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2023年4月8日土曜日

撮影できるから迷惑行為が行われる?

 本題と関係ないけど自分市場過去最高のフィット具合だった、眼鏡市場で買ったメガネのフレームの塗装が剥げてきました。あまり風采にこだわらない私でもさすがにこれはまずいと思い、予備のために去年秋に日本で買っておいたZoffのメガネをマークⅡからΖガンダムに乗り換える気分で装着しなおしました。
 眼鏡市場のメガネとサービスが凄い良かったので予備も当初は眼鏡市場で買う予定でしたが、Zoffは以前上海でフレーム曲げた際に直してもらった恩があり、その借りを返すために前回はZoffで購入しました。ただ店員のサービス面、特に出来上がった眼鏡のフィッティング調整などは眼鏡市場の方が抜群に良かったなぁ。

 改めて本題に映ると、迷惑行為動画がなぜ起きたのかに関する自分の妄想を話すネタも3本目の今回が最後です。改めて話を切り出すと、このところの飲食店などにおける一連の迷惑行為動画について私は、何故このような馬鹿らしい事件が起きるのかという背景にはタブー破りの快感が最大の要因ではないかと睨んでいます。このタブー破りの快感については前回記事で詳しく解説していますが、要するに禁止されているからこそやりたくなるという行動原理を指しており、タブー破りに伴う制裁や代償の度合いが大きければ大きいほど破った時の快感もでかくなるという謎理論を提唱しました。
 その上で迷惑行為動画を撮影、投稿した連中に関しては、普段から飲食店で不衛生な行為を繰り返し行っていたとは思えない様子から、「注目を浴びたかった」に関してはまだ理解できるものの、彼らが供述する「周囲に受けたかった」という動機はほんとのところどうなのか、むしろ自分自身が上記のタブー破りの快感を自制できなかっただけではないかという見方を最初の記事で提唱しています。

 それでそもそも何故ああした行為を流出する、バレるリスクがあるにもかかわらず動画で撮影したのかという疑問が発覚当時によく溢れていましたが、私に言わせればむしろ逆で、動画で撮影できるからこそああした不衛生な行為を率先して行ったのではないかと考えています。

 前述の通り、一連の迷惑行為動画で槍玉に挙げられた人たちについて私は、普段からああした不衛生な行為を繰り返し行っていた可能性は低いとみています。こう考える理由としては普段からやれていれば余罪がドバドバ出てくるだろうし、また実際の動画を見ていてもああした行為に不慣れというか気恥ずかしさを明らかに見せていて、いかにもタブーを破ってやったぞ的な印象をはっきり覚えたからです。っていうか繰り返して行っていたら、多分普通の生活していないだろうし。

 では何故彼らは急に不衛生な行為を行ったのか、私の言葉で言い換えればタブー破りの快感を求め始めたのか。言ってしまえば、同じようなタブー破りをほかにも行う機会はあったでしょうが、前述の通り彼らは繰り返しああした行為を行っていた素振りはあんま見られません。見えないところで程度の小さいタブー破りはやってたかも知れませんが、少なくともああした大それたリスキーな行為をしょっちゅうやっていたようには見えません。
 回りくどくせず結論言ってしまうと、動画で撮影できるという環境があったからああした不衛生な行為をやろうという気になったのではないかとみています。それは何故かというと、動画で撮影することで、流出した場合の代償が極端に大きくなるからです。代償が大きくなるということはつまり、タブー破りで得られる快感もでかくなります

 仮に動画を撮影するツールがなければ、少なくとも話題になった連中はああした行為は行わなかったのではないかと思います。動画で撮影し、また身内にだけ見られる範囲でアップロードすることで流出リスクは飛躍的に高まり、いうなればスリルも高まります。それによって得られる快感もでかくなるわけだからこそ、わざわざ証拠となる動画を撮影して、アップロードしたりしたんじゃないかと考えているわけです。

 もちろん彼らも流出した場合の代償を全く考慮しなかったわけではないでしょう。ただ実際に流出するかと言えば公開範囲を制限すれば大丈夫という正常性バイアスが働いて、「流出しない」確率の方が高い、っていうか流出する確率はゼロと見込みを誤っていたのだと思います。動画ファイルがある限り、永遠に流出するリスクがあるというのに。

 以上のように、動画で撮影することで流出時の代償が高まり、タブー破りの快感も高まるけれど、実際に流出することはないだろうからやってみよう的に、ああした行為に走ったのではないかというのが自分の見方です。中には動画なしでもやってたやつもいたかもしれませんが、私的には動画で撮影できないのであれば、ああした行為はタブー破りの度合いが小さくなるため、実行しなかった連中が多いのではないかとも見ています。
 そのように考えると、ああした動画の撮影は非常にリスクが伴うと警鐘したところで、逆にスリルを感じてそうした行為に走る連中も出てくるかもしれません。重要なのはタブーを破ることで被る代償よりも、動画に関しては流出確率が意外に高いと意識させることが、ああした行為の抑止につながるのではないかとも思います。

 どちらにしろ、そもそもタブー破りの快感に負けないだけの自制心を身に着ければいいだけの話です。悪ふざけに通じますが、度が過ぎると手痛いしっぺ返しを食らうことを教えるとともに、しょうもないタブー破りで悦に入るような小さい人間になるなと子供には教えるべきでしょう。まぁでっかいタブー破りだったらいいわけでもないですが。

2023年4月7日金曜日

万引きを例としたタブー破りの快感の計算式

 前回記事で私はこのところの迷惑行為動画事件の犯人らは動機を「周りに受けるため」などと言っているものの、実際にはタブー破りの快感を自制できなかったゆえの結末じゃないかという主張を説明しました。

 ここでいうタブー破りの快感という言葉ですが、これは自分がこの前適当に作った造語で、意味としては「禁止されているからこそやりたくなる、でもってやると快感を覚える」といった心理を指します。正式な用語はないのかなと探してみたところ「カリギュラ効果」という単語があるそうですが、この言葉の正式な学術用語でないらしく、また字面から内容がぱっと連想できないので、自分の造語のままこのまま突っ走ります。まだ「見るなのタブー」の方がカリギュラ効果よりも通りがいい気がする。

 さてそのタブー破りの快感ですが、自分はこれを人間の本能に近い心理現象だと考えています。そう考えるのもアダムとイブのリンゴ丸かじり事件や、イザナギによるイザナミのすっぴんノーメイク目撃事件をはじめ、世界中のどの神話にも「禁止されている、だからこそ破りたい」的な話が存在するからです。また日常生活においても「押すなと言われているボタンほど押したくなる」のは誰もが経験あるし、子供であるほどいわゆるいたずら行為が見られることからも、原始的な本能に近い心理または行為と考えています。

 では具体的にこのタブー破りの快感ですが、どういった状況で起こるのかと言えば割と簡単に数式化できる気がします。具体的には

・タブー破りで得られる快感>タブー破りで支払うこととなる代償

 この計算式が成り立った瞬間、人はタブーを破ることになると私は思います。でもって「タブー破りで得られる快感」は、その支払う代償にある程度連動するというか比例する、言い換えればタブーの禁止度合いが大きければ大きいほど「やっちまったぜ(・∀・)ヘヘヘ」的に得られる快感がでかくなる気がします。
 この数式でもう少し掘り下げると、「タブー破りで支払うこととなる代償」はまさしく主観的なものであり、絶対的な基準は存在しません。具体例を出すと、万引き行為に対して過去に何度か企図して成功している人物に対し、一度も企図したことがない、または企図したものの捕まったことがある人物からすれば、その「支払う(と見込まれる)代償」は当然大きくなり、実行に至る確率も低くなるでしょう。
 まぁ人によっては、何度も捕まることで「どうせ捕まってもあの程度で済む」と思うようになり、逆に予想する代償を低く見積もるようになるかもしれませんが。

 またこのタブー破りで支払うこととなる代償ですが、実際にはタブー破りで負う代償というより、「タブー破りが発覚した際に追う代償」と言った方がより正確です。先ほどの万引きの例でいうと、100%捕まるとわかっているお店で万引きやる馬鹿はいないでしょう。いるとしたら、精神にかなり重篤な障害があると言ってもおかしくないと思います。
 やはり万引きが行われるのは、「バレずに済む」確率が存在するからに尽きます。仮にバレずに済むならタブー破りで支払う代償はゼロになるわけで、上記数式に当てはめるなら確実にタブー破りで得られる快感が代償を上回ることになります。

 もっとも、全くリスクを考慮しないでやるというわけではなく、実際は各人が見積もる捕まる確率が分かれており、その確率で代償を乗算した期待値で比較されるのではないかと思います。適当な数字を当てはめると、

<万引きを実行に移す人と移さない人のリスク計算モデル>
万引きで得られる快感(≒スリル):100
万引きで捕まることによる代償:500
Aさんが見積る万引きで捕まる確率:50%
Bさんが見積る万引きで捕まる確率:10%

万引きに対するAさんの見方:100<250(=500×0.5)
万引きに対するBさんの見方:100>50(=500×0.1)


 こんな感じの損得勘定して、万引きを実行に移すか否かが分かれるんじゃないかなと考えています。もっとも最初に書いたように得られる快感も固定ではなく変動的であり、代償に連動すると思うので、

万引きに対するAさんの見方:125(=100+10×2.5)<250(=500×0.5)
万引きに対するBさんの見方:95(=100-10×0.5)>50(=500×0.1)
※得られる快感=ベース値(100)+係数(10)×代償ベース値の変動倍率

 の方がより実態に近いかもしれませんが。

 仮に上記計算式の通りとなる場合はBさんは、よくスリルと表現されるタブー破りの快感を求めて万引きを実行に移すわけですが、Bさんの万引きを止めるにはどうするかとなると、最も直接的なのはBさんが予想する代償を大きくさせるのが一番です。
 具体的な手段としては、万引きによって失うもの(社会的評価など)をより意識させる、または防犯対策を行って捕まると考える確率を引き上げるというのが有効打になるわけです。回りくどい方法使うならタブー破りの快感そのものを引き下げる、具体的には「万引きしてもスリルを得られない」ように思わせるというのもありますが、これはさすがに回りくどすぎるやり方です。

 その上で万引き、もとい迷惑行為をやる人間というのを上記数式をベースにして分析するなら、リスクを低く見積もる傾向のある人物が当てはまる気がします。悪いことしても自分は捕まらない、捕まってもそんなに失うものはないと低く見積もるからこそ予測快感が上回り、ああいう行為をしでかしてしまうんじゃないかと思います。
 子供であればこうしたリスク見積りが甘くなるのはまだ理解でき、教育によって矯正することも十分可能でしょう。しかし一定の年齢にもなってリスク評価がまともにできずタブー破ってしまうのであれば、まぁぶっちゃけあまり仕事は任せたくない迂闊な人間だと言えそうです。

2023年4月5日水曜日

迷惑行為を敢えて行おうとするのは何故なのか

 最近ちょっと落ち着いてきましたが、今年に入ってから飲食店などで不衛生な行為をわざと行った上に動画で配信し、捕まったり裁判起こされたりするケースが頻発しました。後に人物特定された犯人らはこうした行為を行った理由として、「悪ふざけだった」、「周囲に受けると思ったから」などと動機について言及しているのですが、正直言ってこれらの供述を鵜呑みにしていいのか、密かに疑問に感じています。

 同じ動画を配信した理由については「ここまで大ごとになるとは思わなかった」、「身内だけにしか見られないようにしているつもりだった」と話しており、これらに関しては特に疑問を持ちません。特に後者に関しては、単純な設定ミスにより流出するケースが多いことが裏付けています。ただ身内にしか見られないようにしていたということは、流出した場合、公の目に映った場合は非難されることがわかっていたということの証左になるでしょう。

 話を戻すと、行為を行った動機についてはちょっとしっくりきません。犯人らが嘘をついているというわけはなく、恐らく正直に話しているとは思うのですが、「本当にこうした行為が周囲に受けると思っていたのか?」という点で疑問を感じます。
 仮にその通りだとしたら、犯人らは普段から不衛生な行為や後ろ指さされるような行為をして、周りの人を楽しませていたのかと聞きたくなります。程度の差はあるかもしれませんが、勝手な想像でいえばそこまで頻繁に事件となるような行為は起こしていないのではないかと思います。これまでの悪ふざけがエスカレートして、臨界点を超えたところでたまたま動画を撮影して配信してしまっただけなのかもしれませんが、それが「周囲に受ける行為」なのかという点で不思議に感じるわけです。

 またこうした不衛生な行為が、本当に周囲の人間を面白がらせていたのか。少なくとも多くの人は不快感を感じたからこそ大事になっているわけで、身内間だからとはいえ、こうした行為が面白く映るというのはかなり異常な価値観だと私は思っています。まぁそういう異常な価値観を持ち合う者同士しか周りにいなかったという理解もできなくはないですが。

 回りくどく書かずに言いたいことを書くと、犯人たちの供述は本人も嘘をついているつもりではないのでしょうが、私は彼らがこうした不衛生な行為を行った本当の理由というのは、タブー破りの快感が最大の原因じゃないかと思っています。


 こういうのは心理学の「見るなのタブー」でおなじみですが、禁止されているからこそ人はかえってその行為を働きたくなるのは、間違いなく真実だと私は思っています。でもって、禁止されている行為を規則を破って実行したり、一定の基準を満たして解禁されたりすると、やっぱめちゃ気持ちいいと思います。上の現場猫なんか、まさにそうした心理を最大限に反映するキャラでしょう。

 改めて一連の迷惑行為動画について話を戻すと、ああした不衛生な行為を普段から彼らはやっているのかと言ったら、多分そうではないと思います。更に言えば、絶対に人目につかないような場所ではああした行為はやらなかっただろうし、人目に付く、ばれたら後ろ指さされるというリスクがあるからこそ、彼らは実行したのだと思います。
 もちろんこうしたリスクある行為を敢えてやることで周囲が面白がることはあると思いますが、本質的には周囲を楽しませるというより、本人が「タブー破り」の快感を求めて、ああした行為を実行に移したのではないかという風に見ています。こう考える根拠というのも、先に述べた通りにああした不衛生な行為を普段から繰り返しているのかという点で疑問なのと、敢えて人目に尽きそうなギリギリのラインを狙ってやっているからです。

 以上の観点に立つと、事件発覚時に犯人らについて人の迷惑を考えない連中だと非難する声がありましたが、むしろ逆で、人に迷惑となる行為だからこそタブーとなり、それを破るからこそ快感になるのであって、迷惑行為だということを彼らははっきり認識していたと私は考えます。では何故彼らはああした行為を行ったのかというと、単純にあの程度のタブー破りの快感を我慢できないほどに自制心が欠けていたに尽きると思います。更に言えば、あの程度のタブー破りで快感を感じるほどつまらない人生送っていたのでしょう。

 敢えて話を発展させると、お笑い芸人というのは多かれ少なかれ、このタブー破りの限界を探るというのが彼らの仕事だと思います。世の中でやっちゃいけないということを敢えてやることで笑いに昇華させるというのが自分の理解で、それが臨界点を超えた場合、この前のスッキリのペンギン池飛び込み事件みたいになるものだと考えます。政治や社会風刺も、こういった「タブーのギリギリを攻める」というところがあるでしょう。

 話をまとめると、犯人らは周りを笑わせようとしていたなどと他人本位な動機を語っていましたが、私の見立てでは実際の動機は自分本位であり、しょうもないレベルのタブー破りの快感すら自制できなかっただけだと思います。
 その上で、何故彼らは自分の動機を上記のように他人本位な理由で語ったのか。仮に私の解釈が正しいとしたら、単純に自分の心理すら分析できなかったとも考えられますが、「タブー破りを我慢できなかった」という自分の浅はかさを認めることができなかったのではないかと疑っています。あくまで周りに影響された風にして、この期に及んでも自分を守ろうとしているのではないかと私は見ており、本当にしょうもない連中だなぁと思えてなりません。

紅旗のミニチュア模型


 模型ネタが続きますがひとつ前の記事に書いた「宏光ミニ」と一緒に、中国のVIP用高級車である「紅旗(H9型)」の組立済み模型も購入しました。なんで買ったのかというと紅旗に興味があるというわけではなく、友人の上海人がやたらこの車を好きだったのを思い出し、プレゼント用に送ろうと思ったからです。


 広東料理屋で友人に渡したのですが、なんか窓際の席だったので無駄にいい感じな写真とか取って遊んでました。上海に詳しい人ならこの背景だけでおおよその場所が見当つくでしょう。


 予想に違わずというかプレゼントしたら友人はやたら喜び、値段を聞かれて本当は78元(1500円)なのにふざけて1万元(19万円)と嘘言ったら、マジ信じそうなくらい冷静さを失っていました。喜ばせるのが安上がりですごくいい。

 ただ送ったその場で開封してこうして写真撮ってみたりしたところ、思ってた以上にきりっとしたデザインで、悪くないなという印象を覚えました。もっとドイツ系高級車の影響が強いかと思っていましたが、意外や意外に独自性もしっかり醸し出しており、普通にいい車だと思います。
 そんなことから興味を持ってネットで調べたところ、値段は日本円で大体600万~1000万円くらいで、価格帯としてはレクサスに近いでしょう。また自分も知らなかったのですがEVモデルもすでに発売されていました。

 日本では大阪に輸入総代理店があるというので、うちのソ連人民の敵である親父にも購入を進めてみたところ、「習近平の真似はしたくない」などとよくわからない断りのメッセージを送ってきました。その親父は先日、現在最もホットな兵器というかドイツ戦車のレオパルト2のプラモを組み立てて写真送ってきましたが、相変わらずドイツ戦車ばかりでソ連戦車は一切作ろうとしないあたり、自分が適当に付けた二つ名はあながち間違っていなかったと思えます。

宏光ミニの組立済み模型


 普段から頑張っている自分へのご褒美として、中国の格安EVでおなじみの宏光ミニの組立済み模型をこの前購入しました。


 もともとこの車は発売当初より注目しており、自分が小型車好きということもあってかねてから強い興味がありました。そこへ先日訪れた模型店で、組立済み模型が売られていることを知ったこともあり、今回思い切って購入することとしました。


 期待に違わずというか、よくもこんなコンパクトな形でEVを仕立てたなという印象を覚えます。またフロントマスクはやや地味な顔してますが、地味だからこそこのコンパクトな形に物凄いあっているように感じられます。



 なんかほかのものと大きさを比較する上でいいのないかなと思案したところ、家にあるスミスキーが浮かんできました。

 あと折角だからソ連戦車兵も引っ張ってきました

 ついでにドイツ戦車兵も

若干運転に疲れてる

元々この戦車兵は双眼鏡を見てるのですが、接着さぼったところ手でスコープ作ってます


新手のスミスキーが現れた

 この宏光ミニの模型ですが、お値段はなんと38元(740円)でした。値段の割には精巧だと思え、久々に満足度の高い買い物をするに至りました。現在はパソコンの横において、パソコンしている間は横目にちらちら見ては満足しています。

 あと同僚とかに「宏光ミニ買ったんだ(´・ω・)」とって写真見せると、遠目からだとマジ実車に見えるのか「すげぇ(;゚Д゚)」などと言い、続けて値段を聞かれるので38元だと答えると「えっ、38万元?(;゚Д゚)」などと聞き返されて面白いです。なお実車の宏光ミニは3.3万元(60万円)位から買えます。

2023年4月3日月曜日

朝日新聞の国交省OBによる人事介入報道について

 今朝地下鉄駅のエレベータに乗り込む際、やたら動きがスローな若い女性が前にいてトロくさいなと思った時、トロくさいとは全身からトロのにおいを出す様を言うのかなどとまた妙なことを考えていました。


  それで本題ですが上のリンク先の朝日新聞の記事について、見事なスクープだと初動から感じていました。このところ政治、社会系のスクープは文春にやられっぱなしでしたが、この1年間は朝日新聞がモノにすることが多く、地味に報道の実力が上がってきているように感じます。

 記事内容については直接読んでもらった方が早いのですが、簡単に言えば国交省OBが中央省庁の権威をちらつかせて自分を空港施設の副社長にするよう要求していたようです。いわゆるスネ夫案件ですがこの報道について本人は否定するも、今日の別メディアのインタビューで既に辞意を示しています。

 なくなることはないでしょうが、かつてと比べると官僚の天下り案件の報道はすっかり鳴りを潜めています。それでも国交省は許認可権限が強いだけに未だにこういうゆすりみたいなことをやる連中がいるんだなと今回感じましたが、自らの経営手腕を理由に自己推薦するならともかく、出身省庁の威光をかざすあたり、大した人物ではないのでしょう。それだけに朝日の報道で要求されていた人事が白紙化されたことは社会にとってもよかったような気がします。

2023年4月1日土曜日

上海ロックダウンから1年

 4月1日というと世間はエイプリルフールですが、自分にとってすれば去年の上海ロックダウンが始まった呪われた日以外の何物でもありません。正確には3月中頃から自分の住んでいた区ではロックダウンが行われており、4月前に一旦は解放されたものの4月1日からは再び全市を対象としたロックダウンに巻き込まれました。

 ちょうど1年が経つのを迎えてかこのところ同僚などともあの当時のことについていろいろ話す機会があり、私の住んでた団地では途中から団地敷地内は歩けるようになったものの、団地ではなく独立したマンションに住んでいた同僚は封鎖期間中、一切建物の外に出られることはできなかったそうです。また当時、新規感染者が発見されなかった団地は周辺であれば外出できると上海市政府は発表していましたが、こうした措置は一部の区に限り、大半は発表内容とは裏腹に6月になるまで一切外出することができませんでした。

 自分などはまだ単身生活者とあって苦労は少なかったものの、家族、特に子供を抱えた家ではシャレにならない苦労があったと聞きます。受験期(中国では6月)を控えていた家では自宅内で受験に向けた学習をしなければならず、また小さい子供を抱えた家ではそのミルクやおむつなども確保しなければなりませんでした。
 ちなみにロックダウン中、敷地内でも運動できるということでバトミントンセットを購入する人が非常に多く、実際当時の夕方はバトミントンする人で溢れていました。

 このロックダウン中、自分が一番恐れていたことは食料もさることながら家電の故障でした。仮にパソコン、いやそれ以前にルーターが壊れたりしたらインターネットに接続できなくなり、情報発信はおろか仕事すらできなくなる恐れがありました。なお友人によると、冷蔵庫が壊れた人がいて食事の保管に難儀した人が出ていたなど、そこそこ被害を受けた方はいたそうです。

 ぶっちゃけあの一点だけでも中国指導部を恨むに足るほどの出来事で、自分の一生の中でもマジで笑えないくらいの一大イベントでした。あれからちょうど1年経った今日は日柄もよく、街中ではマスクなしで歩く人も溢れていましたが、ちょうど1年前と比べると非常に大きな差を感じずにはいられません。

 恐らく日本ではもうこの出来事について忘れている人も少なからずいると思います。しかし実際に体験した身からするとこうして4月を迎える度に今後も思い出すであろう出来事になると思います。