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2020年12月7日月曜日

孔明記事の裏側

「諸葛孔明は戦下手だった」という説に反論してみる(JBpress)

 ヤンマガ的隔週の自分の記事の紹介ですが、今回はガチで子供の頃からの夢だった三国志関連記事の配信です。JBpress内のアクセス数は良くなかったけど、ヤフコメは思ったより伸びた上、お昼ごろには雑誌記事アクセスランキングで5位に入っており、なんか本サイトと二次配信サイトでやけに隔たりがある記事となってました。

 それでこの記事ですが、内容は9年も前にこのブログに書いた内容のブラッシュアップ版です。何故今更掘り出してきたのかというと、単純にこの記事の存在を思い出しただけで、他にはあんまないです。
 ただ、同様の主張はこの9年間でほとんど見なかったことと、今年試験的に出してみた中国史関連記事もそこそこアクセスを生んでいたことから、出すんだったらやっぱりこれだなと真っ先に思い浮かんできた記事ではありました。また子供の頃からいつか三国志に関する記事なり論評なりを出したいという夢をいまさらながら思い出し、「出すなら今ぞ」という風なテンションで、思い立った当日にすぐ記事まとめてそのまま提出しました。書き終わった際は妙に感情高ぶって、涙流し始めたので最後の方はあまり見直しできてません。

 ヤフコメを見ると、皆それぞれが諸葛亮の評価についてあれこれ書いており、私の記事内容について大きく否定するような指摘やコメントはあまり見ませんでした。わりかし三国志マニアはコアな人が多いからなんか言われるかなと想定していましたが、そうした声が少なくてホッとする一方、逆に文句つけたがる人がいればいるほどこうした歴史解説記事の需要は高まるってもんだから、全部が全部喜べるってわけじゃないです。
 もっとも、ヤフコメの内容は本当に千差万別っていうくらいみんな個別の意見を出してて、読んでるだけでも楽しかったです。「ああやっぱり三国志トークは見ていて楽しいな」と思わせられるもので、最近三国志を語る機会少なかったからなんか久々に楽しい感情を思い出しました。

 記事内容自体に関しては特に解説する内容はないのですが、改めて日付を見ると2011年の9月末に記事書いてて、ちょうどこの時は香港への長期出張を控えていた頃だったことを思い出しました。翌月の10月から12月にかけてずっと香港で働いていて、その直前のこの時は確か今のうちに上海でやれることをやっておこうといろいろ準備していた頃です。
 記事も確かそんな感じで、「今のうちにこのネタで一本書いとくか」的にまとめていたのを覚えています。別にこれからどっかに出張するわけでもなく次の正月も今のまま上海で過ごす予定ですが、ある意味2011年くらいは自分が一番冒険していた頃だった気がします。もっとも冒険ったって、昨日書いた記事みたく馬鹿でかいスズメバチと戦ったりしてたわけじゃないですが。

2020年12月6日日曜日

魔物と戦う勇敢なる者たち

 昨夜見た夢ですが、夜中に窓のブラインドを開けたら、成人男性の上半身くらいもある大きさのスズメバチガラス窓越しにがこっち向いてガン見していました。マジビビって慌てて殺虫剤を探すものの、そもそもこんなサイズのスズメバチに殺虫剤が効くのかと思い、むしろ細いウエストを狙って横薙ぎにした方がいいと棒みたいなの探しましたが、仮にあったとしてもあんなでかいスズメバチと外で対峙する勇気なんてありません。また仮に対峙できたとしても、普通のスズメバチみたく俊敏に飛び回られたら果たして棒で当てられるか、その辺も自信ありません。
 この辺でやばたにえんだと感じ、夢だとはわかっていたので気合で覚醒を試みました。試みはあっさり成功し、すぐに目を覚ますことに成功しました。人間、追い込まれれば何とかなる。

 目が覚めたのはまだ夜中で、寝なおしたらまた続編に突入するのではという懸念がありましたが、幸いにして特に男の夢も見ることなく二度寝に入ることが出来ました。その後朝を迎えて改めて振り返ると、ドラクエの勇者たち(主に3くらいの)は普段からあんなの相手にしていてなんて勇敢なんだろうっていうことでした。
 実際に夢で見て思いましたが、あんなでかいサイズの蜂と戦うなんて普通まず無理です。それこそあんなごんぶっとい針でどてっぱら刺されたら、マジ死にます。そんな恐ろしい相手であろうと、ドラクエの勇者たちはキラービーとかと普通に戦っていて、どんだけえらいんだろうとか妙に感じました。

 ゲーム中では何の気なしに「たたかう」とコマンドしますが、改めて思うととんでもなく無慈悲な指示を自分は勇者たちにしていたんだという後悔にかられました。しかも攻撃がミスると「何やってんだよクソが!」と高校野球の監督張りに悪態ついていましたが、前述の通りあんなでかい蜂とかだったら攻撃を当てることすら恐らく難しく、現場を知らない人間が何批判してんだよとか今更ながら思えてきます。

 日常において「勇敢」という言葉を使う機会はほぼ全くありませんが、今回の夢の一件で勇敢であることは単純に凄く偉いことなんだと痛感しました。その上であんだけ恐怖感感じさせるスズメバチみたいな魔物と普段戦う勇者たちは、尊敬の対象と十分なりえると思います。

 いやでも最近見る夢結構面白いのが多い。ベッドに電気カーペット敷いて妙に寝入りがいいせいだろうか。

2020年12月5日土曜日

大阪府の看護師募集について

「赤信号」の大阪知事、自衛隊にも看護師派遣を要請へ(産経新聞)

 今日はなんか楽しいことでも書こうかと未解決事件とかいろいろ考えていたら、こっちのニュースのが気になったのでこっちについて書きます。ちなみに未解決事件っていうと殺人事件ばかり出てきますが、個人的にはいたずら系なトンデモ未解決事件の方が好きです。

 話は本題ですがコロナ感染者が続出している大阪府で医療従事者が足りなくなって、自衛隊に応援を要請したそうです。これを見て石田三成なら、「看護師の募集給与引き上げて呼び寄せればいいじゃん」といったのではとか思いました。別に石田三成じゃなくてもいいですが。

 あまりこの方面の事情に詳しいというわけではないのですが、医療従事者が足りないというのならなんで給与や手当の引き上げとかやって大々的に募集しないのかが不思議です。それこそ来年も流行が続くことはほぼ確実なのだから、今から看護学校卒業生の青田買いを進めるためにもそうした賃金面での待遇引き上げこそが最も効果的だと思うのに、そうした発表をせずに外部の応援を求めるというのもどうなのかという気がします。
 第一、北海道でも大変だと聞くし、医療現場のひっ迫は何も大阪だけじゃありません。果たして大阪へ自衛隊に来てもらう優先性というのは何なのかという点でも疑問です。

 まぁ単純に待遇を引き上げないのは自治体がそんなにお金がないせいだからで間違いないでしょうが、逆を言えば今後どれだけ感染者が増えたところで、医療従事者の抜本的拡大はしないという方向性も見え透いてきます。記事にもある通り、なんか海外から医療従事者を呼ぼうとか言っていますが、どの国だって今大変だというのに馬鹿言ってんじゃないよと思います。オーストラリアで感染が治まっているというのも、南半球が夏を迎えたからで、また冬が来ること考えたら外国がそうやすやすと医療従事者を派遣するとは思いません。
 それ以前に、いわゆるフィリピン人看護師採用で土台おかしい採用認定基準を設けていた時点で、日本がそんな外国人看護師みたいな器用な真似できるとは思いません。

 多分この後の展開としては一部介護士に対してコロナ治療における業務枠の拡大とかが出てくると思いますが、そんなのするくらいなら賃金待遇の引き上げに補助金とか出す方がいいでしょう。まぁあれこれ言いながら肝心なお金は出さないのが昔からの大阪(あと国)のやり方だから、多分今後もこうした方策は出てこないでしょう。

 ただ少し気になることとして、いわゆる地方の病床は今一体どうなっているのかという点です。それこそ感染者が少なく治療スペースに余裕がある、外部に医療従事者を派遣できる県などはないのか。こうした統計なり調査を政府はしていないのか少し気になります。
 もっとも、医療現場は多忙激務で知られるだけに、そんな外部をヘルプできる余裕のある地方自治体なぞ、コロナ流行がなくても実際には存在しないでしょう。なればなおさら将来を見据えて人員拡大とかしなきゃならないのですが、そうはならないのが今までの、そしてこれからの日本でしょう。

2020年12月4日金曜日

2週間ごとに記事書く習慣

 今更わざわざ言うまでもありませんが、現在私がJBpressで連載しているコラムは2週間ペースで配信されています。これは言い換えると2週間ごとに記事を書かなきゃいけないということです。
 仮に本気でやったら毎週書くことも不可能ではないものの、そしたらクオリティが下がることは必定なため、連載開始当初より続いているこのペースを維持しています。なお締め切りを破ったことは一度もありません。

 とはいえ仕事が繁忙期だったり、旅行にいたりする際にはさすがにこの締め切りを守るのが厳しくなります。そういう時は基本的にため記事を用意したり、まとめて取材した内容を二回に分けて続き物の記事としたりすることで上手く処理していますが、今年はあまりまとまった取材をしなかったことから、あんまこの手の手段は使えませんでした。
 その際に役立つのは掲載時期に全く影響されない歴史記事で、このブログで過去に書いたものなどをそのままブラッシュアップして出すことが多いです。来週月曜配信の記事なんかまさにそれですが、その記事は思い立った瞬間にすぐ書き上げて提出したので、この次の締め切りまでは通常より1週間長い猶予をそれによって得ました。

 今までの経験から言うと、やはり締め切りに追い込まれた方が起死回生とばかりのいいネタが思い浮かぶことが多いです。ただストレス的にはやはり納期に余裕があるのと比べると大きく、また万が一締め切りから遅れることになると方々に迷惑をかけてしまうことになることから、基本的には余裕をもって記事を書く方がいいと考えています。
 そのため上記の通り現在は1週間の猶予があるものの、ひとつ前の記事提出から2週間目になるため、ペースを保ちつつ猶予も維持するという目的から明日と明後日でもう一本記事を書く予定です。ネタがある程度決まっていることもありますが、この猶予を維持した方が年末年始も過ごしやすいという計算があります。

 多少大きく出ると、2週間ペースであれだけの記事クオリティで出し続けることはなかなか他のライターにはできることじゃないと考えています。前述の通り、今年はあんま大した取材はしていませんが所々でアクセス稼ぐ記事は出せており、割と着眼点の良さで乗り切ったところが多いです。やはり同業者からも記事ネタの選び方で褒められることは多く、自分自身もこの方面で意外と才能があったのだなとしみじみ感じています。

 ただ最近少し反省しているところがあり、それというのもこのブログです。やはりJBpressの記事執筆を優先して更新をサボる回数が増えているほか、夏場は世を忍ぶ仮の仕事が繁忙期に当たるため更新が激減することは仕方ないにしろ、以前と比べても何が何でも更新するという意欲は落ちてきています。
 そうした心境が反映されてか、ブログ記事内容も段々クオリティが落ちてきていると自覚しています。この前連載した日本の歴史観の記事なんかはそうした落ちたクオリティを挽回する目的で書きましたが、今日のこの記事もなんも書くものがないとしばらく考えてから書き始めています。

 なんでブログ記事の質が落ちているのかというと、世を忍ぶ仮の仕事が以前と比べても激キツになって、疲労がたまりやすくなっているのがある気がします。単純な仕事の能率で言えば5年くらい前と比べて80%くらい増しているのですが、それ以上に業務量が100%超は確実に増えており、最近割とガチで上に対し「はよ増員せえ!( ;∀;)」と言い始めています。
 やっぱりこうした執筆活動は、追い詰められた際にポンといいのが出ることも多いけど、心に余裕がある時の方が安定したクオリティは保ちやすいです。今年10月なんかはまさにそんな状態で、ブログもJBpressでも割といい記事出せてたと思います。

 何気に疲労がたまっているのを今日はっきり自覚できたというか、私用のために午後半休して家に午後4時くらいに帰宅して昼寝したら、あっさりと7時半までぐっすり眠ってました。今夜きちんと寝られるか今から不安ですが、やはり体が披露しているというのがよくわかったので、明日と明後日の週末は記事書き終えたらしっかり寝ようと思います。ゲームさえなければ。

2020年12月3日木曜日

日本下げ記事の需要

 今日会社の同僚に「どうしたの、顔色悪いよ(;゚Д゚)」とマジで心配されました。別に何か体調悪いという自覚はないですが、今日は早めに寝ようと思います( ˘ω˘)スヤァ

 そういうわけで本題ですが、先週月曜に配信された私のシーラカンス記事ですが、普段はこういうことしないのですがこの記事に関してはちょっと気になることがあり、今日もヤフコメのコメントを確認していました。実際に見てもらえばわかりますが、未だに新規のコメントが追加されており、3日前くらいなんかそこそこの量のコメントが増えています。でもって、後半のコメントほど日本の現状を深刻視する意見が多く、恐らく問題意識を高く持っているからこそこうして記事にコメントしていただけてるのだと思います。

 前の記事にも書きましたがこの記事は実験的な意味合いが強い記事で、マクロ的な内容が今の読者に受け入れられるのかということを確かめる目的をはっきり持って出しました。ただ自分の想定とは別で、思っていた以上に日本の現在の停滞について問題意識を感じている人が多く、それがコメント欄にも強く反映されたことはうれしい誤算でした。
 なお記事内容に批判的なコメントを見ていて気が付いたのですが、やたらQR決済ばかり槍玉にあげていて、他のサービスについてはほぼ全く言及がありません。思うにQR決済はまだギリギリ理解できるけど、他の私が記事中で提示したサービスは想像もつかないから批判が出来なかったのだと思います。それこそ今中国で一般的なサブスクリプションサービスなどは、説明してもいまいち理解されない可能性も感じます。

 話は戻しますが、私自身は今回の記事でそんなに日本下げを意識して書いたわけじゃなかったものの、結果的には日本下げ的な内容がかえって受けました。これはそれこそJBpressで記事を書き始めた2016年くらいだとあり得ない事態で、当時は日本の何かを批判する際は必ず、「日本はこんなに優れている。けどここが惜しい!」みたいなフォローを意識して入れていました。出ないと読まれなくなるからです。
 しかし今回はあまりそうしたフォローを入れずとも逆に肯定的な評価がされてしまい、拍子抜けするとともに、日本の現状についてはっきりと問題意識を持っている人が増えていると実感されました。まどろっこしいこと言わずに結論述べると、これまでは日本上げ記事が非常にもてはやされましたが、あんがいこれからは日本下げ記事の需要も高まっていくかもしれないと考えています。

 需要が高まるとは言いましたが、現時点でも日本下げ記事は中国下げ記事同様にアクセスは稼げます。但しそれは炎上によるもので、まともに読まれているかと言ったら自分としては疑問なので、はっきりとした根拠やそうと感じさせる背景、比較要素なしではそういう記事は書かないようにしています。
 しかし現実にはこのブログで書いているように、日本が諸外国に比べ立ち遅れているところは中国と比較するだけでもかなりあります。そうした面に関しては先ほどにも書いたように、日本をフォローしつつ私も可能な範囲で紹介していましたが、その度に「このライターは中国人だ!」などという根拠のない批判を受け続けていました。それが今回はなかったわけで、逆に物足りなく感じる辺り自分もメンタル強いなと感じます(・ω・)

 JBpressさんには記事を出させてもらっていることから私としてもなるべくアクセスを稼ぐことを前提に記事内容を選んでいますが、これまでは上記背景からあくまで中国事情の紹介にとどめ、日本下げ記事は避けてきました。しかし今回の記事を受けて、極端に炎上を狙うような内容じゃなければアクセスも稼げるし、耳を貸してくれる人も増えているのだから、書いた方がいいのかなと思うようになってきています。まぁ個人的には、日本下げ記事よりも中国上げ記事の方が穏当になりやすいので、そういう記事を書いていきたいものですが。

 それにしても、昨日の夜に記事書いてた頃と比べるとなんか今はかなり楽です。やっぱり知らないところで昨夜辺りは疲労がたまっていたのかもしれません。今日は早く寝よう、でもその前に「グノーシア」で遊ぼう。

2020年12月2日水曜日

ネオ皇国史観は何故衰退したのか?

 先日、合計8回に及んだ日本の歴史観に関する連載を終えましたが、この連載は途中で愚痴ったくらいに当初の想定以上に編集作業で苦しみました。大まかに書く内容自体は決めていたものの、いざ実際に書き始めてあれこれ構想を練っていたら途中からいろいろ気づくところも出てきて、4~5回で終わるかと思ってたらこんな長くなりました。
 ただ着眼点自体は悪くなかったと思え、言及する人は少ないながらも2000年代に入ってから昭和時代のスタンダードであった自虐史観とは明らかに異なる歴史観が少なくとも二つ存在するとはっきり言明したこと、いまいち定着する名称のなかったこの二つの歴史観をそれぞれネオ皇国史観と半藤・保坂史観と名付けたことは個人的には小さくない仕事だと考えています。

 そんな苦労話を振り返りつつ改めて議論すべき、っていうか議論が足りなかったのは、既に連載中の記事でも結構長めに書いた、ネオ皇国史観が衰退した理由です。一時はそれこそ「自虐史観VSネオ皇国史観」みたいなはっきりとした二極構造まで見せたのに、今現在はもはや歴史観としても認知されず、単なる極右思想に付随する歴史認識くらいにまでなり下がっています。

 盛り上がった理由については連載記事にも書きましたが、冷戦構造の終結、中国や韓国の台頭とそれに対する日本人の反感の二つが大きいと指摘しましたが、特に後者は南京大虐殺問題と従軍慰安婦問題が大きな論点となったことが大きいです。
 ただこうした盛り上がった理由については、現在の衰退ぶりと比較するといくらか矛盾があります。どんな矛盾かというと、中国や韓国に対する反感は現在、当時以上に強まっている上、先の二つの歴史問題も収まるどころか今もくすぶり続けているからです。先ほどの理由がネオ皇国史観が盛り上がった理由なら、むしろ現代の方がその勢いは強くなっているのが自然であるのに、むしろなんで衰退してるんだってことになります。でもって、この点を考えることがネオ皇国史観の衰退原因を探る上で大きなとっかかりになるでしょう。

 まず歴史問題に関しては意外と解釈は簡単で、論争がなくなってきたということが大きいです。南京d内虐殺に関しては今もあったかなかったかでそこそこ議論は盛り上がるものの、中国が90年代に行っていた反日教育が現在は弱まったこと、そこそこ経済成長して余裕を持ち、訪日などをきっかけに前ほど日本に対する憎悪を持たなくなってきて、以前と比べるとこの問題に対する熱は明らかに引けてきています。
 もっとも今でも中国人に南京大虐殺の話題に触れると確実に怒られるので、余計な論争を吹っ掛けるつもりじゃないならわざわざ触れない方がいいです。

 次に従軍慰安婦問題に関してですが、これは「韓国の言っていることの方がおかしい」と考える日本人が大半、私の感覚では七割を超えるようになって、日本国内での日本人同士の論争が完全になくなってきました。
 特にこの前も最高裁が結審しましたが、最初にこの問題を大々的に取り上げた朝日新聞自体が誤報だったと認め、またその記事を書いた元記者が誤報に関する名誉棄損で訴えた訴訟も、「名誉棄損にあらず」と判決が出て、いろんな意味でかつてと比べると信用を失っています。また韓国政府の対応も、従軍慰安婦問題で関係者救済寄りだった日本人らに「これはおかしい」と思わせ、少なくとも日本国内ではもはや歴史問題ですらなくなりつつあります。

 上記のようにネオ皇国史観が支持を集めるようになるきっかけとなった主張が、今や日本で一般化されてきて、「別にネオ皇国史観じゃなくても……(´・ω・)」という風になったことが、衰退原因の一つと考えています。それでも中国や韓国に対する反感は今の日本人も強いですが、それはもはや歴史問題ではなく現代の経済問題であり、歴史観からはある意味切り離されてきているのかもしれません。

 そうした対外的背景に加えて、やっぱり支持層の分裂も衰退理由として大きいでしょう。ネオ皇国史観の当初の支持層を羅列すると、

・天皇崇拝の強い極右主義者
・とにかく米国が嫌いな反米主義者
・戦没者遺族
・自虐史観に嫌悪感を感じていた人たち

 ざっとこの四種類に大別できると思います。ネオ皇国史観の中心提唱者に当たる新しい教科書をつくる会メンバーはほぼ上二つの属性を持つ人たちでしたが、途中で反米右翼と親米右翼で仲違いして分裂しました。この時点でもかなり勢力が削がれましたが、それ以上に致命的だったのは三番目の属性の「戦没者遺族」達が支持層から離れていったことだと自分は考えています。

 何故戦没者遺族の層が支持から離れていったのかですが、一つは単純な自然死で、年月の積み重ねとともに従軍経験者や遺族らは現在もどんどん減少しており、これがネオ皇国史観にも直撃したと考えられます。
 次に、ネオ皇国史観提唱者らが戦争指導者を正当化しようとしたことが地味に大きいとみています。具体的には、「当時の陸軍や海軍幹部の決断や行動は正しく、米国に追い込まれて戦争に至ったけど彼らは必至で頑張っていたし、戦犯にされて殺されたのは悲劇だった」みたいな主張をしたのが最大の悪手だったと私は考えています。

 実際に当時のネオ皇国史観提唱者らの主張みていると、東条英機とかをかなり礼賛していたりして、今見るとなんじゃこりゃみたいな内容も少なくないです。私自身、どっからどう評価しても東條に関しては弁護する余地は全くないとみています。石原莞爾も、「自分と対立してたってみんな言うけど、東條には思想がないから対立のしようがない」と言ってましたが、実際その通りで鳩山由紀夫元首相といい勝負だとみています。東條も昭和天皇相手に「トラスト・ミー」みたいに言ってるし。
 東條に限らなくても、牟田口や辻など米国の勝利のためにわざと自軍の兵力を無駄に損耗させたり、無茶な命令にも現場で奮闘した下士官に責任押し付けて処刑しまくった宦官みたいな連中も旧軍幹部に多いですが、ネオ皇国史観の連中はこういう幹部らも「国に殉じた」などと悦に入って誉めそやしてました。

 私自身、ネオ皇国史観提唱者の上記のような主張や発信を見て、「あ、そういう思想なんだ」と思って一気に支持しなくなりました。ただ私以上に、上記の敗北に導いた幹部らによって命を散らされた兵や士官の遺族らは、失望感を持つようになったのではないかと思います。
 当時の報道などを思い起こすにつけ、遺族らとしては自虐史観で日本の兵隊は虐殺や略奪ばかりしていたという主張に反発を抱きつつ、無茶な命令にも国のためと思って殉じたということを理解してほしいという感情が強いように見えました。それだけに自虐史観の対抗馬として出てきたネオ皇国史観を当初支持したものの、彼らを死に追いやった無責任な幹部らまで提唱者が称賛し始めたのを見て、離れていったんじゃないかという風に見ています。

 実際、私から見てもかなりドン引きな内容をネオ皇国史観提唱者らは一時期主張していました。それゆえ、ある意味最も強固な支持層を自ら離れさす結果となり、「上は無能・無責任ばかりだったが現場の士官や兵隊たちは本当に勇敢だった」とする半藤・保坂史観に流れる結果を生んだとみています。まぁ本人らがそれでいいと思うのなら、別にそれでいいとは思いますが。

2020年12月1日火曜日

二重経歴者の高まる強み

 友人にMRJのプラモ制作を勧めたら丁重に断られた後、「水槽に沈めたり、砂に埋もれさせたりして退廃的に見せたらいいかも」と案外ノリノリでした。

 話は本題ですが以前にも紹介した「ハコヅメ」という警察漫画ですが、リンク先でも話題になっている通り好調なまま連載が続いています。驚異的なのはその連載ペースで、2年半で単行本がすでに15冊に達するなど、恐ろしいペースで原稿枚数が積み上がっています。なんでこんなに早いかって毎回大量のページ数で連載続けられているせいで、作者がガチで元警官なだけあってやはり他の漫画家と比べても体力が有り余っているのが見て取れます。
 マジな話、どの業界、どの仕事でも体力あるというのはやっぱり強みでしょう。ちなみに自分も昔は6時間くらい翻訳やったらガス欠してたけど、今調子のいい時なら10時間は集中力保てます、っていうか保てないと仕事的に追いつかないです。

 それでこのハコヅメですが、こう言っては何だけど世の中の警察漫画のハードルを一気に引き上げてしまっているとも見ています。他の警察漫画では一切描写のなかった警察学校の中とか、警察署内での具体的な作業風景、張り込みのリアル(車中泊一週間)など、取材とかでは追えない実体験者じゃないとわからない描写が非常に多いです。逆にこうした描写を見た後だと、「他の警察漫画はやっぱりフィクションなんだな」なんていう風にどうしても思ってしまいます。ハコヅメ自体がフィクションと突っ込まないように。

 やはりなんにしても、取材した内容よりも作者が実際に体験した話の方が読み手に取って面白いというのは絶対的に揺るがない事実でしょう。逆を言えば、漫画家をはじめとするクリエイターは今の時代、ただ漫画だけを描いているだけだったら手持ちの武器としては弱い、というか実際にそうなっているように見えます。
 単純に画力などを含め昔と今とを比べると連載作家に求められる水準は大きく引き上げられており、その上ストーリーも求められるとなると如何に他の作家と異なる自分だけの持ち味を出せるか持ってるか、こうした点が成否を大きく分けてくるでしょう。

 かくいう自分も、他の記者と違って無駄に転職してきたことが今大きな武器になっています。やはりずっと新聞社などで記者業しかしたことない人と比べると、一般的なメーカーや商社の価値観やサラリーマン風景に対する認知が違うし、今いる職場も世間で言えばかなり特殊な業界なので、そうした特殊性から一般社会と距離を置いて物を見ることができるようになっています。
 そもそも私の人生自体が「小説に書いたら売れるよ」とリアルで言われるほど無意味に波乱に富んでしまっており、その点でもはや変わった感覚と視点を持つに至っています。ただこうした、一つの職業や業界だけではない複数の経歴、敢えて言えば見出しに掲げた二重経歴(なんか幽白っぽい表記だ)を持つ人間というのは、案外これからの時代はますます強くなるんじゃないかと思います。

 次々回のJBpress記事でまた雇用関係の話を書こうかと現在準備していますが、いよいよもって日本の雇用慣行はそろそろ崩れるとみており、雇用の流動性が高まるにつれて上記の二重経歴者が増えてくるかと思います。もっともそう言った二重経歴者を日系企業が上手く使えるかはわかりませんが、ことクリエイターに関しては今以上に変わった経歴を持った人が今後登場してきて、ハコヅメみたいにそれまでの同系列の漫画を過去にしてしまう人も出るかもしれません。
 そういう意味でこれから漫画家や小説家を目指そうっていう人なら、漫画や小説作品を作る技術もさることながら、他の人間とは異なる特殊な体験や経歴を積むようお勧めしたいです。それこそフランス行って傭兵部隊に入るとかそういう激烈な体験があればあるほどデビューの目は高まる一方、漫画や小説一本足打法だと、綾波レイみたく替わりはいくらでもいるものになってしまうかもしれません。

 ちなみにその手の変わった経歴の漫画家で言えば、先日訃報が報じられた「釣りキチ三平」の作者である矢口高雄は元銀行員という方で、なんか銀行業界の漫画も描いてたらしく面白かったと聞いて興味を持っています。
 あと島耕作シリーズ作者も元パナで有名ですが、彼の場合は会社を離れても取材力の高さで上手くその物語に現実を反映できていたと思います。ただ元同僚たちは部長までしか出世できず、「部長より先の階級の話はぶっちゃけファンタジー」と言ってて面白いのですが、「部長以前も十分ファンタジーじゃん(´・ω・)」と突っ込んだらいけないのでしょう。