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2023年6月28日水曜日

「ゲイシャ」が消えた!?

 先週、Steamを通して「アクション対魔忍」を遊べることを知り、プレイ開始当初はそれほどでもなかったものの、週末挟んでから徐々に本格的にはまってきて遊ぶようになっています。なお主に使っているのは「脳筋対魔忍」代表こと秋山凜子です。
 それにしてもこのゲームですが「退魔忍」と名乗ってはいるものの舞台設定が近未来SFとあって、みんな着ている衣装は忍び装束ではなくライダースーツで、このゲームのせいでライダースーツ着た女性が対魔忍と呼ばれるようになったのはなかなか因果に思います。一応、忍者設定もあるからたまに術も使うものの、基本おまけ程度なので忍者要素はかなり薄いです。元がお色気ゲームなんだから細かく突っ込むのも野暮ではありますが。

 それでも敢えて忍者を名乗るのは、やはり海外における日本の「Ninja」ブランドの力によるものだと思います。実際このアクション対魔忍は海外でもそこそこ評価されてるらしく、自分のフレンドリストにもなんかやたら中国語漢字のアカウントが多いです。みんないちいち口に出したりしないけど、日本最強のブランドはソニーでもトヨタでもなくやはり「Ninja」でしょう。
 その忍者に並ぶ日本の架空(?)の人気職業ブランドとしてもう一つ、「サムライ」があります。忍者と侍はセットでありそうで実はあんまセットで提供されない組み合わせですが、どちらも単独であってもどの国にも一定程度通じるブランド力があり、また「侍JAPAN」に代表されるように日本人の理想像としても使われるあたり、国内外を問わず強力なブランドイメージを持つ言葉だと思えます。

 なおWBC日本チームは当初から侍JAPANを名乗っていますが、最初の方は変化球で惑わしたり、盗塁で揺さぶったりなどどちらかというとNINJAPANだった気がします。ただ先のWBCでは今日も先発でホームラン二発を決めた大谷選手をはじめ圧倒的な力でねじ伏せる戦いを見せるようになり、侍JAPANの名に恥じないチームになった気がします。


 脱線しまくりですが今日出た上の記事にある、

「この日はスプリットとカットボールが冴え、100マイル近いフォーシーズンズや決め球のスイーパーも効果的に決まった」

 という記述見て、よくこんな誤字決められるなと目を丸くしました。AIにでも記事書かせてんのか?

 話は本題に戻りますが、以上の通り忍者と侍は圧倒的ブランド力を保ち続ける一方、かつてこの二つに並び称された「ゲイシャ」という言葉をここ数年、目と耳にすることが全くありませんでした。端的に言って、忍者や侍と比べると芸者はかなりフェードアウトしているような気がします。

 芸者もかつては侍や忍者同様に「東洋の神秘」として欧米をはじめに結構もてはやされていたように思え、実際に00年代であればアメリカの本屋に「Last Geisha Story」という本が割とどこでも置いてありました。しかし前述の通り近年、そもそも芸者という言葉を目にすることが日本国内でもほとんどなくなり、また海外で紹介されるような記事も見当たりません。自分がいる中国でも、忍者や侍はまだ目にする一方、芸者を目にすることは全くありません。

 一体何故、かつて高いブランド力を誇った芸者は消え去ったのか。忍者や侍と違って戦闘職じゃないなど理由はいくつかあるでしょうが、一番大きいのは漫画やアニメに一切登場しないっていうてんじゃないかと思います。

 現代の日本文化の発信とくればやはり漫画やアニメが一番波及力が強いですが、そうしたメディアで芸者が取り上げられることはほぼなく、ホストやホステスはともかく、芸者が主人公な作品なんかまず見ません。芸者という職業観もあるでしょうがそれ以前に日本国内で芸者文化自体が退潮気味であり、ニューリッチ層でも廓遊びに狂う人もそんないないように見えます。そうした日本国内での退潮が発信メディアでも現れるようになり、かつてもてはやした欧米でもだんだんと忘れられてきているのではないかと思います。

 それと比べるなら、忍者は以前として漫画やアニメの主役級キャラクターであり、侍も「ゴースト・オブ・対馬」で海外のゲームメーカーが主役として登場させる辺り、人の心に突き刺さるものがあるとともに、そのブームがうまく時代を経て引き継がれているように感じます。対魔忍も派生した忍者の一端としてこうしたブームを牽引しているのかもしれませんが、どちらかといえば芸者に属しているような気もします(´・ω・)

2023年6月26日月曜日

アニメや漫画にゆかりの場所が少ない関西

 先日、中国人の同僚から「秋くらいに日本、それも関西方面へ旅行に行こうと思うのだけれど何かアニメや漫画にゆかりの場所とかない?」と聞かれました。聞かれて自分も少し考えては見たものの、パットと思い浮かぶものはなく、「放火された京都アニメーションのスタジオ跡ならあるけど(´・ω・)」と答えたら「さすがにそれはいい(;´Д`)」と返事されました。

 この会話の後、改めてネットの検索などを駆使したり記憶を辿ってみたりしましたが、これという場所が関西地域では浮かんできませんでした。ネットでの「関西を舞台にした漫画」という検索に至っては、「ナニワ金融道」とか「ミナミの帝王」などしかヒットせず、これらの作品で聖地巡礼するファンなんているのかよと自分でツッコミを入れる始末でした。
 また自分のかすかな記憶の中では「押忍!空手部」でヤンキーたちが集会する場所として大阪城公園があること思い出しましたが、これもそもそも作品自体古いし、中国人でこのマンガ読んでる人がいたら逆にビビります。まぁ自分もそんな読み込んだ作品じゃないですが。

 そんなわけで、京都や大阪という結構独自性ある都市を抱えながら、改めて考えると関西を舞台にした漫画やアニメ作品ってほとんどないなということに初めて気が付きました。漫画におけるキャラクターとして関西人は特徴をつけやすいのか頻繁に登場するものの、登場人物全員関西人的に、関西を舞台にした作品となると実は希少ということになります。
 まぁ超関西どローカルな作品として、「じゃりんこチエ」があるけど。これも今の若い子はもうわからないだろうな。

 では漫画やアニメで舞台となりやすい地域としてはどこなのか。やはり首都でもある東京だと吉祥寺など結構ローカルな地名とかも出てくることが多いです。中でも新宿、それも歌舞伎町はホストやホステスが出てくる漫画ではメインの舞台となり、ゲーム「龍が如く」でも事細かに描写されていることもあって、初めて訪れる外国人ですら「ゲームで歩き回ってるから地図なしで歩ける」というくらいやたら認知が深い場所になっています。
 このほかだと一時期はゲームの「アキバズトリップ」、漫画の「秋葉原電脳組」(自分で書いててよく覚えているなと思う)など秋葉原を舞台にした作品も多かったですが、近年の秋葉原の零落ぶりはすさまじいだけに、なんかこの手の作品は急激に減っている気がします。ピークだったのはまさに「シュタインズ・ゲート」出たころだろう。

 このほか実際の地名やゆかりのある場所が出てくるものとして「らきすた」が埼玉県の神社を出し、ファンの聖地となって、地元もうまいこと乗っかった例もあります。ただ一部のこの手の「聖地」ではファンが大量にやってくるようになって混乱を招いたという例もあるので、クリエイターの側もモデルとした場所を敢えてぼかしたりしているのかもしれません。
 なおこの手の聖地巡礼では「スラムダンク」に出てくる湘南の踏切が中国人の中で人気ナンバーワンで、この前の映画公開を受けて今も中国人が大挙して訪れているのではないかという気がします。

 話を戻すとやはり出版業界が東京に集中していることもあって、関西を舞台にした娯楽作品というのが意外と少ないと思え、それはそれでなんかもったいないなという気がします。小説でいいなら「鴨川ホルモー」が京都を舞台にしてますが、あれはあれで正直言って面白くなかったので、もっといい作品があればという気がしてなりません。やるんだったら京都国際会館に至るやたら急な坂道でバトルするとか、進撃の巨人の如く八条以南の京都人がJR線を乗り越えて侵入してくる展開が読みたいです。

 また関西、東京以外では、「氷菓」が岐阜の山奥を舞台にしてたりしますが、特徴ある地域とかだったらこういう取り組みは前述の通り現地で混乱を招く恐れもあるものの、将来のタイアップの可能性をつなげる意味では結構ありな気がします。そうなるとやっぱり自分としてはマッドシティを出さざるを得ないというか、もし将来小説を書くことがあったら松戸を「名探偵コナン」の米花町もびっくりなくらいの犯罪都市として仕立て、東松戸の丘のあたりに邪神を封印しておくような展開にしようかなと思います。
 一応、ゲームの「学校であった怖い話」で撮影に使われた学校があり、話でもモデルとなっているのは松戸市だったりしますが、これもかなり古い作品だから今更感があると思いつつ、やっぱホラーや犯罪と松戸は相性がいいのかなとも思えてきます。

3巻から急につまらなくなった(ぼっちざろっく)

 去年の冬頃に何度もこのブログで取り上げた「ぼっちざろっく」ですが、アニメを見て興味を持ったことから原作の漫画単行本も折に触れて買うようになりました。1巻と2巻はアニメでも取り上げらえた箇所で内容はあらかじめ把握していたものの、漫画は漫画として楽しむことができ、非常に満足いく出来でした。
 そんな感じで強い期待感とともに先日も3巻を購入してみたのですが、結論から言うとびっくりするくらい面白くなく、マジで強い衝撃を受けました。一体何故3巻から急につまらないと感じたのか、自分の中で理由は割とはっきりしています。

 そのつまらなくなった理由は、セリフ量が明らか且つ異常なくらいに増大しているためです。話数が進むごとにこの傾向はどんどん増しており、3巻後半の話に至ってはほとんどのコマがセリフの吹き出しだけで余白が半分以上埋まっています。元からセリフ量の多い漫画でしたが3巻に入ってからはそれに輪をかけるようになっており、セリフの多い銀魂ですらここまでは多くないでしょう。
 そのあまりのセリフ量というか文字数の多さに加え、四コマ漫画という形式からコマが小さいため、マジで読んでて老眼でもないのに見づらいと感じます。でもってそのセリフもウィットにとんだものでもなく、あんまひねりのないしょうもない内容が多いように感じます。

 一体なんで急にセリフが増えたのかですが、作者のインタビューなどを聞いていると主人公のぼっちにあまりに注目が集まり、ほかのキャラがあまり印象に残っていないという読者の反応を見て、ほかのキャラにスポットを当てるようになったと語っていることから、恐らくこれが原因だと思います。実際、ぼっち以外のキャラに対する描写が増え、それに伴ってセリフ量も増えています。
 ただちょっと理解しがたい点として、ほかのキャラにスポットを当てながら、自分の中の印象だとむしろそれ以前よりも陰が薄くなっているような気がします。何故かというと3巻に入る辺りで、やたらと新キャラを投入するようになり、結果的に1キャラ当たりの描写がそれ以前よりも減っているからです。これは主役のぼっちにも当てはまり、ある意味彼女の奇行が作品の主軸でもあっただけに、作品全体の面白さも一気にトーンダウンしてしまったかのように感じます。

 また前述の通り吹き出しが多くなりすぎて、絵で見せる描写が減ったせいか見栄えも悪くなっているように感じます。元々、この漫画は表情の微妙な変化を見せるのがうまいなぁと感じていたのですが、そうした表情が吹き出しで見えなくなるというのは本末転倒もいいところでしょう。

 あくまで以上は私個人の感想ですが、こうしてみると漫画とかのテコ入れって難しいんだなと改めて感じます。読者の反応を受け入れて描写を変えたら逆に人気が落ちたっていう話はほかでもよく聞きますが、その反対に読者の反応を無視し続けてたら作者の自己満といわれて人気が急減するという話もよく聞きます。割合的には後者の方が高い気がしますが。

 オチらしいオチがあるわけではないですが、セリフに関しては工夫次第で同じ内容でも短くまとめることもできるので、ぼっちざろっくに関してはこの方面でもっと上達が見れたらいいなと思いつつ、4巻を買うかは若干悩み中です。

2023年6月25日日曜日

ワグネルの反乱が終わって

 昨日に始まって今朝には終わってたロシアのワグネルの反乱ですが、ほかの人も指摘している通り、プリコジンはともかくとしてプーチンにとっては非常に痛手となる事件だったように思えます。というのも、ロシア国内で反乱を起こされたとしても、それを鎮圧するだけの力がもはやないということを示してしまったからです。

 反乱当初こそやれテロリストだの必ず殺すなどとプーチンも言ってましたが、結果的にはワグネル側の要求を丸呑みし、表に出ていない裏要求も飲み込んだとも指摘されており、ほぼ言いなりのような結果でした。この後プリコジン個人はベラルーシで暗殺される可能性はあるものの、これを見てほかのロシアの軍属や部隊も、いざとなればごねれば何とかなると悟ったと思います。また実行に移さないにしても、軍部の士気は当然下がるように思え、ウクライナとしてはもうちょっとワグネルに粘ったほしかったところでしょうがこの結果でも十分プラスになると言えるでしょう。

 既にウクライナの支援を受けているロシア人部隊が国境を荒らしていますが、今後こうした活動は国境のみならず、ロシア国土の内陸でも起こってくるかもしれません。ロシアがここまで凋落するとは私を含め誰も想像だにしていませんでしたが、第二のソ連崩壊が見られるかもと思うとなかなかに貴重な体験ができるとうれしく感じます。

2023年6月24日土曜日

ワグネルの反乱を見て

 まるで映画みたいというのは月並みですが、本日より各所で報じられているロシアの傭兵部隊であるワグネルがプーチン政権に反旗を翻したという事実には非常に目を丸くさせられました。このところの国際ニュースはタイタニック見学者がタイタニックになったともいうべき深海探査船のトラブルばかりでしたが、そのニュースをかき消してしまうかのようにワグネルの話題一色に切り替わりました。

 現状の報道を見る限り、ワグネルが反乱を起こし、ロシア軍の軍事施設を占拠したというのはもはや間違い用のない事実です。トップのプリコジンに至ってはかねてからロシア正規軍との折り合いは悪かったですが、今回は「プーチンは間違っている」とはっきりとプーチン政権に異を唱えており、軍同士の内輪揉めではなく、政権に対する反乱に至ったともはや見ていいと思えます。

 この反乱について自分が気になった点は二点で、一つは今後のウクライナ軍の動向です。

 ワグネルとは文字通り命を奪い合った関係でもあることから、ウクライナがワグネルに対し協力姿勢を取ることはほぼないと私は思っています。ただこのロシア国内で起きた反乱の動きに合わせ、現在進行形のクリミア奪還を目指した反攻がどう動くのか、進軍を早めるのか、それともあえて静観してロシア軍の動きを見極めるのか。今後のウクライナ軍の動きがどうなるかがまず気になります。

 二点目は、プリコジンの後ろ盾に米国はいるのかという点です。

 プリコジンは「ロシアのため」に反旗を翻したと主張していますが、果たしてこの言葉通りに受け止められるかといったらそうでもないでしょう。報道ベースではロシア人らしくかなり強欲な人物のようで、自分の得にならないことは絶対やらないそうな人であるだけに、彼が反乱を起こすに至った動機、そして勝算に対する考察こそがこの動きを読む上で特に重要だと思います。

 考えられる背景としては、かねてからワグネルはロシア正規軍への編入を求められていたというか命令されていたようで、これに対しプリコジンが実験を奪われると危惧した、または自らの命の危険性を感じ、やられる前にやってやれ的に反乱を起こした……というのが素人目からした見方です。
 以上の背景を前提に、反乱を起こしても失敗すればただ死ぬだけなだけに、一体どこに勝算を感じたのかという点で、真っ先に浮かんだのが米国の後ろ盾です。反乱が成功した場合、米国はプリコジンに協力すると密約があるのであれば、こうして反乱を起こすに足る勝算が得られるのではないかと思えるのですが、実際に所はもちろんどうだかわかりません。また仮にそうした密約があったとしても、ロシア国内の支持を失う可能性が高いだけに、プリコジンも米国もその事実を明かすことはないでしょう。

 もっとも米国の後ろ盾がないとしても、軍部内での軍中央への不満を感じ取った、反乱に同調する勢力が軍内部にいたなどの要素があれば、十分に反乱に踏み切ることができます。もしかしたら、破れかぶれ的に失敗を覚悟で踏み切ったということも十分に考えられますが、やはりカギはほかのロシア軍部隊がワグネルに同調するか否かになってくるでしょう。

 それにしてもまさかここでこんな展開が起きるとは、自分なんて可能性すら一顧だにしていませんでした。事実は小説よりも奇なりというか、この展開を予想していた人がいたらマジ孔明でしょう。

2023年6月22日木曜日

食べ物の恨みはおそろしい

 昨日の記事にも冒頭に書きましたが、昨日ケンタッキーでセットメニューを頼んだら一緒に出てくるはずのアイスが「今作っている最中だから出来るまで待ってて」と言うので待ったところ、1時間たっても出てきませんでした。その場で文句言ってれば出してくれたかもしれませんが1時間も待っていたこと、あとカウンターの目の前に座っていたのに放置されたという事実がなんかかなりショックで、結局何も言わずそのまま出て行ってしまいました。
 一夜明けた今日も頭から離れず、春の上海モーターショーでBMWにアイスもらえなかった人たちの気持ちがなんかわかった気がします。

 そもそもというか、こうした注文したのに料理が出てこないということがこの1週間に異常に多くありました。月曜はできたてのカレー屋に同僚といったところ、オープンしたばかりかオペレーションが悪く、でもって大量の注文を店側が見落としていて、店のテーブルついて注文してからカレー出てくるまで1時間かかりました(周りのお客もほぼ全員見落とされて)。
 でもって今日も馴染みの日本料理屋で食事終えたところ、通常なら皿を片す際に食後のコーヒーが出されるのですがこの日は若干客入ってて忙しかったのか、数十分放置されたままで、さすがにここは店員とも顔なじみなため直接「コーヒーちょうだい(/・ω・)/」といって出してもらいました。

 こんなこと普段ないのに1週間に3回もあって、なんか呪いでも受けてんじゃないかと、今精神的に応えています。呪いだとしたらめちゃくちゃ嫌らしい呪いだと思う。

 こうした事態にあって改めて感じることとして、やっぱ食べ物の恨みはおそろしいというか、ちょっとしたことでもめちゃくちゃ癇に障るってことです。それも現代という飽食の時代にあってすら困難だから、飢餓の時代にあってはちょっとでも分け前が不公平だったりした場合は殺し合いに発展するというのも十分ありうるという気がします。

 そんな食べ物の恨みで実際に言っていた人となると、自分の中では水木しげるが出てきます。戦時中、お正月ということで豚肉が振舞われることとなったそうですが一兵卒に配られたのはほんのひとかけらで、士官らはもっと多くの豚肉が振舞われているであろうことを考えたら激しい怒りを覚えたという体験が自伝漫画に描かれていました。

 それと本当に不思議な偶然ですが先日、生前の水木しげるがゲーテの言葉の中で特に印象に残った言葉を抜粋して編集された「ゲゲゲのゲーテ」という本を購入し、ちょうど今週読み終えました。この本の後半に編集者が「特に水木しげるのゲーテ観が出ている作品」として短編漫画が収録されているのですが、その内容もまさに「食べ物の恨み」でした。
 時代は江戸時代で、武士が茶屋でぼた餅を頼んで待っていたところ、後からやってきた三人組の輩が運ばれてきたぼた餅を先によこせと横取りして次々と食べてしまい、最初は我慢していた武士でしたが店の最後のぼた餅まで横取りされたところでとうとう我慢できず、刀を抜いて輩の耳を切るという制裁を加えてしまいます。その後、店を去った武士でしたが、後から自分の行いを恥じて酷いことをしてしまったと後悔するという話です。

 改めてこの漫画を読み返すと、目の前で食べ物を食べられなくなるとなると人間見境がなくなることが描かれているように思え、自分も今若干そんな状態にあるのかもしれません。食事は生存本能に直結するだけに、こうした怒りをどう抑えたり、食欲を管理できたりするかは理性の構築において意外と重要なのかもしれません。


「2年ごと」の意味って?

 今日ケンタッキーでセットメニュー注文したら「アイスは今できてないから出来上がるまでちょっと待ってて」といわれ、1時間待っても出てこなかったのでそのまま帰宅し、日本人らしく家帰ってからあちこちのレビューサイトで「サービス態度:最悪」というレビューを片っ端から打ち込んでいきました。こういう時、自分が日本人であることを強く自覚します。
 なおアプリ経由でケンタッキーにも直接チャットで事のあらましを伝えたところすぐ電話きましたが、なんか代わりにアイスのクーポンとかあげるなどといってましたが、もう行くことないからいらないと断りました。っていうか、マジでカウンターの真ん前の席で延々と待ってたのに忘れられたのがショックです。

「ジュンさんと繋がってるんじゃないか」 広末涼子が「週刊文春」に激白した事務所への不信(文春オンライン)

 話は本題ですがあんまこういう話題に触れるのもどうかなと思う一方、現在日本一ホットな話題はこの広末氏の不倫なだけに、自分も追加報道が出てくるとみてしまいます。

 それで今日出てきたのは報道元の週刊文春に当事者である広末氏が直接電話してきて弁明したという内容ですが、ネットでのほかのコメントにあるように「なんで被害者ぶってんの?」というのが自分の感想です。
 この不倫劇については先週末に夫であり騒動以降に株が急上昇しているキャンドル・ジュン氏が会見を開き、その発言内容と真摯な態度に注目が集まりました。この会見についてはいろんなメディアが内容が取り上げていましたが、自分として不思議だったのは、「(広末氏は)大体2年ごとに化粧や格好を派手にすることがあった」といった内容の発言について、どこも掘り下げていなかったという点です。もったいぶらずに端的に言えば、これは2年ごとに不貞に走っていたという事実を暗に示した発言だったのではないかと、私は思いました。

 そこへきて今回の文春の記事ですが、もうはっきりと「つまり、キャンドル氏はかつて広末の不倫を巡り、『相手方と示談したことがあったというのだ。」と書いちゃっています。これ見て自分は、「やっぱ2年ごとだったんだね(σ・∀・)σゲッツ!!」と得心しました。
 というか、最初の報道でも「これっきりっていう書き方じゃないな」という印象を覚えました。イメージ的にはかつての考古学会における石器発掘捏造事件みたく、「たまたま今回だけ」と当事者たちは言うものの、実際は過去ずっとやり続けた延長線上であることが分かっているかのような記事の書き方だったという気がします。具体的に言うと、当事者たちへの糾弾がやや弱いというか、相手の出方を意図的に待っているような書き方であるように見えました。

 もちろん以上は若干私の憶測が入っていますが、仮にその通りだったとした場合、これから第二、第三のスキャンダルがさらに出てくるかもしれません。っていうか文春なんか「その相手として浮上したのが、現在もドラマや舞台で活躍している2人の俳優だ。」とまで書いているし。
 私自身は別に不倫に走ろうが何しようがそれは当人の勝手だという風に思うものの、子供抱えていて不倫に走る人、相手に子供がいるとわかってて家庭を壊す行為に走れる相手に対しては軽蔑めいた感情を覚えます。子供がいなければまぁ本人の気持ち次第というところもありますが、子供がいる時点ではやはり責任というものを自覚すべきでしょう。そういう意味では会見でキャンドル・ジュン氏が子供のことを考え報道を控えてほしいといったあの発言には打たれるものを感じました。