちんと維持する辺りはやはりよくできている気がします。

2018年6月2日土曜日

中国人のよくわからない味覚

 今日のお昼は先日偶然見つけたインドカレー屋でカレー喰っていました。わざわざJBpressのプロフィールにも書くくらいカレーは好きで、記者時代はお昼はカレーかサンドイッチの二択で、カレーなら週三日でも耐えられる自信があります。
 それで今日食べてきたカレー屋ですが、インド人(もしかしたらパキスタン人かもしれませんが)がやっているだけあってしっかりしたカレーで個人的には大満足でした。っていうかお店のインド人らしき人がめっちゃ日本語流暢だったので最初面食らいましたが。

 店内には私のほかには日本人親子と、あとから中国人の親子も入ってきましたが、「辛さとか調整してくれるけど、中国人に個々のカレーは大丈夫かな?」と実は少し心配していました。というのも中国では、日本の一般的な水準と比べて甘口のカレーが非常に好まれ、辛口のカレーともなるとほとんど食べられていないという現状があるからです。
 ココイチなんかだとクローンかと思うくらい日本とそのまんまの味を中国でも出してくるので3辛でも結構辛いテイストですが、すき家なんかだと中国では甘口のカレーしか出さず、食べに行くと私からすれば辛さの面でやや不満を感じる味となっています。なお日本にいた頃の私の味覚は自宅でカレーを作る際は辛口、外食で食べる際は中辛を選んでいました。激辛だとNGですが割と辛めの味を好みます。

 すき家に限らず中国でカレーを提供するお店は基本、甘口がベースです。またスーパーなどではレトルトカレーも売っていますが置いてある味付けは甘口ばかりで、中辛すらここ最近だと目にしなくなってきました。こうした状況と根拠から、ことカレーに関しては中国人は辛さが苦手だと言ってほぼ間違いありません。
 ただこれの何が不思議かって、中国人は中華料理だと激辛の料理を非常に好む点です。なんで自分とこの普段の料理で散々激辛料理を食べてるくせして、カレーの辛さが苦手なのかが非常に不思議だったりします。

 ちょっとメタな話をすると、そもそも人間の味覚に「辛い」という感覚はないそうで、辛いと感じるのは舌からしたら「痛い」という痛覚を発しているとのことで、全身で例えるなら鞭を打たれながら「気持ちいい」というような具合で辛いという感覚を脳は堪能しているとのことです。
 基本、味覚というのは年齢を経るにつれてどんどん鈍感になっていく感覚で、子供が辛い味を敬遠するのは感覚が鋭敏なだけに痛みの刺激に耐えられないからです。逆に味覚が鈍感になった大人からすれば普段の料理では刺激が物足りず、激しい刺激を求めて辛い味を求めてくるようになるわけで、子供の頃は食べられなかった辛い食べ物を大人になってから食べるというメカニズムが生まれることとなるわけです。

 こうした過程を踏まえると、ますますもって中国人が辛いカレーに耐えられないというのがよくわかんないです。四川料理とかでめちゃくちゃ辛い物を食べてるくせになんでカレーは甘口なんだよ、何がどう違うんだよと今すっごい気になっています。ただ単にカレーにまだ食べ慣れていないだけなのかもしれませんが、今度この方面でもインタビューして別に記事書こうかな。

2018年5月31日木曜日

日本の四番と涙のサヨナラ男





 今日はブログ書く気なかったけど、ニュース見て一気にやる気出ました。

DeNA・山下 劇打に涙「去年、すごくつらかったので…」

 今日横浜×楽天戦を見に行っていた人は正直うらやましいです。息詰まる投手戦の終盤、1点差でリードした楽天の岸投手が9回2アウトまできて完封まであと一人のところ、「日本の四番」こと筒香選手が値千金の同点ホームランを放ち試合を振り出しに戻すと、延長十回で途中出場の横浜の山下選手がサヨナラヒットで劇的な勝利をものにしました。
 動画を見てもらえば早いですが、今日1軍に上がってきたばかりだったとのことで積もるものもあったのかサヨナラを決めた山下選手は大泣きで、ネットのコメント見てると「こっちも泣けてくるわ( ;∀;)」という声が多く挙げられています。

 采配をズバリ的中させたラミレス監督もさることながら、本当に欲しいところでホームランを出す筒香選手には舌を巻くばかりです。実際、上の動画ですら、結果が分かっているからかもしれませんが打席に立つ筒香選手が恐ろしいことといったらなく、この土壇場だからこそ打ってしまいそうな迫力はまさに日本の四番に相応しいです。
 そしてその次の山下選手に関しても、あまり経歴は知らないのですがこの涙だけでどれだけ苦しい思いをしてきたのか人目でわかります。しょっちゅう泣いてばかりでもはや「泣き芸」の域に達している織田信成氏の涙には「また泣きやがって( ・´ー・`)」って感じで受け取ってしまいますが、この山下選手の涙にはやはり胸に来るものがあります。

 にしても去年といい、横浜はいい試合を作るなとつくづく思います。負けた楽天の側を慮ると申し訳ないですが、こういう試合を見せられると応援したくなるのが性というものです。

2018年5月30日水曜日

土地放棄に関する私見

 先日、実に3年ぶりに健康診断行ったら血糖値と悪玉コレステロールの値が基準値オーバーで注意されました。原因ははっきりわかっててコーラの飲み過ぎで、普通に2リットルペットボトルを二日に一本のペースで飲み続けていたせいな気がするのでこのところコーラ断ちしているのですが禁断症状やばいです(/・ω・)/
 なお今日、「たまにはいっか(´・ω・`)」と思ってまた砂糖たっぷりの清涼飲料水を飲んだ直後から頭痛起こして、やっぱやめないとと自覚しなおしました。ちなみにほかの値だと内臓年齢は18歳、体脂肪率は11.7%とか叩き出し、「マラソンでもやってるのですか?」と管理栄養士の人に言われました。でもって「たまに自転車で100キロ走る」と言ったら引かれました。

土地を放棄できる制度、政府が検討 要件・引受先議論へ(朝日新聞)

 個人的にこのところ一番目を引いたニュースというのが上の記事です。内容を簡単に書くと、すでに半分放棄しているような土地について地権者が望むのならばペナルティなしで放棄を認めっ区有地として収用することを検討しているそうです。現状の民法上でも「所有者のいない土地は国有地として収用できる」とは書いているものの、手続きなどについては一切全く整えられていないため今後法整備を行う必要があるとのことです。

 この方針については私も大賛成なのですが、恐らく実施するとなると必ず躓くことになると予想します。というのも地権者が放棄したくなる土地というのは往々にして、アパートなどと一建物こと上物があるからです。この上物処理についても同時に定めない限り、放棄要件が定まったとしても使われずに終わるでしょう。

 一部で既に報じられていますが、例えば都会に住んでいるのに父母が死んだあとの相続に困る田舎の実家と土地とか、親戚(相続者)は既に誰もおらず、本人も病院に移っているのに残っている家、あと建てたはいいけど誰も入居しなくなったアパートなどはどれも、不動産税だけが毎年かかりながら一切のキャッシュインフローを生まない負動産です。しかもこれらの負動産は売却しようにも買手が現れないことから売却もできないという、ドラクエ的に言えば「ふこうのかぶと」のような外すことすらできない呪いの武具みたいなもんです。

 こうした土地や建物は放棄年数が長ければ長いほどどんどん価値を落とし、事によっては火災や崩落すら起こして周辺建物にも損害を与える可能性すらあります。また犯罪の温床というか勝手に入り込む輩も現れることもあるだけに、所有者に放棄の意思があるならどんどん国や地方が収用して再活用するなりした方が絶対的にベターです。
 どうでもいいですが「ストップひばりくん」という漫画で「モアベター」というセリフを見てからこの「ベター」という表現を多用するようになりました。現代日本でこれほど使っているのは私くらいなものでしょう。

 話は戻りますがそういう意味で今回の政府の動きは歓迎したいところですが、内容をさっと見る限りだと収用するのは土地に限られているのではと読み取れます。つまり上物がある場合、上物を処分としなければ放棄要件を満たさない可能性があり、もしそのような要件としたら必ず失敗すると予言します。
 先にも書いた通りに負動産というのは基本、上物がある物件です。しかも所有者は放棄しようにも上物の処分費用すら払えない状態というのも少なくなく、この点を解決しない限りは土地だけ収用なんておいしい話が成立するわけありません。

 ではどうするべきか。私個人の意見で言えばどんだけ金かかってもいいからこの際、上物の処分費用を国が負担してでも土地収用を進めるべきでしょう。放棄者は処分費用の問題が解決されれば安心して負動産から解放されることになり、また収容した土地も、今後金になるかは別として二次災害などは確実に防げます。
 ただこの上でさらに提案をすると、上記のような上物処分費用の国負担は時限立法とするべきだと考えます。具体的には政策公布から2年程度を申請受付期間とし、この間に放棄申請した土地建物に限り処分費用を国負担とするというやり方です。

 何故こうするのかというと、人間の欲望かららすると、最初こそ放棄しようとは考えるものの「この土地は今は価値ないけど将来もしかしたら価値が上がるかもしれない」等と考えて実際申請するまでには躊躇し、下手すりゃ死ぬまで放棄しない可能性も否めません。こうした決断しきれない所有者たちのケツを叩くためにも、二年間だけ無料で建物を処分する申請を受け付け、それ以降は土地はともかく建物に関しては所有者負担で処分することを放棄の要件とすれば、応募する人も出てくると思います。
 場合によっては悪徳業者みたいですが受付開始から二年後に、「ご好評につきもう一年延長!」というのもアリです。要は収用できればそれでいいのだし、第一金払うのは国の側なんだからこれくらいはありでしょう。

 最後ちょっと気が早いですが、収容した土地はどこが持つのかについてですが、これはこの際地方に持たせた方がいいと考えています。費用は国持ちなのでやや不公平に感じるところもありますが、そもそも大半の税金を国が持ってくのだし、あと収容した土地の再活用も全部国が決めるというのも、恐らく収容する土地の規模はどれも広くなく点在していることを考えたら非現実的です。
 はっきり言って日本の地方自治体がこうしたチャンスをうまく活用できる能力があるとは思っていませんが、それでも一回くらいはボール投げてみて、やれるかどうか任せてみた方がいい気がします。ある意味それで地方を試せるところもありますし。

2018年5月29日火曜日

日大アメフト部の声明文について

 人知れず「五等分の花嫁」という現代のおそ松くんみたいなラブコメ漫画にはまっています。まぁおそ松くんというよりかは「七人のナナ」のが近いかもしれませんが、ダブルヒロイン作品は数あれどファイブヒロイン作品というのはまた凄いものを作者は作ってきたと思います。ちなみに自分は四葉推しです。

日大アメフト部が声明文 仲間救えず「私たちの責任はとても重い」「指示に盲目的に従って…」(スポニチ)

 話は本題に入りますが、一連の日大アメフト部の問題についてこれまでこのブログでは一切言及してきませんでした。理由は何故かというと世間の注目も高く議論される内容はほぼどこかしらで既に議論されており、自分にしか書けないと思うような内容もなければそういった必要性も感じず、ホットな話題だからと言って無理して追従する必要はないなと判断したためでした。
 なのに何故ここで取り上げようとしたのかというと、今日出た日大アメフト部員らによる本事件に対する声明文に強い違和感を覚えたとともに、元ブンヤ、と言っても今は自分の本業が分からない立場なのですが、報道関係者としての観点から見て多分自分にしか書けない内容がここにはあると感じたからです。結論から書く……と、ここで何故か例の「失敗した失敗した……」を急に思い出す自分の発想力にワオって感じします。

 仕切り直して結論から書くと、今回の声明文の致命的な部分は「今後どうするか」が何も書かれていない点です。「宮川君を守れなかった」と言っておきながら守るために今後どうするか何も書かれておらず、このまま放置するとしか読み取れないこんな声明文をよくも出せたものだと呆れるとともに、むしろこんな内容ならいっそ出さなかった方がよかったとすら思います。

 詳しく書いていくと、全体としてまず例の殺人タックルについて反省し、原因の一端が部員全体で監督やコーチを盲信し過ぎたと書いて社会に詫びています。その上で、

「今回の件が起こってから、私たちは、どうしてこのようなことになってしまったのか皆で悩みながら何度も話し合ってきましたが、まだ明確な答えが見つけられたわけではなく、これからも話し合いは続けていきたいと思います。」
「今後、具体的に何をしていかなければならないかについては、これから選手一同とことん話し合って決めていきたいと思います。」

 と書いてありますが、一言で言えば「馬鹿じゃねぇのかお前ら」と言いたくなるような言い方です。仮にこの声明文が殺人タックル事件が起きて数日以内に出されたというのであれば初期対応としての謝罪文ということで何も問題ないと思いますが、実際には現時点で既に何週間も経過しています。そもそもこういった事後対策なんてメーカーの生産ラインの不良対策じゃないんだし時間かけたからって内容がよくなるものでもなく、長く見積もっても一週間くらいかければ方向性を出す上では十分でしょう。本音では二、三日で十分だと考えますが。
 然るにこの声明文では、事件発生から何週間も経過しているにもかかわらず今後の具体的な対策や行動は何も書かれていません。二、三日もあれば今後の対策を作るなんて十分だというのに、これほど時間が経過しながら方向性すら出せないというのは、はっきり言えば対策や対応を考えて作ることが出来ない人間たちなんだなと私は判断します。言い返せは、自浄能力はないと言っているようにしか見えず、もはや自浄を期待することもできないでしょう。最初声明文を出すと聞いてまだ学生はまだまともなのかと当初思いましたが、こんなくだらない内容を平気で発表してのける辺り、早く廃部にしてしまった方が後々のためにもいいだろうとすら思います。

 また前述の通り、「宮川君を守れなかった」と言っておきながら今後彼を守るためにどうするかについても一切触れられておらず、事実上、「このまま彼を放置します」と言っているとしか受け取れない内容です。むしろ今回の事件の被害者である関学側の方が、加害選手に対する温情嘆願書を会見で呼び掛けたり、被害選手自身が「またアメフトをやろう」と伝えたりするなど、彼を守ろうとする姿勢も行動もしっかり備わっています。日大アメフト部も、「彼の嘆願書署名にご協力を」などといった一言でもこの声明文に入れればいいというのに、それすら入れないとは正直神経を疑います。

 このほか、以下の文章も目につきました。

「ただし、絶対に必要だと今思っていることは、対戦相手やアメリカンフットボールに関わる全ての人々に対する尊敬の念を忘れないこと、真の意味でのスポーツマンシップを理解して実践すること、グラウンドではもちろんのこと、日常生活の中でも恥ずかしくない責任ある行動を心がけるなど常にフェアプレイ精神を持ち続けることを全員が徹底することです。そのために何をしていく必要があるのか、皆様にご指導頂きながら、選手一人ひとりが自分自身に向き合って考え抜くとともに、チーム全体でよく話し合っていきたいと思います。」

 具体的には下線部のところですが、フェアプレイ精神なんて初めから持ってて当たり前で、改めて徹底するようなものではないと私には思います。というよりも現時点でも持ってないのであれば危ないからこういうスポーツをやるべきではないでしょう。
 百歩譲って今回の反則行為をやらかすなどこうしたフェアプレイ精神が乏しいと自覚したというのであれば、それを高めるために何をするかくらい書くべきです。手段なんていくらでもあるし、「話し合って」決めるようなレベルじゃありません。

 それこそ具体的に言えば、数ヶ月間奉仕活動に従事するとか、外部の倫理講習を受けるとか、過去に監督の指示のままに反則行為を行っていた選手には自主的に引退してもらうとか、今後どういう処分が科されるにしても最低一年間は絶対に対外試合を行わないとか、パワハラ相談窓口を設ける(あっても多分機能しないだろうが)とか、意識改革のため外部有識者を招くとか、話し合って決める時間はこれまでに十分あったはずでしょうに。
 中学生や高校生くらいならこう言った声明文でもまぁ仕方ないと私も思いますが、大学生がこんな低レベルな内容をオープンに出してしまうあたり、日大アメフト部の次元の低さを改めて見せられている気すらします。加害生徒を慮るなど関学側の対応は非常にしっかりしているだけに、好対照ぶりがはっきり見えるだけになおさらです。

 そもそも反省というのは言葉ではなく行動です。口先だけの反省には何も意味はないものの、日本は伝統的にその口先だけの反省で加害側も被害側も形式的に済ませようとしてしまう文化が根強いですが、行動が伴っていない反省など無に等しいです。
 今回の日大アメフト部のこの声明文では、実際に監督やコーチから反則の指示があったのかについて注目が集まっていましたが、私はそれ以上にこの期に及んで口先だけで反省を口にするこの態度に呆れました。これならもっと時間をかけてでもやること決めてからきちんと声明を出せばいいというのに、「とりあえず反省したと言っておこう。宮川君については同情するが放置だ」とわざわざ発表するなんて……この際自分の言葉で言えばこいつらに自我があるとは思えないし、だから反則指示だって何も考えずに実行するし、今後も何も考えず周りに言われるまま適当な対策やったふりして何も変わらないだろうという結末すら覚えます。

 日大アメフト部員についてはこれまでやや同情的にも見ていましたが、この声明文で一気に見る目が変わりました。もう絶対こういう危険なスポーツはやるべきではないだろうし、彼らの意向に関わらず何が何でも早く廃部させるべきでしょう。

2018年5月27日日曜日

でかすぎ(´・ω・`)

左から「J-20」、「J-31」、「タイフーン」、「MiG-29」、「F-16」 
(全長:20.3m、16.8m、15.9m、17.3m、15.0m)

 前に書いた「でかっ」って記事で、中国の自称ステルス戦闘機J-20がやたらでかいということを、他の機種のプラモと比較して紹介しました。上の写真は今月、新たに我が家で生産した「J-31」をさらに加えた物です。
 それにしても改めて見るとタイフーンのがMiG-29より短いんだね。前のJBpressの記事に「ミグみたいなちっさい飛行機をJ-20との大きさ比較に使うのは不適当だ」とか抜かす奴いたけど、タイフーンより長いし、あと世界のベストセラー機はさらにちっさいF-16であることを考慮すると、決して不適当とは思わないというか、基準のはっきりしない批判だなと思います。

 J-20については上の写真からも見てわかる通りに、世界の主要機種と比べてもその大きさはやはり群を抜いています。ただ、ベースというかコピー元のF-22の全長も19.6mと大きく、J-20がでかいというよりかはF-22がでかかったせいと考えるべきです。

J-20とJ-31の比較 

改めてJ-31 

 言っては何ですが作っててJ-31は割かし楽しかったです。如何にもというべきオーソドックスな形していて、バランスの良さを感じます。ちなみにウエポンラックは機体本体の腹の中に収納されており、このトランペッターのキットでは収納部も再現されてて、開いた状態にすることも可能です(J-20も同じ構造だが再現はされてない)。まぁ開いたまんまだと内臓飛び出ているような感じするので、私は接着剤で固めて閉じちゃいましたが。
 なおキットの良さで言えばJ-20に軍配を挙げます。作っている最中はその構造に終始驚かされましたが、出来上がってみると初めから真っ黒ボディで見栄えが良く、また尻尾の先のエンジンノズル用に銀色したデカール(シール)が付けられてて、これだけでも見栄えがかなり変わります。

 と、期待の新星J-31についてつらつら語ってきましたが、今日の主役はこいつじゃありません。


 上の写真は2週間前に作ったSu-34ことフルバックです。名称こそ違えど、ロシアが誇るSu-27ことフランカーの姉妹機の一つで、細部に違いこそあれど基本設計や大きさは同じで、シートが複座になってるところが異なっていますが、普通にこっちもフランカーと呼んでも差し支えないと思います。
 このフランカーについても以前、同時期に開発されたMiG-29とのあまりの待遇の差、具体的にはMiG-29がフランカーに比べダメな子扱いされた経緯を書いた上でこいつのことをでかいのに機敏に飛ぶことから「動けるジャイアン」と書き、ミグをいじめる悪者のように紹介しました。

 しかしあの記事書いた後、その最大の特徴ともいえるコックピット周辺の盛り上がったくびれなどが段々格好良く思えてき、なんかミグに浮気している気もしましたが結局こっちも買って作ってみました。結論から言うと、買ってよかったです。いろいろ気づけたし……。


 改めて、最初の比較写真にフランカーを追加したのがこちらの画像です。見て分かる通り、でかいでかい言ってきたJ-20よりもさらに二周りくらい行くでかさです。スペック表によるとこのSu-34の全長は23.4mで、大本のSu-27は21.9mなのでベースからはややでかくなったという計算になりますが、これは後部のスラスターの間にある謎の尻尾こと後方レーダーが延長したためで、機体本体自体はさほど変わってないと考えられます。
 なおコックピット周辺のくびれともども、この長く伸びた尻尾もフランカーシリーズの代表的特徴です。艦載機のSu-33ことシーフランカーは搭載スペースのためか、ハムスターみたくちっちゃくなってますが。

 MiG-29、Su-34、J-20の比較

手前が MiG-29、奥がSu-34 (なんか遠近おかしい)

上の構図を正面から撮ったもの 

 写真を見ればわかる通り、フランカーはめちゃくちゃでかいです。機体全体はもとよりノーズ、翼、武装のどれもが他の戦闘機を凌駕しており、でかすぎるせいかカメラのフレームにうまく収まらず、写真撮るのに結構苦労しました。

手前がF-16、奥がSu-34(これも遠近おかしい)

 仮に自分がF-16とかミグに乗ってフランカーと空で遭遇した場合、まず相手に強い恐怖を感じ、逃げ出したくなると思います。そう思うくらい機体のサイズでフランカーは他を大きく突き放しており、それでいて機動性に関してはミグ以上、っていうか現時点でも世界トップというくらい機敏に飛び回れると言われ、反則としか思えない機体です。

 先ほどにも挙げたコックピット周辺のくびれについてよくネット上でフランカーは「エロい」と表現されており、なんとなく言いたいこともわかるし自分もそれにつられてプラモ組んでみたところがあります。しかし写真で見るのと実際作るのでは違うというかやっとわかったというか、そのあまりのでかさから作る前に持っていたワクワク感というかカッコよさを追い求める心は組み上がった後には一気に吹っ飛び、「なんなのこのでかさ……(;´Д`)」という、恐怖心のような距離感を覚えました。
 敢えて女性に例えるとしたら、MiG-29は「如何にも普通っぽくありながらきちんと自立した個性もあるかわいらしい女の子」だと感じるのに対しフランカーの方は、「美人でグラマーなんだけど体のあちこちでかすぎて逆に引いてしまう金髪の欧米人」のようなイメージを持ちます。

 一応言っておくと、現代戦闘機のサイズとしてはやはりタイフーンとかMiG-29くらいのサイズが一番多く、これらを中型機として取り扱うのが適切だと私は考えます。その点からすればJ-20はやはり大きなサイズの機体だと言えますが、フランカーシリーズに関してはどれももはや規格外と言いたくなるサイズで、大型機に含むかどうかじゃなく別枠としてみるべきというか次元の違う存在のようにすら感じます。っていうかでかすぎてプラモの置き場所にも困るくらいだし。冷蔵庫の上ももう満杯だよ( ゚Д゚)

 作る前まではそのフォルムの美しさから浮気しかけましたが、やっぱり自分にとってのベスト戦闘機はMiG-29であることが再確認出来ました。やはり写真とかスペック表だけだと全然イメージできませんが、プラモで作ってみるとこの辺の大きさの感覚は非常につかみやすく、いろいろ作ってみてよかったと思います。

 前に書いたJBpressの記事にも今日写真に出したプラモとか出していますが、内心この記事は軍事評論記事において結構革命的だったんじゃないかと後から思えてきました。模型とはいえ、異なる戦闘機の機種を同じフレームに並べで表示(現実にはまず不可能)することでその違いを比較しやすく、また構図も自由に選べるだけに、実機の画像ではできない解説や紹介もできるようになると思えます。CGとかでもできなくはないですが、それよりもやはり模型の方がメリットが多いでしょう。
 なるべくミリタリーに興味を持っていない層向けとしてこうした試みというか暴挙をやらかしましたが、ライト層への解説という意味では模型の使用は悪くない手段だと思います。おかげというかアクセスは割と好調なようで、個人的にも自信を取り戻すいいきっかけになりました。

 ある程度現代で主要な機種は今回のSu-34の生産でカバーできたため、プラモづくりは新たな連休が来るまでは一旦ストップする予定です。まだ情熱が残っていたら、今度作るとしたら単発クローズデルタという割と変わった造形しているJ-10辺りを考えてますが。