それで本題ですが、上の記事を読んだときに私はどう思ったのかというと、
そう、関係ないね
ゆずってくれ、頼む
☞殺してでも奪い取る
というロマサガっぽいチョイスが浮かんだわけではなく、「読むだけ無駄」という感想でした。まず絶対的な事実として述べると、こと文章執筆技術に関しては読んだ量よりも書いた量の方が圧倒的に影響します。それこそ1万字の文章を読むくらいなら1千字の文章を読んだ方が遥かに効率が良く、読む暇あったら日記でもいいから何か文章を書いた方がいいと私は思います。
なんで実際に書いた方が文章技術は上がるのかというと、単純に書く際に表現を「考える」からです。それこそアクション映画のワンシーンをそのまま文章に書き起こせと言われても、大抵の人はまずどういう風に書いたらいいのかがわからないでしょう。そこから「シュワルツネッガー演じる主役は無言で相手の右手にある拳銃を叩き落とすと、続けざまに重たいボディーブローを入れた。あまりの痛みに相手がうずくまるとそのまま顔面を蹴り上げ、失神したのを確認してからその場を立ち去った」というように、動作とか情景、あと記述する順番とかを意識して考えるようになります。こうした文章表現における意識、あと「こういう時にはどう書くのか」は、やっぱり書かないと覚えないでしょう。
ただ仮に百歩譲って「読んで鍛える」っていうつもりなら何を読むべきかとなると、自分の場合は記者出身ということもあってやはり記事、それも内容の複雑な金融や不動産系の解説記事を読むことを薦めます。複雑な内容の説明というのはある意味、多くの一般人が文章を書く上で最も求められる能力であり、自分が見ていても書き手の実力がはっきり分かれる分野です。
こういったところを鍛える上、というか見本にする上ではやはり記者の文章が一番お手頃で、それも実力ある記者の解説記事やコラムなどはそのまま書き写すだけでも価値があります。
その逆に、お勧めしないのは小説です。引用したまとめ記事ではラノベは良くないと書かれていますが、ラノベじゃない小説でもあんまり読まない方がいいと内心思います。特に、明治や大正頃の文豪が書いた小説は現代とは表現が異なることからも、ストーリーを楽しむ上ならともかく、文章技術向上を目的に参照すべきではありません。あの辺の小説の表現技術を学んだところで、普通の人が生かせるところなんてほぼありません。
なんとなくですが、「文章を読めば作文が良くなる」というのは、「食べながらダイエットできる」に近い概念だと私は思います。どうせ食べるんならガチで太らないこんにゃくとかそういうのだったら多少は効果あるけど、食事を厳選するくらいなら運動した方がもっとずっと体型整えるのにはいいに決まっており、文章においても全く同じです。
第一、昔と比べて現代は原稿用紙買わなくてもパソコンで文章書いて残せるのだから書きまくればいいじゃんと思えてなりません。自分が中学くらいの頃はガチで原稿用紙買い過ぎて小遣いがなくなったという儚い思い出があります。でもってそのころはよくラノベっぽいの書いてたけど、高一の段階で社会批評コラム書いたら自分でも「あ、才能あんなσ(゚∀゚ )オレ」とか思ってたら、案外本当にそれで仕事できるようになって自分でも内心驚いてます(;゚Д゚)