先日、合計8回に及んだ日本の歴史観に関する連載を終えましたが、この連載は途中で愚痴ったくらいに当初の想定以上に編集作業で苦しみました。大まかに書く内容自体は決めていたものの、いざ実際に書き始めてあれこれ構想を練っていたら途中からいろいろ気づくところも出てきて、4~5回で終わるかと思ってたらこんな長くなりました。
ただ着眼点自体は悪くなかったと思え、言及する人は少ないながらも2000年代に入ってから昭和時代のスタンダードであった自虐史観とは明らかに異なる歴史観が少なくとも二つ存在するとはっきり言明したこと、いまいち定着する名称のなかったこの二つの歴史観をそれぞれネオ皇国史観と半藤・保坂史観と名付けたことは個人的には小さくない仕事だと考えています。
そんな苦労話を振り返りつつ改めて議論すべき、っていうか議論が足りなかったのは、既に連載中の記事でも結構長めに書いた、ネオ皇国史観が衰退した理由です。一時はそれこそ「自虐史観VSネオ皇国史観」みたいなはっきりとした二極構造まで見せたのに、今現在はもはや歴史観としても認知されず、単なる極右思想に付随する歴史認識くらいにまでなり下がっています。
盛り上がった理由については連載記事にも書きましたが、冷戦構造の終結、中国や韓国の台頭とそれに対する日本人の反感の二つが大きいと指摘しましたが、特に後者は南京大虐殺問題と従軍慰安婦問題が大きな論点となったことが大きいです。
ただこうした盛り上がった理由については、現在の衰退ぶりと比較するといくらか矛盾があります。どんな矛盾かというと、中国や韓国に対する反感は現在、当時以上に強まっている上、先の二つの歴史問題も収まるどころか今もくすぶり続けているからです。先ほどの理由がネオ皇国史観が盛り上がった理由なら、むしろ現代の方がその勢いは強くなっているのが自然であるのに、むしろなんで衰退してるんだってことになります。でもって、この点を考えることがネオ皇国史観の衰退原因を探る上で大きなとっかかりになるでしょう。
まず歴史問題に関しては意外と解釈は簡単で、論争がなくなってきたということが大きいです。南京d内虐殺に関しては今もあったかなかったかでそこそこ議論は盛り上がるものの、中国が90年代に行っていた反日教育が現在は弱まったこと、そこそこ経済成長して余裕を持ち、訪日などをきっかけに前ほど日本に対する憎悪を持たなくなってきて、以前と比べるとこの問題に対する熱は明らかに引けてきています。
もっとも今でも中国人に南京大虐殺の話題に触れると確実に怒られるので、余計な論争を吹っ掛けるつもりじゃないならわざわざ触れない方がいいです。
次に従軍慰安婦問題に関してですが、これは「韓国の言っていることの方がおかしい」と考える日本人が大半、私の感覚では七割を超えるようになって、日本国内での日本人同士の論争が完全になくなってきました。
特にこの前も最高裁が結審しましたが、最初にこの問題を大々的に取り上げた朝日新聞自体が誤報だったと認め、またその記事を書いた元記者が誤報に関する名誉棄損で訴えた訴訟も、「名誉棄損にあらず」と判決が出て、いろんな意味でかつてと比べると信用を失っています。また韓国政府の対応も、従軍慰安婦問題で関係者救済寄りだった日本人らに「これはおかしい」と思わせ、少なくとも日本国内ではもはや歴史問題ですらなくなりつつあります。
上記のようにネオ皇国史観が支持を集めるようになるきっかけとなった主張が、今や日本で一般化されてきて、「別にネオ皇国史観じゃなくても……(´・ω・)」という風になったことが、衰退原因の一つと考えています。それでも中国や韓国に対する反感は今の日本人も強いですが、それはもはや歴史問題ではなく現代の経済問題であり、歴史観からはある意味切り離されてきているのかもしれません。
そうした対外的背景に加えて、やっぱり支持層の分裂も衰退理由として大きいでしょう。ネオ皇国史観の当初の支持層を羅列すると、
・天皇崇拝の強い極右主義者
・とにかく米国が嫌いな反米主義者
・戦没者遺族
・自虐史観に嫌悪感を感じていた人たち
ざっとこの四種類に大別できると思います。ネオ皇国史観の中心提唱者に当たる新しい教科書をつくる会メンバーはほぼ上二つの属性を持つ人たちでしたが、途中で反米右翼と親米右翼で仲違いして分裂しました。この時点でもかなり勢力が削がれましたが、それ以上に致命的だったのは三番目の属性の「戦没者遺族」達が支持層から離れていったことだと自分は考えています。
何故戦没者遺族の層が支持から離れていったのかですが、一つは単純な自然死で、年月の積み重ねとともに従軍経験者や遺族らは現在もどんどん減少しており、これがネオ皇国史観にも直撃したと考えられます。
次に、ネオ皇国史観提唱者らが戦争指導者を正当化しようとしたことが地味に大きいとみています。具体的には、「当時の陸軍や海軍幹部の決断や行動は正しく、米国に追い込まれて戦争に至ったけど彼らは必至で頑張っていたし、戦犯にされて殺されたのは悲劇だった」みたいな主張をしたのが最大の悪手だったと私は考えています。
実際に当時のネオ皇国史観提唱者らの主張みていると、東条英機とかをかなり礼賛していたりして、今見るとなんじゃこりゃみたいな内容も少なくないです。私自身、どっからどう評価しても東條に関しては弁護する余地は全くないとみています。石原莞爾も、「自分と対立してたってみんな言うけど、東條には思想がないから対立のしようがない」と言ってましたが、実際その通りで鳩山由紀夫元首相といい勝負だとみています。東條も昭和天皇相手に「トラスト・ミー」みたいに言ってるし。
東條に限らなくても、牟田口や辻など米国の勝利のためにわざと自軍の兵力を無駄に損耗させたり、無茶な命令にも現場で奮闘した下士官に責任押し付けて処刑しまくった宦官みたいな連中も旧軍幹部に多いですが、ネオ皇国史観の連中はこういう幹部らも「国に殉じた」などと悦に入って誉めそやしてました。
私自身、ネオ皇国史観提唱者の上記のような主張や発信を見て、「あ、そういう思想なんだ」と思って一気に支持しなくなりました。ただ私以上に、上記の敗北に導いた幹部らによって命を散らされた兵や士官の遺族らは、失望感を持つようになったのではないかと思います。
当時の報道などを思い起こすにつけ、遺族らとしては自虐史観で日本の兵隊は虐殺や略奪ばかりしていたという主張に反発を抱きつつ、無茶な命令にも国のためと思って殉じたということを理解してほしいという感情が強いように見えました。それだけに自虐史観の対抗馬として出てきたネオ皇国史観を当初支持したものの、彼らを死に追いやった無責任な幹部らまで提唱者が称賛し始めたのを見て、離れていったんじゃないかという風に見ています。
実際、私から見てもかなりドン引きな内容をネオ皇国史観提唱者らは一時期主張していました。それゆえ、ある意味最も強固な支持層を自ら離れさす結果となり、「上は無能・無責任ばかりだったが現場の士官や兵隊たちは本当に勇敢だった」とする半藤・保坂史観に流れる結果を生んだとみています。まぁ本人らがそれでいいと思うのなら、別にそれでいいとは思いますが。