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2025年8月27日水曜日

直接戦っていない国ほど末端の兵士を批判しようとする

中国、台湾を非難 抗日戦争での共産党の役割否定は「冒涜」(ロイター)

 暑くてほかにやること浮かばずゲームもする気ないので記事を書き続けますが、上の記事を読んでというか前からちょっと思うところがありました。

 大分前に何かの記事で読んだのですが、硫黄島の戦いに参加した日本、米国の元兵士が何かのイベントで対面することがあったそうですが、彼らは互いに会うなり大泣きして抱き合ったそうです。それだけこの硫黄島の戦いは双方の兵士にとって苦しい戦いであったと記憶されており、敵味方を超えてあの時あの場に立っていたという事実のみで深い共感と同情を持ちあったと言われています。

 以上のような話は何も硫黄島や日米間に限るわけじゃなく、ほかの国とかでもよく聞きます。同じ日米だと日本のエースパイロットの坂井三郎が戦後に自分を撃墜し損ねたパイロットと会うなり「このへたくそ!」と言って互いに大笑いしたと言いますし、米独や独仏とかでもそういったことがあるというのを聞きます。
 なんでそうなるかというと国同士の戦争とはいえ末端の兵士からすればどちらも高級士官によって戦場に叩き込まれるだけで、敵同士として戦ったとはいえ戦場で戦った兵士同士からすれば「同じ場所で戦い合った者同士」という共感が得られるのではないかと思います。

 実際にというか、戦争を起こした相手国の政治、軍事指導者が恨まれることはあっても、相手国の兵士そのものをその後も憎み続けるというのは案外少ない気がします。日本ですら原爆を落としたB-29のパイロットやその家族を批判したりする話は聞かないし、米国側も勝者の余裕もあるでしょうが、軍事指導者などを除けば現代においてそこまで日本を批判することなく、一兵士に至っては自分も記事を書いた藤田信雄のように、戦後に称賛するにも至っています。それもこれも、「戦争というのは指導者の責任であって、末端の兵士には責任がない」という前提があるのと、前述の通り苦しい戦場を共に共有したからでしょう。

 それに対してというのもなんですが、中国も韓国も戦争指導者以前に末端の日本人兵士を殊更批判することが多い、というか近年ますますこの傾向が強くなっている気がします。以前はそれこそA級戦犯への批判が多かった気がしますが、なんか最近は日中戦争に関して「どこそこで日本の兵士がこんな残虐行為をした」などと並べ立てたりして、批判がそうした行為を指示した士官ではなく、どんどん末端の兵士へと向けられるようになってきていると感じます。
 なんでこうなるのかというと冒頭のロイターの記事でも指摘している通り、現在の大陸の中国が日本と戦争をしたという実感を持っておらず、近年はその傾向に拍車がかかっているからじゃないかと前から思うところがありました。韓国に至っては日本はそもそも戦争しておらず、だから指導者よりも末端の兵士をあげつらうのだとはっきり感じます。

 実際のところ日中戦争で日本軍は解放軍とも戦闘をしていますが、やはり主力として戦っていたのは国民党軍です。中国共産党自身も一昔前はあの時代は国民党との戦闘を中心に語っていましたが、近年は「中国として日本と戦っていた」という主張が強まってはいるものの、前述の通り日本と戦っていた実感を連中も持っていないように見え、だから「日本の兵士にこんなひどいことされた」と被害ばかりあげつらい、解放軍がどのようにして日本軍との戦闘を優位に進めたりとか勝利したとかにはあんま触れないんじゃないかと勝手に考えています。
 マジでこの辺の話は見ない、っていうかその辺は国民党軍の話になってしまうだけでしょうし。それだからこそ、被害の話に終始するんでしょう。

 実際に戦っていないのだから兵士同士の共感もなく、大所高所での判断ができず無駄に指示されるだけだった末端の兵士への批判を強めるようになっており、こうした傾向は「実際にはあんま戦っていない」という事実を側面的に証明しているかのようにすら見えます。そもそも何度も書いていますが、末端もそりゃ現地で略奪や残虐行為はしたでしょうが、真に責任あるのは指導者たちで、そこを批判せず末端だけ批判してもしょうがないというか未来につながりません。その辺を今の中国政府や韓国の運動家は理解していないから、膨れ上がったヘイトが変な方向に向かうんじゃないかとやや皮肉っぽく見ています。

暑い……苦しい……:(;゙゚''ω゚''):

 先日に大雨が降ったおかげで上海の気温やや下がったのですが、それでも最高気温は37~38度を常に維持し、毎日が熱帯夜となっています。ちなみに熱帯夜って英語でなんて言うんだろう、バーニングナイト?ってかそんなこと思ってたら「バーニングナイトF91」という懐かしい単語を思い出す。

 さすがにこんな暑さが続いているので冷房が手放せないのですが、昨夜シャワー浴びてリビング兼寝室に戻ってくると、室内と室外で温度委ほぼ差がないのを感じました。しかし、エアコンは動いています。気になってエアコンの風に触れるとこれがまた見事に生暖かく、恐らく送風機能は残っているものの冷却機能が吹っ飛んだのだと推理しました。
 思い当たる節はあるというか、昨夜シャワーを浴びる前にパソコンしてたらなんかプラスチック内をかけらが走り回るような音がしました。何か落ちたのかと思って床を見ると、小さい氷のかけらが一つ落ちており、これを見て冷房内の冷却機(チラー?)に付着していた氷が落ちたのかと思っていました。ただ実際には、チラー内部で何かが吹っ飛んでその振動で付着していた氷が落ちてきたんだと思います。

 そんなわけで現在、31度の室内でこれ書いています。つい先日、「こんな毎日冷房を使えて最新のパソコンを使う日々なんて学生時代に考えられなかった」などと考え、学生時代の自分が見たら怒られるだろうなと思っていたのですが(学生時代は冷房を来客時にしか使わなかった)、まさにあの頃の自分のような環境に叩き落されるとは思いもしませんでした。
 っていうか去年もガスが抜けて冷房が使えなくなることがあり、故障発生を今年も懸念していました。そもそもこの冷房、自分が引っ越す前から使われていたもので、自分が入居直後からリモコンがほとんど効かないため万能リモコンを買わざるを得ないほど古い機体でした。それだけに、今中国で家電買い替え補助金があるから冷房屋が忙しくない秋口にも大家に話して買い替えを提案しようと思っていた矢先でした。

 すでに大家には壊れてしまい、この際新品に買い替えないかと話して「わかった」と返事をもらっています。言葉少なげに対応が早いのでしばらくしたら取り換えてくれると信じていますが、数日間はバーニングナイトをこのまま過ごすことになりそうです(ヽ''ω`)

2025年8月24日日曜日

大阪万博の電通外しは今後影響するか

 結論から言うと、今回電通なしで無事開催に至れた大阪万博は今後の大規模国際イベントに影響するのかもとみています。

 開催前こそ本当に大丈夫かと心配され続けていた大阪万博ですが、いざ実際に開催してみると懸念されていた問題はおおむねクリアし、来場者の反応も良く、何よりも目標としていた採算ラインも無事クリアできそうな見通しも立ってきていて、現時点においてもほぼ成功だったと言える結果を残しています。私自身、開催前の報道を見ていていろいろ不安でしたが、こうした結果を見るにつけ自分の不明を恥じるあまりです。
 実際に来場した友人らの反応も良く、特に開催間もなく訪れた中国人の友人から絶賛されていたのを見て、外国人ですらこれほど好反応を見せるとはと大いに驚きました。私自身はずっと中国にいるため閉会までに行けそうもありませんが、前評判の悪さを払底したこの結果には目を細めています。

 そんな大阪万博ですが、先の東京五輪の汚職問題の影響を受けて国内最大のイベント兼広告会社の電通は、開催や運営に一切関与していないとされています。この電通不参加が先の前評判の悪さにつながっているというか、電通なしで国際大規模イベントなんて開けるわけがないという意見も見られました。私自身も電通自体は親の仇もあって嫌いで伏見稲荷の鳥居もいつか爆破したいとすら思っていますが、開催前は電通がいないからうまくいっていないのだろうと感じていました。

 しかしふたを開けてみると前述の通り大阪万博は好評を得ており、電通なしでもきちんとやれるっていうのを証明して見せました。これまではどれだけ電通のことを嫌ってようが、大規模イベントでは電通以外には頼めないということから巨額の報酬を積んで依頼するのが日本におけるイベント業界であったものの、今回の大阪万博が教訓となり、「無理して電通に頼まんでもええんや(∩´∀`)∩」みたいな動きが広がるかもしれません。っていうかそうなれ。


 そんな最中、それほど注目集めているように見えませんが電通はここにきて業績悪化、リストラを発表しています。実際のところはどうなのか財務諸表とかもきちんと見ていないので断言こそできないものの、もし仮に上記の私の願望通りに大阪万博の成功を受けての電通離れ、特に国家イベントの電通外しが今後広がれば、この会社も少なくない影響を受けるのかもしれません。
 ぜひそうなってもらいたいだけに、大阪万博関係者は何故今回成功に至れたのか、電通ではないどの会社が頑張って運営を果たしたのかなどそのノウハウを惜しみなく公開してもらいたいものです。以前にも記事で言及してますが、大阪はこのところ梅田周辺開発の素晴らしい成果を含めやたら行政が優秀に感じるだけに、こうした仕掛人こそプロジェクトXで取り上げてほしいです。


  追記
 コメントにて指摘があり調べなおしたところ、電通単独ではないもののコンソーシアム形式でいつの間にか万博に噛んでいたようです。自分の勘違いからこういう記事を書いてしまって大変反省するとともに、電通は万博に関与していないという主張が間違っていたことを改めて明記させていただきます。

石破政権はいつまで続くのか?

 多分歴代クソゲーの中でも、デスクリムゾン、四八などといっしょに四天王くらいには入ると思う「星をみるひと」の勝手にリメイク作にあたる「STARGEZER」を遊んでいますが、最近こういうのんびりやれるRPGゲーム内からなんかほっとします。ゲーム内容は元のクソゲーよりだいぶマイルドらしいが難易度そこそこ高いけど。

 話は本題ですが前回選挙から1ヶ月近く経つものの、いまだに石破政権は続いています。選挙前からの不人気と選挙での時効過半数割れを受けてすぐに辞めるのかなと思ってましたが、かつての大平正芳の如く結構粘っています。選挙直後こそ自民党内で長老会議が開かれるなど石破下ろしの動きも積極的でしたが、現在に至ってはあまり目立つ動きは見られなくなっています。
 私は当初、石破下ろしが急に沈静化したのは辞任時期を石破総理自信が示したからではないかと推測しました。具体的には慰霊関連イベントが集中する八月中旬を過ぎたころで、本人も思い入れがありそうなのでこの時期が卒業旅行となるのではとも見ていましたが、8/24の現在においてはあまりそれらしい動きが見られません。それどころか世論も前ほど、石破総理への批判を口にしなくなってきています。

 そんなわけでいつまで政権が続くが読めない状況ですが、自民党の有力者にとってもこの状況の方が案外都合がいいように見えます。支持基盤が弱いことから石破総理に後ろから働きかけることもできるし、また仮に石破総理が辞めるとしたらその後釜でも揉めることが確実です。具体的には高市氏が現在の最有力候補ですが、彼女だと保守意識が強いあまり既存支持者が離れる可能性もあって、それが先の選挙戦にも影響しています。
 ほかの候補で今高市氏に対抗できるものとなるとやや人数が少なく、また今後の別の野党との連立も含めると敵を作りやすい高市氏だと任が重く、この点でも懸念となります。となると、何かしっかりした連立体制が出来上がったら、そこで石破総理はお役御免となる可能性もあるかもしれません。

 連立先としては既存の公明党のほか、維新の会か国民民主の名前が何度も出てきています。どちらもやや弱り目にあり、また小泉農相が維新の吉村代表とも歓談するなど、何となくにおわせムードも出しています。国民民主は玉吉が先の公認問題で党内への影響力が低下しているように見えるので、この辺がネックになるでしょう。

2025年8月23日土曜日

歴史に残るような漫画の一コマ

 私がここで語るまでもなく日本の漫画の中にはその後長く読み継がれ、伝説的とされる作品が数多く存在します。ただ数多くある漫画の中で、「この一コマはヤバい」などと、漫画内の特定の一コマを取り上げて評価するということはあんま聞かないので、ここでいくつか自分がすごいと思う一コマを切り取って紹介します。

・「あしたのジョー」のラストシーン

 ボクシング漫画の金字塔こと「あしたのジョー」ですが、いわゆる真っ白に燃え尽きちまったなラスト一コマはその後、多くの作品で模倣されていることから、原作を読んでいなくともこのシーンについては知っている人も多いと思います。超人気作品のラストシーンであることもさることながら、当時の時代背景なども踏まえてみると含蓄の深い一コマであると自分も感じます。

 なおこのラストシーンですが、原作に口を出されることを極度に嫌っていた原作者の梶原一騎に対し、作画のちばてつや氏は例外的に「あしたのジョー」の展開に口を出すことを許されていたそうです。もっとも力石を殺すかどうかで梶原一騎は一歩も譲らず、「力石は俺が殺す!必ず殺す!」と喫茶店で叫んだら警察呼ばれたそうです。
 話を戻すと、最後の締めをどうするかに関してちばてつや氏から「自分に任せてほしい」と言って、このようなラストにしたそうです。梶原一騎も何も言わず任せたとのことで、こうした背景を知って読むとまた見えてくるものがあります。

・「ブラックジャック」の本間先生逝去シーン

 これは正確には一コマというより名言に入るのかもしれませんが、ブラックジャックが師の本間丈太郎が老衰で亡くなろうという時、あらゆる手段を使って治療を試みるも叶わず逝去した後、打ちひしがれるブラックジャックに霊体となった本間丈太郎が「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」という言葉をかけるシーンがあります。
 医療の限界そのものにも向けられた名言で引用する人も多いのですが、それ以上に「ブラックジャック」はこの回以外でもラスト一コマが印象的なものが多く、そうしたドラマの見せ方における手塚治虫の上手さが感じ取れます。

・「げぇっ関羽!」

 もはや説明不要でしょうが、横山光輝版「三国志」で関羽に遭遇した際に曹操が叫んだこのセリフのシーンも非常に多くパロディに使われています。下手すりゃ同作品の中で一番有名なコマじゃないかとすら思え、セリフの妙な絶望感と小気味よさ、そして関羽の恐ろしさが一言でわかる名シーンじゃないかという気がします。

・「ジョジョの奇妙な冒険」のスタープラチナ初登場シーン

 これもほかの多くの人も指摘していますが、「ジョジョの奇妙な冒険」の第3部から「スタンド」という超能力が具現化した状態で描かれるようになります。これはそれまで目に見えない超能力を初めて絵で表現するという画期的手法とされており、その意味を踏まえてみるとスタープラチナが初めてその姿を現すシーンは文字通り歴史的なワンシーンであるかのように思えます。

・「俺が鎧の巨人で、こいつが超大型巨人ってやつだ」

 ぶっちゃけこれ書くためだけにこの記事仕込んだわけなのですが、「進撃の巨人」でライナーがエレンに対しこのセリフを言うあのシーンは、まじめに歴代漫画の中でも最も衝撃的な一コマとして認定してもいい気がします。二度見しない読者はいないとすらされるほどの衝撃的な展開が、さほど大きくないコマで通常のセリフのように物語の核心に迫る真実がぽんと投入されたこのコマは、文字通り「進撃の巨人」を代表する一コマである気がします。

 このほか挙げるとしたら、「ドラゴンボール」のスーパーサイヤ人覚醒シーンとか、「デビルマン」のヒロイン死亡シーンなんかも十分歴史的と言える気がします。ミクロに見すぎな気もしますが、本当に優れたワンシーンを選ぶこともたまにはありなんじゃないかと思います。

2025年8月22日金曜日

ニンジャガイデン3はマジクソ

ニンジャガイデン3(NINJA GAIDEN 3)(ゲームカタログ)

 自分が初めてゲームのグラフィックの美麗さに感動したのは、PS3で発売された初代の「ニンジャガイデン」でした。このゲーム、忍者を使って画面上の動くものすべてを切り倒す3Dアクションゲームなのですが、半端なく難しく第1ステージをクリアするまでにマジで100回くらい死にました。まぁ第1ステージが実は最難関ともいわれるのですが。
 ただ、それだけ死ぬことを繰り返すゲームながらキャラクターを動かしているときの爽快感が素晴らしく、また死ぬたびにだんだんと自分の腕が上がっていると実感でき、なんだかんだ言いつつ難易度イージーながら最後まで無事にクリアすることができました。

 その後、続編の「ニンジャガ2」のPS3版もプレイしましたが、こちらは1に比べさらにアクションが派手になり、尚且つ難易度も少しマイルドになって(それでも難しいが)、1以上に楽しめるゲームでした。真面目に3Dアクションゲームとしては自分が遊んだ中でも1、2を争うくらい面白いゲームだったと思います。

 それだけに2の後に3が出たときも遊びたかったのですが、発売時に自分は中国におり、手元にゲーム機がなかったため購入することができませんでした。その後も気になりつつも手を出していなかったものの、Steamで123がセットになったソフトが売られていると聞き、以前から購入を検討していました。ただ3は2に比べ武器種類が大幅に減少したり、アクションやストーリーが劣化しているという評判も聞いてて若干尻込みしていたのですが、それでも非常に気に入っていたシリーズなだけにやってみようと思ってこの前とうとう買ってしまいました。でもって、開始5分で「これマジクソだな」とつぶやきました。

 いきなりやばいと感じたのは、地味に音量です。ノーパソでプレイしているのですがほかのゲームでも音量はパソコン本体の音量に左右されることからやや大きめに音量を設定しているものの、ニンジャガ3だと音が異常に小さく、会話の声なんかほとんど聞き取れないくらいのレベルでした。ほかのゲームでこれほど小さいことはなく、一体なんでこれほど小さいんだと驚愕するレベルでした。
 なのでゲーム内で音量を上げようとしたのですが、コンフィグ画面を開いてみるとデフォルトで音量は最大になっており、それ以上はもはや上げられない状態でした。っていうかデフォルト音量を50%くらいに設定しておけば上下に調整できるのに、なんでこんな小さい音量で設定音量100%なのかと意味が分かりませんでした。

 こんな感じで開始からいきなりグダグダで始まりましたが、実際にプレイを開始するともっとグダグダでした。ほかの人も書いていますがキャラクタ-のアクション動作が過去シリーズと比べものすごい悪くなっており、ものすごいよたよたした動きになってました。なのでコントローラーを動かしてもよたよたよたよたして、思うように動けなければ敵をうまく攻撃できず、敵の攻撃もうまくよけられず、ある意味リアルかもしれないけどゲームとしては爽快感が全くありませんでした。
 武器は刀なのですが、なんていうか刀を振るうというよりは刀にキャラクターが振り回されているかのような動き方をしていて、忍者というか動きの鈍いおっさんを動かしている感覚がありました。2なんかはマジで動きが早く、「これが忍者だ(・∀・)」と感動するくらい動かしてて楽しかったのに。

 その後最初のボス戦に入ると、やたらガードが固くてなかなか攻撃が通らず、ようやく攻撃が通ったかと思ったら何故か攻撃を連続している最中に急にガードしてこちらの攻撃をはじき返し、逆に攻撃してくる始末です。敵のガードを解く投げ技とかあるのかもしれませんがまだそこまで動かし方わからないのに、敵はこっちのガードを無視する投げ技をガンガン使ってきて、めっちゃ不公平感満載でした。
 それでいて、敵ボスの動きは非常に単調というか2パターンくらいしか攻撃方法がありません。なのにこっちの攻撃はなかなか通らず、戦ってる最中もずっとうんざりしていました。

 それでようやく攻略に成功して倒したところ、画面が移ったムービーで敵の体に深々と刀を刺しこむのですが、これみて「( ゚Д゚)!?」となりました。というのも、そのボス戦で自分は鉄爪を使って戦ってたのに、一瞬で得物が刀に変わってたからです。なんで武器種類すらムービーで変更できないんだよ。

 こんな感じで、世間の評判の通りニンジャガ3はマジクソだと自分も認識しました。2までは本当に好きだったシリーズなだけに、どうしてこんなクソゲーでシリーズを台無しにしたんだとこのゲーム作った人にはマジ死んでほしいとすら思うくらいのクソっぷりで、ステージ1クリアしたけどもう続きをやる気が本当に出ません。っていうか2をまたやり直そうかな。


 そんな風に思ってたらなんか10月にニンジャガ4が出るそうです。開発チームにはプラチナゲームズも入っているそうですが、この3の体たらくを見ると若干疑惑の目があるというかすぐに買おうという気は起きません。


 逆にというか2Dアクションだけどこっちの「フロンティアハンターエルザ」は非常に面白かったです。いわゆるメトロイドヴァニア系のゲームですが難易度が程よい上に、キャラクター3人を切り替えながら攻略できるので遊びの幅が広く、クリアまでほぼ中だるみなく遊べました。

2025年8月21日木曜日

中間層消滅に伴う日本政治の分散化

 このところ「日本にはもう中間層はいない(# ゚Д゚)」と主張する記事を連続で投稿していますが、この中間層が消失したにもかかわらず政府や政党の政策は中間層を軸に立てられており、それが結果的に政治離れにつながっているのではないかというのが今日の結論です。

 まず前提として、昭和から平成にかけての日本の内政は基本的に中間層を如何に拡大させるかがすべての肝でした。中間層が拡大することによって生活水準が上がり、税収も増えることもさることながら、社会主義運動の勢いを削ぐことが昭和においては重視されました。また中間層を拡大させる政策は、金持ち優遇とは受け取られず、それでいて大衆の生活水準向上につながる風に見えるため耳聞こえもよく、支持拡大の上でも都合がいいところがありました。
 ではそうした中間層拡大政策は具体的に何があったかというと、

・大学入学定員の拡大
・サラリーマン(正社員)向け税務優遇
・児童手当

 こうした中間層拡大、優遇政策は昭和の成長期にはプラスに働きましたが、不況が続いた平成中期以降は少なくとも昭和ほどには効果を発揮せず、現代においてはマイナスとまでは言わないにしても支持拡大にはもはやつながらなくなってきていると私は思います。
 というのも、少子化対策として子供のいる世帯向けの優遇政策が何本も作られていますが、そもそも各世代の子供のいる世帯自体がかつてと比べ大幅に減少しており、これら優遇の恩恵を受ける世代は明らかに限られています。また以前の記事でも書いたように、現代においては「マイホーム+家族持ち」はもはや上流世帯とみなされるようになっており、こうした子供のいる世帯向けの優遇政策は上流優遇とみられている節すら感じ、実際に子供のいない独身世帯からすれば「俺たちの税金が( ;∀;)」みたいな感情を少なからず持っている気がします。度々話題に上がる独身税への反発なんか特に顕著だし。

 真面目な話、官僚や政治家はこうした日本における家族構成や世帯の変化にマジで気づいていないのではないかと思う節があります。彼らとしては普遍的な支援策を打ち出しているつもりながら、実際にはごく一部しか恩恵が得られない偏った政策にもなっている節があり、だからこそ少子化対策は必要とみられつつも、政府の少子化対策政策が支持されない現状になっているように見えます。

 同様に、労働者に対する政策もどこかピントがずれてきている気がします。基本的に政府の言う労働者は正社員が対象で、下手すりゃ大企業の正社員に限定されます。しかし現実には今やかつての中間層のような正社員は少数派で、実質的にはそうした層は今や上流に属します。そうした上流層への生活支援策とかやられても中間層が拡大するかと言ったらそんなことはなく、見方によっては上流層をさらに肥えさせているようにも見えるかもしれません。

 本気で中間層を拡大しようというのなら、やはり派遣などの非正規社員の支援が必要となるでしょう。近年の政策ではフリーランサーを支援する政策なんかはまさにそうした方向性に適っているし実際に価値ある政策だと私も思うものの、大多数の非正規雇用への支援策は先の103万円の壁こと基礎控除の引き上げ議論で自民党は乗り気じゃなかったなど、現政府はやはりまだ熱心でない気がします。
 ただ、政府がこうした非正規雇用への支援策に乗り気でないことについて私は内心深く理解できます。というのも、こうした非正規雇用者層を支援をしたところで一切票につながらないからです。自分も以前に派遣マージン率を調べてたときに痛感しましたが、どれだけその待遇改善を応援しようとしても多くの非正規雇用者自身は政治に関心を持たず、自分たちを応援してくれそうな人たちへ投票で行動を示すことはまずありません。それだったらちゃんと票くれる人を支援しようと政府や政党が考えるのも、無理ないかなと考えています。前のインボイス制度に関しても無駄に騒ぐだけだったし。

 そもそも中間層が消失して上流と下流に分断され、政治に関心持たない下流層の浮動票化がますます加速し、妙な陰謀論とか実現性のない政策や主張の扇動を受けやすくなっているのが今の日本政治な気がします。
 各政党もこうした浮動票を取り込もうと色々知恵を練っているように見えますが、彼ら自身の中間層信仰がそれを妨げており、特に社民党や共産党などは彼らの支持母体がもはや上流層となっていることに気づかずにちぐはぐな主張を繰り返すからその支持を失っているように見えます。

 その一方、上流も層を拡大したことによってかつてと比べると、特に財界で顕著ですが特定の思想や方針に対するこだわりが薄れてきている気がします。それこそ昭和の時代は護憲、対米重視、反共、反米、天皇制などについて政党が主張や方針を変えようものならすぐにもその支持を投げ捨てる団体や企業が数多くいましたが、現代においてはこうした団体はかなり減り、一言で言えばかなりマイルドになってきています。
 政党としては綱領に縛られずに以前よりも柔軟に政策や方針を打ち出しやすくなっている一方、いわゆる岩盤固定支持層がなくなり、議席の維持というか票を固めづらくなってきている気がします。逆を言えば、固定支持層を作るだけの綱領を今の政党はあまり作れなくなってきているように見えます。安倍晋三なんかは意識してその辺を作ろうとしたけど結局戦前の天皇制崇拝の焼き直しで、「美しい国」というよくわかんない表現したから結局固まらなかったのが私の見方です。

 以上が大体の自分の言いたかったことですが、一番言いたいことを軽くまとめると、中間層が消滅して上流、下流に二極化した結果、双方ともに票の流動化が加速してきているというのが今の日本政治の特徴だと思います。なので10年単位の長期的政策を打ち出しづらいし、打ち出しても票につながらなく、それどころか実現性無視した耳当たりの良いこと言った方があと腐れなく票が取れちゃうから、今後日本政界はさらに流動化が進むかもしれません。
 その上で今一番求められているのは、中間層をターゲットにするのではなく、上流にも下流にも「せや、それでええねん(*‘∀‘)」と世代や階層を超えて支持される方針というかビジョンだと思います。池田勇人なんかは所得倍増計画で日本人全体の目標を復興から豊かさへ一気に転換したうえで統合させることに成功しましたが、まさにこう言うビジョンが今欲しい気がします。

 なお平成前半は「物質的豊かさはもう極めたから、国際社会での影響力を高めよう」というのが政府方針であったものの、現代においては米国同様、むしろ国際社会のわずらわしさから避けたいのが日本人の本音な気がします。平成中期は「バブル期再来」がビジョンというか願望でしたがこれは実質的に叶うことはなく、国民全体であきらめている状態です。
 日本をどんな国にしたいかというのなら、自分としてはマイノリティという自覚が強いのでやはり多様性を重視するマレーシアっぽい寛容な社会が希望です。