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2021年1月19日火曜日

逆転評価記事の裏側

悪者じゃなかったの?歴史的評価が大逆転した2人(JBpress)

 ということで毎度ながらのヤンマガ風自分の記事紹介ですが、今回の記事は当たりましたヤフコメを見ると既に1000件を突破しており、またJBpress内のランキングも昼過ぎには一時1位に入っていました。地味に関連リンクが付けられた他のJBpressの歴史記事のアクセス数も引き上げており、今回はJBpressのPV数にかなり貢献できたと自負しています。
 何気に最近出した自分の歴史記事はあまりアクセス数が奮わず、「今まで当たった記事は運が良かっただけだったのかな(ヽ''ω`)」などとやや自信を無くしていた矢先だったのですが、今日はそれこそ画面を切り替えるごとに伸びてゆくヤフコメ件数などを見て、「見たか!俺の実力ヽ( ゚Д゚)ノ」みたいにやたらとテンション上げていました。

 そんなテンションアゲアゲなこの記事ですが、提出したのは実は年末で、書いたのは3週間くらい前です。なんでそんな大分前に出したのかというと、年末年始はバタバタするだろうから早めに記事出しておいた方が編集部としてもやりやすいのかなと考えたのと、自分も年末年始にあまり記事書くなど仕事したくないという理由からです。
 そうした判断から、それこそ二年くらい前から構想を温めていてすぐさまかけるこの記事ネタを選びました。何故二年もネタを温めていたのかというと、評価が逆転した歴史人物として石田三成と田沼意次はすぐピックアップしたのですが、マイナスからプラスじゃなく、プラスからマイナスに逆転した人物も誰か一人いるだろうと考えたものの、適切だと思う人物がなかなか見つからなかったからです。

 それでも半年くらい前に、ちょっと前の記事に書いたように山本五十六がちょうどそれに当たるかなとようやく思い当たったことからここで放出とばかりに年末に書きだしたところ、先の二名について書いたところであっさり文字数を使い切ってしまい、この二人でまとまってるしもういいやと割り切って出すことにしました。
 ちなみにこの記事を書くに当たって最初に見直したのはこの動画でした。

 記事内容自体は特に何か工夫なり仕掛けをしたわけではなく、自分なりに評価逆転の経緯を簡潔に書くように努めました。結果的には山本五十六を省いた分だけしっかりかけ、またあまりディープになり過ぎないよう書いたことが読み手にいい作用をもたらし、比較的好評な結果を得るに至ったと考えています。
 ネタ的に歴史マニアをそこそこ刺激しやすい話の切り口だったことからか、ヤフコメを見ると吉良上野介や大久保利通、平清盛など、もっと評価を見直すべき人物としていろいろな人物が挙げられるなどして盛り上がっています。一部コメントでも、「ここに寄せられているコメントを見ているのが楽しい」と書いている人がいますが、私自身も同感で、いい歴史討論ネタを上手く提供できたと思えます。

 なおコメントの中で、「今回この記事に挙げられている二人とも官僚で、官僚はその所属する政権の浮沈によって評価が左右されやすい」という内容が書かれているものがあり、この指摘は大変見事なものだと自分も感じ入りました。実際その通りで、官僚というのは自身の功績や能力以上に、所属する政権によって良い悪いの評価が付けられやすいところがあり、分析などでは確かに難しい点があります。
 私自身も以前にこのブログで、「仮に石田三成が豊臣家を裏切り徳川家についたならば、日本史上最高の施政家として名を残しただろう」という評論をしたことがありますが、これもまさに所属した政権に左右される傾向がみられる一端と言えるでしょう。

 これ以外にあんま書くことはないけど、割と久々に自分の記事でスマッシュヒットを、しかも歴史記事で出せたので非常に満足しています。恐らく今年は中国ネタについては、去年もそうでしたが仕事が忙しくてあまり書けなくなる可能性があり、さらに歴史ネタが増えるのではないかと自分で予想しています。
 その歴史ネタですが、やはりそろそろ本格的に書いてみたいと思っているのが現代史で、昭和と平成にかけてのネタをちょっと意識的に書いてみようかと検討しています。ついさっきも「90年代後半の日本金融史は下手なドラマより面白いんだぞ!(# ゚Д゚)」などとわけわかんないことを同僚に吠えていましたし。

2021年1月17日日曜日

日本のモノヒト感染に対する意識の薄さ

 中国でアイスクリームからコロナウイルス検出というニュースが話題となっています。この件に中国ではその後、「アイスクリームに使う外国産原材料からもウイルスが検出された」と報じていますが、中国国産アイスクリームからの検出という初期報道を見て日本ではネットを中心、「やはり中国国内ん感染者がたくさんいるのだろう」、「これまで隠蔽していたのだろう」などという意見が見られます。

 この件について中国側の原材料に関する報道の真偽についてはもう少し待ってから判断すべきと思いますが、個人的には日本側の反応の方が興味深いとみています。ポイントは二点あり、一点目は「何故今回だけ大きく反応するのか」という点です。
 というのも中国ではこれ以前、秋口くらいから外国から入ってきた冷凍魚などの一部貨物からもウイルスが何度も検出されており、食品や貨物からのウイルス検出は今回が初めてじゃありません。やはり「国産アイスクリーム」という点で中国を叩くに好材料であったことが大きいです。

 二点目は、「っていうか中国はアイスにもPCR検査しているのかよ?」といった反応です。感がいい人ならわかるでしょうが、人から人への感染ではなく物から人へのモノヒト感染に対する意識がやはり日本は薄いことを示す証左であるように感じます。

 現在日本の感染対策としてはともかく対人接触を避ける、いわゆる三密対策が主となっています。
 ちなみに以前ネットで「三密では何を意味しているのかわかりにくい」といって、「集まらない、近づかない、密閉空間にいない」の三つをとって「集・近・閉(しゅうきんぺい)」を流行らせるべきと言った人がいましたが、確かに私もこっちのが分かりやすい気がします。

 話を戻すと現実にはコロナウイルスはヒトヒト感染もさることなら、物を媒介としたモノヒト感染の割合もかなり高いように感じます。そもそも最初に大規模感染が確認された武漢市においても海鮮市場が起点とされており、その場所がらを考えると、冷凍された海鮮物を経由してきた可能性も考えられます。また上海で去年秋に確認された感染者も空港の物流倉庫勤務者の方々で、これも冷凍されたような貨物に付着していたのではないかと言われています。
 少なくとも感染者は夏に一時減少し、冬に再び増大していったことを考えると、コロナウイルスは低温で乾燥した状態ほど長持ちし、活発化しやすい傾向があることはほぼ間違いありません。そうした特徴を考慮する限り、貨物、特に冷凍物などは格好の媒介物となりえ、こうした貨物経由でのモノヒト感染に対する注意も求められてきます。

 なお個人的な見解を述べると、緊急事態宣言が出されながらも東京では依然と満員電車が見られるとされながら、そうした満員電車でのクラスター発生は未だ報じられているのを見たことがありません。報道が隠蔽されている可能性もありますが、あの密閉空間でのすし詰めと、東京での感染者数の増加ぶりを考えるとどうして満員電車クラスターが発生しないのかがやや不思議で、実はヒトヒト感染は実はあんま移り辛く、モノヒト感染のほうが経路としては大きいのではと勝手に睨んでいます。

 話を戻すと、こうしたモノヒト感染について中国側はある程度警戒しており、エレベーターなの設備は商業ビルなどでは1時間ごとのアルコール殺菌が今も続けられています。また今回のアイスクリームに対するPCR検査も、日本側で驚きとともに報じられるということは、日本ではあまり行われていないのだなと類推します。
 日本でも殺菌措置などはある程度行われているとは思いますが、それでもやはりモノヒト感染に対する意識が極端に薄いのではと去年から考えていました。もちろんヒトヒト感染対策の徹底はモノヒト感染対策も兼ねることになりはするものの、もう少し人が触れやすいところとかへの警戒があってもいい気がします。それ以上に、前述の通りコロナが長く付着し続けやすい冷凍物については、特に感染が爆発的に流行している欧米からの貨物に特別な警戒がもっと必要でしょう。

 改めてモノヒト感染で検索したところ、あまり日本語では情報がヒットしません。冒頭には嫌なページが出てくるし。もしかしたら別の用語があるのかもしれませんが、少なくとも私はモノヒト感染に相当する用語を見たことがありません。
 この点について日本にいる友人に話したところ、「恐らくその感染ルートを報じたら日本の物流とかでパニックが起こる」と言われ、なんとなくそういう背景だからメディアとか政府も黙っているのではとやや疑っています。はっきり書くと、私の目からして日本のモノヒト感染の無警戒ぶりは異常です。

スーパーホーネット作った( ´Д`)=3



 先週、水のトラブルでシール貼りが出来ず完成させられなかったプラモこと、「F-18 E スーパーホーネット」を昨夜作り上げました。キットは今回も韓国アカデミー世の物を使い、やたらシールの種類が多くて思ったより時間食いました(;´Д`)


 スーパーホーネットとは、米海軍で現在も運用されている戦闘機です。横須賀当たりに行けばみられる代物ですが、エンジン音が極端にうるさく、本国でも騒音訴訟が起こされています。


 知ってる人には早いですが、スーパーホーネットはその前身である「ホーネット」のアップグレード版です。既存のホーネットが古くなり性能が追い付かなくなったものの、新たに一から設計するくらいはとばかりに、期待を大型化して電子装備などを一新して作られた背景があります。
 ガンダムで例えるなら、ザクとハイザックみたいな関係です。「ハイザックC」はギレンの野望でめちゃ使える。


 このホーネットの特徴としては、エラが張っているというか、主翼がコックピット真下まで伸びている点です。本体と翼を一体化するという設計の下、その設計構想が最も極端に出た設計になっています。
 その出っ張ったエラのせいで、翼下のエアインテーク部分が影となってやたら撮影し辛かったです( ゚д゚)、ペッ


 今回このキットを選んだのは尾翼のドクロマークのシールがついてたからです。これはマクロスのスカル小隊、じゃなくて米海軍のジョリーロジャースという部隊のマークで、プラモ界でも非常に人気のあるシンボルです。その人気ゆえにマクロスも丸まんまパクったのですが、F-14トムキャットのプラモでもジョリーロジャース版が一番人気があると思います。


 このほかこのキットを選んだ理由として、友人が前から一つキットを組んでくれと言っていて、作るとしたら何かと考えた際、

・場所を取らないようあまり大きくない
・見栄えがするもの
・戦闘機に詳しくないからオーソドックスな機体

 この条件で勘案して、店に置いてある奴の中で選んだところこのジョリーロジャース番スーパーホーネットがいいという結論に至りました。


 もう一つホーネット系の特徴としては、機体先端のノーズが長いことです。そのため見方によってはくちばしの長いカモノハシみたいな印象を覚えます。

旧版(レガシー)ホーネットとの比較、全長ではっきり差がある

レガシーホーネットは以前にタミヤのキットで作ったもの
デカールの差でやはりアカデミーの方がかっこよく見える

左からF-4ファントムⅡ、F-14トムキャット、レガシーホーネット、スーパーホーネット
狙ってたわけじゃないけどF-4以降の米海軍機が手元に揃ったので記念撮影


後ろの黒い物体はディズニーランドで買ってきたトートバッグ
狙ってたわけじゃないけど後ろ向きに絵柄が隠れててラッキー(・∀・)

 今回は店に置いてあるキットの中で選んだことからアカデミーのキットを使いましたが、このメーカーは前述の通り割と派手なデカールが揃っているのが非常にプラスなところです。
 ただこの前作ったトムキャットのデカールが早くも剥がれ始めており、なんかデカールの定着が弱いように感じます。ファントムは水シール(デカール)じゃなくて一般的な粘着シールで張り付けたからそういうことないけど。

 またこのスーパーホーネットのキットに関しては、接着剤をあまり使わずともパーツ同士を構造的に組み合わせるだけで簡単に組み上がるようになっています。そのため組立自体は非常に簡単であったものの一部で、「これ接着剤で着けるようにした方がよくね?」と感じる箇所がありました。
 具体的にはピラーの部分で、穴があってそこに突き刺すようにして組み込むパーツなのですが、この穴がやたら狭く、かなり力を入れないと全く入り込まないようになっていました。余りにも固いもんだから、差し込むときに力が余って折れないかひやひやになるほどで、差し込んだ後は親指とかがめちゃ痛かったです。

 またデカールが豊富なのは良いんですが、一部のデカールは組立作業中じゃないと絶対に貼れないのに、説明書ではその旨がきちんと書かれていなかったりとやや不親切な点が見られます。全体として悪くはないんだけど、単純に組み立てる楽しみであればやっぱタミヤやハセガワの方が上かなという印象です。

 そういうわけでこのスーパーホーネットはこの後友人に引き渡しです。あと昨日はまたプラモ屋行って、春節の間に作るキットを購入済みです。

2021年1月15日金曜日

山本五十六の評価は低下気味?

 昨日JBpressの編集部からゲラ来てチェックしましたが、年末に書いた記事がまた次の月曜に掲載されます。今度の記事は歴史評価の逆転をテーマにしておりかねてから温めてきた内容だったのですが、書いてるうちにすぐ文字数使い切っちゃったので、当初この記事に加える予定だった山本五十六については一切触れずに終わってしまいました。
 具体的には、山本五十六の評価は近年、低下気味ではないかと言及するつもりでした。

 山本五十六と言えば言わずもがなの超有名人で、本人は米国との開戦を望んでいなかったものの図らずも海軍を当時指揮する立場であったことから、真珠湾作戦をはじめとする太平洋戦争初期の戦争を指揮し、最後は移動中を米軍に補足され、P-38ライトニングに撃墜されたことで戦死した人物です。
 っていうかこんなのあるんだな。

 話を戻すと、その山本五十六はかつては昭和の軍人の中でもピカ一の人気があり多方面から尊敬されていたのですが、なんとなく近年のメディアなどの取り扱いを見ていると、かつてと比べると人気が幾分低下気味であるように思います。さすがに否定的評価が肯定的評価を上回るほどではないものの、以前は褒められたり惜しまれたりすることしかなかったのに対し、近年は問題のあった判断だという指摘をよく見るようになってきました。

 仮に私の見立て通りに山本五十六の評価が落ちているとしたらそれは何故か。第一の理由としては、海軍善玉論が現代においてほぼ否定されつつあるからでしょう。
 この海軍善玉論否定の第一人者は、先日亡くなった半藤一利氏です。半藤氏の著作を見ると、海軍善玉論自体はやはり司馬遼太郎が大きく持ち上げたことが大きかったと述べる一方、やはり陸軍同様に海軍の責は多いと度々指摘しています。山本五十六自身は先にも書いた通りに開戦には反対の立場でありましたが、「やれってんなら二、三年くらいは暴れてやるよ」などというセリフを当時の政府首脳らにも言っており、半藤氏によると「断固開戦反対」というわけでもなかったと言わしめています。

 実際にというか海軍全体で本気で開戦を拒否していれば、どれだけ陸軍がごねても開戦には至らなかったとみる向きは大きいです。また陸軍内部の開戦反対派も重要な閣議で海軍側から「絶対に勝てないから無理」と反対してほしかったのに、そうした重要な閣議で海軍は毎回「難しいけど、陸軍さんがどうしてもやりたいというのなら……」などと消極的賛成を採ることが多く、陸軍内部の開戦反対派を大いに落胆させたと聞きます。
 このような海軍善玉論の否定、並びに山本五十六自身が断固反対的立場でなかったことが、かつてのイメージをやや崩しているところがあります。

 こうした開戦前の立場に加え、開戦後の指揮や行動に関しても否定的な意見が出ています。例えば米軍と開戦することになったとはいえ、やるからには早期に講和を持ち込むしかないと考えたというくだりですが、早期講和に持ち込むために「序盤で手痛い打撃を負わせる」方針を持って、真珠湾攻撃を敢行するに至ります。結果は知っての通り、確かに米国に予想を超える手痛い打撃を与えましたが、逆にそれで米国内の開戦意識を高め、早期講和どころか徹底抗戦に世論を反対に誘導するに至っています。
 実際私個人としても、手痛い打撃を負わせればすぐ講和に至るというのはいくらなんでも虫のいい話にしか聞こえません。それこそドイツも米国の領土に攻撃を加えるなど外の状況が悪化していくのならともかく、太平洋の領土がやられれば米国としてはむしろ燃え上がるのが自然です。

 むしろリメンバーパールハーバーさせるくらいだったら、フィリピンなどの東南アジアから先に攻めてそこをしっかり固めて米軍を疲弊させる方が良かったのではと個人的に思います。もっともこの案は実質的に持久戦論で、日本の国力では実行不可能だったのですが。
 となると米軍の士気を挫くとしたら、結局はハワイを占領して、太平洋を完全に占領するくらいまで持って行くほかなかったと思います。結果論だけど、奇襲だけじゃなくハワイを一気に上陸占拠するくらいしなきゃダメだったのかもしれません。

 戦術論はさておいて戻すと、もう一つ山本五十六の評価を下げているのは、真珠湾以降の指揮についてです。これに関しては自分からもはっきり否定しますが、どう見ても無駄に戦線を広げているようにしか見えず、余り戦略価値のない島々を占領しては陸軍に駐留させ、そこ米軍によって補給路を断たれて各個撃破されるという事態を招いています。山本五十六が決めたわけじゃないかもしれませんが、アリューシャン列島の占領なんて完全に無意味な進軍以外の何物でもないです。
 またミッドウェー海戦についても、あの戦闘では最初から最後まで攻撃目標が「艦隊撃破」にあるのか「島の基地破壊」なのかが曖昧であり、その曖昧ゆえに魔の兵装換装を招いたと言われています。私もそのように思っており、南雲忠一などはスケープゴートもいいところでしょう。

 以上を踏まえると、確かに真珠湾攻撃の成功は見事なものですが、見事過ぎて早期講和の道を自ら断ってしまっている節があります。そしてその後の指揮に関しても、なんていうか大目標がはっきりしていない節があり、それ故にオウンゴールを招いた面も大きいと考えています。
 まぁ誰がどう指揮したところで、太平洋戦争で日本が勝つというシナリオに持って行くことはまずできないので、損な役割を負ってしまった人物だとは思いますが。

2021年1月13日水曜日

半藤一利氏の逝去について

 いちいちリンクを貼ったりしませんが、元文芸春秋の編集長にして昭和史研究の第一人者であった半藤一利氏が先日、逝去されたことが報じられました。90歳の大往生ということですが、各界からはその功績を改めて称賛するとともに、亡くなられたことを惜しむ声が数多くみられます。

 つい一昨日の記事でも私は半藤氏の名前を出していますが、昨年末に書いた日本の歴史観をまとめる連載において改めて半藤氏の経歴を確認した際、既に日本の平均寿命を超える高齢であったことを確認して、同じ娑婆にいられるのも長くて数年、下手すれば明日かもしれないなと考えていました。そうした考えがよぎったこともあって五湖十六国関係の本を読み終えて手持無沙汰だった際、半藤氏の本を何か読もうと思い、先日にも新たに買い増した矢先でした。
 突然でない人の死はないというのが私の持論で、今回の半藤氏の逝去についても上記の年齢に対する前意識があったためそれほど突飛性は感じませんが、その遠からぬ逝去を感じた矢先だったというのは妙なタイミングのかちあいを感じます。

 敢えてもう少し書くとしたら、私が半藤一利氏のことを知ったのは文藝春秋の特集記事からで、「佐藤賢了とかと巣鴨プリズンで話聞いてた」などと、歴史の教科書に出てくるような人物名がポンポン出てくるのを見て、こんな人がいたなんてと確か2006年くらいにびっくりしたのを覚えています。その後、戦前の軍部に関する対談記事を見てまた更に感銘を受けて、半藤氏が手掛けた本などを読むようになりましたが、学者ではなく文藝春秋の編集者であったと知ってさらにびっくりしました。

 このブログを見てわかる通り、私自身も歴史に対する興味はかなり強く、JBpressとかでもネタに困った時なんかは歴史コラムを普通に書いたりしています。個人的に半藤を見て影響を受けたというか感じ入った点として、歴史を学問として専門的に学んでいなくても、ライターの立場でこうした歴史の事実探求に迎えるのだという点に凄く憧れを感じました。現在においても私は歴史を専門的に研究する立場になりたいとは思わないものの、ライターとしてどう歴史に向かうか、またそれをどう表現するかにおいては、今後もずっと半藤氏が憧れの立場に居続けると思います。

 今回の訃報に初めて触れた際、実は次のJBpress記事に半藤氏の追悼記事を書こうかと正直思いました。しかし直接会ったわけでもないし、中途半端に歴史を紹介しているだけの自分がそんなもの書いても蛇足にしかならないと思ってすぐそんなことはやめようと思いなおしました。ただ、書けるものなら書きたかったというのは偽らざる心情です。自分がここまで人の死を惜しむのも、水木しげる以来です。

 歴史観の連載でも書きましたが、現在の戦前の歴史評価に関しては半藤氏と保坂氏の考えや主張がベーシックになりつつあります。私自身もこれを支持する立場ですが、今回の半藤氏の逝去によって、完全な定着に至るかの分岐点を迎えると思います。
 同時に、定着というか完成に至った場合、次はいよいよ平成史に対する解釈議論が今後始まってゆくことになると思います。自分が関わるとしたら、恐らくこちらになるでしょう。

 末筆として、改めて半藤氏の冥福をこの場にてお祈りします。

2021年1月12日火曜日

スズキの2位躍進のニュースについて

スズキが初のホンダ越え! 国内2位躍進の裏に“軽だけじゃない”小型車作りの功(ベストカー)

 最近日本帰らないから雑誌はすっかり買えてないけど、地味によくできた記事をベストカーが出していたので紹介します。
 内容は見出しの通り、スズキがホンダを抜き去りトヨタに次ぐ国内2位の販売台数にのし上がったことを報じるものです。この記事のよくできている点はセグメントごとの販売台数をきちんとスズキとホンダで区別しており、スズキは軽自動車のみならず小型車の販売台数を伸ばしたのに対し、ホンダは軽自動車しかこのところ伸びておらず、その他のラインナップが不振であったことが要因ときちんと分析している点です。最近こうした単純なデータ比較すらやらない記事が多いので、久々にまともな記事を読んだ感じがしました。

 それにしてもスズキがホンダ、日産以上の販売台数を記録するなんて、10年くらい前は誰が想像したでしょうか。またバブル後にはホンダを吸収合併するとまで噂された三菱自動車が、国内最低の販売台数を叩き出すなんて誰が想像したでしょうか、と言いたいけど、ここ数年みるならこっちは当然の結果です。

 話を戻すと、近年はどのメーカーも選択と集中とばかりに自分が得意なセグメント車種に注力する傾向があり、マツダなんかSUV特化で特に顕著です。かつてはどのメーカーも、安物セダン、高級セダン、コンパクトカー、ミニバン、ステーションワゴンなどで指定でも1車種は揃えるフルラインナップをしいていましたが、近年そうした姿勢を維持しているのはマジでトヨタだけとなり、比較的余力のあるホンダや日産ですら苦手とする車種はバッサリ切っています。
 この辺、スズキの躍進にもつながりますが地味に「安価な小型車」がどのメーカーも手を出さなくなり、かえってこのセグメントもしっかり取り揃えていたスズキに対し、こうした車を求めるユーザーが集中したのではないかと思います。自分もこのセグメントが凄い好きでイグニス欲しいし、まぁイグニスは全然売れてないけど。

 同じ理由で評論家からの推しが最近やたら強いのが、スバルのレヴォーグです。なんでかっていうと、こうした正統派なステーションワゴンはマジでもうこれ一つだからです。
 一応カローラのフィールダー屋ツーリングなど一応ステワゴに入る車はありますが、やはり商用車なイメージが強く、レヴォーグとは一線を画します。かつては三菱とかでもギャランフォルティスのスポーツバッグなどでこうしてステワゴを出していましたが、マジで今まともなのとなるとこのレヴォーグだけになっているので、この手の車を求めるユーザー数は確かに減っているものの、ドラフトの一本釣りみたく意外とレヴォーグも成功するのではと見ています。

 もっともそういう他社の穴になっていて一本釣りになっている車と言ったらやはりスズキのジムニーが白眉なのは昔から変わりがありません。現行ジムニーがバカ売れしているのを見て、情け容赦ない系自動車業界の常というべきかダイハツも露骨にジムニーっぽい車出してきましたが、それでもジムニーのオリジナリティは依然と遠く、競合するには至っていません。
 そういう意味で最近の自動車メーカーはそうしたニッチなニーズを取りこぼしている気がします。ニーズのあるユーザー数は少ないけど、他社にはない独自性を持った車をもっと開発してもらいたいものです。

 それにしても日産はどうしてキューブを捨ててしまったのだろうか。あれこそコンパクトカーが至る極致の一つだと思うのに。

2021年1月11日月曜日

昭和の狭間の時代

 本題とは関係ないけどFF5で出てくる「次元の狭間」という設定はよくできている気がします。でもってFF5に出てくるレナはFF史上、最も影の薄いヒロインであるという気がします。っていうかヒロインか?

 そんな購入したはいいけどまだ全然遊んでいないFF10とかの話はいいとして、以前に平成時代も終わったというのに「昭和的」という単語がニュース記事に出てくることについて触れましたが、あの記事書いてからしばらくして、よく昭和は前期と後期(戦前と戦後)で分けられるけど、次元の狭間的に狭間の時代があるのではと思いつきました。言うまでもなくそれはGHQ占領時代で、具体的には1945年のマッカーサー上陸から1952年のサンフランシスコ講和条約発効(締結自体は1951年)までの約7年間です。

 なんとなくイメージ的には前漢と後漢の間の王莽が支配した「新」のような時代を連想させるのですが、このわずか7年、実際にはマッカーサーが激しく政策を打ち出した最初の3年間くらいの間、日本国憲法をはじめとして現在の日本の骨格なり方針がほぼすべて定められています。それだけ濃密で且つ重要な時代ではあるものの、やはり占領下ということと、その後の高度経済成長期の方が日本人の感情的によろしいためか、「昭和」という時代枠でこのGHQ占領時代、というよりマッカーサー時代が語られることは少ない気がします。

 私は大分前、このGHQ占領時代に行われた農地改革について、「日本はこの農地改革を日本人自身で実行できなかったがために侵略戦争に走った節がある」と指摘しました。この意見はあまりよそでは聞かない独自性の強い意見ですが、我ながらいい点を突いているという自負があり、日本が戦争に走った一因ながら、日本を打ち負かした米国人の手によって解決されるという歴史の皮肉を上手く言い当てられたと考えています。

 この農地改革を含め、やはりGHQ占領時代においてはもっと研究、検討すべき内容があるのではないかとふとこの前思い、もう一回この時代を調べないとと思ってひとまずとばかりびに「半藤一利 GHQ」で検索して買った本を今読んでいます。やはりというか自分の知らなかった事実がまだ多かったことと、1950年の朝鮮戦争勃発以前の日本の姿はどうだったのかが気になりました。ぶっちゃけこの辺、「ギブミーチョコレート!」と叫ぶ子供たちの姿ばかりが映されて、それ以外のところ、地方の生活や復員者の生活などは映されてない気がします。

 その辺とかいろいろ気になるし、この時代はある意味今だからこそもっとスポットを当てるべきだと思ったのと、「孤高の人」を急に買い始めてお金減ってきたから「1946」とかいうタイトルで小説でも書こうかなとか最近考えています。このタイトルだと別の小説をパクってるとか言われそうですが、私個人としては彩京の「1945」シリーズに連なるタイトルにしたいからこうしているだけで、他意はありません。
 ただ冗談をのけると、やはり日本人は1945年に過度に集中してみ過ぎており、その直後に何があったのかを再認識すべきという意味で、「1946」という単語は極めて重い意味と役割を果たすと私は考えます。具体的には1948年、マッカーサーが大統領選を見据えてある意味本気で対日政策に取り組んでいた3年間の時代はやはり、「昭和後期」とくくるのではなく、「第一生命館時代」として独立して取り扱うべきでしょう。

 そういうわけでしばらく研究したらまたおいおい記事にまとめます。それにしても今どきマッカーサーを研究している人とかいるのかなぁ。