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2023年12月31日日曜日

我一向是無所謂的(わたしは一向にかまわんッッ)

 先日、中国人の同僚に「私の好きな中国人キャラ」として漫画の「バキ」シリーズに出てくる烈海王の画像を百度で検索したところ、彼の名台詞でスピンオフ作品でも引用されてある「わたしは一向にかまわんッッ」について、見出しの通り「我一向是無所謂的」(実際には簡体字で直されてた)と翻訳されていました。
 元の言葉に合わせるならば無理して「一向」を入れなくてもいいのですが、これを翻訳した人は敢えてこの言葉を入れたと思います。その甲斐あって元のセリフを知っている人間からすれば非常に通りのいい訳語となっており、また烈海王はもともと中国人ということもあり、なんか中国語で書いたセリフのほうが似合っているような印象すらあります。

 こう言った翻訳に関して、法律文書ならともかく、エンタメ作品では如何に意訳するかというテクニックがやはり求められてくるでしょう。この手のものとして伝説的なセリフとしてスターウォーズエピソード3の「地の利を得たぞ(I have the high ground!)」というのがありますが、これに関しては「(高みから見下ろす感じで)この未熟者め!」と訳している人がいましたが、私もこっちの方がいいと考えています。
 なお同じ戸田奈津子氏のスターウォーズの誤訳で有名なのは「義勇軍」とすべきところを「ボランティア軍」と訳した例もあり、原語に引っ張られすぎだろと内心思います。

 上のは悪い例ですが、逆にいい訳され方したなと思うものとして「With Great Power Comes Great Responsibility」があります。これは言うまでもなくスパイダーマンに登場するセリフで、かつそのヒーロー性を代表するセリフですが、日本語では「大いなる力には、大いなる責任を伴う」と訳されています。下手な訳者だったら「Comes」を無理やり入れて「大いなる力とともに大いなる責任が来る」という風に訳してたかもしれませんが、単純に「伴う」でまとめ成語としたのは素晴らしい手腕だと思います。

 なおこのセリフですがつい最近見た映画解説動画によると、原典の漫画版スパイダーマンのある回で小さくモノローグに入れられていた言葉だったそうです。それを映画の初代「スパイダーマン」の監督であるサム・ライミがベンおじさんが今際の際にピーターへ伝えるセリフとして使用し、スパイダーマンを誕生させるきっかけと変えたことで、一気に普及しました。多分後代にも語り継がれ、今後英語のことわざになってくんじゃないかな。

2023年12月29日金曜日

ジェットスターのストライキを見て

 年末年始で運送業者にとっては忙しいも稼ぎ時の中、LCCの一角であるジェットスターでは現在ストライキが行われています。この影響で一部便が欠航にもなっていることから話題となってニュースでも大きく報じられていますが、私個人はこのストライキは社会不安を煽ったりする政治的な類ではなく、純粋の従業員の待遇改善を目指したストライキであるように見えることからスト中の従業員を応援する立場にあります。
 というより本来的に言えば賃金上昇を訴えかけている政府も、ジェットスターの労働組合をもっと応援してもいいような気がします。もちろん過度な肩入れはよくありませんが、「ストライキは従業員の権利である」などという一言くらいは岸田総理もかけてあげてもいいのではないかと思います。まぁ今の自民党がそんな余裕すらないというのもわかりますが。

 もう一つこのストライキを見て思うこととしては、ジェットスター以外でこの手のストライキ報道がなされないという点です。日本企業の業績は円安の影響もありますが総じて良く、株価も高値で推移しているだけに、日本の労働者は企業に対しもっと従業員への還元を訴えてもいいはずです。にもかかわらずストライキを含む団交の類は一切耳にせず、経営者側が勝手に賃金引き上げてくれるのをただ待つばかりな企業や業界が多いように思え、何やってんだよと内心思っていました。

 それだけに今回のジェットスターのストライキは他の業界にもぜひ波及していってほしいと思うと同時に、こうした団交がこれだけ条件の揃った今の日本でほとんど行われていないというあたり、なんかそれはそれで日本の労働者も情けなくなったというような感があります。端的に言って闘争心に欠けているように思え、争いはもちろんよくありませんが、戦闘民族サイヤ人に限らず一定の闘争心は人間にとって大事だと思うだけに、言い方悪いですが臆病な日本人が増えたなという印象を持っています。

 逆にそうした風潮の中で、今回パイロットを含めジェットスターがこうして注目の集まりやすい、ややもすれば予約便が欠航となった消費者から反発を受けやすい時期にストライキを決行して待遇を要求していることは非常に立派だ思え、今後の交渉次第ではあるでしょうがいい方向に向かうことを陰ながら祈っています。

2023年12月28日木曜日

死刑囚に安楽死は適用されるのか?

 中国人の同僚が年末年始に日本へ旅行して浅草寺あたりを回るといっていたのを耳にし、今年11月に浅草寺近くに行った際、「バーガーキングで食べたい(´・ω・)」という小学生っぽい要求してきたうちの親父を思い出しました。実際行ったけどさ。

 話は本題ですが、私はかねてより医療水準の発達した現代において安楽死の議論は必要だと主張し、安楽死導入賛成派としての立場を取っています。現在すでに運用しているオランダモデルを参考に、実施前には精神科医の診断を受けるなどの手続きを設け、予後が厳しい方などに関して本人が望む場合に限り安楽死を適用すべきではないかと常々考えています。

 ただこの安楽死を仮に導入した場合、死刑囚にも適用されるのか、具体的には死刑囚が死刑執行前に安楽死を望んだ場合にそれを受け入れるべきなのかという疑問がふと、プラモ買った帰りに自転車に乗りながら浮かんできました。結論から言うと、自分の中では答えが出ませんでした。

 現在オランダなどで運用されている安楽死モデルでは、回復の見込みのない病気や状態の方が、病による苦痛を感じながら生きるよりも穏やかな死を望む場合に安楽死措置を取ることが認められています。この論理に則り、死刑が確定して将来ほぼ確実に寿命を迎える見込みがない死刑囚が、どうせのうのうと生かされ続けるくらいなら早く人生を終えたいとして安楽死を望んだ場合、果たしてどうなのかなという風に思ったわけです。
 死刑囚の立場に則るなら、実際に以前の死刑囚でも早く執行してほしいと主張していた死刑囚もいたほか、予告なしに当日の朝に執行が通知されるのを怖がっていた死刑囚もおり、その落命する時期を自分で決めたいと思う人間がいてもおかしくはない気がします。何より、冤罪の可能性があるとして再審活動を行っている場合を除けば今後社会に出られる望みはほぼなく、だったら早くあの世に行きたいと考える心理は私個人の見解として、充分にありうるのではないかと思います。

 しかし死刑というのは言うまでもなく刑罰であり、その刑罰を本人が望む形で時期を繰り延べる、見方によってはより安楽な死に方を許容するというのは刑法の精神に反するのではないかという見方もできます。あくまで処罰として、人が最も重視する生命を過去の行いに起因して取り上げるということが死刑の概念の一つとなっているだけに、その扱いを死刑囚本人に委ねさせていいものかということになります。
 実際にというか、死刑囚が自殺しないように拘置所などでは対策が取られていると聞き、いわゆる死に逃げは許さないという立場を国は持っているように見えます。

 その一方で、中国みたく死刑確定後にほぼ1週間以内に即執行する(即執行しない場合として執行猶予付き死刑判決というのもある)ならともかく、日本の場合は死刑確定後から実際に執行するまでは非常に長い時間がかけられます。あさま山荘事件の犯人らのように政治犯であればほぼ執行されることはなく、実質的に死刑判決の下での無期懲役というのは多少は理解できますが、凶悪な犯罪事件を起こしておきながら何年も税金で生かし続けるということを批判する声は今も昔も小さくありません。

 であれば、もし死刑囚本人が安楽死による早期の死を望む場合、その要望を受け入れた方が単純な税金の使い道で言えば絶対的にプラスです。また裁判中ならまだしも、確定し本人も受け入れているのであれば、本人の申し出をもとにすぐに安楽死措置を取った方が、被害者や遺族の中にはそれを望む人もいるかもしれません。
 もっとも逆に、何が何でも刑としての執行を望む声も大きいでしょうが。

 以上は法の運用とお金の損得勘定的な観点での私の見方ですが、仮に倫理的な観点で見た場合、自分の命は自分自身がどう扱うかを決めるべきという価値観が重要になってくるのではないかと思います。自殺にも係わってきますが、本人がもう人生やめたいってんならその考えを尊重するのも一つの考えのように思え、それは死刑囚であるかどうかにかかわらず、人間全員それぞれに委ねられた個人の権利でもあると私は密かに考えています。
 無論、死刑囚のように他人の人生をその意向を無視して奪った人間に対してもこの原則を適用すべきかと言ったらまた議論となりますが、一般の立場であれば社会への再復帰が閉ざされた状態なら安楽死が認められる可能性があることを考えると、死刑囚についても考える余地があるような気がします。

 もっとも、「どうせ死ぬんだし」で安楽死をポンポン認めるというのもまた問題である気もしますが。

 実際のところ、仮に安楽死が日本で認められたとしても死刑囚にはまず認められないと思います。一方で前述の通り日本では執行までの長い期間が明らかに問題でもあるので、再審の目があるというのであれば中国みたく執行猶予付き死刑として、なければ通常の死刑としてもっと短期に執行すべきじゃないかと思います。
 今現在の死刑がかかってくる裁判ではゼロサムというか「死刑か無期懲役か」という隔たりの大きい判決を争うことから議論の争点が心神喪失をはじめ極端なものになりやすく、結局のところよくわからない裁判になっているような気もします。であれば案件の内容によって、死刑囚が真摯な反省の態度や行動を取り続ければ実質的に執行を行わない執行猶予付き死刑という刑罰ランクを設け、事案が重大であり且つ裁判中に反省する態度を一切見せなかったりした場合は即執行する死刑に分けた方が、司法効率的にもなんかプラスになるような気がします。またなんか話が脱線してきた気がしますが、まぁいつものことです。

2023年12月27日水曜日

大川原化工機冤罪事件の裁判判決

国と東京都に約1.6億円の賠償命令 「大川原化工機」国賠訴訟

 このブログではこれまで触れてきませんでしたが、その経過についてかねてから注目してきた大川原化工機の裁判について本日判決がおり、大川原化工機の幹部を逮捕、起訴した警察と地検の捜査は違法だとして、国と東京都に1.6憶円の賠償命令が下りました。この結果について一言いうとしたら、「ざまーみろ社会のダニ、ゴミクズども!」といったところです。

 詳細についていちいち解説しませんが、そもそも輸出規制を作った経産省自体が規制条文をもとに立件することに反対し、また学者らも大川原化工機の設備には滅菌機能がないと主張していたにもかかわらず逮捕起訴するなんて頭がおかしいにもほどがあり、記事中にもありますが裁判中には捜査に係った警察関係者が「事件は功名心からくる捏造によるもの」と証言するなど、常識で計り知れないアンビリバボーな内容でした。
 諸条件から言って全く犯罪要素がないにも関わらず無辜の人間を逮捕拘留し、その中には拘留中に病気が悪化して亡くなられた方もいるだけに、この事件を仕立てた関係者こそ逮捕すべき犯罪者だと私には思えます。

 素人目ですが、この手の冤罪事件に対する補償で賠償金額が億を超えるというのはなかなか珍しいと思います。それだけ裁判所側も捜査内容を問題視したものだと思えますが、これほどの事件を起こしながらこの裁判でも警察、検察らは捜査や逮捕は適正であったと主張しており、こうした冤罪捏造マシーンがいる時点で警察や検察の信頼は私の中でかなり落ちます。っていうかマジでこいつらどうにかしろと思うし。

 ぶっちゃけ志を同じくする仲間が10人くらいいるなら、警察や検察のいる建物に乗り込んで「悪い子はいねーかー!」って暴れ騒いだっていいと思う事件内容で、無茶苦茶な法解釈に無理筋な主張で一般市民を犯罪者に仕立て上げるその行為には虫唾が走ります。それだけに今回の裁判結果には溜飲が下がる思いがありますが、それでもこの事件を捏造した張本人らはいまだに捜査現場にいることを考えると安心できず、何とかこいつらを排除できないものかと思えてなりません。

 ジョジョのセリフの中に、「吐き気を催す邪悪とは、なにも知らぬ無知なる者を利用する事だ」という言葉がありますが、まさに今回の事件捜査の担当者にこそこの言葉が当てはまることでしょう。捜査を尽くして冤罪が起きたのではなく、冤罪を作るために捜査を尽くした捜査関係者に、さらなる処罰が下ることを祈ってやみません。

2023年12月25日月曜日

侮れない農林水産省の広報力

 昨日夕方に家で仕事の原稿を書いていたら突然頭痛と悪寒がしてベッドに倒れこむ羽目となりました。一体なんでかと最初はわからなかったものの、頭痛の痛み方から体温の低下によるものでほぼ間違いないと考えたものの、そんなに寒いと感じていなかったのに何故とちょっと不思議に思いました。
 しばらく考えた後、パソコンに向かっている最中は胡坐をかきながら布団を体に巻き付けて、百人一首に描かれている坊主みたいな住職スタイルで体はぽかぽかだったものの、頭部がむき出しだったため、頭部だけ冷えて頭痛を起こしたのではないかと分析しました。相変わらず部屋の中では一切暖房をつけず、室温も10度を切っており、何も動かず頭部だけさらしているだけでこうなるのかとちょっと驚き、対策として今日に毛糸の帽子買ってきて今部屋の中で被っています。


 それで本題ですが、クリスマスを目前に控えた先日に農水省がXで「シャケを食え」という謎のアピールをしました。もっとも背景を知っている人間には謎でもなんでもなく、これは2018年に放映された「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」に出てきたシャケの怪人サモーン・シャケキスタンチンが元ネタです。その登場回は今Youtubeで無料公開されているので自分も見てきましたが、「クリスマスにはチキンを食べずにシャケを食え」という猛烈なアピールが凄まじく、放映当初より伝説となったというのうなずける内容でした。
 っていうか手に持っている焼き鳥をシャケにすり替えるシーンがいちいち笑える。

 今年に限らず去年もやっていましたが、農水省はこのサモーン・シャケキスタンチンをクリスマスに引用して「もっとシャケ食べよう」というPRを毎年、しかもこのクリスマスシーズンにやっています。自分もおととしくらいにこの騒動を知り、今年も同じPRが行われたと聞いてなんか影響されたのか、クリスマスイブの昨夜はシャケの切り身を頭痛をこらえつつ家で焼いて食べていました。


 クリスマスのシャケに限らず、農水省は6月10日のところてんの日においても、上記記事に出報じられたようなXを使ったPRを行っています。これもわかる人にはわかりますが、「ボボボーボ・ボーボボ」という漫画兼アニメに出てくる、ところ天の助というキャラクターを暗示させる「ぬ」のハンカチを画像として投稿しています。案の定というか見た人はすべて悟り、「農水省はハジケリストだった」などとボーボボネタで湧きあがりました。
 上のtogetterのコメントにも書かれていますが、この6月10日のツイートでは一言も「ボーボボ」や「ところ天の助」とは言っていないものの、ただ「ぬ」のハンカチを出すだけでボーボボネタだと連想させ、バズらせることに成功しています。このさりげないというかあざといというか微妙ですが、はっきり言及させずに連想させることで見た人の反応を膨らませる、なおかつところてんアピールにもしっかりつなげている点で、この広報のやり方は非常にうまいなと感心させられます。

 なお中の人インタビューで「僕らの世代でところてんと言ったら...、もう『アレ』ですもんねぇ」と語っていますが、自分の世代でも同じことが言えます。っていうか、地味にボーボボ(中国語タイトルは「鼻毛真拳」)の中で一番好きなキャラクターで、その影響からかWeChatの自己紹介欄も「ぬ」としか書いてません(マジで)。

 話を戻しますが、最初のクリスマスシャケでもこうして好意的にかつ大きな反応を得ているあたり、IT方面で見ていて大丈夫かと思う官庁の中でも、農水省はXをはじめとするITツールの使い方が地味にうまいと感じます。はっきり言えば、私は省庁の中でも厚生労働省と農水省がワースト2といえるくらい不祥事が多く、問題の多い省庁で無能の集まりとみなしていましたが、ことITの利用に関する点では、農水省が目を見張る力を発揮しているように見えます。


 などということを友人に話したところ、上の記事を紹介してもらいました。この記事内容は今まで知らなかったのですが、農水省内にこうした方面に明るい人がいるのか、最新ITツールの使用にも本当に積極的であるような気がします。その優秀さを、高級品種の保護とか花粉症対策などにもっと使ってくれればという気もしないでもないですが、なんかこの際だしデジタル庁も農水省の中に置いたらいいんじゃないのとすら思え、何はともあれ農水省にはこのノリを維持していってもらいたいです。

 最後に補足として、官庁が広報で民間のエンタメ作品を使うと失敗することの方が多い気がします。比較的覚えているものだと「宇崎ちゃん献血ポスター」がありますが、このポスターはまぁ批判する方も内心どうかなと思うものの、若干空気を読み間違ったり、変なアピールの仕方をしてその作品のファンから反発食らったりすることが多いように見えるのですが、上記の通り農水省はきちんとファンのノリというか空気を読み、彼らを盛り上げるような感じで広報に利用しているというのは素直に評価できます。
 っていうか航空自衛隊も、エリア88とか使えばいいのに。

2023年12月24日日曜日

聖夜のメタルギアソリッドごっこ

 先日、友人に何故か思い出してした話をここで書きます。

 それは確か高一の頃だったと思います。その年のクリスマス、若干キリスト教にかぶれていた私はこの年に1回のビッグイベントに何かしなければならないという焦燥感に駆られ、しばしの思考を経て、メタルギアソリッドごっこ(一人)をすることを決断しました。

 具体的に何したかっていうと、イブかクリスマス当夜かだったかは忘れましたが、全身黒づくめの衣装を着た上でバンダナを巻き、懐にエアガン(USP)を忍ばせ、夜8時くらいに外へ飛び出していきました。もちろん、テーマがメタルギアソリッドなのでなるべく人に見つからないように偲びながら町を練り歩くという、今考えても、いや当時としても意味わからない行動を取りました。
 忍び歩くといいつつも、夜間帯とはいえ実際にはまだ人が出歩く時間帯であり、照明の下とかで結構目撃されています。ちらっと見たその表情にはありありとした警戒感が読み取れ、それを見て自分も「そりゃ変な奴いるよと思うだろうな(´・ω・)」などと感じました。なお途中でエアガン持ってるの警察とかに見とがめられたらやばいなと思い、近くの側溝の中に隠し、再びスニーキングミッションを再開しています。

 大体時間にして30分くらいだったと思いますが、自分的には結構長い時間帯に感じました。っていうか目的地もなしに練り歩くのには限界があり、正確には30分くらい歩いて飽きたというのが本音なところです。なので側溝に隠したエアガン(USP)を回収すると、さすがに自宅ばれたらやなので来る時よりもより慎重になって帰路を急いで帰還しました。

 中二病的なおかしな行動といえばそれまでですが、何故クリスマスにメタルギアソリッドをやろうと思ったのかという点で、当時の自分には計り知れないオリジナリティを感じます。しかも思いつくだけならまだしも、実際に実行するという点で現在もそうですが底知れない行動力の片鱗を見せた気がします。こんな形で見せなくてもいいのですが。
 その後、学期が始まって一人の友人だけにこの聖夜の奇妙な行動の顛末について話したことがありましたが、その友人は爆笑してくれて、一笑とれただけでもやった甲斐あったのかなという妙な誇らしい気持ちになりました。ただそれ以降はこのような行動はとらなくなり、またキリスト教への意識も当時の株価のように下がっていったので、クリスマスだからと言って突飛な行動を取ることもなくなりました。昨日今日もそんな感じで、会社が外資系なため明日25日はお休みとなって三連休となるのをいいことに、ともかく寝ようと時間があれば寝て、起きたらゲームする日々を過ごしています。

 おかしな行動を取らなくなったと思う反面、あの時の有り余る冒険心を今の自分は失ってしまったのかもという懸念も一瞬抱きましたが、あんな突飛な行動を取る冒険心はむしろない方がいいなと、改め自らの成長ぶりに感じ入ります。

2023年12月22日金曜日

イスラム教が定着したら離れない理由

 先日、ちょっと気になったこともあり島田裕巳氏の「帝国と宗教」という本を買って今日読み終えましたが、期待に違わず面白い内容でした。内容は領土拡大に積極的な国こと帝国が、これまでどのように宗教と関わってきたのか、また国内維持のためにどう宗教を利用してきたのかについていろいろ語っており、歴史も宗教も好きなので非常に楽しめました。

 わかりやすい話として、チンギスハンのモンゴル帝国は広大な領土を支配しながらその後継国(キプチュク・ハン国など)どれもその支配を維持できなかった理由について、モンゴル人は土着の信仰をもってはいたものの文字文化がなく体系化されておらず、それぞれの支配地域でキリスト教やらイスラム教を取り込まざるを得ず、結果的に分裂、崩壊していったと解説されています。
 それに対しイスラム帝国は税金さえ払えばキリスト教やユダヤ教などの信仰をそのまま維持することを認めつつも、イスラム教に改宗することによって税金が免除されるなど携帯電話の契約のようなお得なプランをたくさん用意して領土内でイスラム教徒への改修者を増やしてったそうです。なおかつ教えが体系化されていて国内統治の手段として使われた結果、現在のトルコのもとになったオスマン帝国も数百年という長寿命国家になったと説明されており、自分も同感します。

 そのイスラム教について島田氏は、「聖と俗が区別されていない宗教」と述べており、なかなか興味深い説明でした。これはどういう意味かというと、仏教やキリスト教では出家者は世俗と切り離された生活をし、浄土真宗やプロテスタントのように例外はありますが、妻帯を禁止するなど俗世間とは隔絶された生活を営むことになります。
 それに対しイスラム教は創立者のムハンマド自体が商人であり、俗世の人間であったことから、教えを布教する聖職者という区分がそもそもないそうです。もちろん、イスラム法学者のようにイスラム教内でで権威を持ち尊敬の対象となる指導者こそいるものの、仏教やキリスト教のように先任者が講やミサを主宰するのではなく、あくまで教徒の代表がモスクなどの礼拝をはじめとする一連の儀式を主導しており、「俗世と断った聖職者がいない」という、言われてみればそうだけど言われてみるまで意識していなかった点についてこの本でも詳しく解説されています。


 そのうえでこうした聖職者が明確に区分されていないことから、イスラム教は聖と俗の区別自体が非常にあいまいで、生活そのものが宗教信仰になっていると島田氏は指摘しています。仏教やキリスト教では信仰を行うにあたりある種特別な聖職者の話を聞いたり、寺院や教会といった特殊な施設に赴いたりするなど、宗派によって差はありますが一定の神秘主義的行為を行うことが多いですが、イスラム教もないわけではないものの、どちらかというとラマダンや豚肉禁止をはじめ、生活習慣を規定することそのものを信仰としていると説明されており、これも言われてみればまさにその通りです。

 そのため、イスラム教では生活そのものが信仰活動となり、いったん根付いてしまえばそれそのままライフスタイルとなるため、イスラム教は定着したら別の宗教へ改宗する人が少ないと説明されていました。これが自分の中で深く納得したというか、現代のインドをはじめイスラム教が広められた地域において先祖返り的に仏教やヒンズー教が復活しないのは、こうした生活に根差した信仰活動こそがイスラム教の根幹だということになかなか感じ入りました。
 逆に仏教、特に日本の密教は神秘主義的傾向が強いので、鞍替えが起こりやすそうとも感じます。

 オチらしいオチはないですが、イスラム教が信者を増やし続けるという背景に関しては信仰が広まっているというより、一度教えを受けた人間はライフスタイルレベルにまで信仰が入ってくるため信仰を変えず、信者が増えるというより減らないという特徴にこそその背景があるのではないかと思えます。教えが魅力的だとか現代にあっているとかではなく、底堅さこそがイスラム教の強みなのかもしれません。