上の記事によると、ピクサーの「リメンバー・ミー」という映画は幽霊がわんさか出るので中国では本来検閲ではじかれるところ、内容を確認した検閲官が「めっちゃええやん」と判断して逆にプッシュされる形で公開に至ったとのことです。事の真偽はどうあれ、「幽霊が出る」というのは実際に中国の映画やゲームの配信において弾かれる要素で、その理由について中国人の同僚に聞いたら、「非科学的だから(´・ω・)」とのことでした。
なら気功使う拳法家とかはありなのかよという気はするんですけどね……。
しかし、実際には中国で制作される時代劇などのドラマでは普通に幽霊が出てきます。中国版大可越前こと包公(パオコン)の話でも、幽霊相手に裁判するという話もあり、上記の検閲規定に引っかかるのではないかと思いました。その点についてもまた中国人の同僚に話を聞いたら、「中華人民共和国の建国前だからそれはいいの(´・ω・)」とのことでした。
いや、原作が建国前だったら現代でドラマ化していいとかいい加減過ぎないって気はするんですけどね……。
ちなみ「非科学的」という枠の中には「人語をしゃべる動物」も当てはまるそうです。なので海外の映画で人語をしゃべる動物が出たら「あれ宇宙人だ」という解釈で検閲をパスするそうです。なので、ポケモンとかも宇宙人扱いになっていると推察されます。
ってか、幽霊には厳しいくせになんで宇宙人にはやたら寛容なんだよ、宇宙人の存在なら科学的なのかよって気もしてくるけど。
それはともかくとしてちょっと前から思っていた点として、日本人と中国人で創作における幽霊の描き方が大きく違うことに最近気づいてきました。元々学生時代に、前述の包公に関する説明文で「しかし彼の裁判には日本人にとってはやや違和感を感じる、幽霊なども裁判に参加する場面が登場する」という記述を見ていたのですが、これを見たときはそこまで気にしなかったものの、最近になって中国人が描いた漫画などを見て、その幽霊の描き方に物凄い違和感というか率直に言って受け容れづらい感情をはっきり覚えました。
具体的にどう違うのかというと、基本的に日本の幽霊はまずまともなコミュニケーションが取れないのが普通です。守護霊なんかだとまだ会話できる奴もいますが、その姿は守護対象者にしか見えないなどごく限られ、あくまで陰の存在として縁の下の力持ちに徹します。一方、怨霊に至っては仮にその姿が見えたとしてもまともな会話はまず成り立たず、それどころか恨みの対象だけじゃなく無関係にに襲い掛かってくるバーバリアン的な特質も持ちます。こんな感じで日本の幽霊は、まともにコミュニケーションが取れず交渉はまず不可能で、畏れ、触れないべき存在として描かれるのが普通じゃないかと思います。
それに対し中国の幽霊ですが、マジで日本と真逆です。普通に一般人もその姿を視認することができれば会話もまともにでき、それ以前に誰も相手が幽霊だと思わずに接しているというパターンが多いです。幽霊の側も普通に職を持って働いてたりすることが多く、何かをきっかけに同僚に「実は俺って幽霊なんだよσ(゚∀゚ )オレ」的にフランクに正体ばらしてきたりもします。
日本人的には、「そんな幽霊がいるか!」と思わずにはいられません。
まぁ上の例は極端なものですが、どっちかっていうと僧侶や占い師などあまり目立たない職業についていて、主人公らに密かに助言したりする立場で幽霊キャラは登場してくることが多いです。でもって後半に入って「なんであなたはそんなに何でも知ってるんですか。は、まさか!?」的に幽霊だとわかるパターンが多いのですが、日本みたく足が見えないとか姿がすすける、影がないといったテンプレ特徴を欠いていることが多く、日本人的に言えば「幽霊らしくない」幽霊が本当に多いこと。
自分の感覚で語ると、中国の幽霊は死を超越した仙人的な立ち位置で描かれることが多いのに対し、日本の幽霊は現世から切り離され、親類などごく一部のインナーサークル内にしか影響をもたらさない人格として描かれており、端的に言って存在感に大きな差があります。なので日本人からしたら、「幽霊がそんな堂々としていていいのかよ」という違和感が常にまとうため、確かに中国の捜索における幽霊の描き方にはついていけない日本人が多いのではと思います。
この辺、むしろ日本人的には西洋の幽霊や霊魂の方が感覚的に身近であるような気がします。あっちもごく親しい人の前にしか出ないことが多いし。
そう考えると冒頭に描いた中国の「科学的」って概念も若干疑問というか、もしかしたら自分の考える「科学的」とは違った意味なのかもしれない。