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2024年10月5日土曜日

上海の七宝寺、真如寺


 この連休中、弱った体力を取り戻すため休息するとともに、真夏の間にできなかった運動をするため近くの寺に自転車で行ったりしました。行ったのは上海市内にある七宝寺と真如寺で、このうち七宝寺は付近が古い水郷街として観光地にもなっており、上の写真みたく連休ともなれば人で混雑します。


 肝心の七宝寺は人が集まるところからやや離れており、一定の静けさを持ってたりします。寺の境内には上の写真のような塔があり、中に入って階段を一つずつ上って最上階まで行けます。


 文字が小さくて見えませんが、この像はお地蔵さんこと地蔵菩薩です。金色したお地蔵さんが珍しく思うと同時に、不動明王と同じく中国ではあまりお地蔵さんを見ることがないため、敢えて写真に撮りました。なんで日本であんなに人気になったのかが少し不思議です。


 中国も若干神仏集合というか仏教と道教が混ざっているところがあり、上の像は目から手が生えてることでおなじみな楊任の像でしょう。マジでこの造形考えた人は神ってる。


寺の売店入口で何故か猫がたたずんでいた


 今度は真如寺で、上の塔は1999年に立てられたものらしく立派なこしらえでした。割と町のど真ん中に立ってて、その点でも印象的な建物です。


 仏像のある部屋には上の写真のようにルームエアコンが入ってました。温度や湿度管理の面kなら見て非常に合理的であると思え、なんか記念に写真撮ってました。



 こちらでも猫が我が物顔して境内を歩いており、ちょうど樹の上に上ったところをうまく撮影できました。


 樹から降りてくる猫を目当てに女性たちがみんなでカメラを構えたので、自分は彼女らを取りました。マジで猫大スター。

2024年10月4日金曜日

北海道の教育行政はどうなっているのか?

 昨日ふと、そういえば今年起きたけど続報の途絶えた旭川女子高生突き落とし事件はどうなったのかと気になりました。この事件に関しては詳細を省きますが、女子高生が橋の上から突き落とされて殺されるという内容もさることながら、容疑者の成人女性が旭川警察署に勤める景観と不倫関係にあったことなど、真相はどうなのかといろいろ気になる事件でした。
 この事件が起きた時、それ以前のいじめを原因とする旭川女子中学生凍死事件もあってまた旭川かなどと、その治安、教育の悪さを懸念する声をネットで見ました。中には「旭川は松戸よりやばいんじゃないの?」と、当たり前のように比較対象にマッドシティ持ってきて、それについて誰も異議を唱えなかったのをみて、「ああ、やっぱ松戸ってそう思われてんだな(;´・ω・)」と変に納得しました。


 そんな風に旭川の事件を思い出していたところ、場所は札幌ですが上記の事件の報道を見ました。詳細はリンク先にありますが中学生男子による小学生への性的虐待事件なのですが、犯人が補導にとどまらず家裁に送致されるほどの重大案件ながら、学校側は要望があったにもかかわらず調査をせず放置した、というより恐らくですがもみ消そうとしていたそうです。

 旭川と札幌で場所は違いますが、先の女子中学生凍死事件でも学校だけでなく、教育委員会もいじめを露骨な態度で隠蔽しようとし、警察なども知らんふりしていました。特に教育委員会に至っては「加害者のその後の人生に影響する恐れがある」と、被害者のことを蔑ろにして加害者の人権を守ろうという狂った態度を取っており、いじめを行った加害者のみならず、教育を管理する大人の組織も含めてすべてがすべて腐っていた事件と誰か評していましたが、全く持ってその通りでした。
 そうした旭川の教育行政の態度を見て、旭川は治安が悪いというより関連組織におかしい人間しかいないと思い、滋賀県大津市と並んであまり教育方面で機体のできない地域だという風に私も認識するようになりました。そこへきて今回の札幌市の事件ですが、北海道全体でなんか教育行政がおかしいのではないかと、少し疑うようになってきています。

 こう疑うのも、偏見かもしれませんが北海道の人と接していてなんかおかしいと思う人が少なくないからです。

 以前にコールセンターへの調査でめちゃくちゃなクレームをつけてくる人には北海道出身者が圧倒的に多いという話を聞いたことがあり、この時もなんか納得しました。たまたまかもしれませんが自分があった北海道出身の人は息を吐くように他人に責任を押し付けることに呵責なく、無責任な人が多かったです。自分の価値観を絶対視していて何故か間違った敬語の用法を振りかざして他人に幾度も攻撃しようとする輩で、世間知らずだと思うと同時に、親の教育はどうだったのだろうかというのが気になりました。

 もちろん個々人によって差があるでしょうが上記の旭川と札幌の事件を見る限りなんか教育行政が組織として機能しておらず、教育現場とかが無法地帯と化しているのではと疑っています。それくらい、常識的に考えてありえないと思う教育事件が北海道に多いです。

 そういう目線で見ると、意外といじめ事件というのは起きた後の方が学校や教育委員会の能力が試されるような気がします。無論、隠蔽に動くのは北海道に限るわけじゃありませんが、上記のような対応を見る限り、札幌も旭川もいじめや暴力事件、悪辣な若年犯罪者は減らないだろうなという風に思えてしまいます。

アカデミーのF-15Eのキットは侮れない:(;゙゚''ω゚''):


 またプラモの話題で申し訳ないのですが、韓国アカデミー社のキットでF-15Eことストライクイーグルを昨日作っていました。ってか昨日は体調悪いのは運動不足のせいだと思って、朝から2時間ほどさまようよろいの如く上海市内を歩いて、午後からこれ作ったあたり無駄にバイタリティあった日でした。


 ストライクイーグルは以前にもハセガワのキットで作ったことがありましたが、値段は確かに安かったものの古い金型で作られていることもあり、プラ素材も含めて若干ペラペラ感が強く、作った後の満足感が余りありませんでした。ハセガワはF-15に新しい金型を起こしていてそっちは値段は高いもののクオリティは上がっているというのですが、前のキットの残念さからハセガワ以外でイーグルをもっかい作ってみたいと前から考えていました。


 そこで今回こうしてアカデミーのキットで作ってみたのですが、また非常に満足感のあるキットで、150元(約3000円)にも納得の代物でした。むしろ安い方でしょう。
 最初は飛行機そのものの形として武装はミサイル数本載せるだけでいいかなと思ってましたが、ハードポイントも付けたことだしそのまま武装をつけるかと結局付けたところ、上の写真のように両肩から突き出るドロップタンクをはじめめちゃくちゃ格好良くなりました。やっぱいストライクイーグルは武装があってなんぼなのかもしれません。


 キットに関してですがパーツの整合性はどれもよく、ほとんど狂いなく接合できました。というより精確過ぎるというべきか、実はこのキットにはほとんど接着剤を使っていません。ほぼすべてのパーツがガンプラみたくはめ込みで固定できるようになっており、脚をはじめやや不安ある個所にはsっ着剤を投入しましたが、恐らく全く接着剤を使わなくてもきちんと組立られたかと思います。


 嵌め込みなのだから作りもおおざっぱかというわけではなく、胴体は上半分と下半分で分かれていて、コックピットはさらにその胴体とは分けて組み立てるようになっており、パーツ数もそこそこな量となっています。にもかかわらずほぼ嵌め込みだけでの組み立てを複雑なジェット戦闘機で実現しているあたり、アカデミー社の技術力には今回恐れ入りました。
 もっとも欠点もないわけではないというか、デカールの指示番号をはじめ説明書に明らかなミスが複数見受けられました。また上下がほぼ対称で見分けのつかないような個所もあり、この点さえきちんとカバーしてたらパーフェクトでした。


 またこのキット、うちのソ連人民の敵である親父も勘違いしたのですが、無塗装です。プラ素材自体がややダークグレーな色になっており、塗装なしでもまるで塗ってあるかのような印象を持たせています。
 アカデミーはこれ以外でも、コルセアのキットで素材を初めからディープブルーにしておくなど、塗装いらずともいうべきキットを多数出しており、自分もその点を前から高く評価しています。デカールもこのストライクイーグルではあまりにも量が多いのであんまり貼らなかったのですが、基本的にどのキットもいいデザインのデカールを用意しており、見栄えならタミヤやハセガワを明らかに凌駕すると思います。


 当初はコックピット真後ろにあるエアブレーキは立たせようとしたものの、やっぱり飛んでいるような姿にしたいと思い結局収めることとしました。

ダークグレー色が本当によく映える

 何気につい先日、安売りされていたし「龍が如く7」も動くのだから、今のパソコンなら問題ないだろうと「エースコンバット7」をSteamで購入して、この前初起動したばかりでした。飛行機への情熱が高まっている最中で作っており、またその完成度も高いことから、非常に満足するキットとなりました。
 ただ欲を言えばエアインテークの口は水平ではなく、ステルス対策として最新のイーグルのようにやや前に垂れ下がるなで肩形にしてほしかった気がします。もっともほかのメーカーもそんななで肩イーグル作ってないけど。肩の突っ張った形がイーグルらしいというのもわかりますが、最新のイーグルⅡみてるとやっぱ格好いいなと思うので、早く再現したキット出してほしいです。っていうか日本もイーグルⅡを買うべきだ。

2024年10月3日木曜日

中国の年金の運用状況

 かねてからこのブログで紹介しているように、不景気の中国にとって今後最大の社会不安要因となりかねないと睨んでいるのが年金です。というのも日本国内は近年はやや沈静化していますが、一時は一にも二にも年金が関心事となり、成人式の新成人が気になるワードランキングでも00年代中盤は年金が常にトップでした。

 その中国の年金ですが、表記としては「養老金」と書きます。かなり制度が複雑で自分も完全に把握し切れていないのですが基本としては3種類の年金があり、即ち国民年金、企業年金、個人年金です。これらの年金種類の意味は日本の制度とほぼ同じと考えていいのですが、国民年金に関しては日本と異なり、支給額が戸籍のある自治体ごとに決まっていて、地域によって水準が異なるという状況となっています。
 つまり、地方の省だともらえる金額が少なく、大都会の沿岸部地域だと高くなるわけです。日本人からしたら、いいのかよと思うような不公平ぶりです。

 話を戻すと、肝心の運用状況に関しては少なくとも近年は良好で、特に問題は見られませんでした。コロナ初年度の2020年のみ収入に対し支出がマイナスとなったものの、それ以外の年は常に黒字で、運用益もプラスを維持しています。ただ問題なのは少子高齢化が激しくなるこれからで、いろいろな記事を見ていても政府は問題ないことを強調していますが、不安に感じている人は多く懸念が述べられている記事もよく見ます。
 ちなみに去年から中国では外国人にも年金を徴収するようになり、自分の手取り給与がそれ以前と比べ結構減りました(´;ω;`)ウッ…

 生憎というか人口減少ペースや金利なども交えた詳細な分析記事は見つけられず、またそのような複雑な分析を行えるだけの知識もないので中国の年金が安心かどうかはわからないものの、今回調べてて感じた点としては、第一に中国も年金に対する不安が広まりつつあること、次に政府も先行きに対してかなり不安を持っていることは確実だと思えます。
 このように考えるのも去年あたりから中国政府が個人年金の価値をやたら訴えるようになっているからです。老後の所得確保を考えるなら個人年金の運用が重要だなどと、納税者に対して個人年金の活用を訴えるとともにその制度的支援を拡充することを宣言しています。恐らく、掛け金に対する減税などを今後追加していくのでしょう。

 実際に中国人の間でも個人年金に関心を持つ人は増えており、自分も何人かから相談を受けたことがあります。日本も人のこと言えませんが、中国も公的年金から民間年金の比重を増やし、政府負担の比重を下げようとしているのかもしれません。

 真面目にこの年金はひとたび不安が爆発すると一気に社会不安を高める要素なだけに、今後10年内に火が付くかどうかは中国にとってかなり大きなトピックになると考えます。今後も折を見て自分も分析していきたいと思っていますが、中国人自身が先に分析すると思われ、その結果がどうなるかはかなり見物です。

2024年10月1日火曜日

上海スーパーでの通り魔事件について

【速報】大谷翔平の50号ボール巡ってもう1人が提訴でカオスにwwwwwwwwwww(暇人速報)

 本題とは関係ないけど上の記事見て、漢楚戦争の末期に劉邦が項羽の首を取った者に賞金を懸けたところ、項羽の死体にみんな群がり手足などがバラバラにされた上で献上され、賞金は分割化されたというエピソードを思い出しました。


 それで話は本題ですが、先日の深圳における日本人小学生への襲撃事件に続いてなのか、上海市のスーパーで通り魔事件が起きたようです。事件の起きたエリアは松江区で、ここは上海市中心部から外れたエリアで、製造業の工場などが上海市内の中でもかなり集中しているエリアです。東京で言えば、日野市に近い気がします。
 とはいえ腐っても上海市で、周辺住民の所得は中国でもトップクラスであり、また直轄市とあって政府の管理が厳しいというか治安維持も力が入れられている場所なのですが、それでも通り魔事件は防げるわけがないでしょう。もっともそれを言えば、先日の深圳だって中国では進んだ地域だったし。

 中国の治安とかについてはこの際言及しませんが、多分この手の取り魔事件は今後どんどん増えるだろうし、またその対策について中国政府はミスを犯すことになると予想しています。具体的には社会におけるヘイトの高まりについて効果的な対策を打ち出さず、報道を覆い隠す方式で放置して、この手の通り魔的犯罪を助長することになると思います。

 すでに日本でも報じられていますが深圳での日本人小学生の事件は中国では一切報じていないというわけではないものの、明確に報道規制がされており、検索などかけても本来存在するニュース記事などが出ないようにされています。六月の蘇州での事件は当初こそ報道規制がかけられていましたが、その後は亡くなられた中国人女性を称える報道が出たことで規制はなくなりオープンとなりましたが、深圳の事件はこのままなかったことに中国政府が使用としているとみていいでしょう。

 ただこの手の事件はやはり、報道する価値は高いと私は思います。というのも報じて犯人に対し社会的批判をすることで、模倣犯の発生を防ぐ効果が生まれると思うからです。逆に報じなければ、特にその捜査内容や処罰などを隠したままでいれば、この手の通り魔を計画する予備軍がより調子づくことになるとすら思います。

 今回の上海市の通り魔事件ですが、完全とは言わないまでも軽い報道規制がかけられているように私には見えます。というのも事件内容が通常のニュース記事で出されたり、アナウンサーが元寇読んだりするというわけじゃなく、「松江区で通り魔事件が起きた。被害者は何人で犯人は逮捕済み」的な役所の公告形式で報じられているものしかさっき見当たらなかったからです。言ってしまえばこれはメディアに対し「発表内容以外の余計なことは報じるな」という圧力にも見え、政府はあんまり広げてほしくないように見えます。

 とはいえこれだけ連続して通り魔事件が起きてて、偶然の一言で片づけられるわけがないでしょう。個々人によって差があるとはいえ、やはりこのところの中国の不景気が遠因しているように見え、特に今後はこれまで拡大される一方だった社会保障の縮小にも中国は手を付けなければならないのだから、社会不安はさらに高まり、この手の事件もsらに増えていくと予想されます。にもかかわらずヘイトに対する対応を間違え、中国政府は隠蔽する手段を今後もとり続けてどんどんこの手の事件を増やしていくようにすら思えます。

 最後に、私自身は成人男性とあって今回の事件を受けてそこまで治安というか身の危険を感じているわけじゃないですが、何となくこの1ヶ月間、自分が抱えるストレス量が急に増えているような気がしています。もちろんみんな連休前で有休をとる中で立場的に有給が取れず殿させられている(昨日オフィスで独りぼっちだった( ;∀;))こととかありますが、ひょっとすると社会全体のギスギス感が地味に自分の心理にも影響しているのかもしれません。っていうか、2010年くらいの3.11前の日本の空気に近くなってきているし。
 もっともこのところのストレスの最大原因はノーパソの不具合に端を発するのは間違いないです。自分でも思うけどほんとメンタルよわよわ(ヽ''ω`)

 ともかく、仮にそうだとすると中国も自分にとって住みづらくなってきているのかもしれません。まぁそれを言ったらストレスフリーな環境なんてないんだし、文句ばっか言わず現況を変える努力をすべきなのだから、もうちょい色々粘ってはみるつもりですが。

ダサさ極めた対魔忍


 上の画像は自分が遊んでいるソシャゲの「アクション対魔忍」における使用キャラのステータス画面です。このゲーム、決してそこまで優れているとは思わないけどなんだかんだ言いつつすでに1年以上遊んでいます。これだけ長持ちしているのは単純にアップデートが頻繁で、使用キャラやアイテムの追加が常に多く、またP2Pことプレイヤー同士の対戦要素が少なく後発組もまったり遊べて入り込みやすいため、海外でも人気を得ていると聞きます。
 ちなみに中国版のタイトルは「動作対魔忍」。

 それでこのゲームですが、キャラクターの衣装はゲーム内通貨を使って購入して色々着せ替えることができます。またその衣装には複数のカラーパターンもあるのですが、ゲーム内アイテムを使うことでそのカラーパターンを自由に変えることもできます。
 カラーパターンは一つの衣装に対し三つの部位があり、その部位ごとにアイテムを使うとランダムで提示される色から選んで彩色するのですが、あくまでランダムなためなかなか思った通りの色に仕上げることはできません。もっとも私は額に意表を突く色の方がいいと考えて、時たま気に入った衣装でこのカラー変更をやるのですが、上のアサギというキャラの衣装でこの前何の気なしにやってみたところ……
































何だこのクソダサい衣装は!?


 最初見た時かなりビビッと来たというか、ダサさを煮詰めたかのようなこのカラーパターンになんか衝撃を受けました。っていうかこういうぴっちりスーツ系衣装で黄色が混ざると、高確率でダサくなる気がします。この衣装だと、赤と黄色の組み合わせが最悪なんでしょう。

 真面目にこんな衣装着て出動しろとか言われたら家出するような衣装です。偶然とはいええらいものを作った気がします。
 なおアサギは普段は教師版衣装を着せて遊んでいます。何tのなくこの手のツリ目キャラはメガネかけるといい感じになる気がします。

2024年9月28日土曜日

「しごき」をメンタル教育としてみることでわかる日本社会の変遷

 間に総裁選とノーパソ不具合の記事を挟みましたが、前回記事で私は日本人のメンタルが年々弱くなりつつある中、どうすればメンタルを強くするのかと言えば単純に苦行が一番捗ると主張しました。基本的に人間は今が苦しいか楽かという判断は過去の苦しかった時の体験との比較でしか判断できず、過去にめっちゃ苦しい体験していたらその後の人生における困難や課題も「あの頃に比べたら」的に乗り越えやすくなるのではという風に考えています。

 この仮定に立った場合、現在精神疾患者が激増中の日本はメンタルが全体として弱くなっていることは間違いなく、ならなんでメンタルが弱くなっているのかというと過去の苦行、激烈体験がそれ以前よりも減ってきているという風に解釈できます。では過去、具体的には昭和時代の人たちは苦しいことのベンチマークとなるような体験として何を経験してきたかっていうのが、意外と重要な着目点となってくるわけです。

 仮に戦前世代まで掘り起こした場合、この世代の最大の苦行はやはり戦時体験でしょう。直接戦地に赴いた人だけでなく、日本国内のいても空襲や、戦後の食糧不足という筆舌にし難い苦しい体験を乗り越えてきており、実際にこの世代から「戦時中に比べれば」という言葉を自分もよく耳にしました。この世代からすれば、その後の人生における困難もストレスを大きく受けるほどのものにはならなかったでしょう。
 では戦後世代はどうか。結論から言ってしまえば、昭和から平成初期にかけて日本人のメンタル教育において非常に重きをなしたのは「しごき」だったのではないかと今思います。しごきという言葉の定義については省略しますが、学校での部活、職業現場での上下関係によるしごきは、殴る蹴るは当たり前、人格否定の罵詈雑言は日常茶飯事で、現代とは比べ物にならないほど激しいものがありました。

 なおソ連人民の敵であるうちの親父は就職間もないころ、「契約取ってくるまで絶対帰ってくるな!」と上司に言われ、神主やってたいとこの家にも売り込みに行って「何考えとんねん!」と追い返されてたそうです。

 話を戻すと、令和の現代において完全に否定されているこの「しごき」ですが、ことメンタル教育という面では日本社会において大きな役割を持っていたことは否定できないでしょう。昭和のこの手のしごきは理不尽さ、過酷さをひたすら追求している節があり、理不尽さに耐える力という点ではその育成効果は間違いなくあったと感じます。
 ではメンタルが弱くなりつつある現代日本において、その対策として戸塚ヨットスクールの人じゃないですがまたしごきを復活させればいいのか。この問いに対する私の答えはノーです。

 というのもしごきというのは確かにメンタルを強くするうえでは明確な効果があると思いますが、その代わりと言ってしごきを受ける人間は合理的な思考や考えを失い、盲従的になる可能性が高いと思うからです。日本のスポーツ教育が昭和期に世界で通用しなかったのはまさにこの点にあり、陸上や水泳とかならまだしも、野球やサッカーなどで海外に全く勝てなかったのはこうした面の弱さにあると私は思います。

 またこの手のしごきを受けた人間の中には、暴力性を顕著に高める人間も残念ながらいます。部活指導中の事故死や育児中の虐待死を起こした大人の多くは判で押したかのように、「自分は子供の頃にもっときつい仕打ちを受けていた」という言い訳をしてきますが、恐らく実際にはそう思い込んでいるだけで、子供を死に追いやるほどの仕打ちを彼らは受けてはいないでしょう。
 しかしある程度のしごきを自分が受けてきたから、「自分が受けた分はほかの子供にやり返していい」という勘違いを起こした挙句、自分が受けた以上のしごきを課して虐待するというパターンは実際よく見られます。何故こうなるのかというと、かつてのしごきには教育としての合理的価値がハナから無視されており、「苦しませればいい子に育つ」的に苦しませるだけで、その結果としてしごきを受けた人の合理的判断能力を喪失させていた節があるように見えます。

 ならしごきはやってはだめなのかという話になりますが、そうなると今度は現代のようにメンタルが弱い人を量産することとなってしまいます。実際、この流れで日本人はメンタルが弱くなっていき、精神疾患者が増える一因にもなっていると考えています。

 まどろっこしいので言いたいこと書くと、子供の教育に当たっては合理的な根拠や目的のもとに、苦しませるべきだと思います。昔のうさび飛びのように運動能力向上に何ら貢献しない苦行をやらせるのではなく、健康を崩さずしっかり身体を育成する科学的な訓練メニューを用意して、感情的な判断はせずしごきを行うのであれば、精神的にも肉体的にもいい教育になると私は思います。
 その上で、そうした訓練の目的や効果についてしっかり子供たちにも教え、「こうやるとこうなるんだよ」的に理解させたうえで、子供たちに自発性を持たせ行わせることも大事かと思います。こうすることによって、子供たちもそのしごきの合理性を考え、合理的な価値観や考え方を育んでいくことになります。

 何が言いたいのかというと、「合理的に苦しませろ」というのが、現代日本のメンタル教育に対する私かの意見です。何も学校に限らず勤労現場でも、きちんと苦しむ理由を教えた上でハードワークを課すことが大事だと思え、これがびっくりするくらい日系企業は出来ていない気がします。なんでかというと、中間管理職以上にその手の合理的思考がない人が多いからです。
 「苦しいけど儲かる仕事」と「苦しいのに儲からない仕事」では90度でなく180度意味が違い、後者に関しては儲からないならむしろやらない方がマシ的なものも少なくありません。この手の見極めをした上で、勤労初心者に価値ある苦しみを与えて育成することが、結果的にその人らのメンタル教育にもキャリアアップにもつながると私は考えます。

 冒頭に書いた通り、現代日本でしごきは敬遠されがちです。私自身も不合理なしごきは排除すべきだと考えますが、「必要で合理的なしごき」こと苦行はメンタル教育的にも、やはり若い時にこそ経験しておくべきだとも考えます。そうした、一体何が必要な苦行で何がそうでないかを判断できず、結果的にメンタル教育がおざなりになっているのが現代日本だと思え、あと10年くらいはこの状態が続くかなとみています。

 なお自分の経験で言うと、肉体的な苦行はそれほど経験しませんでしたが、あまりにも非効率な指示に下で不要な業務だとわかっているのに従事させられたのはマジ苦しく、合理性失いかけたけどメンタル的には貢献したかなと考えています。あれに比べれば中国に行って転職活動したりする方が楽だったな。