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2024年8月7日水曜日

このところの株価の乱高下について

 友人に、中国人のガンダム00のファンにもっていくガンプラ土産は何がいいかと聞かれ、何食わぬ顔で「アッシマーしかないですね(´・ω・)」と言いそうになりました。まぁ正直にダブルオーライザーを推薦しましたが、何気に00は一度も見たことがなく、今度映画版でも見てみようかな。

 話は本題ですがここで描くまでもなく日本の株価が先週末から乱高下を繰り返しています。現在特に株を保有していないのでまだ笑ってみていられますが、もし持ってたらリアルタイムで株価を追うくらい不安に駆られてたことでしょう。個人的には歴史的な値動きをリアルタイムで見られたこともあり得をしたなと思っていますが、この件について友人とかにもコメントを求められましたが、現在進行形なため応えづらいというのが本音です。

 そもそも今回の株価の激変は日銀の利上げ発表を受けたものと言われていますが、これも一つの要因でしょうが米国の経済指標の予想未達、また中東での新たな地政学的衝突懸念という要素が一度に重なってしまったものとみています。それ以上に、この半年間での日本の株価の劇的上昇ぶりに潜在的に利益確定を狙っていた層が膨れ上がっており、それが下落し始めた瞬間に一気に売り注文を出したことで拍車をかけたのかもしれません。
 それらを踏まえて言うと何か一つのミスとかそういうのではなく、タイミングが色々重なっただけの結果であり、少なくとも日本の経済がだめになったとかそういう風には捉えるべきじゃないかということだけは断言できます。まぁそもそも、日本にほとんど産業はなくなっているんですが。

 それらを踏まえて一部メディアに対する批判を述べると、週刊誌やタブロイド紙を中心に今回の乱高下を受け日銀や岸田総理を批判する声が見られますが、若干これは的外れである気がします。確かに日銀の利上げ方針発表が一つの契機になったでしょうが、前述の通りこれだけが要因ではなく、またそもそもこれまでのゼロ金利政策自体が異常であり、ここから脱却を図らなければならないことを考えると、あのタイミングでの利上げ発表自体は決しておかしなタイミングではなかった気がします。
 そもそも0.10%から0.25%への引き上げ自体が絶対値的に小さく、実体経済に与える影響も非常に限定的なだけに、これで大騒ぎするのもどうかと思います。さすがに、いきなり1%に引き上げるとかだったら批判が出るのもわかるけど。

 それどころか日銀の金利引き上げ発表以前は、円安の進行による生活費の高騰がやたら問題視されており、「円安を放置する岸田と植田は無能だ」、「輸出する大企業ばかり贔屓にしやがって」といった批判でも溢れていました。それが今回円安を誘導したらこっちはこっちで「株価を下げやがって」、「景気に水を差す」などと批判するしで、どっちに転んだって批判しかしない、お前は蓮舫かよと日本の報道や反応見ていて感じました。
 かねてから書いていますが、私としては今の岸田総理や植田総裁の経済政策は理に適っているように思え、さすがに意図的に株価の乱高下を狙ってやったならどうかと思いますが、そうでないなら要所要所の発言や行動はしっかりしているように思えます。さすがに今回の乱高下を受けて「金利調整には株価も考慮する」という発言が出ましたが、状況を鎮静化させるうえではこの発言を出すのも仕方ないと思うし、何もしないのと比べれば全然マシで、やはり植田総裁はまとまだと感じました。

 なお米国でも株価が大きく下がるやトランプ元大統領が「ハリスのせいだ」と言ってましたが、この人は悪いことがあると全部バイデン大統領かハリス氏のせいにして、いいことあれば「俺のおかげだ!」と言う、ジャイアニズムの権化みたいな気がしてきました。そのうち大谷選手が活躍しても「ワシが育てた」とか言いそうです。

 ただ残念なことに、前述の通り円高でも円安でも見境なく批判する勢力がいることを考えると、日本もあまりトランプのことを笑えない気がします。にしても「もしトラ」から「もしハリ」という言葉まで生まれてきましたが、自分としても予見性というか何するかまだ予想しやすい意味でハリス氏の方に頑張ってもらいたいと思ってます。

2024年8月4日日曜日

石丸伸二氏に対する印象

 友人に「今、RPGゲームしている」とチャットを打ったところ、「RPG(ロケットランチャー)ゲームというのはあるのだろうか?」という疑問がもたげました。ある意味、バイオハザードはロケットランチャーゲームと呼んでもいい気はしますが。

 話は本題というか連日の激務(RPGゲーム)で右手首がやられているのでちゃっちゃとまとめると、先日の都知事選で大活躍した元安芸高田市長の石丸伸二氏にすちえ、相互リンク相手の潮風大使さんが、

「令和版宮台真司2号、あるいは令和版田中康夫2号の雰囲気がどことなく漂う」

 という風に評されていました。この意見について自分も同感であるものの、もう一人思い浮かぶ人間がいたりします。

 元々、都知事選の最中からその印象は抱いてはいたのですが、限られた報道ベースでしか見ていないのに偉そうに批評するのもどうかなと思ってしばらく様子を見ることにしていました。都知事選後の経過もある程度見たので勿体ぶらずに言うと、彼を見て想起したのはかつて首相も務めた橋本龍太郎です。

 さすがに令和のこの時代に橋本龍太郎と言ってすぐ「ああ、あのポマードね」とすぐいえる人はもはやそんな多くないと思います。時期的にはバブル崩壊してようやくかなり不況期にあると日本が辞任し始めたころの総理大臣で、自民党がいったん下野してから連立ながら初めて政権に復帰した時の総理大臣です。
 ちなみに現上皇が警備の目をくらまして銀座に遊びに行った銀ブラ事件で連れ添った橋本明のいとこでもあります。

 橋本龍太郎がどんな政治家だったかというと、端的に言えば政治家としての知識や頭脳は群を抜くという秀才で、誰一人彼に論戦で勝てなかったとも言われています。そのため多くのほかの政治家から政策について相談を受けていたのですがその際に、「そんなこともわからないんですか?(・∀・)」という一言と冷笑が必ずセットでついてきたそうです。
 要するに、政治知識に関しては格段の存在であったもの人が悪いというか他人に対し常に小馬鹿にした態度をとる人間だったようです。そのため多くの先輩政治家から、「あの性格さえなければ、もっと早くに総理も務めていただろう」という一致した評価を受けていました。逆を言えばそれだけ、政治家としての才能では群を抜いていたともいえるのですが。

 はっきり言ってスケールこそ違うため、ミニ橋龍のような印象を石丸氏には覚えました。私自身はたとえ人望がなくとも才あれば、理解者の横でなら政治家としても十分やっていけるとは思いますが、それはあくまでナンバー2止まりということとなります。実際橋本龍太郎も、総理には就いたものの在任中の評判はあまりよくなく、後の再選に出た際も小泉純一郎氏に負けそこからは日歯連事件もあって転落しており、トップを張る人材かと言えばそうではなかったとみています。
 逆を言えば石丸氏は今後より大きな地位を得たいのであれば、腹の中で何を思おうが勝手ですが、人前と口では相手を小ばかにする態度は控え、馬鹿な発言に対しても粗雑に扱わずしっかりと対話する態度を作らないといけないというのが課題になるでしょう。そもそも民主主義自体、愚かな大衆にもわかるように議論を尽くすというのが前提であるだけに、政治家としての必要義務だと思ってこの弱点をどう克服するかがカギになってくる気がします。

2024年8月3日土曜日

ドボポプププププ


 先日、ふとした興味から上の記事で紹介されている「女神転生外伝 新約ラストバイブル2」というゲームを購入しました。このゲームは元々、ガラケー向けに2008年に配信されていたゲームのリメイクで、2022年にSwitchやSteamでも配信されるようになったそうです。
 なんかストーリがかなり陰鬱ながら秀逸であるのと、昔ながらのメガテンっぽいゲームということを聞いて、元々今ほどペルソナシリーズが隆盛する前はメガテンをやりこんでいたこともあり、割引もされていたので興味もあって購入しました。

 それでさっそくゲームを開始してみると、まず最初に主人公の名前を入力することとなります。せっかくだから常人に発音できない妙な名前にしてやろうとまず濁音から入れるとして「ドボ」と入力したところ、なんか続く音が浮かばず、とりあえずスペース埋めてやり直そうかと思って適当にキー入力して「ドボポプププププ」という、この時点で発音がかなり難しい名前になったところ、てっきり「これでよろしいでしょうか?」と確認が入るかと思いきや、入力し切ったらそのまま確定処理されてしまい、主人公の名前が「ドボポプププププ」になってしまいました。
 この結果、旅で会う人々がみんな流暢に「ドボポプププププ」と呼んでくれるカオスな世界観になってしまいましたが、何度か練習するうちに自分も「ドボポプププププ」を発音できるようになりました。とはいえ、破裂音の「プ」を連続で口にするのはやはり困難ではありますが。

 なおゲーム本体については、評判通りオールドクラシックなRPGゲームで、なかなか楽しんでいます。グラフィックとしてはスーパーファミコン、それも初期レベルで、ガラケー向けに配信されていたことから使用するボタンも主に「決定」と「キャンセル」の2種類しかなく、令和のこの時期にこんなシンプルなゲームを遊べるというのもなかなか乙な感じがします。
 シナリオに関しても評判通りで、疫病が蔓延して常に多くの人々が亡くなる中、世界を統一した王は重税を課して生活は苦しくなる一方、そんな中で神の福音を受けた子が2人現れ世界を救うと言われている世界観になっています。

 この2人の福音の子はそのまま主人公の仲間となるのですが、片方は「死の仮面」と呼ばれ周りから恐れられながら実は超ビビりなヘタレで、何かにつけて「危ないから逃げよう」などと口にします。もう一人は味方からは「聖女」と呼ばれる少女ながら、何か問題があれば大体殴って解決しようとするほど血の気が多く、初期装備も「聖女のドス」という仕込み杖でどちらもキャラが濃いです。
 前述の通り世界観としては疫病が蔓延していて暗いものの、仲間二人は非常に濃いキャラでその掛け合いも面白く、暗さが気にならないくらい明るく旅を続けられます。っていうか男2人に女1人で完全にドラクエ2なパーティー構成であり、レトロな画面といい、ドラクエ2を遊んでた頃を思い出します。

 なおヘタレの方の名前は無駄に「mk-2」として、聖女の方はなんかめんどくさくなってデフォルトの「ルナ」のままで遊んでいます。

2024年8月1日木曜日

リストラ吹き荒れる中国の現状

 日本も記録的猛暑などと報じられていますが上海も暑く、今日は40度に迫るということでレッドアラートが出てました。自分の実感でも昨日からやばく、一昨日までは台風の影響からか風が吹いて夜なんかも寝苦しくありませんでしたが、昨夜辺りからは悪夢にうなされるようになりました。
 まぁ悪夢って言っても、夢の中でも大体仕事してるのですが。

 それで話は本題ですが、中国は不景気だと日本で報じられながらいまいち日本にいる方はその実感が得られていないのではないかと思います。実際に中国で働いている自分の口からすれば、日本の報道には物足りないというか、報じられている以上に中国の景気は悪く、社会の空気感もギスギス感が増しています。
 特に失業者が目に見えて増えていることが拍車をかけており、このところ喫茶店なんか行くと仕事辞めさせられたと思われる男性が時間を潰しているのを本当によく見かけるようになりました。

 その失業者ですが実際例として自分の知人がいる比較的大規模な会社でも例外でない、というより、大規模なリストラを行っているという話を聞きました。なんでも急にメールで「明日人事部に来るように」と伝えられて出向くと、問答無用で貸与していたパソコンなどが没収され、そのまま解雇されているそうです。まるでハリウッド映画のワンシーンですが、まさか中国でもそういう光景が繰り広げられていることにまず驚きます。
 でもって解雇する人間の量が異常に多いせいかパソコン没収ということでIT部門に出向くと、返却街の人間がたくさんいるせいで返却するだけで数時間待ちになるということもざらだそうです。この背景としてIT部門でもリストラが行われており、50%、つまり半分くらい切られているとも聞きます。

 こうした環境からかその会社の社員の間では「次は自分かもσ(゚∀゚ )オレ」とリストラ宣告に戦々恐々とする人が増えているそうですが、このありさまを見るとそう思うのも自然な結果でしょう。

 かつて自分が2010年くらいに中国へ足を踏み入れた際、「拡大しつつある社会というのはこういうことか」というのを強く実感したことをよく覚えています。というのも、大体自分がプレイステーションで遊ぶようになったころから日本の経済社会は不況一直線で縮小を続けるようになり、「今より良くなる」という感覚がずっと持てずにいたのですが、中国に来た際はこれがその感覚なんだろうというものをはっきり感じました。
 そして現在ですが、「これがあの時の親父の感覚か」というのを覚えています。それはまさに上記のプレイステーションで遊び始めたころ、日本国内でリストラの嵐が吹き荒れてうちのビンラディン似の親父の周りでもクビ切られる人が多く、実際に自分が解雇宣告されたわけではないものの仕事に対する不安を覚えていたりしたと当時言ってました。自分も今回、顔見知りの知人が解雇される様を見せつけられ、それが自業自得な結果なら話は別でしたが、やはり自分自身にとっても色々こみ上げるものがあります。

 そう思うと、自分の世代が経験しなかった80年代日本の社会拡大期、90年代日本のリストラ期の空気を、自分は中国で体験することができたともいえます。まぁその代わり、3.11直後の社会感を体験することはなかったのですが。

2024年7月29日月曜日

桜田門外の変に参加した薩摩藩士とだんドーン

 「ハコヅメ」でおなじみの奏三子氏の幕末漫画「だんドーン」の4巻がこの前発売されて読みましたが、よくもここまで桜田門外の変を掘り下げたものだと感心して読んでました。特に、この桜田門外の変に水戸藩士に紛れて薩摩藩士が一人だけ参加していたということは知ってましたが、その人物がどのような人物であったのかを、この「だんドーン」で初めて知りました。

有村次左衛門(Wikipedia)

 その唯一の薩摩藩士が上記の有村次左衛門で、負傷した井伊直弼を駕籠から引きずり出し、彼の首を取ったのも彼だったそうです。私はてっきり水戸藩士の参加者と仲の良かった薩摩藩士が助っ人的に参加したのだとかねて思っていましたが、実際には島津斉彬死後の調停工作で薩摩藩と水戸藩がタッグを組んでいた際、連絡役などで両藩の仲介となっていたのが彼だったそうです。そうした縁からこの桜田門外の変にも参加したとのことでしたが、まさか井伊の首まで取っていたとは。

 それでこの「だんドーン」の襲撃シーンですが、非常に迫力のある重苦しさが強い仕上がりとなっています。守勢の彦根藩士らの奮戦ぶりもしっかり描いており、手や指が切り裂かれるシーンなども実際の襲撃場面をしっかり研究して描かれているように見え、「大老の井伊が暗殺された」という教科書の中では字面だけの場面がこれほど迫力ある場面だったとはとこれまた感心させられました。

 中でも、水戸藩士らに囲まれる中で井伊がいる駕籠を孤軍奮闘とばかりに彦根藩士が守る中、上記の有村次左衛門が示現流ならではの咆哮を挙げて襲い掛かるシーンは見ていて強い恐怖感をこちらも覚えました。
 知ってる人には早いですが、薩摩藩士が習っていた薬丸示現流という流派は、一太刀目でで必ず相手を殺せるよう全力で振りかぶる剣法で、外したら隙が多いものの、下手に受け太刀したら刀ごと真っ二つにされることもあったという防御を捨てた捨て身剣法として有名です。しかもそんな全力斬りを例の「キエー」という奇声とともに振りかぶってくるのだから、相手からしたら恐怖以外の何物でもないでしょう。

 しかもこの桜田門外の変では乱戦入り乱れ、襲撃側も同士討ちするなど現場は非常に混乱していたそうです。そんな乱戦の最中、奇声挙げてこっちに大きく刀を振りかぶってくる示現流の使い手を前にしたら自分だったら逃げ出すと思います。このあたりの示現流の使い手の恐ろしさが「だんドーン」では非常にうまく描かれており、実際に単行本の作者コメントによると「実に立派な襲撃でした」などと水戸藩士のようなメールが送られてきたそうです。

 その作者の奏三子氏自身もこの回で、「これからが維新の始まりだ」ということをにおわせるセリフを入れています。「ハコヅメ」の時も思ってましたが変なところで凝り性で手を抜かない人のようで、歴史考証やストーリー構成が非常によく練られており、「陽気な人斬り半次郎」こと桐野利秋も次の巻から登場するとのことなので非常に楽しみです。
 ちょっと大げさかもしれませんが、非常に構成が優れるだけに将来大河ドラマの原作に使われるかもしれません。

2024年7月28日日曜日

「報われたい」と思わない精神

 先日、前から気になっていたタフシリーズだけど巻数多くてこれから追いかけるにはきついなと思っていた矢先、聖人キャラと呼ばれる主人の父親でおとんこと宮沢静虎が主人公との外電作品「オトン」だと2巻しかないことに気が付き購入して読んでみました。元々、作者の猿渡哲也氏については迫力ある筋肉の描写はすごいと思っており、この外伝作品でもその個性がはっきり出ていて非常に楽しめました。
 何気に猿渡氏については、平松伸二氏のアシスタントになる際に持ってきたスケッチブックに、いろんな角度や形をしたたくさんの「手」しか描かれていなかったというエピソードが今でも強烈に覚えています。

 話を戻すとそんな普段はさえない銀行サラリーマンに見えて、いざバトルとなったら物凄い容赦ないおとんですが彼の名言にこんなのがあります。

「他人のために何かをやったとしても、決して見返りは求めるな。 もし、それを望んだらその瞬間、お前の行動は醜悪なものになる。」

 実に名言この上なく誰に対して伝えても恥ずかしくない言葉で、見返りではなく自己実現、「自分がそうしたい」からを行動原理にしろと息子である主人公に伝える際の言葉だそうです。
 この言葉を聞いてもう一つ自分の頭に思い浮かんだ言葉として、見出しにも掲げた「報われたい」という言葉です。結論から言うと「報われたい」と思った瞬間、その時点でその行動は本人にとって望ましくない行動になるという風に思います。

 人間誰しもギブアンドテイクというか損得勘定で行動を決めます。何故その行動を取るのかというと自分にとってメリットがあるからで、わざわざデメリットがあること確実な行動を取る人間はまずいません。ただその損得勘定については人によって個人差があり、目先のメリットのみ追及する人もいれば、長い目で見てここで泥被った方が後々有利になると考える人もいれば、自分が強い責任感を持ち続けることによって最終的にメリットが得られるとひたすら耐える人もします。

 そこへきて上の「報われたい」ですが、この言葉の意味としてはこれまで継続、積み重ねてきた行動が今は価値を生まないけど今後しっかり価値を生んでほしいという願望にほかなりません。さらに掘り下げるとこの「報われたい」と考えた時点で、恐らくその行動はその人にっては「本音ではもうやりたくない」という行動になり下がっているものと思われます。
 そのように踏まえると、この言葉が発する心理状況はすでにギャンブル依存症などと同じく「サンクコスト」と呼ばれる心理に近く、「これまでコストを支払ってきたんだから取り返すまではやめられない」という状態にあるのではないかと思います。具体的には、資格試験の勉強を何年も続けてきたけどずっと受からない、同じ会社にずっと働き続けたけど自分の思うように評価されないなど。

 こうした状況で「報われたい」と思った時点で、すでに支払ったコストを取り返せるような恩恵が得られる可能性は低くなっていると思います。であれば、過去のコストに関しては損失としてしっかり認識し、現状の自分にとって何が最善の行動となるのか、改めて見直してみた方がずっといい気がします。「今更仕切りなおせない」という人もいるでしょうが、伊能忠敬だって40代から勉強し始めたのだし、何かを始めるのに遅すぎるということは実際にはほとんどないと私は思います。

 以上を踏まえてさらに付け加えると、「報われる」という言葉は一種の呪いのようだと思います。「頑張ってれば報われる」と言いますが、努力の方向性が間違っていたらそんなこと起こるはずないし、事の成否は運の要素も絡み、努力が正しくても報われない現実というのは確実にあると思います。
 たとえ報われない可能性があったとしても成功に向けて努力し続けたいという精神は崇高で立派であるし、そうした行動は成功を掴めなくても、その本人にいろんなものを残すと思います。しかし途中で、「まだ報われないのか?」などと思った時点で、もはや本人が「やりたい」という気持ち以上にこれまでのコストから「今更やめられない」という状態に至っている可能性が高く、「いつか報われる」という言葉というか概念に引っ張りまわされているような状況に陥っている可能性が高いでしょう。

 そういう意味では冒頭のオトンの言葉じゃないですが、「いつか報われることを夢見て」という概念は根本から持たない方がいい気がします。以前からも言っていますが、将来よりも今を必死で生きる方がもっと重要だし、今を真剣に生きることでかえって将来が開かれると私は思います。なので「報われる」というのは、あまり多用すべき言葉じゃないのが結論となります。

2024年7月27日土曜日

中国の妙な検閲基準と違和感感じる幽霊の描き方

中国で『リメンバー・ミー』上映禁止、しかし検閲官が大感動して上映OKに(THE RIVER)

 上の記事によると、ピクサーの「リメンバー・ミー」という映画は幽霊がわんさか出るので中国では本来検閲ではじかれるところ、内容を確認した検閲官が「めっちゃええやん」と判断して逆にプッシュされる形で公開に至ったとのことです。事の真偽はどうあれ、「幽霊が出る」というのは実際に中国の映画やゲームの配信において弾かれる要素で、その理由について中国人の同僚に聞いたら、「非科学的だから(´・ω・)」とのことでした。
 なら気功使う拳法家とかはありなのかよという気はするんですけどね……。

 しかし、実際には中国で制作される時代劇などのドラマでは普通に幽霊が出てきます。中国版大可越前こと包公(パオコン)の話でも、幽霊相手に裁判するという話もあり、上記の検閲規定に引っかかるのではないかと思いました。その点についてもまた中国人の同僚に話を聞いたら、「中華人民共和国の建国前だからそれはいいの(´・ω・)」とのことでした。
 いや、原作が建国前だったら現代でドラマ化していいとかいい加減過ぎないって気はするんですけどね……。

 ちなみ「非科学的」という枠の中には「人語をしゃべる動物」も当てはまるそうです。なので海外の映画で人語をしゃべる動物が出たら「あれ宇宙人だ」という解釈で検閲をパスするそうです。なので、ポケモンとかも宇宙人扱いになっていると推察されます。
 ってか、幽霊には厳しいくせになんで宇宙人にはやたら寛容なんだよ、宇宙人の存在なら科学的なのかよって気もしてくるけど。

 それはともかくとしてちょっと前から思っていた点として、日本人と中国人で創作における幽霊の描き方が大きく違うことに最近気づいてきました。元々学生時代に、前述の包公に関する説明文で「しかし彼の裁判には日本人にとってはやや違和感を感じる、幽霊なども裁判に参加する場面が登場する」という記述を見ていたのですが、これを見たときはそこまで気にしなかったものの、最近になって中国人が描いた漫画などを見て、その幽霊の描き方に物凄い違和感というか率直に言って受け容れづらい感情をはっきり覚えました。

 具体的にどう違うのかというと、基本的に日本の幽霊はまずまともなコミュニケーションが取れないのが普通です。守護霊なんかだとまだ会話できる奴もいますが、その姿は守護対象者にしか見えないなどごく限られ、あくまで陰の存在として縁の下の力持ちに徹します。一方、怨霊に至っては仮にその姿が見えたとしてもまともな会話はまず成り立たず、それどころか恨みの対象だけじゃなく無関係にに襲い掛かってくるバーバリアン的な特質も持ちます。こんな感じで日本の幽霊は、まともにコミュニケーションが取れず交渉はまず不可能で、畏れ、触れないべき存在として描かれるのが普通じゃないかと思います。

 それに対し中国の幽霊ですが、マジで日本と真逆です。普通に一般人もその姿を視認することができれば会話もまともにでき、それ以前に誰も相手が幽霊だと思わずに接しているというパターンが多いです。幽霊の側も普通に職を持って働いてたりすることが多く、何かをきっかけに同僚に「実は俺って幽霊なんだよσ(゚∀゚ )オレ」的にフランクに正体ばらしてきたりもします。
 日本人的には、「そんな幽霊がいるか!」と思わずにはいられません。

 まぁ上の例は極端なものですが、どっちかっていうと僧侶や占い師などあまり目立たない職業についていて、主人公らに密かに助言したりする立場で幽霊キャラは登場してくることが多いです。でもって後半に入って「なんであなたはそんなに何でも知ってるんですか。は、まさか!?」的に幽霊だとわかるパターンが多いのですが、日本みたく足が見えないとか姿がすすける、影がないといったテンプレ特徴を欠いていることが多く、日本人的に言えば「幽霊らしくない」幽霊が本当に多いこと。

 自分の感覚で語ると、中国の幽霊は死を超越した仙人的な立ち位置で描かれることが多いのに対し、日本の幽霊は現世から切り離され、親類などごく一部のインナーサークル内にしか影響をもたらさない人格として描かれており、端的に言って存在感に大きな差があります。なので日本人からしたら、「幽霊がそんな堂々としていていいのかよ」という違和感が常にまとうため、確かに中国の捜索における幽霊の描き方にはついていけない日本人が多いのではと思います。

 この辺、むしろ日本人的には西洋の幽霊や霊魂の方が感覚的に身近であるような気がします。あっちもごく親しい人の前にしか出ないことが多いし。
 そう考えると冒頭に描いた中国の「科学的」って概念も若干疑問というか、もしかしたら自分の考える「科学的」とは違った意味なのかもしれない。