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2020年11月28日土曜日

中学受験する子供に言ってはならないこと

 上海は昨日まで長雨でしたが今日は久々に雨がやみ、曇りとはいえまだ気分的にマシでした。もっとも天気以上に空気が入れ替わって湿気がなくなったことの方が個人的にうれしいです。
 ちなみに急激に気温が下がったこともあって街中や商店の人影はいつもより少なく、その分自転車で走りやすくてこれまた都合がよかったです。今日は買う気なかったのに、またプラモを衝動買いしてしまったけど。

 話は本題ですが、Yahooニュースとか見ていると最近子供の不登校や教育に関する記事もいくつか候補に出てきて適当にそれらを読んでいますが、そういうのを読んでいて、中学受験する子供にこれだけは絶対に言っちゃいけないなと思う内容があります。
 具体的には、「今勉強していい中学に受かれば、中学と高校では楽が出来て、スポーツなどに集中できる」という内容です。結論から言うと、この発言は根本的な事実間違いが含まれています。

 仮に大学付属の私立中とかなら、私も通ったことがないのでもしかしたら上記発言の通りかもしれません。しかし一般的な中高一貫校の場合、私の経験で言うと上記発言の通りには絶対にならないと断言できます。理由は非常に単純で、公立校と比べ中高一貫校の授業ペースは早く、勉強しなかったらあっさりドロップアウトするからです。
 実際にというか私の通っていた学校では、1年次の終了とともに確か男子生徒2人がドロップアウトして地元公立校へ転校しました。私自身も中学時代は成績は下から数えた方が早かったですが、後述しますが私自身というより学校の仕組みに問題があったせいで成績が上がらなかったのだろうと考えています。

 恐らく多くの親の世代の考え方では、中学受験すれば高校受験のために勉強する必要はなく、その分だけ中学と高校で部活動などの課外活動にも集中できると思い込んでいる節があります。でもって、それを受験させる子供への売り文句として実際に私も使われたし、ネットに出ている教育相談関連記事でもまさにそういって受験させたところ不登校になったという話をよく見ます。
 しかし一般的に中高一貫校の授業ペースは早く、特に英語と数学に関しては公立校とは比べ物にならないくらいハイペースです。私の学校では数学は中三の時点で数Ⅰ・Aに入ったし、英語に関しても一般受験組と比べれば基礎暗記単語量では劣るものの、長文読解力は高く、この方面で中学生にしては高い水準が要求されていました。

 で、普通に考えて、こんなハイペースな授業が続けられる中で部活とかに集中できるかです。はっきり言ってそんなわけなく、実際うちの学校の運動部とかは半端なく弱かったです。それこそ将棋部とかそういうのだったら話は違うかもしれませんが、運動部入って疲れた状態で帰宅し、普段のハイペースな授業についてこれるかっていったらそんなわけないでしょう。むしろそんなんだったら、普通に高校受験する方がまだ短期集中で乗り切られるところもあるだけに、中高一貫校より課外活動に集中できるのではと思います。

 その上でと言っては何ですが、これは以前にもブログに書いてはいるものの、お世辞にも私の通った学校の教師は授業での指導が上手くありませんでした。中にはテストの学年平均点が30点台だった際に「なんでお前らは勉強しないんだ」と生徒に責任転嫁する教師までいて、見ていて明らかに、素材の良い生徒たちに助けられているだけで、実際にはほぼ全く指導力のない教師が少なからずいました。
 しかも具合の悪いことに、中高一貫校とはいえ厳しい家庭ではすでに大学受験を見据えて、中一から予備校に通わせる家も少なくありませんでした。でもって、そういった予備校に通う生徒が学校でも揃って成績が良く、ぶっちゃけ学校の授業に余り価値がないことを間接的に証明している有様でした。

 私自身もというか、テストの成績良くないから「中学受験すれば中学生時代は塾とかに通わずに済む」と言われて受験したものの、結局また中一から予備校に入れられる羽目となりました。もっともそこで対応してくれたアルバイトの大学生塾講師と馬が合い、成績は実際かなり急上昇したし、その講師の指導で政治とかに興味を持ったので塞翁が馬でしたが。
 逆にもし講師と馬が合わなければ、真面目にかなり危険な状態になっていたかもしれないと今思います。

 それで話を戻すと、「今勉強していい中学に受かれば、中学と高校では楽が出来て、スポーツなどに集中できる」といって子供をいい学校に入れてしまう、特に偏差値的に受かるのは難しいとされていた第一志望校とかに運よく合格して入っちゃうと、十中八九その子供は「あれは嘘だったんだ」と親に裏切られたような心境を持つであろうと私は思います。
 極端な例かもしれませんが、予備校でクラスが一緒で仲良くしていた友人が、普段のテストの偏差値からすると大金星的な高偏差値高に受かって、そこへ進学しました。ただ高校でドロップアウトしたのか中退したことが後年わかり、いい学校に受かるのも素直に喜べるわけじゃないと当時感じています。

 偏見かもしれませんが、何か特定のスポーツに従事したいと普段から言っている子供は勉強好きはそこまで多くいません。素材が良かったり体力があったりして中学受験で上手く成功を収めるかもしれませんが、受かった先の学校でスポーツに集中できるかと言ったら、そこではさらに素材の良さが求められてくるでしょう。はっきり言えば、地元公立校に通わせた方がそういう子たちの負担はずっと低くて済む気がします。
 それでも敢えて中学受験させたいってんなら、やはり分相応な偏差値の学校に入れる、若しくは通学面で有利な一段レベルを下げたような学校に入れさせるのも手でしょう。そうした学校なら授業についていく上ではハイランクの学校よりずっと余裕があり、親の言う通り高校受験を回避することで課外活動に集中できる環境があるかもしれません。一番良くないのは、本人が決して勉強好きでもないのに、分不相応にレベルの高い学校に入るということでしょう。
 っていうか、勉強好きじゃない子なら初めから中学受験なんてさせるべきじゃないでしょうが。

 最後に途中で話した高校受験組について少し補足すると、前述の通り中学時代の私はあんま成績良くなくて結局塾に入れられ(中三時は半分より上で無試験進級組に入ったが)、高校に入るやすぐまた大学受験に備えるよう別の予備校に入れられました。まぁ高校生の時点ではそんな抵抗感なかったけど。
 高校で入った予備校には地元公立中学から高校受験した生徒も多くいたのですが、彼らを見て感じたこととしては前述の通り、暗記している英単語量で私立中出身の私と大きな差があるということでした。上位高校の生徒に限られますが、やはり高校受験でその辺の対策が求められることから、英語に関しては長文読解は私の方が上かもと思いつつ、基本的な単語量では逆に遠く及ばず、「高校受験しなくて済むと言われて入ったが、結局高校受験組とは実力差がつき、この分を埋め合わせなければならないことを考えると中学受験しただけ無駄だったな」という結論に至りました。ぶっちゃけ今でも無駄だったと思っています。

 ただ世の中わからないもので、高校時代は一番英語苦手だったのに、社会人になってからは外国語をメインに使う仕事ばっかやっています。こう考えると、高校の成績は何の適正も見いだせないなと思います。思考も文系のくせしてやたら数学的な論証が多いし。

2020年11月26日木曜日

日本の歴史観~その8、半藤・保坂史観 後編

 最近コンビニとかで「3Dマスク」と書かれた商品が売られているけど、逆に「2Dマスク」はどんななんだろう。顔にマスクの絵を描いた状態なのだろうか。なんんていうか、「4次元ポケット」に対する「3次元ポケット」みたいな感覚があります。あと今週は残業ないけど重たい仕事多くてやっぱ辛ぇわ……、FF15はやったことないけど。

 話は本題ですが前回から取り上げた半藤・保坂史観について、この史観のもっとも特徴的なのはネオ皇国史観同様に、「極東国際軍事裁判、並びに自虐史観は米国が日本を支配しやすくするために作ったステージと概念」だと指摘している点です。但し、その中身について、両者では見解というか踏み込みが異なっています。

 まず戦後における代表的歴史観の自虐史観では先に取り上げたように、基本的に二次大戦で日本は侵略戦争を起こしたとして、否定的な評価を行っています。ただその侵略戦争を誰が興したかという戦争責任については、はっきりと「旧陸軍幹部」と言明しており、この点について半藤・保坂史観は「謝った歴史認識」という風に指摘しています。
 具体的にどういうことかというと、自虐史観では上記の概念に乗っ取り、「東条英機をはじめとする旧陸軍幹部が日本を誤った方向に導いて戦争を起こし、国民はそれに巻き込まれ塗炭の苦しみを味あわされた」という風に捉えています。

 ここで重要な点は二つあり、一つは先ほどにも指摘したように「旧陸軍幹部」を主犯扱いしており、旧海軍は含まれていないということです。これはそのまま「海軍善玉論」、即ち海軍幹部らは日本は米国との戦争に勝てないことを理解していたが、政権を乗っ取った悪い陸軍に押し通されて負けるとわかっていながら戦わさせられたという風な具合で、海軍には戦争責任はないという見方です。ついでに書くと、この海軍善玉論を大きく発展させた人物の一人として、戦時中の陸軍のしごきを相当恨んでいた司馬遼太郎が含まれます。
 この海軍善玉論ですが、異論はあるでしょうが、やはり半藤・保坂史観の主張する通りに米国が意図的に流布された概念であると私も考えています。理由は極東国際軍事裁判で起訴されたA級戦犯のメンツで、東条英機をはじめとする陸軍関係者が中心となっています。

 また半藤一利氏が主張するように、海軍も要所要所で戦争に向かう動きを実際に後押ししており、また本気になれば開戦を拒否できる立場にあったものの、「陸軍さんがやりたいっていうなら」という感じで、あっさり陸軍の要求を飲んだりして、陸軍内の非戦派を落胆させています。海軍善玉論は非常に長く信じられてきた概念ですが、やはり2000年代中盤当たりに半藤氏らの主張が広まるにつれてその影響力は弱められ、現代においては恐らく専門家の間でこの概念を支持する人はほとんどいなくなっているように見えます。

 次に米軍によって流布された「誤った歴史認識」として半藤・保坂史観が指摘している点は、「国民は巻き込まれただけ」という概念です。この点についても半藤氏ははっきり否定しており、当時の日本国民自身が中国や米国との開戦を望んでいて、むしろ日本政府や陸軍はそうした国民の声を受けて開戦を実行に移した所があると厳しく論じています。
 この根拠として日中戦争開戦直後、朝日新聞が「戦乱を広げるべきじゃない。すぐ和睦すべき」といった社説を書いたら、一瞬で部数が急減し、慌てて論調を180度展開したというエピソードがよく紹介されています。実際にというか当時の人々の日記などを見ると戦争に対して非常に肯定的で、むしろ政府や軍は生ぬるいという、生意気な米国は懲らしめねばならない的な意見ばかり見られます。

 こうした点を踏まえ半藤・保坂史観では、戦争責任については日本国民自身も深く反省すべきところがあるものの、米国の情報操作によってそれら責任は旧陸軍幹部に集約されてしまったとしています。これにより米国としては、そうした扇動者から日本を解放しに来たという大義名分が得られるわけで、自虐史観が実際に定着したことを考えると作戦成功であったと言えるでしょう。

 こうした戦後思想に対する米国の情報統制は、ネオ皇国史観でも指摘した上で批判を行っています。ただネオ皇国史観では実際にどのように米国が日本を「骨抜きにした」という根拠や理屈、背景を示すことができておらず、若干観念臭い主張になっていたように見えます。
 一体何故そうなったのかというと、米国による情報操作をきちんと検証したら彼らの「米国に追い詰められてやむなく開戦に至った」という主張が崩れるからでしょう。だから具体的にどんな風に日本の世論を誘導したのかには触れず、観念的にともかく「骨抜き」にしたとしか言えなかったのだとみています。

 なお米軍によってある意味スケープゴートにされたのは東条英機一味ですが、東條自身に対しては前回にも書いたように半藤・保坂史観では激しく批判しており、「無責任の極み」と切っています。それどころか「やはり米軍の力を借りるのではない、日本人自身が彼を権力濫用で処分すべきだった」、「戦前の国内法でも東條は十分処刑できる」とまで言っています。
 ただ先ほどにも書いた通り、東條一味がスケープゴートにされた点についてははっきりと間違いだったとしたうえで、東条英機と仲が悪かったために米国側から起訴されなかったものの、日本を本当の意味で誤った戦争へ導くことになった戦犯として、石原莞爾に対しては否定的にも捉えています。実際に私も二次大戦において日本に戦犯がいるとしたら、石原以上の人間はいないと考えています。

2020年11月25日水曜日

日本の歴史観~その7、半藤・保坂史観 前編

 前回の更新からまた大分時間が経っての要約の連載再開ですが、ようやく取り上げる歴史観としては最後の物にまできました。今回紹介する歴史観は果たして世間に定着しているのかと言えばちょっと疑問符がつくところではあるものの、少なくともぽつぽつと見始めた15年位前と比べるとこの歴史観に沿った見方は現在の方が広まっているように感じることと、最低限、私というフォロワーがいるということから歴史観設定して紹介します。
 名称については保坂正康氏自身は「自省史観」と呼んでいますが、この歴史観は半藤一利氏と保坂正康氏が座長を務める主に文芸春秋などでの座談会がベースというかルーツになっていることを考え、またこの二人が実に相性のいいゴールデンコンビであることを考慮して、勝手に「半藤・保坂史観」と名付けることにしました。この名称を使うのは恐らく私が最初(そして最後?)でしょう。

 ではこの半藤・保坂史観ですが、基本的には二次大戦に対する見解で、その具体的な特徴を挙げていくと下記の通りとなります。

1、自虐史観以上に旧軍部への批判が苛烈
2、一方で末端の将兵や現場指揮官には非常に同情的
3、昭和天皇にも同情的ではあるが一定の責任があると指摘
4、戦争責任について当時の国民も大きいと指摘
5、日中戦争時代からきちんと追いかける
6、海軍善玉論を否定
7、方向性は異なるが、戦後思想は米国の扇動によるものとするのはネオ皇国史観と共通

 まずこの歴史観が出てくるようになった背景と経緯からまとめていくと、90年代末期から冷戦崩壊と中国や韓国の台頭に伴い前回までで取り上げたネオ皇国史観が新しい教科書をつくる会を中心に盛り上がっていきました。しかしこの2000年を過ぎたあたりからつくる会の内部分裂、テロとの戦いに伴う反米感情の低下などを受けネオ皇国史観は勢いをなくし、主流となる歴史観が今ひとつないエアスポット的なタイミングで半藤氏と保坂氏による他のゲストを招いた歴史対談が行われるようになり、徐々にこの半藤・保坂史観が勢いを強めていったように思います。

 ではこの史観が他の自虐史観とネオ皇国史観とどう違うのかというと、まず第一に挙げられるのは上に上げた1番目の、自虐史観以上に旧軍部への批判が苛烈という点です。自虐史観でも日本の旧軍部は国民を先導しておろかにも破滅に至る戦争へと引っ張っていったと評していましたが、この半藤・保坂史観では「何も考えず、無責任に流されるまま無謀な戦争に踏み切った」と言い切っています。
 この意見の出どころというか半藤氏の主張で凄いのは、実際に当時の政策意思決定者であったA級戦犯たちに巣鴨プリズンで直接話を聞いている点です。それら取材結果と当時の会議記録などを詳細に分析した結果、「なんとなく戦争しなきゃいけない雰囲気だった」というノリで日米開戦が決定されたと結論付けています。

 その上で、こうした雰囲気は軍部以上に当時の国民自身が日米開戦を望む空気があり、それに引きずられた要素が大きいとも指摘しています。この辺は次の回で詳しく書くことにします。

 とにもかくにも旧軍幹部らに対する批判はこの半藤・保坂史観は厳しく、先にも書いている通り自虐史観以上じゃないかと思います。中でも辻正信に対する批判は、ノモンハン戦での行動を始め全力で以って批判しているくらい激しいものです。
 ただそうした軍幹部に振り回された現場の将兵に対しては非常に同情的で、その敢闘ぶりには激賞してやまないです。陸軍の栗林忠道や宮崎繁三郎などがその代表で、また末端の兵士らに対してもノモンハン戦などで非常に奮戦していることを取り上げています。

 なおネオ皇国史観を支持していた人には末端の現場将兵の遺族らも含まれており、彼ら遺族が自虐史観で旧軍全体を批判されていたことに反発して盛り上がったという面もあったように見えます。ただそうした末端の将兵を実質的に無為無策によって死に追いやった旧軍幹部らについても、ネオ皇国史観のオピニオンリーダーらはやたら持ち上げようと躍起であって、この点で一部遺族らと思想や方向性が異なって分裂に至ったところもある気がします。
 私自身は半藤・保坂史観の支持者ということもあって末端将兵とその遺族らに関しては強い同情感を感じますが、東条英機らは擁護のしようがないとも考えており、私自身がこうした点で違和感を感じてネオ皇国史観を支持しなく経緯があります。

 話を戻すと、半藤・保坂史観でネオ皇国史観と大きく異なる点は地味に日中戦争の下りじゃないかと思います。この日中戦争に関してははっきり言って侵略以外の何物でもないのですが、ネオ皇国史観だと「南京大虐殺はなかった」という主張が強く、実質的にこの一点でしか議論しない節があります。
 一方で半藤・保坂史観では日中戦争の途中経過、というよりその前の満州事変の策謀のあたりから追いかけ、また日中戦の途中の和睦交渉がどうして破談に至ったのかなどをよく取り上げています。私自身、「トラウトマン交渉」は名前こそ知っていたものの中身は全く知らず、文芸春秋の対談とかでこのような交渉がありながら日本は戦争を継続したことなどを初めて知りました。

 逆を言えば、こうした「日米開戦以前」がネオ皇国史観には致命的に欠けている気がします。日米開戦のルビコンとしてよくハル・ノートが挙げられますが、実際に歴史を追うと、ハル・ノートに至るまでの過程の方がむしろ重要な気がします。そこら辺をネオ皇国史観では「反米主義」という立場から追うに追えず、曖昧に省略的にしか紹介できなかったのでしょう。

 そういうわけで、残りの特徴についてはまた次回に。

2020年11月23日月曜日

シーラカンス記事の裏側

中国人から見ると日本は時間が止まっているらしい(JBpress)

 隔週月曜のヤンマガ的な自分の記事の紹介ですが、今回は意外この上ありませんでした。そんなに取材したわけでもなく、思い入れもない記事だったのですが、現在JBpressのランキングでは暫定1位、あとヤフコメも割とたくさんコメントが集まり、傍目にもたくさんの方に読まれたようです。
 個人的には一番ビビったのは、同じJBpressで記事を書かれている中島恵氏がオーサーコメントを残してくれていることです。オーサーコメント自体つくのは初めてですし、中国の視点からしか語らない自分と違い、アジア全体を見ながらよく記事書いている中島氏はかねてから一目置いていただけに光栄ではあるものの、いきなりの登場にはマジビビります(;´・ω・)

 さてこの記事、先にも書いているようにそんな力入れて書いた記事じゃないです。そもそも書くきっかけになった経緯からしてかなり不純で、「最近忙しいし(主にゲームで)、T-34の組立も控えているからすぐかけるネタで記事書きたいな(´・ω・)」などと考えていたところ、イタリアの火山灰に埋もれた都市のポンペイに関する最新研究記事を見掛け、

「そうだ、日本人はやたら『ガラパゴス化』って言葉が好きだけど、日本の停滞と絡めて『ポンペイ化』って言葉作ったら流行るかも(・∀・)イイジャン」

 と、思ったのがすべてのきっかけでした。全ては「ポンペイ化」って言葉を流行らせたい文芸者としての欲から始まった記事です。
 そういうわけで書き始めたのですが、当初はともかく日本が何も変化がない、停滞していると感じる内容を羅列していって、ベンチャー企業の不足も書いていたけどそんな大きく取り扱っていませんでした。しかし第一稿を見てみると、あまりにもまとまりのない内容だし、そもそも友人に企画構想を話したら「ポンペイって何(。´・ω・)?」と、そもそもポンペイが何なのか知らない人が意外に多く、このままじゃやべぇと思って一回全部書き直しています。

 第二稿では配信記事のように、「日本は何十年も変化がない→停滞している→それはベンチャー企業が少ないからだよ(・∀・)」という流れにして、あと「ポンペイ化」の代わりにもっとわかりやすい「シーラカンス化」という言葉に差し替えました。
 真面目な話、「ガラパゴス化」という言葉はなんかここ数年ほとんど聞かなくなった気がするし、また「ガラパゴス」時代は独自規格とはいえイノベーションが見られました。ここ数年は全くそういう独自規格の発達すらなくなり、そういう意味で過去と区別する上では今回私が作った「シーラカンス化」などのような言葉が今後必要になると思います。

 話を戻すと、そんな具合でとりあえず記事にまとめたけどどうせ受けないだろうなと思いつつ、読者からどんな反応が来るかは楽しみでした。というのも私がJBpressで書く記事は基本、中国現地レポート的なミクロな内容の記事が多いのに対し、今回は割と幅広いマクロな内容で、尚且つデータ的な裏付けも少ない薄い内容になっています。
 というのも最近、コロナのせいで日系企業が絡む中国ビジネスの話が少なくなっており、ミクロなネタが書きづらくなっています。このままいくとネタ的にジリ貧(ジリープアー)なので、マクロな内容を見せたらどんな反応が返ってくるか、その反応を見て今後の記事ネタの範囲とか対象を決めようと試す意味合いがありました。とはいえ書き上げた際は裏付けデータのあまりのなさに自分でも結構怖く、果たしてこんな記事でいいのかなという不安の方が大きかったです。

 結果的には、やはりというかこういう薄くさらっと読めるような内容の方が単純にアクセス稼ぐだけではよかったのかもしれません。とはいえ書いててやりがいあるのはやはり裏付けのある記事なので、ミクロな記事も今後書いていくつもりですが。

 同じく読者の反応ことヤフコメを見ると、私に対し批判する人もいるものの、全体としては肯定的なコメントが多く、なんか昔と反応違うなとか思えてきます。批判する人に関しては、なんかやたらとQRコード決済ばかりを取り上げて批判する人が多く、でもってその論点も結構ずれているのが個人的に不思議でした。
 一方、私が流行らせたかった「シーラカンス化」に言及している人は二人くらいしかおらず、私の中ではこの二人の存在がMVPです(´;ω;`)ウッ…

 逆にコメントを見てなるほどと感じたのは、「ゾンビ企業の淘汰というが、その対象は中小企業なのか?」という疑問符を付ける内容のコメントでした。その後で具体的な企業名とともに大企業なゾンビ企業こそが問題と書いてありましたがその通りと言わざるを得ず、中小ゾンビ企業以上に日本の場合は超大型ゾンビ企業の禍根の方が大きいと私も考えなおしました。

 解説する内容としてはざっとこんなもんでしょうが、敢えてもう一点付け加えるとしたらコメントを読んでて、「日本の変化のなさに対する驚き」について、やはり相当ギャップがあると感じました。はっきり言うと私が感じている驚きの程度は恐らく、私のように日常的に日本と海外を往復している人じゃないと理解できないでしょう。
 具体的に言うと、恐らく大半の日本在住者は芸能人が突然結婚、離婚、自殺したというニュースを見た時の驚きくらいのレベルと考えているように見えます。一方、私個人の感覚で述べると、10年前に会ったある子供が10年後も全く同じ姿形のままであるのを見たような驚きを、日本に帰るたびに感じています。

 こうした変化のなさをはっきり認識したのは2013年のことでしたが、それから7年経っても全く変化がなく、先ほどの子供の例えじゃないですが変化して当然なものが変化しない不気味さをよく感じており、今回の記事の反応を見るにつけ、程度の差こそあれ日本在住者もうすうす認識しているのだなという印象を覚えました。

2020年11月22日日曜日

これが、T-34だ(^o^)/


 前略、これが旧ソ連の二次大戦期における代表的戦車であり、傾斜走行や履帯幅を始め、ある意味現代の戦車のあるべき形を確立させた傑作であるT-34(76型)です。定期預金の利息が入ってウキウキ状態のまま、プラモ屋でキットを購入して昨日組み立てました。

正面図

側面図

後ろ姿

斜め後ろ姿

やや上方からの俯瞰図

砲塔はここまで回転

下からの見上げ、もう少しうまく撮影できたはず

 さてこれまで航空機と車のプラモは散々作ってブログにもアップロードしてきましたが、戦車を作るのはこれが初めてです。いったいなんでいきなり戦車、それもT-34を作ったのかというと、まず元々T-34については関心があり、もし戦車でプラモ作るなら絶対にこれという風に考えていました。
 一体何故T-34にそんな執着していたのかというと、詳しくはWikipediaなどの解説記事を読んでもらいたいのですが、独ソ戦初期において実質的にドイツ軍を圧倒し、中期から後期にかけてはパンターやティーガーといった性能で上回るドイツ戦車が登場するも、その圧倒的な生産力の高さを生かし、ソ連の勝利に大きく貢献したというエピソードがあるからです。

 車でもそうですが、一品物でどれだけ凄いものを作るかより、量産体制でどれだけ質や性能を保てるのかという技術の方が私個人としては重視しています。前述のドイツのティーガーなんかはまさに前者で、性能と破壊力に関しては図抜けていたものの、生産性と稼働率は著しく低く、戦場で出くわせば相手に恐怖させることができたものの、戦局を覆すほどに数は揃えられず(ついでに故障率も高かった)、こと戦車戦に関しては「必要な性能と物量」においてこのT-34が大きく勝っていました。そうした背景と、ある意味スタンダードな中型戦車として、構造を把握する上で作るならこれだと前から考えていました。

 上記のその戦車としての歴史のほかにもう一つ、うちの親父が絡んだエピソードがあります。うちの親父は自分が子供の頃から「戦車大好き(∩´∀`)∩」と言っていて、実際にティーガーの話とか振るとめちゃくちゃしゃべったりするのですが、長年話を聞いているうちにふと、「なんかアメリカの戦車(アメ車)の話とか出てこねぇな」と気が付きました。ついでによく考えるとドイツ以外の戦車については全く触れられず、子供の頃にたくさん戦車のプラモを作っていたというがもしかしてと思って聞いてみたところ、

「ところで親父、T-34のプラモは作ったことあんのか(。´・ω・)?」
「いや、実はない(;´・ω・)」

 というように戦車が好きというより、ただ単にドイツが好きなだけでした。自分の感覚で言うと、戦車好きと言いながらT-34をスルーするってあり得ず、この時点でソ連人民の敵認定をしました。
 そんな感じで親父はあんまT-34詳しくないってわかったので、なら自分が研究がてら作ってみようという風に考えたのも、このキットを手に取った理由です。

 組立作業について語ると、このキット自体はもともとモーターを内蔵して自走するキットを少し直して売られたもので(タミヤ製)、中身は電池を入れるスペースが残されるなど割とすっからかんで、シャシーや車体上部も大半が成形済みのパーツで構成されており、非常に組み立てやすく簡単でした。飛行機や車と比べるとその難易度は遥かに低く、今回戦車は初めてなのでじっくり4時間くらいかけて組み立てましたが、その気になれば2時間でも組み立てられたでしょう。小学生の中~高学年くらいなんかにお勧めしたいキットです。

 またやはり戦車は人気のあるキットだからか、各パーツの見栄えなどが非常によくできています。車体もざらついた表面になっており、また色も塗装なしでも十分なくらいいい味出してて、組み立てた後のインテリアとして置いても戦車だからほこりがついても見栄えを損なうことはないでしょう。
 ちなみに前作ったインプレッサも結構ほこり被ってきましたが、元々がWRC車なだけに、ほこりが乗っかって少し汚れたように見える方がかえってかっこよくなっています。他の車とはこの点が違いました。


 作り上げたところで今回少し問題となったのは、「どこに置くか」でした。
 すでに家のあちこち、それこそ靴箱の中や洗面所にすら戦闘機のプラモ置いており、これ以上置き場所がないくらいスペースに困っており、作る前からその対策に頭を悩ませていました。ただ人間追い詰められると考えるもので、


 メインの冷蔵庫上のスペースに、ダイソーで買った折り畳みの台座を置くことで、戦闘機をさらに置くことに成功しました。これによって戦車を置くスペースも確保できたので、しばらくは冷蔵庫上に置いたままいろいろ眺めてみようかと思います。

2020年11月21日土曜日

小学生の時に受けた絶望体験

 先日に書いた「夏の夕暮れ」という記事は久々にまじめな話題で書いたなと自分でも思いにふけっていたらふとそこで書いた、戦う理由や目的を失ってしまう、男とにとっては絶望的な体験を自分は小学生の頃に何度も体験していたことに気が付きました。

 私が小学生に入った辺りはちょうど、ファミコンからスーパーファミコンへと切り替わる時期でした。ただ切り替わると言ってもしばらくはファミコンソフトも並立して発売が続けられており、こちらで遊ぶ時間も少なくありませんでした。
 私自身もご多分に漏れずファミコンでよく遊んでいたのですが、この時、子供心にもとてつもなく残酷な出来事が何度も起きていました。

 デロデロデロデロデロデロデロデロデーレーッレン♪

 この擬音だけでわかる人なら察しが付くでしょうが、当時のファミコンソフトのバックアップ機能はとてつもなく貧弱で、本当にちょっとした衝撃とかそういうので簡単にセーブデータが度々吹っ飛びました。kの時の絶望感と言ったら本当に半端なく、十数時間かけて進めたデータとかが一瞬で無に帰し、恐らく賽の河原とかきっとあんな感じなのでしょう。
 前述の通り先の「夏の夕暮れ」の中で私は、男にとって闘争は非常に重要だけど、重要なだけにその戦う理由や目的を失ったり、戦ってきた存在に裏切られたら半端ないダメージを受けると書きました。ある意味、ドラクエとかFFなどのRPGゲームを遊ぶことは一種の「戦い」であり、その戦いの成果や軌跡が一瞬にしてなくなるような上記のデータ喪失は、まさにこの男にとって最も致命的な一打に当たるのかもしれないと、何故かスーパーで買い物している時に気が付きました。

 ガチな話、絶望感のレベルで言ったら社会人になってからのあらゆる体験とかとよりも、この時のデータ喪失の時の方がずっと大きかった気がします。スーパーファミコンになってからこの手のバックアップデータは大分よくなり消えづらくなって、プレステになってからは消えることなんてほぼあり得なくなり(サターンは論外)、ある意味昔だからこそ体験できた絶望体験と呼べるかもしれません。

 昔なんかの掲示板で「バイオハザードは暴力的描写で暴力を誘発する」、「桃鉄は金稼ぎしか考えなくなる」などと様々なゲームの子供への悪影響を羅列して最後に、「スペランカーは主人公がよく死んで何度もチャレンジしなければならないから忍耐力が付く」というオチをつける小話がありました。今になって思うとこの小話はある意味間違っていなかったというか、私自身、あのファミコン時代に何度も味わった絶望体験を経て現在における強靭な精神力を身に着けたのではないかと思う節があります。
 というのもつい先日も、Wordできちんとセーブしておらず作業途中のPCの不具合で途中原稿を吹っ飛ばした同僚がいたのですが、「最近の若い奴はこまめにセーブ取らない。俺たちファミコン世代はなぁ……」などと、自分でもよくわからない説教をかましたことがありました。まぁそれを言ったら自分より前の「ぱすわーどがちがいます」世代なんかはもっと深い含蓄があるのかもしれませんが。

 その上で結論を述べると、理不尽なゲームはゲームとしての価値は下げるけれども、人生の困難に対する心構えを鍛える上ではプラスなのかもしれません。ダークソウルとかやったことないけど、ああいう死にゲーやってる人はやっぱり忍耐強いのかなぁ(´-ω-`)

2020年11月19日木曜日

夏の夕暮れ

 好きな日本語ときたら昔は「ノーパンしゃぶしゃぶ」で、なんですき焼きとか焼鳥じゃなくしゃぶしゃぶなのかっていう点と発音時の音から気に入っていましたが、最近は見出しに掲げた「夏の夕暮れ」がなんか好きな日本語になりつつあります。

 そんな「夏の夕暮れ」ですが、そのまんまサマーシーズンの夕焼け小焼けにまた明日っていう意味ではないです。知っている人には早いですが、これは「R-typeファイナル」というシューティングゲームのエンディングタイトルの一つです。このゲームはマルチエンド方式となっているのですが三つあるエンディングの一つが「夏の夕暮れ」というタイトルで、その名の通り夕暮れ時を思わせる背景が夕焼けがかったステージで戦うこととなります。

 問題なのはそのステージと戦う相手です。というのもそのステージ、主人公機が第1ステージで飛び立った宇宙コロニーの中だったりします。そして向かってくる敵機というのも、主人公と同じ次元戦闘機ことR-typeシリーズの機体だったりします。
 一体これは何故かというと、このゲームの敵役である「バイド」というのは有機か無機かに係らず様々な物体に寄生して乗っ取り、人間などを攻撃してくる生物なのですが、この「夏の夕暮れ」のステージではあろうことか主人公機をバイドがパイロットごと乗っ取ったという状態であり、バイドと化した主人公機を味方であった仲間たちが迎撃に来るという内容になっています。

 なお主人公自身は自分がバイドに乗っ取られたことを理解しておらず、任務を終えて故郷へ帰ってきたものの何故か仲間たちから攻撃を加えられ、若干判断がおかしくなっていることもあって、襲ってくる仲間たちもこの際撃墜しようという心境になっているとのことです。また画面が夕焼けっぽく見えるのは、主人公がバイド化して、視野がおかしくなった結果紅く見えているだけで、実際は太陽の位置から夕暮れ時ではないことがわかるようになっています。
 そんな絶望感たっぷりのステージ冒頭で語られるのがテープレコーダーに残されたという主人公の独白で、「夏の夕暮れ やさしく迎えてくれるのは 海鳥達だけなのか?」というセリフです。そのストーリーのえぐさといい、非常にきれいな言葉であると自分は思います。

 上記のストーリー背景とその言葉の重みだけでも十分「夏の夕暮れ」は好きになる言葉なのですが、それ以上に自分の関心として重いのは、闘争理由の喪失ともいうべき心境がこのところいろいろ思いふけることが多いためです。

 この「R-typeファイナル」のようなエンディングのゲームとしては他にも「アスピック」というゲームがあります。このゲームでは姫をさらった悪魔の蛇ことアスピックを主人公が仲間とともにやっつけに行くゲームですが、アスピックを無事に打ち倒すや何故か一緒に戦ってきた仲間が離反した上、お城の王様にも「貴様は呪われている!」などと言われ追い返されます。そしたら何故か今まで敵だったスケルトンなどのモンスターが仲間になり、腹いせとばかりにお城に攻め込んで王様を打ち倒したりできます。っていうか、ラスボスは王様。
 無事王様を打ち倒すとエンディングに入るのですが、ここで主人公の姿はかつて倒したはずのアスピックへと変貌し、アスピックはその倒した者に乗り移り、永遠に戦いを続ける存在であることがカミングアウトされます。つまり王様の言っていることは正しく、リアルに主人公はアスピックに乗っ取られていたというわけで、先ほどの「夏の夕暮れ」エンドになるってわけです。

 このほかだと有名どころで「ライブアライブ」の「あの世で俺に詫び続けろ、オルステッド!」エンドもこの類ですが、上記三つのエンディングはやはりネットで見ている限りだと今でも語られることが多く、実際に遊んだプレイヤーの心に深く刻み込む内容であったようです。三つに共通する点としては、「これまで戦う理由や目的だった仲間たちに裏切られて(本人視点で)戦う羽目になる」という流れで、この要素は恐らく普遍的に心に刻み込ませる要素になっているのだと思います。

 実際にというか私自身、この要素は人間、というよりは男にとっては本当に致命的な一打になりうるのではないかとこの頃思うようになりました。この年になってみて改めて感じることとして、やはり男にとっては闘争というのはその生存において大きな幅を占める重要な要素であり、大なり小なり形はいろいろあれど、皆それぞれがそれぞれの闘争の形というものを持っている気がします。そしてこの闘争というものが人生における大きなモチベーションとなっていて、闘争を失うということは男にとって内臓を失うに近い衝撃であるという風に最近考えています。

 そういう意味で上記の三つのゲームの主人公はいずれも強大な敵という大きな闘争を抱えていたものの、無事その闘争に勝利したかと思いきや、その勝利の意味が全て無に帰すかのように味方達に裏切られる結末を迎えています。こうしたそれまでの闘争理由が喪失してしまう状態はある意味、闘争に敗北するよりも男にとってはダメージがでかいというか、本当に生存理由すら失わせかねない事態じゃないかという風に思います。そして現実にそういう立場であったのが、戦後における日本の元兵士たちだったと思え、その喪失感はとても語れるようなものではなかったのではないかという気がします。
 まぁ水木しげるのように、「これで生きて帰れるぞ」と単純に喜ぶ人も少なからずいたでしょうが。

 まとめに持って行くと、やはり男はいくつになっても何かしら闘争の構造を自分の中に持っていたほうがいいのではと個人的に思います。誰彼構わずケンカ売れというつもりはなく、自分に課した目標なりタスクなりを以って、戦っていると感じるような環境を何かしら作るのは精神衛生上プラスじゃないかっていうことです。
 その上で、途中で闘争理由を失うような事態については何よりも回避すべきだと言いたいです。そういう意味では最初の闘争設定の際に設定ミスる(自己満足的な闘争を設定して途中で周りから反発食らうとか)とかなり打撃がでかいので、その辺を気をつけて設定した方がいいかもしれません。「誰かのために」とかいう闘争なんて、まさに地雷原です。

 ちなみに自分は前の会社で本来会社が支払うべき就労ビザ切替え代を自分に自己負担させた元上司を勝手に敵設定して、いつか襲撃加えてやると時たま思い出してはモチベーション高めています。あの時下手に抵抗してビザ切替え渋られたりしたら決まっている会社への転職ができなくなるという弱味があったから我慢したけど、マジあの野郎今でも許せねぇ(´・ω・`)