ただ当時の携帯電話依存症の基準(日中で何時間携帯電話を触っているか)に照らすなら、現代人の八割以上は携帯電話依存症ということになります。
当時の記事では携帯電話依存症になると対面でのコミュニケーションができなくなったり、ちょっとのことで怒るようになったりとやたらデメリットが強調されていました。前者に関しては確かに現代のスマホ利用で対面でのコミュニケーションを苦手とする人は80年代より増えた感じはするものの、それ以外ではそんな弊害出ているとは私は思わず、単純に「携帯の国のアイコ」は新技術に対する拒否反応に過ぎなかったと考えています。
にしても当時は「携帯の中にしか世界を持たなくなる」などとよく言われていましたが、そんなこと言ったら現代は逆に「携帯の外にもいくらか世界がある」というくらい、携帯電話を介したネット空間が広がっているような感があります。
ただこの携帯依存、現代でいえばスマホ依存症ですが、見方を変えるとそれだけ人を引き付けるほどの魅力があるという風にも言えます。実際、単純に遠隔地にいる人間とリアルタイムでコミュニケーション取れるっていうのは最高の娯楽だし、そこへきてスマホゲームやネットサーフィンもスマホでできるようになってからは、あらゆる娯楽がスマホを介して行えるようになったと言え、むしろこれで依存せずにいられるかって話でしょう。そういう意味では反対に、スマホに依存しない人は不感症なのではと冗談めかして言えるかもしれません。
もっともこういう自分は周りと比べるとスマホをいじくる時間は少なく、ややオールドタイプなのか自宅ではずっとノートPCを触っています。ネット閲覧もやはりパソコン画面で見た方がやりやすいし、何より大量の文字を打つブログではスマホだとさすがに限界があります。スマホでやるのは基本、電話を除くとWeChatとカメラくらいだし。
ぶっちゃけ、携帯電話の登場から現代のスマホに至るまでの経過、いやそれ以前に固定電話の時代を振り返るならば、こうした小型通信機こそが人間が追い求める娯楽の究極系であるような気がします。仮に今後進化するとしたら何もない空間に映像を投影できるようなスマホか、より深いコミュニケーションのできるスマホとかになるでしょう。
もっともスマホに機能集約し過ぎると、スマホを壊したりなくしたりするときのダメージがでかくなりすぎるので、なんかこの方面で機能分割があったらいいな、通信機能持ったクレジットカードとかないのかななどと思ったりもします。