ページ

2024年10月3日木曜日

中国の年金の運用状況

 かねてからこのブログで紹介しているように、不景気の中国にとって今後最大の社会不安要因となりかねないと睨んでいるのが年金です。というのも日本国内は近年はやや沈静化していますが、一時は一にも二にも年金が関心事となり、成人式の新成人が気になるワードランキングでも00年代中盤は年金が常にトップでした。

 その中国の年金ですが、表記としては「養老金」と書きます。かなり制度が複雑で自分も完全に把握し切れていないのですが基本としては3種類の年金があり、即ち国民年金、企業年金、個人年金です。これらの年金種類の意味は日本の制度とほぼ同じと考えていいのですが、国民年金に関しては日本と異なり、支給額が戸籍のある自治体ごとに決まっていて、地域によって水準が異なるという状況となっています。
 つまり、地方の省だともらえる金額が少なく、大都会の沿岸部地域だと高くなるわけです。日本人からしたら、いいのかよと思うような不公平ぶりです。

 話を戻すと、肝心の運用状況に関しては少なくとも近年は良好で、特に問題は見られませんでした。コロナ初年度の2020年のみ収入に対し支出がマイナスとなったものの、それ以外の年は常に黒字で、運用益もプラスを維持しています。ただ問題なのは少子高齢化が激しくなるこれからで、いろいろな記事を見ていても政府は問題ないことを強調していますが、不安に感じている人は多く懸念が述べられている記事もよく見ます。
 ちなみに去年から中国では外国人にも年金を徴収するようになり、自分の手取り給与がそれ以前と比べ結構減りました(´;ω;`)ウッ…

 生憎というか人口減少ペースや金利なども交えた詳細な分析記事は見つけられず、またそのような複雑な分析を行えるだけの知識もないので中国の年金が安心かどうかはわからないものの、今回調べてて感じた点としては、第一に中国も年金に対する不安が広まりつつあること、次に政府も先行きに対してかなり不安を持っていることは確実だと思えます。
 このように考えるのも去年あたりから中国政府が個人年金の価値をやたら訴えるようになっているからです。老後の所得確保を考えるなら個人年金の運用が重要だなどと、納税者に対して個人年金の活用を訴えるとともにその制度的支援を拡充することを宣言しています。恐らく、掛け金に対する減税などを今後追加していくのでしょう。

 実際に中国人の間でも個人年金に関心を持つ人は増えており、自分も何人かから相談を受けたことがあります。日本も人のこと言えませんが、中国も公的年金から民間年金の比重を増やし、政府負担の比重を下げようとしているのかもしれません。

 真面目にこの年金はひとたび不安が爆発すると一気に社会不安を高める要素なだけに、今後10年内に火が付くかどうかは中国にとってかなり大きなトピックになると考えます。今後も折を見て自分も分析していきたいと思っていますが、中国人自身が先に分析すると思われ、その結果がどうなるかはかなり見物です。

2024年10月1日火曜日

上海スーパーでの通り魔事件について

【速報】大谷翔平の50号ボール巡ってもう1人が提訴でカオスにwwwwwwwwwww(暇人速報)

 本題とは関係ないけど上の記事見て、漢楚戦争の末期に劉邦が項羽の首を取った者に賞金を懸けたところ、項羽の死体にみんな群がり手足などがバラバラにされた上で献上され、賞金は分割化されたというエピソードを思い出しました。


 それで話は本題ですが、先日の深圳における日本人小学生への襲撃事件に続いてなのか、上海市のスーパーで通り魔事件が起きたようです。事件の起きたエリアは松江区で、ここは上海市中心部から外れたエリアで、製造業の工場などが上海市内の中でもかなり集中しているエリアです。東京で言えば、日野市に近い気がします。
 とはいえ腐っても上海市で、周辺住民の所得は中国でもトップクラスであり、また直轄市とあって政府の管理が厳しいというか治安維持も力が入れられている場所なのですが、それでも通り魔事件は防げるわけがないでしょう。もっともそれを言えば、先日の深圳だって中国では進んだ地域だったし。

 中国の治安とかについてはこの際言及しませんが、多分この手の取り魔事件は今後どんどん増えるだろうし、またその対策について中国政府はミスを犯すことになると予想しています。具体的には社会におけるヘイトの高まりについて効果的な対策を打ち出さず、報道を覆い隠す方式で放置して、この手の通り魔的犯罪を助長することになると思います。

 すでに日本でも報じられていますが深圳での日本人小学生の事件は中国では一切報じていないというわけではないものの、明確に報道規制がされており、検索などかけても本来存在するニュース記事などが出ないようにされています。六月の蘇州での事件は当初こそ報道規制がかけられていましたが、その後は亡くなられた中国人女性を称える報道が出たことで規制はなくなりオープンとなりましたが、深圳の事件はこのままなかったことに中国政府が使用としているとみていいでしょう。

 ただこの手の事件はやはり、報道する価値は高いと私は思います。というのも報じて犯人に対し社会的批判をすることで、模倣犯の発生を防ぐ効果が生まれると思うからです。逆に報じなければ、特にその捜査内容や処罰などを隠したままでいれば、この手の通り魔を計画する予備軍がより調子づくことになるとすら思います。

 今回の上海市の通り魔事件ですが、完全とは言わないまでも軽い報道規制がかけられているように私には見えます。というのも事件内容が通常のニュース記事で出されたり、アナウンサーが元寇読んだりするというわけじゃなく、「松江区で通り魔事件が起きた。被害者は何人で犯人は逮捕済み」的な役所の公告形式で報じられているものしかさっき見当たらなかったからです。言ってしまえばこれはメディアに対し「発表内容以外の余計なことは報じるな」という圧力にも見え、政府はあんまり広げてほしくないように見えます。

 とはいえこれだけ連続して通り魔事件が起きてて、偶然の一言で片づけられるわけがないでしょう。個々人によって差があるとはいえ、やはりこのところの中国の不景気が遠因しているように見え、特に今後はこれまで拡大される一方だった社会保障の縮小にも中国は手を付けなければならないのだから、社会不安はさらに高まり、この手の事件もsらに増えていくと予想されます。にもかかわらずヘイトに対する対応を間違え、中国政府は隠蔽する手段を今後もとり続けてどんどんこの手の事件を増やしていくようにすら思えます。

 最後に、私自身は成人男性とあって今回の事件を受けてそこまで治安というか身の危険を感じているわけじゃないですが、何となくこの1ヶ月間、自分が抱えるストレス量が急に増えているような気がしています。もちろんみんな連休前で有休をとる中で立場的に有給が取れず殿させられている(昨日オフィスで独りぼっちだった( ;∀;))こととかありますが、ひょっとすると社会全体のギスギス感が地味に自分の心理にも影響しているのかもしれません。っていうか、2010年くらいの3.11前の日本の空気に近くなってきているし。
 もっともこのところのストレスの最大原因はノーパソの不具合に端を発するのは間違いないです。自分でも思うけどほんとメンタルよわよわ(ヽ''ω`)

 ともかく、仮にそうだとすると中国も自分にとって住みづらくなってきているのかもしれません。まぁそれを言ったらストレスフリーな環境なんてないんだし、文句ばっか言わず現況を変える努力をすべきなのだから、もうちょい色々粘ってはみるつもりですが。

ダサさ極めた対魔忍


 上の画像は自分が遊んでいるソシャゲの「アクション対魔忍」における使用キャラのステータス画面です。このゲーム、決してそこまで優れているとは思わないけどなんだかんだ言いつつすでに1年以上遊んでいます。これだけ長持ちしているのは単純にアップデートが頻繁で、使用キャラやアイテムの追加が常に多く、またP2Pことプレイヤー同士の対戦要素が少なく後発組もまったり遊べて入り込みやすいため、海外でも人気を得ていると聞きます。
 ちなみに中国版のタイトルは「動作対魔忍」。

 それでこのゲームですが、キャラクターの衣装はゲーム内通貨を使って購入して色々着せ替えることができます。またその衣装には複数のカラーパターンもあるのですが、ゲーム内アイテムを使うことでそのカラーパターンを自由に変えることもできます。
 カラーパターンは一つの衣装に対し三つの部位があり、その部位ごとにアイテムを使うとランダムで提示される色から選んで彩色するのですが、あくまでランダムなためなかなか思った通りの色に仕上げることはできません。もっとも私は額に意表を突く色の方がいいと考えて、時たま気に入った衣装でこのカラー変更をやるのですが、上のアサギというキャラの衣装でこの前何の気なしにやってみたところ……
































何だこのクソダサい衣装は!?


 最初見た時かなりビビッと来たというか、ダサさを煮詰めたかのようなこのカラーパターンになんか衝撃を受けました。っていうかこういうぴっちりスーツ系衣装で黄色が混ざると、高確率でダサくなる気がします。この衣装だと、赤と黄色の組み合わせが最悪なんでしょう。

 真面目にこんな衣装着て出動しろとか言われたら家出するような衣装です。偶然とはいええらいものを作った気がします。
 なおアサギは普段は教師版衣装を着せて遊んでいます。何tのなくこの手のツリ目キャラはメガネかけるといい感じになる気がします。

2024年9月28日土曜日

「しごき」をメンタル教育としてみることでわかる日本社会の変遷

 間に総裁選とノーパソ不具合の記事を挟みましたが、前回記事で私は日本人のメンタルが年々弱くなりつつある中、どうすればメンタルを強くするのかと言えば単純に苦行が一番捗ると主張しました。基本的に人間は今が苦しいか楽かという判断は過去の苦しかった時の体験との比較でしか判断できず、過去にめっちゃ苦しい体験していたらその後の人生における困難や課題も「あの頃に比べたら」的に乗り越えやすくなるのではという風に考えています。

 この仮定に立った場合、現在精神疾患者が激増中の日本はメンタルが全体として弱くなっていることは間違いなく、ならなんでメンタルが弱くなっているのかというと過去の苦行、激烈体験がそれ以前よりも減ってきているという風に解釈できます。では過去、具体的には昭和時代の人たちは苦しいことのベンチマークとなるような体験として何を経験してきたかっていうのが、意外と重要な着目点となってくるわけです。

 仮に戦前世代まで掘り起こした場合、この世代の最大の苦行はやはり戦時体験でしょう。直接戦地に赴いた人だけでなく、日本国内のいても空襲や、戦後の食糧不足という筆舌にし難い苦しい体験を乗り越えてきており、実際にこの世代から「戦時中に比べれば」という言葉を自分もよく耳にしました。この世代からすれば、その後の人生における困難もストレスを大きく受けるほどのものにはならなかったでしょう。
 では戦後世代はどうか。結論から言ってしまえば、昭和から平成初期にかけて日本人のメンタル教育において非常に重きをなしたのは「しごき」だったのではないかと今思います。しごきという言葉の定義については省略しますが、学校での部活、職業現場での上下関係によるしごきは、殴る蹴るは当たり前、人格否定の罵詈雑言は日常茶飯事で、現代とは比べ物にならないほど激しいものがありました。

 なおソ連人民の敵であるうちの親父は就職間もないころ、「契約取ってくるまで絶対帰ってくるな!」と上司に言われ、神主やってたいとこの家にも売り込みに行って「何考えとんねん!」と追い返されてたそうです。

 話を戻すと、令和の現代において完全に否定されているこの「しごき」ですが、ことメンタル教育という面では日本社会において大きな役割を持っていたことは否定できないでしょう。昭和のこの手のしごきは理不尽さ、過酷さをひたすら追求している節があり、理不尽さに耐える力という点ではその育成効果は間違いなくあったと感じます。
 ではメンタルが弱くなりつつある現代日本において、その対策として戸塚ヨットスクールの人じゃないですがまたしごきを復活させればいいのか。この問いに対する私の答えはノーです。

 というのもしごきというのは確かにメンタルを強くするうえでは明確な効果があると思いますが、その代わりと言ってしごきを受ける人間は合理的な思考や考えを失い、盲従的になる可能性が高いと思うからです。日本のスポーツ教育が昭和期に世界で通用しなかったのはまさにこの点にあり、陸上や水泳とかならまだしも、野球やサッカーなどで海外に全く勝てなかったのはこうした面の弱さにあると私は思います。

 またこの手のしごきを受けた人間の中には、暴力性を顕著に高める人間も残念ながらいます。部活指導中の事故死や育児中の虐待死を起こした大人の多くは判で押したかのように、「自分は子供の頃にもっときつい仕打ちを受けていた」という言い訳をしてきますが、恐らく実際にはそう思い込んでいるだけで、子供を死に追いやるほどの仕打ちを彼らは受けてはいないでしょう。
 しかしある程度のしごきを自分が受けてきたから、「自分が受けた分はほかの子供にやり返していい」という勘違いを起こした挙句、自分が受けた以上のしごきを課して虐待するというパターンは実際よく見られます。何故こうなるのかというと、かつてのしごきには教育としての合理的価値がハナから無視されており、「苦しませればいい子に育つ」的に苦しませるだけで、その結果としてしごきを受けた人の合理的判断能力を喪失させていた節があるように見えます。

 ならしごきはやってはだめなのかという話になりますが、そうなると今度は現代のようにメンタルが弱い人を量産することとなってしまいます。実際、この流れで日本人はメンタルが弱くなっていき、精神疾患者が増える一因にもなっていると考えています。

 まどろっこしいので言いたいこと書くと、子供の教育に当たっては合理的な根拠や目的のもとに、苦しませるべきだと思います。昔のうさび飛びのように運動能力向上に何ら貢献しない苦行をやらせるのではなく、健康を崩さずしっかり身体を育成する科学的な訓練メニューを用意して、感情的な判断はせずしごきを行うのであれば、精神的にも肉体的にもいい教育になると私は思います。
 その上で、そうした訓練の目的や効果についてしっかり子供たちにも教え、「こうやるとこうなるんだよ」的に理解させたうえで、子供たちに自発性を持たせ行わせることも大事かと思います。こうすることによって、子供たちもそのしごきの合理性を考え、合理的な価値観や考え方を育んでいくことになります。

 何が言いたいのかというと、「合理的に苦しませろ」というのが、現代日本のメンタル教育に対する私かの意見です。何も学校に限らず勤労現場でも、きちんと苦しむ理由を教えた上でハードワークを課すことが大事だと思え、これがびっくりするくらい日系企業は出来ていない気がします。なんでかというと、中間管理職以上にその手の合理的思考がない人が多いからです。
 「苦しいけど儲かる仕事」と「苦しいのに儲からない仕事」では90度でなく180度意味が違い、後者に関しては儲からないならむしろやらない方がマシ的なものも少なくありません。この手の見極めをした上で、勤労初心者に価値ある苦しみを与えて育成することが、結果的にその人らのメンタル教育にもキャリアアップにもつながると私は考えます。

 冒頭に書いた通り、現代日本でしごきは敬遠されがちです。私自身も不合理なしごきは排除すべきだと考えますが、「必要で合理的なしごき」こと苦行はメンタル教育的にも、やはり若い時にこそ経験しておくべきだとも考えます。そうした、一体何が必要な苦行で何がそうでないかを判断できず、結果的にメンタル教育がおざなりになっているのが現代日本だと思え、あと10年くらいはこの状態が続くかなとみています。

 なお自分の経験で言うと、肉体的な苦行はそれほど経験しませんでしたが、あまりにも非効率な指示に下で不要な業務だとわかっているのに従事させられたのはマジ苦しく、合理性失いかけたけどメンタル的には貢献したかなと考えています。あれに比べれば中国に行って転職活動したりする方が楽だったな。

ノートパソコンに故障発生(ヽ''ω`)

スペースキーが反応しなくなった(OKWAVE)

 上の質問を出したのは自分ですが、そこで書いている通り去年買ったノートPCのNEC Lavieの本体キーボードスペースキー、並びに周辺の下列キーが反応しなくなりました。年数経ってたり、普段から散々叩いているならまだしも、日常的には外付けキーボードしか使っておらずなんで本体キーボードが触ってもないのに不具合起こすかやや意味不明です。

 購入から1年保証、でもって確か小売店で3年保証へとランクアップさせていたはずなので多分大丈夫だとは思うのですが、上海在住ということから保証を受けることができず、この点で色々思うところがあります。っていうかそういう海外仕様前提で、高くても故障しにくいブランドとして選んだはずが、1年内にこういう意味不明な故障起こすというのはちょっとどうかっていう気がします。

 前述の通り普段は外付けキーボード使うのでそこまで影響はないですが、何かっていうときにこのキーが反応しないのは大きな問題になる可能性を秘めているだけに、いい気がしません。この際、次日本返ったらまたPCごと交換してしまおうかと密かに検討しています。

 っていうかオファーに対しZoomかTeamsで話さないと言われたけど、中国だとどっちもアプリからだとうまく起動できなかったり、なんか今日は色々疲れさせられる日です。メンタル的に弱ってるのかも(ヽ''ω`)

2024年9月27日金曜日

石破氏の総裁選当選について

 本題と関係ないですが自分が臨終の際には「無とは一体……うごごご」というセリフを残して去りたいという欲に急に駆られました。改めてみるとインパクトあるセリフな気がします。

 話は本題ですが本日行われた自民党総裁選ですが、恐らく誰もが予想していなかったと思いますがなんとあの石破氏が決選投票を経て、見事当選する結果となりました。
 石破氏についてはこの総裁選が始まった直後に一番確実だと思って、「石破氏の可能性はもうない」という記事を書いていただけに、予想を大きくはずして誠に恥ずかしい限りです(*ノωノ)

 その辺の自戒を込めて「どうしてこうなった(。´・ω・)?」的に今記事を書いていますが、前回記事を改めて読むと、

・反安倍・反麻生でやり続けてきた石破氏なだけに、麻生派はともかく安倍派がなくなった現状ではそのポジションが揺らついている。
・自民党内で人気がなく議員票が得られない
・候補者が乱立していて拠り所とする党員票をまとまって得られない

 といったのを予想の根拠としましたが、結果から見るとこれがすべて真逆の結果となりました。そうなったというべきか私が予想を外したのも、全部高市氏のせいだという気がします。
 ほかでも分析されている通り、まず石破氏が決選投票に進んだのは大方の予想を外れた想定外の結果だったと思います。大半は高市氏と小泉氏の決選投票進出だとにらみ、そのため投票直前になって小泉氏もその庇護者である菅氏と犬猿の仲にも係わらず麻生氏に決選投票での支援をお願いに行っています。この行動について菅氏に事前の承諾を得ているとは思いますが、もし得ていなければ今後の小泉氏に影響することになるでしょう。

 第1回の投票では前述の通り、予想を覆して石破氏が決選投票へ進むこととなりました。この背景としてはまず党員票が思ってた以上にばらけず、依然として石破氏に集中したことが最大の原動力だったと思います。ばらけなかった背景としては候補者が乱立したものの、どの候補者も統一教会や裏金問題については言及を避け(石破氏を含め)、主張や立ち位置であまり差を出さなかった気がします。
 特に上川外相に関しては強みとなる女性という立ち位置にありながら、夫婦別姓問題について消極的な姿勢を見せたのは大きなマイナスだった気がします。高市氏については以ての外でした。

 こうした状況から、「みんな一緒なら石破でいいじゃん(´・ω・)」的な人は石破氏に集中し、またオールドライトこと古参の右派勢力からは安倍元総理に価値観の近い高市氏に票が集まって、結果的にこの二人が決選投票に至ったと考えています。
 むしろ党員票でこの二人に次ぐ3位につけたものの、両社から約半分弱と大きく差をつけられた小泉氏はこの党員票の取り込みで完全に失敗したと言えます。有力候補とされながらも当初より菅元総理が表に出ていて傀儡的に見られたこと、また討論でのちぐはぐな発言によって選挙が進むにつれて父親とは対照的に彼はどんどん人気を落としていったように見えます。何となく、台本読むのは上手いけどアドリブは全くできないタイプに見えます。

 こうして決選投票に進みましたが、最大の想定外要素は「反石破<反高市(=麻生)」だったことに尽きます。先の小泉氏の支援以来に対し唯一派閥を維持する麻生元総理は、むしろ菅元総理への意趣返しとばかりに高市氏支持を鮮明化しましたが、これが逆に高市氏を敗戦へといざなったように見えます。
 私が見る限り、決選投票ではこの麻生派の動きに反応して小泉氏を支持していた勢力が石破氏への投票に動いたように見えます。また現職総理ながらこれまで総裁選に対し方針を全く見せず、身内から林氏、上川氏が立候補していた岸田総理とそのグループも、総裁選ではみんなまとまって石破氏に投票したのではないかと考えています。

 岸田氏は決して石破氏と仲がいいようには見えませんが、それ以上に麻生氏のことを嫌っていたのは間違いないです。政権時代も茶々入れられまくったり、二階氏ですら受け入れた派閥解消を受け入れなかった点といい、古い言葉で言えば抵抗勢力そのものでした。
 その上で政権において色々邪魔してきた安倍派の復活を目論むような高市氏に対しても、岸田氏からすれば応援する義理はなく、むしろ排除すべき対象でもあったため、敢えて言えば岸田派は決選投票で石破支持に動いたのではないかと思います。こう言っては何ですが、選挙中に旗印を一切見せなかった戦略がここにきて一気に奏功したようにも見えます。


 このあたりの推測ですが、上のまとめ記事にある写真が物語っているように見えます。

 以上を踏まえて言えば、もし麻生氏が高市氏支持を鮮明に出さなければ反麻生派がここまでまとまることはなく、高市氏が当選していたのではないかと思う節があります。少なくとも小泉氏の勢力が反発する事態は避けられたと思え、その点で言えば麻生氏が悪い意味でキャスティングボートを握ってしまったのが今回の選挙結果だという風に見ています。
 でもって、これで彼の政治生命も完全に終わりでしょう。

 その他候補者に関しては、その麻生派から出馬した河野氏はブービーという、かつての全国区の人気もどこ吹く風かという低調な結果に終わり、今後はさらに厳しくなるでしょう。岸田氏が彼を追い落とすために若干嫌がらせしていた節がありますが、それ以上に河野氏自身のふるまいもかつてとは異なっており、この結果もさもありなんかと思います。
 同様に結果こそ3位ではあったものの、小泉氏はかつてと比べてもその人気は右肩下がりで、今回の選挙戦で弱点も露呈しただけに、本人が精進するなり成果を上げるなりしなければ次はより厳しくなるでしょう。

 逆に今回名を挙げ、一番得したのはコバホークこと小林鷹之氏じゃないかと思います。露出も増え認知も広がり、結果も先輩格の上川氏、茂木氏を上回っており、次回の総裁選に向けて上々な結果を今回得ているように見えます。最初はグー、斎藤健氏も、こんな感じで今回の総裁選で前準備したかったんだろうな(´・ω・)

2024年9月26日木曜日

そもそもメンタルはどうやって鍛えるの?

 先週から仕事が忙しくマジで目が回る状態というかふらふらで、なかなかブログも書けませんでした。来週からは国慶節で1週間の休暇が取れるけど、前半はマジで寝たきり雀になるかもしれません。

 話は本題ですが前回記事で私は、昨今の日本の教育や社会環境が現代日本人のメンタルをかつてよりも弱くさせ、ストレスに弱い人間を増殖していると主張しました。その証拠として、精神科に受診する人間は年々増えており、私自身も実際に精神科医をしている友人に確認して裏付けを取っており、意外と無視できないところまで日本のメンタル問題は来ていると認識しています。
 この問題にどう対抗するかですが、単純にメンタルが強くストレスを受けない人間を増やすに尽きます。おそうなれば精神科の負担は減り、精神疾患で生活や労働に支障が出る人も減り、医療費や社会保障費が減るだけでなく労働力や生産高にもプラスでハッピーハッピーなること請け合いなしです。と言ったところで、そもそもどうやればメンタルは強くなるというか鍛えられるのかというのがトピックとなるわけです。

 ある程度想像してはいましたがネットで「メンタル 強くするには」と検索すると、これでもかというくらいそれぞれのメンタル強化方法を主張しているサイトが雨後の筍、戦場のロシア兵の如く出てきました。中には怪しい自己啓発セミナー的なサイトも見受けられ、このトピックに関心持つ人が多いってのと、これをネタに商売している人もたくさんいることがうかがえます。
 その上でこれだけいろんな人が各種様々なメンタル強化方法を主唱しているあたり、現在スタンダードともいうべきある程度一定の人数が認知している固定されたメンタル強化方法はまだないと言えるのではないかと思います。でなければこれほどバラエティに富んだメンタル強化方法を各々が主張するはずはありません。

 以上踏まえて結論から述べると、私個人が考えるメンタル強化方法としては単純に、「どれだけきつい体験を過去にやったかに尽きると思います。

 例えば突然1時間の行軍訓練をやることとなった場合、行軍なんて一度もしたことがない人と、過去に何度か24時間行軍訓練を受けたことのある人を比べた場合、後者の方が圧倒的に1時間の行軍訓練で受けるストレスは小さいでしょう。また同じ種類の経験でなくても、過去に激キツ体験や苦痛、困難を受けたことがあれば少々の課題にぶつかったところで、「あの時に比べりゃ何ともない」という風に受け取り、同じ体験を初めて受ける人と比べれば感じるストレスを小さくすることができると断言できます。

 この辺、日ごろから私が主張しているように人間というのは基本的に比較を通してでしか物事を認知することができず、きついかきつくないかというのは結局のところ、過去の体験や現状と比べてでしか判断できないと思います。教育や伝聞を通しての仮想体験と比較することも可能と言えば可能ですが(「あいつが受けた苦しみに比べれば!」など)、やはり優先されるのは自分の経験と感覚なだけに、結局のところ過去にきっつい体験を受けるなり乗り越えとけばそれ以降に受けるストレス量は、環境などによる継続的に発生するものを除けば基本的に小さくなるでしょう。
 これは言い換えると、メンタル鍛えようってんならとりあえず苦行を体験すりゃいいってことです。

 それこそ私のようにブラック企業やメディア業界を体験した人間ともなると、普通の労働環境にいるだけでも「めっちゃ幸せやん(´・ω・)」と思えて日々に受けるストレスもブラック企業を経験していない人からすれば確実に小さいと断言できます。またメディア業界で慣らされたこともあり、よく「どっちがヤクザかわからない」シリーズこと警察がヤクザ事務所に乗り込む動画見ても、「怒鳴ってるったって凶器持ってないじゃん(´・ω・)」と思えて、ほかの人の反応と比べるとそんな怖いように見えません。
 そういう意味では、場合によっては耐えきれなくなって精神的に破滅するかもしれないし長期的にはマイナスだけど、短期的にブラック企業を経験、それも若いうちにしておく、見ておくのは長い目で見たら決して損じゃないと思います。もちろん、普通の会社とかでも必要に求められる困難や苦境があるのだから、そういう経験で代替できるに越したことはないですが。

 またその苦行の中身というか成否で見ると、成功体験と失敗体験に分かれます。これは私はどっちがいいというわけではなく、成功体験が多すぎると自信過剰となったり失敗を極度に恐れて積極的でなくなる恐れがあるし、逆に失敗体験が多過ぎると意欲を失ったり、モチベーションがなくなったりする可能性があります。強いて言えば成功も失敗もそれぞれ体験的に必要で、偏らせずともかく苦しい体験を経験しておくに越したことがないという風に見ています。
 もっとも個人的には失敗体験の方が教訓意識が強く得られ、その後の行動にも慎重性が出てくるので、配分的には失敗が成功をやや上回るくらいがいいとは思いますが。

 以上を踏まえて言えば、もしメンタルを鍛えたいっていうのであればともかく死なない程度にきつい体験を今すぐやれというのが私からのアドバイスとなります。体力的には山登りとかマラソンとかを選び、「楽して痩せられるフィットネス」なんて以ての外です。精神的に攻めるってんなら断食とか真っ暗で無音な部屋で数日過ごすとか、やり方次第でいくらでも手段はあります。
 なおゲームでこれやろうってんなら、自分としてはファミコンの「アトランチスの謎」をノーコンティニューでクリアを提唱します。

 ここまで来たところで改めてメンタル弱者を増やしている日本の現状を振り返ると、その原因は苦行不足にあるのではないかと思う節があります。でもって、何故メンタルを強くする苦行が日本で不足してきたのかを振り返ると、結構日本の社会変遷というか価値観の転換が大きく作用しているようにも分析され、意外と根の深い問題であると思うようになってきました。
 次回ではその点、端的に言えば「しごき」の合理性と意識変化について書きます。