今日も私の知恵袋こと文芸春秋の記事の紹介です。中国行ったら読めなくなるけど、影響とか出ないかな。
文芸春秋を毎月買っている人なら話は早いのですが実はここ三号三ヶ月連続である特集が組まれており、その衝撃的な内容に一部で大きな議論がなされています。その特集記事というのは日本テレビ社会部記者の清水潔記者による記事で、その内容はというと昨年犯人とされて逮捕、実刑判決を受けたものの冤罪として釈放された菅谷さんが巻き込まれたあの足利事件の真犯人についての記事です。真犯人と言ってもどんな人物か皆目見当がついていないのだろうと皆さん思うかもしれませんが、清水記者はここ数ヶ月に渡る特集記事においてはっきりと”真犯人らしき人物”を特定し、その氏名から住所まで探り当てた上で捜査機関に報告まで行っていると書いております。
実は私はこれまで今回の取材を行っている清水記者について全く知らなかったのですが、その経歴を調べてみるとこんなすごい記者が日本にいたのかとため息をつかされるような人物だったと分かりました。清水記者が初めて脚光を浴びたのは1999年に埼玉県で起きた桶川ストーカー殺人事件で、この事件において警察より先に犯人の特定を行っただけでなく、埼玉県警が被害者や家族から被害届けを受け取っていたにもかかわらず全く捜査を行っていなかったという不正も暴き、その後の警察捜査に対して大きな一石を投じております。今思うとこの時の埼玉県警の不祥事発覚はその後に起きた北海道警裏金事件など、一連の警察不祥事発覚の嚆矢だったような気がします。
それだけに業界でも清水記者の評価は高いようで、先月号にて別の記者からも、「あの清水氏が取材しているのだから」と太鼓判まで押されていました。私自身もここ数ヶ月の清水記者の特集記事を読む限りでは実に精緻で細かく事実関係を追っており、なおかつ取材対象との信頼関係も非常に強く醸成されているようで、こういってはなんですが文章上からも只者ではないと窺える人物です。
その清水記者ですがなんと2007年より足利事件を取材し続けており、この事件を含む群馬、栃木で79年から96年にかけて起きた複数の女児殺人事件は手法の同一性などから一人の犯人によって起こされているのではないかと考え、足利事件の犯人とされた菅谷さんは無実ではないのかと推理して取材を行っていたそうです。その過程では足利事件にて被害者となった女児の母親とも接触し、当初母親は取材を拒否していたものの清水氏の対応に信頼を覚え、実名でテレビ出演まで行っております。
私がこの清水記者がすごいと感じるのは、警察から犯人も捕まってもう一件落着ですと言われた事件の親類とこうして信頼関係を築いている点です。仮に自分がこの母親の立場であれば今更何をと思うだろうし、むしろ嫌な記憶を蒸し返しやがってと反感を覚えたと思います(事実母親も、当初そのような感情を清水記者に持ったと証言している)。そんな母親に何度も接触を試みて会うなり清水記者は、「菅谷さんは真犯人ではない」と言い放ち、その後も取材を重ねていったそうです。
そうした清水記者らの活動も貢献してか足利事件ではDNAの再鑑定が行われ、ついに菅谷さんの無実が証明されて冤罪が晴れることとなったのですが、では肝心の真犯人は一体誰だったのかという疑問がこの事件では残りました。この真犯人について栃木県警はすでに時効という事で捜査は未だに行っていないのですが、清水記者によると同一犯人の疑いの強い96年に起きた群馬県太田市女児連れ去り事件については時効を迎えておらず、関連が疑われる事件ながらもおざなりにされてしまっているようなのです。
ここで一連の北関東連続幼女誘拐殺人事件について簡単に説明すると、79年から96年の間に群馬、栃木の県境付近で起きた足利事件を含む五つの事件のことで、どの事件も年端も行かない女児が誘拐され遺体で発見されるという痛ましい結果ながらも犯人は未だに捕まっておりません。清水記者の取材によると90年の足利事件と96年の太田市の事件のどちらもパチンコ店から女児が誘拐されているという大きな共通点があり、太田市の事件当日のパチンコ店にて、まさに被害者らしき女児とともに店内を出る怪しい男が店内の防犯カメラに映っているそうです。また足利事件当時、被害女児らしき子供と遺体発見現場近くを歩く不審な男を複数の人間が目撃しており、清水記者が件の防犯カメラに映った怪しい男を見せたところ似ているとその目撃者らは答えたそうです。
ここまで言えば分かるでしょうが、清水記者が真犯人と疑っているのはまさにこの男のことで(風貌から、特集記事では「ルパン」と呼ばれている)、すでに清水記者はこの人物の情報を調べ上げて警察に提供しているそうです。
しかし今のところ警察が足利事件、並びに太田市の事件について捜査を再開したという動きはありません。この警察の対応について清水記者は、警察、検察といった捜査機関が組織としての体裁を守るために敢えてこれらの事件を闇に葬ろうとしているためだと記事中で指摘しており、私自身もそのように考えております。
足利事件で菅谷さんの逮捕の決め手となったのはDNA鑑定で、彼の冤罪を証明したのもDNA鑑定でした。というのも最初の鑑定では鑑定方法が古く、正確でなかった為だと警察は発表しましたがこれは実のところ嘘で、実際は犯人とされたDNAの型も菅谷さんの型も、再鑑定では当初割り出した型とは違っており、そもそもの鑑定結果を間違えて出していたというのが真実でした。当時のDNA鑑定は顕微鏡を目視してその型を調べるというやり方だったので、いわば鑑定人が型を見間違えたというごくごく単純なヒューマンエラーだったそうです。
もちろんそれで長い間獄につながれた菅谷さんのことを考えると決して許されないミスではあるのですが、これが本当に取り返しがつかないのは、同じ鑑定方法で事件が立証され、死刑判決が下りた上にすでに執行されてしまった飯塚事件の存在です。
この飯塚事件について詳しくはリンク先のWikipediaを読んでもらいたいのですが、犯人とされて死刑がすでに執行された方は逮捕当初から死刑直前まで一貫して無実を訴え続けていたのですが、足利事件と同じ手法のDNA鑑定が決め手となり裁判では有罪死刑を受け、2008年に刑は執行されております。
仮に足利事件を再捜査すればこの当時のDNA鑑定方法の不備が槍玉に挙がることは目に見えており、場合によっては当時のDNA鑑定すべてが再鑑定にならざるを得なくなります。それによってこの飯塚事件が再調査となり、もしも鑑定が間違っていた場合、冤罪ながらも死刑を執行してしまったということになってしまいます。
上記のような指摘は足利事件で菅谷さんの弁護士をしていた佐藤博史弁護士がかねてから主張しており私自身も知ってはいたのですが、今回の清水記者の取材からますます警察が事実を隠したがっているという確信を得ました。
警察はすでに何度も書いているように足利事件について再捜査は行わないと発表しています。にもかかわらず、被害女児の母親が事件の証拠となりDNA鑑定に使われた被害女児の遺品であるシャツの返却を求めた所、栃木県警はあれこれ理由をつけては頑なに、未だに返却を拒み続けています。
捜査がまだ行われているのならともかく、捜査が打ち切られた証拠品は通常であれば遺族らに返却されます。しかしこの真犯人のものと思われるDNAが付着しているシャツは先ほどの鑑定が根本から間違っていた事を証明しかねないがゆえか、はっきり言って異常な理由をつけて警察は返却を拒み続けているそうです。それだけに私は先ほどの飯塚事件との関連性がより疑えるのではないかと思うに至りました。
すでにこの問題は国会の法務委員会でも取り上げられているようで、私としても北関東で明らかに異常なほど頻発している女児の誘拐、殺人事件を解明する上で再捜査が行われる事を心から祈ります。
最後に残酷な一つの事実。清水記者によると、足利事件と飯塚事件のDNA鑑定は同一の鑑定人が行ったそうです。
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