上の札幌五輪計画ですが、マジでこれに賛成する理由は一つも見当たらないのですがやたら推進しようとしている人がいて、サイレンの屍人みてるより不安になってきます。それ以上に恐ろしいのが上のまとめ記事でも取り上げられている通り、反対多数という民意が出ても堂々とそれを無視すると宣言している政治家がいるという事実ですが、こうした光景については何も今に始まるわけじゃなく安倍政権時にもたくさんおり、もはや民意は完全に無視されるのが当たり前となりつつあるのかもしれません。
前もって断っておくと、民意に従うことが必ずしもいい政治結果につながるとは私も思っておらず、時と状況、ケースによっては民意を完全に無視した政治的決断も必要だと考えています。ただ、建前上は民主主義を取っているだけに、直接民主制ではなく間接民主制ということを踏まえても、有権者に対しては最低限、何故その決断を採るのかという説明を政治家が放棄してはならないと私は思います。
しかし前述の通り、近年においてはその民主的手続きともいえる説明を完全に放棄し、結論があるので結論に合わせた結果を最初から指向した調査だけ行ってそのまま実行に至るケースが多い気がします。香川県のゲーム条例に関しては、偽装と疑わしい請求を基に議会通ってるだけに論外です。
もっとも政策議論に関してはこの10年、自分が見ている限りでは政治家に限らず民間の知識人の間でもレベルが大きく低下しているので、民主主義の根幹ともいえる議論そのものの慣習自体が薄れているのかもしれません。それこそ経済論においては未だに消費しか論点に上がらず、生産性、生産能力の向上はほとんど触れられず、日本は経済力を落としてきました。
最近思うけど、やっぱグローバル化によって消費と生産はアンバランスな形となるのが逆に自然な形になったのだと思います。ケインズ経済では消費と生産がバランスよく釣り合う姿を理想視してたけど、グローバル化では逆にその視点だとドツボにハマると思う。
話を戻すと、日本の政治家は今や「どうせ反対したところで逆らえまい」という高をくくった態度がはっきり見えます。まぁ確かに今時デモとかしても世の中動きませんし、やるんだったらもっと過激な手段じゃないと変わらないでしょう。何が言いたいのかというと、案外この方面で過激化した活動を取る人間が今後出てくるんじゃないかということです。最近はやりの通り魔的犯罪も、何かの拍子で矛先が変わってくる可能性もあるだけに、政治家もその辺もうちょっと意識したらと少し思います。