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2022年9月18日日曜日

中国人の好きな寿司ネタ

 大分前ですけど以前に上海で活動されている日本人寿司職人の方と話をする機会があり、中国人が好きな寿司ネタは何かと聞いたことがありました。その時の答えは、「特に特定のネタが好みというわけではなく、味とは関係なしに値段が高い寿司ネタを選ぶ傾向がある」というものでした。

 この点、中国事情に詳しい方ならすぐ合点がいくと思いますが、割と中国人って如何に高い物にお金を払ったかをステイタスに感じるところがあります。同様に先ほどの寿司職人によると、このところ中国でも人気が高くなっている日本酒の「獺祭」についても、その味を評価してではなく、ただ最も値段が高い日本酒だから買って飲んでいるだけだと分析しており、やはり提供する側としてはちゃんと味を評価して寿司ネタともども消費してほしいということを話していました。

 こうした中国人の消費行動は食べ物に限りません。車や家電などでも、お金に余裕があるのなら性能とか度外視で一番高い物を選ぼうとする傾向があり、日本人でもなくはないですが、こうした買い物における虚栄心は桁違いに高いです。もっとも、チープブランドを好んで買う人もいなくはないですが。

 無論、こうした消費行動はお金に余裕のある中高年層の特徴で、近年の若年層ではまた異なる消費習慣、具体的にはもう少し怜悧にコストパフォーマンスを考えて消費する傾向があるとも言われています。ただ敢えて自分の目から見ると、やはりバブル時代の日本人みたいな消費行動を上記の中高年層は採っているように見え、日本の後をちょうど辿っているようにも見えます。
 仮にこのまま日本を辿るとしたら、消費に対して非常にシビアな若者が増えていって、日本のデフレ下で牛丼の消費が伸びていったように消費金額は縮小し始める可能性もあります。まぁまだまだ分かりませんが。

 ちなみに自分は8月までの激務によるストレスからこのところお金を無駄遣いすることが増えています。まぁ飲食店とかだったら、ロックダウンの影響とかまだ尾を引いていると思うので今こそお金を使ってあげるべきだとは思いますが。

2022年9月15日木曜日

読んでていい感じに思うスポーツメディア

 今年はヤクルトの村上選手やエンゼルスの大谷選手など歴史に残る大活躍を続ける選手が多く、ネットで同じニュース内容の記事を複数メディアで何度も読むことが多いです。日本にいた頃から野球を見るのは好きでしたが、競馬とか流行らないためスポーツ紙はほとんど手に取らずスルーしてましたが、改めてこうして読み比べると好みというか自分がいいと感じるメディアがはっきり出てきます。

 まず一番自分がいいと感じるのは、ほかならぬスポニチことスポニチアネックスです。どの記事も簡潔で要領よくまとまっており、また一番読みたいインタビューの核心部分を拾ってたり、評論家のコメントも本当にいい内容を選んでくるので、どの記事もハズレがないです。同じような見出しが並んでいたら、迷わずスポニチの記事を読むようにしています。
 次にいいと思うのは、阪神応援団のイメージが強いデイリースポーツです。こちらも記事の構成が基本優れていて読みやすく、また阪神以外のチームに関してもきちんと試合のハイライト部分をうまく取り上げてなぜそこがキーになったのかなどを書いてくれているので、読後の満足感が高いです。

 このスポニチとデイリーに関しては、単純に記事を書いている記者の質が高いと感じます。細かい点などでも技巧を感じる書き方がされており、また取り上げるニュースの核心部分もハズレがなく、他のスポーツ紙と一線を画している様にすら感じます。

 逆に、心底読んでてつまらない、ガッカリ感の強いのはNumberです。なんかどうでもいいニュースを延々くどくど書いている印象があり、読んでてさっぱり内容が入ってこない上、読後感に強い失望感すら覚えます。むしろ、同じ会社が出している文春の野球記事の方が読んでて面白いと感じ、専門誌なのにNumberの連中は何書いてるんだと疑問に感じます。
 同じ無駄にくどくどしていて読み応えのなさをはっきり感じるのは、ベースボールキングです。こちらも野球専門紙なのになんかふわふわとした内容が多く、他所からの引用で文字数をひたすら埋めるような仕方なく書いているというような作業感満載な記事が多いです。

 このほかはそれほど印象がありませんが、意外性という点ではサンスポことサンケイスポーツが、よくいいネタを拾って記事化しているなと思います。他のメディアと同じニュースでは悪くはないけどそれほどいいとも感じない記事が多いですが、そうではない独自記事は割と内容に富んでおり、しっかり取材して書いてきているという風に見えます。そういう意味では編集部がしっかりしてそうなメディアです。

 まぁそれにしても、自分なんかは経済紙出身で記事ネタが被ることはよくありましたが、ネタが被る以前にそれ以外の周辺記事をどう埋めるかが重要視される業界だっただけに、ネタ被りは特段気にすることはありませんでした。
 それに対し野球の記事は各社一斉に大谷選手の活躍となおエを報じるのだから、単純に記者の質が問われやすく、その点では結構大変な業界であるように見えます。逆を言えば、腕自慢の記者だったら速報性も求められるだけに、短時間でどれだけいい記事にまとめられるかが要求され、活躍が目立ちやすいともいえますが。

2022年9月14日水曜日

五輪贈賄事件で気になるコンサル成果物

 すでに報道されていますが旧電通の東京五輪理事に纏わる贈賄事件で今日、カドカワの会長が逮捕されました。逮捕前のインタビューでは知らぬ存ぜぬですっとぼけてたようですが、報道されている内容によると、何とカドカワは「経費」として贈賄した金額をきちんと帳簿に計上していた(金額ピッタリ)とのことで、何も言わないのに向こうで証拠作ってたようなので無罪はあり得ないでしょう。
 またこの件で、先に捕まった袖の下のAOKI関係者の音声データには、「講談社はけしからん」とモリモトが吠えている音声が記録されていたとのことで、出版社のスポンサーには当初2社が予定されていたということを考えると、講談社側もほぼ内定していたものの賄賂を要求され、それを突っぱねたがゆえにカドカワとは違う結果になった可能性が指摘されています。まぁこれが講談社とカドカワの違いといえるでしょう。

 そんな漫画みたいな展開を繰り広げ、ネットでも「中国を笑えない」という自重まで聞こえるこの五輪汚職事件ですが、最初のAOKIの件で密かに気になっていたのは、実はコンサル成果物です。
 疑惑が立ち上がった当初、AOKI側と理事側は口裏を合わせたのか、理事の会社にAOKI側から振り込まれた金は五輪とは無関係のスポーツビジネスに関するコンサル費用だったと主張していました。その後、逮捕されたAOKI関係者は前述の、恐らく保険のために取っておいた音声データを提出し、また捜査関係者に対し五輪スポンサーの口利き目的での贈賄だったことを認めているそうですが、最初の言い訳の時点で、「じゃあ成果物は?」という問いをどこも出さないのが気になってました。

 数千万円単位の金額払っておいてパワポなどコンサルの成果物が一切存在しないということはまずあり得ません。仮になかったとしても、具体的にどんなアドバイスを得ていたのか、その辺をまとめた議事録などがない場合、実態(成果)のわからない取引に対し巨額の資金を費消したとも捉えられ、この場合であっても経営者は背任に問われても仕方ないでしょう。

 なんでこんなこと言うのかというと、中国のこういった捜査、主に税務調査などでは、こうした成果物の有無が物凄く成否を分けるからです。例えば親会社または地域統括会社に経営アドバイスなどのコンサルを受けており、費用を払っているとした場合、調査を受けて上記のような成果物を提出できなかったら、取引実態のない架空取引だとみなされて罰金及び追徴税が課されたりします。成果物としては市況を解説するパワポ資料のほか、担当者同士のメールのやり取り、そして議事録などが挙げられ、税務調査に対する備えとしてこの手の資料をあらかじめ保管しておくのが結構重要とされます。
 まぁ備え以前に、なきゃおかしい資料なのですが。

 こうした中国の実務経験から、コンサルを受けていたと主張するのなら、AOKIはそのコンサル成果物を持っているのか、提出しているのか、この辺が主張を証明する重要な根拠となるだけに、この点がどうなっているのかが気になっていました。まぁ恐らく、カドカワと違ってAOKIの帳簿には贈賄額を計上していなかったそうなのでそんな資料全くなかったのでしょうが、こういった点をもっと記者らも突っ込んでほしかったものです。

 その上で言えばこうした偽装資料すら用意できず、捕まったらあっさり自供する辺り、分を弁えない行動だったとしか言いようがありません。

 個人ブログからの引用ですが、先の講談社周辺の妙な動きを考慮すると、ここに入っている企業のどれもが贈賄に係っているのではという疑念を抱かずにはいられません。この辺一気に捜査を進めるために、先着5社に限り自供した会社は損失金額を支払うことで放免にする形を取り、一網打尽にした方がいいのではとすら思います。多分、5社どころじゃないでしょうし。

2022年9月12日月曜日

冷凍食品記事の裏側

冷凍食品の謎、日本では大人気なのになぜか中国人が食べない中華メニューとは(JBpress)

 というわけで今日出たこの記事ですが、個人的には今年一番目の付け所がプシャーな記事でめちゃ気に入っています。内容は読んでわかる通りに中国の冷凍食品市場の記事で、前々から日本とラインナップが異なることから記事化出来るネタとして温めてきたのですが、先週に他にいいネタもないことだからそろそろ放出しようと書き始めたところで、

「あれ、俺って冷凍チャーハンをここ数年一度も食べたことない?」

 という事実にはっと気が付き、すぐ周りにも確認して中国国内で冷凍チャーハンはほとんど流通していないことを確認しました。

 真面目にこの冷凍チャーハンの真実は、中国在住日本人のほぼすべてが見落としていた事実じゃないかと思います。私自身もこれまで一切気づかず、また同じような話題に触れる人を見たことがありません。日本では当たり前すぎるくらいに存在しているのに、中華料理なのに中国では一切見かけないこの状況はかなりおいしいと思い、また記事にも書いている通りにニチレイがちょっとマーケティングを強めていることも分かったので、一気にこのネタで書き上げました。まさに盲点を突いた記事であると自負しています。
 なお記事中にある、「日本人の方が中国人よりお米のこだわりが強い」というのは割と賢い知人OLのコメントで、このコメントも非常に生きました。マジ賢くて頼りになるあの子(´∀`*)ウフフ

 JBpressのランキングではさすがに1位は取れませんでしたが、4位くらいをうろついており、ウクライナ情勢などホットなニュースが多い中でこの順位は健闘している方だと思います。

 なおこのひとつ前の記事もインスタントラーメンと食品系の記事で出していますが、食品系の記事は調べている最中も書いてても楽しいので割と好きだったりします。というのも、単純に商品の質や価格以上に、文化的な側面が業績に大きく影響する分野であるだけに、自分の専門が社会学でもあるだけに、文化比較的な話で記事書けるのが面白いんだと思います。そういう意味では食品系のマーケティングは文化的な素養や知識が実は一番求められるのだという風にも思え、この点、時間あればニチレイとかにもじっくり取材してみたかったです。

戦場の記憶と記録 後編

 前回記事では漫画「機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー —カイ・シデンのレポートより—」で言及されている、「記憶と記録」の相互比較の重要性について少し触れました。この点についてもう少し触ると、例え本人に関する記憶であっても、時間とともに変化することはままあります。具体的には、十年前にある事実について語った内容が、十年後にはかなり異なる内容になるとかです。
 この点は半藤一利が戦後の旧軍人らへのインタビューで非常に多かったと話しており、大抵は自己弁護のため責任箇所をぼやかしたり、美化したりするような形で変容します。それに対し半藤一利は徹底的に記録を漁り、「当時の任地はここで、あんたはその場にいなかったはずだ」などと事実面から追及してたりしたそうです。
 
 一方、記録についても同じ事実内容が永遠にそのままというわけでもありません。時々の情勢や政治などによって記録が改竄される、都合のいい内容に置き換えられるということは古今数多く、中にはそれほど特段の事情がなくても、枝葉を切り落とすような感じで整理される過程で、なかったことにされる歴史も少なくありません。

 映画「父親たちの星条旗」で語られている内容なぞ、まさにその典型と言えます。現在、米国海兵隊のシンボルともなっている「硫黄島の星条旗」の写真ですが、現代においては当時の細かい事実背景なども詳細に記録されていますが、発表当時はいろいろと現場の事実とは異なる点が多かったそうです。
 具体的には、この写真は硫黄島で2度目に掲げられた旗でした。1度目に掲げた際に旗が小さく見栄えが悪いとのことで、改めて大きな旗を用意して撮影しなおしたものですが、発表当時はこの辺の事実はあまり語られなかったそうです。

 また1度目と2度目で旗を掲げたメンバーも異なっていたほか、2度目に掲げたメンバーも一1人が別人(1度目のメンバーだった)であったりしました。旗を掲げたメンバーらはその後国債募集のヒーローとして全米各地を回らせられるのですが、若干PTSDも入っていたメンバーもおり、その後精神病となった人もいました。
 そもそも、この旗が掲げられた当時はまだ硫黄島の戦闘は終わっておらず、1度目に掲げたメンバーも複数人が戦闘中に亡くなっています。こうした事実は後年になって当事者以外にも明らかになっていきましたが、当事者付近、具体的には遺族らはこうした自らが聞き及んだ事実との相違に苦しんだと言われます。

 こうした現場の事実と報道されている事実の相違を「父親たちの星条旗」は細かく取り上げており、私は見た当初は「そこまで気にするような内容なのかな」と正直思いました。しかし冒頭に挙げた「カイ・レポ」を読んで、実際に戦場を共にしたメンバーやその遺族らからすると、ほんの小さな事実の相違とはいえ、現場の記憶と報道内容との差はいかんともしがたいストレスを感じるものになりうるもので、それほどまでに戦場の記憶というのは深いものがあるのだという風に思えるようになりました。

 この点は今のウクライナ戦争においても言えるかもしれません。ロシア軍の軍人はロシア国内では正義のための戦争に出征していることになっていますが、実際は何の大義もなく、また多くの民間人が被害に遭い、ロシアを疎む現実から脱走兵も多いと言われ、実際に亡命した兵士らもロシア国内とウクライナの現場とのギャップに我慢できなかったとも語っています。
 戦場というのはやや特殊な環境であり、その刻まれる記憶も日常のものとは一線を画すとされ特に戦友との記憶は深いものといわれます。そうした戦争体験の記憶が報道、公式記録とギャップがあれば、他の一般人からしたらそうではないものの、当人らにとっては耐え難いものにもなりうる気がします。

 一方で冒頭でも語ったように、記憶は時とともに変容しやすいです。そうした意味でも、記憶と記録をともに絶対視せず、時折比較するということは非常に重要なプロセスとなりうると思います。そうした価値観を身に着けるに当たり、この漫画はマジおすすめです。



  

2022年9月11日日曜日

戦場の記憶と記録 前編

 中国は明日が中秋節でお休みなため三連休の真っただ中にあります。ちょうど自分の毎年における繁忙期が先週に完全に終わりをつげ、またJBpress記事も先週に出して(明日配信)今週は書く必要がないため、かなりリラックスした気持ちになれているのですが、緊張感がなくなって疲れが出たのか今日は割と重めの頭痛をして頭痛薬を先ほど飲んでテンション上げています。

 先月の段階ではそれこそ土日返上でずっと働いててキーボードの叩き過ぎで常に手が痛む状な状況だったのですが、DMMの電子書籍が半額セールしていて、ストレスが溜まってたこともあってか割と目につく漫画を片っ端からやけ買いしてました。そうして買っていた漫画の中に、ことぶきつかさ氏の「機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー ―カイ・シデンのメモリーより―」が含まれていました。


 この漫画はアニメのガンダムに登場するカイ・シデンというキャラクターを主人公に置き、彼の目から見たガンダム本編の裏側を見る、言い方を変えると作品設定の行間というか隙間を埋めるような作品となっています。最初に発表されたのはZガンダムを舞台にした「カイ・シデンのレポート」、通称「カイ・レポ」でしたが、非常に評価が高かったこともあり続編が期待されていました。
 その後、数年のインターバルを挟んで、「逆襲のシャア」の後の時代にいるカイが、初代ガンダムの1年戦争を振り返るという切り口で描かれたのが「カイ・シデンのメモリー」こと「カイ・メモ」でした。

 結論から言うと非常によく面白く、その作品構成上からセリフが異常に多い漫画なのですが、漫画の描き方が非常に巧みなこともあって読んでて文字の多さが気にならないほど滑らかに進行されています。またガンダムのキャラデザを元祖である安彦良和氏が推薦したというだけあって、ことぶき氏の描くガンダムキャラクターはどれも非常に原作に近く、雰囲気からして他の作家と一線を画すなど、再現性の高い作画となっています。
 特に圧巻なのが、主人公であるカイのセリフです。読んでて全くキャラに違和感がないというか、原作のカイだったら間違いなくこんな風に話すだろうと思わせる語り口で、ことぶき氏もカイが非常に好きなキャラだと話していますが、その本質を完全に掴み、カイというキャラの新たな姿をものの見事に生み出しているとすら感じます。

 なお自分の世代からすると、あの「セイバーマリオネット」のキャラデザをやって、「いけいけぼくらのVガンダム」を描いてたことぶき氏なだけに、こんな骨太な作品とのギャップを激しく感じます。まぁセイバーのキャラデザは確かに一時代を築いたけどさ。

 話を本題に戻しますが、二つの作品のうち「カイ・レポ」に関してはまだ、ジャーナリストであるカイから見たZガンダムの裏側的な物語で、面白くはあるけどよくあるガンダム系派生作品という印象でした。一方、「カイ・メモ」に関しては圧巻というべきか、安彦氏も述べているように「戦後」をはっきりと実感させられる唯一のガンダム作品といえ、その構成の妙は群を抜いていると感じます。

 具体的なあらすじを述べると、「逆襲のシャア」の戦後の時代において、かつてのジオン公国であるコロニー(サイド3)で、1年戦争展が行われることとなり、その監修としてカイが招かれます。案内役のコンパニオンのロゼを伴いながら、かつて自分が戦ったホワイトベースの企画展を回るカイですが、その見学中に自分の記憶とは異なる点をいくつか発見します。
 具体的には、第三者の介添えのあった戦果が当時のエースであったアムロや自分の戦果としてカウントされていたり、短いながらも一緒に戦った戦友が存在ごとなかったことにされたりしていました。

 どれも戦争全体からすれば些細な違いでしかなく、この企画展の目的(連邦が正義的)から察するに戦争の英雄であるアムロの存在を際立たせるための措置と考え、コンパニオンすら抗議するも、カイ自身は展示内容の修正を要求せず見なかったことにします。また「ジオンは悪、連邦は正義」という図式の展示内容と、次の戦争ビジネスのために元ジオン国民をやや煽るような展示に対して会場周辺では反対運動が起きており、それに対してもカイは他人事として見て見ぬふりを決め込もうとするのですが、展示会場内で自分のジャーナリストの原点ともいうべきあるものを見つけ、その初心を取り戻すと、一つの決心を行うというお話となっています。

 この作品のテーマは、上記にも書いた「記憶と記録のズレ」で、作中でも何度か言及されています。具体的には、「記憶は感情によって変化し、記録は情勢によって改竄される」と言明し、同じ過去の出来事であっても記憶と記録の間にはしばしばスレが生じるという事実をはっきり指摘しています。これは歴史学においても非常に重要な概念であり、まさにその通りというべきポイントです。
 その上でカイは作中にて、こうして記憶と記録を折に触れて比較することに価値があるとし、記録を見た上で、各自がそれぞれ異なる記憶を持ち合うことが大事であるということを口にします。暗に、記録は必ずしも絶対的なものではないというような意見であると自分には感じました。

 このくだりを読んで、自分は始めて映画の「父親たちの星条旗」の意味を理解することが出来ました。この点については、また次回に掘り下げます。


  

2022年9月10日土曜日

よんとつ


 こちらも作ったのは結構前ですが、二次大戦におけるドイツの4号戦車突撃砲のプラモを組み立てました。




 こちら戦車といっても突撃砲と呼ばれる兵器で、その大砲は普通の戦車と違って回頭せず、ほぼ真正面にしか撃てません。これは一体何故かというと、クソでかい大砲を置くために回頭する構造(砲塔)を取っ払って、大砲だけ乗っけたからです。


 なんでこんな戦車が生まれたのかというと、最大のきっかけはソ連のT-34という戦車でした。このT-34ですが、登場した時代を考えるとオーパーツ的に性能が極端に優れており、当時のドイツの3号戦車、4号戦車ではいくら砲弾を命中させても破壊できない一方、T-34からの砲撃をくらうとこっちは逆に一発で沈む有様だったようです。有体に言えば、初めてガンダムと戦ったザクみたいな状態だったそうです。
 なんでT-34がそんなすごかったのかというと、正面の装甲が目線に対して斜めとなる斜形装甲をしていたからです。砲弾が飛んでくるベクトルに対し装甲が斜めに入ることでその貫通力を劇的に抑えることができ、これにより同じ厚さの装甲でも、それ以前の戦車とは比べ物にならないほど耐貫通能力を持つに至りました。また装備している砲もやたら当時としては強力で、文字通り攻守に圧倒的に秀でる戦車でした。


 このT-34ショックを受けてドイツ軍では急ぎ対策が立てられたのですが、T-34の装甲をぶち破る砲を載せるとなると既存の戦車のシャシー(車台)では支えられないことがわかりました。そこで仕方ないので、でかい砲を載せるため、真正面しか撃てないけど砲塔を取っ払って無理やりシャシーに砲を乗っけるという案で生まれたのがこの4号戦車突撃砲、通称「四突(よんとつ)」でした。
 なお3号戦車バージョンは「三突(さんとつ)」といわれます。

 既存のシャシーをそのまま流用することからコストは比較的抑えられ、且つすぐ量産できて数を揃えられたことから、実際の戦闘においても活躍したそうです。ただ真正面にしか砲が撃てないことから側面の守備に弱く、対策としてつけられたのが「シュルツェン」と呼ばれる防弾壁でした。
 「シュルツェン」とはドイツ語で「エプロン」を意味する言葉で、薄い鉄板や金網で作られ、弾が当たった際にほんの少し弾道をそらすことで戦車内部への貫通を防ぐ役割を持っていました。今回このよんとつを自分が作ろうと思ったのも、このシュルツェンを付けた姿がかなり独特で見た目的におもろいと感じたからです。なんとなく両手シールドっぽく、ガンダムで言えばギャプランのようなイメージがあります。

 なお突撃砲にとって最大の敵は、戦車ではなく対戦車ライフルだったそうです。垂直に組み立てられた装甲のもろさはいかんともしがたく、至近距離から対戦車ライフルを打ち込まれるといい感じに操縦室に弾が入り込んで兵士を死に至らしめてたそうで、その対戦車ライフに対してもシュルツェンが結構役に立ったそうです。

 出来上がりの感じとしては、やはり砲塔がないため先に作ったT-34やシャーマンと比べるとやや見劣りする印象を覚えましたが、やはりその独特な形状、そしてシュルツェンを付けた姿(取り外し可能)から、徐々に味を感じるプラモとなっています。ただ元のキットが作られたのがやや古く、組立て時はやや組み立て辛さのようなものを覚えました。またオプションパーツもシャーマンと比べると少なかったです。