中国で最もメジャーな宗教は何かとなると名目上は仏教となりますが、仏教は文化大革命時に寺院が多数壊されたこともあってか日本以上にお坊さんになる人の割合も少なければ庶民の信仰心も薄いのが実態です。一例を出すと現在中国では旧正月の春節であるものの、日本みたいに9割の人間が初詣に行くこともなければ日常でも念仏唱えたり線香を焚く機会も多くありません。
その一方で宗教というくくりに入れるか議論の余地はまだあるものの、日本での神道に当たるような土着の慣習に近い道教は現在の中国でも強い影響を残しております。ちょっとしたお堂(=廟)などは割とどこ行ってもあるし川沿いには媽祖廟、商売人の家には関帝像がほぼ必ずあり、観光地を歩くとお土産屋には日本での七福神でおなじみな布袋や福禄寿の木造がよくならんであります。それにしても自分もこっち来てから意識するようになりましたが、七福神って元々は道教からだったんですね。
道教については趣味も兼ねてまた今度ゆっくり解説してもいいのですが、中国で仏教寺院や道教の廟を訪れると上記の七福神のように日本でもみられる仏像や仙人の木造や絵が見られるものの、不動明王の姿だけはどこに行っても見られないことにある日ふと気が付きました。そこから着想を得てちまちまと調べていったところどうもこの不動明王は日本国内限定の神様であることがわかり、その一方で極めて日本らしくないキャラクターであるにもかかわらず深く信仰されていることに違和感を感じたので、今日はちょっと頭使いたいので余計な手加減はなく好きな勝手に書いてくことにします。
・不動明王(Wikipedia)
不動明王とはなにかに関しては上のサイトを見てください。簡単に言うと空海が中国から持ってたのが日本初上陸だったということもあって密教で特に信仰されておりますが、密教に限らずほかの日系仏教宗派でも人気があって木造はもとより絵画などにもよく描かれているポピュラーな神様です。
この不動明王の姿はどれも筋骨隆々とした姿として描かれ、表情は非常に恐ろしい形相で肩や背中には炎をまとっていることも少なくありません。不動明王がこのような姿で描かれるのは彼が悪鬼や悪霊と対峙する存在であるため、その強い視線で敵対する相手を射抜き、すくませるためだとされています。
先にも述べた通りに中国では少なくとも「不動明王」と呼ばれる仏教の神は一般には存在せず、仏教の神としては日本で生まれ、発達したかなり珍しい例だと言えます。その起源が何かについてはヒンズー教の三主神の一つである破壊神シヴァではないかという説が主流のようですが、私個人の考えとしてはシヴァは雷神のイメージが強く炎を纏う不動明王とはなんかイメージが異なり、同じヒンズー教の神々に起源を求めるのであればむしろ同じように炎を扱い数々の悪魔と戦うインドラの方が近いのではと素人的に思います。
起源の話は置いといて本題に入りますが、先にも述べた通りに不動明王は日本オリジナルであるものの日本の神としてはかなり特殊というか日本らしくない特性を持ち強い違和感を感じます。どの点が日本らしくないのかというと「戦闘をメインとする神」、つまり「軍神」や「破壊神」的な性格で、日本は「和を以って貴しとなす」というだけあってあんまりこの手の神様は人気になりません。
インドなんかはさっきのシヴァを始め好戦的な神様ほど高い人気を持ちますが日本だと軍神で一番人気なのは七福神の一角であると共に四天王の一角でもある「毘沙門天」で、その次に来るものとなるとあとは「摩利支天」くらいしか浮かばず、バリエーションが多くありません。で、実際にはどうか詳しく調査したわけではありませんが、毘沙門天も摩利支天も衣装を見る限りだと中国の要素が強く、日本っぽい要素がほとんど感じられないばかりか日本国内の信仰心もそんなほどではない気がします。
同じく神道の中でも軍神的な性格を持つ神様はほかの神話や宗教と比べると幾分少ない気がします。神道でこの手の神様として最大級なのはスサノオノミコトで間違いなくこれなんかは申し分ない破壊神ですが、これ以外となると力持ちで有名な建御雷(タケミカヅチ)くらであとはほぼ皆無です。両柱ともにアマテラスや大国主と比べるとそれほど信仰もされておらず、勝手な感想ですが乱暴なキャラクターを持つ神様は日本じゃいまいちメジャーになり切らない風土を感じます。
このように考えているだけに、どうして不動明王がこれほどまでに日本で人気なのか、また何故日本だけなのか、日本で生まれ育ったのかが非常に気になるわけです。悪魔と戦う神様がほかにいなくて疫病祓い、厄払いのポストにぴったり収まったからとか、そのスマイルなんて一切ゼロなくらい恐ろしい形相が畏怖させる偶像として人気になったからとかいくつか推論は立てられますが、これらだと腹の底にストンと落ちるくらい納得するには不十分です。
では一体何故なのか。それがわかれば苦労はしませんが、パッと今思いついたのは対峙する相手が不在がちなのが影響したのかなという仮説が出てきました。中国やインドだと仏法を邪魔する悪魔(もしくは竜神など化物)が割と激しく暴れてそれを沈める戦闘神も大活躍するのですが、日本だとこの手に類するのは八岐大蛇くらいで、そもそも戦う相手が少なかったから破壊神が人気でなかったのかもしれません。それに対し不動明王が対峙する相手というのは普通の悪魔ももちろん含まれますが、それ以上に煩悩などといった「修行者の弱い心」がメインであるような気がします。
よくある不動明王の講話に、悪人からしたら不動明王は恐ろしい神様だが善人には怖い顔をしていても怒っているわけじゃないから安心していい、なんていうのを聞くし、また煩悩など悪い心があるから不動明王が恐ろしく見えるのであってそういう心がなければ恐ろしくはない、なんてのも聞きます。このように不動明王は信仰者の心と対峙するので、ほかの軍神の様に「神様VS悪魔」という構図にならず、日本人の大好きな「自己との対峙」要素を持つもんだから強面の形相ながら高い人気を勝ち取るに至ったのではないかと推理してみます。全部本当に勝手な推論だけど。
ただ中国やインドになく、ほぼ完全に日本オリジナルの仏教の神といったらこの不動明王が代表格であると私は考えています。それだけにもっとこの不動明王の特性についてあれこれ研究を深めることで日本思想も解きほぐせるのではないかと密かに考えている次第です。
4 件のコメント:
はじめまして
私も不動明王はじめ明王部のファンです。
明王は如来が姿を変えたもので、不動明王の場合は実体は大日如来になります。
如来、菩薩、明王と姿を変えるのは三輪身と言われるもので、相手の状況に応じて教えを説くお釈迦様の対機説法に通じたものだと思われます。
そのように思って観ると明王の恐ろしい形相も何かしら母親の愛情に似たものを感じてきます。
時には厳しく時にはやさしく、その本性は何事にも揺るぐことのない絶対的な愛情なのだと勝手に解釈しております。
大好きサラっち様、コメントありがとうございます。
自分も仏教神の中では、営業スマイルゼロなくらいガチ一辺倒で半日本オリジナルな成り立ちから不動明王が好きです。記事中にも書いてありますがあの厳しい表情は優しさの裏返しという話もよく納得できる寓話で、もう少し日本人全体で不動明王を意識してみたら面白いのではと思ってこういう記事を書いてみました。
キミも佛教信者でしょうか?観音様が好きでしょう?
俺あんま神様信じてないよ。悪魔の存在は信じているが。
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