ページ

2023年7月10日月曜日

想定外の加齢臭元

 最近、自宅に帰ると加齢臭らしき臭いがしてきて自分も年食ったなぁと思い始めていたのですが、よくよく臭いの元を辿ってみるとなんか一か所だけやたら臭うということに気が付きました。そこに何があったのかというと、意外や意外にハンガーで、これがすべての元凶でした。

 無知で恥ずかしいのですが今の今まで、プラスチックハンガーは長年使い続けると異様なにおいを出すということを、今回初めて知りました。原因は日光で、屋外での選択物干しに使用する際に浴びた日光によってプラスチックが分解され、一定期間を超えるとやばげな臭いを発するようになるそうです。その臭いはワキガに近いと言われていますが、自分ちのプラスチックハンガーもまさにそのような臭いでした。
 実際にはちょっとずつ臭いを発するようになっていたと思いますが、つい最近までハンガーがこれほど、具体的には部屋に入ったらわかるくらいの臭いを出していることに気が付きませんでした。なんとなう部屋がそういう臭いなんだろうと見逃していたわけですが、臭いの元凶であったハンガーは何度洗ってもすでに内部まで相当分解されていたためか臭いは止まず、そこまでこだわりもないためこの際捨ててしまいました。っていうか今回の一件で、ハンガーは金属で作られる理由がよくわかりました。

 過去の自分はほぼ2年ごとに引っ越しを行い、そのたびに家具などもいちいち新調していたことから、プラスチックハンガーがこうして劣化するということを知らずに生きてきていたのだと思います。逆を言えば今の生活は異常なくらい安定しているというかすでに七年半も同じところに住んでいて、七年も天日に干してりゃそりゃハンガーも臭くなると妙に納得しました。
 それにしても今回気が付いたからよかったものの、案だけ臭い発するハンガーに選択物干していたという事実に我ながら軽い恐怖感を覚えます。もしかしたら衣類に臭いが移っていたかもしれず、陰で「あの人加齢臭臭い(/ω\)」と言われてたかもしれません。今回捨てた後、部屋の中からあの妙な臭いは一気に掻き消えたことから多分まだ私自身は加齢臭をそんな出していないと思いますが、臭いって結構他人の印象を左右するだけにもうちょっと気を使ってこうと思います。

2023年7月7日金曜日

反省文を書きまくった皇帝

 また本題と関係ないけど「アクション対魔忍」の中国語名は「動作対魔忍」でした。なんか少し違うような気がする。

孝文帝(Wikipedia)

 話は本題ですが、日本において「北魏」というと多分世界史を習った人は「大仏」と答えるかと思います。というのも、この北魏(5~6世紀)という中国の王朝に関しては「中国で仏教が盛んになった王朝」で、この時代の大仏を「北魏式」と呼ぶことしかテストに出ないからです。しかし実際には混乱極まった中国の南北朝時代(五胡十六国時代)において、華北地域で初めて安定を得た王朝で、後の隋、そして唐による統一のきっかけにもなるなどかなり重要な王朝だったりします。
 またこの北魏の時代から口分田こと均田制が始まり、これら政策や税制はそのまま日本の奈良時代に引用されています。そういう意味では、日本にとっても影響力の深い王朝です。

 そんな北魏において最盛期を築いたのが上記リンク先の孝文帝です。北魏の王朝は拓跋氏という、鮮卑族による王朝で、孝文帝の本名も「拓跋宏(たくばつ・ひろし)」といいました。しかし彼は早期に漢民族系の文化に染まり、首都を洛陽に移したほか、生活や制度まで漢民族風に一気に切り替えたことで有名です。
 そのため苗字に関しても、わざわざ「拓跋→元」と改名し、途中からは「元宏(もと・ひろし)」と名乗ったりします。

 そんな孝文帝ですが、祖母(実母であった説もある)の馮太后から英才教育を受け、非常に勉強熱心な皇帝としてデビューを果たします。わずか5歳で帝位に就いて当初は馮太后が摂政となったものの、馮太后の死後からは申請を開始し、善政を敷いて北魏の勢いを高めています。その過程で、漢民族と自分の出身である鮮卑族の融和も進めるなど、かなりマルチな活躍ぶりを見せています。

 性格も非常によくできた、物分かりのいい人だったとされているのですが、そうした一端をうかがわせるエピソードとして、反省文の話があります。なんでも、孝文帝は反省文を書くのが大好きで、ことあるごとに「世の中が飢饉なのは僕のせいです」、「中国が統一されないのは僕の努力が足りないせいです」、「皇太子が反乱を起こしたのも僕のせいです(でも討伐する)」などと文書にしたためては、「天よ、罪深い僕を罰したまえ」などと書き続けたと言われています。恐らく、反省文の執筆数でいえば歴代皇帝ナンバーワンでしょう。

 自分は猫の歴史漫画で初めて孝文帝について知りましたが、さっきの「おばあちゃんが実は母親だった?」などといい、こんな面白い人をなんで詳しく教えてくれなかったんだという思いが決行します。割と五胡十六国時代は穴場というかこういうのが多いので、いつかまとめる本でも出そうかな。

2023年7月5日水曜日

忍者文化の普及に貢献した偉大な人たち

 先日の記事で日本最強のブランドはトヨタでもソニーでもニンテンドーでもなく「NINJA」だと主張しましたが、このブランドは何も一朝一夕でできたわけではありません。では忍者文化の普及において今までどのような人物がいて、どのような貢献があったのかをまた帰宅途中に無駄に考えていました。

1、山田風太郎
 恐らく現代における忍者のイメージ、特に奇想天外な忍術を使ったバトルを確立させたのは昭和の名作家こと山田風太郎じゃないかと思います。「甲賀忍法帖」をはじめ比較的早期に忍術バトル、それも二陣営に分かれて多くの登場人物が技を競い合う形式を確立させたのは日本のエンタメ上でも非常に意義深いでしょう。
 その「甲賀忍法帖」は平成になってせがわまさき氏が「バジリスク」というタイトルにて漫画化し、アニメ化されたこともあって日本国内はおろか海外でも再び忍術バトル物を大きく普及させています。昭和のみならず平成においてもファンを広げたあたり、その影響度は昭和以降としては随一でしょう。

2、白土三平
 小説における忍者のスタンダードを作ったのが山田風太郎であれば、漫画における忍者スタンダードを作ったのはやっぱり「カムイ伝」で、その作者である白土三平じゃないかと思います。それまで講談の中であった忍者をビジュアル化し、尚且つ諸行無常な世界観で命をやり取りし合う殺伐とした忍者の生きざまを描いたという点で、こちらも現代における忍者イメージの確立に大きく貢献しているでしょう。
 特に忍術を具体的に絵で表現した点は、その後のアニメや特撮などにも影響しているのではないかと思います。個人的には主人公の必殺技でもある「飯綱落とし」ですが、ゲームにおいて「ニンジャガ」や「デッドオアアライブ」に登場するリュウ・ハヤブサの必殺技として採用されており、ゲーム上での高威力と派手さもあって、忍者を代表する最大の技だと勝手に考えています。

3、ショー・コスギ
 海外での忍者普及の面で、最大の貢献者といったら恐らくこの人でしょう。昭和期にハリウッドで数多くの忍者役として出演し、その高いアクション技術もあって人気をかっさらい、「日本人=忍者」というイメージを大きく刷り込ませたと考えています。
 真面目に日本政府はショー・コスギ氏の貢献を評価して「国民忍者賞」とかを授与すべきだと思います。彼なしには恐らく、現代における忍者の隆盛はなかったでしょう。

4、岸本斉史
 言わずと知れた「ナルト」の作者ですが、直近における忍者普及の貢献でいえば間違いなくナンバーワンでしょう。作品が人気を得た理由としては、主人公らが少年で、仲間と忍術を学びながら成長していく過程がそれまでの殺伐とした忍者世界とは異なっていた点が、特に海外で受け入れられたんじゃないかと考えています。同じようなコンセプトでは「忍たま乱太郎」がありましたが、あっちは海外展開はしなかったし、忍術描写が「ナルト」ほどには派手じゃなかったしなぁ。

 このほか特撮であれば「仮面の忍者赤影」がありますが、個人的には「ジャイアントロボ」での「マスク・ザ・レッド」の呼称の方がしっくりきます。逆に今回色々考えてて、かつてと比べると忍者が主役な映画や特撮番組が減っているような気がし、またショー・コスギ氏のような忍者役といったらこの人っていうイメージもなくなっており、これはこれでよくないのではないかとも思えてきました。
 そういう意味では日本政府は国を挙げて、世界を相手にする忍者俳優を育成すべきでしょう。ぶっちゃけ日本人じゃなくてもいいように思え、ハリウッドや中国でアクションに秀でた人で忍者映画作る方が手っ取り早いかもしれません。

2023年7月4日火曜日

中国におけるカルフールの厳しい現状

 例のアクション対魔忍ですがここにきて桃知凪ばっか使うようになりました。楽しい。


 それで本題ですが、上の現代の記事にもある通りフランス系スーパーのカルフールは今、中国でかなり経営が傾いています。
 軽く歴史を紐解くと00年代中盤にカルフールは中国に進出してきて、イオンのようなGMS系スーパーとしては中国だとほとんど初の形態だったこともあり、当時は物凄い繁盛していました。自分が上海に現れ始めたのは2010年頃ですが、その頃はカルフールに行くといつも人でいっぱいで、生鮮品売場なんてカートを進める隙間もないくらいごった返していました。

 しかし大体時期にして2015年くらいになると、同じような形態のスーパーがほかにも現れ始めたほか、オンラインショッピングが中国で爆発的に普及し、こうした実体店スーパーから客足がだんだんと遠ざかるようになりました。それでもまだしばらくは休日ともなれば人が訪れていたものの、やはりコロナが流行した2020年くらいから劇的に来客が減るようになり、自分もたまに訪れるとえっと思うくらい人が少なくて居づらい印象を覚えるようになってきました。

 そうした状況もあってか、カルフール本社は中国からの市場撤退を決め、数年前に中国にある店舗や運営権を中国家電大手の蘇寧電器に売却しました。この過程で不採算店舗なども閉店されたのですが、閉店された跡地は今でも上海市内に結構残っており、中国の商業不動産の不振というか小売業の苦しい状況が見て取れます。
 一方、残った店舗の方も決して安泰ではなく、あれこれテナント誘致しようとしているもののどれも長続きせず、フロアのあちこちでシャッターの閉まった、なんていうか女神転生とかペルソナに出てくる現代風ダンジョンみたいな店舗になってたりします。買収した蘇寧電器の方もこのところ業績が良くないらしく、実体小売全体で寒風が吹きすさんでいるのかもしれません。

 それで上の記事ですが、今日見ていろいろ思うところがあったというか、実は一昨日の日曜にたまたまですが自分もカルフールを訪れていました。訪れた理由は散髪で、カルフール内に入っている散髪屋が「It‘s short!(・∀・)」みたいな感じで言えば割と余計な事せず短く切ってくれるので、伸びたらいつもここに通っているからです。
 そんなわけでホイホイと日曜午前にカルフールへやってきたわけですが、店内に入って一瞬で、その異様な空気に気が付きました。それは何かっていうとただ単純に暑く、館内で冷房が切られていたことです

 一応書いておくと、これまで夏場のカルフールはきちんと冷房がついていました。しかし先日訪れると全館で冷房が切られており、そこそこ気温が高かったこともあって異様な雰囲気となっていました。たまたま冷房が壊れていただけだと信じたいですが、一部のテナントは自分とこように簡易の据置型冷房を置いてた当たり、一時的じゃなさそうな雰囲気がありました。っていうか冷房売ってる蘇寧電器が冷房つけないってのは結構やばい気がする。

 そんな状況ながら当初の予定通りに髪切って、相変わらずいい感じに切ってくれたのでそのままサブウェイでサンドイッチ買って帰宅しましたが、上海の古北にあるそのカルフールは往年の繁盛していた頃を見ていただけに、今の状況を見ていろいろ感じる点が多いです。かつてのホークス優勝時にしか客が来なかったダイエーを見ている感じというか、ひとしおの寂しさを感じます。
 またそうした状況ゆえか、外壁はもとより内装も汚れや未修理箇所が目立つようになっており、なんとなく蘇寧電器も匙投げているような感じがします。もっともカルフール以前にウォルマートはちゅぐ奥でもっと早くそのような状況になって撤退しているだけに、カルフールはまだよく持った方かも知れず、また店側の努力以前にオンラインショッピングの普及がでかいのだと思います。

2023年7月3日月曜日

豊かさとは何か?

 先ほど小腹が空いたのでコンビニにかっぱえびせん買いに行って、風呂上がりに買っておいたカルピスとともに食べました。夕食はうどんとウインナーを茹でただけとやや少なかったものの、なんかやけに食欲高いので風邪ひく前なのかもしれません。
 上記のような状況ですが、学生時代の自分からしたら絶対にありえない行動でした。学生の頃は本当に金がなく、晩飯はキムチとみそ汁とごはん2合が当たり前で、夜中におなかすいてもお金ないから何か買いに行くとかいう選択肢はあり得ませんでした。そんな当時をしのぶにつれ、自分も無駄に贅沢になったなと思うとともに、金銭的余裕があることにいくらかの幸福感を覚えます。仮に豊かさで見れば、学生時代の私は量産型ザクⅡ(J型)程度に対し、今の私はハイザック並みに、見かけは同じでも中身は全然違うくらいハイグレードでしょう。

 というところまで考えたところで、そもそも豊かさとは何ぞやというよくある哲学的議論を思い出しました。この議論というか問いに対する答えは自分の中でははっきりしていて「比較なしに有意を感じるものがあるか」に尽きます。
 基本的に人間の行動は、食事など生存欲求に直結するものを除けば、ほぼすべて「他人に対し優越感を覚える」目的で行われると考えています。いい就職先とか他の競合者より優れた技術を示せる趣味など、ほかの奴より俺の方が凄いと感じるために行われる行動が9割くらいじゃないかと内心考えています。でもってそういう秀でた能力がない人間ほど、阿Qじゃないけど心の中で他人を見下したりする行為に走ったりする気がします。

 それに対し、他人より劣っていようが優れていようが気にせず、延々とやり続ける趣味なり嗜好がある人間ほど、人間としては豊かなんじゃないかと思います。ゲームでも盆栽でもスポーツでも食べ物でもいいですが、比較が介在するにしても一切気にせず、継続し続けられるものがあればきっと豊かな人間だと思いますし、立派だと私は考えます。そうしたものがどれだけあるか、それが人としての豊かさに直結するのではと思う次第です。

 なお金銭的豊かさに関しては、やはり限界があるというか、金持ちほど幸福感が低いという統計結果が人種や文化に関係なく出ています。完全に否定こそいないものの、やはり金銭的豊かさこそ比較優越を感じる最たる基準であるだけに、心や気持ちの豊かさとしては一定基準に到達すると充足しきれない価値観だと思います。まぁお金はあるに越したことないですが。

 そういう意味では幸福感がほかの国と相対的に低いと言われる日本人は、もっと趣味とかを充実させる社会にした方がいいのでしょうが、そうした意識を持っている政治家がどれだけいることやら。まぁ撮り鉄は周囲にいたら面倒だと思うけど。

2023年7月2日日曜日

Vガンダムとエヴァに共通したテーマ


 本題と関係ないですが上の動画見て、中国人はみんないつも映画でも撮影してんのかよと思いました。こういう突飛な映像がしょっちゅづ得てくるのが中国でしたが最近は見なくなり、久々に見ると凄く安心します。


 話は本題ですが、アニメのVガンダムに声優として出演した阪口大助氏と、カエルとおかんの声でおなじみの渡辺久美子氏の対談記事が出ていました。っていうかこの対談、主役張った坂口氏はともかくとして、ヒロインのシャクティではなくカテジナ役の渡辺氏を選ぶ辺り、企画した人は良くわかってるでしょう。

 この対談は結構裏話が多く、業界経験間もなく緊張でガチがちだった阪口氏をだましてパーマに欠けたりして、阪口氏がリアルで「おかしいですよ」とカテジナさんに言っているのが笑えました。
 ちなみに阪口氏は「アイドルマスター」の企画で出演声優の料理バトルを司会した際、合成着色料で青色に染め上げられた鶏肉も食わせられており、Vガンダムの主役のウッソといい女難な人だという気がします。

 話を戻すと、阪口氏は当時、演技指導として監督の冨野氏から鉄拳指導も受けていたと言われていましたが、この件に関しては事実ではないと否定されています。指導自体は居残りで厳しく行われたそうでしたが、殴られたりするほどではなかったそうです。ただ指導が曖昧な表現で言われるためわかりづらく、渡辺氏も対応に苦労したとも語っています。

 またVガンダムという作品について両氏とも、放映当時はピンとこなかったけど何度も見ているうちにだんだんわかってきたという風に話しているのが印象的でした。特に渡辺氏が自身が演じたカテジナについて、常にというわけではないものの、カテジナ同様にエキセントリックにおかしな行動を取ることが自分にもあることがわかってきたと話しており、これを聞いてようやくというか、この後に世に出て大ヒットしたエヴァンゲリオンとの共通テーマに気づきました。

 エヴァの監督である庵野氏はかねがね、かつて制作現場で直接指導も受けた冨野氏のこのVガンダムがエヴァの政策に大きく影響したと話していました。私はこの言葉について、世紀末的退廃的な90年代の世界観のことを言っているとこれまで思っていたのですが、今回のVガンダム対談を見て、「周囲の価値観がおかしく、自分でも気づかぬうちにどんどんおかしくなっていく」というのが、両作品に共通するテーマじゃないかと思うようになりました。

 このテーマはVガンダムの方が非常に顕著で、わずか13歳の主人公をMSの操縦がうまいという理由で、周りの大人たちがこぞって機体に乗せて戦わせようとします。主人公も周りに乗せられるままに相手の命を奪うようになり、作品が進むにつれ、殺害に対する呵責もどんどん失われていくようになっていきます。
 いわば少年兵の問題がこの作品上では一切問題視されない、それどころか大人ほど気にしない姿を見せます。それに対し「子供を戦わせるべきじゃない」と唯一否定していたのがヒロインのシャクティとカテジナさんでしたが、前者も相当ですが後者に至っては当初否定していた大人以上におかしくなり、死亡確実な作戦に部下を投入したり、だまし討ちしたりとガンダムシリーズの中でもやりたい放題を尽くすくらいの悪女となり果てます。

 なおケロロ軍曹の中で「トチ狂ってお友達にでもなりに来たでありますか?」というセリフを言ったことがあるらしいです。ケロロ軍曹もほんとやりたい放題だ。

 以上のように、Vガンダムは子供の目線で見ると頼りない大人を尻目に少年が目を見張る活躍で悪い奴らを一方的に打ちのめしていく作品ですが、大人の目で見るとみんな頭がおかしく、主人公もカテジナもそうしたおかしい価値観に染まってどんどん過激になっていくように見えてきます。

 翻ってエヴァについてはVガンダムほど露骨ではないものの、この作品も周囲の大人がおかしく、そのおかしな価値観に子供が翻弄されていく様が描かれています。わけのわからない怪物に対してロボットの操縦適性が子供しかないからという理由で子供を兵器に載せ、戦わせていくという流れです。
 当初でこそ主人公のシンジに対し周りは搭乗拒否権を認めていたというか、「できれば戦ってほしい」的な立場を取っていますが、回が進むにつれて、「乗って戦うのが当たり前」的に扱うようになり、よく突っ込まれるミサトさんなんかは「エヴァに乗るのがあんたの存在意義でしょう」的に、乗らなければカス的な見方を徐々にシンジに対しぶつけていくように見えます。これに対しシンジの方は何度か抵抗し、途中で一度ははっきりとした自分の意志で乗る姿を見せるも、結局は「抵抗しても無駄なんだ」的にあきらめて周囲のプレッシャーに潰される羽目となります。

 このシンジの姿を、子供の目線で見ると期待に応えられずうじうじした奴に見えなくもないですが、大人の目線でいえば上司や客先の圧力に潰される自分の姿のようにも見えなくもなく、「そりゃ14歳だもん、乗らなくなるよなぁ」的に妙に理解が増してきます。Vガンダムの比較で述べると、作中でもはっきり言われているように超人であるウッソはあらゆるプレッシャーを跳ね返して戦い続けるものの、常人代表のシンジは、世の中の多くがそうであるように強すぎるプレッシャーに潰れる様が描かれています。

 このように、周囲、特に大人の価値観が逸脱していて、それによって翻弄される子供もどんどん気づかぬうちにおかしくなっていくというテーマで、Vガンダムとエヴァは共通していたのかなと初めて気が付きました。なおエヴァの場合、カテジナに相当するのはシンジであり、流されておかしくなっていく点でウッソに相当するのはミサトさんな気がします。ミサトさんが私生活はともかくとして当初は常識持っていたのが、後半になるにつれて作中屈指のやばいキャラになっていく過程がなんとなくそう見えます。


 たまたまですが上記の自分の理解に通じると思うまとめ記事を見たので併記しておきます。ぶっちゃけこれ、アニメの中だけじゃなく日本の多くの中小企業や部活動に当てはまるんじゃないかな。

2023年6月30日金曜日

経済学に「第三の道」なぞあるのか?

 ソ連崩壊以降、ゴルバチョフ元大統領をはじめ多くの旧共産圏支配層は「社会主義が資本主義に負けたわけではない。世界は第三の道(経済学)を探さねばならない」などとよく唱えていました。彼らに言わすと社会主義が欠陥があったことは認めるものの、資本主義も弊害が多く万能ではない。だからこそ新たな経済思想が必要なのだと主張していました。

 ではその第三の道ですが、本当にあるのか正直言って疑問視しています。

 当初、もっともらしく主張されたのは「持続可能な発展」こと環境に配慮した経済で、CO2取引をはじめ実際に思想が取り込まれた部分は現代世界において小さくありません。敢えて言えばグローバル経済の中でフロンガスやCO2規制をはじめとする多国間グローバル規制によって公平な競争を促すような考え方といえるでしょう。無限競争を標榜する資本主義とは異なるものの、環境以外の分野は血胸のところ資本主義がベースであり、敢えて言えば修正資本主義の枠内であって第三の道というほどではないかと自分は考えています。

 この環境型経済に続いて現れたのは、北欧諸国に代表される高福祉型経済で、高い税率の代わりに手厚い福祉を国家政府が担保することによって教育水準が上がり、経済効率も高まるという考え方で、2000年代前半に日本でももてはやされました。
 ただ、肝心の北欧諸国ですら「やっぱだめだ」といい始めており、また高福祉を維持する上で人口が一定規模以上あると成立しづらいという点から、最近はこの手の思想を目にすることすらなくなりました。

 このほか中国やロシアに代表される「開発独裁」こと政府が圧倒的権力を以って、資本主義のルールの上で高成長が見込める分野の市場に資金と人材を傾注する手法が一定の成功を納め、世界的に強い独裁者に焦がれる風潮を生みだしましたが、今回のプーチンの暴走を見てやっぱ独裁者じゃだめだと、この手の権威主義の時代はそろそろ終わりになるのではないかと密かに見ています。
 少なくとも、権力者が暴走する確率は民主主義とは比べ物にならないほど大きいことは事実で、だからロシアもこれから滅びへの道を進むことになるのではないかと思います。中国も、台湾有事の判断によっては死せるプーチンの後を追うかもしれません。

 そもそも経済学の本質に立ち返ってみると、要するに富をいかに公平かつ有意義に分配するかを考えることにあります。その分配を政府の強権でもって無理やり公平に持っていくのが社会主義で、上前をたくさんはねるけど下々まである程度は分配してやるってのが権威主義、でもって特に規制は設けず、市場の「神の見えざる手」に任せるのが自由主義です。
 以上を踏まえてみれば、結局のところ分配過程に対する政府の介入程度の差こそが経済学思想の違いであり、資産の個人所有を一切認めないほど極端な共産主義を除けば、基本的にはどれも資本主義に入ると私は考えています。その上で、第三の道なぞそもそもなく、資本主義ルールで競争、そして徴税の公平性を保つため、分野ごとに規制の程度を考えていくというのが大方の経済学であり、そういう意味ではもう今後、この学問がこれ以上は発展しないのかもという気も少しします。

 それらを総括して言えば、第三の道なんてそもそもなく、資本主義をどう微調整していくか、政体と組み合わせて考えていくというアプローチの方がシンプルで建設的な気がします。マジで最近お経済学の講義ではどんなふうに教えられているのか気になりますが、やっぱ自分がこっちの学問に興味を持たず社会学に走ったのも、今思えば自然だった気がします。